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2015年3月

2015年3月30日 (月)

桜8分咲き。

素晴らしい春の陽気のなか、孫二人と母を連れて、栗林公園に花見に行く。砂利道を車椅子が辛くて、息子に代わって貰ったりしながらも、11時から3時半まで公園を堪能した。最初は興味がなさそうだった嫁りんも、自分が結婚式の前写しをした場所を池の中から眺めることが出来たりしてご満悦の体。子供達も亀の甲羅干しやサギたちの立ち姿に感嘆し、池の鯉も楽しんだ。全く久しぶりの船遊びだったが、総勢6人で大いに楽しんだことだ。ここから見る公演の内部は、ホントに美しく、高松人として誇らしささえ感じたものだ。

公園を出て、親たちは明日の早朝に水戸へと帰る準備があるのでチビたちを預かりまずはお誕生、入学祝いのプレゼントを買いに。この時点でかなり疲労感が、、、。

しかしその後は母を送り届け、女孫の髪を切り、今度はあちらの実家へと送り届ける。流石に疲れ切って、そのまま眠りたい状態だったが、どうしてもやらなくてはならない公演のプロットや曲順などを整理して一覧にすべくパソコンだ。そこに宴会から帰宅した夫。「お母さんは元気。」にカチンと来た。孫が帰ろうと、一切の自分の予定を変更することもなく、マイペースでお過ごし遊ばすこのお方。私だけの孫じゃないんだから!ったく。しかし、ケンカをする元気も残ってない。

お嬢も東京で親子二人のお花見をスグ側の公園でしたらしく電話してきて、よれよれの母親にクスクス笑う。「兄ちゃんも私も結婚,出産が遅かったからねえ。しゃあないわ!だって。

ほ~んと。無理するなと言われてもねえ。。

雨のち晴れ。

今の時刻は午前2時。頭が痛くなってきたので、ぼちぼちパソコンも止めようと思う。明日も母と孫達にご奉公の日。ちょいと身が持たない感じ。

今日の音楽祭も拘束時間が長く疲れたし、夕べも会議が夜だったし、帰省中の孫達との楽しいが疲れる時間もありいので、、、。毎日が限界まで。

仕事を始めたお嬢もスカイプしようと言うので画面を見るとナンカ食べている。今頃?ときくとストレスから凄い食欲なんだそうだ。あちゃ~、親子が同じことをやってるわい。こちらも今日は帰りにA○○やに寄って、でかいアイスクリーム2個も食べちゃった。夜ご飯を止めると宣言して、ホットドッグまで。実際止められたから良かったが、、。ふ~っ。

 

しかしまあ、音楽遣っている人の多い事。ビックリするし、チビちゃん達も沢山参加していたから、この子達が大きくなっても歌い続けたら、凄い人口になるなあ~とぼんやり考えて、影アナの椅子に座っていた。この場所が寒くて寒くて、凍えそうだったが、うちのピアニストはノースリーブでひらひらしたお洋服。す、凄い。さすが若さか。

ま、平和ならではの光景だったなあ~。

 

明後日は帰って行く息子達の為に、明日はお花見の予定。さあ、どんな一日になることやら。

2015年3月26日 (木)

春の陽気。続くのか?

今朝は6時起きでとあるコミセンへと出かける。この時間に起きてしっかり動いても、矢張り10時からの声だしはチト厳しいものがある。シャンソンを2曲、朗読を15分ほど、最後に歌声喫茶的お歌の時間。それらに全てお喋りをくっつけると、結構な時間に。お客様は多くが私より若干年上に見えたが、ハッキリしたことは分からない。

ただ、この方々の前で、自分の年をカミングアウト?した途端、ざわざわと驚きの声が上がったのを見て、これからはこの路線で行こうと決心した。「若いふり」をするのではなく、実年齢を堂々と前に出して、居直り人生を行く事としたのだ。そして言ったもんだ。「私は100歳まで歌える人になりたくて、今もってお歌の勉強をしている人間です!」

別に100歳まで生きたいとおもってる分けでもないが、「生涯歌いたい」という意味と同義でそう言ったまで。まあ、そこからの話しのし易かったこと。オカリナとキーボードの演奏を含めて時々笑い声の混じる1時間半という時間があっという間に過ぎたことだ。スタッフ手作りのおうどんまで振る舞われて、素晴らしい日差しの中解散となる。

いや全く。今日は春。

 

母に電話してお昼を一緒に食べることに。夜は夫が飲み会なので、ならば今日は夜抜きで昼間しっかり食べとこと思ってのこと。実際夜はミニカップラーメンとチーズケーキ1個でチョン。カンシンカンシン。

 

只今訳あって、息子達家族が水戸から車で帰省中だ。どうやら深夜に着くらしい。久しぶりに孫べえ達の顔を見られるのは嬉しいが、、、、。さ、寝ようか。明日から又忙しい。

2015年3月25日 (水)

桜の開花だって?寒いのに~。

最近疲れやすくて、夕食後にボンヤリとテレビを見るともなく見ていることが多いが、今日もボンヤリと、「ああ、又飛行機が落ちたのか、、、、」とニュースを見ていたら、な、ナント、4月に上京の予約済み航空会社の飛行機だった!古い飛行機を使用していたのが原因かも知れないだって!?そんな馬鹿な!これは相当乗るときに覚悟が要りそうだ。やれやれ。

 

でもって、只今パソコンの前で漏れ聞こえてくる番組に、「友人が多い人は長生きする」とあって、ほほ~と思った。逆に少ない人は早死にだそうな。周辺を見回しても該当する人はいないけどねえ。ほんまかいな?

その学者先生は他にも、「卵は一日何個食べても構わない。」とか、出演者がいちいち、ええ??ホントですか?という反応の連発を誘っていたが、まあ常識の間違いは確かにあるかも知れないなあ。その前には、夜寝る前に牛乳を飲むだけで骨粗鬆から逃れられるという話し。夫は半信半疑で飲まずに寝たが、アチクシはパソコンを打ちながら飲んだなあ。そんなことで解消できるならお安いことだ。只今腰痛で、明後日の本番に向けて泥縄だ。まさかとは思うが、椅子に座って歌うなんてことになりたくないもんねえ。

ま、何が起こっても受け入れるしかないけどねえ。

2015年3月24日 (火)

毎晩毎晩、おいらはBSの~~~

滅多にテレビを見ない人が、このところ立て続けにNHKのBSに釘付けとまではいかないにしても、かなり見ている。なぜこんな深夜にこんな番組を?と不思議でしょうがないが、、、。

昨夜は「ラ・ボエーム」を見てしまった。テノールが余り好きでない声の持ち主で、ハンサムだけどちょいとガッカリ。藤原歌劇団の公演に主役二人が外国人というのもねえ~。ちぇちの主役を二人とも外部からの人に依頼するようなものだなあ。それって、どうなんだろう?その団体の公演と呼べないのでは?と思うのはアチクシだけ?

しかし、美術は流石であった。天井にたった一つの天窓に見えるものをかかげただけで、貧乏なアパートの一室を想像させる。衣装も貧しさの表現を踏まえながらも美しい。メイクもチャンとしている。、、、ああ、総合芸術だなあ~。

 

今日の昼間は月一のシェイクスピアを観る会であった。ランチを有志でご一緒にとなり、近くの料亭へ。いやあ~、このところ外食が多いなあ。先月同じ所で天ぷらを食べ過ぎて気分が悪くなったので、今日は鶏肉どんぶりだ。めでたく胃も悲鳴を上げずにいてくれた。

が、そのあと直行したH邸でのお歌の練習では、何時ものように美味しいケーキが振る舞われて、,,幸せなような、、、。

このケーキを早速FBにアップしたら、又か?というコメントが短歌仲間から入って来た。どっちがメイン?と来たので、食べるのは3分。お歌は2時間と返信したら感心したメールが来たが、ホントそうなんだ。非常に真面目な練習なんだから。勿論ケーキは嬉しいが、無くてもやることはやる。はず。

 

こないだ深夜番組で、間もなく人間は宇宙人と交信するようになると言ってたが、その場合、ナント音楽が最初の手段になるそうだ。ひえ~っ。そうなんだ。やっぱり音楽に国境は無いんだなあ~。

2015年3月22日 (日)

バタバタの日々。

本来ゆったりした時間であるべき昨夜のディナー演奏会は、遠い所でのお歌の練習の後だったため、帰宅後夕食の準備をしてから義妹共々駆けつけるという状態。せっかくのおフランス料理も100%は味わえなかった様な気が、、、。しかもすぐ後ろのお席の人達の喧しいこと。いくら、喋りながら食しても良いと言われていたとしても、ちょっと配慮が足りてない。演奏はチェンバロという非常にデリケートな楽器。よくぞあの喧噪のなかで弾けるもんだなあ~。

盲目のピアニストとして何度か高松での演奏会をされていたが、私は二度目だ。どうして?って思う程のテクニックに毎度驚かされるし、その集中力には目を見張る物がある。盲目であると言うことで、かえって集中力が高まるのかも知れないが、、、。

 

まあ、義妹との楽しい語らいの中で、ゆっくりゆっくりとフランス料理に舌鼓というのも、なかなかに良い時間ではあったが、、、。彼女は相当満足していたようだった。たまにはおしゃれをしてゴージャスな気分での食事も佳い物だ。たっぷり時間をかけて頂く為、全てが少量にもかかわらず、お腹はけっこう満腹。不思議なもんだ。寄り道を予定していたので、ノンアルコールでガマンしたのはちと物足りなかったが、、、。

何よりも、昼間お歌の練習時に美味しいシフォンケーキを沢山頂いて、その前に近くの「Hゆかうどん」で美味しいうどんも食べ、そのあげくの夜のフルコース。そりゃあ、お腹も悲鳴を上げるわなあ。ゲップ。

 

そして今日も今日とて、ランチは母の車椅子の新しいのをテストするため一緒に近くの公園や神社に出かけ、適当なお店がなかったので、評判のレストランに行き早めのランチ。勿論だから朝食は抜いていた。

しかしそのあと、2時からのカルチャーのイベントに駆けつけ、そこではマクロビなるものが提供され、初めてそのようなものを食べさせて貰う。ボンヤリと、身体に良い料理という概念を持っていたが、残念ながらピーナッツが混入していて、多くは食べられなかった。

それで、夫から「帰宅したメール」が来て、バタバタとお刺身など購入し、夕飯を済ませた今は猛烈に眠い。本当は特筆すべき諸々があったのだが、、、眠い。

 

でも、多分例のダウントンアービーは見るんだろうな~。

2015年3月20日 (金)

命。

あれから二十年。と言われて綾小路君麻呂の言う四十年よりビックリした。あのオ○ム事件からもうそんなに経ったんだ。時間の速さも驚くが、その後のオ○ムが消去されてなかったことにもっと驚く。若者達が沢山入信し始めているという。一体日本という国はどうなったんだろう?新聞に出ていた小さな記事だったが、あるお坊さんが、こんな若者が増えたのはあんたらのせいだろう!?と言われてごもっともと反省したとあったが、そうかも知れない。救われたい若者がいて、救う人が居ない現代という時代。甘いささやきに吸い寄せられていくのは当然かも知れない。

しかし、今日の特集番組は見れば見るほど腹が立つ。あの松本某、逮捕された後は何もかも弟子のせいにしているというから卑怯この上ない。捜査だって警察が、警視庁と地方の警察との縄張り争いで本格捜査ができなかったなんて呆れてしまう。一個人は優秀な人材がいても、組織になるとその力が充分発揮されないシステムの甘さ。,,,想定外は何も災害だけのことではなく、人間がすることさえも想定外のことが多々起きているってことだ。

以前は宗教といえば、その教義に必ずしも共感出来なくとも、人を幸せにしてくれる存在として、人間社会に無くてはならない存在だと素直に思っていたが、今はかなり疑惑を持つ。本当に宗教によるなあ~。

 

最近、日本の財産とでも言うべき人々が次々と亡くなっていく。今度は桂米朝師匠だ。味のある上品な落語家として私も好きな人だった。軽妙洒脱なその語り口は他の誰とも違って、これぞ芸だとナットクさせられたものだ。ホントに惜しい人だった。

 

昨日は、深夜時間にテレビを見ていたためここに書き込めなかった。何をそう熱心にみていたか。「アンチエイジング」であ~る。それぞれ当然のようにいつまでも若くあるためのノウハウが取り上げられて、ほう!はあ!へえ~!と感心したり驚いたり。しかし、実は最も面白いと感じた部分は、「人間のDNAには長生きしなくてはならないという記憶が刻み込まれている。だから長生きになってきた、と言う部分。

説明に寄れば、本来の人間の心拍数は15億だそうで、それは50歳までしか生きられない数なんだそうだ。ネズミのように早い心拍を打つ生物は短命で、象のようにゆっくり打つ者は長生きなんだそうだ。で、大昔の人間は50歳までで命を終えていたらしい。当初木の上で暮らして居た人間の祖先はかなり安全な暮らしだったため、もし親が早くに死んでも子供は子供で自立して生きて行けたのが、干ばつにより、森が無くなり平地で暮らすようになったため、肉食動物たちから身を守り、子供を庇護しなくてはならなくなったため、自然と長生きになって行ったというのだ。だから、長生きの結果、祖父母という存在が現れ、その年寄り達が孫達を見守り、親たちは仕事をしても良いという形が出来て、ますます人間は長生きになったということらしい。しかも、その上に医学の発達だ。ここ200年ほど前から急激に人間が長生きになっているという。

いやあ、そうなんだ。我が母が長生きしてるのは、遺伝よりも、「私がこの子達を見守ってあげなくては!」との思いを、母に植え付けたことがその原因なんだなあ~。。なんせ、わが子達は二人ともたっぷりお婆ちゃん子に育ったからねえ。自分自身が若い頃は仕事もしっかり頑張っていた為、母に毎日我が家に通って貰って、子供達の面倒をよく見て貰っていたもんねえ。アレは結局母を長生きさせる原因を作っていたんだなあ~。ということは、只今わが子達とは遠く離れて暮らして居て、ほぼ全く気にしないで暮らしているアチクシは短命?But!今すぐ死んでも短命とは言われないかも知れないが、、、アハ。

2015年3月19日 (木)

外国語。

イギリスの友人からメールが来た。実は一度返事をすっぽかしてしまっているため、今日は何が何でも返事をしなくてはならない。英語に触れる事が殆ど無く、乏しい知識も枯渇寸前の有様。以前翻訳アプリなるもののお世話になって、息子にチェックして貰って呆れられたことがあったが、確かに日本語入力自体が間違っていては、碌な翻訳が出てくるはずもない。今日ばかりはそこんとこ慎重にそのサイトを利用してみたら、なんとなく上手く行ったような気が、、、。

しかし、細かい心理的な描写など、とても出来る筈もなく、毛布の上からかゆいところを掻くようなじれったさが残る。なんで、外国語なんかあるんだろうねえ。

 

先日、地球の成り立ちのような事をシュミレーションでやっていたが、アレを見るとなんとも言えない気分に陥る。何十億年前に隕石がぶつかって火の玉になった地球が、それでもわずかに生き残った生命体を温存し、今度は氷河期に入って地球丸ごと氷になってもそれが生き続け、その結果の人間様の誕生だとか、、、、。色々その手の証拠が発見されているというのが次々と映し出され、思わず見てしまったが。。。こういうこと、研究している人の気が知れない。存在を知れば知るほど、人間は「無」に近づいているような気がする。知る事が、一体何をもたらすというのか。昨日のニュースでも、スペイン領のどっかに大きな望遠鏡を設置して、宇宙の成り立ちを調べるというのが流れた。ブラックホールを解明するというのだが、、、。ますます奇々怪々。文学からほど遠いことの様な気がするが、TV画面にはサイエンス文学者なんぞという肩書きの人が出てくるからねえ。

「分からない」ことに意味を見いだす人と、あるいは「分かりたくない」と言えるかも知れないが、「科学」とは一線を画す様な気が、、、。もしかしたらどっか途方もない先の方ではで 同じものを見つめているのかも知れないが、、、。

 

人間て、変な生き物だ。

2015年3月17日 (火)

声、ストレス、テレビドラマ。

シャンソン教室をやっていて驚くのは、如何に自分の声に自信が無い人が多い事か。まあ、美容室を経営していても自分の髪の毛に自信を持っている人が殆ど居ないのを考えると、これは至極普通のことかも知れないが、、、。それでも、というかそれだからこそ何とかしたくて教室に行ったり、美容室に行くのかもしれないなあ。

今日もその何とかしたいと言って教室に入ってきた人がいた。歌が好きで、歌いたいと思っているのに、歌は等別な人しか触れられない世界だと思っているようだった。だからかなりの勇気を持って参加したみたいだが、ダンスが好きで躍っていたようで、事故でそれが続けられなくなり、何かしら表現することに興味を持ったとか。大いに歓迎だ。早速みんなの歓待を受けて仲間入りだ。とにかく自信を持って貰えるところまでお手伝いが出来ると良いなあ。

 

昼は母と食事。このところ急激に記憶が減少しているようなのを、毎日会うことで少しでも遅らせたい思いだ。といっても、思うようにそういう時間が作れず、内心忸怩たる思いだが、、、。

こういうストレスから逃れられないのは、何も自分一人ではないが、先日の披露宴でとある女性から「ストレスフリー」について話しを聞いて、確かにそういう生き方が出来ればステキだと思った。彼女の旦那様とその親元の家族はみんなそのストレスフリーだとか。全ては成るように成る、くよくよしないと割り切って生きておられるようだ。羨ましいの一言。そういう彼女自身が夫に対して羨ましいと思っているようだ。フ。

 

唯一と言って良いほどのお気に入りテレビドラマ「ダウントンアビー」を昨夜も見られたが、どうしてこんなに面白いのかと思ったら、この屋敷の貴族達とそこの従業員達を中心に、それぞれがそれぞれ、生き生きと描かれていること。中心はあるけれど、周辺の描き方も手抜きがない。毎回、一番大事な話題を丁寧に描きつつストーリーを思いがけない方向に持って行く。勿論そこに登場している役者達の素晴らしい演技力もテレビドラマの域を超えている。今回からあのシャーレーマックレーンまで登場してきた。

これが、著作権のせいでオンデマンドの放送もなく、情報さえ一定時期が過ぎると消されてしまう。従って、この無精なアチクシがこの番組だけはキッチリ覚えているという訳だ。、、、と思っていたら、なんのことはない。ハタと気付けばパソコンテレビに録画が出来たから驚きだ。そもそもテレビ本体の録画自体したことがなく、そこまで執着するものが無かったからだが、、、、こりゃあ、かなり時代遅れかも。

このドラマの主軸にはまさしくその「時代」が描かれている。大きな時代のうねりの中で、木の葉のように浮遊していく人間達。それは貴族も召使いも、貧しい者も富める者も皆同じ。はかない時の移ろいを人生のそれと完全に重ね合わせて、、、面白いのだ。その中に何度も何度も、「時代遅れ」という言葉が出てくる。作者の目は、「時代遅れ」を独特な目で見ているようだ。良いも悪いもない。ただ、「受容」するしかないとでも言いたげに。さすがシェイクスピアの国の作品だけのことはある。

2015年3月15日 (日)

雨が降ったり止んだり、、、。

夕食時に見たくない報道番組を見てしまった。ISに加担している過激派民族によって殺戮が繰り広げられ、大人は殺され子供はさらわれ、その子供達は人間爆弾になる予定だという。親から引き離されて、からくも難民キャンプに逃れた子供達が孤独と恐怖に精神状態がおかしくなっている状態が画面に映し出された。無表情にさえ見えるその顔には涙が止めどなく流れている。あまりの残酷さに思わず箸を止めて画面に見入ってしまう。「世界のニュース」が次々と放映される番組。しかし、この映像の直後に平和な、余暇を楽しむ為に一つの町を全部借り切るなんぞというのんびりしたニュースが流れ、その映像を説明する女性アナのとてつもなく明るい笑顔にかなりの違和感を覚えた。そりゃあ、世界中に色んなニュースがあるだろうし、暗いのも明るいのもあるだろうが、せめてそれを中継ぎするアナウンサーの表情に、映像の余韻のようなものはないのだろうか?

連ドラのエピソードの直後に読まれるニュースは、殆どの場合そのアナウンサーがドラマの感想をその表情に漂わせている。あれは個人的なことなんだろうか?

アナウンサーとて人間だ。ただ言うべき事を字面のままに読めば良いと言うものでもないだろう。今日の暗い暗いニュースのあとの女性アナの何事もなかったかのような明るい表情には、視聴者が置いてけぼりにされたように思って腹立たしくさえあった。昔、同じ職業だった夫も、目の前で憤慨する私の前で同調していたから、この感想は間違ってはないんだろう。

 

しかし、地球上には色んな営みがあって、平和な、幸せな地域も、災害に呻いている人達も、戦闘地域の辛酸を舐めている子供達も、同時間を生きて居るのは至極当然のことなんだ。昨日の結婚式しかり。

 

今日は母の95歳の誕生日。昼ご飯を我が家で夫と三人でお祝いし、ヘアーにカラリングを施してあげて二人でS○S○という有名な喫茶店に行ったが、たっぷりのアイスクリームとお茶を飲んで、、、、ホントに平和な時間だったもんねえ。母は自分の年齢も、ましてや誕生日さえも忘れいているが、、、。これが母の中の平和かも知れないなあ。

心地よい疲れ。

疲れ切った。朝から晩までの長時間の挙式から二次会までは、矢張り老人にはこたえたなあ。一つには新婦側での参加で、新婦同様の緊張を感じたというか、新婦を見守りたいという思いが強くて、それで勝手に疲れたのかも知れない。さしてアルコールも飲んでないのになあ、、、。新婦本人はあまり緊張はしてないと言ってたけどねえ。

花嫁は全く花のような美しいお嫁さんで、溜息が漏れるほど芳しいものだった。そこにいた全ての人が優しい気分になれる、素敵な挙式から披露宴、そして二次会が、シンプルに滞りなく進められた。ひとえに新郎新婦の人柄からくるものだろう。

二人が職業とは別に音楽という共通の特技を持っているため、ゲスト共々演奏に加わり、楽器を奏で歌を歌うという音楽に溢れた時間だったこともユニークな素晴らしい雰囲気を醸し出していた。常時流れていたBGMは、全て二人がどこかで実際に演奏をした時の録音を使って居て、勿論ちぇちのメンバーの声も入っている。

ちぇちのみんなも頑張った。何度か集まっては練習した甲斐があり、立派にお役目を果たせたと思う。これは何よりのプレゼントではないかしら?

プレゼントは自然の中にも現れた。

ビルの30階から瀬戸内海を見下ろすと、ナント披露宴の最中に虹が現れたのだ。これはかなり珍しい。思わず参加している人達も興奮したことだ。

 

実は自分的には、今日は泣かないぞと心に決めていた。新婦から永きにわたりあれこれ相談事というか愚痴の聞き役をしていたため、まともに考えると泣きそうな自分がいたためだ。しかし、晴れ渡った島々の浮かぶ瀬戸内海に三方を囲まれて、あくまで明るい会場に、涙は相応しくなかった。何度か危ういときもあったが踏ん張ることが出来た。

その代わり、大いに笑い、楽しくお喋りし、時には歌い、、、、要するに今日は心地よい疲れだったのだ。

 

心から幸せを祈りたいものだ。

2015年3月13日 (金)

一応晴れてたか。今日は。

先ほどNHK の深夜番組でツイッター詩なるものを知った。あれは良いなあ。「福島を言葉で埋め尽くしてやる」というのがその中にあったが、その気持ちが痛いほどわかる。文章で言い尽くせないことを、詩なら可能にするかもしれない。その詩人は今や有名人らしいが、知らなかった。

南海トラフの予想シュミレーションが流れたが、かなり怖い映像だ。いずれ我が身か。

1日一つの用件をすることと決めたいが、一度として成功した試しがない。まだ時期でないのかもしれないが、腰痛が復活してきたし、ボチボチいろんなことが潮時だ。
明日は遠来の友と会い、明後日の結婚式へとなだれ込む。

良いよねえ。今から結婚するなんて人。といって、今更逆戻りしたくもないが、、、。
そういえば昨日のテレビで95歳のおじいちゃんが筋肉隆々で走っている姿が紹介されていたが、その人は70歳まで全く運動してなくて、筋肉の衰えに気づいてから一念発起、運動を始めたそうな。そして今や若者が驚くほどの体力を持つスポーツマンに変身したそうだ。で持って、70歳くらいの女性にもてたいとか、、、オーノー!そこか。
しかし、これはちょいと考えなくては、、、。
んん〜。

2015年3月11日 (水)

3月11日の今日。

今朝のアサイチに息子が映ったと娘が教えてくれる。「低認知被災地について」動きがあるというニュースの中だった。茨城、千葉がその対象地で、以前からこのての話しは息子本人からも聞かされていたが、確かに震災地と言われる3県の周辺地域は忘れられがちだ。そこに住む人々は、声を上げにくいというのも分かる。ようやくこの地域に光が当てられ始めたということらしかった。4年目にしてかあ~、と思ってしまう。実際何度か訪れて、家が倒壊したり、道路が盛り上がったり、陸橋や橋が曲がっているのを目の当たりにしているので、ここも明らかに被災地だと実感していたが、、、。その上、放射能の汚染地域だ。今回、対策会議のようなものが立ち上がりその中のメンバーに息子も入っているようだ。地域の為にも頑張ることがひいては日本全体のことに繋がると思うなあ~。

今日、あの311から4年目ということで、テレビラジオはずっとそれについての話題。改めてあの悲惨な現場映像をも何度も見聞きすることとなった。テレビの映像を見たラジオのリスナーの一人が、「部屋中に響き渡るような大声で一人で泣きました。」とのコメントを寄せていたのは共感できた。ホントに今日の色んな映像を見て涙せずにはいられない。背後に迫る津波の前を必死で歩いて逃げる高齢の男性の映像。母一人子一人で暮らして居た母親が携帯メールを送ってすぐ津波に襲われ亡くなったとか、現在高校生の女の子が、両親や弟までも亡くし、それでもけなげに生きていこうとしている姿など、、、、。

今日は改めて色んなことを考えさせられる。

 

今日も西に東にと走り回ったが、何とかそのスケジュールの中に母親のケアが入れられたのは良かった。今日のような天候だと連れ出しやすい。が、又ゾロ明日は忙しいなあ。気持ちはあってもなかなか難しい。

夜のちぇちの練習も、一応滞りなく終わった。土曜日の結婚式まで、バタバタだ。

2015年3月10日 (火)

シュールな声。

今日は不思議な声に出会った。人形劇プークの芝居に出ていた主人公の殿様役の人が、なんとも不思議な声をしていた。ちょっと哀愁を帯びていて、悪声では無いが綺麗な声でもない。身分の違う百姓の娘に失恋して気が狂い、9年もの間違う世界を彷徨っていた青年の役。まあ、この人以外には出来なかったかも知れないというほどのはまり役だった。

人形と言ってもほぼ等身大の大きなモノを声優が操りながら喋り、喋りながらリアルに動かすという表現。その後ろの役者も見えているから摩訶不思議な世界だ。何故人形なのか?何故そこまでの演技力の人があえて黒子のように後ろに控えているのか?

前回、もう何年も前に見た時はかなり違和感があり、受け入れられない思いが残ったが、今回は感動した。作者の力にも寄るかも知れない。井上ひさしと田辺聖子だからねえ。アチクシ的には断然井上ひさしに軍配が上がったけど、それはもしかしたら役者の技量の違いかも知れない。。。。てことは、作者、役者が人形を中に競演しているというわけだ。

いやあ、面白かった。

 

その前は来週に控えたちぇちのメンバーの結婚式場の見学だ。余興で動く為、その移動可能範囲を見に行ったという次第。偶然にもわが息子の結婚式場と同じ場所。瀬戸内海や高松の町並みが一望に見渡せる高いタワーにそれはある。雨にけぶったそれらは又格別の趣があり、素晴らしい眺め。ピアノのテストもしたため、ちょいと歌わせて貰ったが、なかなかに気持ちの良い会場だ。思いがけず拍手を貰って「楽しみにしてます」と言われたが、本番で歌うのは別の人だ。ははは。

 

これから先は、イベントが目白押し。体力がいるなあ~。

寝よ。

2015年3月 9日 (月)

何だかねえ~。

今日も朝から仕事で午後の歌会に間に合わない。1時間ほども遅れて会場に着くと、何時ものように熱心な議論が交わされている。しばらく使いものにならない吾が頭脳。段々モードが変わっては来たが、考えるとしばらくあの会場に参加できてなくて、全く久しぶりだったのもエンジンが掛からなかった理由だろう。

参加者の中に、高齢の方で斎藤茂吉の歌の感想を盛り込んだ人がいたが、「赤光」を読み尽くしていると言われる。確かに、そこで紹介された茂吉の歌は、それだけで教材として成立する力を持っていた。先人から学ぶべきだろうなあ。

それにしても時間切れで慌てて詠んでとにかく参加することに意義ありと提出したものは、心臓に汗をかくほどの駄作だった。今回実験的に作者の名前が最初から出ていたが、お陰でず~っと冷や汗のかき通し。あとからこの記名式をどうするかが話し合われたが、是非隠しておいて欲しいと思った事だ。やれやれ。

昨日郷里出身の森田氏のNHKの出演でヴォルフフェラーリのことについて知る事となったが、有名な間奏曲「マドンナの宝石」が二種類のリズムが同時に動くことで成立していて、上手く揺れ動く男女の愛を表現しているとあったが、短歌にもそういうことが盛り込められれば素晴らしい歌になるだろうと思ったなあ。言うは易く行うは難しだが、、、。ふ。

要するに、短歌に於いて、何かが足りないアチクシである、ということを再認識することが、毎度のことながら歌会に参加した収穫であ~る。

 

帰りに寄り道をして、歌会でマナーモードにしたのを忘れてそのままに動いたため、夫がしびれを切らして夕食待ってると電話やメールで聞いて来ていたのに気付かず怒らせてしまった。出かけるときに曖昧な約束をしていたのも残念な結果を生んだかも。こちらはいつになるか分からないから、遅くなったら適当に済ませて、、、と言った記憶があるんだが、彼の頭には全く無いようだ。ま、言った言わないは水掛け論だ。こちらが折れるしかない。考えてみると久しぶりのケンカかも~。イヤハヤイヤハヤ。相手がいればこそだ。

2015年3月 7日 (土)

大きく振れた一日。

朝仕事をやっつけてから急ぎ葬儀に参列した。これが予期せぬ進行で涙涙。故人の友人という人が一人は弔文を読み、一人は思いつくままを仏に語りかけた。それで初めて故人が文学青年だったということを知った。中でも太宰治に異常なまでに傾倒し、その友人は心配していさめることもあったとか。いや~、驚いた。たまに会えば冗談ばかり言う人で、全く想像してなかった事実だ。

一度リタイアされていた仕事でも要請されて復職し要職に就いていた。そのためだろう、大勢の弔問客が詰めかけた。その大勢の参列者が一様に涙した瞬間が訪れたのは、独身の一人息子が父親との最後の別れの言葉を告げ始めた時だった。

「おやじ。」と一言声をかけてからどれほどだっただろうか?非常に永い沈黙の時間が流れた。彼が必死で涙をこらえ、声が落ち着くのを待っているのはその後ろ姿からも分かりすぎるほど分かった。その間、会場にはすすり泣きが拡がり、みんなが次の言葉を待った。見かねた母親が立ち上がり背中に手をかけた時再び彼は声を出し始めた。ともすれば嗚咽が漏れそうになるのをこらえながら、彼は喋った。「オヤジと話す時間が、おれは一番好きだった。二人で話している時はとても幸せだった。もっともっと、おやじと話し、酒を酌み交わしたかった。おやじ、おやじはおれの誇りです。ありがとう。ホントに有り難う。」

故人は素晴らしい財産を残した。

通夜に続いて読経もなく、焼香も無い献花だけのシンプルな葬儀。これはホントに良かった。訳の分からないお経を長々と聴くのより、数段内容があったと思う。参列者は宗教を越えた大きなところで祈っていたように思う。1時間半がちっとも永いと感じなかった。

 

泣きはらした目をしたまま近くで速達を出し、それからゆめタウンへ向い喪服を着替え、一人ランチ。余りに疲れていて、やっぱりマッサージだ。そこからは又又車を移動してお歌の練習会場だ。そこで何時ものように美味しいケーキをご馳走になり、気が付けば夕方6時という時間。慌てておいとまをして帰路に付くと夫からいつ帰る?メール。溜息をつきながらも「貝づくし」のお刺身を購入したのは、お葬式の影響か。

何とか食事を済ませたところに様々なメールが入って来て、処理に追われる。その一つに昨年帰郷したM氏がテレビに出るという情報があり、メンバーに流した後それを見る。なかなか良い番組だった。M氏の活躍も嬉しい。

ところが、その後の番組を続けて見たら、これがもの凄く面白い内容だった。新進気鋭のデザイナー佐藤オオキと売れっ子の漫画家松井優征というどちらも全く知らなかった二人の若者の対談だった。彼らの言葉からもの凄い名言が次々飛び出した。例えば、デザイナーの佐藤は自分の作品はプレゼントを作っているようなモノだという。贈る人が喜ぶものだけど、その人が想像してないもの、その人には見えてないモノ、その人が想像できる以上のものを作る,と言う。そういう気持ちで物作りをしているとか。もう一人の漫画家松井。初めた時から終わりを考えていると言う。二人とも「ゆだねる」という言葉に共感しているのも面白い。

いや~、世の中、凄い人が沢山いるものだ。

人は皆いずれ棺桶に入るとはいえ、きっと彼らの生み出した宝石のようなものは後世の人々に繋がって行くのだろう。

 

こういう人達が活躍できる世の中であり続けて欲しい。それには平和しかない。

2015年3月 6日 (金)

そぼ降る雨に、寂しい日。

人の命は短くて、苦しきことのみ多かりき。、、、今日のお通夜はまさしくそういう人のものだった。1年間の闘病生活を長いと見るかそうでもないと見るかは、人それぞれの見方があるだろうが、ここ数ヶ月のこの方の闘いは聞くだに恐ろしいものだった。余りの痛さに壁を叩き、時にはその壁を掻きむしることもあったと聞いている。側でそれを見ている奥方のつらさは想像に難くない。彼女は悲しい時ほど笑顔になれるたくましい人だが、流石に今日のお通夜で涙を押さえることは出来なかったようだ。泣けば良いのに、と内心エールを送ったが、、、。

それにしても最近の葬儀の形式というものがどんどん変化してきているのを感じる。「自由葬」ということだったが、初めて聞く言葉だ。何が自由?お焼香は家族のみ。参列者の希望者は焼香を順次済ませて仏様のお顔に対面して家族と話しつつ、自由に解散していく。呼び出し焼香もなし。お見送りもなし。時間のある人はお茶などで談笑タイム。

私自身はキレイにお化粧を施された眠っているかのようなお顔に心の中で、「ようやく楽になれて良かったですね。」と声をかける。冗談が好きで、いつも面白い会話を夫婦で交わしていたが、これからは彼女はわが母の様に仏様と話しをするんだろうか?

さて、明日はどんな式になるんだろうか?今日も沢山の人出だったが、、、、。

明日は朝8時から仕事が入っていて、11時の式に間に合いかねる感じ。で、午後はお歌の勉強会があるのではるばる出かける予定。実はその前に一つ予定をキャンセルした。なんか、重なるなあ~。

2015年3月 3日 (火)

ふ~っ。

身も心も寒い一日だった。病院を二カ所とも午後に回して、もっぱらパソコン前でストーブ点けて作業ばかり。テレビニュースも碌なニュースが無く、どっかの病院で大量殺人か?みたいな変なニュースも流れるし、、、。子供の残酷さを言うなら、大人の狡猾な残忍さを先に言うべきだ。一見平和で実は大きな闇を抱えている社会のひずみからああいう子供の事件は起こるんだろうから。ああ、やだやだ。

どうしても行かなくてはいけないと4時も過ぎてから重い腰を上げてまずは耳鼻科へ。アレルギーでもないのに顔を洗う度に鼻血が出る。鼻マスクを付けて寝ているせいかもしれないと言われ薬を頂く。それを飲み忘れていることを、今思い出した。ふ~っ。

次は内科。そのマスクの効果を見て頂く為だ。なんならもう止めたいと言いたかったが、使用を強く勧められる。だよねえ。まだ昼間眠いことが良くあるしねえ。それがどうしてもイヤなら減量して下さいと言われてしまう。言いながら結構な体格のその先生は照れくさそうにニヤニヤ。「そうは言ってもなかなか出来ませんよね!?」と。二人で笑い合ってチョン。当分続けなくてはいけないみたい~。ふ~っ。

 

ちぇちのメンバーが昨夜階段から落ちて背中を強打。骨に異常が無いようで一安心だが、ご本人はショックで気分が落ち込んでいるという。まあ無理もないわなあ。同じ年齢の私も痛みには年々弱くなってきているしねえ。よく分かる。

それを思うと、あの川崎の事件は本当に残忍だ。祖母という人が、「どんなに痛かったか、どんなに怖かったか、どんなに苦しかったかと思うと、、、」と殆ど叫んでいたのがよく分かる。母親の気持ちを考えるとこちらの気持ちまで暗くなってしまう。取り返しがつかない、という言葉の意味をまだ本当には理解してない子供達だ。おそらくはまだまだ関係した子供達が出てくるんじゃないかと思うが、、、、つらいなあ。

 

ちょっと良いニュースが無いのかしら?全国レベルもこの近辺も。ふ~っ。

2015年3月 2日 (月)

もやもや。

花~は花は花は咲く~~~。てことで先日に続き今日も花見のお誘いが。梅は逃したが、桜は見られるかも。とある店舗の懸賞に当たりました!というものだ。4月の話しだが、たまたま夕方我が家に来た友人とすぐさま出かける約束が成立。こういうのに行ったことが無く、まあお試しだねってことで。行く先が近いので気軽に行けるのも良いか。。。

「梅」が今月のお題だが、短歌の方はさっぱりうめ~のが出来ず、もちゃもちゃしている間に時間が経つばかり。それこそうめ~のを詠もうという色気があるのがイケナイんだろうが、、、。

 

なんだかねえ~、例のA少年の顔写真が既にネット上に流れていて、家族写真なんかも出ているというこのご時世。警察だ裁判だという以前に、社会で裁かれ極刑に値する扱いを受けている。

それなのに、ロシアの暗殺事件は何度起きても闇に葬られるという不思議。

昨日はFBに福島の農家の人たちが、「自分たちは後ろめたさを感じながら作物を育て、販売している。が、自分の家族には子供には食べさせない。」という発言をしているのが流れたが、うう~ん、と唸るしかない。こんなことを言わなくても済む農業であるべきだろうに。実際、ずっと以前にここら辺の農家の人が、農薬について同じような発言をしていたのが思い出される。

時代に翻弄され続けている農業。後継者がどんどん居なくなるのは止めようがないのかも知れない。

 

このモヤモヤはどうしようもない。

あ~した天気にな~れ。

予定通り今日も南の方へと雨の中車を走らせた。今日は女4人が一緒に行ったが、どこにも寄り道せずに帰ったのは、おそらくは昨日の陽気が無かったからだろう。確かに寒かった。

しかし、暖房の効いたお部屋でみんなが真面目に笑いながら?歌のお勉強する時間は、何時ものように楽しく過ぎる。「真剣に遊ぶ」まさしく。

声というのは心理的なものだとは、永い経験からもよく分かっているが、このところの様にみんなの声を責任を持って聴いていると、それを再認識させられる。歌えると思えば歌えるし、歌えないと、ひとたび思った瞬間に声が出なくなる。いやはや、摩訶不思議な世界ではある。

吾が師匠が良く口にしたのが、「声はすぐに悪くなるよ。」というものだったが、確かに昨日出来たことが今日できるとは限らない。間違った情報がインプットされるとすぐにそちらに染まってしまい、なかなか元に戻らない。悪い方にはすぐに行き、良い方に行くのは時間が罹る。まあ、だから面白いし、やりがいもある。誰でもが簡単にできるモノは結局は面白くないということだろう。

 

あまり積極的にテレビを見ない人だが、最近夕食後にうとうとするついでにかけっぱなしの番組を見るともなく見ていることが多い。体力が減退している証拠だろうが、、、。今日は大河ドラマと、そのアトの震災の時の救出についての特集を見た。お風呂上がりには、これだけは毎週忘れずにに見ているダウントンアヴェニューを見たし、、、なんかテレビ漬けの夜だった。どれも色んな意味で見ておいて良かったモノばかりではあったが。

震災の救出劇は、当時のテレビ番組でも報道されたかも知れないが、改めて詳しく見て色んなことを考えさせられた。3月11日に日本全国から38機のヘリが被災地目指して飛んだというのは知らなかったし、それがこういう震災などの時の専用のものだということも知らなかった。自衛隊でもなく、警察でもなく、、、神戸の震災時をきっかけに出来た組織だという。しかし、そのシステムが完全に機能するには体勢が整っていなかったようなのが、残念だった。飛ぶには飛んでも、燃料の給油場所がない。様々な無線の飛び交う中、どれが自分たちに必要な情報かを把握出来ないことも多かったという。そのためにみすみす助かる命を救えなかったと、悔しさを滲ませる何人もの隊員達。口数の少ない彼らの表情から無念の思いが消えてないのが充分に伝わってきた。それでも彼らのお陰で夥しい命が助かった。「私も若ければあんな仕事に就きたかった。」と言って夫に笑われたが、、、。

 

さあ、明日は明日の風が吹く。

2015年3月 1日 (日)

のど自慢。

今日明日とお歌の練習でH先生宅へと出かける。ひとまず今日の部は終わったが、絶え間ない笑いと音楽的考察?のギッシリ詰まった有意義な時間だった。天候にも恵まれて、まるで春の陽気の中を車を走らせること30分ほど。平日よりは高速も車が多いなあ。明日はどうやら雨らしいが、、、。

H先生宅は周囲が木々に囲まれていて、ご夫婦で手植えされた花々が色を競って咲いている。クリスマスローズの珍しい色の花もあり、聞けば敷地内の土手沿いには土筆や蕗の薹なども取れるそうな。良いなあ、こういう生活。

そして毎回奥様の手作りケーキでもてなして下さるが、これが玄人はだし。毎回毎回違った素材で目にも美しく美味しいケーキを焼いて下さる。しかもピアノも半端無い量を弾いて下さって、、、、献身的と言えるほどのサービス。どこにこんなピアニストが居るかしら?有り難いことだ。主に重唱の練習を目的に集まるから、人数もケッコウ多い。そんな中で眼を細めながらお付きあい下さるH先生は、根っからの歌好き、音楽好き。、、、こういう人が居ればこその集いだ。

 

歌好きと言えば、帰宅して夕食後にのんびりとテレビを見ているとNHKののど自慢一年の最終選考番組が始まった。時々瞼が重くなったが、聴いた人は演歌、ポップス、民謡など何れも凄い歌唱力。出演者たちの素晴らしい息のコントロールに驚かされた。しかもその一曲に込めた想いは、プロの歌手に勝るとも劣らないかに見えた。審査員の森○○子さんはいつもの様に感動家で涙もろく、しかしその道のプロとしての的確な感想を述べていた。その森氏が述べたように、福島から参加した姉妹のグランプリは、世界中の人の福島を応援する拍手がもたらしたモノかも知れない。よく知られている民謡「会津磐梯山」は勿論上手かったが、技量だけなら他にも上手い人は居たと思う。しかし、10代で福島で頑張って生きて居る女の子たちの意気込みに叶う人は居なかったということだろうか。舞台上の人々も、観客も、私の様な視聴者も一様に涙涙。「歌」って、良いなあ~、と素直に思った一瞬だった。

 

夕べはついついBSでかかっていた「オリバー」といいうミュージカルを最後まで観てしまった。ま、11月の公演に何かしらヒントになるものをという狙いもあった。その意味では参考になることも沢山あったが、登場人物の中で最古老のスリの親分が呟く一言にショックを受ける。「おお、70になったらどうしよう?」というものだ。げげっ、アチクシは今年70なんですけど~。と思わずテレビに向かって喋ってしまった!「いつまでもスリを遣っていても良いものか?それとも足を洗って、まともな暮らしをするべきか?、、、」と70歳が人生の転換期、というか終わりを意識するべき時と歌うのだが、まあ作品は40年以上前のだから、時代が違うと言えば言えるか。な~んてね。で、も。世間では矢張り70歳はそういう年齢か、とも思う。95歳になる吾が母親は、「大台に乗るたんびにそういうこと思うモノ。」と言うが。。。。

 

一方ではいつあの世に逝っても良いという思いはあり、全ては虚しいというか、いちいち年齢のことで一喜一憂するのは如何なモノかとも思っているんだが、、、昨年の同窓会以来何かと引っかかることが多い。それが即ち先が短くなってきた証拠なんだろう。ち~ん。

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