朝仕事をやっつけてから急ぎ葬儀に参列した。これが予期せぬ進行で涙涙。故人の友人という人が一人は弔文を読み、一人は思いつくままを仏に語りかけた。それで初めて故人が文学青年だったということを知った。中でも太宰治に異常なまでに傾倒し、その友人は心配していさめることもあったとか。いや~、驚いた。たまに会えば冗談ばかり言う人で、全く想像してなかった事実だ。
一度リタイアされていた仕事でも要請されて復職し要職に就いていた。そのためだろう、大勢の弔問客が詰めかけた。その大勢の参列者が一様に涙した瞬間が訪れたのは、独身の一人息子が父親との最後の別れの言葉を告げ始めた時だった。
「おやじ。」と一言声をかけてからどれほどだっただろうか?非常に永い沈黙の時間が流れた。彼が必死で涙をこらえ、声が落ち着くのを待っているのはその後ろ姿からも分かりすぎるほど分かった。その間、会場にはすすり泣きが拡がり、みんなが次の言葉を待った。見かねた母親が立ち上がり背中に手をかけた時再び彼は声を出し始めた。ともすれば嗚咽が漏れそうになるのをこらえながら、彼は喋った。「オヤジと話す時間が、おれは一番好きだった。二人で話している時はとても幸せだった。もっともっと、おやじと話し、酒を酌み交わしたかった。おやじ、おやじはおれの誇りです。ありがとう。ホントに有り難う。」
故人は素晴らしい財産を残した。
通夜に続いて読経もなく、焼香も無い献花だけのシンプルな葬儀。これはホントに良かった。訳の分からないお経を長々と聴くのより、数段内容があったと思う。参列者は宗教を越えた大きなところで祈っていたように思う。1時間半がちっとも永いと感じなかった。
泣きはらした目をしたまま近くで速達を出し、それからゆめタウンへ向い喪服を着替え、一人ランチ。余りに疲れていて、やっぱりマッサージだ。そこからは又又車を移動してお歌の練習会場だ。そこで何時ものように美味しいケーキをご馳走になり、気が付けば夕方6時という時間。慌てておいとまをして帰路に付くと夫からいつ帰る?メール。溜息をつきながらも「貝づくし」のお刺身を購入したのは、お葬式の影響か。
何とか食事を済ませたところに様々なメールが入って来て、処理に追われる。その一つに昨年帰郷したM氏がテレビに出るという情報があり、メンバーに流した後それを見る。なかなか良い番組だった。M氏の活躍も嬉しい。
ところが、その後の番組を続けて見たら、これがもの凄く面白い内容だった。新進気鋭のデザイナー佐藤オオキと売れっ子の漫画家松井優征というどちらも全く知らなかった二人の若者の対談だった。彼らの言葉からもの凄い名言が次々飛び出した。例えば、デザイナーの佐藤は自分の作品はプレゼントを作っているようなモノだという。贈る人が喜ぶものだけど、その人が想像してないもの、その人には見えてないモノ、その人が想像できる以上のものを作る,と言う。そういう気持ちで物作りをしているとか。もう一人の漫画家松井。初めた時から終わりを考えていると言う。二人とも「ゆだねる」という言葉に共感しているのも面白い。
いや~、世の中、凄い人が沢山いるものだ。
人は皆いずれ棺桶に入るとはいえ、きっと彼らの生み出した宝石のようなものは後世の人々に繋がって行くのだろう。
こういう人達が活躍できる世の中であり続けて欲しい。それには平和しかない。