二種類の涙。
今日は朝から晩まで、一日中、心がとてつもなく動いた日だった。
起きるや否や、先に起きていた夫が、「後藤さんが、、」と声をかけてくる。全て聞かずに察知してしまい思わずテレビにかじりつく。ショック状態から抜け出せない中、後藤さんの友人やご家族の声が入ってくる。どれもこれも涙を誘うモノだったが、実は私が本当に泣いたのは、その後しばらくしてとある人の誘いで生々しい彼の胴体に首が乗った写真を見たときだった。勿論その写真は残酷この上ないものであったが、一番が~んと衝撃を感じたのが彼の「目」だった。それは大きく見開かれており、死して尚、何ものかを見続けようとしているかに見える。思わず涙が溢れて画像が滲んできたのを汐に画面から離れたが、その表情はいつまでも胸に張り付いて離れない。
あるテレビ局の女性アナも、目を赤くして、それでも使命感に涙をこらえて報道し続けているのが印象的だった。
今思えば、お笑いのB問題のOさんが、「みんな黙れ!」と1週間ほど前だったかに叫んでいたのを思い出す。この「交渉」というデリケートな局面に於いて、「憶測」や「推量」で、相手のことをあれこれいうことが、良い結果を生まない、というのが彼の主張だった。特にマスコミが良くないと。この番組のスタジオは、その彼の発言直後は一瞬し~んとなったが、決められた筋立てを変えるわけには行かなかったのだろう。結局はああでもない、こうでもないと、井戸端会議のような発言で終始した。、、、これがこの頃から今朝までの日本全体だったように思う。
どの様な大義名分があるにせよ、他国に爆弾を落とし干渉し続ける大国。このことから生まれる憎しみの連鎖が日本をも巻き込み、「世界を騒がせたい」という彼らの目的を達成させてしまった。インターネット上に流れた恐ろしい言葉、「これが始まりだ。」に慄然としたのは私だけではないだろう。
そして午後はとあるコンサートだった。そこで私は二度目の涙を流すことになった。
永く香川の音楽業界に存在し続けて、多くの人材を音楽の世界に送り出し続けて来られた、オン年85歳のT先生の熱唱に、思わず涙したのだ。全く持ってこれは同情ではない。けっして若い人に引けを取らないばかりか、この日一番の出来のお一人として、輝くばかりの美声をご披露されたのだ。わが団体も永く教えを受け、いつも何らかの感銘を受けるその教えは、今もって鮮やかに思い出される。「私はね、先日○○さんの歌を聴いてね。自分の発声法がすっかり間違っとったのに気が付いたんですわ。」とカラカラと笑われ、「こっちよりも斯うした方が、、、、。」とお話しはどんどん熱がこもる。いつもこれで終わりということがない。常に前進、常に高見を目指して来られたのを知っている。正真正銘「歌」に一直線の方ならではの今日の歌唱だった。客席は水を打ったように静まりかえり、ホール一杯に拡がるバリトンの声が最後の決めのポーズを取るや否や、一斉に割れんばかりの拍手喝采。素晴らしい時間だった。
わが隣席には同窓生のOさんが居て、「私たちもあと15年頑張れるわよね!?」と苦笑いしつつ?声を掛け合ったことだ。
人間て、凄い!朝の涙に人間讃歌の豊穣の味が加わり、ようやく立ち直れた私だった。お陰で夜の新年文化交流会にも行く元気が出て、新しい出会いも何とかクリア出来た。
ただ、そこでは昨日の全国ニュースになったあの町の若者の事故で、同じ自治会のため今日5人のお葬式に行ったという方のお話しも聞くこととなり、、、、。
ひととき全てを洗い流したくて、帰りには会場近くの温泉に。。。。平和な、これ以上ない位に平和な風景の中に溶け込んだ。
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