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2015年1月13日 (火)

短歌のことなど。

今度、短歌の会で「合同歌集」の第二版が出ることとなり、過去の自分の歌を10首選んでおかなくてはならない。その点全部パソコンに入っているので、作業はし易いはず。が、元来ずぼらな私はきっとギリギリまで提出出来ないだろう、という妙な自信を持っている。

短歌に何を盛り込むか、と考える時、矢張り個人的にも社会的にも、「今を生きる」証しというか、足跡というか、そういうものが必要な気がしている。何故短歌なのか?を微力ながらも押さえながら詠み続けたいと思うのだ。

友人で、FBに思いっきり思想的なことを載せて居る人がいるがそれに対して、「いいね」を押すことは出来ても何かしらのコメントを寄せることは出来ないでいる。いや、それは思想的なんぞという枠を越えた、人間としての当たり前の考え方なんだが、見方に寄れば反体制的な発言になるのもやむを得ない。実際民主主義とは、そういう意見をも受け入れる社会でなくてはならない筈だが、どうも多勢に無勢的な空気が漂う。コメントが書けない一番の理由は、「どう取られるか分からない」ということだ。「言葉」の持つ不確かさを考える時、やっぱり書けない。

その点短歌は行ける、と思うのだが、、、。不確かさの向こうに真実を読み取って貰えそうな気が、、、。ストレートでないということからくるものかもしれないが、単にストレートでないというだけではない。ひょっとしたらストレートに詠んでも短歌であるが故に人に何かを訴える力は大きいのかも知れない。,,,今の自分にその力は無いが、いずれ、そういう風に短歌を詠みたいと思っている。「花鳥風月」それも大切な日本の文化ではあるが、私は生きている。生きているという歌を詠みたいのだ。

先日ちぇちで講義してくれたM氏のお話を思い返しても、「歌う」とは、内容だ。内容が無い歌は、聴く人に感動を与えられない。。。。まさしくそうだ。心からの叫びが無い歌は、それが声を出す歌でも出さない短歌であっても、何かが足りてないのではないか。

 

昨日今日のパリは世界中から大勢の人々が「鎮魂と反テロ」のデモ後進のために集まっているという。何故日本のお偉方はその中に居ないのか。不思議な感じがしたのは私だけ?

だいたい日本ではデモ行進自体が余り行われないしなあ。抗議を形にするのが非常に苦手な民族だもんなあ。「イヤだけど、面倒なことは頭の上を通り過ぎて行って欲しい。」とばかり首をすくめるのが関の山だ。同じ時間、バラエティ番組を見て,ゲラゲラ笑っているんだよねえ。

ま、アチクシは夫婦で温泉銭湯だったけどねえ。せめて道中二人で議論したことだ。

 

明日は雨らしい。

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