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2015年1月

2015年1月31日 (土)

汚れっちまった悲しみに、、、。

今宵は久しぶりに観劇の会の反省会という名の会議に参加した。議論白熱のため、9時を過ぎての解散となり、それでも積み残した感がある終わり方ではあった。まあ、議論し尽くすにはもっともっと多くの時間が必要だろう。

この会の会員になったのはその昔、アチクシが社会人になった年のこと。聞けばそれよりも数年前に発足していたらしい。それこそ半世紀も続く団体なのだ。、、、が、わが独身の頃頑張って活動していた時と余り変わらない悩みを抱えているようだ。でも、それにしても矢張り凄いことだ。「お芝居を観る」という文化を50年以上育て続けているのは!

「継続」、何事においてもこれが一番大変なことだ。気まぐれで遣りたいときにやる、見たいときに見る、は誰にとっても簡単なこと。このエネルギーを持ち続けることがどれほど忍耐のいることか。

長くこういう場所から離れていたので、自分自身まるで亡霊の様な気分だったが、、、、、。

今回知人3名を誘って、「お気に召すまま」というグループ名を付けた。はてさて、皆さんのお世話をいつまで出来ることか。仕事を減らそうとしている矢先、こんな事をやる羽目になってしまったのだが、勿論それは、お芝居を観たいのが一番。でも、少しでも劇場に足を運ぶ人を増やしたいとの思いもある。全く、他人事ではないのだ。

 

関係はないが、先日偶然見たテレビが面白かった。小さな、多分4,5歳の男の子が前日に家族で作った雪だるまの前を通ると、いきなりその雪だるまがしゃべり出す。その子はちょっとたじろいだが、すぐに打ち解けて、「ねえ、一緒に遊ぼうよ。」と言われると即答で、「いいよ。」と答える。実はあらかじめ親から子育ての難しい点を聞いていた局側が、その雪だるまと約束をさせることで、果たして子供はその約束を守るんだろうか?という実験ものだった。

その結果は、仕掛け人が驚くほどの成果で、翌日からキチンと親の言う通り自分で保育所に行く準備が出来たのだ。「どうして今日は全部自分でやるの?」と訊く母親に胸を張ってその子は答えた。「雪だるまさんとお約束したからね。」おおお、なんという純真さ。他にも同じような実験を受けた子供達がいたが、一様に雪だるまを信じ、同じように約束を果たす。、、、、一体人はいつ頃からこの純真さを無くすんだろうか?

ただこの番組。罪な番組の様な気もする。が、まあ、一時でも、こんな素敵な夢が見られた子供達は良かったのかな?他の子たちが経験し得ないような大がかりなことだったからねえ。

 

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

2015年1月29日 (木)

一応「旅」。

一泊だけど、隣との県境だけど、一応これも「旅」だった。間違いなくホテルはリッチだし~。

5人の熟女の珍道中。何もかも赦しあって、全て笑いに変えて、たまには良いじゃん?

美味しいモノを食べて笑っていれば幸せ、という女達。可愛いもんだ。強いて言えばこんな世の中だからこそ、小さな幸せが嬉しいのだ。

ホテルの部屋にいても誰もテレビを付けようとは言わず、普段見ないはずのアチクシが、「ニュースを見よう、、、」とスイッチを入れる。勿論それは例の事件が気になっているのだ。進展はあまりなく、スイッチを切って皆さんに従って12時前には就寝、の筈だった。薬も飲んで、寝る気満々だったが、どんどん目が冴えてスマホで時間を見ると「オ~ノ~3時半。」そういえば以前にもこういうことあったなあ~と思い出す。その時も運転手を務めて、「寝ておかなくては」という強い思いが返って眠りを妨げている。で、仕方なく再度薬の力を借りる。流石にこれは良く効いておそらく5時間はぐっすり眠れただろう。みんなが起き始めたが、運転手は寝る、と決めて一人部屋に残る。数十分眠ってやおら起きだし身支度を調え、しばし外の景色を楽しみながらぼ~っとしていると朝食のお誘い電話が。しかし不思議なことに全くその気は起きずキャンセル。かたや4人のお嬢様方はがやがやとお帰り遊ばし、しっかり食べて、「デザートまで注文したのよ~」とお元気そのもの。わ~お。

 

チェックアウトしてる間もお嬢様方はショップでお買い物。前日に引き続きショッピングもお楽しみなのだ。でもって、高級ホテル満喫の後は、久しぶりに鳴門の渦潮でも観に行こうとなり、迷子になりながらも、「ドライブよ」とのんびり走る。ようやくたどり着くと、「今は満潮で無理ですよ。」と言われ、仕方なく高松に向かう。余りガッカリした様子もなく「ドライブよ~」とはしゃいでいる。そ、何もかもがOkなんだ。

朝ご飯たっぷりだったから、お昼はワカメ汁だけにしようとかなんとか仰っていたお嬢様方は、「あんなにお腹いっぱいだったのに、不思議ねえ~」と言いつつ、結局行くときからのお目当ての、「び○びや」で、「天ぷら定食」をおとり遊ばす。ま、しょうがない。美味しいからねえ~ここのは。魚が苦手のアチクシでも、「刺身定食」食べるほどだ。「今度こそ夜は抜きねえ~~」なんぞと言っては笑っている。どうだったのかしらねえ。フフフ。

ここを出てから海の幸や美味しいお豆腐屋さんに寄り道をして無事帰宅。にゃんと、この日は夜ちぇちの練習日だった。流石に一寝入りしてから夫の夕食を整え出かける。通常練習のあと、楽譜のことでミニ会議。帰宅したときにはボロボロ。

ま、こういうことがまだ出来てることを喜ぼう。

 

 

それにしても、ニュースが気になる。

 

2015年1月26日 (月)

どれほどと言えるような愛は本物ではない。

毎日飛ぶように過ぎていき、昨日のことが随分前のことの様に思えるから不思議だ。早い話が昨日はCantiamoだったにもかかわらず、4,5日前の様な気がしている。今日はシェイクスピアの会で、朝は駐車場探しに30分もウロウロした。次回は近くの知人宅をお借りする約束が出来たが、、、、。番町当たりはどこもかしこも駐車場になっているが、それでも停められないほど車が多い。

 

まずは昨日のCantaimo.I先生亡き後も真面目にお勉強している人達の発表会だが、天上から先生のほころぶお顔が見えるようだった。これぞ先生の目指していたモノだった。音楽する歓びを持つことを、とにかく継続して欲しかったに違いないのだ。20曲以上という長い演奏会となったが、飽きずに聴くことが出来た。

声というのは不思議なもので、今回はあの人は良かったと思う人に限って落ち込んでいたりする。まあ、永くやっている人は大体のことは判断出来るが、それ程でもない人は客観的に自分を見ることが出来ず、真反対を思ったりしている。面白いもんだ。

それでも1時間ほどの反省会ではみんなで批評し合いほぼナットクして会は終わった。言葉には出さないでも「ここに先生が居ない」と思う人が多かっただろうが、、、。

 

実は、今日のシェイクスピアでも今年初めての会とあって、みんなで食事会となったが、「アントニーとクレオパトラ」を観た後の感想の中に、「ここに先生が居ない」という言葉が出て来た。

 

人は、亡くなった後にその真価が問われる、と言われるが、I先生、2年目にしてまだまだみんなの心の中に生きておられるのは素晴らしい。

シェイクスピアの「どれくらいと言えるような愛は卑しい愛に過ぎない」という名言は、この師弟愛にも通じるかも知れないなあ。

 

一昨日は母を含む三婆を連れて、昼食付きのカラオケに行き、促しながらこっちも声を出したら段々喉が怪しくなって来たが、一応よく食べ良く笑い良く歌ってくれて良かった。実はお店の若い女性に、「あの~、若者向きのお料理になりますが、良かったでしょうか?」と問われるほどの年齢だ。にもかかわらず、たべるわたべるわ!ピザであろうと、唐揚げであろうと、エビフライであろうと、ピラフだろうと完食!スティックの野菜も、ポテトフライ山盛りも、デザートまでも、全員が平らげた上に、若い方の叔母がごそごそしてると思ったら、「これ、昨日岡山に行っててねえ、、、」と大きな「ムラスズメ」を出してくる。もれも勿論頂き、、、、す、凄い、凄すぎる。

よくよく話しを聞けば、この三婆は、幼児期の日本が食べる物が無い時代に、釣り好きの父親のお陰でたっぷりお魚を食べていたそうだ。おそらくはそれが原因でこんなにも元気なのかも知れない。だって、ご近所にこれほどの長生きはあまり居ないそうだから!いやはやいやはや、結構なことで。

2015年1月22日 (木)

便利な世の中。

便利な世の中だ。現在海外勤務のちぇちの会長と、日々メールでのやりとり。相談事は実にスムースに進んでいる。

今年の11月の本公演は、何時もより早め早めに進んでいるようなのも、その一つの理由がそこにある。メール会議が多くなったのを、個人的には歓迎しないが、その結果、無駄のない話し合いが行われているのは事実。が、この無駄こそが、本当の絆を強めると、私は思っている。が、まあやむを得ない。

夕べの練習は3月の春の音楽祭の為のものだったが、今回もちぇちらしい、(=大道芸的?)ショートショートが出来上がりそうだ。が、男性主役の「恥じらい」が完全に取れるまでは特訓だなあ~、これは。

 

昼間歯医者さんにまったく久しぶりに出かけてみた。先生は相変わらずお元気そうで大阪弁は抜けず、歓迎(?)してくれる。ここでも「睡眠時無呼吸症候群」を告白。歯も歯茎も状態は悪くないことが分かり、肩こりから来ている違和感だと分かり、今度はマッサージ。その前に母と昼食。こっちはおとといのすき焼きで上あごを火傷していて、冷たいおうどんしか食べられないのをよそに、母は鶏の唐揚げ黒酢あんかけ定食をぺろり。デザートに白玉ぜんざいクリーム乗せまで追加して、、、、流石に「お腹いっぱい」だとのたまい、「車椅子無かったかな?」と来る。ハイハイ、押させて頂きますとも。これも自分の為だ。

しかし、2時間ばかりウロウロしたら流石に限界が来て、母を送ってからマッサージ店。,,,ホント、こういうとこがあって良かった。ふ~っ。

2015年1月21日 (水)

原因と結果。

今頃になって賀状の整理を始めたが、どうもこういうのに向いてない。メチャクチャ肩が凝ってきた。出したつもりがどうやら着いてない人がいるらしいので、チェックしてみたのだが、結局申告して貰わないと分からずじまいだなあ、これは。今年も複数枚来ている人が何人か。わっかるなあ~、この人の気持ち。

 

まあ日々色んなニュースが飛び込んでくるなあ。あまり良いニュースは無いんだよねえ。どれもこれも原因があって結果がある。

 

今日はFMの収録があり、機械のトラブルやなんかで延々と時間がかかってしまった。ミキサーの受難の日だった。ゲストも若い方でそれに付き合って貰えたのは幸いだった。香川出身の若手演奏家は本当に優秀な人が多い。ということは、これも原因というか、大元があってのことだ。育てた、あるいは発見した才能が花開いているということだからねえ。

世の中には、「クラッシックなんか、全く興味が無いって人が沢山居ますから。」と言うと、大きな目を真っ直ぐ見開いて、「ホントですか?」と聞いてくる。いやいや、ホントなんです、これが。貴女のようにご幼少のみぎりからクラシックに触れている人はともかく、一般の人は、そんなもんです。だからこそ、ちぇちの活動があり、この番組もあるんです!と力説しておいたが、、、。だから、先日のような演奏会に空席が目立つ結果と成る。

生が良いんです、と言っても、テレビやDVDなんかで間に合わせてしまう人が俄然多い。ホールに足を運ぶのが特殊な行為になってしまっている。映画館に足を運ぶ事よりも、レンタルDVDで済ます人が多いようなもんだ。けれど、演奏の届き方の違いもそうだが、客席と舞台が一緒になって創り出す空間はそこに行かないと味わえないものだ。アチクシのように高齢になってくると色んなことが億劫になってくるが、それでもなるだけ劇場には足を運ぼうと思う。実際いつまでこれが可能か分からないしねえ。

2015年1月20日 (火)

予定を作ろう。

5月末にシャンソンの発表会をやるというので、俄然熱心になってきた教室の面々。この週末はCantiamoの会があるというので、これ又熱心に歌を見て欲しいと言ってくる人達。私を含めて、馬の人参の如きものがないと走れない人が多いなあ~。

これが人間のサガというものだろう。

早い話が短歌だ。毎月の締め切りがあってこそ詠めるってもんだ。しかも今度は「合同歌集」なるものが発刊されるので、過去の自分の歌を掘りくじ返さなくてはならない。これが、結構大変だ。ある月のものを読み直していたら、いろいろ思い出すこともあって、2,3ヶ月分を探すだけでも10首くらいはすぐ出て来そうだ。が、それでは困る。過去5年分の中から10首選ぶ作業が必要なのだ。因みにわが提出月は5年間で48ヶ月。ということは、576首の中から10首選ぶということだ。確かに、これは勉強になるが、、、。よくも6百近くも駄作を送り続けたモノだ。選者の方にどれほど申し訳ないことをしたかと思うと、改めて冷や汗ものだ。勿論、没になったモノが沢山あって、歌集に載ったモノの中から選べば良いが、それとても半端な数ではない。いやあ、これは大変なことになってきた。

 

それはそうと今日も今日とて演奏会のご案内が次々と入ってくる。これら全てに行けたら良いなあ。と思うが、なかなかそうも行かない。1年中で最も寒い2月にもかかわらず、結構な数の演奏会がある。

みんな頑張ってるなあ。。

2015年1月18日 (日)

無銭飲食の危機。あわや。

今日は朝から間もなく挙式予定のとある女性の挙式準備リハーサルに立ち会った。もともと美人だが、メークに衣装を着けてどんどん完成されていくと素晴らしい花嫁が出来上がる。この過程に立ち会うのは久しぶりでなかなか楽しかった。舞台に立つ経験のある人は、こうした変貌にも慣れていて、自らもだんだんその気になっていく、というか、自分から花嫁になっていくのだ。こうした場合のヘアーメイクは、決して化けるものではないと、私は思っている。本人の持つ内面がより露わになるようにその魅力を引き出すのがその役割だ。そういう意味では最も難しい技術になるだろうか。化けるのは案外簡単だ。

 

欲張ったため、思いの外時間が罹り、終わったらお昼を廻っていた。花嫁は次なる予定が逼迫しているというので、一人で行きつけのとあるうどん屋さんに入った。外は好天だったが意外に寒く、ちょっと暖まって帰ろうと思ったわけだ。途中フト見ると、昨日コンサートに同行したTさんが言ってた面白い映画らしきポスターが目に入る。マニアックな映画しか遣らない映画館で、滅多に来ないがまあ、せっかく側を通るから入って見ようかと思ってみる。開演時間を見て「これからおうどん食べて、お茶して行けば丁度良い時間。」と計算して目的のお店に入る。で、いつものあったか~いおうどんをゆっくり頂いて、、、、バッグを見ると、げげっ!!財布がない。どう探しても無い物は無い。いつもなら千円札がどっかに入れてあるか、少なくとも小銭くらいは入っていてもよさそうなものが、何故か1円も無い。あつあつのおうどんを食べた後で段々汗ばんできて、焦れば焦るほど暑くなる。コートを脱いで、マフラーを取って、、、、それでも無い物は無い。でもって、近くの友人に電話してみるも留守。勿論長い付き合いの先ほどの衣装屋さんに行くという手もあるが、、、。ええい、ままよ。アチクシの名刺がどこまで行けるかモノは試しだ。と、レジへ。事情を話すとその人はバイトさん。すぐに奥の親父さんに声をかけてくれる。「ああ、いいですよっ!!」と威勢の良い声をかけて貰ってホッと一安心。「そ、それが、車の中か、自宅か、、、分からないので、、、、今日中にお届けしますので~。。。」と平謝り。「いやあ、良いですよお~」と明るく言って貰ってホントに救われた。

映画どころではない。駐車場にとって返して、頂いた駐車サービス券で払おうとしたら、おうどん食べた時間分が増えている。わ~お、やばっ!とバッグを引っかき回したら、あったあった、昨日Tさんから「私使わないから。」と貰っていたのが2枚。計9枚のチケットでとにかく車は出せた。しかし車内に財布はない。家に帰るまで最悪のことが浮かんでは消える。まさかとは思うが、夕べ夜中に買い物したでっかいお店に忘れてないだろうなあ~、もしそうだったらカードを止めなきゃとか、妄想に次ぐ妄想。でもそこがO型。「ま、なるようになるか。」と途中から居直って、帰り着くまで忘れる事に。

外は全くの好天気。車内は異常に暖かい。何の意味もなく、大丈夫と思ったアチクシの予感通り、ドアを開けたらすぐに目に飛び込んできた。誰にともなく感謝の言葉。,,,勿論すぐに母のドライブを兼ねてお支払いに出かけたことだ。

4時に我が家にお見えになるご夫妻をお迎えするにも間に合ったし、、、、終わりよければすべて良し、だ。

 

ああ、疲れた。

仕事の疲れは食事と音楽で癒やされる。私の場合。

今日のヴァイオリンは凄かった。真面目な凄腕の演奏家といった風情で、確かに特別なスター性があるという訳ではないが、それでもこの集客にはがっかりだ。天候の悪さも影響したかも知れないが、アクト一階席が完全に埋まって無かったのは残念だ。勿論来ていた人の熱い拍手は演奏家に届いたとは思うが、、、。

未だ病気が癒えてないアチクシは最初の演奏が無伴奏だったせいもあり睡魔と闘った。が、段々プログラムが進む内舞台も客席も乗ってきたのが分かる。ロシアに留学経験のあるロシア語を操るピアニストのこれ又ピアノの超絶技巧が素晴らしく、ヴァイオリンとのまさしく競演だった点を大いに楽しんだ。こちらにも力のある演奏家が沢山居るんだなあ~。

プログラム最後の「カルメン幻想曲」で力を出し切ったかと思ったほどの二人の全速力の演奏後に、3曲もアンコールに応えたのには心底驚いた。ヴァイオリニストはすべて完全な暗譜という点でも舌を巻いた。さぞや、半端無い練習を重ね、演奏経験も豊富なんだろう。まるでサーカスを観た後のような興奮だった。

今回演奏会を紹介して下さったN嬢も一曲賛助出演だったが、確か大学出たての筈なのに堂々とした立派な演奏振りだった。可愛い人だが、それだけではない何かを秘めている人のようだ。こちらも将来が楽しみな人だ。

 

演奏会に行く前にヤバイかな?と言いつつとあるビストロにたまたま予約が取れたので、別の演奏会帰りのTさんと二人でカウンターに止まる。美味しいピザとワタリガニのパスタに舌鼓を打ち、お喋りに花を咲かせた後、気分良く会場に移動。,,,最高の贅沢だ。少々風が冷たくとも、心があったかいと余り気にならない。今日は仕事だったので、お昼抜き。トータルで丁度良い食事、、、、と我と我が身に言い聞かせながら、、、。同行のTさんに、「珍しくお仕事だったんですか?」と冷やかされる。ハイハイ、一応まだ現役。夫の食事の用意もして出かけたわけで、帰宅してみれば小鍋一杯の里芋の煮たのや、具材がたっぷりの豚汁、昨日から仕込んだポトフなどがかなり無くなっている。あっちゃ~、食べ過ぎジャン!?と思ったが、何も言わず。。。やれやれ。これからは鍋に準備は止めた方が良いかなあ~。

 

 

会場で偶然Tさんのご近所の人に出くわし、ついでにお二人をご自宅まで送り届けたが、その方はお一人住まいらしく、町を歩いていてたまたまヤマハで今日の演奏会を知って来たと言う。どうやら一人暮らしを楽しんでおられるようだが、「暇で暇で」と言われるので、悪の道にお誘いしてみた。さあ、どうなさるかな?「私、歌う道具が悪いので、、、」と仰るが、そういう声はケッコウ良いお声。声って、ホント、自分では判断出来ないんだよねえ。何かでコンプレックスにとりつかれると一生「歌えない症候群」になってしまう。

一人暮らし、ねえ~。

2015年1月16日 (金)

笑う門には福が来る?

本日、チョイと気の弱そうな若者の手によって、遂に睡眠時に装着する酸素吸入器の様なマスクが届けられた。その会社はその手の医療器具全般を扱っているようだが、この器具もまさしくそのまんま。実験的にテレビの前で装着して横になっていたら、側を通った夫がいきなり吾が手を取って、「お母さん、そんなに早く行かないで!」と大根役者振りを発揮する。いやあ、実際そんな感じ。

ただ、思ったより付けやすく、これなら眠れそうだが、、、、なんとなく寝る気がせずに、パソコンの前でグズグズしている。その内慣れるそうだが、最初は少々不安。

スカイプでお嬢に見せると、案の定「ゲラゲラゲラ」。まあ、逆でも笑うだろうがねえ。

人間て、面白いことするなあ。

考えてみれば何もかも、人間のすることは面白いんじゃない?今日だって、テレビで新種のカタツムリが見つかったとかが賑々しく報道されてるし、大昔のエライさんのお墓が発掘されて、それが誰の物か今後議論を呼びそうだ、、とか。可愛いというか、おもろいというか、ちょこっと視点を変えればなんか笑える。

そのちょこっと、に焦点を当てた映画やドラマが最近目に付く。水曜どうでしょうなんてのは、婿殿に教えて貰って以来のファンだが、ああいう、訳わかめの筋があるような無い様なのが、どっかをくすぐられているような面白さがあって笑えるのだ。バラエティとは違うんだが、、、。

孫たちだって、イヤダイヤだと言いながらくすぐられるのが大好きだ。、、、これは本能的な物かもねえ。

ま、笑っていられる内が花だ。いつか、笑えない日が来るかも知れない世の中だ。

2015年1月15日 (木)

お初の練習日、滞りなく、、、。

遅いけど今日が初の練習日だった。流石に全員参加となり、誰もインフルエンザにもなってなくてやれやれ。歌が好きな人間の集まりだと、つくずく思うなあ。あと何年歌えるのかなんぞと思ってる我々世代と違い、若者は広い空間を浮遊しているかのように楽しんでいる。

今日は差し入れが多く、夕飯抜きだったアチクシは嬉しかった、なんてね。これじゃあアレは遠いわなあ。

みんなが帰った後、訳詩係と打ち合わせ。手際の良さに脱帽だ。この分だと思ったより早目に台本が仕上がるかもしれない。、、、第10回目の「落語ペラ」ようやくその姿が見えてきた。

2015年1月13日 (火)

短歌のことなど。

今度、短歌の会で「合同歌集」の第二版が出ることとなり、過去の自分の歌を10首選んでおかなくてはならない。その点全部パソコンに入っているので、作業はし易いはず。が、元来ずぼらな私はきっとギリギリまで提出出来ないだろう、という妙な自信を持っている。

短歌に何を盛り込むか、と考える時、矢張り個人的にも社会的にも、「今を生きる」証しというか、足跡というか、そういうものが必要な気がしている。何故短歌なのか?を微力ながらも押さえながら詠み続けたいと思うのだ。

友人で、FBに思いっきり思想的なことを載せて居る人がいるがそれに対して、「いいね」を押すことは出来ても何かしらのコメントを寄せることは出来ないでいる。いや、それは思想的なんぞという枠を越えた、人間としての当たり前の考え方なんだが、見方に寄れば反体制的な発言になるのもやむを得ない。実際民主主義とは、そういう意見をも受け入れる社会でなくてはならない筈だが、どうも多勢に無勢的な空気が漂う。コメントが書けない一番の理由は、「どう取られるか分からない」ということだ。「言葉」の持つ不確かさを考える時、やっぱり書けない。

その点短歌は行ける、と思うのだが、、、。不確かさの向こうに真実を読み取って貰えそうな気が、、、。ストレートでないということからくるものかもしれないが、単にストレートでないというだけではない。ひょっとしたらストレートに詠んでも短歌であるが故に人に何かを訴える力は大きいのかも知れない。,,,今の自分にその力は無いが、いずれ、そういう風に短歌を詠みたいと思っている。「花鳥風月」それも大切な日本の文化ではあるが、私は生きている。生きているという歌を詠みたいのだ。

先日ちぇちで講義してくれたM氏のお話を思い返しても、「歌う」とは、内容だ。内容が無い歌は、聴く人に感動を与えられない。。。。まさしくそうだ。心からの叫びが無い歌は、それが声を出す歌でも出さない短歌であっても、何かが足りてないのではないか。

 

昨日今日のパリは世界中から大勢の人々が「鎮魂と反テロ」のデモ後進のために集まっているという。何故日本のお偉方はその中に居ないのか。不思議な感じがしたのは私だけ?

だいたい日本ではデモ行進自体が余り行われないしなあ。抗議を形にするのが非常に苦手な民族だもんなあ。「イヤだけど、面倒なことは頭の上を通り過ぎて行って欲しい。」とばかり首をすくめるのが関の山だ。同じ時間、バラエティ番組を見て,ゲラゲラ笑っているんだよねえ。

ま、アチクシは夫婦で温泉銭湯だったけどねえ。せめて道中二人で議論したことだ。

 

明日は雨らしい。

2015年1月12日 (月)

晴天とソフトクリームはよく似合う。

この陽気な天気をむさぼるべく母を連れ出し、とんかつ屋さんで美味しいヒレカツ弁当を買い、日の当たる場所を求めて峰山まで出かけた。春には桜で満開になる筈の並木道を、枯れ枝を愛でながら通り抜け、くねくね道を上っていくと、やがて眼前に高松の町が開け、思わず、「わ~」と声が出る。町の向こうに海が開け、屋島までをクッキリと絵のように縁取っている。

「高松が焼け野が原になったから、あんなに町が近代的にキレイになった」と母は言う。もし昔のままだったら、決してこんな風景には成ってなかっただろうと、、、。そうかも知れないなあ。いや、きっとそうだろう。

 

子供達が段々増えつつある公園の側を通り過ぎ、一番上の埴輪がある公園の駐車場へと車を回す。燦々と日が降り注いでいるにもかかわらず太陽の方に顔を向けて車を停める。少々暑い位が嬉しいのだった。

そこで予想以上に美味しいトンカツ弁当を食べ大満足。途中はらはらと雪花が散り、そう長く続かなかったこともあり、かえって風情があるのを喜ぶ母。なんだか良い時間が過ぎていった。スカイプで東京の孫べえとも話し、人混みでインフルエンザの心配をしながら動き回るのよりはよっぽど楽しかった。

 

たっぷり楽しんだ後、街中に移動してとあるお菓子屋さんでおもたせを買い、ついでにソフトクリームを一個買って勿論それを二人で分け分けして食べたあとはさる親戚に年始のご挨拶。一つ用事を済ませたあとは思いっきり迷子になって、遠回りして帰ることに。しかし、失敗は成功の元。道中立ち寄ったインテリアのお店で車椅子に乗せた母が思いの外ショッピングを楽しんだ。そこは混んでもなくて丁度良い散歩になったことだ。

 

今日の天候に感謝だ。!何てこと。今自分の部屋の窓という窓が開けっ放しだということに気が付いた!ぎぇえ~っ・

映画好き。

お招きいただきチョコっと練習、たっくさんのお料理とお喋りにすっかり長居してしまった。久々に飲んだワインが効きすぎて帰りの車の中ではみんなの声を聞きながらも眠ってしまった。けっこう弱くなったもんだ。やっぱり歳のせいか。

7時という時間に帰宅したら、夫は今からお惣菜を買いに出ようとしてたところだという。それなら冷蔵庫のもので作りますわ、となってあり合わせでチャチャッとやっつける。そこで再び眠気に襲われテレビの前でヤッパリ居眠り。何だか起き上がる気力が出ず、ダラダラとテレビ。が、どのチャンネルも全く見る気がせず、ケーブルテレビの映画専門チャンネルで2本、最後にNHKのナントカアベニューを見てようやく起き上がる。不思議と映画は全部見てしまう。ま、考えさせられるものもあれば、ただただ美しいなあと若い外人女優に見とれたり、、、。「ニキータ」は新しい配役で焼き直してあって、パリの風景がふんだんに出てきて懐かしかったし、短時間でもベニスが出てきて思い出の場所も見られて楽しかった。、、、そうなんだよねえ。日本の映画とは風景が違うもんねえ。別の楽しみ方ができるというものだ。
さ、本腰で寝るとしようか。

2015年1月11日 (日)

今日も良い天気だったなあ。

昔からある空想癖がこの頃テレビを見ていても出現するのは、異常なのか?ドラマの内容に入っていっていながら、実はもう一つ別のストーリーをなぞっているという奇っ怪な現象。それを又客観的に見ている自分がいて、その状態にハッとしたり、、、。
間もなく取りかかるべき台本のストーリーが常に頭にあるということかもしれないが、、、。

今度のオペレッタはそのままでも面白いが、矢張りちぇちらしく色付けしなくてはとの思いがある。原作のままだと似たような筋のものは他にもあり、音楽も雰囲気が似ている。どっかで、これを取り上げたことの意味づけが欲しい。メンバーの中には既にそこに関心を寄せている人もいて、意見を述べてくれる人も出てきたのは嬉しい。
正月気分は終えて、具体的に動かなくては。

って、明日はH先生宅で練習初めの新年会だ。

2015年1月 9日 (金)

老々介護の一日。

暖かい日中と裏腹に夜風は冷たい。母をお風呂に入れての帰り道は、車まで真っ正面からの強い風に煽られてよろめくほどだった。しばらくはこの寒さも火照りを冷ますのに丁度良いくらいだったが、今パソコンの前ではかなりこたえる。やっぱり寒いなあ。

 

今日は三婆に孝行の日。95,93,87,を69歳がもてなすのだ。これってどうゆうこと?

 

さあさ、湯冷めをしないうちに早めにベッドインベッドイン。

2015年1月 8日 (木)

病気と仲良くやっていこうか。

これまで全く他人事だと思って来たものが、突然我が身に降ってきた。先日診察を受けた結果が出て、「睡眠時無呼吸症候群、重症」の烙印を押されてしまった。どうやら酸素を体内に取り込むというマスクを付けて眠ることをしばらく続けることになりそうだ。息子の話では、同僚でそれを遣っている人がいて、出張中でも持ち歩いた結果、「世界が変わった」ほどの良い効果があったという。むむむ、ならば、それをやろうじゃないの、てところだがそう簡単な物でもなさそうだ。主治医と相談の上、今後の方針が決まるようだが、どうなることか。

言われて見て思い当たることは沢山。昼間のモウーレツな眠気。映画やコンサートでの最初の20分爆睡。どれもが、原因がこういう事だったんだなあ~。担当医のお話しでは、高血圧やコレステロールもそれが原因の場合があるとか。何しろ放置していると怖いことが起きるんだそうだ。ま、早く(?)分かって良かったとも言える。

なんとなくショック状態。あまり積極的に動きたくない今日一日。冷蔵庫を眺めて、あるモノで調理し母に届け、我が家も済まし、、、。しかし、こんならしくないこといつまでやっていても仕方がないので、明日から又始動だね。おみっちゃん頑張れ!

力のある女性。

今日が既に8日だというのを、早いと思うか遅いと思うか、、、。時の感じ方は人それぞれだ。殆どの職場はおそらく通常営業だろうし、学校も始まっている。時の過ぎ方も普通になってきているのだろう。が、なんだか自分一人流れに乗れてないような気が、、、。いや、色々始まってはいるんだが、、、やるべき事もやっているし、、、、鏡開きにおぜんざいをしようか、なんぞとも考えて居る自分がいる。にもかかわらず「時」に置いてけぼりにされているような、、、変な気分から抜け出せない。

この妙な気分は、考えてみれば大昔から合ったような気が。もしかしたら子供の頃から。

この気分を突き詰めていけば文学が生まれるのかも知れない、、などと、ボンヤリ考えながらテレビのチャンネルをまさぐっていると、思いがけず面白い番組に出会った。

とても有名な女性イラストレーターの生涯をドラマ化したもの。この女性を知らなかったが、知らないことが恥ずかしくなるような面白い人だった。そもそもイラストは消しゴムの版画によって描かれているから、版画家と呼ぶんだろうか。そして、その版画はただの版画ではなく、テレビを賑わしている人物の似顔絵で、それにことごとくコラムがついていることから、コラムニストとしての方が名を馳せていたのかも知れない。歯に衣着せぬ痛快なまでの批評は的を得ていて、ただ面白いだけでない奥行きを感じる。40歳で亡くなったというのがとても惜しまれる人だが、この番組自体がまるで彼女が制作したかのような作られ方をしていて、そこが又非常に面白かった。彼女の言葉として、「NHKの限界を見た」と締めくくっている所なんか、おお、この局にも行けてる人が出て来たなあ~と思わせた。最後に後ろ向きの自画像がチラッとこちらを見て、「けっ!」と言ってるの図は、今の世の中全体に「けっ!」と言いながら去って行った彼女そのもののようだった。

彼女、ナンシー関。知らなくてゴメン。

2015年1月 7日 (水)

ちょいと暖かい日。

雨の予報が外れたのに気付いたのが夜で、洗濯物が恐らくは乾いていただろうに取り込むのも忘れたには理由がある。母をデイサービスに迎えに行き、そのまま連れ帰って夕食まで我が家で居て貰ったら、すっかり忘れてしまったのだ。、、、こうして、あれもこれもが段々出来なくなっているのを感じるなあ。

かろうじて金魚に餌がやれたが、ま、母にしても金魚にしても生きてるものにはつい情が湧くというものだ。どちらも元気で居てくれて、それがことの他嬉しいのだった。

生きることは即ち食べること。今日の鍋は餅を入れたが、それを美味しそうに食べる母を見ていると、生命力を感じる。やっぱ、食べなきゃねえ。ん?

 

本日兼ねてから気になっていたパソコン回りの整理をやってみた。要は太陽を部屋に取り入れたというのが目的だったが、まあそのもくろみは成功しただろう。、、、しかし、大変だった。途中から母を巻き込んでああでもないこうでもないと言い合いながら楽しく終えられたのはメデタイ。とにかく書類が多く、うっかりすると提出し忘れたりするからな~。気を付けなくては。ま、一段落だ。

2015年1月 6日 (火)

音楽は贅沢か。

今日のお天気は陽のある場所はまるで春。陰は流石に寒いが,妙なお天気だ。そのせいかどうか風邪が流行っている。大阪の姪の家族が故郷帰りして戻った途端インフルエンザを発症したようだ。親たちが慌てて応援に駆けつけている。小さい子供は心配だ。早く治ってくれると良いが、、、。

電話でその話しを聞いただけで背中が寒い。この冬が乗り切れますように。母の為にも。

 

友人からあるソプラノ歌手の全集が送られて来た。100曲も入っていて、聴くのに相当時間が罹りそうだなあと受け取った時は想ったが、不思議なことに歌というのは本とは違いすいすいっと聴けるもんだ。まあ、真剣に聴くのと流すのでは勿論違うんだが、、、。でも、こうして好きな歌をいっぱい歌えるのは良いなあ。

5月にシャンソン教室のあるメンバーに6曲歌って貰うという企画をしている。通常の発表会なら、せいぜい一人が1,2曲となるだろうが、6曲となるとかなり覚悟をもって勉強しなくてはならない。過去にも何回かこうしたコンサートをやってきたが、誰も拒む人が居なかったのも面白い。結局歌好きは歌いたいのだ。すべて暗譜だから、本人は今から緊張しているが、この緊張感がまた良いのだ。

 

って、自分もCantiamoを控えて、未だ選曲出来ずにいる。結局音楽するというのは、心に余裕が無いと出来ないのだ。それほど贅沢なものだとも言えるのだろう。

2015年1月 5日 (月)

戻ってきた日常。

この日記を書けずにいた間に、世の中は暮れとお正月が過ぎていった。あまりに雑多なことに追われ続け、パソコンに向かう気力が残ってなかったという次第。

その間、夫婦間はお互いにドジをからかい合っては互いの年齢を再確認の日々。まるで母と競争しているかのようなボケ具合だ。

そんな中息子の子供達が母親の風邪でこちらに長く逗留してくれて、思いがけず濃い孫との時間が持てたのは楽しかった。毎回会う度に成長しているのを見るのは、衰えていくものを見るのよりは遙かに心地よい。ボキャブラリーの豊かになってきたのも、その口調がしっかりしてきたのも目を見張るものがある。少しはエキスを貰ったかも。ホント?

 

今日は短歌の新年歌会だった。何時もながらの集中力が要求される時間で、お昼の御膳をたっぷり頂き、わずかながらビールも入ったあとではかなり怪しかったが、不思議なことに誰かさんのように居眠ることはなかった。何時もより沢山お勉強できたような気がしているのはアチクシだけ?(居眠ら無かっただけで?そりゃあないな。)

わずかとはいえビールを飲む予定だったので同行のSさんの運転で送迎して貰ったのは有り難かった。そういうわけで二次会でちゃっかり生、梅酒と追加のアルコールを摂取したのであ~る。

しかし、帰宅したらまたもや年賀状だ。

今年の賀状の住所録がおかしなことになっていて、いつも出す人でない人も一杯入った名簿を元に作成し、去年取り置いていた名簿と違う物を参照したから大変だ。出したかどうかが記憶でしか分からない羽目になり、ん~~~といくら唸っても分からない人には、えいっとばかり二度だし覚悟で出したり、、、。いやはやいやはや、、、。ま、二枚届いた人も居るから、お許し頂こう。

 

年賀状が終わったら、今度は今年の落語ペラの歌詞のチェックが沢山入ってきていて、それのチェック。多分この誰もが忙しい筈のこの時期に作詞出来るというのは、ここら辺が休日だったという理由だろうが、まあそれにしても早い。余程頑張らなくては彼らのペースに付いて行けないなあ。何もかもがいよいよ現実になってきた。

 

明日はシャンソン教室だ。さ、寝よう。

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