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2014年12月

2014年12月30日 (火)

恒例であるということ。

いつものように県外の友人から電話が入り、いつものように帰省してきたという。いつものように親戚からつきたてのお餅が届く。いつものように孫が我が家に日替わりでやってくる。いつものように嫁りんの実家から大きなオリーブハマチの半身が届く。いつものように母と連れだって買い物に、、、、、いつもと同じが一体いつまで続くのか。自分を含めて周辺に異常が起きると忽ちにして「いつものよう」ではなくなるだろう。そう考えると,今日のあっぱれな天候共々感謝の気持ちが湧いてくる。、、、暮れなんだなあ~。

6歳の孫べえが、「お正月ってどうしてあるの?」と訊く。まあ一日一緒に居ると大変だ。どうしての連発。そういえば我が子が小さい頃もそうだったなあ。主婦と仕事をこなしながらの育児に悩んでいた頃を思い出す。「どうして?」に必ず答えようと努力したが、時には邪険になった事もあったか。、、、パソコンをしながら生返事する息子に、「キチンと答えてやりなさいよ」と忠告しつつおかしさがこみ上げる。ま、歴史は繰り返されるってことだ。

 

これを打っている間にもわがプリンターはせっせと年賀状を印刷している。ホントに有り難い世の中になったもんだ。カンタンに自分で作れてしまう。が、これを完全に仕上げることが果たして出来るだろうか?明日中に。。。。年賀状というこの恒例の作業は、一体いつまで続くんだろう?手が動かなくなったら?身体に異変が起きたら?身内に不幸があったら?、、、そう考えると年賀状が出せると言うことは幸せな証拠かも知れないなあ~。

一日の終わり、一年の終わり。

今日ですべての行事が終わった、と思った途端、異様な疲れが出て閉店間際のマッサージに飛び込んだ。明日までやってるというが、流石に連続はどうかなあ?ちびっ子達も再びやってくると言うし、そんなとこ行ってる暇はないかもねえ。

最後の行事とははシャンソン教室と、その後は忘年会だった。中でも歌好きが残り、場所替えをしての2時間カラオケを歌い放題。,,,歌って、ホントに不思議だなあ、と思う。歌う人は開放感に浸れるし、聴く方はやじって(!)楽しめる。上手かろうと下手だろうと、誰も頓着しないのも良い。

食事会の方は中華だったが、今日から入ったドクターは流石に職業柄かしきりに「お昼からこんなに食べることも余りないですなあ~」を連発。ここ数年で大分ダイエットに成功したとか。お気の毒に、女性の中の黒一点でそれだけでもおやせになったかも~。アチクシより1歳お兄さんだが、男性の声が入ると色んな意味で空気が変わるから面白い。さあ、いつまで続けられるか、、、、楽しみなこと。

 

昨日は久々に息子の子供達がお泊まりで、メチャクチャ賑やかだった。それぞれ成長ぶりが見えて楽しいものだ。面白いのは、上の8歳の女の子が、「わたし、都会も田舎も嫌い。都会田舎が好き。」と言ったことだ。ようするに高松がその都会田舎だと言いたかったのだ。な~るほど、そうかも知れないなあ。一応両方の良いところを合わせ持っていると言えなくもない。子供の表現は面白い。

昨日の夕食は母にも参加して貰い、好機とばかり息子が戦争時代の話しをビデオ録画。どうやら仕事に役立てるようだ。母は嬉々として昔の話しを微に入り細にわたり話して聞かせる。特に戦禍の中を逃げ惑う話しや、防空壕を自分一人で庭に掘った話しなど、今さらながら驚くことが多い。敵機が夜空に沢山現れて、パラシュートに灯りを付けて一斉に落とし、それがまるで蝶が舞うように美しく、怖さも忘れて見入ってしまった、とか、、、。お風呂が外にあり、父が見張りをする中で母はお風呂を使ったとか。これすべて台湾時代の話し。、、、終戦後赤ん坊の私を連れて焼け野が原となった高松に帰ったときの様子などとともに、是非知っておきたいことばかりだった。こうして語り継ぐことの出来る人が非常に少なくなって来ている現在、母の話は確かに貴重だろう。日常的にボケボケしてても、不思議なことに昔の話しはホントに良く覚えている。

もっともっと、聞いておこうと思うなあ。

2014年12月27日 (土)

年の暮れ。。。

今年もぼちぼち終わろうとしている。ホントは速く終わって欲しいかも知れない。何しろ、バタバタの年だった。母、夫、娘の病気に振り回され、自分自身も色んな事で病院通い。検査に次ぐ検査だ。一昨日は、とどめだろうが、「睡眠時無呼吸症候群」の検査入院一泊。まるでホテルのような素晴らしい病室だったが、体中にチューブを取り付けられて眠れるはずもなく、眠剤を貰い、尚かついつも自分が飲んでるものも追加して、ようやく眠れたが、、、、。

折しも中央公園では冬の祭りの真っ最中とかで、イルミネーションの大きなツリーが窓から意外な大きさで見える。しばらく見ていたが、時間となって大急ぎでシャワー、てきぱきとした看護師さん?の指示通り、温和しくベッドに横になる。数え切れないヒモに繋がれて、まるでガリバーになったような気分。

眠れないままに、今年を振り返ったことだ。

一番最近の事は流石に脳裏から離れない。森田学氏のリサイタルだ。石の民俗資料館でのコンサートは寒空にもかかわらず大勢のお客様で埋まり、暖かい雰囲気の中無事終了した。何よりも彼にとっては恩師であるT先生がお見えになっていたのは嬉しかったようだ。が、あれほどの表現力で歌った人とは思えない演奏後の表情。先生方に分かって貰えていたら良いが、、、、との親心が。

彼は日本男子よろしく、非常に無口。「歌う」という行為は表現に他ならないが、日常の彼は殆ど無表情に近いかも知れない。奥様の母上のお話しでは、食事中も余りに喋らないので、奥様が業を煮やして、「そんなに黙っていては美味しい食事も不味くなるでしょ!?」と注文を付けたところ、「僕は食事中は口を利いてはいけないと言われて育ったんだ。」と言い、奥様のご両親も交えての食事の時、同じように母上が、「楽しくお喋りしながら召し上がったらどう?」と注文を付けると、「もう少し時間を下さい」と、のたもうたそうな!いやあ、かなりの強者だ。

しかし、彼を高校時代から知っている私としては、素晴らしい家族に恵まれて、今ほど充実した日々はないのではないか?と思える。勿論それは彼の努力から生み出された物だが、それにしてもラッキーだったと、親代わりのアチクシとしては思わずには居られないのだ。

若くしてご両親を失い、孤独な日々を送った彼を思うとき、この世に神様は居るんだと思える。縁あって、彼の母上に「よろしく」と託された事を思うと、今回はホントに安堵させてもらった。このまま順調に年を重ねていって欲しい物だ。利発そうな二世にも期待が掛かる。下の女の子も大きくて頼もしい。そして何より、義理のご両親の暖かさだ。実の子供のように可愛がってくれているようだ。皆さんを坂出の美味しいうどん屋さんまでご案内し、空港の子供の国までお連れしひとまず本人以外は機上の人となる。翌日は、彼によるちぇちのレッスンも終え、その又翌日は空港まで見送り一連のイベントはすべて無事終了したことだ。

 

何故、今頃こんな事を書いているか。要するに体力が無くなってしまい、こうしてパソコンに向かうことすらなかなか出来てないからだ。が、本日、「睡眠」についてのテレビ番組を見ていて、別に遅く寝るのは構わないという結論に達し、安心してキーボードを打っているという次第。「年齢と共に睡眠は減るのが当たり前。」「趣味は持ち続け、昔の趣味でも復活させること。」「昼間充実していればそれでよい。」「長くベッドに居るのは良くない。」etc。

さ、明日は長男が帰省する。新しい日々が始まる。

2014年12月15日 (月)

なるようになる。

病院に出かけた娘を見送って、孫を幼稚園に送って出る婿殿に「行ってらっしゃい」と声をかけドアを閉めたら腕まくり。洗濯掃除洗い物、と主婦の仕事を肩代わり。pm2、5の数値を聞かなかった為ウッカリ窓も開けられない。その上色々勝手が違い何事もはかどらない。田舎 のネズミよろしく、狭い空間をウロチョロウロチョロするばかり。無駄な動きが多いせいで疲れる疲れる。娘も一応自力で出かけられるところまで快復したので明日は帰るつもり。長いような短い滞在だった。

今回、殆ど引きこもり。ここが東京だとは思えない日々。もう、何事にも動じないことにした。全てはなるうようになる。
さ、明日は晴れるかな?飛行機が飛びますように!

2014年12月13日 (土)

東京暮らし3日目。

12日は自分の誕生日だった。この日が69年の人生で最も印象深い日となった。前日のお嬢の救急車騒動で慌てて上京し、症状が一段落したため一応のお誕生会をしてくれたというわけだ。
まあ、スイートポテトにロウソクのバースデイケーキも初めてなら、4歳児と一緒にそのローソクを吹き消したのも初めてのこと。片手でお嬢の背中をさすりながらも何とかかんとか60代最後の誕生日を終えることができたのは本当にめでたい。
東京に今いるという実感がない日々だが、今日は孫べえが、「東京のゆめタウン」に行くというのに付き合って、武蔵小杉まで足を伸ばした。確かにこちらのスーパーは大体において狭く、高松のような大きなスペースを自在に走ることが出来ないから、子供にとっては嬉しいことなんだろう。が、矢張り通路は狭めのような気が、、、。病院から合流したお嬢を車椅子に乗せて殆ど椅子に座りながらのショッピングだったが、そんな中で帽子を購入。唯一の自分への誕生日プレゼントだ。
帰り道、あまりに高い高層ビル群にまるで宇宙時代到来かのような気分になる。全てが「創られた」街。歴史が無い空間のウソ寒い感じはどうも好きになれない。折からの寒風に首をすくめながら帰路に着いた。帰ったら婿殿の手作り料理が食べられると思うとその時間も苦にならない。今日は美味しそうなワインもあるようだし、、、。

それにしても今年42歳の娘は厄年かも知れない。殆ど毎月体調を崩している。何とかかんとか乗り切ってもらわないと、、、。

2014年12月 9日 (火)

スマホが気絶中。

先日から何度もスマホを落としては、もうダメかと思ってビクビクしていたらついに本日アウト~になってしまった。出かける前に確かに落としたのは覚えているが、宴会の席上で何気なく手に取ったスマホがウンともスンとも言ってくれなくなった。同席していた男性達に回してみたが誰も何とも出来ない。明日購入した所に持って行こうと仕方なく持ち帰ったが、大事なければよいなあ~。

 

何の宴会か。同窓会実行委員会の打ち上げ、である。

本番までも何度も集まり、終わったらこれだ。イヤ全く。ホントに仲の良い同窓生達だ。ここでの話題は勿論「反省」もあるが、それぞれの健康事情がメイン。本番に突然不参加となったSさんも参加していたが、一日入院の事の顛末が大受けしたり、、。異常にお腹が出っ張ってきたKさんをみんなで心配したり、、、。あの人この人のうわさ話など、それが殆ど病気の話題。やれやれ。ま、深刻でないだけ良いが。

最後は4年後に又このメンバーで元気で合いましょう!が〆の言葉となるが、どうなることか。誰も分からない。

 

それにしてもこの居酒屋のお料理の多いこと!流石のアチクシでもご飯(鯛飯?)には全く手が出ないばかりか、余りに食べられず持ち帰りのパックを頂いた程だ。これが若い人の集まりなら、充分行けたんだろうが。お味は良く、ひたすらもったいない。知り合いが居たからサービスもあったようだが、それにしても、、、。ゲップ。

DVDは楽し。

毎月送られてくるDVDが2枚溜まっていて、見る時間が無かったが、お坊ちゃまもお帰り遊ばし、本日夫とウオーキングついでに実家へ行き母のケアも済んだし、帰ってからジムで岩盤浴にも行けたから、まあ一枚見ようかと「天使にラブソング」というのを見てみた。全く期待してなかったが、笑えるし考えさせるし、やっぱり面白かった。内容に「歌」が描かれていて、今月の短歌のお題も「歌」なので、何かしらヒントが貰えるかという邪念もあった。まあ、そっちのほうはまだ不確定だが、、、、。

しかし、この映画にあるように、歌うという行為はもしや人間を正しい道へと誘う力があるのかも知れない。世界中で儀式と名がつくものには殆ど音楽が使われるのもそういうことだろう。魂を揺さぶり、何かを昇華させてくれるのが歌だろうか。

人生に於いて、その意味で「歌」に触れる事が出来たのは本当に幸せだった。まだ過去形にするのは早いかも知れないが、、、、。

 

さあ、明日は同窓会の実行委員の打ち上げだ。ようやく飲めるなあ~。

2014年12月 8日 (月)

好天気に恵まれて。

快晴だった今日は息子の仕事先に送迎し、ついでに母を 連れ出し暫しの慰安の時間を過した。天空から我々を見舞ってくれているような素晴らしい太陽の日差しに、何かしら感謝の
心を感じつつドライブした。
息子は帰省するたびにコレが最後かも、と祖母との時間を出来るだけ取るようにしている様だ。母も心から嬉しそうだ。今回のようにたった一泊でも、昨夜は我が家で夕食を食べ、今日は半日を一緒に過した。当然昔話しに花が咲く。、、、、が、おそらく母の方は相当疲れたに違いない。と思って、空港に送って帰るまでは、助手席のイスを倒して帰った。大丈夫といつものカラ元気を口にするが、なんといってもお年だからなぁ。
しかし、息子のお仕事の間2時間をどう過ごそうかと少々心配ではあった。が、fb
情報源からとあるイベントに立ち寄ってみた。スマホナビはしっかり間違わずにその場所まで連れてってくれる。全く便利な世の中だ。
そこは、先日ニュースで流れていた、エボラの流行している地域に「透明な遺体袋を送ろう」という運動に協力している人たちのミニレストランだった。収益をその活動に当てるらしい。そして俄かウエイトレスの内2人はちぇちの人。そりゃあ協力しなくっちゃあ。で、少しだが飲み食いして、お土産も買う。
丁度、今夜はお食事の来客がある予定。珍しいものでおもてなしの心と思ってのことだったがコレが大ヒット。「釜上げソーメンなるものは、予想以上においしかったのだ。
その上、そこで聞いた次なる情報を頼りに意外と近い「産直」にも行ってみた。ところ がさすがの産直、3時頃だのにもうほとんど売れてしまっている。ま、母のリハビリには丁度良い広さで良かったが。

というようなことで、もしかしたら母よりも疲れたかも知れないわがカラダを空港から運んで帰り慌ただしく夕食の準備。こちらに負けず劣らず疲れ切った様子の夫を叱咤激励してお客様を
したことだ。この方々がおかえり遊ばしたのは夜の11時。。。。いやはやいやはや、
こうしてドンドン時間が経っていくなあ。

2014年12月 5日 (金)

二人の息子?

明日は息子が仕事で一泊予定の帰省。父親はパソコンのメンテナンスを遣って貰おうと手ぐすね引いて待っているし、母親のアチクシは電気製品を購入し、それの取り付けを頼むつもり。純粋に喜んで居るオババ様は明日の夕食を我が家で食べるのを楽しみにしている。しかしねえ、お坊ちゃまの実働可能時間が短すぎるからねえ。どうなることか。

 

しかし、やり始めたCD、DVDの整理が思った以上に手間が掛かり、散らかり放題の我が家。いつもキチンと片付いている自分家と比較して呆れるかもねえ。きれい好きの嫁りんは全くその点では素晴らしい。お嬢の方は明日お姑さんの訪問を受けるらしく、お掃除に明け暮れているようだ。あの狭いマンションのどこを?とはオババ様の感想。イヤ全く。

 

あれよあれよという間に時間が経って、いよいよ12月に突入だ。20日の石民に向けてプログラムが送られて来たり、色々打ち合わせをしているが、この森田氏は何しろ家族の応援が凄い。奥様とお子さんが一緒なのは分かるが、奥様のご両親もはるばる千葉からご一緒に来高されるとか。本人は早くにご両親を亡くしたが、充分に補ってくれているようだ。この世には神も仏もあったんだ。私からしても息子のようなもんだが。

 

後は天候のみだなあ。今日の全国ニュースになったような大雪が降ったりしなければ良いんだけど、、、。心配。

2014年12月 3日 (水)

水も飲めない今宵。

先日の同窓会の参加者から、ビッチリとハガキに感想を書いて送ってくれた人がいる。アタシャ行けなかった二次会にもしっかり参加して、「ようやく50年経って、男子とお話し出来ました!」とあった。わ~お。そういう時代なんだ、我々は。この人はちぇちにも時々来てくれているらしく、アチクシのことを評して、「お会いする度に若々しく、、、」と書いてる割に、「年相応に」が何度も出てくる不思議。ま、なんたってお互い年はばれてるんだから無理もないが。

年相応だわ、全く。あの葬儀場は縁起が悪い。ずっと前にもガラス張りの入り口の側で転倒。それを内側から見ていた夫の知人が、「奥さんどっかお悪いんですか?」と夫に聞いたという、あの場所だ。今度は、お焼香で喪主に挨拶し焼香台に移動しようとしたら身体のバランスが崩れ、最初の予定ではない場所にまで、とっとっとと行ってしまった。まあどこでお焼香しようと別にそれでも構わないが、、、、お坊様がしっかり見ていた様な気が、、、。は~。

少し遅れるとカルチャーに電話しておいて、それには間に合うように行けたが、流石に着いてから速攻着替えたもんだ。まあ、シャンソンに黒はお似合いだけどねえ。今日は新人さんが入ってきたので、基本的なところに力を入れた。どうかこれからもシャンソンが好きになってくれますように。メンバーの中では一番お若いから、声も若いよねえ。これからが楽しみだ。

 

帰りに母の忘れ物を取りにとあるレストランへ。何となくそこで食べる気がしなくて、我が家の近くのうどん屋さんまで移動。滅多に一人でうどん屋さんは無いが、今日はあまり他の物が欲しくない状態だったのだ。大きな店内を見渡すと、ケッコウ一人で来ている人もいる。が、お腹が一杯になったら、今度は猛烈に眠くなってきた。というか、異常な肩こりを感じて、又しても車をサティまで走らせ、マッサージ。1時間ばかり遣って貰って、帰りは夫にお刺身を買って帰る。実に有意義な時間の使い方だ。そうそう、2階に出来た喫茶店で、薄味の白玉ぜんざいとコーヒーも頂き、そのぜんざいのあまりの薄さにガックリ来て、どっかパンチの効いたのを食べさせるところがないもんかと内心ブツブツブツ。ここでも一人ティータイムを楽しんで居る女性が二人ほど。映画でも行くのかな?まあ、ショッピングも出来るし、一人遊びの出来る人にとってこじんまりしたこのデパートは有り難い存在かも。

それにしても夜はちぇちだったし、その帰りに母のケアに実家に行き、その又帰りにジムのお風呂。空から吾が動きを見ている人がいたらもの凄くおかしいだろうなあ~。あっちにウロウロこっちにウロウロ。しかもその間、スマホで色んな人とコンタクトを取りながらの移動だ。ま、そのお陰で懸案事項が一つ解決したのは、ホントにメデタイ。

 

明日の健康診断をまえに絶食だが、となると寝るしかないわい。

訃報を聞いて。

今日のお通夜のお坊様は、ごく当たり前のことなのに忘れていることを教えてくれて、これはこれで有り難かった。「お通夜」とは、明日焼かれてしまうご遺体と、夜を通してお別れをする、という意味だそうな。そうだったなあ~。意味を考えずに参列していたが、身内の時は確かにその意味を噛みしめながら夜を過ごした筈だった。

棺の上に豪華な錦織の布がかけてあるのは、お坊様の出で立ちと同じにしてあって、御仏に仕える人の意味だそうな。人間から、仏様へと転身するということらしい。

 

友人の父上が、1年あまりの寝たきり意識不明の状態から亡くなられたとのこと。ご本人とも面識があり、夫婦揃って出かけた。83歳とか。息子として、父親を精一杯送りたいとの演出が色々あって、随分と個性的な通夜だった。まずは会場に演歌が流れている。写真はお元気な頃のものが沢山並べられ、お好きだったCDが、演歌以外にもジャズのものなど色々飾られてある。極めつけは、読経の前に、亡くなられたご本人の声でカラオケが2曲流れたことだ。これは何度かこのような席に立ち会ったが、初めての事だった。思わず生前のご様子が想われて涙が、、、。隣で夫が、「お母さんも今のうちに準備しといたほうが、、」何ぞという。帰宅して母に電話でそういって、「どう?」と言うと、それだけは止めてと言われる。が、本心かどうか?又今度確かめなくては。

 

S氏との付き合いは長いが、彼が会葬御礼の挨拶であんなに気弱な面を見せたのも始めて見た。まだお元気な頃を写真に撮って、FBによく掲載していた。殆ど後ろ姿で、息子として父親を気遣って歩いているのが想像できて微笑ましかったが、、。

親との別れ。他人事ではない。

2014年12月 2日 (火)

悩まないことにしよう。

毎日多くの人と関わっていると、なんらかの事件が起こる。今日もその「事件」がいくつかあったが、中には深刻な、あるいは緊急な対策が必要なものもある。これをまた何とか解決しないと次のステップに移れないというものだ。

そうした中で、母の物忘れなんぞは、たいした事ではないかも知れないが、、、。遂に本日は忘れていた杖を病院と温泉にそれぞれ取りに行って、計3本の杖を自宅に持ち帰った。しかも、今日一緒にランチを食べたお店に帽子を忘れてきている。あっちゃ~。まあ、こちらが注意してないのが悪いんだが、、、。こっちだって、自分の忘れ物がないかと気になっているからねえ。いやはやいやはや。

朝はシャンソン教室で、メンバーのお一人は妹さんの急変で上京しているからお休み。みんな周辺の人が怪しくなって来ているからねえ。今日は訃報をテレビとFBで知ったが、この時期何だか多いよねえ。明日はお通夜に夫婦で行く予定だ。テレビも近頃有名な俳優の訃報がよく報じられて居るなあ。まあ、当たり前ではあるんだが、、、。

夕べチャンネルをカチャカチャやっていると偶然やすきよ漫才のやっさんのドラマをやっていて、後半少し見たが、確かに自分自身彼のことを何も分かっちゃいなかったのかも知れないなあ。知るっていってもマスコミの情報しかないからねえ。まあ逮捕されたとか浮気したようだとかは事実なんだろうが、その前後がねえ。どうしてそうなったかの真実を知る人は少ないだろう。その意味でマスコミってホントに罪作りだ。虚像をでっち上げてその結果に責任を取らない。

 

昨日のコンサートにお誘いした方から良かった、楽しかったとの感想メールが届き、我がことのように嬉しかった。お誘いした甲斐があったというものだ。この、「安心してお誘いできる」というのはご案内の重要なポイントだ。自分のことなら自分が責任を取れるが、他人様のことはお勧めするのにある種のドキドキ感が伴う。それは必ずしも主役の力量によるものではない。舞台に立つ人とそれを観賞する人の「相性」のようなものがアルからねえ。ま、今回はそんな心配は無用だったというわけだ。

それにしても小濱妙美という人、ビッグな人だ。(体型共々)

2014年12月 1日 (月)

演奏会。in阿南。

はるばるバスを仕立てて阿南のホールまで小濱妙美女史のリサイタルを聴きに行くというプランに、友人達も誘って参加した。快晴のミニ旅行といった具合で、色づく山々を眺めながらも、もっぱらお喋りに余念が無い。終始笑いの絶えない車内状況に、運転手さんもビックリだったかも~。ま、慣れてるか。

演奏会は田舎にしては素敵な建物で良い感じだったが、関係者の話では今日は地元の文化祭で色んな分野の人がそちらに取られ、もう一つの大きなイベントと二つで思いがけない集客の悪さになってしまったとか。同類相哀れむ。こういうものをやる裏の人々の気持ちは痛いほどよく分かる。我々が参加した事は、彼らにとってせめてもの慰めになったようなのは嬉しい。

が、小濱女史のそんなことには一向に頓着しない様子の演奏振りには改めて感心。ホールの中をまるで水中を泳ぐ深海魚のように自在に動いて観客へのサービスに勤めている。観客を、「楽しませる」ことに集中しているのがよく分かる。

しかし凄いバイタリティだ。あれだけ多くの曲を歌いきる自体並大抵ではない、というのが最近の自分にはよくわかるからだ。そりゃあ、プロだから、と言ってしまえばそりゃあそうなんだが、やっぱり凄い。オペラにはトンと縁がなさそうな地元の人々にも、キチンとアリアを歌って聴かせるプログラム。一方ではちゃんとポピュラーなものも入れて、、、、、そういえば地元の合唱団の人達に短時間で指導をしたらしく、彼らも頑張っていた。中にはいつもちぇちの公演に来てくれている人も居たりして。

「歌は人と人を繋ぐ。」とは故I会長の口癖だったが、全く。音楽は特定の人のものでもない。誰もが楽しめるはずのものだ。そこを原点にしないと、手前勝手な演奏会になってしまう。

本日同行した面々は駐車した場所のすぐ近くの中華料理店で乾杯。「今夜は夕飯は作らない」宣言をして出て来た連中だ。良い音楽会の後の美味しい食事は、最高に幸せ。気の置けない友人達とならば、なおのこと。これ、癖になるんだよねえ。

きっと今日の演奏会に関わった人々も、気持ちよく乾杯したに違いない。小濱さんと同じ舞台で歌った想い出は、彼らにとって忘れられない想い出になった事だろう。

私自身又改めて、「演奏会」「歌」「舞台芸術」などについてのヒントを頂いたことだ。

 

「迷ったらGOよ!」小濱さんから昔頂いた言葉が鳴っている。

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