« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »

2014年8月

2014年8月31日 (日)

ひと夏の終わりに。

事の始まりは1本の電話から。

「お久しぶり~、急なんだけど私たち夫婦が鳴門にお泊まりするんだけど、貴女来ない?」私はともかく夫が随分と熱心なので貴女は忙しい人だけど、一応お電話だけでもと思って、、、と彼女の弾んだ声が続く。内心おっ、又してもあのお城のようなホテルにお招き頂けるのか!?と心が動いたが、口から出た言葉は、「もの凄く有り難いお話しだけど、内のお嬢親子がまだこっちに居るのよねえ。残念だけど、、、、」であった。が、彼女の勢いは止まらない。「それならみんなご一緒に如何?」うう~~んむ。しかしなあ~、大勢では余りにお邪魔虫だし~~、久しぶりにご夫妻と積もる話しもしたいけど、、、とグズグズ思っていると、お嬢が側から「ナニ?」と聞いてくる。事の次第を話すと、私は良いけど??と言う。いくら広いといえども、そしてご夫妻を良く知っているとはいえ、一部屋で寝るのはねえ~、、、と弱々しく言うと、「私は大丈夫」とのたまうので、そのまま伝えると、あちらは非常に喜んでくれて、楽しみにしてると仰る。

てなことで、ずうずうしくも、親子三代があの鳴門のゴージャスなホテルに招かれて行ったという次第。前回は一人で伺ったが、今回は孫べえと一緒で、「プールの準備をしていらっしゃいよ。楽しめるわよ~」とのアドバイスに大荷物で出かける。、、、これが大当たり。時間の関係で1時間しか入れなかったが、このプールの設計が素晴らしい。澄み切った瀬戸内の海に向かってまるでそのプールが繋がっているかのように見える仕掛け。海の方角に泳いでいくと海に飛び込むような錯覚に陥る。,,この日は急に温度が下がり、ジャグジーで暖まりながらであったが、孫べえは大満足。「もっと、もっと」を繰り返していたが、5時が閉館となって、あえなく母親に引っ張られて引き揚げる。夕食はこれまた懲りに凝った和食で、雰囲気とお味が良かったのか日頃食が細い孫べえもお子様膳を殆ど平らげた。そのアトはバスでお風呂の館へ。道中のイルミネーションがメルヘンチックで子供は勿論お嬢でさえ興奮気味。彫刻のあるエレガントなお風呂、前回は私と友人二人貸し切り状態だったのに、この日は何故か混んでいる。これはホテルの努力なのか、はたまた多少は景気によるものか、、、?殆どが大阪訛りの人々だったなあ。

翌朝、これ又お食事の館までバスで移動してバイキングを堪能。チェックアウトしたら高松見物をしたいという夫妻を私の車でお送りすることに。

 

この日から吾等親子の「思いつき旅行」が始まった。ご夫妻を高松までお連れした後、高速に乗り直し、広島まで。前夜の内に予約を入れた広島のホテルに行き、翌日は中国山脈を山越えして鳥取まで移動。鳥取のホテルはその日に予約を入れたという次第。帰路は、再び山越えして姫路までお嬢親子を送り届け、グルッと明石大橋を経由してノンストップで帰宅したら夜の9時半。新幹線のお嬢はまだ品川の手前だった!,,,我ながら無謀な旅ではあった。

 

姫路駅で車から降りた孫べえはガマンしきれずべそをかく。バイバイも言いかねて、、、こっちはそれどころじゃない。ナビが居なくなって、しかも夜に向かって走るわけで、緊張するばかりだったのだ。が、あとでメールが来て、車が離れたら号泣したという。やれやれ。そこまで慕ってくれることに感謝だ。

それにしても4週間は長かった。

2014年8月21日 (木)

笑いの元。

何事にも原因があり、結果が生まれる。な~んて、大げさな言い回しをしているが、今日のドジの言い訳に他ならない。

今日はちぇち練。この暑さにもかかわらず、何時もより多いメンバーの参加だったが、その内の一人Mさんから、「今日は練習あります?少し遅れますが行きます。」とのメールあり。それを受け取ったタイミングが仮眠中だったため、見た瞬間、「おっ、いけない。こっちも遅れないようにいかなきゃ。」と思った途端、その今が何時であるかを見ることもなく慌てて家を飛び出した。何時ものように高速を使って一区間。下りた途端にメンバーのSさんから電話。「今どこ?」との~んびり言われて、「もうすぐ着くから。」と、まだ時間には気付かず。「えっ?まだ1時間もあるけど?」と言われるまでさっぱり分かってない。自分の間違いに気付いてから、どど~っと疲れが出た。いまさら引き返しても仕方がないから、コンビニに立ち寄りサンドイッチ、ミニ冷麺、飲み物など買い求め、現場まで移動してクーラーをかけたまま車内で夕食。不味いなあ~と思いながら、濃いお茶をグビグビ。

なんでこうなったかは、単に寝ぼけていただけ。夕べ、明日はお嬢の癌検診の精密検査の結果が出る日ということで、なんだか寝付かれず、完全な睡眠不足となっていた。で、一応「前段階のステージ3」という診断結果に、安心なようなそうでも無いような複雑な結果を聴き、親子を丸亀町グリーンに放り込んでから、朝のシャンソン教室をやっつけ、再び迎えに行き、そこで昼食を取り、帰りの「よりみち」で、峰山の公園に連れて行く。1時間ほど遊ばせてこちらは車内で仮眠。で帰宅して、見かねたお嬢が練習に行くギリギリまで寝たら?と言うので有り難くベッドイン。30分ほど眠った時の事件だ。

この1時間はもったいない。、、、が、仕方がない。ま、みんなにひととき笑いを提供したのがせめてもの救い?

 

にしても、バタバタしすぎてるなあ。酉年の宿命か。

 

帰りは送ってもらい損なったTさんを呼び止めて、宮脇町まで送っていく。こういう時、プライベートな話しが聞けるんだなあ。若くてもみんな苦労してることが分かったりして、、、、。

その帰り、ラジオから岩崎弘美が喋っているのが聞こえてきた。あるオーディションで落ちた話しと一緒に、ミュージカルの中で、演出家に、「君は一人でリサイタルする気じゃないだろうな!」と叱られたというエピソードも。演技は苦手意識があるが、歌になって俄然張り切って歌った結果だという。、、、これだから、歌は難しい。一連の流れの中に溶け込まず、そこだけ浮き出るのは、それが必要な場合とそうでない場合がある。全ては「表現」の難しさだろう。

 

メンバーの一人が「魔笛」に出演するというので、何人かがチケットを購入したが、我々が以前やった「魔笛」を思い出すなあ。あれも苦労はしたが良い想い出だ。あの時広島から来られた声楽の先生が絶賛してくれたが、あの頃はみんな若かった。

 

広島といえば、大変なことになっているようだ。香川県に住んで居るありがたさを、こういう時いつも思うなあ。

2014年8月19日 (火)

何故かこうなる。

今日はOFFの日と思ったのは目覚めの時だけ。楽譜の整理でもしようかと部屋にこもっていると、忍び足で親子がやってくる。どうやら具合でも悪いかと勘違いしたらしい。大丈夫と分かると早速、「今日はどこへ連れてってくれる?お婆ちゃんはどうする?etc」そこから一気にスケジュールが湧いて出てくる。ま、それも良いか。

でもって母を連れ出し友人の経営するパスタ屋さんでランチ。母が思いがけず沢山食べてひと安心。お坊ちゃまも環境が変わるとよく食べて、車に乗るや否や、「みっちゃん、どっかよりみちしようよ。」となる。一つ言葉を覚えるとそれを使いたくて仕方がないようだ。今日のブームは「よりみち」だ。夕方少し涼しいので公園に連れて行き遊ばせると、帰る車の中で又又、「よりみちしようよ~」となる。この話を電話でパパに話すと、「いやあ、語彙が増えて正直驚いてます。」という。横から母親が、「讃岐弁もねえ」と叫ぶが、いやホント。もの凄い勢いで讃岐弁が入って行く。あたしゃ知~らないっと。

 

このパスタ屋さんでは、毎月のように絵や芸術作品を展示しているが、今日は着物のリフォームだった。大体この手の物はお高いものだが、作家のどういうポリシーからか、非常にリーズナブルな価格設定で驚いた。が、アチクシの場合そこよりはサイズだ。残念ながら予想通り合う物が無い。

 

次に東京では余り行く機会が無いホームセンターに行く事となり、目的の一つは老人と幼児に犬猫金魚の類を見せることだ。予想通り何度も行きつ戻りつを繰り返し、大いに楽しんだようだ。こっちも嫌いじゃないし、もしかしたら彼ら以上に楽しんだかも知れない。、、が、孫べえをカートに乗せてしばらくウロウロしたら、非常に疲れて、母を乗せた車椅子を押すお嬢に早く帰ろうよ~と促すことに。

そこからは母の提案で帰る前にお茶することに。いやあ、親子4代、十二分に楽しみ疲れた半日でありんした。ふ~っ。

2014年8月18日 (月)

コンサート。そして、どらえもん。

とにかく楽しいコンサートだった。音楽会で声を上げて笑う、なんてこと殆ど無いが、今日ばかりは多くの人が笑いさざめいたことだ。全体をここまで引っ張っていく演出は素晴らしかったし、構成も良かった。ソプラノ小濱妙美女史、その衰えを知らない声とステージパフォーマンスも我々を楽しませたが、プラス、若き門下生達のぴちぴちした演技と歌には、客席が心からの拍手を送ったことだ。おそらくは10数曲彼女達も合唱したのだが、それぞれがソリストとしての訓練を受けている人ばかりのため、たったの8名とは思えない濃い歌唱だったし、何より全員の息がぴったり合っていて、ジャズ調アレンジのブレイクなんか、みんな格好良く決めたのは聴き応えがあった。、、、今日ばかりはブラボーおじさんと同じ気持ちだったように思う。いつもより礼儀正しいかけ声だったしねえ~。

唯一問題があると思うのは会場の音響だ。これが例えばアクトホールならば全員が2倍は楽しめただろうと思う。その中ではたっぷりと聴かせた演奏ではあったが、、、。

会場で帰りに色んな人に出会ったが、中に最近ご両親を見送って気分的に落ち込んでいるというMさんに出会う。そのご両親はずっと以前我が家にも来られたことのある方で、私自身も一人仙台までお訪ねしたことがありお世話になった事もある。母上は体調を崩しておられると伺っていたが、父上の方が先立たれるとは思っていなかったらしく相当ショックを受けられているようだった。今は余り重たい音楽を聴きたくないというお気持ちらしく、、、、こういう時に今日のような音楽会は良かったと言われる。

又アル方は、全く久しぶりにお会いした人で、見るからに年を重ねられて、どこかお悪いのかも知れないと心配になる風情。それでも手を取り合い、久々の回合を歓びあったことだ。

他にも最近ご主人が他界され、恐らくはまだその傷も完全に癒やされていないのではないかと思われる方や、はるばる県外からの方もちらほら。、、、お元気な方、そうでも無い方、、、それぞれが、それぞれの思いで一時を過ごされたようだ。出口で観客の見送りをされる出演者達に、ことごとく笑顔が向けられていたのは何よりの成功の証だろう。

帰りの車にはお元気な人二人をお乗せして帰ったが、良い音楽会の後の興奮に会話が弾む。、、、音楽は人を幸せにするなあ~。

 

夜はお嬢が旧友と会うというので、チビの面倒を見る羽目に。早くからこの日しか会えないからと確約を取り付けられていたのだ。実はとある方から、同じこの日の夜に「一緒に飲みましょう!」と二日前にお誘い頂いたにもかかわらず、よりによってドンぴしゃの悲劇。仕方なく「どらえもん」を見せに映画館。同じ物を見るのが二回目という孫べえと違って、この手の映画を観るのは好きじゃなかったが、一番安全でてっとり早い面倒のみかた。案の定前半は退屈したが、段々面白くなってきて、遂には涙したという意外な展開に。隣のチビ助もチャンとクライマックスで泣いているから驚く。帰りの車の中で、どこが面白かったかを話し合い、同じ場所で感動していたことが分かり妙な気分に。いやあ~、母と映画に行くのとなんら変わらない。近頃の4歳。ただ者ではない。

2014年8月16日 (土)

今日も大当たり!?

昼前から子連れで同窓生に会うというお嬢を送り出し、久々に夫と二人の昼食となる。たった大人一人子供一人の人間がそこに居ないだけでなんとも涼しいというか、気楽な空気が流れる。何を遣ってもの~びのび。好きなように動ける幸せ。

ところが思ったよりお早いご帰還で、見かかったテレビは途中で切られるわ、ごろんと横になっていたのを起こされて買い物だ。チビにうとまれるのは辛いが、持てすぎてもねえ。、、、しかし4歳は可愛い。おっと驚くような言葉を喋るし、ろれつが回りかねてもしゃべるのが何ともかわゆい。しかし、うっかりしたことは言えない。

2,3日前に、夫の事についてお嬢に訴えていたら、ちゃ~んとそれを聞いていたらしい孫べえが、夫にむかっていっぱしの大人の口調でお説教だ。「だからね、ジイジイ!そうやって新しいものをどんどん買って冷蔵庫に入れるとね、冷蔵庫が狭くなっちゃうんだよ。他の物が入れられなくなっちゃうんだよ。一つ使ってから次のを入れるんだよお~。分かった?」冷蔵庫の前で、一瞬何を言われたか分からないジイジイはキョトン。こっちが横から補足説明することだ。わあお、これだからうっかり子供の前で何も言えない。

 

夕方の買い物に行くもこっちは疲れてしまい、二軒目では車の中で孫べえと二人で寝ながら待つことに。30分ほども寝ただろうか?車の窓を妙なたたき方をする娘の合図で目がさめた。「当たった!当たった!」とそう言ってるようだが一体何のことだか分からない。まだ眠っている孫を起こさないようにとそっと窓を開けると、「本日のお買い物と同額をお返しします」というくじに当たったという。5千円以上のレシートが必要だったらしいが、ナント5,190円のレシートを持って並んだら、最後の1本に当たったらしい。娘のその時の台詞は、「ええ~っ?もっと買っとけば良かった!」だったと言うから、如何にも小市民、というか貧乏人。

大喜びで興奮気味のお嬢の状況説明を聞きながら帰路に付いたが、私の台詞。「アンタ、そんなことで今年の運勢を使い切ったらつまんないじゃん?」、、、似たもの親子だ。

しかし今年は我々はなんとなく運が良い。お正月の年賀状くじでお嬢は1等1万円が当たり、額が少なすぎると文句言いつつも当たった事で随分気を良くしていた。こっちも、電気製品を買って、ガラポンくじを5回引いた内1本が3等で、景品はビーチで重宝した大きな携帯椅子だった。先日の海水浴では母がこれに3時間以上座りっぱなしだったけど、あまり疲れなかったようだ。

 

もしや昨日のように、上から物が落ちてきたのに当たったのも、その一環か。りゃりゃ。

2014年8月15日 (金)

うらめしや~~~。

お岩さんほどではないが、顔面にブツが落ちてきて強打、唇の内側と外側に傷を負う。台所の高いところに入れてあった砂糖を入れた容器を受け損なってこの有様。かなり重かったんだなあ、これが。それを見ていたお嬢がクスクス笑いながら、「お母さんも、昔は顔で受けることは無かったんだろうけど、今はどうでも良いってこと?」別にそんなこと思って無いと思うけど,,,深層心理かも~。

それにしても痛い!外側はチョイと晴れてきているし、血も滲んでいる。、、、が、こんなことを言ってるとあっちの方から、「何を言ってるの!?それくらいで。そんなの傷の内に入らないわよ!」という声が聞こえそうだ。その方は旅先のとあるコンクリートの階段を転げ落ちて、鼻を強打して骨が折れるほどの大けがにもかかわらず、自力で傷口を押さえて気丈にも自宅まで電車に乗って延々お帰り遊ばしたというから凄い。

 

とにかく、日々あまりに忙しく、お嬢に「お母さん見てたら笑うしかない程忙しいね。」と言わしめるほどで、我ながら全くどうしたら良いのか分からないくらいだ。

夕べは東かがわ市の花火大会に招かれてお嬢親子と出かけてさんざん迷子になり、かろうじて時間に間に合う事態に、大いに疲れ、帰宅してからお風呂に入りベッドに直行。前後不覚に眠りこけた。その翌日の今日、朝から仕事、家事、実家に顔出し、お嬢親子を夢タウンに落とし、アル方を駅までお迎え。ガソリンが無くなっていることに気付きその方をひとまず送り届けて、スタンドへ。とって返して再びその方ともどもランチタイム。その方の御用を一つ片付けるお手伝いをして再び駅へ。お別れをして、夢タウンに今度はお嬢親子のお迎え。途中で夕食時間を知らせて来る夫にOKの返事をして母を迎えに行き、父のお墓参り。そぼ降る雨の中、ひ孫が参ってくれたと喜ぶ母を写真に納め、再び送り届ける。この時点で気圧のせいか、異常な疲労感に襲われる。急ぎ帰宅してマッサージ機に直行。2コース遣っている間にちぇちのメンバーSさんが届け物をしにやって来てくれたらしいが全く気付かず。のろりと起きだして、夕食の準備。ほどよくご飯が炊けたところに、これ又、疲れたを連発する夫が帰宅。そしてめでたく夕食完了。、、、見かねたお嬢が食事の後片付けをしてくれている間に、こうしてパソコンに向い、次から次へとメールのやりとり。

ま、日々こういう調子だから、そりゃあ、棚から落ちるものをどこで受け止めるかなんてこと、考える力は残ってないわなあ~。

やれやれ。

あるリサイタル。

先日、偶然ラジオから流れて来た声。随分と透明感のある、それはイタリア歌曲だったがその歌声があの小濱妙美さんの声だと分かるのに幾分時間が掛かった。というのも、その美しい歌声にしばし陶然となって引き込まれていたからだ。不思議なことにCDで聴くのと又違って聞こえる。お喋りタイムになり、相変わらずの快活な姉妹の声となり現実に引き戻されたが、あのパワフルさはどこから来るのか!?いつだったか、「私は歌と結婚したのよ」と言われたのを思い出すが、そこまでの覚悟が今のあの方の原動力だろう。芸大の教授になられてからも、こうして次々と演奏会を続けておられるのは凄いことだ。

そのラジオの中でも言われていたが、「自由」がモットーと言い、アナウンサーの「クラシックの方は、お酒や煙草はダメ、辛い者は食べない等、とてもストイックな生き方をしている人が多いようですが、、、」に答えて、「一切それはありません。嫌いだから煙草は吸わないけど、お酒は大好き、今の季節だとかき氷も美味しく頂きますし、基本的に何でも。」と豪快に答える。

レッスンの中でも、この「自由」ということをしきりに仰るのが印象的。そこがあるいは日本人的でないのかも知れない。この「自由」を歌声に応用するのは難しいが、それでも究極はそこまで行くのが本当だろうとは思うなあ。そういう風に訓練された声は聴く人にも自由な響きを届ける。およそクラシック音楽に於いて、「窮屈」な感じだけはいただけない。が、日本ではどうしてもそれが付きまとう。

 

いよいよ、この方の年に一度の故郷リサイタルが日曜日だ。

2014年8月12日 (火)

自然に感謝。

昨日はあれ程拒否していた海水浴に、母は朝から張り切って準備をしていたようだ。3時の約束だのに、、、。結果として、母のたっての願いは期待以上の成果を持って終了した。その一番の理由は、この素晴らしい夏の合間の涼しい一日だった。

地元の観光協会で教えてもらった電話で桟敷を予約して行ったのだが、まあそこの店主が大層親切な方。まずは場所が分かりづらいというと道路まで出迎えてくれる。老人が一緒だというと、車を桟敷の側まで入れても良いと言ってくれる。たっぷり遊ばせすぎて時間オーバーとなったが、しばらく片付けする時間があるので、待ちますからどうぞごゆっくり、と声をかけてくれる。間では、椅子に座りっぱなしの母の話し相手になってくれたり、とにかく十二分のサービスだ。

おまけに予想以上にゆっくりしている我々に、「なにもかもそのままで良いですから、どうぞゆっくりしていって下さい!」とご夫婦で声をかけてくれて、軽トラでぶ~っと帰っていかれる。、、、素晴らしい田舎のサービスだ。都会だととてもこうは行かないだろう。

お陰で、うっすらと夕日が海に溶けて、誰もいない海辺は静寂に包まれ、空を音もなく鳥たちが群れなして飛んでいく、、、という誰しもが詩人になる時間を、それぞれがそれぞれの思いのまましばし過ごすことが出来た。子供達も妙に閑かだったのは、遊び疲れたせいもあっただろうが、美しい自然を前になんとなく茫然としていた感じだった。

持ち寄ったおにぎりやなんかを外で食べると美味しいこと!

子供達が一番面白がった遊びが、スイカ割り。昔からある遊びがやっぱり良いんだよねえ、と息子と話したことだ。

 

母の脳裏に今日の景色とみんながわいわいやっている光景が焼きついたのではないかと思う。思ったより疲れを見せず、良かったを連発して帰ったことだ。

2014年8月11日 (月)

歌は難しい。

今日が何日かを思い出せない位バタバタの日々。かろうじて曜日だけは覚えてないと困る事が多いので覚えてはいるが、ムムム。母のお株をとらないようにしなくては。

その母が日増しに弱っていくのをケアしながら、いよいよ難しい段階に入ってきたことを再認識だ。

アル方が、「私の母は、3人の姉妹を呼んで、自分の、即ち人間の死に様をしっかりと見届けさせると言って、交代で介護をすることを命じたんです。」と言われたことを思い出す。確かに、こうして母を見ているが、一人の人間を見ているわけだ。人がどの様に老いていくのか、これは他人事ではない。おそらくは間もなく訪れる自分のことでもある。

 

今回子供達が日程を合わせて帰省したのは、ひとえにお婆ちゃんが口癖のように、孫達が海で泳ぐのを見るためお弁当持って出かけたいと繰り返し言ってた為だが、明日がその日という段になって、「しんどい」「行きたくない」「海は飽きるほど行った」などと拒否反応が出て来始めた。わあお。そう来るか。ならば、どうするか。、、、、結論は、自然に任せよう。無理は止めよう。となる。かっちり決めすぎないでぼんやりとした予定で動こうということとなったわけだ。ま、この相談がスムーズに行ったことは喜ばしいことだ。誰しもが、一番大事なのはお婆ちゃんだという認識の元、一致した行動が出来るということだから。

 

ここに書き込めないまま、どんどん時は過ぎ、ある演歌のコンサートにも出かけ、寄席にも出かけた。どちらも日本独特の世界で、楽しませてもらった。おりしも台風が直撃かという日々で、予定よりは少ない集客のようだったが、それでも会場は参加した人々の反応が良く、いずれも盛り上がった。

コンサートでは、ある著名な作曲家が実は歌手を目指していたとかで、素晴らしい歌唱を披露した。この男性は高知の方らしいが、ビックリするほど上手かった。その人を初め舞台をあれこれ見せてもらっての感想は、矢張り全てにパッション、情熱が如何に必要かと言うことだった。ただ、上手いというのは聴く人の心を打たない。勿論そこにはテクニックが必要ではあるが、それのみに走っては感動は生まれないのだ。故に歌というのは、最も難しい芸術かも知れない。なあ~~。

2014年8月 3日 (日)

大雨の今日コンサート。

疲労困憊。コンサートでかくも疲れたのは久しぶり。しかも、その理由たるや、待ち時間の身の持て余しという何ともかんとも、最も自分にとっては苦痛な時間の過ごし方であった。楽器との合わせが終わって悠に4時間強の長き待ち時間は、たださえこの気圧の変化でむち打ちが出て頭痛と吐き気をガマンしていた自分に取っては残酷この上ないこととなった。が、ひたすら耐えるしか無く、もうぼちぼち限界かという段になって始めて舞台に上がる事が出来た。いやあ、修行が足りないというか、計算が甘いというか、にゃんともかんとも。参った。ピアニストのフォローでなんとかこなせたが、声が裏返りそうになるのを必死で堪えながらの歌は辛いものとなった。しかも、最後に歌ったのがI会長の追悼の為のアヴェマリアとあって、こみ上げるものもあり、思うようには歌えなかったと思うなあ。ま、それもこれも実力だとは思うが、、、。ともかく終わった。

しかし、主宰者でないというのはかくも気楽かと改めて思う。この大雨での客の入りも一切心配することなく終え、自分の事だけ考えていれば良かったのは非常に有り難い。主催者はおそらく相当疲れただろうと思う。イヤハヤイヤハヤ。

 

昨日は短歌の大きな方の歌会で、これ又10時半に自宅を出てから夕方6時頃までの缶詰。こちらはどうしてもず~っと集中しなくてはならず、これも疲れた。

 

全て体力の無くなったせいに他ならないが、まあ、それにしても日々これでもかと色んな事が押し寄せる。明日は母を病院に予約してあり連れて行く予定。その後シャンソン教室、とって返して母を迎えにいくつもり。おお、その翌日はいよいよ我が家に台風がやってくる。お嬢が子連れで帰省するのだ。ところがその直前は同窓生の市会議員を励ます会の定例会。その前は自分の病院。その前はレッスン。その前は仕事。、、、一日一つ大仕事の予定が毎日毎日何故か複数のイベントが。

 

本日長い待ち時間の間、この状況を若いちぇちのメンバーで同じく舞台に立ったKさんに訴えるも、「どれか削って下さい。」と言われるばかり。しかし、その口の舌、待ち時間でオペラのプロットの相談をしている。どこに居ても休まらないのは同じこと。

 

うう~ん、酉年の宿命か。一生バタバタして終えるに違いない。

 

それにしても雨情報が凄くて、かなり心配したが、夜になって帰宅しても大丈夫だったし、、、、高知の様子が気になるが、少なくとも吾が友人の一人暮らしのOさんは大丈夫とのことでひとまず安心した。とりあえず今日は早寝だ。

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »