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2014年6月

2014年6月30日 (月)

良い歌と目眩。

別にO先生の素晴らしい激情的な歌に触れたから目眩が起きたわけでも無いと思うが、コンサートから帰って夕飯時に異変を感じた。ずっと以前、東京で救急車で運ばれ緊急入院したときのような前兆が現れたのだ。ぐら~っと空気が廻る感じで、こりゃあやばい、と早速ベッドイン。夫には枕元に携帯を置いて寝て、と頼んで眠ること3時間。8時間ぐらい寝たと思ったが意外と時間が経ってない。

やおら起き上がって、トイレに行くと廊下に線香の臭いが漂っている。はは~ん、夫が困ったときの神頼みをしているなあ~と察して、クスッと一人笑いして再びベッドに。しかし流石にすぐには眠れない。ラジオ深夜便を聞いたり、スマホでNHKの見逃し番組をチェックしたりして、結局3時くらいに眠ったようだ。

朝起きてみると夫はかなり動揺している。しきりに体調を気にしてくれる。夕べの線香は想像通りだったようで、その効果が早速現れて元気になったのに違いないと言う。ハイハイ、そうでしょうとも。こうして笑い話になったんだから良しとしよう。で、一安心して出かける準備の夫にバイバイして予定通りシャンソン教室へと誘いに来たY女史ともども急ぎ車で出かける。順調に終えて、お昼は二人でうどん屋さんへ。初めてうどんの「冷麺」なる物を注文し、美味しくてあっという間に平らげたが、途中Tさんから「今瓦町。ランチしてますか?」というメールが入る。待ってると返事しつつ、彼女が来たらもう一杯だわねえ、と笑ったが、その言葉通り、彼女が着いたら二杯目を注文。女3人寄ればなんとやらで、かしましくお喋りしつつの食事は進すすむ!話題は尽きることがないが、今日のメインは昨日の演奏会。O先生の予想に違わぬ素晴らしい歌唱力にTさんもファンになったと言う。

そのO先生のリサイタルは最近の様々な演奏会の中では出色の出来だったと思う。空席があるのが非常にもったいない。事前にO先生ご夫妻から、余りに行事が重なっている日なので、集客が心配ですと伺っていたが、確かにねえ。心配した割には入って居たようにも思うが、あれ程の歌、立ち見が出てもよかったくらいだ。今回は、こうしたリサイタルには初めてという人もお誘いしたが、感動して貰えて本当に良かった。私も泣いたが、「平城山」にはあちこちですすり泣きが、、、。原語の歌曲もオペラアリアも丁寧に丁寧に歌われて、同じ曲をテノールが歌うのとはひと味違った印象の歌になった。、、、これほどの歌手が地元にいらっしゃることを、もっと多くの人が誇りに思っても良いだろう。

 

志度の音楽ホール。もう少し高松寄りだと異論な意味で良いんだけどなあ~。

2014年6月28日 (土)

曇天の今日。

なんだかねえ~。毎日のニュースがホントに良いことがない。我が家は夕食時に大体テレビのニュースを見ているのだが、見ている内に腹が立ってきて食べ過ぎることが多い。最近の出っ腹をそのせいにするつもりはないが、食事時に見たい内容の物が少なすぎる。(それにしても夫婦共々お互いを見ては罵り合う日々、、、夫は料理が多すぎるといい、こっちは毎朝夫が作るジュースが多すぎると反論しているのだが、、、どっちも多すぎたりして!)

昨日ここに書いた例のヤジ事件について、FBに面白い記事がシェアされていた。なんとかいう元漫才か漫談家のおばちゃんが何事もばっさり切って捨てる発言が受けて、今や人生相談やら何やらやっているというあの人が、「暴言を受けたその時に毅然とした態度で犯人捜しをその場でやりゃあ良かったんだ。そうしたら関係ない人達に迷惑かけることもなかったんだ」的な発言をしているそうな。暗に、甘えるな!とその女性議員をバッサリのようだった。

一見正論のようではある。しかしそうだろうか?新人議員でもあり、たださえ男社会の舞台に頑張って登場し、百戦錬磨の議員達を前に、きちんと自分の意見をいうことで精一杯ではなかったかと思うのだが。おみっちゃんは甘いのか?

あのお方のご意見は、それじゃあ女性が痴漢の被害にあっても、遣った方より遣られた方が悪いってことになるのかな?

リンダ、わかんな~い!

いつだったか若い人と選挙に行く意味について話していて、女性に参政権が与えられたのが戦後だったということを知らなかったのに驚いたが、ましてやそこまでの運動に長い歴史があることなど知るよしもなかったようだ。いや、勿論学校でお勉強はしただろうが、自分が生まれる前のことだ。それは現実とはほど遠いものなんだろう。今は当たり前のように女性も政治に関わっているが、こうなるまでにはたくさんの女性達の闘いがあったのだ。かくいうアチクシにしても、それほどその時代の事を知っているわけではないが、それでも今の女性の地位が先人の努力によって培われたものだということは知っている。、、、これを知っているから、一票を仇やおそろそかに出来ないのだ。そして、国会やその他の議会で女性が頑張っていることにエールを送らずにはいられない。その世界に女性が多くなれば、きっと世の中は戦争などしなくなるに違いないのだ。命を育むものとしてある女性が、命を奪う行為に加担する筈がないと思うのだ。

だから、イデオロギーはともかく塩村議員のような女性議員はみんなで育てて行かなくてはいけないと思うのだ。

 

明日はバリトンリサイタル。口直しにじっくり良い音楽でも身体に入れてこようか。

2014年6月26日 (木)

誠実。

誠実という言葉ほど、いつも時のニュースになる言葉もないだろう。日本のお偉い方々はすぐにこの言葉を使う習性があるが、本当の意味を知っているのだろうか?真面目で真心がこもっていること。という意味を知って使っているのだろうか?

言うまでもないが、例の「ヤジ事件」のこと。告白した人も、してない人も、誠実とはほど遠い言動だ。

そもそも人が持論を展開しているときに、それをヤジって妨害するなんてこと自体、余りに品がない。前々から気になっていたが国会もそうだから、結局都議会に対しても何も言えないのだろう。このままうやむやにしてジ・エンドなのか。我々はともすれば、アジアの隣国の人格を問題にするが、これじゃあ日本人だってあんまり偉そうなことは言えまい。

ニッポン、色んな意味でまだまだ発展途上国なんだ。ガックリ。

2014年6月23日 (月)

もったいない。

日曜日はクラシックコンサートに。急に入った仕事のため半分しか聴けなかったがそれでも行った甲斐があった。何故だろう?若い人の一生懸命の演奏は気分が良い。終演後、涙を拭いながら感動を述べあっている年配の方々がいらしたが、おそらくはお身内の方だろうか。出演者達はかなりのキャリアと実力の持ち主ばかりだったから、初舞台というより初めて見る舞台だったかも知れない。いずれにしても心和む光景だった。

しかし、遅れて入った時は満杯だったが、休憩時間にかなりの方が帰ってしまい空席が目立ったのは残念だ。まあ、おかげで良い席に座れたんだけどねえ。

クラシックを、何とか身近に感じるようには出来ないものか。わがFM番組も、ちぇちの活動も、全てはそこへ向かっているわけだが、、、、原因は様々アルに違いないが、その一番は敷居の高さだと思われる。所謂「高尚さ」ばかりがクローズアップされてしまうのだろう。そもそも音楽は「分からなくてはならない」と思われすぎているのではないか。

あるところで地元のある音楽家が「むしろ分からない音楽をどんどん提供したい」と逆説的なメッセージを披露されていたと思うが、絵画と同じではないかと思う。

ある現代アートの作家の奥様件マネージャーが、「夫の作品は分かってもらわなくても良い。」「実際分かるなんて事、そう簡単なことではないんだから。」と話されていたのを思い出す。確かに具象と違って抽象画はイマジネーションに頼るほか無い。

芸術的なことは全て1+1=2ではない。この当たり前の事が、どうも日本では浸透しきれないようだ。ま、乱暴な言い方をすれば、最後は好きか嫌いかだろうに。

 

先日友人と劇団一人の「晴天の霹靂」という映画を観に行く。彼は本当に才能があるなあ。主役の大泉洋も彼以外にはこの役は出来ないだろうと思わせるほどの自然体の演技ではまり役。、、、まあ、個人的には作者の懲りすぎの感はあったが。この映画だとて、見る側が作品の全てを完全に理解するかというと、そうではないように思われる。作者に「伝えたい事」があり、何とか映像で「伝えようとしている」が、必ずしも100%伝わるとは限らない。そして、もしかしたら、ある人には120%になっているかも知れないのだ。だから、面白い。

 

今日も実はBBCのシェイクスピア映画を観る会があったのだが、諸事情で最後の30分しか見られなかった。余りにもよく知っている「オセロ」がその題名だったので、いきなり入ってもどのシーンかはすぐに分かった。丁度オセロが妻を殺し、その現場を女中が見て驚愕しているところだった。主役のオセロはりりしさに於いて思ったイメージと違ったが、映像的にはかなり面白い撮り方をしていた。遠近法やミラーを使ってのリアル感の表現など巧みだった。各シーンの切り取り方も通常とは違い、スポットを使わずしてスポットを感じさせるやり方。おかげで、遂に最後までデズデモーナの顔がどんな人かを見られなかったが、、。

 

いやあ、それにしても、人間が作り出すものの面白さよ。こういうものに触れずにいては、折角の神様から与えられた特権を使わずしてあの世行きだ。それは余りにもったいない。

2014年6月19日 (木)

加齢とダイエット。

折角早寝早起きの習慣が身につき始めたというのに、チョイとした油断から元の木阿弥になりつつある。深夜のパソコンを打つ音の中毒かも知れないなあ。世の中がシンとした時間に、色んな事が落ち着いて出来るような気がしているが、錯覚だろうか?

わざと翌日の予定を早く入れてみたりするが、やっぱりそれでも遅寝になってしまい、日中欠伸の連続となる。困ったもんだ。今日やって来た友人Kの話しでは、彼女は4時間しか寝ないんだそうだ。はあ~っ。上には上がいるもんだ。

先日番組宣伝で、「7時間以上寝る人は早死にする」というのが流れていた。この理論通りなら、4時間しか寝てない彼女は吾等友人の中で一番の長寿となる計算だ。ホント?

テレビを見た日早速夫にそれを告げると自分はそんなに寝てないとのたまう。が、明らかに8時間以上は寝てると思うけどねえ。まあ、早死にも何も、70代半ばならそう早くもないだろうが。

今日届いた満中陰志の方の場合は60そこそこだったし仕事に油が乗っていた時だったから、惜しまれたが。

 

台所でお茶飲んで、雑談をしてCOOPなど書き込んでいると思いの外長く椅子に腰かけていたようで、立ち上がろうとしたらすっくと背筋が伸びず、思わず言ったもんだ。「いやあ~、腰が伸びないわ。年寄りみたい!」するとKの曰く、「あんた、もう充分年寄りなんよ、私たち。ゲラゲラゲラ。」確かにねえ。自覚が全く無いが、昔なら腰が曲がっても珍しくなかったろう。

そこに帰宅した夫が加わりしばし加齢とダイエットの話しになり大笑いしているところに、又々別の友人がやってきて、話しに加わるから一気に家が揺れるほどの笑いに満たされることに。

さっき食べたおやつは間違いなくお腹に付いたことだろう。

 

夫が人に聞いてきたダイエットとは、身体をねじる運動を毎日200回するんだそうだ。どうやらこっそり自分の部屋でやったらしく、しきりに腰をさすりながら、痛い痛いと呟いている。痩せる前にどっか悪くなりそう。普段使わない筋肉を使ったんだろうなあ。ま、夫に効果があれば、やっろうかなっ?

2014年6月18日 (水)

ブータンの若者、来て去る。

今宵のちぇち練は終始笑いが絶えない和やかなものになった。それというのも、急な事ではあったがブータンからのショートスティの男性が見学に来られたのだ。その国の事情をよく知らないが、日本のように欧米の文化に染まってないことは確かだ。彼はまだ英語が分かるだけ付き合いやすいが、こと音楽の世界はまるっきり異文化のようだった。白紙の頭脳にイタリア語と日本語の音楽両方を聴いて貰って感想を聞くと、彼の軍配は日本語に上がったようだ。やっぱりアジア民俗の故か。はたまた歌う側のこなれ方の問題か。

「元気でね」とみんなで声をかけて見送ったが、帰国して彼の口からどの様にちぇちのことが語られるのか知りたいものだ。

 

いよいよちぇちも昨日の会議を経て、次回の公演に向けて始動だ。

サロンコンサート、そして来年の本公演。再来年の○○公演。再来年、という言葉に思わずどっと笑いがこぼれる。だって、その頃生きてるかどうか!?な~んてね。

他にもメデタイ話しがあり、何度も拍手~となったわけだ。

 

時は移ろい、物事は変化する。

2014年6月15日 (日)

ホームスティ。

ものすご~く久しぶりに陶芸教室へ。気の長いN先生のお陰で細々と続けていける。作ったことも忘れて居た作品が出来上がっていて、まあまあの出来。新たな作品作りについ熱中して4時間近くを工房で過ごさせて頂く。

実はこのお宅には只今ブータンからホームスティの若者が逗留していてなんと2ヶ月になるという。てっきりもう帰国した後だと思ったが、こんなに長い滞在だったとは!!N先生は東北の震災時にブータンから日本が受けた義捐金や国を挙げてのお詣りに感動し、その返礼の意味で、こうしたホームスティを受け入れる用意があることを以前から意思表示していたそうだ。かつてブータンに行ったこともあり、決して豊かでない国だということも目の当たりに見てきていたから余計有り難いと思ったそうだ。

確かにブータン国王も凄い人だが、わが師匠N先生も凄い人だ。

そして、そうした人には相応しい若者が来ていた。N先生も言っていたが空気のような人で、会ったときと別れたときに挨拶し、途中でジュースを持って来てくれた時に言葉を交わしただけだったが、ゆ~ったりとして、静かな雰囲気を持っている。結婚して子供もいるらしいが、若いんだけどねえ。物腰が仏教的というか、、、、そういえば、畑に作っているイチゴにナメクジが来るのでその駆除をしようとビール?だったかを置いていると、「虫を殺してはいけない」と撤去されたそうな。蚊さえも殺さないとか。むむむ。庭で黙々と薪割りをしている姿も何の違和感もなく、「黙っていてもあれ遣ってくれるのよね。星身体だけど、力があるのよ。」と大いに助かると言われていたが、なんか日本の若者と違うよなあ~。

しかしそれにしても日本人は外国の人にホントに親切だと思う。N先生なんかはご自分が予定していた旅行にも同伴し、昨日金沢から帰ったところだとか。尊敬するなあ。うちなんかは単発でせいぜい1週間が最長だったが、大変だったような記憶が、、、。

こういうことの積み重ねが世界平和に繋がるんだよねえ。

2014年6月14日 (土)

青春は青い春?

今日はおさんどんには良い一日だった。涼しくてお天気で風も吹いて洗濯物も良く乾く。部屋の整理をしながら思わずマイルームでレコードを聴く気分にもなった。レコードって、なんか良いのよねえ。CDとは音質が違うと思う。大分前に買ってあまり聴いてなかったデッキだが、これからはちょくちょく使おうか。ふる~いレコード盤だけどチャンと音を奏でてくれて感激だ。テバルディのオペラアリアを聴いたが、なんと骨のあるしっかりした歌唱だろう!?

しっかりした歌唱と言えば、只今は頼まれて美空ひばりのCDをダビングしているが、このお方も歌唱力に於いては全く素晴らしい。、、、この人の名前を知らない世代が今や大人の仲間入りの時代だ。カラオケの無い時代にこの人の歌をアカペラで熱唱していた頃を思い出す。が、隔世の感があるなあ~。それはアチクシのOL時代で、バブル期とて毎月のようにあった社員総出のパーティで必ず歌わされていたのだ。よくぞあんな事が出来ていたものだ。

いかんいかん、ちと昔話が続き始めた。いやあ~歳だなあ~。

 

未来に話しを向けようか。明後日はちぇちの運営会議になっている。いくらなんでも公演ボケからは再起しなくてはならない時期だ。演目も決まり、これをどう料理するかの検討を始めなくてはならない。やっぱり若者に力を出してもらわなければ物事は進まない。メンバーがFBで公開している足取りを見るとホントにアクティブで感心してしまう。

若いって、良いなあ~。いつまでも続かないんだけどねえ~。

2014年6月13日 (金)

研究者も元は子供だった。

スマホに災害注意報の予告を受け取る設定をしていると、恐ろしいほど良く当たる天気予報が入ってくる。何時頃何ミリの雨が降る、と大体1時間置きに入ってくるが、ゲリラ豪雨は殆ど100%近くの確立で当たっている。今日も東京目黒区の予報が入って来て、1時頃180ミリと出たので20分前にお嬢に電話してみると、余りに晴れ渡った空で気配もないが、この頃良く当たるから用心するわと電話を切る。やがて、予告通りの時間に電話が入る。案の定バケツをひっくり返したようなもの凄い大雨になったという。う~ん。この業界、確実に成長しているのでは?これなら、少なくとも空模様に関しての情報はかなり大きく信頼出来るのではないか?、、、同じくらい、地震も分かると良いなあ~。

先日テレビにダニ博士なる人が出ていたが、面白い人だった。お嬢にそれを言うと、「ああ、あのダニを三枚おろしにする人?」と速攻返ってくる。私が面白いと思ったのはそこではない。「人は、つまらないことに一生懸命になるのが良い。」という部分。(ダニの三枚おろしも結構なものだが、、)何でも良いからとにかく興味があることにはどんどんチャレンジし続けなさい、というものだったと思う。そういう博士も長く冷遇されて、誰からも褒められず永年研究に取り組んできたのだそうだ。が、今や人々の大いなる関心事になってきた「ダニ」のオーソリティとして世間から大きく認められるようになったという。

ちょっと違うが、昨夜「鈴木先生」という映画を途中から観た。先生から褒められるようにということばかりに懸命になる、所謂良い子供達を作り出す学校教育に疑問を投げかけていたと思うが、それは確かにあるように思う。「評価」ばかり気にして、自分で考えることをしなくても良い状況はよろしくないのではないか。

今の日本の状況も、自分の頭で考える必要に迫られているようだ。付和雷同でなく、しっかり考えるべきときだろう。

 

今日の来店客は以前小学校の教諭だった方だが、学校現場とPTAに辟易して中途退職した方だ。永年ず~っとお話ししてきたが、本当に教師として良い資質を持っていると思われる先生だった。色んなエピソードを伺ってきたが、教育に対する熱い心と正義感を持ち、グラウンドの隅に捨てられていた子猫を家に持ち帰るという優しい人。こんな先生が学校から消えていくなんてもったいないことだ。我が子ならこういう先生に預けたいと思うけどねえ。

 

今さらながら子供の教育は大切だ。

2014年6月12日 (木)

柔軟な心。

ある若い母親Aが、ママ友Bから秘密を打ち明けられていて、まあその秘密はAからすると大した事の無い内容だったということもあり、不用心に人前で喋ったことが本人の耳に入りBは激怒。Aは自分の過失を平謝りするもその場では赦して貰えず落ち込んでいたら、後から電話でBから自分も言い過ぎたとお詫びを告げられ一件落着と相成ったというお話し。

これは良くあることだろう。全く悪意が無く、つい失言してその人を傷つけてしまう。が、それをそのままにしないでチャンと着地点を見つけられるところが、Bは勿論Aも若い柔軟な心を持っているからではないか。と思った。

人生に於いて、取り返しが付かないことは「死」以外殆ど無いように思う。

が、数年前に、これが殺人事件に発展してBに当たる女性がAにあたる人の子供を殺害したらしいから、人の感情はあなどれない。

この悲劇は、心に柔軟さを持っていなかったことから来たのだろう。心の動脈硬化が起きると殺人なんていうとんでもないことに発展する。殺人イコール自殺だからねえ。

 

最近の子供がらみのニュースには胸が痛むことが多い。昔からあったと言えばそれまでだが、嫌だなあ~。おまけに医師の過失による子供の死。勘弁してよだ。少子化が叫ばれてピークに達しているかのようなこの時代に、大切な子供の命が簡単に奪われていくのは如何にも無念。、、、わが孫べえたちも無事成人してくれるんだろうか?

そういえば、父親が子供を置き去りにして段々衰弱していくのを知りながら女性の所に通っていたというあのニュース。どうしてそんなことが出来るのか?別れたとはいえ、生みの母親は一体何故その子に関与してなかったのか?涙無くして語れない事件だ。

2014年6月11日 (水)

天候不順。寒いの?暑いの?

今宵はちぇちの練習日。っていうのを、「ええ~?火曜日じゃなかった?」とのたまう夫を嘲って家を飛び出し国分寺。既にメンバーはほぼ集まっている。滞りなく予定をこなし、このところ頑張ってくれているM君のアイデアで身体を使うレッスンを。最後にこれを遣るのはなかなか良い。スカッとして解散。

ま、今はウオーミングアップの時間だ。間もなくガチンコの練習時間が待っている。新人はそれとも知らず、ホカホカした時間を楽しんで居るが、今のうちだ。

 

先日久々に「蝶々夫人」を見たが、映像は見せなくても良いものを見せてしまう。外人に似せた濃い化粧。オケを気にしたまなざし。etc

兼ねてから気になっていたが、矢張り舞台を映像で残すのは如何なものか。現場にいる人に向けての様々な工夫が映像に撮ることで全く台無しに。

しかし、改めてこの作品は良いなあ。最後の扱いはそれぞれの演出家の腕の見せ所に成っているが、今回のは結構胸に来た。自決が首で、倒れ方もスマートでしかも全部見せている。多くは、屏風の後ろとかで、私自身はその時を見せることが無い作品ばかりを見て来た。今回のは遠くから聞こえるピンカートンの声に呼応して、蝶々夫人の断末魔の手の動き。切なくて、涙が出た。

 

今日の練習で、何故か日本のミュージカルは欧米のそれとは違うという話になった。歌唱力が重要視されないという点において。もしかしたら、ちぇちの目指す道はこっち?な~んてね。ダンスが出来ないと無理だからねえ~。って、次回作はダンスがあるんだった!!みんな、頑張って!(他人事?)

2014年6月10日 (火)

金魚のお話し。

又又久しぶりにジムへ。といってもプールで歩き、お風呂で終わりの予定。今日は案外空いていて気持ちよく水を切って歩き、日頃使わない筋肉をたっぷり使う。が、実を言うと疲れ過ぎていて持続力が全く無い。20分歩いてへとへと。プールの真ん中のジャグジーや水中マッサージで一休み。いつもならそれで引き揚げるところ、歩きながら考えていた「金魚のお話し」の続きを考えたくて上の大きな水槽の前の温水ジャグジーへと移動。

何故「金魚」か。我が家の水槽で遂に一人ぼっちになった大きな、大きくなりすぎた金魚のことを童話風にストーリーを考えて居たのだ。孫達にこの夏帰ったときに聞かせるためで、いつもは余りに即興で、適当なお話しに終始するから今度はちとましな話しを作ってみようと、ま、水中ウオークの退屈さを紛らわせる為だった。

ここの水槽は見事な物で、入って居る魚たちも大小様々、色も豊富で賑やかなもんだ。,,,フムフムこういう魚たちも登場させると良いかもしれないなあ~などなど、次々とアイデアが湧いてくる。

一人妄想に耽っていると突然その妄想が破られた。「こういうの見てると飽きませんねえ。」余りに熱心に見ていると思われたのか、後から入って来た女性が声をかけてきたのだった。一気に現実に引き戻されて、会話がとんでもないことに。

最初は金魚の話しだったが、その内その人の生活の告白?になり、「3年前に主人を亡くしまして、一人ですから毎日ここで歩いてお風呂に入って帰るんです、、、」「まあ、そうですか。それは良いですねえ~、自由で」(あっ,しまったと慌てて言い直す。)「お一人は良いですねえ。いえ、面倒見る家族が居るとこういう所もなかなか来られませんからねえ。私なんかホントに滅多に来られなくてもったいないから止めてしまえと主人から言われるんですよ~」なんて、言わなくても良いことまで口走ってしまう。

しかし聞いてみるとその女性はまだ夫を亡くした後遺症があり、この温水ジャグジーなどは男性が居ると入れないと仰る。(それは私でも入りにくいけどねえ。プールはなんともなくても、このお風呂みたいな空間はチョット抵抗がある。)ま、自由ではあるが、寂しいということらしい。,,,結局歩くよりも沢山お喋りしてお互い茹であがって、「又お目にかかりましょう」と別れる。

、、、これって、私にとっては大変珍しいこと。殆ど黙って行って、スタッフ以外とは言葉を交わさずスッと帰ってくるのが普通だ。出来るだけ知ってる人に会わないよう何事もササッとやってしまう。が、矢張りこうした会話を求めている人も来てるんだろうなあ~。それはそれで良い事だと思う。

 

、、、が、頭の中の金魚は目下行方不明だ。

2014年6月 5日 (木)

今日の悩み。

留守中金魚がイキイキボンボンになっていて、すぐに水槽の掃除をしたっぷりの水に浮かべたら奇跡的に快復した。棒でつついても殆ど反応が無く、これはダメかと思っていた為とても嬉しかった。小さいものでも命のあるモノはホントに気を遣う。向いてないなあ~と思うのだが、これを下さった方が又卵を産んだからあげると仰る。う。どうすんべえ。

今日来店された方が壁の絵を見て、いつ見てもこのワンちゃんは良いわねえ。と言って下さる。この絵を描いたときからずっとご来店下の方だから、この絵の存在を覚えて下さっているようだ。有り難いが少し心が痛む。時間が経って舌とか毛並みとかあちこち色が褪せてきているから、ホントは修正するべきなんだろうが、その気力がない。友人に油絵を始めている人が居て、直してあげるわよと言ってくれたがそれもねえ~~。どうするべきか。

朝7時台に目覚める習慣がまだ続いているが、となると全く自分の時間が取れず家事ばっかりしている。夜のしじまのなかゆっくりと色々考えたり書類のあれこれをやっていたのが、そういう物ってどうも昼間にやる気がしない。あ、あ、でもって短歌の締め切りが近づいてくる、、、。

 

リンダ困っちゃう!

2014年6月 4日 (水)

過ぎゆく日々。

一雨降って急に寒くなった今宵、久々にパソコンに向かっている。

今日のちぇち練は記録的な参加人数の少なさだった。各パート一人ずつ程度なのに広々とした会場で、まあ良いと言えば良いのだが、、、、。体調を崩した人が数人。仕事の人も何人か。なかなか集まれない現状がある。が、それはそれ。お互い自分の為の時間だから、有意義に過ごすほか無い。

というわけで、案外密度の濃い練習時間と成った。かくいうワタクシ目も2週続けてお休みしたためみんなに会うのも半月振り。和気藹々と過ごしながらも今後の公演の事が頭を過ぎる。ここにいる全ての人が舞台での戦力と成ることを目指したいもの。

 

話しの流れで、練習時にみんなにビデオを見てもらったが、あの中国の舞踏家ヤン・リー・ピンの娘さんのず~っと回り続けるという技は今も脳裏に焼き付いている。中国という国の奥深さを知る思いだ。こうして民間では仲良くやれるのに、、、、ねえ。

 

昨日はある劇団の公演に友人に誘われて行ってみた。が、案の定疲れていて半分は寝た様な気が、、、。「三人宿」という題なのに、役者が二人目から記憶が飛んで、いつの間にか三人になっていた。

テーマは「疑心暗鬼」。色んな意味に取れる、時代に即応したテーマだ。実際はナニもないのに怖いと一度思うと、ナニもかもが怖くなる。パニックになると自分が思いがけない事を言ったりしたりするようになり、返って騒動を引き起こしかねない。何事にも沈着冷静が必要、ということらしい。確かにねえ。今の国際情勢はそのオンパレードによる紛争ばかりだ。

帰りにその友人の娘さんがお店を出したというので、ライオン通りまで移動。思いがけずしっかり飲ませてもらう。いや~、ライオン通り。懐かしいわねえ~、と言いながら歩いたが、ホント、一時はこの友とも良く遊んだもんだ。お互い悪友と呼び合っての夜遊びをこの界隈を舞台に繰り広げていたもんだ。朝から夕方までビッチリ仕事をして、夕方から明け方まで遊んでも次の日はチャンと仕事が出来ていた、今思うと奇跡のような生活だった。

その頃の仲間は亡くなったり年取ったり、あのお寿司屋さんは上京して歌手になっちゃったから、そこは別のお店に!

今朝のシャンソン教室の課題曲、「ラ・ボエーム」ではないが、「あの頃の靴の音は、もう聞こえなかった、、、、」

2014年6月 2日 (月)

親孝行まがい。

歳を重ねると疲れは翌々日から感じると言うが、じわじわとそれをナットクさせるような疲労感が迫ってきている。早起きの習慣が上京している間に付いてしまって、今朝も7時には起きたが、起きてからず~っと休み無く働いていると時々フッと記憶が飛ぶような変な感じに襲われる。丁度居ない間に季節が移った勘定で、まあやることが多いこと。

でもって待ちかねていた母のお守りもしなくては成らず、夕食は久しぶりに二人で外食。土産話に花が咲いて、ひ孫の成長ぶりに眼を細める母。こういう時スマホがあって良かったと思う。上京中に撮った写真をスマホで見せながらだと話しがよく通じる。

一度帰宅して今度は吾が息子が先日BSの生番組で喋ったのをDVDで見せてあげる。「おじいちゃんが生きていたらどんなに喜んだことか。間違いなく泣きながら見たと思う。」とは母の弁。ま、そうだろうなあ。でも私的には、母が見てくれただけで大満足。幼い頃みてもらった時の環境が今のわが子達を作っていると思えるからだ。ホントに両親には感謝だ。

そのわが両親のやってくれたことを思えば今私が母にしていることなんか、たいした事ではない。

 

さ、今日も早寝早起きだ。

2014年6月 1日 (日)

長い旅。

お嬢からのSOSで慌てて上京したが、まさかこんなに長くなるとは思わないで出かけたが、とりあえず10日分の薬は持って出たので良かった。すぐに結論が出ない感じだったので、とにかくおさんどんに明け暮れ、孫べえのお相手をして過ごした。ついでに水戸まで足を伸ばして息子の方の孫べえたちにも会ってきたが、結果として行って良かった。

詳細は置くとして、この11日間は自分に取っての体力勝負の日々だった。日頃使わない筋肉を使ったためか足腰が老人のそれのようにギリギリと痛む。やれやれ、子供達の結婚が遅いとこういう結果にあいなるわけだ。

初めてのジェットスターのチケット発券機の前で偶然カルチャーのオーナーとお嬢さんに遭遇。辺り構わず大声でキャーキャー言ったため、そこにいた若い係員の男性も一緒になって笑ってくれた。イヤハヤ、日本も狭いなあ~。

 

とりあえず限界。寝る。

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