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2014年5月

2014年5月19日 (月)

舞台芸術、今日も。

今日も日中は初夏の風薫る気持ちの良い天候だった。ただ近頃はなんとなく車の窓を全開で走る気にならず、ちょびっと開けて尚かつクーラーも入れるという運転だ。

運転して昨日に引き続き本日も音楽の世界に浸りに出かけたわけだ。が、ちと読みが浅くのんびりと入場したら1,2階は全くお席がありませんと言われる。しぶしぶ3階席に行くと都合良く前の方の通路側が一つ空いていたのでお隣さんに声をかけると、「そこはあれがあって、舞台が見えにくいんですよ。」と気の毒がられる。確かに、手すりがかなり邪魔。それでも他に良さそうなところが無く仕方なくそこに座る。が、休憩時にガマンの限界を感じ、試しに下に下りてみた。1席くらいはあるんじゃないか!?と疑った為だが、あまりウロウロするのもこっぱずかしくて、ざ~っと見たが矢張り無い。2階席に行っても、結局天上の下というあまり芳しくない場所しかない。それでも3階席よりはましそうだったのでそこに陣取り、ナントか観賞できた。表情を見たり、しっかりと声を聴くには矢張り1階席で見たかったというのが正直な感想だが、全体を眺めるにはまあ悪くない。、、、しかし、いつもこれくらい人が入ってくれたらねえ~。

舞台はシンプルで私好み。色彩も現代調で良い感じ。演出はステキだったなあ。経済的なことが考えられた押さえた中にもスケールの大きさとテーマが上手く表現されていた。合唱の配置もセンスが良く、音楽も予想ほど暗く持って行かないで甘さのある綺麗な音楽になっていた。全てが新作で、関係者の力が入っていたのが感じられた。和物のオペラは難しいといわれるが簡潔な台本で分かり易く、字幕も手伝って良い作品に成っていたと思う。

早速ちぇちの出演者がFBにお酒が美味しいと書き込んでいたがさもありなん。やっぱりオペラは人数が多いほど面白いなあ。

 

こうして次から次へと舞台があって、この季節、ホントに通うだけでも忙しい。これって、他県もそうなのかなあ~?なんか香川県が特別のような気が、,,、。

2014年5月17日 (土)

歌って、ホントに良いものだ。

おお、疲れた。コンサートの司会というのもなかなか疲れる。勿論演奏を聴けるという役得もあるわけで、ありがたいようなモノだが、観客によってはきまじめ過ぎてこちらが緊張してしまうというのもある。今日がまさしくそれで、お行儀の良い、非常に静かな聴衆達。正しいタイミングで正しく拍手し、笑いの小ネタにも上品な笑いが帰って来て恐縮してしまう。この空気にまずは歌い手が緊張したようだ。しきりに空気を変えようとしていた感があるが、なかなかそれは難しかった。それでもソプラノの伸びやかな声は狂うことはなく、しっかりとした力のある声で大きな歌を聴かせてくれた。背中が広く開いたドレスがよく似合う素敵なプロポーションで、(ピアニスト共々)見ても美しい人だったが、最後の最後に2歳ほどの男の子を抱っこしてご挨拶されていたのには驚いた。いや~、たくましい。東京では、子連れでも聴けるコンサートを実施していると言い、いずれ高松でもやりたいとか。若いって、凄いなあ。ピアノソロも二曲あって、なかなかに情熱的なロマンティックな演奏振りで楽しめた。実はこの方はわがお嬢と高校の同級生なのだ。よその子はどうも急に大人になったようなきがする。

サンポートでは扇が上演されている時間帯だったが、ここ石民の場内も満席で、次々と追加の椅子を並べたほどだった。ファンがいるんだろうなあ。あの朗らかな性格で、あのおおらかさだ。それも当然か。教え子ですとおっしゃって、T先生ご夫妻もお見えになってらしたが、そうやってどこまでも見続けて下さる恩師って、有り難い存在だなあ。

石民は今日のような天候だと、ホントに素晴らしい。館長が100万ドルとは行かないが、10万、1万、、、、とどんどん下がったのには笑いが湧いたが、その美しい夜景も楽しんで下さいとコメントされて、休憩のティータイムは皆さんコップを持って外に出たもんだ。

おりしも牟礼の町を見下ろせば大分灯りが点り初め、山々に囲まれたこの町がガリバーの指輪のごとく輝き始める。、、いや~美しかった。

 

さ、明日は扇を聞きに行かなくては。

2014年5月13日 (火)

夫婦愛。

先日偶然にも「終着駅・トルストイ最後の駅」とかいう映画の最後の方をBSで見ることがあったが、最初から見たかったと思わせる良い映画だった。トルストイの妻と言えば、ソクラテスの妻、ナポレオンの妻同様世界三大悪妻の一人として有名だが、この映画では、ちょっと違う角度から描かれていて、面白かったのだ。確かに夫婦げんかは絶えず、トルストイは執筆したいのに妻の愚痴や嫉妬や妄想に振り回され、「仕事をさせてくれ!」と叫ぶことも多かったようだ。しかし、この映画では例えそうだったとしても、結局は永年築きあげてきた夫婦愛を消し去ることは出来なかったという風に描かれていた。最後の大げんかの果て、家を飛び出し名も知らぬ小さな駅に病の為に降り立ち、ホテルも無いような田舎のこととて駅長の自宅を借りてそこで最後を迎えたという。どうやらそれは史実らしいが、息を引き取る前に妻の名を呼んだというあたりはどうだろう?よく分からないが、駅に止めてあった汽車で過ごして居た妻が胸騒ぎの末駆けつけたとき虫の息だったという話しだ。

この映画で上手く描かれていたのはケンカした二人が仲直りする場面だ。夫婦でなくてはあり得ない進行で気持ちが歩み寄るという描き方。確かに文豪ではあったが、一人の男でもあったわけで、もし彼が作家でなければその妻は普通の愛情に満ちあふれた女性でいられたという事かも知れない。、、、とても考えさせられる映画だった。

「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる。」なんて言葉を残したのはソクラテスか。トルストイ、結局は最良の妻を得たのかも知れない。

 

さて、今オンデマンドを探っていて、ドキュメンタリータッチの、夫がFBIというドラマを観たら、こちらも夫婦愛そのものを描いていた。特異なケースではあるが、現在活躍中のコピーライターT女史のお話はドラマチックで、生き方そのものがステキだった。こんなことってあるんだ、と驚きながら観た人も多いのではないか。

夫婦愛、ねえ~。ま、いろいろあらあな。

 

今日は昼間老人ホームの慰問で歌ってきた。殆どの方がデイサービスでその施設を利用されている方らしく、特養の場合とちがって表情が明るいのは救われた。誘って下さった方は毎月数回あちこちに慰問に行かれているようで、その都度フラダンスや日舞、楽器演奏などメンバーを集めて遣っているらしい。これに生涯をかけているような感じだった。「100歳まで参ります!」と叫んでいたなあ~。凄いとしか言いようがない。時々はお仲間に入れてもらう約束をしてお別れしたが、少しはお役に立ったのだろうか。

 

う、土曜日は石民のコンサートだ。次々あるなあ~。

2014年5月12日 (月)

車の窓から雨が吹き込んでいたなあ。。。

毎日目一杯動いていると、流石に寝る前にここに掻き込む作業は出来なくなった。そう遠くないと思うが以前は書くことがさほど億劫ではなかった。他のことは出来なくとも、書くことは出来たのだが、近頃それさえ怪しくなって来ている。書きたいことは山ほどあっても出来ないということで、書きたいことが無いわけではない。一応、わが心もそれくらいの動きはしているようだ。

ところで、ここ一週間ほどとにかく忙しかった。そのつけが夕べやってきて、夕飯を作りかねてベッドにまっしぐら。8時半くらいだったと思うが、朝の7時半まで眠った。すご~い。ちょいと寝過ぎたかも。余計身体がだるいわい。これからジムでも行って今日も早々と寝るとしよう。明日も朝から仕事で、午後はボランティア。毎日予定は詰まっている。

この状態の時にご機嫌で帰宅した夫は、兼ねてから美味しいとお気に入りのパン屋さんで数種類のおかずパンを買ってきた。曰く、「花一輪よりこっちがええやろ!?」というもの。いや、まあ、時と場合によるわいなあ~と思ったが口には出さず、小さな声で、「ご飯炊いたのに~」と言ってみるも、「そんなの、冷凍しとけば?」と簡単に仰る。んなこと言うけどご飯だって炊きたてを食べさせようと頑張って炊いてるんだからねえ、、、という言葉も飲み込んで、言われる通り主食はパン。しかしねえ、今日は和食と決めて、ゴボウと、蕗を美味しく炊いてるのにねえ、,,,、ま、いっか。確かにパンは嫌いじゃないし、言う通りホントに美味しいから。で、この奇妙な献立でこっちは食事を終えたが、たまさか出来上がったご飯を見て、夫はその上に、「ちょびっとご飯も食べる。」と仰る。わ~お。それ、全くの食べ過ぎでしょうが!?とも言わず、素直にご飯をお茶碗半分に装う。最近はまっている野沢菜昆布をたっぷり上にかけて、、、。この食欲。確かこないだ、夫が行ってる看護学校の廊下に年代別食事の見本が飾ってあって、それを見るとうちが如何に大食いかよく分かった、と言ってたのはどこの誰べえか?ま、お元気な証拠だろうが、、、。

 

昨日はちぇちのB会員でもある、M女史のリサイタルだった。いつもその勉強振りには感心しているが、この日その集大成のような演奏を披露された。と言ってもこちらは裏方のお手伝いで、実際の所は聴けてない。リハの時の少しセーブした声で想像したところだが、何か掴んだのではないかと思える声の出し方。本番を袖で聴いてもトラヴィアータのアリアは凄かった。ピアニストも興に乗ればバリバリ遣る人のようで、波に乗った演奏振りは聴衆を楽しませたようだ。最後にロビーで何人かとお話ししたが、みんな良い感触だったのはお手伝いした甲斐があったというもの。後からも電話で感想を言ってくる人も居て、矢張りこうした演奏会は良いなあ。

が、遣る方としては大変だ。この大変さは多分終わったらすぐ忘れて、又やりたいと思うんだが、本番に持って行くまでのいろ~んな調整が半端じゃない。健康管理もその一つで、身体が楽器である以上、これはどうしようもない。そのほか沢山の考えるべき事があり、ちょっとやそっとでは遣りたいと思えないのが実際だが、まあ、彼女の場合希な協力者が側に居て、叱咤激励?飴と鞭?etcでもって、そこまでこぎ着けているわけだ。しかもいつも司会までやってのける、これほどの旦那様が世の中に他にいるとは考えにくい。いや~、今回もご馳走様だった。

この日行けるはずだった人が急病で入院したり、愛犬が亡くなったりと、行けない人が色々あったアチクシとしては気になって客席を見たが、予想を下回る入りだったのは残念。行事も多く、誘える人も誘えなかったし、演奏会がブッキングしていたりと、そんな中では沢山の人に聞いて貰えたのは主宰者にとっては想定の範疇だったのかも。、、、いずれにしても集客は大変だ。

そんな中、「扇の的」はチケット売り切れとか。すご~い。流石大勢が出演するものは違うなあ。

 

今週の土曜日はこれ又演奏会の司会が入って居る。なるべく休養して、勤めなければ、、、。

2014年5月 9日 (金)

新しい病院。

病院とは疲れるところだ。朝行って帰るのは夕方ときた。新しく再建なったT病院。ナニもかもが新しく、細心のシステムを組み込んでいるような気がした。たっくさんの患者をさばく為に、細かく受け付けなどを分業化している。開放的なロビーは広々とかって良く作ってあり、大変便利。1階にあるレストランにはなんとなく入る気がしなかったが、、、、。

長々と検査をして貰って結果は郵送で主治医のところへ、となったがこうなったら、矢でも鉄砲でも持ってこいてなもんだ。物事は成るようにしか成らない。くよくよしてても仕方がない。執行猶予付きになったがドクターの所見は主治医とほぼ同じ。真っ白ではないが黒とも言い難い、というもの。はてさて真実や如何に~~~。

やたら眠たい。

2014年5月 5日 (月)

ブログの効用。

このしょうもないブログのようなものを、色んな人が覗いていてくれるらしいことを今日も教えてもらった。その人は入院中で、日々退屈を持て余し、退屈しのぎにここを覗いているようだ。いやあ、そんな効用があったとは。ねえ~。

確かに全く知らない人の文章よりも、顔を思い浮かべながら想像を膨らませる方が数段面白いだろう。へえ、あの人こんなこと考えてるの!?とか、美味しい物食べるのが好きな結果の体型だったのか、とか思いながらだとさぞや愉快だろう。ま、公開型の日記とはそれは最初からの織り込み済みのお約束事。

考えてみると不思議なことだ。特定の人にあてて書くわけでもなく、誰かの反応を気にしているわけでもない。読まれても読まれなくても良い、というスタンスで好きなことを書いているだけだが、自分としては自分のためであったり(生活の反芻から思考が深まる)、時々はちぇちの団体の為であったりもする(このページの更新が、実はネット上で検索に掛かりやすいことに繋がる)。

がしかし、何事にも限界がアル。本当に100%表現できているかと言われれば、答えはNOだ。でもそれは例えば短歌や俳句、詩、やエッセイなどに於いても100%赤裸々は無いと思う。いや、近頃の若者は違うのかも知れないが、、、。いずれにしても、例えそれが自分の一部であったとしても自分であることには変わりない。。。。ただ実際どれほどの人に読まれているかなんてこと、考えた途端ナニも書けなくなってしまうだろう。知らぬが仏。

 

さて、今日は最近歌を始めたばかりの男性の練習に付き合って、ついつい興が乗り過ぎて3時間以上もピアニストのお宅にお邪魔してしまった。こうして付き合って下さるM様には頭が下がる。殆ど毎回焼いて下さるケーキにもありつき、雨上がりの美しいお庭の花を眺めながら退散したが、全くホントにお疲れ様だ。こういう応援があることがアマチュアの我々の支えになっている。有り難いことだ。すこ~し音楽的になってきた彼の歌声が、ホントの歌になるまで気長にお付きあいして頂けると嬉しいが、、、。

歌とは不可解な物だ。音符があって、歌詞があって、それに正しく声を乗せてもそれはある意味歌ではないともいえる。、、、この遠い行程を彼は踏み出したばかりだ。

FBの情報に惹かれて。

本日も晴天なり~~てことで、珍しく吾が夫婦二人とも予定無し。完全に無いという訳でもないが、ま、横にのけておけることだったので、お互い歩み寄って一緒に出かけることとした。

コースはまず徳島のおそば屋さん。そこから山を越えて温泉へ。そして塩江美術館に廻ってから帰宅、というものだったが、なかなか良かった。行く前からのお約束。「助手席で眠らない。」を守るのは大変だったが、さりとて運転させても貰えないのだ。ま、たまには景色を見ながらも良いかと夫の不思議な運転に身を任せることに。ナニが不思議か。やたらブレーキが多い。気分次第でスロースロースロー。慎重なのかなんなのか。といってもあちらさんはこっちの運転で行くのは嫌らしい。お互いさまか。

おそば屋さんは大入り満員の盛況で、携帯電話を告げておき、呼び出しがあるまでその辺で遊べというもの。結局4㎞ほど離れた道の駅で時間つぶし。ようやく呼ばれてありつけたが、おそばにそれほど執着のないアチクシは、そばがきまんじゅうの入ったぜんざいが非常に美味で、それだけで来た甲斐があったと思う。リピートありだねえ。

実は山越えにこだわったというのも、先日夫が偶然見つけて採ってきた山野草、友人が教えてくれたが雪餅草というものを、再びゲットしたいが為。道の駅にもあるにはあったがしょぼいのばかりで、こないだのような立派なものがほしかったのだ。しかし、いけどもいけどもありそうにない。諦めかけたところに花は付いてないが、茎と葉っぱはあれだと思い当たるものを発見。一本ゲット。家に帰って植えていたが、はてさて育つかどうか、、、。

で、おそば屋さんで待ち時間にFBを覗いていて、塩江美術館で今面白いものを遣っているとの情報をゲット。チラリと夫に告げると行って見ようということになり温泉からの帰りに立ち寄ってみる。二人ともシニア無料で申し訳ないなあ~、と言いながら。

行って見ると意外に車が多い。まあ連休だからねえ。ここではちぇちもよくコンサートをさせて頂いた。なんとも懐かしい場所だった。

常設展示を覗いてから、本命の扉を開けて驚いた。今まで見たこともないような、彫刻のような胸像が並んでいる。一体一体がもの凄い存在感。リアリティで迫ってくる。女性の像には思わず愛おしみたい衝動に駆られる。夫は顔見知りの職員と話し込んでいるので、一人ゆっくり見て回り、ある胸像の前でしばらく眺めていたら声をかけられる。この人が作家で私が今見ていたのは彼の父上のものらしい。ず~っと離れて暮らしていて、父上が亡くなられる直前に看病されたようだ。初めて親子の濃密な時間を過ごしました、とおっしゃる。全て陶芸、焼き物だとわかり改めて面白い作品だと思った。その上わが息子と同年代のこの若者は以前仏師になりたかったという話を聞いて、なんだかナットク。醸し出す作品の空気感が非常に透明で、これはナニ?と思わせたから。

二人の会話の中に若い客の一人が加わってきて、「焼き上がりが思ってたのと違うということは無いですか?」と問われ、その人の質問の趣旨は、がっかりすることはないか?というものだったが、どうやらそれは無いらしい。「自分が思ったもの以上の物が加わっていると思います。」という返事を聞いていて、その実力と、人間の限界を知る人の言葉だと感じ入った。見た目は若者だが、中身は老成しているなあ。

やがて話に加わってきた夫ともども話題が出身地のこととなり、彼が東北で震災に遭い、いろんな過程を経て結果的に讃岐に住むこととなったことが分かる。いやあ、大歓迎だ。こういう人が近くに住んでくれるなんて、有り難いようなもんだ。又お会いしてお話を聞かせて頂く約束をして別れたが、笑顔の向こうに相当な人生の苦難を越えてきた人の何とも言えない色が見えた。新しいスタートに拍手を送りたい。

 

FBの情報とは、凄いもんだ。勿論、その発信源を信頼すればの話しだが。

2014年5月 2日 (金)

晴天は人を動かす。

連休が始まったようだ。余り関係ない感じだが。こう晴天が続くと、普段やらないこともやりたくなるのは、誰しも同じようだ。

久しぶりに親戚のYさんがヘアーメイクのためやって来たため、終えてからお昼をたまたま居た夫と連れだって近くのうどん屋へ。これが何故か余り美味しくない。人の数も何時もほど多くない。連休のせい?ここのファンの夫は不満そうに、どっかで美味しいコーヒーを飲もうと言い出す。口直しのつもり。冗談で、カップルで行けるような小じゃれたお店を知らないかと聞くので、う~~~んとしばらく考えて、おっ、そういえば長く行ってないが良い感じのお店が遠くないところにあると思いだし、即決で連れて行く。道中話しているうちに、NYのK画伯のでっかい絵が掛かっていたのを思い出し、まるで連想ゲームのようにそれなら画伯の親戚のお家の近くじゃないかと分かってくる。

ところが着いてみるとお店は確かにオープンしているが、呼べども答えが無く、しばらくあちこち人探し。これが田舎の良いとこだが、余りに不用心。確かに幹線道路ではないが、一応車が対向できる幅の生活道路の側だ。外は花だらけで、値札が付いているのも沢山あるので、花屋さんと兼ねているんだろうに、いやはやいやはや、、、。裏手に回ってみると外観の良く似た建物がもう一つあって、そこから人が出てきてようやく状況が分かる。時々現れる関東在住のオーナー(矢張り画伯の甥に当たる人だと判明)がたまたま来ていたため、従業員とランチ中だったというわけ。勿論会議的なものだったようだが、、、、。

実は、アチクシのみここには何回か来ている。が、ランチが予約で一杯だったり、定休日だったりで、まともに何か飲食したのは確か2,3回のはず。今日はなんでも特別なイベントの日で、そのお陰でランチはしてないためこのティールームの客はゼロ。思いがけずゆったりとお茶にありついた。恐らくは納屋を改装したのだろう、昔風の梁がそのままむき出しで使われている内装は夫の言う、「小じゃれた」感じが出ている。それもその筈、そのオーナーは画伯に相談し、わざわざ愛媛の現代建築専門家を招き、高松の女性デザイナーにも依頼して、趣味のお店を作ったというのだ。おしゃれでないわけがない。、、が、この地理的条件では知る人ぞ知るか。ま、もうけ主義ではないようだから、それで良いんだろう。

二階へと案内されて折から入ってくる風を感じながらのティータイムは、殊の外夫のお気に入りとなった。結局お勘定が済んでからひとしきり外で植物の購入をして、3人とも大満足で帰宅。Yさんも良かったを連発して帰って行った。

 

 

そのアトはチョーチョー忙しく過ごす。気がかりだった裏の二階の客用布団類の始末をし、一部はクリーニング店に持ち込む。洗濯物も衣替えで出たもの中心にたっぷり。それが乾く間にといつもの薬をもらいに病院へ。忘れずに夫の為にお刺身も買う。そして夕餉の支度だ。ちょいと野菜が溜まってきたのでサラダ一杯と新野菜の煮物が本日のメインディッシュ。今日はYさんがたけのこを持って来てくれたしねえ~。あく抜きはしたけど、沢山は食べられないなあ。,,,明日はパーティがあるから、夕飯は何とかしてね、と夫に宣告したからこのタケノコは明朝やってくるあの人にあげてしまおう。,,,明日はこれ又忙しい。朝は仕事、午後はバレエの公演、そのアトは丸亀だ。一日一つを原則にと思っても、結局はこうなる。

出来ることを感謝すべきだろうなあ~。

2014年5月 1日 (木)

今時の4歳と今時の94歳。そして今時の70歳前後。

便りの無いのは元気な証拠、と思っていた矢先お嬢から電話。品物を送ったと言うついでに最近幼稚園に通っているお坊ちゃまの様子を話してくれる。このところで一番受けたのは、「お母さん、髪が伸びたから切らないとね~、暑いから。」と何気なく言うと側に居た息子が、「お母さんねえ、その前に顔をなんとかしなきゃあねえ~」と言ったそうな。唖然とするやらおかしいやら、早速婿どのにも報告して大いに笑い合ったそうな。ま、平和なことで。他にも、お嬢が炊きたてのご飯が余りに美味しいので、お代わりしていると、「だからダメなんだよねえ。お米の食べ過ぎなんだよお。」と太ってきた母親をたしなめるとか、イヤハヤ全く。先が思いやられる。自分の頭上を飛び交う言葉を取り込んでは消化吸収し、自分の言葉としてタイミング良く言葉を発するのは情報化社会の現代っ子ならではか。参った。

 

今日はお昼を母とランチして、そのアト我が家で洗髪。思い立って久しぶりに映画に行こうか、となる。「相棒」はテレビでいつも見ている母のお気に入りだ。ま、こんなもんでしょ。てな映画で、私一人なら見ても見なくても良い映画だなあ~。今は観たい映画がどこにもない。母が喜んでくれれば、というそれだけだ。しかしやっぱり入場料が上がっていたなあ。シルバー二人、2000円が2200円だ。ま、それでも若者一人分より少し高いくらいだから有り難い。

内のお店も、来店客から、「こちらは値上げしてないんですか?」とよく聞かれるが、ディーラーは全て値上げしているので、本当は上げたいところだが、しばらく現状のままでと思っている。そう告げると大体の人が、「なにもかも上がってねえ~」と愚痴を言われる。最後は、「これからどうなるんでしょうかねえ?」と言いあいながら送り出すことになる。,,,世の中の矛盾は至る所で起きているからねえ。全く。

 

母を送り届けてから病院へいつもの薬をもらいに行くと、今日に限って午後休診だったようだ。がっかりついでに無農薬の食料品店に車を回す。珍しく鯵の塩焼きが食べたくなって、それとアサリの大粒を少し、夫だけにお刺身、大量の野菜などを購入して帰り、特急で夕食の準備。丁度良いタイミングで夫のご帰還。こういうメニューだと、やたら大声で感激を口にする夫。歳だなあ~。

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