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2014年4月

2014年4月30日 (水)

お葬式。

昨日のお通夜に続き今日はお葬式に参列した。驚いたことに昨日よりもかなり多い参列者の数。延々と続くお焼香の列を見ながら昨日と又違う顔ぶれが多いことに尚驚く。故人が如何に交際が広い人だったかが伺われた。人は死後に初めてその価値が分かるとかいうが、こういう事もその一つだろう。その多くの人々の気持ちに背中を押された感じで、奥様は頑張ってご挨拶をされていた。その言葉で初めて詳しい経緯が分かったが、ヴァイオリンの演奏会で倒れ、救急車で運ばれてから50日間目覚めることなく逝かれたようだ。意識があった最後がヴァイオリンの音色を聞きながらだったことが、私的にはせめてもの救いだと思った。しかし、ということは、我が家まで奥様の車で送ってもらった1月後にはもうICUだったんだ!

ある声楽家の先生が亡くなられたのも演奏会場でだったことを思い出す。あるんだなあ~、こんなこと。

 

専門学校でパティシェに憧れ指導してもらっていたという学生が生徒代表として弔辞を読んだが、これには参列者の殆どが涙したと思う。後進の指導に如何に力を注いでいたかということが分かる。多くの人に愛されていたんだなあ~。あの、ちょっとはにかんだように笑う笑顔が思い出される。

お見送りの段になって、下のロビーに出たが、あまりに大勢で階段が一杯のため、先に下りた人々が前の方にとどんどん詰め合わせるという作業が必要だった。そんな中、同窓生のK君ご夫妻と一緒になり、彼が言うには、「ここに来ている人は義理で来ている人が少ないようだなあ。。。」確かに人々の表情を見ているとみんな故人を悼む気持ちが出ているように思った。音楽関係者の姿が見え、お声をかけると長いお付きあいだという。そうなんだなあ。こうして、みんな別の顔を別の場所で見せながら、人は多面的に生きて居るんだと思ったなあ。

 

喪服を着たままどうかと思ったが、すぐ近くにやっぱり同窓生のA君が勧めてくれたおそばやさんに行って見る。「うんちく聞く羽目になるかも、、、」と言われていたがそんなことはなく、小さな構えながらおしゃれな楽しげな雰囲気のお店でざるそば一杯。彼が言ったとおりなかなか美味しい。全く知らなかったが、こんな所にねえ~。箸袋をもらってきて、早速夫に見せる。こちらも今日はわざわざ徳島まで一人でおそばを食べに行った程のおそば好き。近々行って見るらしい。夜の散歩がてらやってきたやっぱりおそば好きの弟夫婦の話ではおそばは高血圧に良いらしい。なるほどねえ。

そういうことで結局夕飯後に4人でお茶しながらゲラゲラゲラと久しぶりに笑った。勿論んそうぎの模様なんかも話したが、そのお陰でそれぞれのお葬式について話すことと成った訳だ。そう遠いことではないとの思いもあり、まあ、笑うしかないというのが本音だ。夫はメコン川に遺骨を散骨してくれと言う。それならアチクシはイタリアのカプリ島の頂上、断崖絶壁から海に向かってお願いしたいなあ~って、言わなかったがそう思った。話題はどっちが先かという方向に流れていたから、、、。

二人が帰るのに夫は付いていき一緒に歩いてくると言い、こっちまで誘われたが、勘弁してもらう。何だかとっても疲れている。これ以上は無理と踏んでのこと。

 

一日が、終わったなあ~。

2014年4月28日 (月)

お通夜。

又大切な人が亡くなった。個人的にも、吾が団体にとっても長い長いお付きあいだった。彼はパテシェ。お互いに目標を持って、夢を実現させるためガンバロウと、若い頃よく話したものだ。その頃は珍しい進取の気性に富む人だった。常に新しいことにチャレンジし、しかし味の追求も忘れないというバランス感覚の良さ。何かの時に贈り物にしても安心して購入できるためよく利用させてもらっていた。65歳。無念だったのではないか。高校の異世代同窓会に参加した我々は昔を懐かしみ乾杯を重ね酔っぱらい、帰りは奥様に送ってもらったのは今年2月初め。記憶がまだ新しいではないか。あれからたった3ヶ月でホントのお別れになるとは、、、。あの日、余りに昔の話をする彼に、「お互い年取ったのねえ」と冷やかしたのを覚えている。

今夜のお通夜は、参列者の気持ちのままに俄に降り出した雨の中執り行われた。部屋は一杯の弔問客で溢れかえり椅子が追加されても足りず立ったままの人も。お焼香の列が延々と続き一々頭を下げる彼の母上の白いお顔が気になった。出口で声をおかけしたが、その茫然としたご様子に胸を打たれた。息子に先立たれるというのは、どんなお気持ちだろう。。。

中には意外な人の姿も見え、個人的にどういうお付きあいだったかと尋ね合ったり、、、。最後に奥様が御礼のご挨拶をされたが、予想外のお客様に感動されて何度も何度も感謝の言葉を涙ながらに話される中、「彼は私の誇りです。」と言われたのが印象的だった。

少々迷ったがお別れに拝顔させてもらった。まるで息をしているような寝顔に、「有り難う」と声をかけさせてもらった。弱り切った彼を知らずに終わったのは良かったのかもしれないなあ。

 

昔、ちぇちの公演時に、大きなエクレアを作ってくれたは良いが、エレベーターに乗せるのが大変で、苦心惨憺したことが、昨日のことのように思い出される。、、、楽しい人だった。

2014年4月27日 (日)

健康で歌い続けたい。

Cantiamoの練習で綾川まで行ってきた。H先生のご自宅はホントに素晴らしい立地条件。病気になったらこういうところで静養したいです~、と思わず奥様に言ってしまったが、これホントのこと。しかし、肝心のこの屋の主は体調が優れず、チューリップが咲き乱れるお庭を充分観賞する元気もないようだった。私よりお若いはずだから、元気を出して頂きたいものだ。いずれにしてもみんなと歌っているのは嬉しいことではあるようで、いつもお誘い下さるが、、、、。こういうアチクシだっていつダウンするか分かったもんじゃない。歌える内に歌おう、という思いだけで出かけている。

で、今年は地域の婦人会のお役が回ってきて大変らしい奥様から、今度あるという老人会の話しになってお聞きすればナント!80歳以上の方が200人もいらっしゃるという。ホントは65歳以上としたいところが、余りに多すぎて80歳以上としたらしいが、それでもこれだ。わ~お。で、なんとか100名に絞ってイベントをやるらしい。凄いことだ。

同席したTさんが沖縄の長寿村の話題を出して、なんでも日本一だったその村がガタッと平均年齢を落としてしまって、どうやらその理由が食事にあるらしいとニュースで言われていたと、、、。だから恐らくはこれからの日本人はそこまで長生きではないのではないか?という結論に。他の地域の人も今にそうなるに違いない、と。みんな自分たちの食生活を思い浮かべてのことだ。フフフ。まあ、確かに。長生きできるような体型ではないはな~わたしたち。

Tさんに少々アドバイスもし、2時間ほどお邪魔して失礼したが、Tさんは磨かれざる素晴らしい声の持主。このまま飽きずに訓練し続けてくれればなあ~、とつくづく思った。

 

帰りは折角綾川まで行ったのだから、しかも吾が夫は今夜飲み会で夕食が要らないとくれば、なんか面白い映画でも観て帰ろう、とイオンに寄ってみた。が、子供向けのものばかり。後は日本映画で母を連れてきた方が喜ばれそうだと、一人で見るのは諦めた。そして、運動がてらテクテクテクと館内を2時間近く歩きに歩いた。勿論自分の手抜きの夕食を買うのも忘れない。夏休みは、きっと孫たちを連れてくるんだろうなあ~と思いながら。

流石に疲れた。只今ワインのほろ酔い機嫌。ワインが美味しい季節になったなあ~。、、、って、美味しくない季節って、あったっけ?

つぼ。

本日も晴天なり。ということは仕事にも精が出る。,,,予定だった。予定は未定にして、必ずしもそのとおりには行かず、頑張って家事と仕事を3時間ほどしたらぐったり。朝食にパンが無かったため、炭水化物を採ってないからかと、昼食に冷凍かき揚げうどんを食べたところに弟夫婦が土産物を持ってやってくる。しばらくして彼らが帰ったところで母を連れ出しお買い物。途中でものすご~くマッサージに行きたくなったが母を待たせるのもよろしくないと今回は諦める。

諦めた代わりに今日はどうしてもジムに行ってプールで歩くと決めて夕食はノンアルコール。ところがこれ又予定は未定にして、、、今度は激しい睡魔に襲われて仮眠。お嬢から荷物が着いたとの電話がなければ深夜まで寝たかも知れない。まあ兎にも角にも8時には目覚めてノロノロと支度してジムに行く。

不思議なことに館内はここ最近は経験が無いほどに空いている。まさかみんなどっかに旅行とか?こちらとしては空いてる方が有り難いようなもんだが、ご時世かなあ~。

少しの運動と大きなお風呂で身体がメチャクチャ熱くなり、持っていた半袖のTシャツを着て外に。窓を全開にして走ると風が涼しく、いよいよ夏の到来かとラジオをつける。丁度FMラジオドラマが始まり、聞いてる内に家に着いてしまったが、どうしても最後まで聞きたくなって家の前に車を停めたマンマ30分ほども聞いただろうか。家の中でラジオを聞くには少々面倒なことになるため、そんなことになってしまったが、途中で徐々に寒くなり、終わる頃にはかなりガマンの世界。

ナニがそんなに面白かったか。「もう一度あなたと」という甘ったるいタイトルとは違って、別れた夫がアルツハイマーになり、娘の結婚を機に再会と彼が施設に入るため再びの別れを通して、長く封印していた感情が戻ってくるというお話し。最終的には二人でもう一度暮らそうということで終わったが、、、。話の筋が先が読めるようで読めない展開だったり、登場人物は端役に至るまで現れ方がステキだったり、久々に心が動いたラジオドラマだった。これは「つぼ」だなあ。話のツボにはまることで、思いがけない感動を受ける。そのツボが深くて味があればあるほど、作品が面白くなる。ここぞという所に、こうした憎い仕掛けがあると、観衆は嬉しくなってくるものだ。

こっちは、マッサージでツボを押してもらいたかった今日だけどねえ~~。暖かい焼酎の湯割りでパソコンだ。

2014年4月26日 (土)

良い湯だな、ハハハン♪

今夜遅く帰宅すると言う弟の電話で、急遽母親と新しく開店したお店で夕飯+仏生山温泉に。結構美味しくて満足。温泉は勿論ヌメヌメのツベツベで、大満足。但し、食後スグは入れないという母の為にテレビをしばらく見てからとなり、思いがけず休憩所に居座る。するとどうも湯あたりしたらしい若い人が寝かされたり、施療院でもめ事の電話をするのが延々と聞こえたりと、結構面白い風物詩が展開される。時間に拘束されないと人間は外の雑音を聞くようになるのかなあ。そんなこんなで、結局入場してから3時間半もいたことになる。、、、今日は母がディサービスの日で、疲れているだろうと思ったが、終始機嫌良く付き合っていたのは嬉しい。一時は引きこもってどうなるかと心配したが、元気になってくれて良かった。

 

超過密スケジュールをこなした夫が帰る深夜まで、ぼ~っとテレビを見ていると、原発の廃炉に関する特集番組がかかっていた。アル大学の教授が、「まだ福島はあるんだということを、国民は忘れてはいけない。」とのたもうておられたが、忘れて、次なる原発の再開に熱心な政治家達にこそ、言って欲しいと思ったなあ~。そこに使うエネルギーを、何故、廃炉に向けられないのか。チェルノブイリの例が紹介されていたが、作業員に手厚い健康管理や、住居の提供、高額な給料などで、国の経済が傾くのではないかと懸念され始めているようだ。そこまで大変な廃炉というものに全力を投入すべきではないのか。やがては国が疲弊してしまいかねないことを、どう考えているんだろうか。不思議でしょうがないと思うのは私だけ?

2014年4月24日 (木)

老化現象。

一日に出来ることが段々少なくなって来ているのを感じてしまう今日この頃。ここ2,3日の多忙で遂に声が出なくなってきた。冷蔵庫を開こうとしていた背中を見た夫が、背中が曲がってるんじゃないか?と指摘する。多分そうだろうとの自覚がある。疲れ過ぎたときなど、どうも姿勢が悪いと感じる事が多々あるからだ。、、こうして人は歳を取って老人へと移行していくんだろうなあ~。ま、しゃあない。自然の摂理には逆らえない。

自分も捨てられない世代だと思っているが、吾が母親もそれに輪をかけている。昨日一人で永年しまってある母の押し入れの布団を整理しようと張り切った結果、山のように捨てるべき布団を引っ張り出して部屋に積み上げた。長い時間をかけて説得して、ようやくそこまでやったにも関わらず、翌日の今日実家に行って見ると全く元の木阿弥。殆どのものが元の場所に戻っている。あれほど話し合ってナットクしたと思ったにもかかわらず、その会話自体を忘れている。その場ですぐに処理すれば良かったのだが、力仕事でもあるし疲れ切っていたため、旅行中の弟が帰ってくるまでそのままにしておくつもりだったのが甘かった。つい声高に母を責めると、「想い出が、、、。」とか、「苦労して高いものを誂えたんだから、、、。」とか、捨てられない世代だと協調するばかり。ああ、あの労働は何だったのか!?と思いはしたが、仕方ない。うどん屋さんに連れ出して美味しいうどんを食べた頃にはこちらもあきらめが付いたし、あちらも、少し悪いことをしたと反省している様子が見える。、、、これが認知症のせいだからと諦められるのも親子だからだなあ~。やれやれ、これから先どうなっていくんだろうと思うと暗澹とする。

夫の帰りは遅いと踏んで、昨日頂いたマンバとお豆腐を炊いて、鯵のフライや同じく頂いた新鮮お野菜でサラダを作り、黒豆味噌でこくのある味噌汁を作りヘルシーな夕食を我が家で母と二人で楽しく食べ、実家に送って行く。さあこれから映画でも見て、帰りにジムに行って少し体調を整えようかと上映時間ギリギリでチケット売り場に並んだ途端、夫からメールが入る。「帰宅してます。夕飯よろしく。」とある。ぎえええ~~っ。今日は高知に行くから帰りは夜中で、夕飯は食べて帰る、と言われたと、と、と、、。慌てて電話すると、完全な勘違いで、それは明日の事だった!それでもナントか余り物で食べてもらおうとしたが、叔母からの電話で新鮮なタケノコをもらったから取りに来るようにと言われたと言う。ムムム。仕方がない。年寄りをがっかりさせてはいけない。言われたとおり、お刺身を買って、叔母の家に立ち寄り、夕餉の膳を整えて出したところで、さっきまでのアクティブな気持ちはどっかに行ってしまった。時間的にはそれから出かけても良かったにもかかわらず、だ。やれやれ。こういうことはタイミングというか、気分の問題なんだ。

今日の勘違いを、母親に近づいて来た証拠だと夫がからかうが、いやまったく、返す言葉がない。

 

人間には肉体的な老いだけではない、心の老いもある。柔軟性が無くなり、頑固になり、なかなか色んな事が受け入れにくくなる。老いるということは、沢山人生勉強をして、賢くなっているかと思うが、そうは問屋が卸さない。経験が垢になって、正常な思考力を錆付かせてしまう。若者から見たら、不思議だったり、迷惑だったり、腹立たしい事だろうと思う。

しかし、そういう人も一緒に暮らすのが人間社会だ。イラッと来ても、その感情を長引かせないで欲しい、と思う。和田アキ子のあれ、「笑って~ゆるして~、、、」だねえ。

2014年4月22日 (火)

今日も寒かった。

寒い寒いと首をすくめながら、とある団体のマネージャーと我が家の表で思いがけず立ち話30分ほどもしてしまった。というのも、矢張り団体の運営についての悩みはいずこも同じと共感したからだが、吾が団体とは違って、若者を対象にしている為、又ちょっと違う悩みがあるようだ。このご時世が若者の思考回路を大きく変えてしまっていて、昔の常識が常識ではなくなっていること。発想の意外さに唖然とすることもしばしばだとか。私と彼女とは年齢が一回りも違うが、それでもそういうジェネレーションギャップはかなり感じているらしい。

これは一体どういうことだろう。矢張り教育とか社会情勢の変化、家庭というものの形態の変化、、、etc,etc,etc,,,.人間の生き様が変わってしまいつつあるのか。

良い方向に変化するのは、人間が進化してるとも言える訳で、歓迎すべきことだが、そうでないことが問題だ。

良いのか悪いのか、吾が団体は、それほど若い人が居ない。従って、年齢差はあるものの、お互いに歩み寄ってなんとかかんとか同じ目標に向かって歩調を合わせることが出来ている。と思う。がどうだろう。

価値観の相違はある意味仕方がない。それは家族においても生じる現象だ。「個」として自立するということは、自分なりの価値観を持って生きることでもある。でも、他の人にも別の価値観があるということを認めず、自分を主張することのみでは、そりゃあ、何事もまとまらない。丁度今の国際情勢みたいなものか。

 

先日レンタルビデオを多忙の合間にチョイと見てみたら、「ダイアナ」という作品が意外と面白かった。どこまで事実なのかは分からないが、あのダイアナを描いていて、分かり易い内容に仕上げていた。

あの夫婦の離婚に纏わる騒動は、一般ピープルの多くが意外な結末と驚いたものだが、よく考えると、チャールズ皇太子と彼女は、恋愛感情のもつれもあるが、それぞれがそれぞれの立場や思想を理解し、認め合うことが出来なかったのもアルかも知れないと、映画を見て漠然と思った。となると、どちらに非があるとは言い難いものがあるなあ~。

そうなんだよねえ~。善人同士が結婚しても、外からはどちらかが悪人に見えてしまうことがままあるもの。でも、おそらくは多くのカップルが真面目に間違えてしまうんだろうなあ~。ダイアナに大いに同情はするが、チャールズが悪い人とは思えない。好き嫌いはアルにしても、だ。

2014年4月20日 (日)

ナニ?この寒さ!

冬に逆戻りしちゃったみたいな寒さに、今日一日身体が縮こまった。ちょいと薄着だったせいもあって、参った参った。

でも、実はそれを忘れるほどにバタバタしていた一日でもあった。

 

まずはお昼は朗読グループDの皆さんによる「ちょこっと寄席」。これが2回目とはとても思えないほどに笑わせてくれる。チャンとした指導者に付いているらしいが、それにしても皆さん凄い度胸だ。そもそも「笑い」ほど難しいものは無い。自分がおかしいと思っていないと自然な笑いを得ることは出来ないし、かといって自分だけがおかしくても他人はしらけるモノだ。笑わせようと緊張して顔が引きつることは良くあることだが、それが殆ど無く、かなりの練習量だと思った。「面白くないと思っても笑って下さい」と最初に言われたが、そんな必要は全く無く、最初から最後まで大いに笑った。中には「足芸」を遣る人も居て、これは玄人はだしでみんなビックリ。Yさんと二人で3時の終演まで十二分に楽しませてもらった。

そこから友人の絵の展覧会にひとっ走り。4時の閉場の10分前に飛び込んだ。「芳名録」の一番最後にサインしたところに当のご本人が撤収にやって来て、まあ、作者の製作意図が聞けて良かった。私的には短歌じゃないが、引き算の絵に引かれたなあ。見る者に制限を感じさせない絵が好きだなあ。抽象でアレ、具象でアレ。

 

今宵の夕食はお互い好きにしようと約束してあったので、Yタウンまで車を回して独り食堂。寒くて寒くて、結局おかゆを食べたことだ。

でもって、丁度良い時間になって、今度はプロの落語。こちらも笑いに笑って、今日一日で3ヶ月分くらいは笑ったなあ~。こんな良い会だのに空席が目立つのはもったいないと感じたが、矢張りなんの公演でも集客は難しいご時世なんだろう。

柳家さんK師匠が二席。前半は爆笑に次ぐ爆笑。二部はしんみり、、、が、そこまでの疲れがどっと出て、どうやら途中爆睡したらしい。周辺からすすり泣きの声が聞こえてきて目がさめたが、何の事やらさっぱり分からない。いやあ~、参った。

なんの観賞でも、元気でないとねえ~。

 

しかし、このアマチュアとプロの違いについて考えさせられたなあ。一体ナニが違うのか。同じ「笑い」だけれど、前者と違い、後者はみんな「芸」の域に達していて、話に奥行きがあり、テクニックも確かに長けている。登場人物一つとっても、一人の噺家が何人もの役を演じる際、完全にその人数分の個性が出ているのは、流石プロだと思った。そして、笑いのツボ。観客の気持ちの流れに素晴らしいタイミングでさおを挿す。その意外性に観客は思わず笑ってしまうのだ。

しかし、アマチュアならではのゆるやかな、暖かい笑いも捨てがたいものがある。偶然、今日は同じ「道具屋」という演目を両者で聞くこととなったが、いやあ~、どっちも面白かった。

 

日本の話芸。財産だなあ~。

 

昨日はいつも行く携帯会社に出向き、急に使用料が上がった事を調べてもらったが、たまたま担当してくれた女性の能力の高さに舌を巻いた。今まで、何度も色んな人にスマホについて教えてもらったが、こんなに明瞭に親切に対応してもらったことがない。商品知識が完璧で、余分な事を一切言わず、客のニーズにかっちり応えてくれる。説明のわかりやすさといい、ナニもかも凄い!と感心し、そのまま伝えたが、今後も彼女に対応してもらうつもりで名前も覚えて帰ったことだ。ホントに良い人に出会った。

結局、わがスマホは色々と余分な事をしていて、その知識不足で料金が跳ね上がっていたのだ。やっぱりこういうことはプロに任せないとねえ。

2014年4月18日 (金)

眠りは死と同じかも。

夕べ、夜中に布団に入り、大粒になってきた雨音を聞きながら、春の雨を楽しもうとしたが、何かが邪魔をして妄想に次ぐ妄想も湧き眠れないまま結局3時近くになって、突然のメールの音にビックリ、目ぱちくり。とあるお方からのツイッターだったが、おお、この方も起きてるんだと内容を読んだが、これは薄暗い中でさっぱり意味を取るところまで行かない。電気を点けると余計眠れないとそのままにしてようやく眠ったようだった。

朝になってよくよく読んでみると、ある歌人の文章として、「歌は毎回辞世の歌として詠む。」とかかれてあったとの紹介。歌人がご高齢の方らしく覚悟のある生き方だと思ったが、少々若いからといってやり過ごす内容ではない。全く、いつ何が起きるか分からないご時世で、本当はこうして毎日辞世の言葉を思い浮かべつつ生きるのが望ましいだろう。,,とは思っても、じゃあ、一体何を?と考えると簡単にエンディングノートを買おうとかいう気にはならない。

というか、逆に我が人生を結論づけることなく、いきなりの神の鉄槌のように何かが下されてこの命が終わっても、それはそれで良いのかも、という気がしてくる。

何かしら目標を持って真面目に生きていたとして、それが完成途上であったとして、突然の死は、自分の力を越えたところで決められているのであれば、そこまで懸命に生きたというそれだけで充分な気がしてくる。

結局は自己満足か。

 

昨日は昼間お天気だったこともあり、母を連れ出してドライブだ。「おうどんでも食べに行く?」と電話してから、そうか、外で食べようと計画変更。冷凍室のご飯を出して、冷蔵庫にあり合わせのものを詰め、前夜の残り物のゴボウと牛肉の煮物をたっぷりと、野菜ジュースにノンアルコールビールをバッグに詰めてあっという間にお弁当の完成。車に乗せてから行き先を決めるというアバウトさ。結局海が見たいとなって、大串半島までひとっ走り。殆ど貸し切り状態の素晴らしい景観を前に、海に浮かんで霞む島々を眺めながらのお弁当は、粗末ながらも高級レストランなみに大満足。母もしっかり食べて美味しいを連発。いや~、これに限るなあ~。、、、、時々はこういうこともねえ。

2014年4月17日 (木)

FBの動画にうるうる。昨日今日。

昨夜、何気なくFBを見ていたら、短歌仲間で陶芸家のNさんがFBに動画をシェアしていたので見てみた。場所は、路上というか広場というか、普通に人が行き交う所。一人の少女が一枚のコインを木戸銭として大道芸人(男性ヴァイオリニスト)の前に投げ入れたら、それに答える形でその人がおもむろに楽器を肩に弾き始める。その気配で、どっかに休憩?していた女性チェロリストが現れ弾き始める。するとそれを聞きつけた他の音楽家達が一人二人とその仲間になって行き、やがてそれはオーケストラへと膨れあがる。その有様を見ていた観客がこれ又三々五々と集まってきて、これ又大きな観衆の輪が出来る。やがてそれに合唱団とおぼしき人々が加わり、一斉に歌い始める。この国では誰もが知っているらしい、あのベートーベンの「第九」歓喜の歌である。

何にうるうるかというに、その少女の驚く表情と、行きずりの人々が思わず立ち止まって聴き入る表情。小さな子供達やお年寄りの姿も。みんな思いがけないプレゼントをもらったという静かだが熱い幸せな思いがその表情に出ている。そして演奏家達。何とも言えない素敵な笑顔で演奏している。飛び入りの指揮者さえも!そしてそして、臨時合唱団の人々。観客さえもしっかり歌っている。おそらくは音楽の原点とも言えるこの光景。涙が自然に流れた。、、、ああ、良い物を見せてもらった、と思ったら、今日はこれ又なんと表現したらいいのか!余りにパソコンの前でゲラゲラ笑い、時にはきゃ~っとまで絶叫する私に、母親が近寄ってきた。一体何事?と怪訝な様子に、再度最初から見てもらうことに。

その動画は、あのアマチュアコンクールの一幕。数々のアマチュア音楽家を生み出しているイギリスの有名なコンクールだ。あの番組は歌だけかと思っていたが、今日のそれはダンスだった!それも実年齢は定かではないが、恐らくは80歳前後?の女性と若い男性のコンビ。その女性はナント黒のTバックの下着でぴらぴらの金ぴかの短いワンピ。高いハイヒールを履いている。もの凄い皺だらけのお顔にはキチンとお化粧も施され、最初にその姿を見たときは、審査員と同じ気持ち。「いやいや、見たくない!」明らかに審査員達は「勘弁してくれ」の表情。ところが、音楽が流れると信じられない光景が繰り広げられた。曲はタンゴ。従って、男性のリードで股の下をくぐるなんざあ当たり前。肩に担がれようと、腕を引っ張られて遠心力で彼の回りをグルグル回されようとものともせず、ちゃ~んとリズムに乗って、決めるところは決める。これが若い女性であっても、ここまで踊れる人はなかなか居ないのでは?と思わせる巧みさ。あたしゃ、彼女の高いヒールを全く信じられない思いで見ていた。普通に歩くのにも今や履けなくなっているアチクシに比べ、月とすっぽん。いやいや、太陽とモグラくらいの差がある。参った!

勿論会場は騒然。審査員達も私同様思わず声を上げて立ち上がる人も。声は反映されてないが、明らかに「オーマイガット!」と叫ぶ若い女性の顔も映る。最後は全員のスタンディングオーベーションで終わったが、、、、イヤハヤイヤハヤ、言葉がない。相方の黒人青年が、彼女に出来るんだから皆さんに出来ますよ!と勿論英語で言ったようだったが、ムムム。無理。

多分自分が女だから、これを見ながら涙が出たんだろう。笑いながら見ていた母も目尻を拭っていたような。夕食後に夫に見せたが、ゲラゲラ笑うだけで終わったもんねえ。(人によるか)

 

いや~~、時にはFB動画も良いもんだ。下手なドラマより面白い。

2014年4月15日 (火)

旅の顛末。

この二日間で、少しばかり残っていた若さが全て吸い取られた、なんてこと言ったら母が怒るだろうなあ~。フフフ。しかし、わずか一泊の旅行がかくも私を疲れさせている。

でも、普通の疲れとは少し違う感じもある。あれほど感謝の言葉を述べられると、疲労感だけではない、何か充実感の様なものもあるのだ。まあしかし、今夜は早く寝よう。夕べ、同室の母が初めて睡眠導入剤を飲んでコトンと眠ったのが心配で、少々寝そびれたため、やや睡眠不足気味だ。

昨日今日と最近では珍しい晴天で、ドライブ日より、旅行日よりではあった。子供のようにはしゃぐお年寄り達をホテルまでお連れしたら、ロビーが満杯でかつて無いほどの大繁盛。このホテルは経営者が変わり、あれこれと至る所に工夫が凝らされていて、お風呂なんか、素晴らしくリフォームされている。

カラオケも歌い、我が母の意外に上手いのに驚いたり、、、、。

お風呂にカラオケに部屋でのお喋りにと、ホテルを充分堪能して、行きは「山越え」帰りは「羽床」とうどん屋巡りも忘れない。その上帰りにまんのう町のいつも近くに来たら寄ってみるケーキやさんに行くも、定休日だった。が、ただでは転ばないのだアチクシは。すぐさまスマホを駆使して案外近くのパン屋さんを見つける。行って見れば、これ又大繁盛。見るからに美味しそうなパンを沢山買って、定休日があるのも悪くない、と大満足。

案外近くでも楽しめるモノだ。

 

いつか、一人でゆ~っくり旅してみたいものだ。

2014年4月13日 (日)

短歌。そしてボランティア。

本日はかなり緊張を強いられる歌会であった。夕方5時までの4時間、非常な集中力を要求されている。いや別に、そう思わないで参加してもそれはそれでなんとか過ごせるのだろうが、矢張り、例え一人二首でも真剣に詠まれた作品を理解し、曲がりなりにも批評しようとすると、テキトーでは済まされない。作者に寄り添い、詠まれた時を想像し、その時の気持ちをどう表現すればもっと伝わりやすいのかを考えるのは、もしや作詠よりも困難な作業かも知れない。この評するという作業を、毎月毎回膨大な数をこなして居られる吾等が師匠はじめ、中央結社の選者の方々には、ホントに頭が下がる。自分には天地が逆さになっても出来ないことだ。大体よく間違うしねえ。「へえ~、そんなことだったの?」「あらあ、そう言う意味?」はまだ良い方で、「さっぱり分からんわ~」も中にはある。イヤハヤ大変だ。

 

今日の作品の中に、母親を施設に預けた時のことを詠んだ人が居て、「悲しい」とも「寂しい」とも「可哀想」とも詠まず、その複雑な心理を見事な表現で詠んでいた人が居て感心した。

やっぱり、芸術的なことは持って生まれたものが大きいなあ~。勿論、磨く必要はあるにしても、だ。

 

さて、明日は三婆+ワンを乗せてレオマまで5人で一泊のツアーだ。昼ご飯は、その近くの美味しいという評判のうどん屋さんを思っているが、そうだ、休日かどうか調べとかないとねえ。お年寄りは食べることで落胆させてはいけないからねえ。

とりあえず、自分が出来る内にやっておきたいボランティアの一つだ。くしくも高知の86歳のOさんから、こちらのことを心配して電話をもらった。この方と会うというプランも、近々実現させねば。あっという間に、その年齢だ。

現実はドラマより奇なり。

このところの「科学物語」には本当に驚かされる。今日はFBに、あのY教授があのOさんを吾が研究員に迎えたい、とのたもうたとの記事が出ている。インタビューに答えての記事だから本当の事だろう。

この1ヶ月の間で、「発明物語」から「事件」へと事が変じ、外野はあれよあれよと見守るばかり。一体どこに真実があるのか、そもそもあのSTAP細胞は実存するのか。理研の内部の相克は、囁かれているように本当にあるのか。彼女は都合の良い人身御供だったのか、、、。

深まる謎に、このY教授の発言は終止符を打つほどの力を感じる。いや~、Y教授はますます格好いいではないか。

先日のNHKの特番で、劇作家に、「教授ご自身は、このips細胞を使って、どのような最後を迎えたいとお考えですか?」とつっこまれて、「細胞が自然にその役目を終えたところで、老衰という形で終えたいです。出来れば事故や病気では死にたくないです。」と笑みを浮かべながら答えていたが、神の領分に自らが手を出すことについては、毎日のように素行錯誤と議論を繰り返していますとも。、、、神の領分は現在も既に侵しているわけで、現代医学の存在そのものがそうした方向を持たざるを得ないのだ。赤髭先生から今日に至るまで、病や怪我と闘うということは、即ちそいうことだ。

日本の童話か何かで、予言者から「アナタは何月何日に死にます。」と予告されて、ありとあらゆる手立てを使い死なない工夫をするというおはなしを思い出すが、あれって、どんな終わり方だっけ?明日誰かに聞いてみよう。、、、って、本日のテーマに関係ないか?「物語」「おとぎ話」の類には色々と示唆に富んだモノが多いからねえ。

2014年4月12日 (土)

書くことが無い。わけでもない。

パソコンに向かうという行為自体が、かくも億劫になるのは、矢張り本調子ではないのだろう。本来の自分は「作文」は嫌いではない。ここに書く程度の事は「短歌」ほど苦手でもない。だから、もっと頻繁にここに座っていてもよさそうなものを、どうもいけない。何かが邪魔をしている感じ。

ある時から、出来るだけストレスを感じないで過ごそうと決心した。自己防衛本能というあれだ。ストレスが起きそうな場面が近づくとサッと身を躱す。この作戦でここ何年か来ている。そうしないと人間遣ってられないほどに追い詰められたからだが、この作戦は功を奏して、ナントかカントカ自分を保っている。簡単に言えば、触らぬ神に祟り無し、変なオーラが近づくと見て見ぬ振りをして我と我が身を保護している。、、、そして、何事も深刻に、必要以上に深刻に受け止めないこととした。物事成るように成る。お正月のおみくじにもあった。「決して自分から何かをしかけるな。」「流れに身を任せて居ればよい。」、,,要するにこれは「受け身の術」だなあ。

しかし、多分これは本来の自分の性格とは違うんだろうなあ~、と感じてはいる。だから、気が進まない道を歩く時のように色んな事が重たいんだろうなあ。

世の中にはポリシーを持って、真っ直ぐに迷い無く生きてる人も居るだろうに、この逡巡する心はやっぱりシェイクスピアのせいかもしれない。「やるべきか、やらざるべきか、それが問題だ。」

やっぱりお遍路さんになって、人間修行を遣った方が良いかな。(その前に、短歌を捻って修行しなさい、とどっかから声が聞こえるような、、、明後日は歌会だもんねえ~)

2014年4月 6日 (日)

頑張れる日。

余りに寒いので、夕べは銭湯に行く。実はジムが土曜日で早じまいというのをすっかり忘れていて、10時過ぎに出かけてしまい、がらがらのパーキングでそれに初めて気付いたというお粗末。結局近くの銭湯へ。この界隈、車で5分圏内に数件の温泉まがいの銭湯がある。ジムのお風呂も悪くはないが、たまにはこうした銭湯も良い。とにかく暖まって、帰って寝たら一度も夜中に起きることなく7時間爆睡。矢張り身体を温めるというのは良いことなんだ。

お陰で朝から気分も良く家事も進み、夕方の練習に向けて一応歌う事も出来た。これは最近ではかなり珍しい。基本的なことをやるべきなんだと改めて思ってみる。

 

こっちの状態が良さそうなのを見て、昼食にラーメンを食べに行こうと夫が誘ってくる。ま、それもいっか。冷蔵庫の中を思い出しながら、OKの返事。ついでに今宵の出かける為の夕食の買い物も、との算段。

道中お嬢から電話で、ジイジイが送った入学祝いの自転車に早速乗って公園だというが、予報通り空模様が怪しくなって来たという。今日は午後からヒョウが降り、突風も吹くらしい。春は不安定だというが不安定すぎるような気が、、、。宇都宮の路上が一気に白くなって行くのが報道されていたが、わ~お。

 

ラーメンはそこそこ美味しいと思ったが、うどんとなら倍の金額に改めてうどんは安いと感じたなあ~。でもこのラーメンやさんは並んで待つほどの盛況ぶり。うどんに飽きた人か、最初からラーメン党かは知らないが、繁盛でケッコウケッコウ。

昨日のニュースで総理がスーパーか百貨店で自分の財布からお金を出して買い物をしているのが報道されたが、思わずポカンとしてしまった。それが消費税アップとどう繋がるの?なんか意味があるの?あなたのお財布と一般ピープルのお財布は中身が違い過ぎるんじゃないの?って、思ってしまった。あのニュースを見て、さあ、私もお買いものに行こうと思った人がいるんだろうか?違和感があるなあ~。

 

さ、今日は真面目にお勉強と行きましょうか。

2014年4月 4日 (金)

お遍路さん。

昨日今日の天候の不安定さに辟易。頭は痛いわ、肩胛骨側の筋はコリコリになるわ、吐き気はするわでホントに参った。最低限のすることをして、あとは横になっているという情けなさ。そうそう眠くもないから、自然とテレビのお世話になる。日頃見ないから全く行き当たりばったりで、今かかっている面白そうなものを漠然と見る。そうした中で今夜夕食後に半分観たNHKの四国遍路についての番組は良かった。

かねてから四国遍路については不思議な感覚を持っていた。その成り立ちやなんかは流石に四国育ちの故に、幼い頃から自然と聞き知ってはいたが、改めて考えさせられた。身近には吾が父親や夫も何度か行っているし、ちぇちのメンバーの中にも若いが最近行ったとフェイスブックに書きこんでいる人もいる。画面の中でも老若男女、実に様々な人々がお遍路さんになっているのが映される。中には人生に行き詰まった人や、家族を亡くした人も多いらしいが、そうでもなくて、スポーツやスタンプラリーのように楽しんでいる人もいるらしい。

これだな。間口が広い。どんな形でも入っていける。全てを制覇して、結局何も得るところが無かったと言う人は案外少ないのかも知れない。今日の番組では、明らかに人生の転機になった人が紹介されていたが、そこまでドラマチックでなくとも、他では味わえない達成感とか、目には見えない心の平安を得た人が多いのだろうと想像する。

1200年続いてきたというから、これほど時代にかかわらず存在価値を持ち続けているものも少ないのではないかと思う。

番組の中で心に残ったお接待についての発言。「人から好意を向けられることに上手く対応出来ない。親切にされるとナントか断ろうと思ってしまうのが現代人。四国遍路のお接待はそういうかたくなな気持ちをいつの間にか溶かしてくれる。自然に本来の人間としての自分になれる。」、、、そうだよねえ。現代人は自分で自分を寂しくしている。

学者さんが言ってた。「四国とは、顔が1つで心が4つある。」4県それぞれに特徴を持ちながら四国というくくりの中でまとまることが出来るというのが弘法大師の願いだったのか。それは四国にとどまらず、日本全体への大師の希望だったのかも。

 

いつかゆっくり廻ってみたいなあ~~と、一応思ったりして、、、。

2014年4月 3日 (木)

備え。

備えは大切だ。とは思うが、長かったなあ~。3年前の経験がある人達は怖かっただろうなあ。長い時間恐怖と闘っていたのだろうと思うと、「解除」の字幕を見たときはホッとした。さしたる影響がなくて幸いだったが、やっぱり長かった。

自然の驚異の前に人間は無力だ。

 

何も今回の地震速報に限らない。日頃から備えは大切。が、どうも行き当たりばったりな生き方をしてしまう。反省反省。

 

今日の雨で桜も様子が変わるだろうなあ。花の命は短くて、、、。

まだ体調が本調子でないため、一応追加の薬を貰いに又病院へ。でも、貰ったのは胃腸薬のみ。余りに長く薬を飲んでいるのをドクターも懸念してくれたのか。おまけに、「これを機会に痩せると良いですよ。こういう時は痩せやすいですから。」との素敵なアドバイス。確かにそうかも知れないとは、漠然と思っていた。何しろこのワタクシが食欲がない。多分夫が居なければドド~っと痩せされるかもしれない。面倒と思いながらもなにやかやと作り、作ったら矢張り食べる。ま、何時もの半分から三分の一ではあるが。、、しかし、同じ病気のお嬢も体重は1キロも落ちてないそうだから、希望薄だ。最後にもう一つ、「胃カメラを飲んでピロリ菌のテストをした方が良いですねえ。」と言ってくれたが、何が苦手って、あの胃カメラほど嫌な物は無い。でも近頃有名なピロリには興味がある。やるしかないのかなあ~。

 

今夜はピンポ~ンと珍しい時間に大きな荷物が来て驚いたが、ニャンとこれが間違い。夫がお嬢の家に送ったつもりが自分ちに送ってしまったというわけ。ネットを使っては失敗している父親に、前科があるためお嬢も全く驚かない。電話で「又~?」で終わり。やれやれ、これって、どう備えたら良いのかなあ~?勿論他人事ではない。自分も含めてだ。

2014年4月 2日 (水)

伝える。

「春なのに~」とつい歌いたくなる陽気の中、相変わらずマスクを付けたまま母を公淵公園に誘い出す。あの一時の引きこもりは何だったのかと思う程、素直に付いてくる。しかし行っては見たが、もの凄い車の量と人出に、結局は車から降りることなくそのまま行ける方向へと裏道を通ってその地域を抜け出た。まあそれでも充分綺麗な桜に遭遇し、「わ~凄い!」を連発することとなった。平日だからと思ったが、色んな施設の車や、春休みの子供連れなど、ひっきりなしに車が入ってくる。,,甘かった。

 

その足で友人宅へと寄り、しばし雑談もしてから帰宅したが、帰った途端ぐったり。マッサージ機に急ぎかかり、しばし安眠。朝はシャンソン教室だったというのもあったが、異常に疲れる。多分これは薬のせいかもしれないなあ。うんざりするくらい長く飲んでいる。

夜はこれ又ちぇちの練習日。本番後は、気が抜けがちだが、ナントかやる気をキープし続ける必要がアル。と思って、頑張って出かけた。自分は食欲が全く無いが、夫には豚の厚切り味噌漬けステーキなど焼いて、温野菜をたっぷり付けて出しておいた。自分も何か入れないと動けないと思い、ご飯だけお漬け物で頂く。でもって急いで準備して出かける。高速料金がどれくらいになってるかと乗ってみると、一区間200円だったのが、330円にもなっていてビックリ。ムムム、これはうっかり使えないなあ~。まあこれでもサンポートの駐車場を考えるとうんと安いんだけどねえ。、、しかし、70%の人が「しばらく出費を控える」という考えだとか。その内慣れてしまうんだろうが、確かにねえ。

 

今日は原語による練習を、演技付きでやってみたが、これは如何にもオペラをやっているという感じでなかなか良かった。ただのエチュードをやるより充実したように思う。指揮を見るという作業の練習も角度を変えて遣ることで上手く行ったように思う。結局何をやるにも「伝える」ということがどれだけ出来るかということに尽きるなあ。

 

伝えることは、実はホントに難しい。

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