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2014年3月

2014年3月31日 (月)

春だから。

又又プリンターの調子が悪く、この機種のホームページを見たところ、4年前に売り出されたこの製品の消耗品が既に発売停止となっている。勿論市場にはまだ出回ってはいるが、大元では販売中止だそうだ。凄いねえ~、この消費時代。IT関連は全てこの調子で作っては廃棄されているようだ。

消耗と言えば、消耗大国で知られるアメリカは、アクション映画を観てもそれがよく分かるが、先日のハワイでの救急病院ではその実態の一端を見た。ドクターといわず看護士といわず、みんなが使い捨ての手袋を神経質なまでに着用。絶対素手では患者に触らないシステムらしい。冷房が効きすぎて寒いというと、ブランケットを貸してはくれるがそれは布製のもの。毛布より清潔ということか。テレビドラマのERだったか、まさにあの雰囲気で、緊張の中に冗談を言い合っては笑い合う独特の空気がある。いきなりあのテレビドラマの世界に挿入されたような感覚だった。しかし、奇妙な感じがしたのは各部屋のカーテン。ハワイ独特なんだろうが、珍しい模様のカーテンが各部屋毎に違う物がかけられていて、そこだけ見たらとても病院とは思わないくらいのもの。いや~、所違えば色々違うもんだなあ。

 

今日はかなり気分が良かったので、母をお花見に連れて行く。お気に入りのおかずやさんで、美味しいお弁当を買って、友人のすすめで郷東川の河川敷に行くと、既に何組もの人々が木の下を陣取ってくつろいでいる。しかし、こっちは少々風が冷たいのを気にして、目の前に拡がる桜を眺めながら車の中でお弁当。8分から9分咲きで花が木にしっかりついている。あと3日もすれば風に舞うかもねえ、と話しながらフト見ると、吾等のスグ側を、デイサービスか老人ホームかの車が止まり、お年寄り達がゾロゾロとお花見に連れてこられている。何に驚いたって、その時間の短さだ。およそ20メートルも歩いただろうか?勿論車椅子の人も居るが、行ったと思ったらもう帰っている。あれでも「お花見」なんだろうなあ。

我々はたっぷりそこで花とお弁当を楽しんでそれでも3,40分くらいなものだが、実は自分の体調からそれ以上が無理だったため帰路についたが、本来ならもっと長く居るのが普通。色んな事情でああいうことになるんだろうが、それでも外に出ることに意味があるんだろうなあ。

帰る道々桜を愛でながら、途中でマッサージにも同行させて、二人で施術を受ける。母はおよそ3ヶ月ぶりだったため、にぎやかに歓迎されている。、、、ようやく「平常」が戻りつつある。

雨のち晴れ。

今日はミューズホールの本番。三人で10時から場当たりチェックして、12時半に全員集合。発声練習などして出番は2時半。たった、これだけだのに、もの凄く疲れた。が、帰宅して母に電話すると天満屋の最後を観に行っても良いというので、再度出かける。

車椅子を押しながらのショッピングはこれ又疲れる。流石に最後の日曜日とあってかなりの賑わい。地下の食料品は殆どの食材がガラガラになってて、なるほど終わりなんだと実感。一人ならもっと購入したかも知れないがお陰で大した買い物もせず帰宅。母を送り届けて夕食を食べたらメチャクチャ疲れが出て、そのままナント2時間も爆睡。

スカイプしたいと孫べえから入ってくるのでしばし喋るが、娘も矢張り体力がかなり落ちていて、やたら眠いとか。まあ咳をし続けた結果かも知れないがとにかく体力が無くなっている。来週は体力作りにガンバロウと思う事だ。

 

舞台というものは、ホントに油断大敵。どんなに準備していてもあっちゃ~てなことが起こる。本日もそれぞれに思うところがあっただろう。ケーブルテレビに映るそうだから、反省材料になるだろう。

しかし、恥は沢山かいた方が良い。それが一つ一つ身についていく。そこから逃げていては成長はない。

 

ま、一つ終わった。

2014年3月29日 (土)

空も心も、曇りだなあ~。

どうも頭がもやっていて、今日こそは早く寝て明日に備えようと、夕方6時前という今の時間にパソコン作業。先ほど買い物に出たらどこも結構な人出。みんな消費税前の買い物に忙しいのか。昨日夢○ウンに行ったという来店客は車も置けない有様だったとか。それって反動はどうなんだろう。大きな買い物をする人達は矢張り今のうちにと思うのが自然だろうなあ。我が家も外壁の塗装を済ませたもんねえ。小市民の悲しい性だ。

近々結婚式を挙げるというお嬢さんの母親が溜息混じりに話してくれたが、最初はウエディングのみという話で、浮いた分を旅行に回す予定だったはずが、結局あれこれ試着している内にどんどんお高い物を何枚も借りることになりそう、、、。このケースもそうだが、「倹約」ってなかなかに難しい。余程のポリシーがなくては、業者の言いなりになるのがオチだ。

ま、儲けたい人が居る限り、どっかでは搾取されるわなあ~。

 

夕べ袴田死刑囚の釈放がテレビで流れたが、これがホントに冤罪なら恐ろしい事だ。「緋文字」の小説ではないが、人間が罪を作り出し一人の人間の一生を変えてしまうことの罪。間違いでしたで済む問題だろうか。

しかし、世の中理不尽な間違いが多いなあ~。

久々の好天気。

10日ぶりに夫が帰宅して、気が付けばいつの間にか料理をしているアチクシ。一人の時は1度しかご飯を炊かなかったのに、何だろうこのいそいそとした感じは。あまりにも長い間主婦業をやってきて、相手を見たら機械的に身体が動く様になってしまっているのか。というより、これは「脳」だな。脳が反射的に命令を下しているに違いない。その結果、今まで食欲がなかったのが、一緒に食べている。基本的に怠け者の自分が生きていく上でも、夫というのは必要な存在なのだろう。、、、と、今日は思った。明日はどう思うか分からないが。

 

まだ完璧ではない体調だが、本業も入って来て、又ゾロ手帳が塗りつぶされていく。ま、きっとこれも良い事なんだろう。動ける内が花。

 

今日は、短歌の中央結社の冊子と大学から「I先生追悼文集」が送られて来た。

短歌は社会詠が採られていたなあ。社会詠は難しいと言われるが、この時代を生きた人間として何かしら詠んでおきたいものだ。

文集には吾が稚拙な原稿を載せて頂いたが、他の方々のも読み合わせると自然に涙がでてくる。亡くなって初めて分かるI先生の偉大さに改めて感慨深いものもある。

人生とは人と人との邂逅によって織りなされていく。誰一人、自分のみで自分を形成した人は居ないだろう。様々な人から影響を受けて、ある時は反面教師として何かを学びつつ成長していくのだ。その意味で、自分の事を想う時、なんとラッキーな人生かと思う。これまでI先生に限らず如何に多くの友人知人先輩後輩仲間達から良いものを頂いたことか。結局は「死」によって全ては無くなるとはいえ、そこまでの時を、大いに歓び、大いに悩み、深く傷つき、深く解り合い、生きて居るという実感を吾が物に出来たというのは、全て出会った人々のお陰だ。

オペラは、「限界まで声を出すこと」にその真髄がある。人生ドラマチック、まさしくオペラだ。

2014年3月28日 (金)

敵は吾が体内に。

誰でも同じ体験の中でしか、本当の気持ちは分からない。今回の旅行中の娘の状態が今になって初めて分かり、母親として反省しきり。もっと早くに分かってやればあんな事には成らなかったのにと悔やまれる。が、全ては収束に向かっている。孫べえもめでたく入院の憂き目から逃れ、親子共々最悪の事態からは免れている。あれもこれも、試練だったかと、今は思う。

そして旅の初めにあのキュウキュウシャ騒動があったら、1週間はまるで違ったものになっていただろう事を思うと、不幸中の幸いだ。

お陰で一応この地域の良いところを堪能出来たし、ま、不味い食事も美味しいB級グルメも体験できた。今思い出しても美味しい物はハンバーガーと何とか言うハワイ独特のドーナッツ(?)ピリ辛のソーセージてな具合だ。

最初からの約束、「コンドミニアムに逗留イコール、アチクシは一切料理はしない」は、婿殿の手料理で全く手抜きされることなくバッチリ履行された。彼の手料理は下手なレストランよりずっと美味しい。食材はスーパーで買い求めるのだが、日本では考えられない1単位の分量。牛が食べるのかというほどの野菜が一パック。何もかも大きな冷蔵庫で保存してしっかり、「生活」してきた感じ。日本では不味いものと思っていた「アメリカ産の肉」も、何故か美味しい。ただ、23年前に行ったときより、ジュースに感動しなかったのは何だろう?前回はグアバジュース、今回はもっぱらスプライトばかり飲んでいたなあ~。

 

海外に行くと、ああ、日本人で良かった、といつも思う。これは単に慣れだけの事ではないと思うが、どうだろう。海外にわざわざ住む人も居るからねえ。過去にイタリアだけは住んでも良いな、と思ったが、あれは若かったせいだろう。その頃のエネルギーはもう残っていないなあ。

 

そういえば、間もなく吾等が会長殿が海外長期出張だ。1年の間にみんなで行きたいと、出来れば演奏旅行なんか、、、と言ってはみたが、さて実現するかどうか。実現出来れば楽しいだろうなあ。ハワイでも、ママさん日本人合唱団がデパートで歌ってたもんねえ。

 

とにかく健康だ。まだ片足を抜かない私の病気は、神経まで蝕んでくる。「生きてる~?」と友人達から励ましの電話やメールでナントか正常を保ってはいるが、、、。この病との闘いは疲れるなあ。。。

明日はこれ又よれよれらしい夫が海外からご帰還遊ばす。ますます疲れそう。。。。がくっ。

2014年3月26日 (水)

リセット。

長いトンネルからようやく這い出して、今日は久々のちぇち練。最後まで体力が持つかどうか自信が無かったが、みんなの声を聴いて笑顔を見ていると時間を忘れて最後まで付き合うことが出来た。

しかし長かった。飽きるほど眠り、真面目に薬を飲んで、ひたすら眠り、とりあえず口に入る物は食べて、体力の回復にこれ努めた結果、ここまでになったが、たまたま夫が留守という時だからこそだ。十二分に我が身のことだけを考えられたからだが、ナント明後日には帰国してくる夫から、予定時間をキッチリ知らせてくる。あっちも体力消耗しているようだ。やばいやばい。折角の体力を温存しなくてはならない。

昨日からプリンターが作動せず、何となくパソコンの状態がおかしかったが、先ほど思いついて全ての電源をOFFにして再起動してみたら上手く行った。人間も機械も、一度完全に休んで、リセットするのが良いのだろうか。

 

週末は本番だ。少しでも役に立てれば良いが、、、。

2014年3月17日 (月)

世界的異常気象、体験記録。

常夏の国、とばかり思っていたハワイが行って見るとメチャクチャ寒い。日焼け防止で持って行った長袖カーディガンがまさかの防寒着に変身。それでも足りずにヒートテックを重ね着の有様。勿論泳ぐどころではない。が、ビーチにはそれでも強者どもが水着で遊び波乗りに興じる人も結構多い。

「寒い」「寒くない?」という言葉を一体何十回口にしたことか。ここ、ホントにハワイ?てなもんだ。

この感想が我々だけのものでない証拠に、週半ばに部屋に来て貰ったハワイ式マッサージ師さんはここに25年住んでますが、こんなの初めてです、と仰る。2,3年急に寒くなるときがあって、異常を感じてはいたという。やっぱりねえ。23年前に来たときはしっかり夏だったもんねえ。

しかし、神は我々を見捨てなかった!旅の最後の日、この日だけは朝から一日中カンカン照りの好天気。念願のワイキキビーチで3歳のチビと婿どのの3人で大いに遊んだ。何とも言えない水のなめらかさ、白い大波が音を立てて迫ってくるのに、流木よろしく転がされて、それが如何にも楽しい。すっかり童心に返ってはしゃぐアチクシにお嬢の冷たい一言。「お母さん、トドみたい。」そりゃあそうだろう。客観的に我が身を想像してもきっとそうだろうとは思うが、何もホントのこと言わなくても!

実は到着した時点で、お嬢の家族は全員風邪っぴき。コンコン咳をしまくって、こっちはうつらないかと戦線恐々。子供と婿どのはそれでも段々良くなっていくのが分かったが、お嬢一人、いつまでも体調が悪く海に入ることも出来ない。しかしハワイが3度目になる彼女はみんなを誘導せねばと言う思いがあったのだろう、次々とプランを立てて我々を引っ張っていく。こっちはな~んにも考えないで、ひたすらハイハイと付いて行くのみ。行く先々で「ふ~ん」「は~ん」と驚いたり面白がったりしていたわけだが、時折異常に疲れを見せる彼女が気にはなっていた。

が、これが先々とんでもないことになろうとは!

ま、それはともかく最後の晩餐を、彼が探してきたビーチが目の前に開ける素敵なレストランでサンセットを観ながらの夕食を取る。ここはヤッパリアメリカン。ダイナミック料理に美味しいカクテル。完全に太陽が海に沈んだとき、店内もビーチも拍手拍手に驚いた。これぞ自然と暮らしているという実感が湧いてきたもんだ。すっかりご機嫌になってほろ酔い気分で帰宅。しかし明日は帰るから、荷物の整理をやっとかなくては、、、、。

最初から捨てるつもりで持って行ったものがけっこうあって、それやこれやで思った以上に時間が過ぎる。遣っているときに時々ベッドに突っ伏すお嬢を横目で見ながら、大丈夫かいな?と想いながら、自分のやるべき事に精を出していたその時、遂にお嬢が叫んだ。「救急車呼んで!」

わっちゃ~!どうするどうする?と婿どのと大慌て。24時間体勢の旅行会社の電話受付にともかく電話して、どこにかければ良いかを尋ね、救急本部に電話、部屋番号を教える。するとあっという間に救急車到着。どやどやと土足で(本来は土足でも良いが、我々は日本式のフロアにして貰っていたにもかかわらず、それを言う気も起こらない。)8人くらいの屈強な体躯の隊員が入ってくる。誰一人日本語が分からない。さあ困った。こういう場合はホントに困る。症状の説明が上手く出来ない。しかし血圧、脈拍、酸素のパーセンテージなどを調べ、二人の隊員を残してあとはさっと引き揚げる。そしてものの数分で部屋を出て救急車に。チビを婿どのに託してこちらが付き添ったが、まさか海外でこんな体験をしようとは!

車は高速を通りしばらく走ってとある救急病院へと搬送された。ここでも壁になったのは言語。日本語の出来る人が今は居ないと言われ、どうしようかと思っていたら最初のドクターが、24時間体勢で通訳をしている場所に電話をしてくれて、携帯電話による3者通話が行われた。これは有り難い。そこから次なるドクターに変わり検査員に変わり、、、それが全て同じシステムを利用してのものとなった。これによって本人も安心出来、出された薬も信頼して飲むことが出来たわけだ。いや~、これは有り難かった。ここはやっぱり観光地なんだ。

朝の7時過ぎに病院を後にして、タクシーで部屋に帰ったが、チビはパパと一緒のベッドですやすやと眠っている。

大人達がパニクっている時、私の足にすがりついて泣き叫ぶので、「しっかりしなさい!お母さんは大丈夫だからねっ!男の子でしょ!?」と叱責すると温和しくベッドにちょこんと座って事の成り行きを観ていたが、いよいよ母親が搬送されるときは、我と我が身に言い聞かせるように、「お医者さんで注射してお薬貰って、すぐ帰るんだよね?キュウキュウシャでいくのは良いことなんだよね?」と泣くのをこらえながら大声で叫ぶのを聞きながら置いていったことが思い出され、寝顔を見て不憫な想いがしたことだ。

お嬢は発作が起きたとき一瞬もうダメだと思ったようで、自分に何かあったらお母さんこの子をお願いね、とまで言ったもんだ。勘弁してよ。のこころ。が、勿論そんなことは言わずハイハイ、分かった分かった、と言いつつ何となく死の危険からは遠くなったと思っていたのは、母親のカンだったか。

 

帰国してから、どうもこちらが風邪っぽい。昨夜高松に着いて急に咳き込み始めた。彼らの風邪とは違う感じ。こっちはきっと疲れからだろう。しかし今日から母親を見ることになって、うつしてはいけないから病院に行ってインフルエンザ検査と点滴。インフルエンザでは無かったのは嬉しい。ま、今日の所は眠って、体力の回復に努めるべし。だ。

2014年3月 6日 (木)

明日ホントに海外?

しばらく留守にするとなると、あれもこれも遣って置かなくてはならず、気持ちばかり焦ってさっぱり事が進んでない。とりあえず家事はパス。最低限明日出かける前の1時間でやっつける予定。丑三つ時の今、ようやく10日分の荷物をほぼ詰め終わった。なんせ、孫べえの浮き輪までもってこいとの仰せ。まあ、こっちはそれほど荷物が多くはないから良いような物の、友人にデカイスーツケースを借りてなければ到底無理だった。

今朝はカルチャー教室から始まり、午後は予約客、その後レッスンがあって、そのアトは母を見舞う。あんたがしばらく居ないと思うとなんだか、心細い、、、とか言う母を見て、こちらも心細くなる。なんかあっても、飛んで帰ってこられないからね、頑張って元気で居てね、と声をかけたものの妙に後ろ髪引かれる。

その空気を振り切って次は買い出し。帰宅して夕餉の支度を慌ただしくする。何日分かのおでんだ。そして今度はちぇちだ。10時過ぎに帰って速攻パソコンで処理すべきをやっつける。にゃんともねえ。

お嬢の家族は余りに早くカラ楽しみにし過ぎていて、今になって3人とも風邪を引いて咳が出ているらしい。勘弁してよ~。ったく。

こっちは昨日、FM二本録りしてバタバタバタ。が、こうしてこなせている事に感謝だ。幼い頃から純粋に音楽の道一本で来られたY先生のお話は、お顔同様ハンサムだった。このように迷いがない人生というのもあるんだなあ~。,,,香川の音楽業界はこのような真面目な方々で牽引されているということだろう。時代が如何に変わろうとも、こうした方が目の黒いうちは、否、後継者も育つであろうから県下の音楽は良い方向へと続いて行くに違いない。全国的に見ても高い水準らしいから。

 

さあ、一度仮眠だなあ~。次回ここに書き込むのは10日後だ。

2014年3月 2日 (日)

気づき、つまづき、アラッ!えっさっさ。

昨夜の雨から少々心配されたコンサートも、本番時には雨が止んでくれたお陰で、まずまずの集客だった。

しかし、ユニークな人ではあった、秦万里子さんというお方。ご自身でも言ってたように大変なお喋り。その迫力アル話しぶりは、その場に居た観客全員を右へ左へと自在に動かした感がある。随所にちりばめられた「笑い」。自分の事を話題にしながらも、関係者や観客への配慮を忘れないきめ細やかさ。、、、ちょっとこんなコンサートは無いだろう。

題名通り、人生の中で気付いたこと、躓いたこと、を歌っているが、結婚出産離婚という、女の人生で最大の難関をくぐり抜けて来ている人の強みとでも言おうか、何でもござれのトークはしばしば、あらら、そんなことまで喋って良いの?と心配になるほどだ。が当のご本人は至極あっけらかんとしている。「ぽいぽいぽい、捨てるのが良いんです。何だって捨てちゃいましょう。私みたいに捨てすぎたのも居ますが、、。一番捨てたいお肉はしっかり付いてますけどね、、、、」と笑いを誘う。で、みんなをぽいぽいぽいに巻き込んで行く。

 

いや実は、始まりからユニークであった。影アナを頼まれていたのだが、真面目~なこちらの影アナの中に突然割り込んでくるというもの。あらかじめこちらが作っていった原稿を見ながらどんどん割り込んでくる彼女のお喋りに対応しなくてはならない。予告されていてあらかじめ覚悟して行ったが、いやはやいやはや。さすが~であった。、、、これは頂きカモね、と帰りがけに出会ったちぇちのメンバーと話したことだ。

一貫して、彼女のコンセプトがはっきりしていて気持ちが良かった。「音楽は楽しまなくっちゃあ~」まったく。

やっぱり舞台は面白い。

2014年3月 1日 (土)

衣装部屋、そしてコンサート。

今日は小雨降る中をちぇちの衣装部屋に集合。少し整理をし、各人の衣装合わせも。移転の時にかなり処分したつもりだが、まだまだ不要かも知れないものもあるようだ。暖かくなったら一度みんなで整理しようと、今日の所は一応引き揚げる。

新人の二人はこのような場所があることに驚いているし、余りに日常とかけ離れた空間だったせいか、嬉々として片付けに参加してくれた。とにかく、整理が必要だ。

 

明日はいよいよ秦万里子さんのコンサートだ。先ほど主宰者からの電話で、どうやら秦さんという人は想像以上に楽しい人らしい。「どこにもないようなコンサートにしたい」と仰られたようで、影アナにも掛け合いを入れたいとのこと。あっちゃ~、いきなりそれですか!おそらくは台本無しの一芝居を打つってことになるのか?こりゃあ面白くなってきた。が、アチクシに出来るのか?楽しみなような怖いような、、、。ま、覚悟が全てだ。

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