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2014年2月22日 (土)

オリンピック考。

オリンピックについてはいろいろな考察があるだろうが、グローバルな観点から必要なイベントだということは理解できる。このアチクシでさえ聖火点灯には泣けた。世界中の人がこの灯火を平和のシンボルとして大切に守り続けて欲しいと心から願った。

参加国は大なり小なり自国の選手の出来不出来についてヒートアップしている。それは至極当たり前の反応だろうと思うが、我が国はどうだ!?マスコミはここぞとばかりどのチャンネルもオリンピック一色。「金」だ「メダル」だとやかましい。このような状況で、日本人に愛国心が無い、なんて!

その結果、選手達をこれでもかと追い込む。それにさえも耐えよと言わんばかりの報道の傲慢さ。

その上、M元首相の真央批判の発言に至ってははらわたが煮えくりかえる思い。公然とあのような発言が出来る自体、人間失格ではないのか?勝つか負けるか、それしか無いのでは、選手達は立つ瀬がないだろう。あのステージに立つまでにどれほどの努力が必要だったかと、そこに想いを馳せることが出来ないなんて言語道断。仮にも人の上に立つ人がである。「日本を変える」「教育を変える」とお国の偉い人々は騒々しいが、道徳の授業を増やす前に、その前に自分たちが子供達のお手本となれるような生き方を示す方が先でしょう!?と言いたい。

先日観た「小さなおうち」という映画の中で、「政治家は頭は良いかもしれないが、ぼやっとしたことしかやれん」とかいうセリフがあったが、ホントに大丈夫?と思ってしまう。

まあ、真央ちゃんはそれらの批判を自分がやるべき事をやって正面から打ち返した結果になったが、仮にそうならなかったとして、誰が彼女を批判できるだろうか?

私たち夫婦が、彼女のフリーの滑りを涙涙で見ていたように、日本中の沢山の人が彼女にエールを送り、長いトンエルを抜け出たすがすがしい表情に心から感動し、涙の拍手を送ったに違いない。それはとりもなおさず、彼女のオリンピックに於ける最大の役割を完遂したことになるだろう。メダルを取った人も取らなかった人も、笑った人も泣いた人も、みんな自国のお仕事を身を挺して成し遂げたのだ。

オリンピックは戦争ではない。

その対局にあるものだ。


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