戦争映画。
昨日母を結果として手痛い目に会わせてしまった悔いがあり、今日はサービスデーと決めて映画に連れて行った。長い間腰や足の痛みを訴えるため控えていたのだが、好きな映画を見せるのが薬だと思った事もある。
今日が祭日だということを考えもせず、サティに着いたら駐車場はどこも一杯。ようやく止めてまずは腹ごしらえとばかりうどん屋さんへ行って見るとこれ又長い列。仕方なくパンでも買って、、と行くとこれ又長い列に並んで買うことになった。が、なんとかゲットしてチケットと飲み物を買って入ったらあまりの忙しさで汗が出た。予告の間に少しお腹に入れ、ようやく落ち着いて画面を見る。
「永遠のゼロ」
全く予備知識無く見たが、最初から最後まで泣いた。主人公の凛々しい生き方が凛々しければ凛々しいほど悲しい。戦争というモノが、普通の人間に与える苦悩などに改めて涙した。岡田なにがしという俳優の力が大きいが、、、。
予備知識ではないが、ラジオで原作者が語るのを聞いたことがあり、「今まで何人もの人が私の作品を映画化させてくれと言ってきたが、どれもこれも脚本が気に入らなくて断ってきた。ところが今回非常に私の意図するところをしっかりくんだものが出て来たので、OKを出した。」と言っていたのが妙に頭に残っていたのだ。
見終わって、作者の意図とはなんぞや?と改めて思った。この作者こそだれやあらん、あの放送経営委員会のメンバーで世の中で物議を醸している人物だ。そういえば、きっちりと訓練された航空隊の整列や行動は、役者のそれではなかった。おそらく自衛隊員ではないのか。現代に生きる主人公の孫が、28歳で没した祖父の人生を調べて廻るとき、おじいちゃんに好意的だった人物が、何故や~さんなのか。不思議だった。真面目で一徹な主人公が命を助けたのがこの男性だった、という設定にしたのは何故、どういう意味を持たせたのか。物語の筋とは関係なさそうな戦闘機の空中乱舞がやたら多いと感じたのは、フムフム。
この作品に対する批評の記事を読んだ。批判しているその作家はこの作品のブームについて「日本人のゆるやかな右傾化」を懸念していた。そうかも知れないが、どんな作品でも、それを見る人によって、角度や深度やポイントが違うと思うから短絡的にそう結びつけるのもどうかとは思う。一旦作家の手を離れたモノは、どう観賞されようと仕方がない。吾が母親なんか、実体験した者として、「あのころを思い出した」と戦争の残酷さや戦後の生活の困窮振りを中心に観ている。大勢の人がすすり泣いていたが、「友情」や「後輩のための自己犠牲の心」「内地に残してきた家族への愛」、、、そういう人間本来持ち合わせている感情が琴線に触れる部分だったと思う。それもこれも戦争時代という、個人の考えの通用しない時代に於けるものということが憐れを誘うのだ。
この作家の例の選挙応援演説は反戦をそのテーマにしていたが、この映画も反戦映画だったように思うが、違うことが狙いだったのか、、。よく分からないなあ。印象に残ったのは、主人公が優秀な学生達に特攻隊の訓練をしている中で、いよいよ戦局が危うくなってきた時、「君たちは生きなくてはならない人達だ」と語る場面。
かつて呉に行った折、説明を受けた中に、「あの戦争で日本中の優秀な若者が沢山死んでいきました。もし彼らが生きて居たら、日本はもっともっと素晴らしい国になっていたと思われます。」というのがあったが、それと同じ事だろう。本当にもったいないことをしたもんだ。
出かける前に偶然テレビに藤田嗣治の特集が映っていて、彼が政府に強要されて「戦争画」を描き、手紙には戦争賛美者のごとき文章を書いていて、終戦と同時に絵を殆ど全て焼き払い、手紙の相手には焼いて欲しいと書いた、というのがあった。この時代を生きた人々は本当に苦しい気持ちで日日を過ごしていたのだろう。特に文学や芸術に生きていた人達は悲惨だったに違いない。
お願いだから二度と日本を戦争に巻き込まないで欲しい。
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