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2014年2月

2014年2月28日 (金)

夫は元気で留守が良かった。の巻き。

沖縄から帰ってきた夫を空港に迎えに行き、自宅に向かう途中で次々と友人から電話が入る。スマホをスピーカー機能にして会話して、その足で旅行カバンを貸してもらうことが決まる。べんりだ~。

あと1週間で海外だというのに、体調が芳しくない。さっきも夕食後にチョイと横になったと思ったらいつの間にか眠っていた。1時間のうたた寝。それ、長いでしょ!?

カバンは借りたが中身を一切準備してない。なんとかなる、と高をくくっているが、さて。

 

夫の居ない3日間をゆったり過ごすはずが、結構色々あって思うようには行かなかった。昨夜、こんな筈では、、、と思ってテレビを付けるとケーブルテレビに齋藤○貴という女性が映っている。彼女の若い頃、この子は普通のアイドルとチョット違うな?と感じていたが、インタビューを聞いていると矢張り芯のある良い女優だった。その会話の後、相米監督の「雪の断章~情熱~」という作品が彼女の映画デビューとして放映された。初めて観たが、面白い作品だった。作り方が古風で、昔の白黒映画時代のようだった。ミステリーだから敢えてそういう作り方をしたんだろう。文学作品をなぞっているようで、出演者の心理描写が丁寧に綴られ、おそらく監督の要求する演技は相当厳しかったんだろうと想像した。デビューとは思えない齋藤の演技に舌を巻いたが、後のインタビューを聞いてナットク。頬をぶたれるシーンがあるが、あれは本当に叩いたんだそうだ。映画のことだから何度も何度も繰り返すので、氷嚢で冷やしながらやったという。それは嫌じゃなかった?と聞かれて、平然と嫌じゃなかったと答える。それよりも相手の男優が「こんなことはやりたくない」と涙ぐみながら遣っていたことが印象に残っているという。ううう~~やっぱりただ者ではなかった。

それ以外にも撮影時の過酷な状況が淡々と語られたが、撮影の最後に監督が彼女に言ったそうだ。「これからどんどん色んな男と恋愛して、人生勉強したら10年か20年後にも一回使ってやる。」と言われたそうな。で、10数年後に声が掛かり、即決したそうだ。それほど、監督を尊敬したということだろう。あのドングリ眼はレジスタンスそのものだ。が、一方で3児の母だという。顔つきもポッチャリが消えて、研ぎ澄まされた感がある。この人の映画は又観てみたいなあ。

で、この日は病院で「とにかくしっかり運動なさい」という有り難いお説教を、もとい、アドバイスを頂いた日で、早速ジムにも行き、自転車30分、プール30分、岩盤浴20分、お風呂とフルコースして帰宅。心配した大阪の友人が電話してきて、「早く寝ろ!」とこれ又ありがたいお説教を受けた日。にもかかわらずこういうのを観ていたため、結局早寝は無理。ま、なんとか生活を改めなくては。,,,習慣はなかなか直らないなあ。

2014年2月26日 (水)

雨だなあ~。

昨夜は何故か9時間も眠ってしまった。夫が留守だとこうもリラックスするか?と我と我が身を疑うほどだ。夫は、一人だと枕元に木刀を置いて寝ると言うが、それ即ち安眠出来てないと言うことのようだ。あら不思議。

それはともかく、本日もゆっくり一人を楽しむ時間は無い。食事の事であたふたしないのは、最高に有り難いが、それ以外はやることが山積みなので、結局体力と相談してあれやこれやをやっている。マッサージ45分もプログラムの中。

本日の最後はちぇち練だった。事情があってピアノがないままの時間をなんとか繋いだが、これはあんまり芳しくないなあ~。そりゃあ遣ることは沢山あるが、基本音楽団体だ。ムムム、、、。

 

昨日テレビで認知症の対策にアロマが良いというのをやっていて、今日早速購入に出かけたらお目当てのお店が休業で残念。お嬢に聞くと百円ショップにも売ってるという。番組ではかなり成果が上がっているようだから、試してみる価値はアルだろう。

母の事だけではない。この頃チト怪しいアチクシの為だでもある。

明日は買えますように、、、。

2014年2月25日 (火)

ハムレット。

朝、とあるところへ行くために駐車場を探したらどこもかしこも満杯で、およそ30分もウロウロして、遂に諦めてかなり遠いところまで行こうとして通りかかった駐車場からたまたま出て来た車の後に滑り込んで大急ぎで駆けつけるも、結局大幅に遅れてしまった。

「シェイクスピア」のBBC版を観る会で本日は「ハムレット」。この深い内容の作品を見逃すわけにはいかない、との思いだった。お誘いしたTさまも後から、「ず~っと切れることなく集中して観ました。」と述懐されていたが、役者も素晴らしく、演出も舞台のように作られていて、字幕ではあるが充分楽しんだ。いや、楽しんでという言葉は少し違うかも知れない。何しろ含蓄に富んだ言葉の羅列。どれ一つとっても奥があり、上っ面だけでは観賞しきれないしろものだ。集中が切れると残念な結果になる。

このところ車中で在りし日のI先生の講義の声を聞きながら作品の鑑賞前のおさらいをしているが、色々忘れて居るし、今なら分かるということも多い。我が人生で、シェイクスピアに出会ったことは宝の一つ。今さらながらI先生に感謝。とてもじゃないが、自分一人でこの映画を観たとしてもそれほど深くは入れなかっただろう。研究者としてのI先生の解釈があってこその理解だ。

今日聴いた先生の講義の内容で心に残ったのは、ハムレットが母親から恋人へと女性不信に陥り、どんどん人間に絶望し孤独を深めていく中で、いつかは死に至る人間というものを受け入れる事が出来る様になり、最後は安らかに死んでいった、という部分。悩み、苦しみ、あがき、そして真実に近づいたハムレットは、決して特別な人間ではない。そう思えば、現実の日々の暮らしの中での苦悩も、苦悩することに価値があると思える。

 

母の体調が思わしくないとの弟からの電話で急ぎ帰宅して母を病院に連れて行ったが、自分の身体は自分が一番よく分かると言い、病院行きを拒否し続けるのを無理矢理だった。ところが、撮影した心臓も綺麗、心電図も異常なし。一応血液検査はしたが、結果は後日ということで、目新しい病名が付いたわけでもなく、結局は母の「それみたことか」を認めざるを得ない結果に。そんな母をちょいと外装を直した我が家に連れて帰り、東京の孫べえとテレビ電話で話をさせ、洗髪して送っていったがあの体調の悪さは一体、、、、?まあ、こうして徐々に色んな事が起こりつつ人は終着駅に向かっていくんだろう。

 

明日は沖縄に行く夫を空港まで送るお仕事から始まるなあ~。泡盛でも頼むとしようか。

2014年2月23日 (日)

コンサート。思いつきのウオーキング。

昨夜はコンサートの司会をさせて頂いたが、日中ならまだしも寒い夜だったにもかかわらず大勢の観客で、たっぷり2時間の演奏会が充実したものとなった。チェンバロという楽器自体が珍しいのもあり、終演後は楽器に関する質問を受けたり、楽器に触れる事も出来るなど、楽しい企画だったのも良かった。しかしこの夜のコンサート。町外れの高台にある資料館のロビーという場所だが、ナント今回で78回となるようだ。地元香川に関係がある人ばかりで構成しハイレベルな演奏家ばかりでの公演が、こんなに続いていることに驚く。支える人達の情熱が素晴らしい。

香川県は音楽王国という異名を取るほど音楽人口が多い土地柄だが、必ずしも音楽家達にとって居心地が良い地域ではないようだ。コンサート、今日の昼間も行ってきたが同じ観客を分けあっているような部分も、、、。何しろ日本一狭い県だ。

そんな中で、この石民コンサートは頑張っている。今年は20年記念だそうだがこれからも長く続いて欲しいもの。

 

今夜はかねてから夫に一緒にウオーキングをと言われ続けていたのを、急にやる気になって一緒に吾が実家まで一気に歩いた。実家で一服してたまたま帰省していた甥と談笑して休めたためか、無事往復出来たのはメデタイ。ちょいと股関節が痛いが、多分続ければ治るんだろう。健康のためと言って殆ど毎晩歩き、これ又健康のためサプリメントをしっかり採り、早寝早起きのわが夫。長生きしそう~~~。

2014年2月22日 (土)

オリンピック考。

オリンピックについてはいろいろな考察があるだろうが、グローバルな観点から必要なイベントだということは理解できる。このアチクシでさえ聖火点灯には泣けた。世界中の人がこの灯火を平和のシンボルとして大切に守り続けて欲しいと心から願った。

参加国は大なり小なり自国の選手の出来不出来についてヒートアップしている。それは至極当たり前の反応だろうと思うが、我が国はどうだ!?マスコミはここぞとばかりどのチャンネルもオリンピック一色。「金」だ「メダル」だとやかましい。このような状況で、日本人に愛国心が無い、なんて!

その結果、選手達をこれでもかと追い込む。それにさえも耐えよと言わんばかりの報道の傲慢さ。

その上、M元首相の真央批判の発言に至ってははらわたが煮えくりかえる思い。公然とあのような発言が出来る自体、人間失格ではないのか?勝つか負けるか、それしか無いのでは、選手達は立つ瀬がないだろう。あのステージに立つまでにどれほどの努力が必要だったかと、そこに想いを馳せることが出来ないなんて言語道断。仮にも人の上に立つ人がである。「日本を変える」「教育を変える」とお国の偉い人々は騒々しいが、道徳の授業を増やす前に、その前に自分たちが子供達のお手本となれるような生き方を示す方が先でしょう!?と言いたい。

先日観た「小さなおうち」という映画の中で、「政治家は頭は良いかもしれないが、ぼやっとしたことしかやれん」とかいうセリフがあったが、ホントに大丈夫?と思ってしまう。

まあ、真央ちゃんはそれらの批判を自分がやるべき事をやって正面から打ち返した結果になったが、仮にそうならなかったとして、誰が彼女を批判できるだろうか?

私たち夫婦が、彼女のフリーの滑りを涙涙で見ていたように、日本中の沢山の人が彼女にエールを送り、長いトンエルを抜け出たすがすがしい表情に心から感動し、涙の拍手を送ったに違いない。それはとりもなおさず、彼女のオリンピックに於ける最大の役割を完遂したことになるだろう。メダルを取った人も取らなかった人も、笑った人も泣いた人も、みんな自国のお仕事を身を挺して成し遂げたのだ。

オリンピックは戦争ではない。

その対局にあるものだ。


2014年2月19日 (水)

こども。

今日のちぇち練はメンバーの中からインフルエンザが出たり、不安要素もあったが、そんなことは言ってられないほど遣ることがあり、団長も遅れながらもやってきて、何時もながらの詰め込み練習2時間半があっという間に過ぎた。どんな舞台も真剣に精一杯やる、という我々のやりかた。発表はホンのわずかでもそんなことは関係ない。「歌う事は楽しいこと」「音楽はステキ」「みんなで楽しもう」ということを完成させるためには、不断の努力が要る。新人さん達も結構楽しんでいるようだったのは嬉しい。

 

友人のご主人に癌が見つかり、それがどうやら3カ所にも転移しているらしい。普段何事にも動じないで全てを笑って吹き飛ばしてきた彼女も、流石にこの局面に動揺が隠せない。一人息子を呼び寄せ、家族3人で苦しい時間を過ごしているのだろう。子供がいてほんとに良かった。

朝の連ドラ「ごち○○さん」の今日は、戦地に赴く男性の子供を産みたいと言い出す女性に周辺が翻弄されるという話だったが、その中に「子供が力になることもある」というのがあった。ホントにそうだ。自分自身、我が子たちに随分助けられている。女一人で子供を産み育てるというのは、確かに勇気が要る。余程切羽詰まってその選択肢しか無いというなら、、、まあ、この連ドラのようにアリだろう。しかし、一方でなるようになるかも、という考えもあるなあ。社会で育てるという考えもある。

 

子供、ねえ~。さっき、お嬢からの電話で面白い話を聞いた。孫べえが、「お母さん、ぼくね、大きくなったら歌うたう人になるんだ。そいでねえ、マイク持たないんだよ。」と言うので、思わずその言葉に食いついたお嬢が「凄いわねえ~、そうなの~?」と絶賛したら、照れてしまって、「やっぱ、や~めた!ダンスする人になる!」と逃げたそうな。ま、若干3歳の子が言うことだ。親ばかちゃんりんを越えるものではないだろうが、さすがアチクシの孫、と、つい思ってしまったわい。,,,てな具合で、日々癒やされているというわけだ。

2014年2月18日 (火)

寒いよねえ。

この寒さ。娘は冬季鬱病だろうと言うが、一日中欠伸が出る。やたら着込んでもちっとも暖かくない。実際心まで寒々としている。母もおそらくはそういうことかも知れないが、外出を拒否、運動不足を心配する家族との間で不毛な押し問答が続く。遂に今日は思いあまって病院の主治医と相談。みんなにとって最善の方法を模索することとなった。

人間は、悲しい生き物だなあ。

 

眼鏡が無いとわめいていた夫が、フト見るとチャンと眼鏡をかけている。どうしたかと聞くとしらじらしくも、あった、と言う。出て来たときも同じように騒いでよ、と言いつつ、つくずく性格の違いを思っている。実はこちらも昨日からパソコン用の眼鏡が行方不明。が、こっそり一人で探している。ま、いつか出てくると高をくくっているせいだ。即ち初めてではないということ。どっちもどっち。お互いほんとに年取ってきた。

さっきはテレビのBSをつけたら松本ケンイチが独身だのに子供を引き取るという映画をやっていて、この俳優の名前が思い出せない。しばらくして、「そうよ、松本ケンタローだわ!」と私が叫ぶとちっとも疑わず、そうだそうだと相づちを打つあたり、相当なもんだ。夫が二階に上がってからもしばらく観ていてその違いに気付いて一人大笑い。まあ、半分はあってたわなあ~。。。

映画といえば日曜日、急に夫が映画に行こうと言う。「小さなおうち」という山田洋二監督の作品。例によって前半は眠くて仕方がない。そのせいかどうか、ストーリーになんだか理解出来ない部分があったなあ~。それよりもこの頃戦争時代を描く作品が多くなってきた。これはきっと良い事なんだろう。知ってる人が語り続けなくては。我が母の言葉なんかも残しておきたいと思うなあ。前半寝てしまったというといたくご機嫌斜めの夫。そういう自分だって、途中で盗み見たら目をつぶっていたじゃないの!?と言うと、「目をつぶって聞いていた」とのたまう。おいおい、映画は観るものじゃないのお?と言うと、トイレで盲目の人を介護してあげたと言い、そういう人だって来てると仰る。ったく、段々素直じゃなくなって来るなあ~。母の事は言えないわ。

 

昨日は高校の同窓会の打ち合わせで13名が集まった。順調に物事を進めるだけの能力がまだ残っていることに安堵。が、最後になって、それぞれの同窓生の情報を交換し始めると碌な話が出ない。「次回会うときは、良い話をしような!!」と男性陣から声が出る。、、しかし、卒業50年記念とは恐ろしい。いつの間に。

近々小さな旅行に出かけるがその保険の書類にサイン。年齢を書いては違和感を覚える。これって、ほんとにアチクシの年?ってなもんだ。あれこれ考えると実際その年齢に相応しいんだけどねえ~。悔しい~~。

2014年2月17日 (月)

女二人。大いに語る。

先日15歳年下の女性と久々に飲みながら延々とお喋りをした。彼女の一身上の事件やらこちらのことなど、話題は尽きることがない。若い頃から知っているが、真面目でしっかり者の彼女、その部分は何十年経っても変わってなかったなあ~。

最近の車は殆どが外側は柔らかく出来ていて、外からの衝撃をそこが吸収し、乗っている人間にまで危害が及ばないような設計に成って居るらしいが、人間も同じだなあ。余りガードが堅すぎると、強い力でもってかえって中まで破壊されてしまう。「柔軟さ」は生きていく上で必要だろう。

 

彼女の未来に拍手しつつも、どうか幸せに、と祈りたい気持ちで別れたことだ。

2014年2月16日 (日)

映画,観る人創る人。

「ブラックスワン」という映画を偶然3回も観てしまった。1回目はテレビを付けたらかかっていて、面白さに途中からだったが最後まで観た。消化不良だったのでツタヤレンタルで借りて再度最初から最後まで観たのが2回目。その時自分の感じ方の違いに唖然として、是非もう一度見たいと思っていたらら、本日ケーブルテレビでやっていた。しかし、1回目の鮮烈な印象は2回3回と見てもさっぱり戻ってこない。一体これは何だろう???

ツラツラ考えるに、1回目は半分しか観られなかったというのもあり、自分の創造力で映画の向こうにもう1本映像を見ていたのかも知れない。が、あの1回目こそが、映画監督の狙いだったのではないだろうか?「黒鳥」が踊れなくて悩んだ末、精神に異常を来した初舞台の初主役を踊る主人公が舞台上であたかも本当の黒鳥へと化身していくという、映像ならではの仕掛けが観客を素晴らしいイマジネーションの世界に引きずり込む。あの衝撃が頭から離れないが、2,3回目は共に同じ感動には至らなかった。

その代わり、冷静に映画を楽しむ事が出来て、これはこれで良い物だったが、、、。

そもそも私は同じ映画を見ることは殆ど無い。一度見たら結構覚えている方なので、先が見えてしまうので面白くない。が、その意味ではこの映画は別格だった。大したストーリーでもないのに、見る度に感動ポイントが違うのだ。もしやこれは良い作品なのか?

飽きずに観られたもう一つの要因は「音楽」と「バレエ」だ。どちらも素晴らしい。聞き慣れたメロディだが、あの「白鳥の湖」は良くできた曲だとつくずく思った。こういう作品を見ると本物のバレエも見たいと思うなあ~。

 

 

ところで、先日偶然に「さぬき映画祭」のオープニングセレモニーに遭遇し、これから作る作品の企画賞が3人に贈られたのだが、ニャ、ニャンとちぇちの舞台にも出たことのある、Tさんが3人の内の一人だった!彼が映画に興味があることは知っていたが、凄い。

企画が通ったが、作品として上映にこぎ着けるまでがほんとに大変だろうと思う。フレ~フレ~。

2014年2月13日 (木)

老々介護。

今宵のちぇち練習は予定時間内にびっちり詰め込んだが、あとで、1時間余分に場所を借りていたことが判明。あんなに慌てることは無かったと残念だった。ま、その分集中出来たかに思えるが、、、。

次回のステージの練習がメインだが、忘れて居る人、初めての人がいるなど色々。こちらが出す指示が届いてないというか私語が多くて、それを注意する声も飛び交い、充実してるようなしてないような。ま、大舞台でないのが気持ちに隙間を作っている人もいるんだろうが、大きい舞台を見据えて小さい舞台に気を抜かないのが肝要だ。

今回はアチクシも参加するが、人にはあれこれ指示を出しても自分がやるとなると、客観的に自分を見るという苦労がついて回る。ま、これもボケ防止と思う事としよう。

 

デイサービスに行った母が、体調不良を訴えて昼すぎに帰宅したは良いが、弟たちが留守で鍵を持って無くてこっちが呼び出される羽目に。様子を見に駆けつけると確かに具合が悪そうだ。どうも、あちらでは場の空気を明るくしようとハッスルし過ぎているようだ。それでどっと疲れるらしい。間もなく94歳。段々弱ってきているのを見ると、愛おしさがこみ上げてくる。この年寄りに、もう何でも良いから好きにしてと言いたくなる。、、、高齢化社会。老々介護まっただ中。

2014年2月11日 (火)

戦争映画。

昨日母を結果として手痛い目に会わせてしまった悔いがあり、今日はサービスデーと決めて映画に連れて行った。長い間腰や足の痛みを訴えるため控えていたのだが、好きな映画を見せるのが薬だと思った事もある。

今日が祭日だということを考えもせず、サティに着いたら駐車場はどこも一杯。ようやく止めてまずは腹ごしらえとばかりうどん屋さんへ行って見るとこれ又長い列。仕方なくパンでも買って、、と行くとこれ又長い列に並んで買うことになった。が、なんとかゲットしてチケットと飲み物を買って入ったらあまりの忙しさで汗が出た。予告の間に少しお腹に入れ、ようやく落ち着いて画面を見る。

「永遠のゼロ」

全く予備知識無く見たが、最初から最後まで泣いた。主人公の凛々しい生き方が凛々しければ凛々しいほど悲しい。戦争というモノが、普通の人間に与える苦悩などに改めて涙した。岡田なにがしという俳優の力が大きいが、、、。

予備知識ではないが、ラジオで原作者が語るのを聞いたことがあり、「今まで何人もの人が私の作品を映画化させてくれと言ってきたが、どれもこれも脚本が気に入らなくて断ってきた。ところが今回非常に私の意図するところをしっかりくんだものが出て来たので、OKを出した。」と言っていたのが妙に頭に残っていたのだ。

見終わって、作者の意図とはなんぞや?と改めて思った。この作者こそだれやあらん、あの放送経営委員会のメンバーで世の中で物議を醸している人物だ。そういえば、きっちりと訓練された航空隊の整列や行動は、役者のそれではなかった。おそらく自衛隊員ではないのか。現代に生きる主人公の孫が、28歳で没した祖父の人生を調べて廻るとき、おじいちゃんに好意的だった人物が、何故や~さんなのか。不思議だった。真面目で一徹な主人公が命を助けたのがこの男性だった、という設定にしたのは何故、どういう意味を持たせたのか。物語の筋とは関係なさそうな戦闘機の空中乱舞がやたら多いと感じたのは、フムフム。

この作品に対する批評の記事を読んだ。批判しているその作家はこの作品のブームについて「日本人のゆるやかな右傾化」を懸念していた。そうかも知れないが、どんな作品でも、それを見る人によって、角度や深度やポイントが違うと思うから短絡的にそう結びつけるのもどうかとは思う。一旦作家の手を離れたモノは、どう観賞されようと仕方がない。吾が母親なんか、実体験した者として、「あのころを思い出した」と戦争の残酷さや戦後の生活の困窮振りを中心に観ている。大勢の人がすすり泣いていたが、「友情」や「後輩のための自己犠牲の心」「内地に残してきた家族への愛」、、、そういう人間本来持ち合わせている感情が琴線に触れる部分だったと思う。それもこれも戦争時代という、個人の考えの通用しない時代に於けるものということが憐れを誘うのだ。

この作家の例の選挙応援演説は反戦をそのテーマにしていたが、この映画も反戦映画だったように思うが、違うことが狙いだったのか、、。よく分からないなあ。印象に残ったのは、主人公が優秀な学生達に特攻隊の訓練をしている中で、いよいよ戦局が危うくなってきた時、「君たちは生きなくてはならない人達だ」と語る場面。

かつて呉に行った折、説明を受けた中に、「あの戦争で日本中の優秀な若者が沢山死んでいきました。もし彼らが生きて居たら、日本はもっともっと素晴らしい国になっていたと思われます。」というのがあったが、それと同じ事だろう。本当にもったいないことをしたもんだ。

出かける前に偶然テレビに藤田嗣治の特集が映っていて、彼が政府に強要されて「戦争画」を描き、手紙には戦争賛美者のごとき文章を書いていて、終戦と同時に絵を殆ど全て焼き払い、手紙の相手には焼いて欲しいと書いた、というのがあった。この時代を生きた人々は本当に苦しい気持ちで日日を過ごしていたのだろう。特に文学や芸術に生きていた人達は悲惨だったに違いない。

 

お願いだから二度と日本を戦争に巻き込まないで欲しい。

2014年2月 9日 (日)

一枚の写真。

イマイチな体調だったが天気が後押ししてくれて予定通り歌会に参加した。我が身に引き替え主宰者であるTさまは10歳年上にもかかわらず、お元気なんてもんじゃない。出詠の全てに丁寧な指導をするという集中力の必要なことを、4時間もやってのけるパワー。ただ参加しているだけのこちらは時折集中が欠けるというのに、、、。こういう人の存在は我が身を引き締めるし、安堵感のようなものも頂ける。まだ10年経ってももしや行けるのか?勿論行ける人も行けない人も居るだろうが、とりあえず希望はある。

今月の一首のお題、「相聞歌」がやっぱり話題になる。やや若い人が多い中で見渡すとまだまだ照れがある世代かとも思う。70歳近くになると、照れは何かに消化出来そうな予感がある。消化ではなく、昇華であって欲しいが。

 

歌会の最中にお嬢からメールが入る。息子連れでランチを食べているらしかったが、お隣の60代後半のおばさんを見て、「ねえねえお母さん、アノおばちゃんけっこうとしとってるね」とか「ねーねーお母さん、今日ブラジャーしてないね」とか大きな声で喋ってて、「助けて~」というもの。まあ、新しい言葉で喋るのが楽しい時期だから仕方がないわなあ~。アンタのしつけが悪いと返事しといたが、フフフ。

 

昨日引き出しを整理してたら、中から古い写真が一枚出て来た。場所は高知の「見残し」だと分かるが、二十数人写っている集合写真の誰一人名前が分からないのに驚いた。確か詩人や作家達の集まりだったと記憶するが、当時から余り知らない人が多かったのも事実。でも、一人くらい一緒に行った人の記憶があっても良さそうなもの。拡大鏡で見ても知ったような顔はあるものの、誰だか分からない。誘われてバスで延々揺られた記憶しか甦らない。

それにしてもこの古さときたら、、、、。まず服装がやぼったいが、一番は髪型だなあ~。この頃文学に親しんで居た人達はその後続けているんだろうか?半世紀近くも前のことだ。中に一人や二人良い作品を発表してる人も居るだろうなあ。

 

今までの人生でこうして多くの人達と関わってきたが、すっかり過去の人になってしまった人と、今もって腐れ縁の如く付き合っている人も居る。この違いは何だろう?単に会う機会があるないという事でも無い様な気がする。矢張り大海の貝をざるですくうように、残る人と海に散る人が居て、人間はごく限られた人々としか付き合えないようになって居るんだろうなあ。そう思えば、現在までお付きあいのある人は、全て運命的とも言える。大切に守りたいものだ。

その意味で年賀状という慣習も捨てたもんではないかも知れないが、、、。なにせ筆無精のアチクシ。今日の歌会で、「10日ほど遅れてきたハガキには100日分の訳が書かれていた」というのあったが、この方は真面目な意味でこの歌を詠み、私は自分に置き換えて言い訳ととったもんだ。但し私の言い訳は短い。「最近呆けてきたのでゴメンなさい。」

2014年2月 8日 (土)

トンネルの夢から醒めたら、そとは雪だった!

昨夜の雪がここまで積もるとは思って無かったが、行く予定にしてあった陶芸教室はキャンセルさせて頂いて正解だった。病院に行けるかどうか不安で、電車で出かける夫に状況を電話して、と頼んでおいたら案の定車が田んぼに落ちていたとの報告が。ふらふらっと軽自動車が寄ってきて危なかったとも。なので、病院行きは断念して温和しく自宅に引きこもり。予約のお客様も予定変更して明日になったし、さあ、何からやろうか、、、と考え中。、、、といっても既に日が差して雪は音を立てて溶けている。でも一度失速したリズムはなかなか取り戻せず、動きが鈍い。

 

昨日はちぇちの会議だった。会長が1年間海外出張で不在となるため、今のうちにあれこれ決めるべきは決めておこうという趣旨の元、簡単な壮行会を兼ねたものになった。3時間に及ぶ会議という名のお食事会は、そういうわけで充実したというか、密度の濃いモノになった。アルコールは会長と二人だけ。カルピスなんか飲む人を冷やかしたり、ワイワイガヤガヤ。、、こういう時間は必要だ。

2年後となる次回の作品もおおよそ決まり、年間スケジュールにも手が着いた。毎週の練習時の必要事項もほぼ決まり、気持ち新にスタートだ。、、、といっても、老いていくこの我が身を案じ、それぞれが心配の言葉を口にしてくれたのは嬉しかった。というか、もしもの時が来るかも知れない事をみんなが念頭に置いてくれていることで安心した。そうなんだよねえ。後2年後にどういうことになってるか、我と我が身が想像できない。と言えば、若者達も口を揃えて自分たちも同じだと言うが、、、レベルが違うんだよねえ。ま、下手な考え休むに似たり。成るように成る。先の事を考えるより、足下を見つめる必要がありそうだ。

 

この分だと、明日の歌会はありそうだなあ~。道路の雪もすっかり溶け、車の上に少し残って居るのみ。さ、金魚に餌でもあげようか。

2014年2月 6日 (木)

グレー。

人間追い詰められたら出来るもんだ。遂に短歌が完成して曲がりなりにも提出できた。その上、今回のお題「相聞歌」ばかり20首位出来てしまった。まさかこれを中央へ全部だすのもねえ。気が引けるなあ。考え中。

 

今夜はもっぱらパソコンの使い方に没頭した。互換性というのかなんというのか、セキュリティの関係かも知れないが、メンバーに一斉送信すると、かなりの数が届きませんとなる。これは大変不便だ。なんとかしたい。、、、と頑張っているが、案の定全員は無理のようだ。明日はちぇちの会議となっているから、今夜中に終わらせたいなあ。

しかし、まだこういう事が出来ていることを喜びたい。何故か。今日とある病院に行き、気がかりなところを尋ねたら、手足の動きの観察と共に100引く7は?93引く7は?86引く7は?、、、と突然言われてしまう。、、、ありゃりゃ?以前母を連れてった認知症の検査の時と同じじゃん!?この突然というのがショックだったが、母のあの時の気持ちがようやく分かったというモノだ。イヤハヤイヤハヤ、我が身の行く先は?,,結論は3週間後に先送りだが、全く白でもないようだ。グレーかな?みんなと楽しく歌が歌えるのは一体いつまでだろう?

 

病院の前は母をマッサージに連れて行き、自分も遣って貰う。これがほんとにベストなのかどうか、、、判然としないまま通い続けている。こちらもグレーだなあ~。

その前は母をおうどん屋さんへ連れて行き、しっぽくうどんだ。あまり食欲がないというのを、「ゆっくり食べたら良いのに」と他の話題をどんどん出していると、受け答えしながら結局は全部食べてしまった。、、、ほんとはどうだったのか?,,,グレーだなあ。

 

今日の空もグレーだった。

2014年2月 4日 (火)

宴会。飲み会ともいう。私の場合。

今日は今年に入って何回目の宴会だろう?数えられないくらいになっちゃった。その都度同席する人が違うのが救いだが、、、。

美味しい中華料理を囲んで、我々同窓生女4人衆はよく食べ良く喋りよく飲んだ。そもそもこの会の目的は同窓生の議員を応援するためのものであった筈。しかし、何度も集まる内に会の趣旨はどこへやら。我々の目的は食べて飲む以外には今日なんんか同窓会の打ち合わせだ。あるケーキ屋さんはしっかりとチョコの販売をやっているし、町内会の人達もその辺の人達でわいわいやっている。殆どと言っても良いくらい政治の色は感じられない。結局今年の11月に創業から50年という記念の同窓会を遣ることが来まった。でもって、真面目な打ち合わせ会を遣る日まで決まった。

2時間半くらいで料理の余り物をお土産に引き揚げて帰ったら夫が早いなあ~と驚いている。ま、確かに。

しかしまあこのところ外食三昧だなあ~。ご馳走も二日続くとゲップが出るなあ。今週まだ一回あるなあ。もっともこれはちぇちの会議だが、やっぱり外食だ。

確かに作ってもらった手の込んだお料理は良いんだけど、こっちは夫の夕食を忘れるわけにはいかないからねえ。ま、しゃあない。

 

先日来、短歌のお題「相聞歌」に悩んでいて、ヒントになるかとツタヤレンタルで、「ホリディ」という映画を借りて観てみた。アメリカ映画らしく最後はハッピーエンド。お気に入りの女優も出ていてとても楽しい映画だった。二組のカップルの破局とそれぞれの女性の新しい恋が描かれているのだが、このアチクシ。どのシーンに感動したかと言うに、主役の女優がフトしたことで知り合った90歳のおじいさん、実は有名な映画の脚本家に関わり、歩行困難でそれを理由に祝賀会を断り続けていたのを叱咤激励して、水泳させたり歩行訓練したりしてとうとう歩けるところまで快復させ、無事その大きな祝賀会に連れて行く事が出来た、というそのシーン。老脚本家は、舞台に上がり、まるでジョークのように、「私は非常に感動している。この階段を一人で上がれた。」とスピーチする下りで泣いてしまったという次第。この映画の主題は「恋」であり、特に女の側から見た恋愛感情だったはず。ところがその部分には殆ど感動せず、まあ言わばおまけみたいな部分に一番心が動いたというのも、自分が年取ったせいか。相聞歌どころか、老人哀歌なら創れそう、、、というかんじ。いやはやいやはや。まあ、新しい恋物語は先が読めてしまうと言う部分でイマイチだった所もあるが、それにしても、だ。

間もなく締め切り。どうしよう~~~。

2014年2月 3日 (月)

もしや二日酔い?

先ほど夕方のウオーキングから帰宅した夫と明日が生ゴミかどうかでチョイと口論。夫の勝ちで、明日は火曜日と判明。敵は呆れたり怒ったりしながら早々にご就寝。なんでこうなったのか?とつらつら考えるに、今日も今日とていくつもの用事を片付けて、ほとほと疲れてまる二日分の仕事をした気分になっていたというわけだ。嫌がる母をマッサージに連れだし、デイサービスに行くのも説得するという骨の折れる仕事が神経を参らせる。いやいや、母と同じ認知症になってきただけなのかも知れないが、、、。

それにどうも前夜のアルコールが残っているような気が、、、。この頃弱くなったなあ~。とつくずく思う。

だのに、明日も同窓会の打ち合わせを兼ねたとある会合に出かける。ふ~っ。

 

この天候も作用しているかもねえ。雨だもんねえ。

2014年2月 2日 (日)

母校を愛する人の集まり。

♪一高のファイトを知らないか♪エイエイ!と久しぶりに歌ってきた。何だろう、この空気。

今日は一高異世代交流会。私とK君の二人が最高齢。全く知らない人のテーブルに座るも、全然違和感が無い。早速名刺の交換となるが、みんな同窓生と分かっているからか、なんら警戒心がない。目の前の人は吾が息子と同級生。そりゃそうだ。うちは家族全員が一高だからなあ~。

ざっと10人ほどとは顔見知りで、お互いに久しぶり~と挨拶を交わす間柄。しかし後は全くの初対面だ。団塊の世代が多いため、各界で活躍中の人々が多いわけだがどの人も妙に親近感がある。

「一高は自由だった」とみんなが口を揃えて言うので、「うんにゃ、そうじゃなかったよ~」と我が高校時代を語って聞かせることになる。後輩達はそうなのかと合点しながら聞いている。ま、しかし、母校を愛する気持ちは皆一緒みたいだった。これって、自己愛の延長?自分の青春時代を愛おしく回顧しているだけか?

帰りもあるご夫婦が自宅まで送って下さったが、いやはやいやはや、その道中も一高時代の思い出話、先生のうわさ話に終始する。中でもI先生とM先生の美女振りに話題が集中。他にはユニークな先生方のこともあれこれ出て、いやあ~懐かしかったなあ~。

 

大がかりな同窓会と違って、こういうのも良いねえ。ってことで、又年内にやるそうだ。

ここだけは平和だったなあ~。ゲップ。

2014年2月 1日 (土)

ちかれたび~。

今日のCantiamoは異常に疲れた。朝起きてから万全の体制で臨む予定が昼前になって急にヒドイ下痢に襲われた。何度もトイレに入る羽目になり、出かけなくてはならない午後1時半になっても腹痛と下痢は一向に治まらない。冷えのせいかと薄手のワンピースをニットに替え、靴下の上に分厚いスパッツを重ねたりあれこれやってみたが、これは今日の参加は無理か?と諦めかけたところに夫が帰宅。下痢止めを出して貰い(何でも持っているんだ、このお方は)しばらく様子を見ていたら、まあ、少しずつ収まってきたので遅れ気味ではあったが、行って見るかと車を出す。

会場に着いたらもう出るものもなくなったのか案外落ち着いてきて時々痛みが走るものの、ナントか歌う事も出来たのはまメデタイ。終わってからの打ち上げもその時間には普通に食べられたし、、、、あれは一体なんだったんだろう。

 

この会も36回目となり、良い雰囲気になってきた。H先生が今日一番嬉しいのは男性が4人も出てくれたことです、と仰っていたが、全くその通り。矢張り男性が居ないとねえ。

 

帰宅してからど~っと疲れが出て、ソファで仮眠。目覚めてもなかなか起き上がれないので、そのまま映画を観ていたが、ニューヨークの女性達の生活を描いた面白いモノだった。これのパート1は観ていたが、2は観てなかったのでちょうど良かった。

明日の夜は同窓の異世代交流会なるものに参加する予定。今回2回目だとかで、全快は盛り上がったようだ。が、今回は私とK君が最高齢者としての参加みたいで、ムムム。いやほんと。どこに行っても最高齢者になりつつあるなあ~。

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