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2014年1月

2014年1月31日 (金)

若者に学ぶ。

今日夫婦でテレビにおさかな君が出ているのを観て居たときのこと。フト私が口にしたのは、今時の若くて実力がある人って、昔の型に全くはまってないねえってこと。学者と言えば男性なら七三に分けて、決まり切った白いワイシャツによれっとした背広、女性なら何時切ったか分からないロン毛を一つにひっつめて、度の強い眼鏡を化粧っけの無い顔にかけているのを神経質そうに手の甲で持ち上げる仕草、、、、なんてのが頭に浮かぶが、この人達はどうだ。ちょっと危ない人に見えるおさかな君や、黙っていたらメイドカフェのおじょうちゃん?というようなしっかりメイクの小保方さん。彼らはれっきとした研究者であり、その道のプロで、勿論卓越した知識もある、この不思議。「人の外見と内実は全く違うものである。。」という持論を展開したシェイクスピアが手を叩いて喜びそうな人物だ。いや~、面白い。

小保方さんの様な女性が都知事選に出てこないかなあ~。軽く見えて、実は誰よりも真摯で粘り強く正しいと思った事に真っ直ぐに突き進んで行ける人、、、夢かな?

夢といえば、この小保方さんは13歳の時、毎日新聞作文コンクールで教育長賞を貰い全国大会にも出ているようだが、「夢」についての素晴らしい文章を作っている。全体も素晴らしいが、この冒頭の部分、「私は大人になりたくない。日々感じていることがあるからだ。それは、自分がだんだん小さくなっているということ。もちろん体ではない。夢や心の世界がである。現実を知れば知るほど小さくなっていくのだ。私は、そんな現実から逃げたくて、受け入れられなくて、仕方がなかった。夢を捨ててまで大人になる意味ってなんだろう。そんな問いが頭の中をかすめていた。でも、私は答えを見つけた。小さな王様が教えてくれた。私はこの本をずっとずっと探していたような気がする。」、、、これがその年齢の女の子の書く文章なのか!?

この冒頭から結論まで、一気に読ませる力に驚くが、今、こうして実際に夢を自分の手で捕まえた彼女を知ると、その文章が机上の空論の展開ではなかったということがよく分かり一層感動する。昨日テレビで見た彼女の言葉の中でも、「余りに辛くて何度も止めてしまおうと思ったが、今日一日やってみよう。明日一日頑張ってみようと思って来た。。。」というところは、本当に感心した。

 

うう~ん、日本の若者も捨てたもんじゃないなあ~。もしや、未来は明るいのか?

2014年1月29日 (水)

人と人。

今日の練習は諸事情から音源無しとなった。が、イタリア語のお勉強やら、演技のお勉強、春の音楽祭の演出など、結構遣ることが多く、何時もの時間ナントか埋めることが出来たのはまあ、メデタイ。ピアニストが「弾きたかったです~」と笑いながら帰って行ったけどねえ~~。フフフ。

昼間のFM二本録りはスムーズに行き、なかなか面白い内容の番組となった。

一口に音楽を楽しむ、と言ってもいろんな楽しみ方があるものだ。この方のよぅにアマチュアだからこそ自由な楽しみ方が出来るという人も世の中には沢山居る。この方は歌う事が大好きで、聴くのも半端じゃなく聴いている。音楽と生きて、プロとアマチュアどちらが幸福なんだろうと思ってしまう。

 

とある女性から誰か素敵な男性を紹介して欲しいと頼まれて、少々当惑している。だって、その方は私と3歳しか違わない。勿論独身だが、恋することを面倒だとも思わないし、希望を持っているから、と言う。さりとて、身辺を見渡しても、素敵な、という形容詞が付けられる人はそうそうは思いつかない。奥さんを亡くされた人は何人か知ってはいるが、はてさて、そういう人間関係を求めているかどうか、、、、それを聞き出すのも難しいなあ~。結構真剣みたいだったから、適当な返事は出来なかったが、、、、40代の独身女性達もこの人を見習って欲しいモノだ。な~んてね。

 

アル若者からは相談とも愚痴ともつかない話を延々と聞いたが、モグラよろしく自分で掘った穴からなかなか出ようとしない。外に出て、明るい太陽にさらされるのが怖いとでもいうような風情。やれやれ。もっと角度を変えて物事を見られないモノかしらねえ。

 

アル女性に電話したら、今猛烈に落ち込んでいる,と言う。しばらく話したら段々元気になって、「ほんと、話が出来て良かった~」と声に明るさが甦った。別に私でなくとも良かったと思うが、とにかく誰かと話す必要があったのだ、その人は。

 

人は一人では生きられない。

2014年1月28日 (火)

映画。やっぱり好きだなあ~。

「素晴らしき人生」という古い映画を借りたDVDで観た。懐古主義ではないが、なんて昔の映画は良いんでしょう!?ひねくって無くて、単純で、ストレートに心に届くメッセージ。

大金を無くして死んで保険金を得るしかないとやけになっている男を、爺さん天使が救うというもの。内容はある意味奇想天外ながら、う~ん、と唸らせる教えが込められている。その男が「僕なんか生まれてこなければ良かった」というのでじゃあ、お前さんが生まれてこなかった時代はどうなっていたかを特例として見せてやろう、、、と、その羽の無いまだ二級天使が、彼が生まれてないその時代を目の前に展開してみせる。すると、子供の頃友人を助けたことが帳消しになっていて、その友人は成功してNYで事業家に成って居るどころか墓に眠り、アルバイト先の薬やの爺さんが自分の息子を亡くしたショックで劇薬を顧客に届けようとしたのを大変な思いで阻止したのが、そうなって無くてその爺さんは監獄に20年も入っていたり、愛する妻は自分の子供を4人も産んでいたのに、自分と出会わなかった為ずっと独身でいつもうつむいて暮らしているような地味な女になっていた。町は、自分がいやいや引き継いだ父親の住宅ローンの事業だったが、困った人を助けるべく努力して環境の良い町が出来上がっていたのに、どこまで行っても飲み屋やキャバレーばかりの毒々しい町並みになっている。、、、その天使は言う。「たった一人の人生でも、これほど多くの人に関わっているんだ。自分一人の人生ではないんだ。」

自分ほど不幸な人間はいないと思い詰めていたその男は初めて自分が如何に幸せな人生を送っていたかを思い知る。こんな自分でも人々に関わりいくらかでも人々の幸福に貢献している事を知る。そして、たかが金の為にこの人生を捨てられないとばかり、マイホームへと雪の中を転がるように走りに走る。この日はクリスマスイブ。町中がほっこりと暖かい灯りに彩られ、人々のメリークリスマス!というかけ声があちこちで聞かれる。家のドアを開けた途端待っていたのは債務者や警察官や監査人達の渋い顔。しかし、それらをモノともせずに声高に子供達の名前を呼びながら二階へと駆け上がり、4人の子供達を、自分の幸せをひしと抱きしめる。そこに飛び込んできたのは最愛の妻。夫の困窮を知り町中の人にお願いして回ったため、沢山の人がここに駆けつけてくれると叫ぶ。やがて次から次へと町中の人々がなけなしのお金を持って入ってくる。みるみるうちに洗濯籠は紙幣で一杯になる。新聞記者や監査官までポケットマネーを出している。その様子を子供を抱きながら茫然と見つめる男。そのとき一陣の風が吹いてクリスマスツリーのベルをならす。抱っこされた子供が、「ベルが成るのは天使が羽を貰えたってことなのよ。」と言うのでジ・エンド。

この最後に全員で歌われるのが「蛍の光」。スコットランド民謡だが、日本人は日本の歌だと思っている人が多いだろう。このラストで歌われるため、ちっとも暗くももの悲しくもない。むしろ楽しげで幸福感に満ち満ちた音楽となっている。

 

なんか、良い映画を観たなあ~。

2014年1月27日 (月)

明日は少し暖かいそうな、、、。

大竹しのぶのチケットが売りきれと判明。それもそのはず、昨年から販売受付だったそうな。

昨夜遅くに若き某歌い手が、どうやったらほっといてもチケットが売れるようになるか、なんてことを話題にしていたが、実際こうしたほんの一部では売り切れが起きているのは事実。でも、舞台というのはプロの世界さえほんとはなかなかこうはいかない。四苦八苦して出演者など関係者が売りまくっているのが現状だ。そこから解放されたいと願うのは自然なことだが、美味しい店に長蛇の列が出来るように、やっていることそのものがしっかりしていれば、いつか結果が付いてくるのではないか。

 

今日はネット新聞ではあるが、嫌なニュースを見た。あのNHKの新会長の配慮を欠いた発言が問題になっているという。放送という特殊な業務、しかも日本のイメージを左右しかねないポジションにある局が、あれではねえ~。何だか、日本のお偉い人は段々品格が怪しくなって来ているような気がする。大丈夫かなあ~?

 

今日は「シェイクスピアの集い」第一回目であった。BBC放送の作品を全部見てみようというもので、誰もが参加出来る仕組みだ。男女参画なんたらかんたらという所の視聴覚室を借りることが出来た。ただただDVDを観るだけだが、これを続ければかなり良い結果が生まれるような気がする。今は亡きI先生もよく言われていた。「作品が一番面白い。作品を観て下さい。読んで下さい。」と。

今日改めて「ハムレット」を半分観たが、何回観ても新鮮で新しい発見がある。毎月一回、これは是非続けたいもの。

ぶっ飛ばした一日。

今日は運転日。まずは友人達3人をピックアップしてから志度までTさんを迎えに行き志度インターから坂出インターまで。コンサート会場がある丸亀まで昼食を求めて走ったが結局ホールにくっついたうどん屋さんに落ち着いた。あいにくの雨で、喫茶店を探すのも面倒で、昼食の後は自販機のある休憩所でしばらく雑談して開場を待つ。4時に終わったので、そこから逆戻りのコース。雨は上がり、風は強いものの、それも感じさせないほどのお喋りでひたすら高速をぶっ飛ばす。あの車の揺れは風ではなくて、女5人の笑い声かもしれないな~。まあ、よく喋った。コンサートのことが3分の1。家族のことがこれ又3分の1。残りはちぇちのメンバーのことやそれぞれの歌のことなど結構真面目なお話し。どの話題でも笑えるのが特殊技能の我々だ。

でもって、志度でTさんを落として今度は下道を帰って行くが、道中夫から「帰ってます」メールが入り、スーパーに寄り道をしてちょいとお買い物。のこり3人を送ってから急ぎ夕餉の支度。この頃やたら一緒に食べたがる夫の為にお付きあいして少し遅れ気味で次なる目的地文化会館へと車を駆る。どんどん気温が下がり、着いたときは結構息が白い。休憩を挟んで、取ってくれていた席に着地。回りには先日の公演に協力して下さった朗読の方々が鎮座まします。そういえば昼間も同じく公演に参加して下さった西の方の方々と開場でお会いしてご挨拶したことだ。

椅子に座った途端、そこまでの疲れで眠気が襲う。やばい、と思ったがところどころ話が飛んだようだ。さん喬師匠の話はまるで子守歌。丁寧に丁寧に低い声で話すので、集中が欠けると途端に分からなくなる。帰りにこれ又同乗して送ることになったいとこ夫婦とも話したが、今の若い人には「吉原」の話や、江戸の下町の言葉なんか分からない人が多いんじゃないの?ってことが心配だ。

この方の話術は是非残しておきたい程のものだが、、、、さて?

特に今日のお話しは凄いものだった。内容ではない。師匠の語り口調そのものが一つの芸術だったのだ。こんな落語は聞いたことがない。まるで高度な朗読の世界、、、とも違う、読み聞かせ、、、とも違う、なんと表現したら良いのか。。。全て語り終えて、中腰のまま、客席を見据えたまま、じっと動かない。その時間が半端じゃない。それに小唄が流れてきて、、、、しばらくそれを聞いてからやおら居住まいを正し頭を下げる。。。。まるで演劇のようだ。落語も奥が深いなあ~。

 

で、終演後、そのいとこ二人を乗せて中央インターまで。そこから再び高速で志度まで。それは別の用件でモスバーガーまで。そこで閉店の11時まで居て追い出され、まあやるべき事は終わったので帰宅したが、、、、疲れ過ぎて逆にハイテンション。今度のCantiamoの曲を1週間前というのにお願い電話。何時もの事ながら呆れられたという次第。

このけたたましい一日。これからお風呂でゆっくり自分を取り戻そうと思うが、明日はシェイクスピアを観る会だ。ふ~っ。さっきから急に咳が出るんだよねえ~。大丈夫か~?アチクシ。

2014年1月26日 (日)

女、その心あるもの。

「悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり」雅子様のお歌。

震災を歌われているようだが、もしやもっと別なことも詠まれているのかもしれないと思った。単なる詠嘆を越える感じがある。

 

「日本はどこへ向かっていくんだろうという不安な時に、この芝居ができることがうれしい」と話す大竹しのぶ。若い人にたくさん見てもらいたいという作品は、〈太鼓たたいて笛ふいて〉 作家・林芙美子の後半生を、井上ひさしが音楽評伝劇に仕立てた作品。 劇の中で「物語を決めるのは この国のお偉方」と歌い、芙美子は従軍記者になる。しかし、日本軍による侵略を目の当たりにし、ウソの物語に踊らされたことに気づく。「無知な人間の妄想ほどおそろしいものはないわ」。。。。(引用)

見たいなあ~。大阪まで、観に行くか?

彼女は言う。「3・11が起きるずっと前から、原発は本当に怖くないのかと(歌手の)忌野清志郎さんらがずっと訴えていた。でも、私たちはそれに耳を貸そうともしなかった部分もあった。そして、福島が住民が帰れない状況になってしまった」。今、ひとごとではなくて、一人ひとりが自分のこととして日本を考えていかないと、、、」

 

 

最近、女性の声が、力強く聞こえてくるなあ~。

2014年1月25日 (土)

時は流れる。

吾が周辺には、ほんとに活動家が多い。といっても主に芸術的な分野だが。その情報が入るとこちらもじっとしては居られないという気分になる。そうやって、他者からのエネルギーによってこちらも動かされているのだろう。例えば、山の中のおんごくに一人居て、どこからの情報も無ければ一体自分はどうしているだろうと考える時、矢張り外からの働きかけで動けているんだろうと思う。これはほんとに有り難いことだ。

なんてことボンヤリ考えながら、夕食後のうたた寝から目覚めてBSを見てみると、どっかで見たことのあるおっちゃんが白装束でマイク片手に歌っている。寝ぼけているからジュリーに見えるのかと思ったらほんとにジュリーだった!わっちゃ~。いるはいるは、あのタイガースのなれの果て、いやいや、頑張ってる面々が画面一杯に拡がった。思わず悪いものを見たとチャンネルを変えようとして踏みとどまったのは、やっぱりジュリーの声を聞いたときだった様に思う。あの独特のネバイ声。甘さも残っているし、セクジーさも昔ほどではないにしてもチャンと聞かせる。ああ、頑張ってるなあ~と思ったせいか、不覚にもうるうる来てしまった。映像は残酷だ。容赦なく彼らの動きや浮腫んだ手、曲がった背中などを映し出す。恐らくは会場に観客としていたならば、そうも思わなかったに違いないが、テレビとはこういうもんだ。、、、が、彼らは凄いと思う。どういうコンセプトでやったのか知らないが、自分たちの老いを受容し、今の自分たちを見てくれとばかり堂々と演奏を繰り広げる。そういえば近頃海外の往年のスター達が同じように来日してショーを繰り広げているらしい。多くの昔のファン達は、「わかル音楽」を求めて集まって来ているのかも知れない。今の時代の音楽をイマイチ理解出来ない人達、、、、勿論そればかりではないだろうが、自分たちの若い頃夢中になった音楽に浸る時こそが、自分にも青春があったと思える時間かも知れない。

そういえば、若い頃は内からのエネルギーが自分を駆り立てて、他者の力を必要とはしなかった。良い悪いは別にして、やむにやまれぬ思いから次々と行動を起こしていたように思う。その頃、同じ思いで画面に躍り出たのがグループサウンズだった。制御できない吾が思いを彼らが代弁してくれていたのだ。

 

あれから四十年。ジュリー達は真っ白な頭で真っ白なスーツに身を包み、残ったエネルギーを振り絞るように歌っている。

 

やっぱりうるうるだなあ。

2014年1月23日 (木)

天気、晴れ。

足が痛いという母を、こんなにお天気が良いんだからとドライブに誘い出す。道中愚痴を聞くのもお役目の一つと心得て。デイサービスが嫌だというのはいつもと変わらないが、その理由がどうやら足が痛いということらしく、一日椅子に座りっぱなしが辛いらしい。しかし、放置しておくと寝たきりになっても困る。勿論本人もそう思ってはいるらしいが、どうも複数の人の中にいると、それだけで疲れるようだ。ま、分からなくもないが、、、。

 

今日はアル方からボランティアで歌って欲しいというのを心ならずもお断りしてしまった。スケジュールが合わないというのもあるが、頻繁にするほどのエネルギーも持ち合わせてないという、それがほんとの理由だ。それに、私なんかが行って歌っても、ほんとに良いのかどうか、、、時間を頂くからにはある程度の準備も必要と考えるのは、考え過ぎなんだろうか?先日呼んでくれた方はしょっちゅうあちこちに行っているようで、失礼ながら、それ程技術を磨いて臨むべきとは考えてないようだった。要するにひととき退屈しているお年寄り達に楽しんで貰えばそれで良いというそこに焦点を絞っているようだった。それはそれで徹していて大したものだと脱帽だが、、、、。ま、人それぞれだ。

 

又機会があれば行こうとは思うのだが。。。とりあえず我が家のボランティアが忙しい。

2014年1月22日 (水)

ガンバロウ。

やたら寒くて、毎日厚着のおみっちゃんだが、夕べは流石に夫に呆れられた。余りに着ぶくれていて、いくら格好はどっちでも良いとはいえ、それはないだろう、という。で、お風呂に入って湯船に浸かりながら数えてみたら、上は5枚一部6枚。中間部は4枚おみ足は3枚一部4枚。一部というのは言わずもがなのブラとソックス。おっとレッグウオーマーも。しかも、ヒートテック二枚重ね、という出で立ち。夫でなくとも呆れるかも。そうそう、その上外ではそれにマフラーまで付けているから、帰りはコートとマフラーと羽毛いりベストを小脇に抱え、我ながら傑作な格好。

これって、心が寒いってこと?な~んてね。

 

今夜の練習時も、一度は脱いだコートを再び引っかけての2時間。やれやれ。だって、あの会場寒いんだもん。

 

義妹が燃え尽き症候群だという。先日の公演まで頑張ったこともあるが、その間初孫が生まれ、実家で産んだ娘は3ヶ月の永きにわたり居座り続けたから、まあ、大変だったんだろう。経験者としては良く分かる。冬季鬱病にならないようにねと言っておいたが、確かに我々世代は注意してないとすぐその穴ぼこに落ち込みそうになる。自力で立ち直れる場合は良いが、そうでないときは他者のアドバイスを素直に受けるに限る。

 

ま、みんなガンバロウ。

2014年1月21日 (火)

芝居を観ようよ。

昨日短歌12首をナントか仕上げて今日投函。申請書も出来て、全て終わったかに思えたが、まだDMの作業が残っている。平行して次なるスケジュールも入ってくる。何もかも投げ出して、遠くへ行きたいという気持ちになっても不思議ではないだろう。と思ったら早速パスポートの確認だ。まだ少しあるなあ~。今のうちだなあ~。どんどん自分自身が怪しくなって来てるし、母はもっと怪しい。色んな事を考えてるとあんまり時間が残されてない感じ。ま、この計画がうまく整うなら、我が身も捨てたもんじゃないなあ~。ってところ。

 

昨日の観劇の余韻がまだ残っているが、次回の「片付けたい女たち」という作品のチラシを見ていて以前東京で同じ芝居を観てほんとに感動したことを思い出している。いや、感動と言うより思いっきりお腹の底からゲラゲラゲラと笑った記憶だが。女3人のこの芝居。永井愛さんの台本になるがめちゃくっちゃに面白い。出演者はあの時と同じらしく、ということはアドリブも増えているに違いないし、もっともっと面白くなって居るんだろう。これを地方で見られるということはほんとにラッキーなんだが、、、、会員制だからねえ。市民劇場。もっともっと会員が増えてくれると良いんだけどねえ。

 

こういう舞台芸術は、小説を読むくらい価値がある。生身の人間が作り出す空間芸術は、一人小説を読むよりは時には何倍もの感動を呼ぶ。余程創造力の豊かな人でない限り、、、、。

 

今数ヶ月ぶりで夫婦でぽかぽ○温泉に入ってきた。やっぱり大きなお風呂は暖まる。今日は特に冷え込んで、雪もちらほら。冬の温泉。良いなあ~日本の冬は。

2014年1月20日 (月)

ロミオとジュリエット。

今宵は仲代達矢の出演するロミオとジュリエットを観劇した。近頃の傾向か、舞台はシンプル、人々の動きもキッチリ計算されていてまるでダンスのよう。折に触れ効果音が入り、これはまるでアニメの世界を思わせる。今日の脚本は特に現代流行語を取り入れ、それがここ高松の特長か、さっぱり受けず、滑りっぱなしで気の毒だった。まだ吾等が取り入れた者の方が受けたなあ~。

それはともかく、まあ、確かに「煌めく青春」を描いていて、若さ故の思慮分別の無さ、それ故のほとばしる命の輝きの様なものを全面に描き出していて、新鮮なロミオとジュリエットだった。

が、私的にはこの作品を今上演するのには、別な目的があったのではないかと感じられた。敵対するモンタギュー家とキャピュレット家は、即ちこれ現在の世界の紛争を指しているようだった。日本と中国、韓国もその範疇に入る。お互いの憎しみからは何も生まれず、そこには悲劇しか存在しない。救いがたい人間の愚かさを描いて、客観的に物事を見ることの大切さを教える。

 

それにしても本日の演劇。これって、シェイクスピアを全く知らない人からすると、「なんじゃこれ?」ってな事になっただろう。まずは、くどくどしい長台詞。言い回しが美しくはあるが、曲がりくねっている。殆ど感情のぶつけ合いのセリフばかりで、言葉が聞き取りづらい。何人かは明瞭だったが、その中にというより一番聞き取れたのが仲代達矢。流石だったなあ。身体が入った声、丁寧な滑舌。しっかりした物腰。全てがその役を完璧に表現していた。こんなに素晴らしい人が居るのに、もっと他の人は見習うべきだろう。、、、といっても、そうやすやすとは見習えないのがこの世界だ。

これは、全くオペラの世界にも当てはまる。

何をやっても課題は残る。

 

朝はシャンソン教室、午後は快慶作業、母を買い物に連れ出し、夫の夕餉の支度を調えて出かけたのもあって、案の定最初の20分は眠ったなあ~。気圧のせいで首は痛いし、、、、。何を楽しむにも健康が第一だ。

2014年1月19日 (日)

変化する人々。

ミニ同窓会といっても40人くらい集まっての新年会。沢山飲まないつもりが、やっぱり注がれて飲んじゃったわい。

したたか飲んで、ちょいと肝臓が心配だなあ~と思っていたら、今夜のテレビ番組にまさしく「暴飲暴食」による肝臓障害がテーマのものがあって、あわ・わ・わ・わ・・・

流石に夜ご飯は食べる気がしなくて、大根の細切りをポン酢でと、ご飯二口と煎茶がぶ飲みが本日の夕飯。夫にはお土産に取って帰った残り物で食べて頂く。これがけっこういけたらしい。

でもって、夫婦の夕食時の会話が今時の日本人の宴会料理の話になって、「やっぱり全体に食べ過ぎでしょう!?」となる。今日の場所はお値段とお味の割にはとってもお安く、結構ではあるんだけど、、、、全部食べた人は2,3人。みんなパックに詰めてお持ち帰り。このアチクシでさえ!!、、、だから、いかに沢山出たか分かろうというものだ。

しかも前の席の人は病気で胃を半分切除しているため、殆ど食べない。その右隣はもともと小食らしく、手つかずのおかずが一杯。左の人も糖尿病だとか、、。結果、前に居た我々女二人が沢山のお土産を持ち帰ったわけだ。この季節ならばこその行為だったが、無駄にならなくて良かった~ほんと。でも、あの残り物は全部捨てられるんだろうからねえ。日本人が残した者で全世界の飢餓が無くなるというのが、実感だ。

 

ある友人、奥様を亡くされて以来一人暮らしを続けているが、不幸続きの男性。自分も大病を患い、いかにも生気のない表情でポツンと座っている。彼は社長として事業も活発に展開。10年ほど前は同窓生の中でも最も元気だった人だが、この変わり様に驚いた。あの頃はカラオケも歌い高らかに笑っていたが、今日はひたすら静かに座って、みんなが歌うのを微笑みながら眺めるだけ。舞台に行くのも面倒な様子。事業は続けているらしいが大分体調も悪いのかも知れないな~、、と思いながら見るともなくその人をみていたが、思い切って、宴も終わろうかという時にデュエットを申し込んだ。照れながらも意外にすんなり受けてくれたのは、もしかしたら本当は歌いたかったのかも知れない。すると幹事がそうとは知らず、入力した音楽を切ってしまった。そして最後の挨拶。あ、ダメだったか。もう少し早く思い立ってたら良かったのに、、、と後悔しているとき、別の友人が「この人達に絶対歌ってもらって!」と幹事に声をかけてくれる。私たちが歌うと聞いたその幹事は、慌てて再度入力してくれる。という流れの中で、ナントか彼を舞台に上げることに成功した。それまでがやがやと殆ど人の歌なんか聴いてなかった連中も、全員がし~んとして聴いている。歌い終わって、舞台を降りる時の彼の嬉しそうな笑顔が頭を離れない。元気になってくれると良いなあ~。

 

帰りに恩師の入っているホームへ立ち寄るという友人の車に乗せて貰って、すっかりご無沙汰の先生のお顔を拝見に出かけた。話では、多少分からなくなってはいるがニコニコして対応してくれるから、少しでも元気になって貰おう、ということだった。ところが着いてみると実は入院されていて昨日帰ったところだという。どれほど入って居られたのか分からないがすっかり弱り切って、一瞬笑顔を見せてくれたものの、彼の言う状態からはほど遠い。長居は良くないと早々に退散した、、、、明るく清潔な施設ではあったが、独特な静寂の中、寂しく階段を下りたことだった。

いつも生徒のことを気にかけて下さっていた方で、今日も「そう、それは良かった、それなら安心や」と何度も呟いて居られた。先生の脳裏に誰の事が浮かんでいたのか、、、知るよしもないが、如何にも先生らしいねえ、とその友人と話しながら帰ったことだ。

 

何故か、本日のお店の窓から見えた太陽の光に輝く海が甦った。美しかった。


2014年1月18日 (土)

本日パーティかけもち。

朝は真面目に仕事して、別に不真面目ではないけれど、H邸の新春パーティに参加。これは間もなく行われるCantiamoの会の為の練習会でもある。従って、不真面目どころかおおいに真面目な参加だったのだ。しかもこのアチクシ目は、次なるパーティに参加のため、目の前のご馳走をお味見させて頂いただけで、早々に退散。あのお刺身と菜の花の明太子おろし和え、ピザも美味しかったしあのいつもの奥様手作りイチゴケーキ!なんだ、けっこう食べてるじゃんじゃん。で、も、ほんとならゆっくりもっと頂いてるところだが、歌うだけ歌わせてもらってあとは若者にお任せ~の巻き。ああ、昼抜きで正解だった。

 

次は文化○○主催の新年会。こちらはホテルで、手のこんだそこそこに美味しいものが出たが、量が少なくH邸で食べさせて貰っておいてこれ又正解。飲もうかどうしようかと迷ったが、家から近いからまいっか、とビールを注いで貰って、帰りはテクノと決めた。この会は初めての参加で、にしては色々知っている方が多い。地方の文化人はかなりダブっているのかも知れないなあ~、、、と思っていたら、最後に良いことを言われた人が居た。

「私は今日皆さんに言いたいことがあります。このような会は素晴らしいと思うが、今後は是非皆さんの後継者を育てて下さい。そうでないと、文化は育ちません。。」いや全く。その通りだと私は思った。見渡せば、白髪頭が多くわが同窓生の姿も見える。若者と呼べる人が非常に少ない。これは何もこの会に限ったことではない。県が主催のパーティも同じように年配者が殆ど。実は昨日はそちらのパーティだったが、敢えてちぇちは若者二人に行って貰った。次世代を育てないと何も伝わらない。同感同感。

 

同席になった人と面白く会話しながら知らないうちに結構ビールが進んだようだ。よく考えたら明日も同窓会で飲むんだなあ~。今年は新年早々なんだか飲む会が多いなあ~。その分家では全く飲んでないからま、良いんじゃない。

席に着くや否や眼鏡が無い、っていうマイ騒動に慌てたが、めでたく車の側に落ちていたし、、、、今日は良い一日だった、かも~。

2014年1月17日 (金)

慰問。初めてのホーム。

午前中にFMの収録を終え、その足で老人ホームへと慰問に出かける。1週間ほど前に急な依頼があり、ナントか時間を作って出かけたが、非常な歓待を受けて結果お年寄りの皆さんも喜んで下さったようなのは嬉しかった。中には握手を求めて下さる方もいて、、。しかも同じ出演者の中に高校時代の同級生も居て、その方はフラダンスで参加していた。全くの奇遇で卒業以来会ってないと思う。が、どうやらあちらは私のことを別の舞台で観て下さっていたようで、、、、、いやあ、参った。でも、この年でお互いこうして舞台に立てるのは喜ばしいことだとは終わった後のトイレでの会話。「今年は同窓会よ。」と言っておいたが、、、来てくれると良いんだけどねえ。

同行した仲間をそれぞれ送って、帰宅しようとしたがどうにも頭が痛くまたまたマッサージ。随分お疲れですねえと言われ、慰問の話をして、「実は私が慰問して貰いたいくらいだけどねえ」と冗談を言ってみたり。いやあ、何をしても疲れるなあ~。

 

しかし考えてみると、どんなに素敵な施設でも、一度そこに入ったら毎日が単調で、退屈だろうなあ~。そりゃあ何もかもケアしてくれるんだろうが、曲がりなりにも自分の足で動けて、少しでも外の空気が吸えるということは、人間としての幸せだろうなあ~。

そういう環境に居る人達にホンの一時笑顔になって貰うのは、意味のあることだろう。今日、どうしても遣って欲しいと言ってこられた方は、毎月毎月何件ものこういう依頼をこなしているらしい。よくぞエネルギーが続くものだと感心する。10年の永きにわたりボランティアに捧げているらしいその人に、心からの拍手を送り、又の機会を約束して別れたことだ。

 

そういえば、その昔、我が母も慰問に出かけたことがあると言ってたなあ~。母にしてもこの私にしても、やがてあちら側に座るときが来るのかも知れないなあ~。

2014年1月15日 (水)

寒い一日。

朝はシャンソン、夜はオペラ。どちらも共通項は多く、自分に取ってはそれぞれを懸命にやることがそれぞれを充実したものにした一日だった。が、寒かった。

ちぇちに関して言えば、今日は初練習の日。発声とともにイタリア語の読みと意味を取り、用意していた楽譜の半分を一応こなした。初めての人も頑張ったし、あまりの寒さに(会場が広すぎた)最後は動くエチュードで身体を温めて終えたことだ。ま、スタートとしては悪くない練習だったと思う。

これからも遣りたい人だけで、楽しく充実した時間を持ちたいものだ。「真剣に遊ぶ」をモットーに。

2014年1月14日 (火)

天気も心も晴れ。

朝から頭が痛くてどうにも身体が動かないので、マッサージ。50円アップしましたと言われたが650円はお安いなあ。沢山お時間ではないけれど、これでかなり楽になって、帰宅してからの家事が倍速で出来たのは良かった。

夕食時となって、人はどうして食べなくてはいけないのかしら?と思う。寝て食べる、この時間があればもっと色々出来るのに~~、なんて、らしくもないことをふと思ったり。。。。単に、食事の準備がうっとうしいと思っただけなんだろうが。

うっとうしい筈の夕食は、来客時のような手の込んだものと成ってしまった。あるものを使って、次々と出来る物を作っていたら、いつの間にかあれもこれも出来てしまって、ちょいと食べ過ぎの感あり。、、、これって、夫がいなかったら絶対しない行為だろうなあ~、ってこと、ふと思ったり。。。

そうこうしてる間にも、会計のM君からの電話や、領収書の確認やら入り、間では3月の春の音楽祭のプランなど。そして郵便だ。それは先日の公演に来てくれた同窓生の男性からのものだった。律儀にもアンケート用紙を自宅で書いて、送ってくれたのだが、その裏に、入会しても良いような文面があり、おお、ついに年貢を納めてくれるか、と思って嬉しかった。かなり何度もお誘いレターを出していたからねえ。この際、男性は一人でも欲しいところだ。

こいつは春から、、、縁起が良いわい。な~んてね。

2014年1月13日 (月)

新年会。しらふ。

シェイクスピアの受講生仲間が集まり新年会とあいなった。好天に恵まれ、14名の仲間達との談笑は気持ちよく進行した。講師の急逝を受けて、このままでは終わらせたくないという有志の運動が実を結び、今日の日を迎えたわけだが、今後月1回BBCのビデオを鑑賞する会を行うことも決定している。初回はハムレット。師の肉声CDも間もなく完成する。車の中で聞くにはもってこいの教材だ。

今日、それぞれがそれぞれの師に対する思いを語っていたが、文学で繋がった人々の表現力の素晴らしさに深く感じ入った。先生はこういう人々との繋がりを残して下さったといえるだろう。

 

もうあれから半年が経った。

新婚さんいらっしゃ~い。

まあほやほやの新婚さんとは良いものだ。お互いのことを知り合おうと努めている姿に感動すら覚える。、、、そういう作業をすっかり諦めている古株としては、非常に新鮮。

とにかくしゃぶしゃぶを頬張りながら喋った時間のほぼ90%が笑顔であった。こちらも釣られてそうなるが、勿論質がち違うというもんだ。いやはや、結構なことで。

 

永年連れ添った筈のカップルが別れ話を持ちこんでくるのもいる。人生は分からない。本当の終わりが来るまで、判定は出来ない。が、人間という小さな憐れな生き物は、それでも懸命に幸せを求めて生きている。

それこそが、最も大切なことだ。

この世に生まれたことに意味がある。

2014年1月11日 (土)

二日酔い、チライ。

昨日は異業種交流会なるものに参加。殆ど始めての人達の中で、カルチャー関連組が1テーブルに集合したため、無礼講となり飲み放題を空きっ腹に飲んだのが悪かったか。あるいは、途中でワインを貰ったのが悪かったのか、はたまた最後にウーロン茶カクテルの甘いのを頂いたのが災いしたのか、、、いやいや、そのアトスナックに移動してカラオケ歌ってははしゃいでハイボール2杯飲んだのがとどめだったのか、、、とりあえずタクシーで帰宅したものの、気持ち悪くて眠れない。が、吐こうと思っても吐けず、ひたすらむかむか。色々やっている内にいつの間にか煌々と電気を点けたマンマ眠っていた。で、朝になって突然の吐き気に襲われトイレに直行、どどど~っ!の巻き。その後も気持ち悪くて起き上がれず、ベッドでグズグズしていたら来客だ。そりゃそうだ、10時の予約まで既にあと5分の時間。なじみのお客さんはお優しくて事情を理解してくれて、大丈夫?と言ってくれる。多分、と答えて一応お仕事はしたが、内心はかなりしんどい。まあ何とかかんとかやっつけて、昼ご飯に何か喉を通るものがアルかと物色中に友人が電話してくる。お寿司屋さんの彼女はお昼を何か持って来てくれると言うが、どうも何も欲しくない。「何か二日酔いに効くものがあったら持って来て。」と言っておくと、しじみが無いからアサリのお味噌汁、と梅の手巻き寿司、のどごしが良いからとうどんなど、、、、有り難いなあ~まったく。それらを少しずつ食べてやっと人心地が付く。

しかし、その後もず~っと身体はだるいし、夜ご飯を作りかねて、食後バタンキュウと1時間ほど仮眠。まだ何となく胃の調子が悪い感じだが、まあ、なんとか快復か。やれやれ。今月はやたら飲み会が沢山入っているが、これを教訓にするしかない。ふ~っ。

 

母に「不良おばさん」と笑われたが、、、、。以前我が家で同じようにぶっ倒れた友人がたまたまメールしてきて、事情を送るとメールがめんどくさいからと電話が掛かる。でもって、二人でゲラゲラゲラ。お互い年ねえ~とそこに落ち着く。ほどほどが分かってないのよねえ~とも。ま、学習したと思うしかない。

2014年1月 9日 (木)

音楽の力。

このところ7,8時間寝ているが、自分ではかなり永く睡眠を取っているにも関わらず一日中眠い。特に食後がヒドイ。が、早寝する気にはなれず、今宵も夕食後に頑張ってツタヤの通販レンタルビデオを引っ張り出し観ることにした。睡眠より、こっちの方が自分に取っての薬になるという思い。実際は知らないが、、、、今日も良い映画に巡り会った。

その名は「オーケストラ」。きっと良い音楽が聴けるだろうとの思いもあったが、その通り。大好きなチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が全編に流れる。ありがちなストーリーながら、出演者の技量と音楽の素晴らしさに涙しながらの観賞となった。

いや、ありがちと言いつつロシアのユダヤ人迫害を織り交ぜたしっかりした社会風刺も効いて、ヒューマンドラマとしての完成度も高い作品だったと言い直さなければならない。随所にロシアとパリの共産党の現状が滑稽に描かれていて、作者はリベラリストかも知れないと思った。

ヴァイオリニスト役の女優もステキで、終始惹きつけられる。彼女の出生の秘密が一つのキーワードになっているのだが、それを知るメンバーから、「演奏が終われば自分の両親の事が分かるでしょう。」と言われ、断ろうとしていたの止めリハ無しという無謀な公演の舞台に立つ。そして、演奏が進に連れ、オーケストラとのコミュニケーションが始まりいつの間にか音楽という言葉によって何もかも理解し合えるという境地にまでなって行く。この最後のクライマックスが素晴らしい。この映画を観て、ここで涙しない人は居ないだろう。そこまでのコメディタッチが違和感なく織り交ぜられて、、、、泣き笑いしてしまった。

 

くしくも夕方、メンバーが別件で訪れ、ついでに来週からの練習曲を「モーツアルト」で選曲。いくつか彼の作品を聴いたり楽譜を眺めたりしていたが、、、、音楽はほんとに素晴らしい。音楽の守護聖者ちぇちぃりぁさんの靴の紐を結ぶような我々の音楽だが、それでも、音楽によって満たされているのを感じる。いつかちぇちぃりぁさんの手を取って、ダンスが出来る様になりたいと願いながらの活動だ。もしそんな奇跡が起きたら、ダンスしながら天上に舞い上がり天空に溶けて仕舞うかも知れないなあ~。

今日のこの映画は、まったくそこまで空想させてくれる、とんでもない傑作だった。

今年始めての練習日。

本日はちぇちの第一回目の練習日。といっても歌ったわけではない。今後のちぇちの練習方針などの検討会議に終始した。勿論昨年の公演の反省点なども出る。舞台用にカットしていたヘアースタイルを娑婆でも通用するようにカットし直してきた人も居て、わいわいがやがや。一人会計のM君だけが必死で決算に取り組んでいる。まだまだこれから全ての領収書を貼り付けて提出するというやっかいな作業が待っているが、つよ~い見方が現れて、「やったげる」と申し出てくれたには、彼ならずともホッとした。アチクシだって、半端無い作業を抱えているんだから、これ以上は無理。真っ白だった手帳が段々真っ黒になってきてる。今日はボランティアの予定まで入って来て、、、、断らないんだなあ~私。

会議での一番の議題は、5月に高松市でやる新作オペラ。W先生たちに是非と言われてはいるが、、、参加したいのは山々なれど、、、、具合が悪いことに吾等が練習日と同じ水曜日にその練習が入ってくる。全員参加で無い以上、ごそっとメンバーが抜けると本来の活動が出来なくなるという仕組み。みんなで悩んだ結果、自由参加ということに。ま、それも仕方がないなあ。なかなか難しい。

しかし、ピアニストの積極的参加により、今年のテーマが決まったのは好ましいことだろう。始めて参加の人は目ぱちくりだったが、ま、何とかなるだろう。とにかく楽しむ事だ。古い人も、新しい人も、それぞれの立場で音楽を、それに関わる諸々を楽しむ事だ。

 

いよいよ新しい出発だ。

2014年1月 7日 (火)

眠気との闘い。今日も。

ほぼ8時間も睡眠を取ったにもかかわらず、何故か眠くて仕方がない。昨日の体調の悪さが影響しているのだろう。

母が一人でいるからと、実家に食材を持ち込み夫共々夕飯を済ませ、帰宅した時点でもう眠くて仕方がないが、遣ることが多くベッドには行けない。百回くらい欠伸をしつつ色々処理をしている。

3月に面白いイベントを開催するFさんと長々とお喋り。これは面白いことになるかも知れない。この日は影アナを仰せつかったが、有名な歌のおばさんを呼んでのトークショーのようなものらしい。これは楽しみだ。

前を向いて走っている人が、やっぱり居るなあ~。

 

ダメだ寝よう。

2014年1月 6日 (月)

始まった。

今日は今年1回目のシャンソン教室及びその新年会。とあるところで女7人衆が3時間近くも盛り上がった。お酒も飲まずこうした時間が過ごせるのが女の技だ。

それぞれがそれぞれの人生を頑張って生きているなあ~。

 

帰宅してから母のところへ行こうと思ったが、その前にマッサージだ。久しぶりに行ったらいきなりラジオに出てますねえ~と言われる。沢山いる職員の誰かが偶然聴いたらしい。そか、永くやってるもんねえ。だれかかれかの耳には届いているわなあ~。

そのラジオに年明け早々振り回されている。年末のシフト入れ替えですっかり勘違いしていたため、年明け最初の番組をすっ飛ばした。丁度短歌の歌会の最中に局からの電話であい知らされる羽目になった。イヤハヤイヤハヤ、これでスタートとは今年はいよいよやばいなあ~と思っていたが、早速今日になって明日の収録と来週の収録をバタバタと決めなくてはならなくなった。この先が思いやられるなあ~。

当県には音楽家は山ほど居る筈。だから、その方達とコンタクトをとって、スケジュール調整が出来ればスムーズに行くはずなのに、これがなかなかにハードな作業と成る。まずミキサーの都合が付かなくてはならず、スタジオの空きが無くても出来ない。その上ゲストとアチクシとの時間調整が必要だ。制約の多い中で、これを毎週となるとけっこう大変だ。近頃は月の内半分をY女史に担って貰っているからなんとかかんとか続いているが、あえぎあえぎ遣っているのが本音だ。こちらの持っている情報を誰かに伝えて、それを全部段取りしてくれる人がいれば、ことは簡単なのだが、、、。

とかなんとか良いながら、楽しんでいる部分も無いことはない。ゲストのお話はとても面白いし、30分番組は結構突っ込んだ話も聞けて、、、、贅沢な悩みかも知れない。

 

マッサージ店を出たら急に気分が悪くなり、母の様子を見に行き兼ねて大急ぎで帰宅。ヒドイ下痢の上吐き気が収まらずしばし横になる。同室に咳き込む人が居て、もしやその人から風邪など貰ったかと一瞬ドキッとしたが、一眠りしたらナントか甦った。こういう時メールは有り難い。夫には体調不良に付き、テキトーに食料を買ってきてちょ、と連絡をして、、、。自分は珍しい事に全く食欲がない。が、あれほど夫に不審がられるとはねえ~。今にも死ぬんじゃないかくらいの心配振りだ。たまに食べないくらいでねえ。普段一体どうなのよ、と言いたいが、、、。

 

従って、明日は朝本業、昼FM、そのアト我が家からコンサートの為貸し出していた家具が戻されてくるのをお迎えする。。。ま、こんな具合で今年も始まった。

2014年1月 5日 (日)

記録。

ホール内での撮影はお止め下さい、という場内アナウンスをものともせず、例え劇団四季だろうと、宝塚だろうと撮りまくる強者がいる。今回の吾等が公演にも現れて、ちゃっかりDVDにして届けてくれた。あまりの多忙さにまだ全部は見てないが、一部拝見。勿論プロが撮るものとは違い、映像や音声の乱れはあるが、まあ、一応のことは分かる。気になっていたあの点この点が、やっぱり予想通りでがっかりしたり、思ったほど悪くないと安心したり、、、まあ色々ある。

舞台に立つ者とか、裏の仕事で走り回っている者は、実際の舞台がどう進行しているかさっぱり分からない。毎回スリリングな経験をする。要するに、練習時に色々言っても、最後は出演者のものだ。ひとたび舞台に出たからには、誰のヘルプもサジェスチョンも無い。その日までに身につけたものだけで勝負と成る。そして、経験から言うと、その瞬間にプラスαが生まれるのだ。これを体験すると、「役者は三日遣ると止められない」という諺通りになる。、、が、そこまではなかなか行かないのも現実だ。

まあ、出演者にしても、自分を含めてそのシーンがどの様に観客の目に写っているかは余り分からない。従って、記録としてのDVDが重要な意味を持つ。勿論その場に居て見聞きするのとは全く同じではない。特に声は生で聞くのとは大きく開きがあるのが普通だ。がまあ何かの参考にはなる。

声といえば、お客様の中にはマイクを使っていると勘違いしている人が大勢居るのは残念なことだ。確かに最近ではプロのステージでもマイクを使うオペラが多いと聞く。一昔前は、「最近のホールは音響を考えて作られているから、それほど大声でなくとも良い。」と言われ、近頃では、「マイクを使ってしっかり聞かせるのがお客様の為。」等という声も聞かれる日本のオペラ業界。亡くなられたI先生がそれを随分嘆いて居られたのを思い出す。「本物の声を追求するべきだ。」というのが先生の主張だった。「人は素晴らしい声に感動するんだ。声を忘れてはイケナイ。」ま、そういうことだ。

 

今日は久々にコンサートに出かけ、その素晴らしい声を聴いてきた。若い人が良くなってきて居るなあ~。これは嬉しい。

2014年1月 4日 (土)

短歌。

新年歌会が終わった。二十数名で、和気藹々と時には笑い声や失笑もありつつも、3時間半の長丁場ほぼ真剣な議論に終始したと言っても過言ではないだろう。非常に真面目な会なのだ。

はるばる大阪や大分からの参加者も居て、その人達への配慮の空気もあったかも知れない。確かにこの方々には頭が下がる。それぞれ参加の事情は違うかも知れないが、私が印象に残ったお二人の言葉。お一人は、「怪我したけれど、とにかく来たかったから来ました。」と言い、もうお一人は、「ほんとに来て楽しかった。ほんとのお正月でした。」と言われる。前者は私よりかなりお若いが実力者。後者も齢92歳という高齢ながら同じくアララギから続く短歌の世界の実力者。このお二人がそれぞれの力を尊敬し合う姿は、たまたまこちらの座席が対面から拝見する場所となってとても好ましい風景に写った。、、、この光景の意味するもの。それは単に年齢差のあるお二人が同じステージで意見の交換をされるということの素晴らしさに留まらない。「時代」と「時代」の回合とでも言えば良いのか、適当な言葉が見つからないが、とにかく大きな意味を持つと感じた。

強烈な吸引力でこの会を一気に100人以上の会に仕立て上げたT先生の、もしかしたら一番の狙いがこのようなところにもあったかも知れないと、ボンヤリと考えていたアチクシ。今さらながらT先生の良い意味での深謀遠慮に脱帽だ。ここに来るまでの様々な軋轢をものともせず、ぶれることなく貫いて来られた感がある。いやあ~、私の恩師は凄いヒトだった。

私の車に同乗していた友人Sさんも「楽しかったあ!」と言いながら車を下りていった。何度も短歌を止める止めるとわめいていたSさんにしてこのセリフだ。

 

一つの団体を継続させるのは至難の業だ。「自由参加」と歌っている以上強制力は乏しい。「学ぶ」能力とか興味とかには個人差がある。それを仕事と同じに位置づけるには無理がある。そうした中で、全員が同じ方向を向くという所まで持って行くのはなかなかに難しいことだ。そこにはT先生のような確固たる意志やポリシーが必要だろう。

短歌のこととして書いてはいるが、これ全て、ちぇちのことに当てはまるだろう。

まずは自分が確固たる意志と信念を持つべきだ。そして全力投球することで、そこに幸福を見いだすことが出来るんだろう。、、、ちょっと繋がってきたぞ~。

2014年1月 3日 (金)

日常が帰ってくる。

今日は息子の家族が車で長時間運転して帰って行く。どうやらもの凄い渋滞らしく、かなり覚悟をしている様だが、どうなることか。我が実家の方も我が弟夫婦と甥と姪夫婦とニューベイビィがこぞって大阪へとこれ又3台の車を連ねて移動するらしい。民俗の大移動始まるってとこだ。まあ、荷物を考えるとやっぱり車は便利。、、、が、着くまで心配というのもある。みんな無事でいて欲しいもの。

めんどくさいようだが、この休暇を利用してわずかな時間を家族で共有するというのは必要なことだろう。これが無ければ殆ど他人だもの。孫たちとの接触も少しあるから、懐いてくれて、今日も夕刻に別れを言いに嫁りんの実家に行くと声を聞きつけて玄関先まで飛び出してくる。バトミントンを持って来て一緒にやろうと無理矢理。しばらくやって流石に玉が見えなくなってきて断念したが、こうして慕ってくれるのはほんとに嬉しい。後ろ髪引かれる思いで帰って来たことだ。

久々に夫と二人の夕食と成ったが、友人はどうやらまだまだお正月気分で孫達と食卓を囲んでいるようだ。明日はその友人と新年歌会に参加する。かなり永くその手の脳を使ってないから、明日はどうなることか、、、。ま、いっか。みんな優しいから。多分。

駆ける正月二日目。

本日母と孫達を連れて、西の方へと昼食と買い物に出かける。西なら○○泉だろうと一杯覚悟で行って見ると、案の定半端無い並び方。お店の回りを行列がぐるっと取り囲んでいる。流石にそれを見て並ぶ元気が無く、結局近くのラーメン屋さんになる。今度は玩具を求めて丸亀の○○ザラスまで。こちらも大賑わいで、こっちは疲れて椅子で居眠り。もちろん母は車の中。いや~、驚いたことは他にもあった。孫べえたちを嫁りんに引き渡し、息子ともども帰宅途中洗車しようと立ち寄ったセルフのガソリンスタンドが、これ又2件目でOKの行列。なんとか済ませて帰宅したらへとへとで「どっか食べに行こうよ!」と提案したが、めぼしいところは全て満席。夫が3件、アチクシの3件と6件訊いたらもう出かけるのもイヤになった。結局はスーパーに出かけて食材を購入。少々遅めの夕飯となる。ま、これはこれでこっちが飲めるから良いんだけどねえ。

どこもかしこも人だらけ。時代は変わったなあ~。

 

さっき通りがかりに面白いテレビを見た。「幸福論」というものを、作家とか経済学者とか、当然心理学者などがそれぞれの理論を繰り広げるというもので、それはしかし、一般人にも非常に分かり易く話してくれているため、半分以上済んだ時点だったようだったが思わず画面に引き込まれてしまった。

面白いと思ったのは矢張り心理学者のそれで、「動物には全てある本能というものが人間では壊れてしまっている。」例えば二大本能と呼ばれる性欲と食欲。本能が壊れているから発情期が無く、いつでもOKの状態。動物は本能的に食べたいと欲するものを食べ、それは身体に良い物だったりするのだが、人間は必ずしも身体に良い物でなくとも、食べたいと思わなくとも食べるように成ってしまっている。、、、というような話の展開。そして、人間の殆どの部分が「無意識」というもので成り立っていて、「我」というものは「超意識」というものとの板挟みで非常に不安定に成っている。「我」を安定させるためには自分をもっともっと知るところから始めなくてはならない。、、これはフロイトという心理学者の説らしいが、思い当たるなあ~。もう一つがつんときたのが、「人は自分のやりたいことに全力を投入しているときが一番幸せだ。」というもの。

自分を振り返ってみて、(正月でもあり)全力を投入しているかどうかと振り返ると、どれもこれも全力とは言い難い。だから、何をやっても幸せ感が無いのかと思う。、、、しかし一方で、なにもかも全力投入は困難ではないのかとも思う。ま、幸せ感があっても無くても、やるべき事はやらねばならない。ただ、このことは、今後頭の隅に置いておこうと思う。

 

この番組を見てからお風呂に入り、湯船の中で番組を反芻して、「愛する人が幸せなのが自分に取っての一番の幸せ。」ナンテ言葉を考えているとやっぱり午前様だ。どうやらこの習慣は今年も続きそうだなあ。

2014年1月 1日 (水)

初め、ということ。

新しい年が穏やかな暖かい一日となったことは、なんだか今年一年がそうなるようで良い気分。

昔の人は、「元旦にしたことは一年中続く」と言って、一年の初めに気持ちを引き締めよと説いたのだろうが、今はそれを言って笑い話にしているなあ。孫べえを前に、そういうことを口にしつつ、親からあれこれ言われていた正月を思い出す。

與田寺にお参りしているときに、孫に「ぞめ」の話しをしたら早速一日中使っている。「笑い初め」「転び初め」「ゲーム初め」等々。しかしこの教えは効果があり、姉弟げんかになりそうでも、「ず~っとケンカしてたら、僕たち姉弟じゃなくなっちゃうからね」と5歳の孫の発言があったり、、、。

今日は7歳の孫に乞われるまま一緒に「歌い初め」もした。彼女曰く、「難しい歌がいい」「大人っぽい歌がいい」と。教えつつほんとに伸びやかな声で、このまま歌える子になって欲しいと思ったりして、、、。

来ている年賀状に目を通す間もなく料理に奔走。これじゃあ、やっぱり一年中かも、、、!

 

どんな日々が待っているのか。

大晦日から正月へ。

ほんの20分ばかり過ぎたばかり。が、たまたま起きていた息子と元旦のご挨拶。ここから又1年が始まるのだが、この年が永いのか短いのか、、、、それは何がアルかで決まるだろう。

実は今夜のカウントダウンコンサートなるものに初参加のつもりだった。行く気満々で、おせちも早めに作り、掃除も適当にパス、男二人に食べさせて、とあるお方を待っていた。その人にちぇちの経費の支払いをしてから出かけようという算段だったが、待てど暮らせどやってこない。来るまで待とうと待つ間に追加の料理を作り始める。コンサートは10時~12時半だから、少々遅れても良いはず、、、とか、色々考えながらだったが、刻々と時間が経って、段々気持ちが萎えて来た。行くわよと言った相手の顔も思い出すが、どんどんお尻が重くなってくるのが分かる。ついに彼女がやって来た午後11時という時間は急げばまだある程度は間に合うという時間ではあったが、そこまでで疲れ果てて、全く気力というものが湧かない。、、、、これが若くないってことだろうなあ。結局はエネルギーの問題だ。残念無念。来年行く気が起きるかどうか。今より年取ってるもんねえ。

 

明日は孫べえ一人連れてお参りだ。その前にお雑煮というお仕事があり、鍋に昆布を仕掛けたら、途端に眠気が来た。酔っぱらった息子に寝るようにと促しようやくパソコンにたどり着く。欠伸百連発だ。

 

色んな事があった平成25年。ゆっくり噛みしめる時間も無い。さあ、どんな夢を見るんだろう。ともかく寝よう。

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