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2013年7月

2013年7月22日 (月)

小型台風襲来。

東京から炎天下飛行機に乗って、その小型台風はやって来た。お嬢とその夫、そして孫べえだ。ここ1週間は東京はやや涼しかったそうで、今日の暑さには参ったようだ。飛行機を降りた途端全員が「あっついなあ~」と言ってたとか。

まあ、孫は可愛い。理由無く。照れとか恥じらいとかおよそ人間の持っている全ての感情の発露がそこに見えるのが、ホントに面白い。子育てと違って、かなり客観的に観察できるのだ。

そしてなついてくれるのも素直に嬉しい。滅多に会わないのに、この濃密さはどうだろう。一緒にお風呂に入りたいと言ってくれて、疲れも吹き飛ぶ。、、、で、ついあれこれ遣ってしまうんだよねえ。ま、いっか。いつかは終わる人間関係だ。

 

今宵は町中のとあるビストロへ。初めてのお店だったがナントこのお店の情報源は婿どので彼が予約を入れてくれたのだった。世はネット時代。県外の人の方がよく知っているってこともある。まあ、噂も聞いたことはなかったがこじんまりした良いお店だった。パスタの味も良かったし、料理のセンスも。殆ど町中で食事をする機会がないが、こうした隠れ家的なお店は最近多いようだ。

そして若者達はよく知っている。

 

さあ、この猛暑だ。台風の滞在中、この身が持つか。

2013年7月21日 (日)

追悼コンサート。

自分自身はとにもかくにも動けているのはめでたい。朝、若者と一緒に外部団体へと打ち合わせ兼練習に行く。昨夜のコンサートの疲れが尾を引いていて、声がガシャガアシャ言ってるが、仕方がない。

逆に、このグループの明るく溌剌とした空気を頂いて反省しきりだ。ま、今の時期しょうがないが、全体に沈んでいる感のあるわがちぇちぃりぁ。なんとかせねば。少しずつ、足下を見つつ、ゆっくりで良い。上向きに進んで行きたいものだ。

で、道の駅で昼食を食べ、午後からはCantiamo。涙もろいピアニストSさんは入場と同時に涙涙だ。それを見てもらい泣きの人も。今日は追悼のコンサート。ごくごく身内だけの演奏会だが、この会も今日で34回。,,,次回の日程も決め、先生亡き後もこのまま続けて行くことが決定された。純粋なお勉強会だ。なるだけ続けて行こうと誓いを新にしたのだが、メンバーの心尽くしのお花が、一層先生の居ない淋しさを際立たせている。「なんでも、無くなったら初めてありがたさが分かるもんだ。」と口癖のように言われていたが、今、全員がその意味をかみしめている。

 

私は思う。先生は歌を教えたが、同時に「生きることの意味」についても考えさせてくれたのだ。人生が自分探しの旅だとはよく言われること。歌い続けることも又、何かしらに近づく為の行為だったろう。

 

今日、みんな心を込めて歌った、、、、。

2013年7月20日 (土)

石民コンサート終わる。

本日は弦楽の演奏会あの方もこの方もI先生のこと、お伝えしてないことに気付き、近づいては経過をご説明させて頂いたが、まるで自分が精巧なロボットになったように同じ事をツラツラと喋った。、、、「そうなんです、ご自身が一番驚いていると思います。。。」

いつだったかちぇちの指揮をして下さったO先生も「お顔が見えるようです。」「非常に残念です」と繰り返された。

 

 

しかし、今日の演奏は良かった。I先生がとてもお好きだった弦楽合奏。若い人達のみずみずしい演奏と迫力に感動した。ピアニストを交えてのピアノ弦楽五重奏は圧巻だった。

 

外へ出ると、今宵も月がキレイで、街の灯りがキラキラと煌めき、何たる美しさ。ここ石民はもっと高松寄りならなあ、と思わなくもないが、ホントに素敵な建物だ。

2013年7月19日 (金)

このところ夜空がきれいだなあ~。

昨日仕事などで忙しく、予定よりかなり遅れてピアノ合わせにH先生宅へ出かける。I先生が逝かれてからあまりにバタバタしていて、時間が全く無かったため練習不足で、つい沢山声を出しすぎてわあわあ歌ってしまった。お陰で今日は朝からFMだというのに情けない「声がれ」。でもって明日は石民のコンサートの司会ときたもんだ。肩が異様に凝っているし、そりゃあ無理ないわなあ~。夫に言わせると、「年」の一言。ま、そんなところだ。

今宵NYからご帰国のK画伯をお訪ねして、I先生のご逝去を伝えると大いに驚かれたが、まあ確かに画伯と比べてもおよそ10歳違う。遣りたいことがある人の死はホントに周辺の人々を哀しませる。奥様は我々が帰宅してからも電話で詳しく話して欲しいと言われるほどショックだったようだ。一度、画伯とコラボという形で展覧会の開催中にちぇちが演奏させて貰ったことがあり、しっかりI先生の歌も聴かれ感動したと仰ってくれたのを思い出す。絵と音楽の共通性についてお互い共感した仲だものねえ。

 

しかし、なにもかもいつかは消える。

2013年7月17日 (水)

遺品。

ご遺族に頼まれて先生の遺品の後片付けをさせて貰っているが、これが簡単ではない。毎日、それぞれ興味がありそうな人を連れて行ってはかなりの量の本などを持ち帰って貰っているが、半分は英語の本。半分は楽譜ってことで、これほどハッキリしてるのも珍しいかも知れないと思いながらやっている。英語の方は、今日一緒に行った英語には堪能な友人Kさんが、「もう、これ以上英語の本は観たくない」と言うほどの量。中にはシェイクスピアの講座での論文など多数出て来て、これは偲ぶ会でもして、皆さんに配りましょう、となる。が、さあそれはそれで大変な作業だ。そもそも本類は重くてしょうがない。こちらの車に全部乗せていざ出発しようとしたが、余りに重くて車が発進できない。何度アクセルを踏んでも、ずるずるずると引っ張られてしまう。結局は半分ほど下ろして手で運んでおいてから車を動かした程だ。もの凄い運動量だ。

で、そのあとは市民劇場へと車を走らせトイレで着替えて,開演2分過ぎで入場。本日は、「ハムレット」であった。

よりによって先生の一番好きだったかも知れないこの作品が、この時期に上演されるとは。まあ好きというよりは、研究の対象として余りに深いものがあり、シェイクスピアを考える上で欠かせないテーマが盛り込まれているからだったろうが。矢張り、とても面白いものに仕上がっていた。

ホールの出がけに「良かった」「分からなかった」「あんな事に意味があるの?」などなど感想が聞こえてくる。確かに斬新な演出だった。が、私にはとても面白く、最近の中では上位に入るなあ。

一番良かったのは、全体のカラー。モノトーンで動きのある衣装は観る人の想像力をかき立てる効果があった。そして音楽。原作にも音楽は使われているのだが、今日のは現代音楽で、非常にエキセントリックなものだった。それと動き。所謂演技と違って、群舞のようなものを使い、ちょっと表現が出来ないが面白いものだった。

 

やっぱりお芝居は良いなあ~。

 

眠い。

2013年7月16日 (火)

終わりが、始まった。

先生が逝かれてまだ1週間しか経ってないのが嘘のような気がする。あるいはもう1週間も経ってしまった、とも思えたり、、、、。「時間は人によって過ぎ方が違う」とはシェイクスピアの言葉。私の場合まだ本当の意味での実感を伴わないので、日々時の流れが変化しているのかも知れない。

こうした中で今日は疲労感から逡巡していたが思い切って岡山までコンサートに出かけた。当然行き帰りは爆睡。行きはそれでも短歌の一首も詠もうという気になって一度は手帳を取り出したが、いつの間にかバッグに仕舞い、瀬戸大橋を渡ったまでは記憶にあるが、そのアトがいきなり岡山駅だった。雨のせいもあってタクシーでホールへ。

岡山というところは路面電車が通っていて何となくレトロな感じ。だがとても道路が混んでいて、優先の電車までが側にやってくるので、タクシーの運転手さんが気にしてくれている。と、その時、「いやあ~驚きましたねえ、電車の運転手さんが先に行けなんか、長年やって来たけど今まで一度も無かったですよ~、不思議なことがあるもんですねえ~」と言いいながら電車の前でハンドルを切る。、、、それって、そんなに珍しい事なんだ~~とぼんやり相づちを打ちながら礼を言って降りた途端小銭入れからバラばらっと小銭が落ちてしまう。降りてきそうな運転手さんに、「大丈夫です。自分でやれますから」と断って、水たまりになったアスファルトの上の小銭を拾う。。。。かなりボンヤリしているなあ。

と思って歩き始めると、間が悪い時はこうなるもんで、携帯の充電が切れてます~と警告音が。そうか、夕べは久しぶりに自分の家に帰って寝たから、実家に忘れてきた充電器のことも忘れてたんだ。

シンフォニーホールは昔から思うんだけど、とっても合理的な設計になっていて、エスカレーターなんかも一人ずつしか上がり下りできず、それがとても狭い。座席も私より少し太い人は絶対お尻が入らないだろうと思う程狭い(?)。快適と、そう思えないというすれすれの所で処理されていると思う。これで結構とは思うが。

ロビーで携帯の充電が出来る場所が無いかと聞いているとき、通り過ぎようとする一人の女性。あらま、お久しぶり~。そういえばアナタもご存じのI先生が亡くなられたのよ。と言うと瞬間固まってしまう。Aさんはそういえば先生と一緒に食事もしたなあ~。チケットは通りすがりに買ったんです~というから、これもご縁だねえ~。

彼女も私も本日のお目当てはわがサロンコンサートでもいつも華やかな歌声を披露してくれているソプラノYさんであった。大曲に真っ向勝負の心意気にまず感動。フルオケを従え堂々と歌うその姿に思わず拍手。デザイナーでもある彼女は、ご自分が二十歳の時に来た振り袖をドレスに作り直したのが大成功。あのデザインは良いなあ~。あそこもあそこも隠せるしなあ~。なんちゃって。演奏後に指揮者が握手を求めたのは何より彼女の歌が良かった証拠だろう。いつも、チャレンジ精神を失わず、自分を高見へと追い込んでいくその姿に、そりゃあ、旦那さまが惚れるのも無理はない。終演後にご夫妻と写真に収まったが、本心は写りたくないな~、どうせヒドイ顔してるんだろうしねえ~、いや、まあ、いつもだからそれは良いんだけど~、ともごもご思っていると、「ハイ、もう一枚!」とやられてしまう。ふ~っ。

休憩中には、椅子から立ち上がれないでまったりしていると後ろから声が飛んでくる。ありゃりゃ~、岡山のKさんとNさん。「こうもり」でちぇちの舞台を務めてくれた人達だ。「誰か来てるかなあ?と見回してるとまさかの蓮井さんを見つけたんで、ビックリして飛んできました。」とKさん。「見つけたらい眠ってる人がいた、って言いたいんでしょう!?」と私。みんなで笑って、、、Kさんはあれからだと随分ぽっちゃり。先生のご逝去に話題が行くが立ち話も出来ず結局終わってからお茶しながらになった。

喫茶店ではこの日の感想も交えて懐かしい昔の事など話しながら、思わず「音楽は人をつなぐんですねえ」とI先生のお言葉を口にしていた私。

 

そういえば、あちこちから連絡を貰ってないとか、知らなかったとお叱りを受けている。正直、これでも必死でやったつもりなんだけどねえ~。確かに、まあ、漏れているわなあ~。

ゴメンね先生。

2013年7月 9日 (火)

本当はうまげなグリム童話。

昨夜の会議もとあるファミレス。こういう所でやると、ついつい長時間何かを口に入れることとなる。議論白熱の時は冷やすため。沈滞気味の時は気分を盛り上げるため。てなところだ。昨夜は夕飯も食べてみたが、「マグロ丼と豆腐サラダ」でヘルシーですね、とメンバーに言われ、結局その後デザートであんみつとドリンクバーだからねえ。どこがヘルシー?てなもんだ。

 

議題は多くて、なかなか腰が上がらず、3時間を超える会議となった。勿論実りある内容ではあったが、、、疲れる。

メンバーの一人に言われた。「蓮井さんはおいくつですか?」よくぞ訊いてくれたもんだ。「そのお年だと、色々疲れを感じませんか?」ときたもんだ。アッタリマエダノクラッカ~てところだが、30代の彼は自分が最近よく疲れを感じるということを言いたかったようだ。そりゃあ、30代は30代の、40代は40代のそれぞれの疲れはあるに違いない。が、桁が違うんだよねえ~。君。どんだけアチクシが頑張っているか、声を大にして言いたい。ま、言ったところでどうなる訳でもないんだけど、、、。

 

三人寄れば文殊の知恵で、矢張り頭を寄せ合うと良い知恵も出るってもんだ。この日の一番の成果は、暮れの公演の副題が決まったことだろう。まああれこれ出たが、「オペラのイメージを」ちぇちらしく崩すか、王道を行くか、に二分された。結果、矢張り他の団体が出来ない事をやる方向で決まり。

第53回市民オペラちぇちぃりぁ公演・落語ペラ「ヘンゼルとグレーテル」本当はうまげなグリム童話

となった。ついに讃岐弁登場だ。

まあ過去のちぇちのオペラ公演は、ぶっとびの題名もあったし、それによって結構親近感を持って頂けた効果もあったように思う。大切な部分だ。

どうやって、うまげにするか。。。。あと4ヶ月と少しでやっつけなくてはならない。

2013年7月 8日 (月)

珍しい演奏会。

コンサートにも色々ある。今日のコンサートはかなり異色だったかもしれない。形態はなんら普通のクラシックのリサイタルと変わらないが、このバリトン歌手Kさんは長く人工透析をしながら歌を続けている人で、10年前から縁あって県外の合唱団の指導をされていたようだ。その団体が先生への恩返しとして企画の全てを担った演奏会をプレゼントされたのだ。

およそ歌い手として、チケットを売らないでも良い、集客の心配を一切しなくても良い、収支を考えなくても良いという演奏会なんて、夢の又夢だ。どんない高名な演奏家でも、何らかの心配はしているのが現状だ。それが、ひたすら歌う事のみに専念させて貰えるなんて、素晴らしすぎる。そこには、熱い師弟の絆があり、師としてのK氏の素晴らしさも、又その指導を素直に受けて、キチンとお返しが出来る弟子としての素晴らしさもある。

双方の情熱が舞台という形で結晶されたのが、今日のコンサートだったというわけだ。

いや~、アンコール曲、「桜貝の歌」「小さな空」には泣けたねえ~。

 

合唱団の人達が会場係から、裏方まで全てやっていらしたようで、「僕が着替えるのも、汗を拭いて下さったり、、、」には会場は爆笑したが、そうでしょうとも。あの方達はK氏に惚れてるんだ。惚れたら何でも出来るのが女性だ。慣れない事を一生懸命されている団員の方々のお顔が見えるようだった。、、、、何事にもこの惚れるというのが大事だ。

 

このK氏というお方は、以前ちぇちのオペラにも出て頂いたことがあり、良いお声と優しいお人柄にほれぼれしたもんだ。が、お世話になりっぱなしで、なんのお返しも出来てないなあ~。反省。

2013年7月 6日 (土)

急がないのに急いでる。

またまた土砂降りの雨。このところこういうのが多く、「あ、来そう」と分かるようになった上に、スマホにちゃんと警報が入ってくる。しかも大体何時頃がピークだという細かいのが入ってくるので、今日なんかまだ降っていない時に買い物に入ったホームセンターで出る頃を予想して、「こりゃあ、傘がいるなあ~」と踏んで店内に傘を持ち込む。で、その通りになったからねえ。情報とは凄いもんだ。

 

久しぶりに二重唱の練習に出かけ、ヴェルディをわあわあ歌ってきたが、お陰で汗びっしょり。中には冷や汗も混じっていたかも~。殆どスポーツだねえ~あれは。

 

行きは高速、帰りは下道だったが、まあ、高速は有り難いもんだ。下だと殆ど倍時間が掛かる。急がない時はこれでも良いんだけど、高速の味を知ってしまうとなかなか下を走れなくなる。飛行機の時代、今更バスで東京に行けないのと同じだ。若けりゃあバスもありだろうが、、、。なんせ体力がねえ、、、。

 

そんなに急いでどこへ行く、、、、って、なんのキャッチコピーだったかなあ~

2013年7月 3日 (水)

人は悩む。

本日の濃密な一日がちぇちの練習でようやく終わった。国分寺での練習会場から高松駅まである女性メンバーを送るというおまけ付きだったが、まあこういう機会がないと若い人のことが見えてこないからねえ。色々みんな悩みを抱えているわけで、厳しい世の中で頑張っているんだ。せめて聞くだけでも聞いてあげようと思ったなあ~。全く何にもしてあげられないけどね。

 

昼間初めてお会いした人が私とほぼ同年代だというのに、結構皺が目立つので、もしかしたら病後かなあ?と思ったが案の定胃を半分切除して7年目だという。この私ほども体格があったようだが、すっかり痩せちゃって、背も小さくなったという。急激に痩せたせいでこんなに皺が出来て、全く治らないんですとおっしゃる。でも命より大事な物は無いんだから、皺ぐらいど~ってことない。とこちらが慰める前にご本人からそう言われた。残りの人生はおまけです、と言われるその笑顔に何かを越えた人を見た。

 

兼ねてからの懸案だった「母のデイサービス」行きは、昨日付き添って成し遂げたが、もしかしたらこのまま上手く行くかも知れない。通常の私設と違って、とっても家庭的な少人数制の私設だったし、職員の方が若い人で明るいのが良い。普通のお家を改造して造っているから落ち着くし、これならなんとか続くかなあ~?昨日は外食の日で、一緒にそれも付き合ったが、午後は振り付け師と会う予定があり中座したので気になって、今日電話してみると母は案外落ち着いていた。「絶対そんなとこには行きません」と言ってたのでどうなることかと心配だったが、これなら大丈夫かも知れない。ま、慎重に事を進めなくてはならないが。

そんなこんなを聞き出すつもりもあって、練習前に買い物に連れ出す。おりからの土砂降りに車が濡れない駐車場が良いと、サティ(イオン?)に。結局二人ともお刺身を買って引き揚げたが、思いが同じ人が多かったのか、駐車場は満杯。

天満屋ハッピータウンが閉めっちゃったから、ちょいと不便に。

しかしねえ、老いるということは、寂しいものではあるなあ。様々なことに妥協しつつ自我を抑え、人に迷惑をかけないようにと、身の置き方に注意を払わなくてはならない。人一倍元気だった母にしてみれば、体力が無くなって思うように出来なくなってきたことがいまだ信じられないのだろう。いや信じたくないのだ。、、、自分の未来か。

 

そういえばあのハッピータウンが閉店の日、人間のちょいと浅ましい場面を見ちゃったなあ。色んなものが殆ど無くなっていて、それでも出来る限り購入しようと店内を見ていると、その少ししかないものに人が群がっている。その群の端には「半額とかの値引き」のシールを貼る係の人が居て、貼って貰ってからレジに行こうとしている人がその人を取り囲んでいるのだ。遂に切れたその店員さんが、「お客様の胸にかかえてるのは、シールを貼りませんから。」と乱暴な口調で宣言する。それを横目に冷凍食品の所とかに行くと、あちこちで人が固まってその店員の来るのを待っている様子。いやはやいやはや。そりゃあ店員さん達は閉店自体がショックなのに、この客の態度は頭にも来るだろう。少々乱暴な口調も仕方がない。、、、これが過酷な現実だ。

あの沢山の店員さん達はその後どうしたんだろうなあ~。みんな上手く収まるところに行けたのならら良いけどねえ。

2013年7月 2日 (火)

しばらくご無沙汰の東京。

初台の新国立劇場(中劇場)、7月28日(日)15時開演、レスピーギ作曲オペラ《炎》よろしければ
是非!お勧めの作品で、日本初演です。
詳しくは→http://morita.simples.org/
 
という嬉しいお知らせがあったが、今回も行けそうにない。丁度孫べえが帰省していてあたしゃ
てんやわんやだろう。
いつかオペラ三昧、趣味三昧の暮らしになれるだろうか。その時は年貢の納め時かもねえ。がくっ。
 
さあ、明日も忙しい。
 

2013年7月 1日 (月)

ガンバロウ。

とても小さな空間で30人ほどの観客のサロンコンサート。素敵なテクニシャンのフルートとギターご夫妻だった。フルートは今まで聞いたことがない奏法で、エキゾチックなメロディとあいまって知らず知らず異国へと連れて行かれた。

が、ナント間が悪いことに、あのやかましいおじさんが私のお隣。一曲ごとの奇声に演奏の余韻もあったもんじゃない。フト見ると、聞き慣れない作曲家とか単語とかを多分電子辞書で調べたりもしている。わあお、勉強家でもあるんだ。

友人と二人で開演ギリギリに入ったら、何故か良い席が空いてるなあ~不思議だなあ~と思ったが他に良いところもなかったので座ったところがそこだった!その友人と言ったもんだ。「空いてるはずよねえ」

奥様はフルートで日本人。ギタリストはブルガリアと言ったと思うが、そのおじさんのわあわあ言う声に終始むっとした顔だった。と思う。少なくともかけ声に無反応だったことは間違いない。

いやはやいやはや、あのお方。どうにかならないもんだろうか。至る所に出没している。

 

この頃人間の性善説と性悪説についてよく考えることがある。「良い人」と自他共に認めている人でも、いろんな面があるだろう。身近な人にジェラシーを感じたり、家族に自我を押しつけたりする心の悪と闘いつつ生きている人が多いのではないか。「良くありたい」と思って暮らしているというのが本当かも知れない。だからこそ、星野富弘さんのように、自分の内面と向き合う詩なども広くみんなに読まれるんだろう。宗教に帰依して自らを正しく律する人もいるんだろう。寂聴さんのお説法に人が群がるんだろう。

ひとたびこの自己嫌悪の穴ぼこに落ち込むと、なかなか浮かび上がれない。だから、60年以上も生きてくると落ち込む前に踏ん張って、何かで償おうとすることもある。これが永く生きてきた証かも知れない。生きる術を身につけたということだ。

若い人の中には、純粋故に、この穴ぼこに落ち込み出られなくなっている人が結構いるように思う。だからそれは決してその人特有のものではないし、誰もが経験することなんだけど、、、、、この生きていく上での葛藤が人を成長させているんだし、しんどいけど、必要なことなんだと言ってあげたい。

が、こういう人に「頑張れ」と言うべからずという。既に頑張っているんだからその上に頑張れと言うのは間違っている、というのを聞いたことがある。というか良く聞く。

ところが先日ある演奏家とお話しをしていて、その方が、「わたし、頑張れっていう言葉が大好きなんです。なんか、良くないって言われるんですけど~。。」と言われて大いに同感したことだ。他人から「頑張って!」と声をかけられて奮起したことも実際あるし、良い言葉だと思うけどねえ。思い出すのは吾が孫べえだ。ゴレンジャーとかの実演を見ていて、後ろの方から観客の全てが振り向くほどの大声で、「ガンバレ~~」と絶叫した時の、あの心からの応援の言葉。例えお芝居でもあのゴレンジャー達は奮起したに違いないと思えるのだ。

 

人間て、みんなちっちゃくて愛おしい存在ではないか。自分も含めて、ガンバロウ~。

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