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2013年5月16日 (木)

受容ということ。

シェイクスピアは「受容」ということをしきりに言っている。これが一番難しいいが、人生で一番必要なことなんだろう、と思う。あるがままを受け入れる。生きている上で起こる全てのことを受容する。

このところの私にとっての一連の事件は、受容しない限り自分で自分の首を絞めるという類のもの。その代わり受容さえ出来れば、思い煩うこともなく、心は平安。どんな特効薬より効き目がある。、、、これで行こうと思うが、これが大層難しい。

ま、世の中の大半が受容できるかどうかのせめぎ合いで動いているわけで、ある意味不毛なテーマかもしれない。

 

若い頃夢を持って開店してから38年目になるが、オープン時からの顧客が当然のことながら高齢となられ、中には送迎を必要とする方も数名。今日もそういう方の送迎をさせてもらったが、足下がおぼつかなくて玄関先で下車して貰っても気が気でない。この方とのお付きあいも一体何時までになるのかと危ぶまれることしきり。出来ることは何でもさせて頂こうと思いを新にする。

自分を含めて老いると言うことを考えない日は無い。しかし、これさえも受容すべきなんだと思えば、心が軽くなるってもんだ。

ある意味、居直りかも知れないなあ。

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