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2013年5月

2013年5月28日 (火)

何故かこうなる、、、。

一昨日、熟女5人が我が家に集まり、遅くまでワイワイ飲んだり食べたりして、翌日はその内の一人と一緒に朝も早くから同窓会バス旅行に参加。総勢34名は一路広島へと向かう。細かい目的地を二人ともさっぱり知らず、着いてみると「大和ミュージアム」という戦艦大和の歴史など数々の資料が展示してある所だった。女性のガイドさんが女性のみ集めて女性目線での解説をしてくれて結構良かった。一番衝撃的だったのは、床に描かれた人間魚雷の実物大図面。吾が足下がたまたま操縦士の座る椅子の所。解説によればこの椅子に母親から送ってもらった座布団を敷いて我が身もろとも突撃していった若者が居たようだ。この非人道的な弾丸(全ての兵器は非人道的だろうが、これは最悪)は一度中に入ると内側からは開けられない仕組みになっていたという。数多の若者がこの兵器に乗って死の突撃をしていたことがキーの高い女性の声で哀しみを帯びた声で語られる。

日本の英知の全てを、日本の技術の全てを、戦争という恐ろしく無意味なことに費やされたという事実が、惻々と胸を打つ。

あるところに次の文章が拡大されて掛かっていた。スマホで写真に撮ってきたが、、、。

「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ

日本は進歩と言うことを軽んじ過ぎた

私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。

敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか

今目覚めずしていつすくわれるか 俺たちはその先導になるのだ

日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」

 

このような言葉で、若い14歳~20までの青年達が大勢海の藻屑と消えたわけだ。「誇り」と「無駄死に」の矛盾の狭間にあって、どっかで折り合いを付ける必要があったのかも。

 

実は、「海辺のカフカ」の下巻をバスに持ち込み、少しずつ読み進んだが、ナント又してもある符合が!まさしくその大和ミュージアムを出たあとで次の文章が目に飛び込んできた。

「君はどうだい?人を殺したり、人に殺されたりしたいかい?」と背の高い兵隊が僕に質問する。

僕は首を振る。僕は誰も殺したくない。誰にも殺されたくない。

「誰だってそうだよ。」と背の高い方が言う。「まあ、ほとんど誰だって、ということだけどね。でも戦争に行きたくないと言ったところで、『そうか、君は戦争に行きたくないのか。わかった行かなくてよろしい』なんてお国が親切に言ってくれるわけがない。逃げることだってできない。この日本には逃げられる場所なんてどこにもない。どこに行ったってすぐにみつかっちまう。何しろ狭い島国だからね。だから僕らはここにとどまった。ここがただひとつ身を隠せる場所だった。」

 

ここでいう「ここ」とは小説の中では特別な場所として描かれていて、まあ異次元の世界のようなことだが、戦闘訓練中に出奔した二人の兵士のことが出て来ているのだ。時間はその時から60年後のこととして、、、。

それにしても気味が悪いほどの符合。偶然、あんなミュージアムに出かけて、戦争について深く心を揺さぶられたあとにこの文章だ。

ただものではないぞ、あの小説、、、。

 

でまあ、そのあと「竹原」という古い町並みの残っている街に行き、そこが頼山陽の住んだ場所というのも初めて知った。「ベンセイシュクシュク、、、」というあの有名な詩吟もこのお方の作品だとか。そうだったんだ。

 

で、このバスが予定を大分過ぎて帰って来たため、全員で夕食をするというのを振り切ってタクシーで帰宅。というのも、夫が最初からお世話をしたカップルがめでたく婚姻届けの保証人印を押してほしいとやってくる予定だったのだ。案の定帰ってみると今か今かと夫は待ちわびている。大急ぎで夕食の準備をし、何とかかんとか和気藹々と夕食を終える事が出来た。がもう、この辺りが来たら、自分で自分が分からないくらい疲れ切っている。若い二人の輝くような笑顔が救いだったが、、、。

 

でもって本日はシャンソン教室。お嬢にクール宅急便を送るついでにTさんと「あたりや」といううどん屋さんに。ところが1時過ぎというのに、「本日終わりました」の看板。あたるどころか、張り切って行ったのに見事なはずれ。で、ただでは帰らないのがアチクシ。一昨日友人Yから仕入れた「花、、、。」がランチ美味しいわよのおことばを頼りに坂道をどんどん行く。流石に信頼出来る情報源で、ビックリするほどの量とお味。そして大変リーズナブル。木々が深々と揺れる様を眺めながらしばしくつろぐ。、、、が、本日はこれで限界。彼女を瓦町まで送って、ひた走り帰宅し、一寝入りしようと思うが、どうも気分が優れない。天候のせいかと思って横になったが、ふと考えると今朝は薬を飲み忘れていた。まあ、気のせいかもしれないが、薬を飲んだらチョイと元気になって、母を買い物にと誘い出す。ごく近くのお店だったが、まあ行かないよりはまし。

 

こうして、これでもかと、時間が重なる。

2013年5月25日 (土)

なんてこった!!

昨日ここに、「友人の描いた絵のタイトルがきっかけで読み始めたが、それこそがこの小説のテーマのごとく何かしらの符号かも知れない。」と書いたが今日になって続きを読んでいくと、にゃんと、「ヘンゼルとグレーテル」に関する叙述があって、これにはかなり驚いた。まるで読むべくして読んでいるといった感じ。ますます目が離せない、、、と思いつつも、今日は大阪から友人が帰省し、彼女を囲む会を我が家でやったため、全くその続きを読む暇がない状況。それにしても奇妙な事だ。何故、どうして?という疑念が湧く。

確かに世の中には割り切れないことは多い。が、アチクシはオカルトや霊の世界うんぬんかんぬんは嫌いな方。源氏物語の六条御息所の生き霊の話しなんかは、心情としては理解出来ても現実にあることとは到底思えない人間だ。

従って、この海辺のカフカは読み進めるうちにイヤになる筈なのに、そうならない不思議。それはきっと作者の力だろう。読み物としてかなり面白い。故に、個人的嗜好は問題外となる、ってことか。

ま、いつか最後が来るんだが、、、。

 

 

それにしても本日5人の女性と内の旦那のみ男性という構図での宴会は、まるで社会の縮図のように良いバランス関係。話題にも事欠かず、まあ次から次へと爆笑に次ぐ爆笑。,,,そんな中全員が一致したのは大阪のH氏の一連の女性蔑視ともとれるあの発言についての批判。てえことは、このお方、全国民の相当数を敵に回しているのでは?我が家が社会の縮図としてのおはなし。

 

明日は我が家にご宿泊のこの友人Mともども広島へと同窓会だ。バスで寝るのは分かって居るが、さ、寝よう。

読書ちゅ~。

もったいなくて先を読みたくない本に出くわした。読み進めたいが、読んでいくといつかは終わる。だからそれがもったいなくて、終わりたくなくて、ゆっくり読んでいる。、、、この感覚は久しぶりの事。

「海辺のカフカ」村上春樹。

彼の作品は「ノルウエーの森」で撃沈して以来で、随分久しぶりだ。友人の描いた絵のタイトルがきっかけで読み始めたが、それこそがこの小説のテーマのごとく何かしらの符号かも知れない。

もともとは「雨月物語」的なお話しは苦手だが、何故かしらこの小説には惹きつけられる。描かれていることは自分の中の百科事典にあることが多い筈なのに、全てが新鮮で、好奇心をつつかれる感じ。主に文章の構成に因るところが多い。のだろう。と思う。

上下巻の㊦に入っているが、日々忙しいのが幸いして、なかなか最後までたどり着かないでいる。只今1時だが、ついさっきまで台本の打ち合わせをやっていた。日中はやれ病院だ、マッサージだ、母とランチやお買い物。先日の写真のプリントを叔母達に届けたり、仕事もしたり、花に水やり金魚のえさ遣り、洗濯物、掃除、夕食の準備。途中で息切れがしてしまう。

気温の変化がすさまじく、暑かったり店内では寒すぎたり、又又外でうだったり、、、お陰で初めてかき氷をたっぷり食べた。このやや大型有名喫茶店は、オープンしてスグは車も置けない状況だったが、今日はまあすんなり入れた。ベースのかき氷にトッピングのあずきあんをダブルで注文。こんな風な注文は初めてか、ウエイトレスのお嬢さんがやたらニコニコして持って来てくれる。「これくらいたっぷりの方が美味しいですよね!?」と言いながら、、、。勿論、美味しかった。母にも一口。

で、一気に寒くなって、又ぞろ火傷しそうな車内へと戻る、といった具合だ。これじゃあ、体温調整も難しいよねえ~。

2013年5月24日 (金)

in 岡山。

昨日は岡山駅から一駅の就実大学に出向き、英国劇団による「シェイクスピア・じゃじゃ馬馴らし」の観劇に出かけた。以前高松で席を並べて講義を聴いたことのあるMさんという方が、いつもご丁寧に公演日をお知らせ下さる。そしてちゃんとチケットも手配して下さって、お陰で今年は堪能させて貰った。

出演者は6人。この劇団の毎回がこの構成というのは大変ユニークだ。大学でもあり、照明プランは一切無し。大道具といえば大学によくあるついたてが6枚。左右に均等に並べてあるだけ。これが幕代わりだ。しかも英語劇だし、余程の英語力のある人か、イマジネーションの豊かな人でないと理解出来ない仕組みだ。

ところが、ほぼ満席の会場は大半が学生のせいもあって、大いに湧いた。笑った。拍手が出た。この私目は長年お勉強してきているので、内容が分からないと言うことは無い。お隣のMさん共々大いに楽しんだ。

結局舞台がこれだけシンプルでコレほどの感動を与えてくれるこの演劇は、役者の力量が半端じゃないという、ただそれだけに尽きる。衣装やメイクは流石に本場だと感心したが、それ以上に一人一人の演技力と、声量、機敏な動き、テンポの良さ。それらが舞台装置の無いのを忘れさせる程なのだ。

特に声量は素晴らしい。私的にはカタリーナ役のみチョイと物足りなかったが、あとは全員迫力があった。演出上所々に音楽を入れてあり、アカペラで歌うのだが、思わず上手い!と手を打つほどの歌唱力。

そして外人特有の顔の表情の豊かさに脱帽だ。動かずに立っているだけで、目や顔の表情筋で演技が出来る。、、、笑顔がなかなか出来ない吾が団体のメンバー達に少し見習って欲しい点だ。

 

ところが、一瞬、主役の男性がセリフの入りを間違えた。上手くごまかしたが、相手役の女性と目と目で笑いを堪えていたのが分かった。言葉が異様に長いシェイクスピア劇のこと、こうしたことが起きるのは当たり前だろうが、、、、。観客というのはそういうとこ、よく見てるんだよねえ。

 

しかし、たまたま我々の隣に座った学生が芝居の途中で舞台に上げられて、いきなり英会話となったのは面白かった。臆せず出て行った学生にあれはあらかじめ決まっていたのかと訊く人がいたが、偶然だったと答えて居たなあ~。今時の学生は舞台が怖くないんだろうなあ~。幼稚園時代から舞台を経験しているはずだもんねえ~。

 

大いに笑って、Mさんにお礼を言って岡山駅でお別れ。そこからちぇちの練習会場へと向かう。れんちゃんでお疲れモードのアチクシ。自由席で立つ気にはなれず指定席車両へと、、、。読みかけの単行本を開いていつの間にかうとうとしていた。

 

ちぇちのメンバーも時々芝居を観てくれると良いんだけど、、、。ねえ~。

2013年5月21日 (火)

珍道中

5人の女が1台の車に同乗して、しかもその5人の合計年齢が412歳。平均でも82歳を越えている。運転手はアチクシ。行きも帰りもアチクシ。当然。

結論から言うとこの小旅行は予想を超える大成功。みんなよく遊び、よく食べ、良く喋った。ホテルからのサービスは全部堪能し、最後は釣り体験まで。どんなサービスかというと、まず食事は4食付き。阿波踊りの鑑賞から体験。和紙のハガキ製作、藍染めのコースター制作、昔ながらのくじ引き、鉄砲撃ち、,,,これらを全部体験したということは即ちホテルから全くでなかったということ。これは全く高齢者にはぴったりなプランだ。

、、、、来年もつれて来てね、と言われたが、実現するだろうか。色んな意味で。ま、今回は終わった。綿のように疲れているが、、、、。

 

さあ明日は岡山だなあ、、、、。

2013年5月20日 (月)

迷子も良いもんだ。

昔から迷子になるのが好きだった。絶対にどうにかなるという楽天家の気質を生まれつき持っているのだろうが、車を運転し始めてからますます迷子が怖くなくなった。失敗はスグに挽回できるのが車での移動だ。流石に近頃では歩きでの迷子はゴメン被りたいところだが、、、。

今日も今年舞台にご一緒して頂くことになった朗読グループの方々の練習場へと出かけたは良いが、早めに出て、二つばかり届け物の用件を済ませ、いつもと違う方向から目指す方面に向かったところ、行けども行けども山ばかり。方向は間違ってないと思うが、対向が出来ないほどの狭い道幅の道路に少々不安を感じ始めた頃ようやく人里らしきところに出来てきた。丁度散歩中のおじいさんに道を尋ねると、「多分、、、」と言いつつ教えてくれる。まあ、大体はあっていたが、相当な大回りをしてしまっていた。

ナントかたどり着いたら何時に変わらない皆さんの弾ける笑顔に迎えられて一安心。おりしも降り出した雨を忘れるほどにエネルギッシュな方々に引っ張られ通し。勧められるままにお昼まで頂いて落語まで拝聴させて貰った。4時間以上もお邪魔してしまった計算になる。あまりに居心地が良かったせいだ。

この方々は、いつもは朗読のグループとして活躍されているようだが、こうして落語などもやるグループがあるようで、皆さんで忘年会ともなるとカラオケで大いに盛り上がるらしい。これが全く飲めない人達だと言うから面白い。人生の楽しみ方を心得ていらっしゃる人達だ。今度のカラオケには仲間入りをさせて頂くことを約束してお別れしたが、、、、いや~楽しかった。

 

そこからとって返し、母を伴って友人が出している書道展と刺繍展の両方に出かけた。これ又ぐる~っとまわったもので、今日は相当走ったなあ~。明日から一泊で敬老会をやるつもりで満タンにしていたガソリンがもうすぐ半分になろうとしている。チト早く入れすぎたか。

 

書道というのも良いものだ。どう書いてもその人柄が出るなあ~。刺繍にしてもやっぱりその人のカラーが出ているし、作品とはそうしたものなんだろう。不思議だったのは、書の方が現代的で、刺繍の方がオーソドックスだったことか。

 

帰宅して留守になることを考えて多めのサラダを作り、冷蔵庫の始末を兼ねた料理をし夕飯を終えたら流石にぐったり。連日の動きが半端じゃないからなあ~。

明日もFMをやっつけてからドライブ旅行だ。さ、睡眠睡眠。

2013年5月19日 (日)

一つ終わった。

今日はコンサートの司会進行をさせて貰った。思いがけない大勢のお客様で、手順も打ち合わせと少々違うこともあり、最初は緊張したが、まあナントか持ち直して何時もの自分流の運び方で最後まで無事終えることが出来たのは、一応メデタイ。FMをやって来たお陰で、時間だけは正確に進行出来るのも幸いした。

何より演奏が良かった。オカリナと口笛だったが、どちらも力のある人の演奏で、しかもお人柄そのままで、暖かい演奏振りに観客は湧いた。とにかく口笛の観念が変わった。まさか口笛のコンクールがあるとも知らなかったし、いやはや、面白い演奏会となった。

 

が、疲れた。明日は朗読の指導?に出かける。ムムム。寝るのが一番だ。

2013年5月16日 (木)

受容ということ。

シェイクスピアは「受容」ということをしきりに言っている。これが一番難しいいが、人生で一番必要なことなんだろう、と思う。あるがままを受け入れる。生きている上で起こる全てのことを受容する。

このところの私にとっての一連の事件は、受容しない限り自分で自分の首を絞めるという類のもの。その代わり受容さえ出来れば、思い煩うこともなく、心は平安。どんな特効薬より効き目がある。、、、これで行こうと思うが、これが大層難しい。

ま、世の中の大半が受容できるかどうかのせめぎ合いで動いているわけで、ある意味不毛なテーマかもしれない。

 

若い頃夢を持って開店してから38年目になるが、オープン時からの顧客が当然のことながら高齢となられ、中には送迎を必要とする方も数名。今日もそういう方の送迎をさせてもらったが、足下がおぼつかなくて玄関先で下車して貰っても気が気でない。この方とのお付きあいも一体何時までになるのかと危ぶまれることしきり。出来ることは何でもさせて頂こうと思いを新にする。

自分を含めて老いると言うことを考えない日は無い。しかし、これさえも受容すべきなんだと思えば、心が軽くなるってもんだ。

ある意味、居直りかも知れないなあ。

2013年5月11日 (土)

「生の発作」

今日は珍しい案内があり芝居のゲネプロというものを観に行った。殆ど本番と同じように演じたようだったが、それは一握りの客の為というわけでもなさそうだった。

「音楽劇」というもので、全体を一台のピアノが演奏し2時間45分もの長丁場を弾き続けたのはさぞかし大変だったろう。出演者はよく訓練された人達ではあったが、どちらかというと生の歌とセリフと動きに合わせなくてはならないピアニストに同情したなあ。

見終わって、なんと哲学的~!と隣の友人共々感じ入った。

ま、見方を変えれば少々難しい劇だったとも言える。パンフレットの演出家のコメントを見れば、この作品の現在地は海の上が設定されていて、しかも登場する人物は既に死んだ人の紹介から始まっている=無に始まり無で終わるということらしい。登場人物達のセリフには聴いたことの無い様な言い回しがいくつもあって、新鮮というか、なんというか、、、。

その中の一つ、生きてるということは、生(せい)の発作だというのがあって、思わず吹き出した。発作ねえ。まあ翻訳劇だから、訳によってニュアンスは違うのかも知れないが、それにしてもおかしい表現だ。

感心したのは役者さん達の洗練された動きだ。こうもキレイに動けるものかと歌を聴きながらもその動きに惹きつけられた。整然として正確な動き。極端にシンプルな舞台装置で、人物がその代わりを担っているため、これが必要だったのだろうが、それにしても凄い。俳優座プロデュースで、テレビで見たような人もいたが流石に声が良い人が多い。

 

やっぱり演劇も面白い。

2013年5月 8日 (水)

終わった。

じゃなく、始まった。

「スタートを切る会」が一応予定通り本日決行された。何人かは欠席だったがほぼ揃ったのはメデタイ。我々と初めてコラボして下さる方々の熱い思いに触れ、逆に励まされた気がしている。公演本番まで手探りではあるが、お互いに良いものを作り出そうというところで意思の疎通が図れたわけだ。それぞれの方が、それぞれの立場で最高のものを提供してくれそうな予感がする。

従来からの指導者W先生も変わらぬ檄を飛ばして下さって、早速次に向けての練習もやっつけた。お陰で今日の3時間はとても充実した時間となった。

さあ、今回はどんな作品になるのか。今から楽しみなような、怖いような、、、、。あの部分は流石に観客の度肝を抜くかもねえ。フフフ。

継続ということ。

明日はいよいよ外部の人もお招きして、公演のスタートを切る会を催す。眺めてみると出演者より、外部を取り巻いてくれている人達の数の方が多い。勿論今回が初めてのことではない。毎回そうした構成でやっているわけで、公演というものがどれほど大勢の人達の手で完成されるかはいやというほど分かって居る。まあ簡単に言えば、映画の最後に一杯出てくるあの名前が示している通りだ。が、今回はわが団体にとって初めての試みでの参加をお願いしたチームの方々もいる。お互いに手探りの状況だが、なんとかやって良かったと思える舞台にしたい。

 

思えば現名誉会長のI先生が最初に提唱して始まったこの「ちぇちぃりぁの運動」も、今年で25年目。よくぞこれまで続いてきたものだと思うが、それはひとえにI会長の一貫した思想によるものだ。蒔かれた種がようやく芽を出して来た感のある昨今、なんとか枯らさずに続けて行きたいものだとつくずく思う。

結局、何事もつないでいく人が必要だ。人は皆年をとるし、体調不良になって行くのは仕方がないかも知れないが、その人達に代わって引き継いでいく人達がいれば、物事は繋がっていく。そうする価値のないことは必要ないが、この運動はどうだろうか、、、。個人的には、年寄り組が亡き後も若い人達で、是非続けて行って欲しいが、、、。

2013年5月 7日 (火)

天気と裏腹な気分。昨日今日。

世間は連休だったようだが、私は休みとはいかない日々を過ごしていた。理由は色々あるが、仕事以外では、直近に迫った公演の為の会議の準備が半分、あとはちぇちにとって、とても大切な人の体調の急変が占めている。

人生とは酷なものだ。やりたいことが沢山あっても、体調次第で突然のように終わらせなくてはならないこともある。これは自分だとて例外ではない。

こうしたちっぽけな人間の一人として、出来ることはなんだろう。覚悟か諦観か。

 

今日はニュースで村上某という作家の講演内容が流れていたが、随分持てる人だなあ。この人の分厚い本をチビリチビリと読み続けているが、確かに面白い人。クラシックに造詣が深いようだが、感性も半端じゃないものを感じる。

ニュースを見ながら、この人もいつか過去の人として画面に流れるときが来るんだなあ~、、、とつい思ってしまった。人前に出るのを極端に嫌っていたとしても、死後には容赦なく様々な物語が流れることだろう。「海辺のカフカ」という作品が高松を舞台にしている部分があるとは知らなかった。

読んでみるか。

2013年5月 5日 (日)

これって、充実した一日?

半日仕事をし、昼は夫とうどん屋へ。そこから夫の実家へ流れて美術館へ。ここは以前ちぇちがよく利用させて貰っていた場所でとても懐かしい。新緑の中、川では釣り大会が行われ、人々が大勢集まって晴天の休日を楽しんでいた。

そこからはプール。ゴミの焼却場から出る熱を利用して全館の暖房をしているこの施設、使用料の安さがステキ。思ったほど人g入って無く、付属施設のお風呂も貸し切り状態。なにもかもたっぷり利用させて貰って300円とは、、、。そういえば美術館もこの年齢で無料だったし!嬉しいような、、、、複雑。

 

夕方から変わった演奏会に出かけた。寺院の仏間の前でフルートの女性が3人演奏し、途中からはそこのお坊さんが現代版お経を読み上げるのに併せてそのフルートが西洋音楽を奏でるというもの。そのお坊さんは以前役者さんだったとかで、明瞭な滑舌と発音、聞き応えのある朗読でしっかり届いた。我が家の仏教だったので元々のお経は見慣れたものだったが、個人的にはその文体に併せて貰っても面白かったんじゃないかと思った。勿論意味は今日の方がよく分かったんだろうが、、、。

色んな布教の仕方があるもんだ。

 

同行した会長と夕食を兼ねてデパートのレストランで会議。話し合うことが多くて、美味しいはずのワタリガニパスタも味がよく分からない。が、まあやるべき作業は全て終わったから良いとしよう。

 

只今焼酎のお湯割りをチビリチビリとやりながらパソコンに向かっているが、このところすっかりサボっていた受信トレイの整理だけに1時間もかかってしまった。置いておかなくてはならない物も沢山あって、、、、疲れた。

 

海外旅行に行ってるメンバーもイルって言うのにねえ~。この違い。は~っ!

2013年5月 4日 (土)

見る角度。

先日友人の画を見に美術館に行くと、若い女性をモデルに複数の人が描いている。これはまあ良くあることだが、この団体の面白いところは、どの作品もとても同じモデルとは思えない程個性的な画になっている。そのポーズから連想される空間がここまで違う処理が施されるとは、、、。吾が友人もタイトルからして、「カフカに呼ばれて」という奇抜なモノで、これはかなりショッキングな画になっていた。清純をそのまま画にしたようなのもあって、恐らくはそれが現実に一番近いのだろうが、そのモデルからこれを連想するとは!吾が友人の恐るべき感性。

この団体の創設者の画もどーんと大作が2点掲げられていたが、これ又もの凄く面白いタッチと色で、激情の中に静寂が、混乱の中に苦悩がというように、まるでカオスを描いたかのようだった。この人のグループならば、みんなこうして自由に描くことが可能で、それを楽しんでいるのも分かろうというもの。

 

そして今日は友人とかねてからの約束通り、「リンカーン」というタイトルの映画を見に行った。見始めはむしろ退屈だったが、段々引き込まれていき、途中からは滂沱の涙にくれた。歴史上の人物としての知識しかなかったが、非常に現実的に描かれててその作られ方に感心した。彼はそのような人物だったのか、とアメリカにはこのような人が確かに居たんだと、深く頷きながらの鑑賞だった。アメリカはある意味酷い国だが、これほどの人も生んでいる。

実は先日偶然にもツタヤのDVDレンタルで、このリンカーンの暗殺に関わる作品を見たばかりだった。こちらの方は、リンカーンを描くというよりは、その犯罪に関わった人間の母親に焦点が当てられ、彼女が冤罪で逮捕され処刑されるという物語だった。それは「必要悪」として、国家が罪のない一般市民を生け贄として国民の感情をコントロールする道具にしたというお話しで、それが必要だったほど、リンカーンの死は大きなモノだったというおはなし。この映画も非常に良くできていたが、テーマが全く違い、時代背景は全く同じながらスポットの当て方によってはこうも違うというものだった。

 

ある事象を、角度を変えて見ることは、実際本当に大切なことだ。人間が多面的であるように、その人間が作り出すモノは同じく多面的な要素を孕んでいる。物事を一面的に見ることのないよう、これからも気を付けるとしよう。

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