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2013年4月

2013年4月30日 (火)

みんな静かに動いている、、。

普段フェイスブックとかツイッターを見ない生活をしていると世の中の動きというか、自分の周辺の人がどう動いているかを知る事は少ない。今頃あの人はどうしているだろう、とか、きっと元気で海外でも行ってるんだろう、とか、近頃演奏活動してるんだろうか、、、とか。日常の何気ない時間でフト考えることがある。

そこを補っているのがまあフェイスブックやツイッターになるんだろう。が、それを全く知らない人もいて、どちらかというとこのアチクシ目もとてもじゃないがやってるとは言い難い利用の仕方。

この気持ちをどう表現したらいいのかよく分からないが、知りたいような、知りたくないような、、、、知りたくないとまでは言わないが、知らないでもど~ってことなく、自分自身は過ぎていく。そして、人々は、勿論私の感情とはお構いなしに静かに動いているのだが、、、。

この奇妙な感覚に、時々襲われてしまうのは、、、アチクシだけ?

 

そんな中、今日はFMの収録だった。オカリナとフルートを専門にしている方と、口笛奏者であった。彼らのお話はとても興味深いモノだった。好奇心の赴くままに質問攻めにしてまだ足りない感じだ。知らなかった。オカリナの歴史は意外と浅い。おそらく口笛のように人間の進化の初期段階からあったかも知れないモノとは比較にならない歴史のようだ。

そして、オカリナという楽器のイメージもすっかり変わった。こんなにもしっかりとした演奏が出来る楽器だったのだ。又口笛にしても、まさか口笛でオペラ「魔笛」の夜の女王アリアを聴こうとは思っても見なかった!いやはやいやはや、、、、まだまだ世の中には知らないことがいっぱいある。

ちぇちの有力応援団長M女子(勝手にネーミング)からご自身の演奏活動についてお知らせがあった。やっぱりねえ、、、動いてるどころではなく、走っているかのようなメールだった。素晴らしい。

そして、「ステージママゴンが行く」=劇場の好都合不都合というオペラの公演でソロを歌ってスグ東北へと移転したTさんからも、その後の様子を知らせてきた。いつの間にか大学という職場でしっかりと地固めをして、新しい土地へ移りそこを永住の場と決めたというのだ。凄い。

 

ちぇちも動いた。

昨日はとある文化協会の新人紹介の時間を頂き、15分ではあるが、ソロとオペラの抜粋をお披露目してきた。予想以上の好感度を持って迎えられ、「感動した」とまで言ってもらえたのはメデタイ。

そのあと某有名喫茶店に流れて美味しいおやつをみんなで食べたは良いが、妙に疲れていて駐車場に入るや否や鉄の柱に車のお尻をぶっつけたというやなおまけ付き。オーナーが知り合いで、赦して貰ったが、こちらのオクルマは、被害甚大。一体幾らかかるか見当も付かない損傷だ。只今代車が我が家の前に。あ~あ。隣もその隣も、前も空いていたにもかかわらず、何故かそういう場所に止めようとしたんだもんねえ~。何度もそこにぶつけた形跡があるところを見ると、手招きしてるのが居るのかもねえ~~げっ。

 

そういうことがあったからかどうか、今宵の夕食にタケノコを煮たら、これがちょいとしょっからい。予想通り夫が顔をしかめるので、「そう思ったから菜の花のおひたしは味を付けてないでしょ!?と言うと敵はゲラゲラゲラ。「これほどまでに凄い言い訳する人もそうそうは居ない。呆れた!どっかで講演するときのネタにしよう!」などと言う。けっ!綾小路君麻呂のネタがボチボチ切れてきて、自分の女房のネタを探してたな!?分かってるんだから。けっけっ。味なんて口の中で中和すれば良いじゃん!?(わあお)

2013年4月25日 (木)

ドジ連発の昨日。

とにかくボンヤリしていた。理由は分かっている。ホッとしたからだ。

ちぇちの練習会場をすっかり間違えて、サンポートへ行くはずが国分寺に向かっている。気付いた時はかなり進んでいてえいっと曲がったところがどこかも解らない。ただ方向だけでとにかく右だと思い、ハンドルを切っただけ。,,,案の定私は今どこに?状態。行けども行けども見たことのない地域で、しかも道幅が狭い。大きな山が見えるがそれがどこなのかさっぱり分からない。仕方なくスマホでナビ。すると奇跡的に大体方角は合っていた。見えていた山は結婚式場が入ってるあの山だ。それさえ分かればこっちのもの。最短コースを知っている。

なんとか数分遅れで会場に着き、さあ急いで降りなくては、と思った途端、ビニール袋の中身がザザザ~ッとこぼれ落ち、チェンジレバーの辺りの拾えない部分にぜ~んぶ落ちてしまう!「このチップス、変わった味だからみんなに食べて貰おう」と思っていたのに。あ~あ残念。

練習中にもおかしな言動をしてみんなに笑われてしまう。。。。お嬢が大病かも知れないというので、結果が出るまで気が気でなく過ごして居たが、昨日の午後になってようやく結果が白と出て、かなりホッとした。完全な白ではないが、一番心配なことは逃れることが出来たという結果に、大いに安堵したという次第。そんなことでさえ、日常に影響が出るようになってしまった。

といえば聞こえは良いが、ドジは癖みたいなモノだ。加齢と共に頻発してきただけのことかも。

しかし練習会場がねえ~。まるで民族の大移動みたいにウロウロしている。お陰でこういう失敗も起きるって訳だ。だれか、連取会場の良いとこおせ~て!

2013年4月24日 (水)

やれば出来る。

今日のちぇちの練習は来週月曜日にとあるところのイベントに参加するための最終練習だった。

まずは、楽譜を持つかどうかでまだ迷いがあって、それをナントか克服するところから始まった。一人が「やろう」と声をかけることで、みんながその気になって、結局は暗譜で仕上げることが出来たのはメデタイ。楽譜を見ずに歌うことの大切さ。それだけでみんなの気持ちが一つになったのを感じる。

「不安」という気持ちは誰にでもあって、それを感じないようにまで練習するというのは、言うは易く行うは難し、ってところ。どれほど練習しても不安は残る。けれど、一旦一線を超えると心に羽が生える。「歌」の中に自分が入ったのを感じる事が出来るだろう。他人の音楽ではなく、自分の音楽。

 

そういえば、今日のFMの収録で、サックス奏者のN氏が音を楽しむことが音楽することだ、と話していたが、確かにその通り。音を楽しむことがどれほど大変なことか。

サックスという楽器について、改めて色々教えて貰った。声楽ととてもよく似ている。息のコントロールが難しいのがこの楽器だが、息とは自らの心と書くように、演奏に心が出るものだとか。確かにそういうものだろう。

歌だって、歌う人の心抜きでは語れない。

 

ま、来週のイベントはきっと上手く行くだろう。

2013年4月23日 (火)

ペースが少し戻ってきたかな?

何ヶ月ぶりかにジムへ行く。といってもチョロッとプールで歩いて、岩盤浴メイン。その岩盤浴では珍しく広い空間に入りたくて大部屋に入るも疲れがどっと出て、テレビを見るつもりが眠ってしまった。起きてるときより汗が出たような感じがしたのは気のせいか?

ま、少しずつだなあ~。

いつも特別のように迎えてくれるお嬢さんが居ないのはたまたまだろうか?「又来て下さいね!」の可愛い声が聞けないと拍子抜けする。、、、てなことで、受付って重要だ。

が、昼間用事があってある大きな施設の郵便局に入ったら、中の職員が一斉に「いらっしゃいませ」と声をかけてきたのにはむしろビックリしてしまう。で、ただツタヤのDVDを返しにポストを利用しただけなのに、「有り難うございました!」とこれ又全員に言われると、別に悪いことをしてないのに妙にこそこそと退散する形だ。、、、これって、ホントに必要?

もっと自然で良いんじゃない?と思った事だ。

そりゃあ以前の郵便局は無愛想でこちらがむっとすることも多々あったが、やり過ぎもねえ~。「過ぎたるは及ばざるが如し」ってことだ。

 

ところで今日はイベントでソロを歌う人に振り付けをしたが、歌いながら動くことの難しさをご本人も再認識だ。覚えているつもりの歌詞が吹っ飛ぶ。歌詞がまともだと動きが止まる。運転技術と同じで色んな事を一斉にやらなくてはいけない。一夜漬けでは何事も出来ないということだ。身体が覚えるまで繰り返しやるほか無い。やる気がしっかりある人だから大丈夫だろうが、、、、。

そして重要なことは、客観的に聴いて見て貰える人を持つということだ。一人で孤独にやっていたのでは、いつまで経っても上達しない。

 

、、、てなことで今日も多忙だったなあ~。病院で、「その後如何ですか?」と4ヶ月風邪をひいていたことについて聞かれたが、ようやくすっかり良くなりましたと返事しながら、内心(ホント?)と思っている自分がイル。医師との会話なんてこんなものだ。症状の幅のどの部分を言うかは、患者のその日の気分で左右される。その気分はその日の天気だったりする。いい加減なものだなあ~。コホン。

寒いのかあったかいのか?

今日は嬉しいことがあった。

兼ねてから暮れの公演に向けてご協力をお願いしていたグループ、指導者、舞台制作者からそれぞれ快いご参加の申し出があったのだ。あるお方はこちらの窮状を理解してくれて、「僕に出来ることはなんでもやらせて下さい!」ナンテ素敵なお言葉。永いお付きあいの中で生まれた有り難いお気持ちだ。まだ確定ではないが、演奏家の方々も協力して下さるニュアンスの反応も。

メンバーが様々な事情で少なくなっていて、これまでのように公演が打てるだろうかという不安を抱えながらのスタートだったが、ここに来て俄然状況が変化してきた。やれる、というより、やらなくては、という感じ。これほど外部の人々が応援してくれるのに、本体が弱音を吐いていてはホントに申し訳ない。

 

困難から逃げずに、自分のやれることを誠実にやっていこう。

 

ここまでは真面目なお話し。これで終わらないのがアチクシのさが。

実は一昨日からFMのゲストをとある演奏家にコンタクトをとり、出演依頼をしていた。が、携帯からのメールもパソコンからのメールも全く応答無し。、、、で、もの凄く考えた結果、もしやこの人は以前ゲストに出て頂いたのか?それなのに再度初めてであるかのように出演依頼したので、呆れられたのか?とかなり落ち込んでいたら、今日になってようやくお返事が。それによると大きな演奏会があってそれどころではない状況だったとのこと。わ~お。良かった。てか、何?この自分に自信の無さ!!我ながら呆れた!ったく、年は取りたくないもんだ。

こんな状況下にもかかわらず公演の裏方をあれこれやっているのも考えものだ。ってこと、メンバーがそろそろ認識してくれてもいいじゃん。同じ年齢のSさんは心臓が怪しくなって病院に駆け込んだらしいし、、、、昔なら完全に引きこもりのおばあさんの年齢だ。

って、そりゃあどんどん若い人みたいにやれるんならやりたいのが本音。ま、当分若者のサポーターを受けながら頑張るしかないか。

2013年4月21日 (日)

枯葉散る、、、。

とあるところで行列に並んでいた。するとどこからか携帯電話が鳴る。ジリジリジリ、、、、という昔の固定電話の音。ふ~んレトロな音を入れてる人がいるもんだ、、、としばらく聴いていて、ハッと自分の携帯を見たらあっちゃ~、犯人はわたし!?慌てて出てみると友人からで、約束の時間が来たからもう出発するわよ、という内容。永く気付かなかった恥ずかしさもあったため急ぎ用件を済ましてその場を離れる。

似たようなことをお嬢から聞いたのは昨日だった。どんな音かは知らないが、こちらからかける着信音を変えたところだったようだ。どうも電話に出ないと思ったら、お嬢はその音を緊急速報と似たようなモノにしたらしく、電話に出ないでスグにテレビをつけに走ったと言う。この所の三宅島あたりの地震速報が意識下にあったのだろう。

親子だなあ。

 

 

にしても今日の動き方は半端じゃなかった。車があればこそのことだが、中央通りのクスノキの下を、折からの風に引きちぎられた枯葉が舞う中を走り回った。今日は友人の絵の展覧会が最終日。そして寄席の開催日。そしてとある大きなパーティが今日という一日に集中していた。その全てと、それに伴うあれこれを仕事の合間に分刻みで動いてやっつけた。この同じ動き方をした友人と最後のパーティでようやく席に着き、思わずゲラゲラゲラ。笑うしかない。「私たちって、ホントに凄いよねえ!」と自画自賛。まあ、まだ動けるってことだ。吾がテーブルは女性ばかり。多分アルコールを飲んでいたのはアチクシのみ。目の前にビールが並んだなあ~。ホントは違うのが欲しかったんだけど、疲れ過ぎてて一度座ったが最後立ち上がるのが、例えアルコールが目的でも億劫だったのだ。

この会場では旧知の方々にお会いして、お互いの変化を慰め合ったりお世辞を言い合ったりしたが、新しい知人も出来た。

 

おお、しかも短歌の締め切り日が、、、。いくら何でも今夜仕上げなくては!!

 

ホントに追われているなあ。

2013年4月19日 (金)

静と動。

今日の予定の仕事をやっつけて、COOPも終えて、一路陶芸教室まで高速を行く。夫が会議で遅くなるとの連絡が入り、余計やる気が出たアチクシではあったが、まさか4時間以上もこねこねすることになろうとは予想してなかった。あまりの事に師匠があきれ顔。「凄い集中力ですねえ~」と言ってくれるが、そういうことではない。あれを作りたいと思うモノが、どうしても出来ないから、試行錯誤を繰り返していただけだ。出来ない悔しさが時間を忘れさせた。大作を一つ完成させて、部分練習を少しやろうとしただけのことだったが、何故かさっぱり思うように出来ない。

その間、師匠のお宅には月命日の為お坊さんが来られて読経の声が聞こえてくる。偶然実家と同じ宗派だったので、懐かしく聞かせて貰った。最近の読経は抑揚のないモノが多く、なんとなくつまらないと思っていたが、今日の方は吾が父が読んでいたようなイントネーションとリズムに近く、するすると胸に入ってきた。静かな静かな環境で、読経を聞きながら粘土をいじる。なんとも良い感じ。

夫から帰るメールが入って来て、ようやく重い腰を上げたのは8時を過ぎていた。イタドリのお総菜をお裾分けして貰い、お庭の蕗やニンニクの芽なども頂いて再び高速。5分遅れで帰宅した夫の為に、本日は和食。居酒屋よろしく吾が手作りの食器にちまちまと季節の野菜料理を出したらえらく感激していた。ま、これもいっか。

 

昨夜はちぇちの練習後ミニミニ会議。深夜12時半までに及んだが、まあ、成果はあったかも。、、、いよいよ始まった、という感じだ。練習時のみでは物事が進んで行かない。が、これって、体力勝負だからねえ。

 

 

深夜のカーラジオから面白い「説」が流れて来た。近頃の若者は大変に傷つきやすい。特に男子が弱々しい。、、、というようなものだったが、確かにそう思える男子が周辺にもけっこう居るなあ。ゆで卵のむきたて見たいな繊細な感じ。押せばそれなりに弾力があって、返っては来るが、押されない限り人の輪の中に居ても人々の会話は彼らの表面をするりつるりと滑っているように見える。きっと身体の中にはキレイな色の黄身があるんだろうがそれを容易なことで見せようとはしない。白身でもっぱら自己防衛だ。「傷つきたくない」がそうさせるのか。

 

「若者よ大志を抱け」の大志は「野心」だと言った人が居るが、それ以前の問題かも。

2013年4月17日 (水)

歌のお勉強。

午後になって、H先生宅へ重唱の合わせに出かける。夏日と言っても良い程の好天気。先生のご自宅は田園が拡がる豊かな風景の中に広々としたお庭を構えていつもながらの優雅な佇まい。こういう環境での音楽三昧はホントに羨ましい。

今日の合わせは、イル・トロヴァトーレからの二重唱で、かなりの大曲だ。ヴェルディの作曲らしい、生き生きとしたメロディと迫力のある歌唱が要求されて3回歌うと汗ばみ、数回歌うとぐったりした。自主練をしておくこととして、今日のところは退散したが、さてものになるのか?ただ、こういう曲は歌っててホントに楽しい。全く上手く造られているなあ~。

 

帰路、猛烈に眠くなり、一旦車を停めて眠ろうかと思ったが、辛うじて帰宅した。不思議と帰ったら目の前のやることに気を取られて眠気もなくなった。が、出したメールに間違いがあったところを見ると、どっか寝てたのかも~。睡眠不足が祟っているなあ~。

って、今日もシンデレラタイムはとっくに過ぎた。寝よ。

2013年4月16日 (火)

会議。本日の場合。

今日も朝からバタバタ。午後には久しぶりの陶芸。仕上げて頂いた吾が作品をしばし眺めてムムム。思ったより佳くできた物もあるが、やっぱりね~というガックリしたモノも当然ある。しかし師匠は褒める事しかしない。棒が折れないようにと言う配慮だろうなあ~。これでも案外少々のことでは棒が折れないんだけど、、、。やりかけたことは途中で止めたくないのが性分だ。これを長所ととるか、単にあきらめが悪いと取るか、、、。いずれにせよ、歴史を作っていくと、なにがしかの成果が出てくるのは確かなようだ。

昨夜のパーティでも何度かちぇちの公演を見に来て下さった方から、賞賛の言葉をかけて頂く。全くちぇちの公演を知らない人が多い中、これは嬉しいことだった。多分今年もこの方は来て下さるだろう。

 

陶芸は途中で時間切れになって再度来ることを約束して今日は夜の会議のために急ぎ高速に乗る。慌ただしく夫の食事を整えて、自分は途中でパンを購入。本日の夕食はこれで終わり。

会議は必要だが、年間スケジュールのところで、毎回ストップがかかるのは不安だなあ。予定の2ヶ月遅れで進んでいる。原因はイロイロだが、そんなこと言って愚痴ってる場合ではない。時間はどんどん経っていく。、、、さて。どうするか。

会議の途中でKさんが携帯の電話で長電話してると思ったら、「チケットゲット!」と明るくやってくる。そう、今からそういう姿勢でいることが大切だ。実際にチケットが手元に来てから売るのでは遅いって事だ。日常的にアピールする方が楽だし効果的だ。そして、「売る」という感覚からは出来るだけ離れる方が良いと思う。あくまで自分たちがしていることを「紹介」するというスタンスが良いのではないか。実際私たちの公演は利潤追求どころか全員持ち出しの「活動」なんだから。

 

さあ、明日も忙しい。朝の仕事の後は友人の退院祝いとその後は重唱の合わせが入っている。お嬢はあの店にしかない春雨を10袋送れと言ってくるし、母の病院もある。はてさてこなせるか?

2013年4月14日 (日)

仕事、学習、そしてパーティ。

今日もめまぐるしい一日だった。

 

午前中に仕事をやっつけて、午後は短歌の歌会。約4時間の長丁場で、案の定途中で生あくび。間で今夜のスケジュールに関することがあれこれ入ってくる。そのお陰もあってナントか気持ちを切り替えて最後まで頑張れたか。

が、ボンヤリしていて、こちらに飛んできたジョークの矢を受け返すのが出来ず、ピント外れだったのは如何にも悔しい、なんちゃって。

会では今日も出て来た「相聞歌」について揶揄あり、批判めいたひそひそ声もあり、逆に拍手もあったりと朗らかに会話が弾んだが、中には羨望の気持ちもあったかに見えるがどうだろう。,,,イヤハヤイヤハヤ。

 

嬉しかったのは、ある男性が先日のシャンソンのコンサートに来て下さっていて、「病後の体調の悪いのを押して出かけたが、かえって元気になりました。」とお礼を言われたこと。しきりに良かったを言ってくれたが、「あの歌を短歌に取り入れてはどうですか?」と痛い所を突かれてしまった。それに似たことは師匠からもさんざん言われ続けている。ま、いつかその距離が縮む日もあるだろう。

 

急ぎ手土産を購入して帰宅、その足で夫と友人をピックアップしてと間もなくNYに帰って行かれるK画伯のお家のパーティに出向く。顔見知りの人ばかりでもなく、若手の芸術家達も集まっている。みんな神妙な顔つきで画伯のお話に耳を傾ける。「高松ではいつも違う違う、と思っていた。で、上京したが、ここでもやっぱり違うと思った。それでNYへ渡ったんだ。」と、、。個人的にはこのストーリーのかなり細かい部分まで知っているが、若い人達には新鮮だったろう。現代だって、この画伯のような飛んでる人生を叶える若者は少ないだろう。「勇気と信念」これが全ての人だ。

 

奥様の美味しい手料理も出て、本日運転手の私はノンアルコールを片手にああ、つまらない。午後10時を廻って外へ出ると、漆黒の闇が拡がっている。どうやら雨が降ったらしい。再会を約束してお別れしたが、また当分会えない人達だ。ま、お互いそこそこ元気で会えることを喜ぶしかない。

2013年4月13日 (土)

ワンちゃんに泣く。

孫とひ孫が去り、元の平安過ぎる生活に戻った母を、久々に映画に連れ出す。「ひまわりと子犬の七日間」というこの映画。予告編を二人で見たとき、「これ見たいね~公開されたら又行こうねえ。」と以前話していたモノだったが、既に母の記憶にはなく、、、、それでも速攻、「行く」というのではるばる綾川まで。今日はお天気も良いので、高速を使わずのんびりと下道を行く。着いたは良いが土曜日のせいか、車いすがなかなか見あたらず、なんとか見つけてまずは夕飯を食べようとなるが、たまたまアナウンスが、「大道芸を見ながらお食事は如何ですか?」と喋っているのを聞いて、それも一興とばかりそこへ移動。冷麺とか弁当とかの軽いモノばかりだが、手品など見ながら結構楽しく食事する。

しかし満腹になると眠くなると言うのは当然の成り行きで、まだ時間があったためマッサージ機の販売コーナーまで行きただで揉んで貰う。不思議とそれでスッキリして映画館で眠ることなく見られたのは、我ながらグッドアイデア。しかしマッサージ機って、安くなってるなあ~。

 

映画は、犬と子どもが出るというのを知っていたため、コレは絶対お涙モノで、しかも監督が山田洋次監督の元で永く助監督をしていた女性というからおおよその想像はついていた。

が、ちょっとその予想は違っていたかも。いや勿論そういう場面も沢山あったが、もっとメッセージ性の強いモノだった。

以前から日本に於ける人間と動物の関係に常々残念な思いを持っていたアチクシ。今日の映画のテーマは大いに共感できた。「飼い犬」が捨てられて「野犬」化していく残酷さは、最後はそれを捕獲して殺処分までするに至って最悪となり、この一連の行為は究極の人間のエゴだと感じていたので、今日は改めてその現実を突きつけられた思いだ。

人はかくも残酷になれる。

しかし救いは、今日の主人公のように、真の意味での「共存」を目指す人が存在するということだ。この映画が何らかの引き金になり、不幸な動物を少しでも無くする方向に社会が動いてくれれば、と思う。出来ないことは無いはずだ。海外では政府が徹底してペットを飼う人達を管理している国もある。

 

映画の作り方については、独断と偏見だが、少々問題があると思った。この手の映画を作るのには、あたかも一匹の犬であるかのように多くの犬を使うのだが、その使い方が少々荒い。見ていて、あらら、その犬はさっきの犬とは違うでしょう?というのが分かってしまう。キャストについても、著名な女優が出てくる=この人が何かやるんだろうなあ~、と観客に先を読ませてしまう。

そんな中で、吉行和子、夏八木勲、小林稔侍などの脇が光り、全体を締めていたのは流石だった。

作品の重要な部分、全ての動物には人間同様生まれてから現在までの歴史がある、というのを、シャーロックホームズよろしく主人公が解いていくのが面白い。もしや監督はシャーロックホームズフアンなのか?

 

さて、明日は短歌の歌会。集中出来るかなあ~。

2013年4月12日 (金)

ペラペ~ラ???

夕方のNHKニュースで思わずアナウンサーに拍手したくなった。変な名前のモデルが登場する度にその言いにくい名前を連呼しなくてはならない。「なんとか、ぱみゅぱみゅ」というその名前。テレビの前で言ってみたがとてもじゃないが言えたもんじゃない。二度三度と繰り返すと絶対吹き出してしまう。それを平然と繰り返したのは流石のNHKアナということか。ま、心なしか口元がゆるんで、何時もに似合わず柔らかいお顔だったのは、内心の笑いを我慢していたのかも~。

喋りにくい日本語はけっこうある。昔昔、ある番組の朗読を依頼されて何だったか忘れたがどうしても言えない言葉に行き当たった苦い思い出がある。

 

永く人前で喋る機会を多く持ってきたが、自分の中に一つのパターンがあることに気付いた。強制されると上手く喋れないという「癖」のようなものだ。自分の中にあるものを出すのは可能でも、無いものをただなぞるのは苦手、ということだ。心に浮かぶものを言葉で表現するのは出来ても、同感、同調できないものはついたどたどしくなってしまう。そのレベルまで文章を理解し、自分のものにして初めてナントかそれらしく読めるのだが、、、、考えてみるとこれは全く歌うことと同じだなあ~。

いつも歌うオペラアリアや歌曲、シャンソンも全てが他人の作詞作曲したものだから、自分の身体から生まれたモノではない。従って、その曲を理解して自分がそれに同感、同調して、初めて歌えるようになるということだ。、、、今頃気付いたか、、、ってなもんだが、テクニックよりもそれが優先するということは、かなり重要な発見かも。

あのぱみゅぱみゅのアナウンサーも、想像だが、原稿を読む前にそのモデルについての考察があり、どの角度かは知らないが興味があり、そしてあのすらすらとした呼び方が出来たのではないか。と思う。

台風一過。

3週間帰省していた娘親子が、ようやくご帰還遊ばした。ばんざい!!のこころ。

今日の天気は、晴れているのに雨が降る、といった、まるで私たちの心境のような天候だった。

山のような荷物を宅急便に持ち込んで、母を誘ってランチ。そのまま空港へとなったが、この別れの微妙な空気を察知してか、2歳の孫べえは全く食べない。些細な事でべそをかいたりやけに乱暴になったりと情緒不安定。母親は怒り狂って、どうして食べないの!?と詰問するが、「わかんない」と答えるのみ。そりゃそうだろう。ご本人にも分かってない心境だ。物心ついて初めての別れを体験して、内心ではかなり動揺しているようだ。

昨日から別れの説明をしていたらボロボロ泣き出して、幼いからまだ大丈夫だろうと高をくくっていたが思ったよりデリケートなおぼっちゃま。その前の日も事情があって二日続けて実家に寝起きする為出かける私に向かい、どうして行くかとしつこく尋ね、行くなと言い張る場面もあった。この3週間でグッと仲良くなってしまった結果、こんなことに、、、。空港まで見送りに来てくれた友人が、「こういう別れを経験しない子もいるんだから、良い体験よ。」と言ってくれたが、まったくその通り。

 

それにしても、今回メチャクチャに忙しく、ここに打ち込むことさえ出来ないほどだったが、孫べえに思いがけない贈り物を貰った思いがしている。これほどどっぷり孫と過ごしたことは無いため、すっかり忘れていた人間の成長の過程をたっぷり見せて貰った思いだ。毎日、いや、毎時間成長し続けている子どもという存在は、バックしていくのを実感している我が身にとって実に新鮮で興味深い。そして又感情面での振幅の大きさは、娘も言うように母と子二人の生活ではなかなか求められないものだったろう。お互いに良い時間だったというわけだ。

 

今回は、娘のシャンソンを聴いて頂く会をやったため、通常よりも時間に追われたが、暖かい聴衆の方々のお陰で良いスタートが切れたように思う。我々親子を助けてくれる人も大勢居て、つくづく有り難いことだった。

娘とはたびたび議論したり話し合ったりすることがあるが、そうした中でようやく娘の目指したい方向が分かるようになってきて、残りの我が人生の一部を彼女のために使うことを考え始めた。本人はある意味欲がないとも言えるが、「私は有名になりたいとは全く思わない。ただ自分が納得できる、良い歌が歌える歌手になりたい。」という本人の希望を叶える手助けをしたいと思っているわけだ。幸いなことに、指導者には恵まれている。本人の気持ちの真剣さも本物だ。

スタートラインに立った我が子を、これからどこまで助けられるか分からないが、助けられることを喜びたい。

 

とか言ってる内に時間がどんどん経って、短歌の締め切りは過ぎるは、提出すべき原稿には追いかけられるは、大事なメールの返事も遅れ遅れで出している。スケジュールが目白押しになってきたちぇちのイベントもどんどんやっつけなくてはならない。

 

、、、なんか忘れてるような気が、、、、不安。

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