究極の選択。
昨日、テレビで「ハーバード大学白熱授業」が放送され、場所は東北大学というので見始めたら予想通り面白かった。ここで意見を言う人達は毎度の事ながら悪人ではない。しかし、自分の意見と違う意見の人が現れると嫌悪感を催す、ということを利用して、この教授はみんなの心を一つに近づけようとする。そして大概の場合成功しているのは凄い。あれ程離れていた意見がいつの間にかその奥深くまで読み取られ、実は人間としてはどちらの意見も大した違いが無いことまであらわにする。
今回それが顕著になったのは、ある小説家が意見を述べた後、他の意見を聞き、教授のサポートをも受け入れていく中で最初の意見を撤回して、真反対の意見を結論として再発表したことだ。
それは、「プロの消防士や民生委員が自分の命を落としてまで他人の人命救助をした」という点について、これは必要な事かどうか、というところから出発した。その小説家は最初、「必要ない。自分の命を長らえてこそ出来ることをやるべきだ」という意見だった。ところが時間経過ののち、「初めの意見は撤回します。その理由は、今回助かったとはいえ、様々な苦境に立たされている人たちは、自分の命を省みず他人を助けるために働いた彼らの行為に救われているという事実に気が付いたから。日本人の中にはこういう人達が居るんだということが、残された日本人の心を救うと思う。」「日本人で良かったと思う事が未来への希望を生む。」と、大体こんな内容だったと記憶する。
いつもあの授業には感動するが、今回も本当に良い時間だった。それはあの教授も言っていたように、架空の議論ではなく、実際に起きたことから考えるという点で、これまでの議論とはかなり違った意味合いを感じたからだ。
「人と人の意見が違うのは当たり前。相手の意見をどう理解し、受け入れていくか。」これが民主主義の理念です。とのオコトバに納得。
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