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2013年3月

2013年3月24日 (日)

忙殺。

忙殺という言葉があることを思い出して、言い得て妙だとつくづく思う。殺という字が別に殺すという意味ではないにしても、フィーリングがこれ以上はないくらいにぴったり来るではないか。

娘が一人息子を連れて帰省してからというもの、覚悟はしていたがそれ以上に大変な日々を過ごしている。勿論、娘のことだけではなく、前々からの予定が目白押しで、その上にということだ。

例えば昨日のファッションショー。主宰者の友人から司会を仰せつかったは良いが、前日のリハなど全てを取り仕切らなくてはならず、覚悟はしていたモノの目が廻るとはこのことだった。着物を洋服にリメイクするというこの講座。友人Yが70歳過ぎてから講師となり、沢山の生徒さんを抱えることとなって丸2年。平均年齢は高いとはいえ、それだけに「着物」に対する思いも若い人とは違うようで、この講座は大繁盛しているというわけだ。

事前にアンケートに書いて貰った、「その着物の素性」は殆どが、「想い出」を上げていて、例えば母の形見です、とか義父の大事にしていたモノです、嫁入りの時母が持たせてくれたものです、とか若い頃着たものをリメイクしましたなどなど、近親者の思い出と共に製作されているようだった。

が、矢張り日本人の中にはその行為にすんなりついて行けてない人達も多いようだ。一番大事な着物はどうしてもほどけないなどと感想を聞くこともある。かといって着る予定があるわけでもないが、着物は着物であってこそ価値がある、という意見のようだ。確かに、その思いも分からなくはない。自分の事を考えても、いつか着るかも知れないという想いから、タンスに眠ったままにしている。まあ、娘が着るかも知れないという淡い希望もあるからではあるが、、、。

これこそ、国を二分する意見かも知れないなあ~。

 

で、今日は春の音楽祭にちぇちがご出演、の日。

風邪を引いて出られないといってた人もナントか復帰出来て、一応全員でショートショートを決行。リハもやったが、結果は、期待通りとはいかず、舞台の難しさを改めて感じた。そして矢張り、練習回数がもろ結果として出てくる、ということも再認識。今年の暮れの公演の為には良い試練だったと思う。今回を踏まえて次回を頑張ることだろう。

ただ、観客は皆さんとても暖かく、「あのいつもの楽しい団体か!?」という拍手をくれる。この会に参加も随分永くなったからねえ~。間違いなく常連だし、他のどこも遣らないことをやっているので、記憶には残っているようだ。これが、この指たかれに繋がってくれたら良いのだけど。なかなかそうはいかないのが残念だ。これほど沢山の人が合唱など音楽をやっているんだけどねえ~。誰か来てくれないかしらねえ。

 

で、こんな中明日は母も一緒の一泊旅行だ。膝が痛いという母をこないだ病院に連れて行くと、かなり水が溜まっていて、左右とも抜いてくれたがまだ痛むようだ。今朝になって行くのを止めると言い出した。車いすを借りて、絶対歩かせないから、、、と説得して、予定通り行くことになったが、はてさて、どうなりますことやら、、、。アチクシは只今娘であり、親であり、祖母でもあるという次第。上から下から頼られて、、、、それでも痩せないのは、な~ぜ?

2013年3月18日 (月)

心が動いた日。

朝、とあるボランティア団体の方々を初めてお訪ねする。一度聞いてすっかり忘れて居た地図を再び電話で聞いてくねくね道をたどり着く。思いがけなく歓待されて、恐縮してしまったが、目的は充分達成できたと思う。同じ香川県にこのように充実した活動をしている(しかも皆さん結構な年齢だ)人々が居ることが妙に嬉しかった。皆さんのお話を伺うとそれぞれが色んな特技をお持ちの方の集まりで、こうした本拠地を確保して地域で表彰もされているほどのご活躍。お近づきになれてとても嬉しかった。こちらのやっていることにもとても興味を持って頂き、コラボの実現が上手く行きそうな予感が、、、。

小一時間話し合いをして丁寧なお見送りを頂いて、暖かい日差しの中を車を飛ばし次なる目的地サンポートまで移動中ふとSさんの顔が思い浮かんだ。「そういえばこの辺が彼女の住まいじゃないかな?」と車を停めて電話してみると矢張り近い。小高い丘の上の住宅街の一番高いところにその家はあった。斜面に建つここは下へ下へと部屋が造られていてユニークなシンプル設計。モダンな造りは住人の人柄にぴったりなたたずまい。壁には一風変わった絵画が掛けられ、犬が二匹も居るとは思えない掃除の行き届いたキレイなお家。最下位の部屋からテラスに出れば目の前に五剣山の全貌が拡がる贅沢な借景。外には2ヶ月前に生まれたという子ヤギとその母親がのんびりと柵の中。器用な主は只今ゲストハウスを建設中、というのを見ると立派なおしゃれな建物が出来つつある。犬アレルギーの人用の部屋らしい。いや~、若い頃人生の辛酸を舐めた彼女だがこうしてここにたどり着いたか、、、、と感無量。幸せそうな様子に嬉しくなって再来を約束して細い下り坂を又くねくねと下りたが、色んな所に人って住んでるなあ~とキョロキョロしながらだった。

どこでお昼を食べようかとコンサートの時間をにらみながら考えたが、パスタや中華などは隣の席の人を考えると止めとこと気持ちが固まった時、目に止まったうどん屋さんへと入って見る。うどんはともかく、だしが自分好みではなくちょいとがっかり。チェーン店があちこちにあるんだけどなあ~。

目的地に着いたがまだ少し時間があり、めったにしない行動に出る。サンポートの1階部分をあちこち散策。自動車の新作発表やペットなんかのブースもあったがどれも素通りしてなんかイベントをやってるらしい所も横目に見ただけで、結局うどんの口直しとばかりソフトクリームを食べ、ようやく良い時間に。

Yさんのテノールコンサートは予想通り素晴らしい声と歌唱力で観客を楽しませた。訓練してかっちり作り上げた声を最大限生かしてしっかり歌ったという印象だ。伴奏のO先生も素晴らしかった。特にグラナダの演奏は細いお身体がムチのようにしない、ピアニストを見ているだけでも興奮した。白髪頭のT先生がず~っとビデオかカメラを構えていらしたのは個人的ご趣味かなあ?

実はこのあと通りがかりに知ったシャンソンの発表会にも顔を出した。こちらは歌は勿論、声も歌唱法も全く違うもので、プロとアマの違いもあるが、パンチの点で大きな差がある。中にはおお、と思う人もいたし、伴奏のピアニストやベースはしっかりした人を入れていたので、個人的には楽しめたが、休憩後はごそっと人が居なくなってシャンソンもまだまだ浸透してないのを感じる。

 

本日最後の予定、永く会ってない友人Mさんを訪ね一緒にお勧めの近くの中華料理店に行く。確かに美味しかったが量が多くて、二人でわけ分けしたらちょいと食べ過ぎ~。で、彼女の家に移動して、溜まりに溜まった話しをなんと3時間もしてしまった。大いに喋り、もうすぐ7回忌となる旦那様の思い出話に二人して泣き、共通の友人のうわさ話に大笑いし、お互いの子どもや孫の話に花が咲き、何時訪れるか分からない人生の苦難を東北の震災共々話し合い、,,,結論は、これからしっかり生きて行かなくてはね。というものだった。おしどり夫婦が別れ別れになるとこうなるという典型の彼女だったが、しっかり立ち直って悲しみを乗り越えているのには安堵した。「今日届いたばかりよ」というお野菜をたっぷり頂いて夜更けに家を出る。

、、、しかし、癌に冒されたご主人が若すぎる死を迎えた当時のことを克明に説明してくれると、改めて胸が詰まった。二人して、「未だにテレビを見ながら東北の人々の姿に涙が出ない日は無い」と話しつつ、私は彼女が自分のご主人の事を重ね合わせているだろう事を思い、自分よりも深い同情の気持ちがあることを思った。愛する人を突然に奪われるという悲しみを彼女も経験している。「又時々来るから、彼のことを思い出して一緒に泣こうよ。」と告げて別れたことだが、、、。

 

濃密過ぎる一日が終わった。

2013年3月16日 (土)

母の誕生日。

どこかで豪華なランチをと思って外へ出るとあっぱれな晴天。こりゃあ、豪華なお弁当に切り替えて野外でランチだなあ~とサングラスをかけながら思う。車に乗り込んできた母にそう言うと即座にOK。少し遠い美味しいおかずやさんに車を回し、しっかり買い込むと、「お箸は何膳にしましょうか?」と問われる。まさかこの二人の年寄りだけで食べるんじゃないんだろう?とでも言わんばかり。「二膳お願いします。」と受け取って公淵公園を目指しひた走る。多分桜はまだだろうが、このお天気。あの景色の中で食事するだけでも気持ちが良いに決まっている。道中母の口から出る言葉は、わが子達が幼い頃よく連れて行った時のエピソードばかり。ある時は桜の枝をこっそり手折って持ち帰ったと、いたずらっ子のように笑う。

案の定まだ蕾が殆どだが、南側の数本はしっかり花を付けている。この公園の桜の全開も間近だろう。光に誘われてそぞろ地上に這い出た昆虫のように人々が歩いている。少し冷たい風に背中を丸めながら、それでも眩しそうに天を仰ぐ人々。みんな春を待っているんだ。こんなにも。

一番日当たりの良いベンチに腰かけ、たっぷり日を浴びながら、たっぷりしゃべりたっぷり食べる。いち早くウグイスの声に気付いた母が嬉しそうに声を上げる、、、、やがて驚くほどキレイに平らげたお弁当に二人でゲラゲラゲラ。やっぱりこういう場所で食べると何倍も美味しいねと言いながら、いつかこの席に母がいない時が来るんだな~と思わずには居られない。、、いや、逆かも知れない。案外こっちの方が居なくなってるかも!いずれにしろ、いつかはこの穏やかな暖かい時が終わるときが来る。そう思ってるとき、お嬢から電話が入る。来週には子連れで帰省するのを誰よりも待っている母の声がますます明るくなる。

こちらは次なる予定が入っていて、後ろ髪引かれながら重い腰を上げる。こんなに永く日に当たること自体が最近珍しいためか、ちょいとお疲れモードのアチクシ。眠気が襲い、慌ててガムを噛みながらの運転。

予定を変更して母も一緒にその場所まで行くことにする。まあ、知らない人に会うわけでもないし、色んな人と話すことが大切だ。

その仕事とは、あるファッションショーの司会をさせて頂くのでその打ち合わせだった。全く準備が出来てないのに驚くが、まあ、ヒトのことは言えないわなあ~。大まかな事を担当者と決めて、後はリハに全てをかけることとなる。こりゃあ又疲れるなあ~。40人程の出演者、しかも素人ばかりをさばくのは容易ではない。どんなことになるやら、、。依頼する方も受ける方もアバウト人間。イヤハヤイヤハヤ、、、。今もウオーキング用の音楽を選別しながらこうしてキーボードだ。プロのモデルが歩くのとは違うから、歩きやすいリズムのモノでないと行けない。と思うと結構難しい。どうなることやら。

何故かこの前後がイベント続きでチョーチョー忙しい。体調が完全ではないのにねえ~~。

昨日も4ヶ月風邪を引いていると来店客に告げると、「私の妹も毎年同じ事言ってるけど、暖かくなったら絶対治るから、大丈夫よ!」と激励される。そうだと良いが。

 

ま、本日めでたく93歳となった母にあやかって、がんばるべ。

2013年3月14日 (木)

行動半径を広げる高速。

今日は当たらない天気予報に振り回されたなあ~。ま、一応傘は持っていたが、朝の好天からは予想できない土砂降りの雨に驚いた。過密なスケジュールの結果、夕方暗くなって津田から国分寺まで雨の中を高速で走ってのちぇち練習参加だった。久しぶりの雨の高速でチョイと緊張したが、ローカルの高速らしくとっても空いていたので何時もより速く会場に着いたくらいだ。ホントに高速さまさまだが、料金的にはねえ~。

 

ちぇちは今のところ暮れのオペラ公演に向けて、準備を兼ねた「春の音楽祭参加」だったり、「サロンコンサートの企画」だったりで、一連の流れの中に突入している。今日はようやく全体の振りが付いて、来週総仕上げとなる予定。今回も「ちぇちらしい、楽しい出演」が出来そうだ。

 

まあ、前でみんなを見ていると、結局は一人一人の「やる気」しかないなあ,と思えてくる。「言われただけ」でなく、「やりたいことをやる」気持ちが前に出ている人に全体が引っ張られている。自発的な何かが決め手だろう。逆に言うと、やる気のない人は非常に目立っていると言うことだ。いわゆる「悪目立ち」という、アレ。動作が緩慢だったり、声が出てなかったり、他の人の中に埋没しようとしている人は、逆に目立っている。集団、というものの摩訶不思議だろう。本番、それが揃っているから不思議だよなあ~。

 

雨音が全くしなくなった。明日は晴れるかなあ~。

2013年3月10日 (日)

歌会の前後。

昨夜から夫が出張で楽ちんな生活を満喫している。今日は雨だし母のお付きあいもせず、短歌の歌会から帰りプラッと映画館。日曜日で混んでるかと思ったがそうでもない。丁度知らない題名の洋画があり良いか悪いか分からないがともかく見てみようと思ったのは、好きな俳優が主演だったせいだ。黒人の名優デンゼルワシントンという人だ。

予想は的中。素晴らしい映画だった。

アル中の優秀なパイロットが旅客機の墜落事故を起こし、その事故原因が彼のアル中に起因しているのではないかという疑いが浮上。技術的には非常に優れたパイロットで、この事故も彼以外のパイロットでは全員死亡となったに違いないという事実がありながらも、事故調査委員会は彼を追求していくというもの。

何が良いって、彼のまなざし。いつも憂いをたたえ、喜怒哀楽の表現の幅が非常に狭い。その押さえた演技のお陰で彼の心の奥底が透けて見える。黒人故の資質かなあ~?

もう一つ良かったのは、機内の臨場感が凄いこと。実は映画を観る前にはマッサージを受けてコリコリの肩をほぐしてもらってからだったにも関わらず、手に汗握る緊張で、すっかり元の木阿弥。それほどにリアルだったのだ。実際今後飛行機に乗る度思い出しそうな程だ。

ホントに良い映画を観て良い気分でスマホを見ると、あっちゃ~、入ってる入ってる。本日締め切りの短歌がまだ出てないというお叱りのメールだった。歌会でもしっかり言われたにもかかわらず、帰りに映画とは何事か!と言われそうだが、テーマが与えられて行き詰まり、気分転換でもすれば良いのが出来るかとの思いもあった。、、と思う。急ぎ帰宅して送ったが、催促してきた師匠はお疲れモードで、「只今思考力ゼロ」と来た。さもありなん。歌会の評というのは疲れるもんだ。我々は思いついたことを適当に喋っておけば良いが、そういう立場にはあらせられないお方。集中力が半端ではないだろう。

手がかかる生徒ばかり。そりゃあお疲れになるでしょう。そのせいかどうかは知らないが、本日欠席のあるお方がインドにご旅行中とかで、あの人は一人旅行がお好きでよくツアーに一人参加をされているらしいわよと報告されたのに、「うらやましい」とぼそっと付け加えられたのは、妙にアチクシの心に残った。その場に居た殆どの女性陣は同感したし、それを代弁してくれただけかも知れないが、、、、。

私よりも10歳も上の年齢の師匠はツイッターでどんどん入ってくるし、その中にはアノ本を読んだ、あの記事を読んだ、と旺盛な読書欲を次々満たしておられるのも知っている。携帯からスマホにされたし、パソコンだけでも驚くのに、、、、凄いエネルギーだ。まさかその上、一人旅行はないでしょう!?

歌会では、その師匠の歌も含めて全部名前が伏せられて歌評が行われるわけで、そういう方々の歌評に当たるのはみんな同じだろうがとっても怖い。知らないで低レベルの評を下してしまうことだってある。で、何故か私にはそういう方のモノが当たってしまうことが多い。でトンチンカンなことを言って後で、ゲ~ッとなるのだ。ご本人はそれを楽しんで居られるかも知れないが、こちらはムムム。

 

元気な高齢者が増えている。今日仕事のあと昼食を掻き込んで居るとき香川の音楽会の重鎮の葬儀についての電話やメールのやりとりがあって、たまたまテレビではNHkのど自慢をやっていた。(昼食、電話、メール、テレビが同時進行!!)画面では90歳の元気な女性が元気に歌って、会場がどよめいたが、ゲストから、「今そんなにお元気で青春だっておっしゃるなら、恋もしてらっしゃいますか?」と聞かれて、「ハイハイ、恋もしましたよ。でも今はもう死んじゃいました」と臆面もなく言い放って会場を笑いで一杯にしていた。いやはやいやはや。

今日の歌会でもある男性の素晴らしい相聞歌が発表されて、恋する感情が如何に歌にプラスになるかを師匠が力説されたが、ホントにあの歌は良かった。男性の方が年取ってもロマンチストが多いんだろうなあ。、、、このごろ男性会員が増えて、心なしか歌会の色が変わってきたような気がするなあ。

 

ちぇちもねえ、、、男性が来ないかなあ~。。って、女性もだけど!

2013年3月 8日 (金)

時と形。

時間の経過というのは恐ろしく速いものだと、今更ながら今日改めて認識させられた。

食洗機が壊れていて、以前からネットを使ったりして修理を依頼しては面倒なことを言われ、体調の悪さもあってぐずぐずと一日延ばしをやっていたが、こないだパーンと晴れた日に急に思い立って電話依頼してみた。天候によって気分が左右されるなんて!今までの私にはあんまり無かったこと。

それはともかく、なんとかあちらの都合とこちらの都合が合う日があって無事予約できて、本日その修理担当の方がお見えになったわけだ。「以前も修理をお願いした者ですが、、、」とつい1年半か2年まえの調子で電話してあったところ、その方が苦笑しながら言うことニャ、「奥さん、調べましたが前回は4年前でしたねえ~。」あら~、そ、そうですか!?そんなに時間が経ってますか!?

しかし我が家のこの食洗機は長持ちしてると思うなあ。話しぶりではとっくに寿命が来ているらしいが、ナントか部品の一部が残っていて助かったような感じ。「あと1年は部品があると思います、、、。」と言われたが、次回はいつ頃壊れるんだろう。

 

形あるモノはいつかは壊れるなあ~。

2013年3月 6日 (水)

今日は春みたいだった。

ぼちぼち春の音楽祭に向けて「動き」が付いてきた。他団体にはないカラーがこのコンサートで定着して、今更突っ立って歌うだけっていうのが出来なくなっちゃった。「ちぇちぃりぁ」=オペラ=芝居という訳だ。短い時間でも、この原則をなんとかこれまでやって来たわけで、それはひとえに自分たち自身のためであった。一回でも多く人前で「演技する」必要に迫られてのことだ。

近頃の観客は目が肥えている人が多く、少々のことでは楽しんでくれない。なんてったって幼稚園児が大きなステージでミュージカルまがいのことをやっている時代だ。テレビというもので、皆さん無意識のドラマのお勉強もしている。「観る」という力はもの凄く育ってきているのだ。

だから、何かをやる場合、少なくとも「何をやろうとしているか」が伝わらなくては全然意味がない。出来不出来はともかく、やりたいことが観客に伝わるということが最低のラインになる。そこがクリア出来なければオペラをやっています、とは言えないだろう。

そして、この訓練は実際楽しいものの筈だ。かっこつける人はダメだが、素直な人はどんどん技術が磨かれていく。それは、観客同様、自分たちもこの時代に生きて、日常的にお勉強しているからだ。

しかし、このところやっている演劇エチュードなるものは、過去の舞台経験がある人とそうでない人にかなりの差が出来ている。経験者は自分が出来ているという自覚はないかも知れないが、明らかに成長しているのだ。出来ている人=心臓に毛が生えている人、ではない。経験から学ぶことが如何に多いかと言うことだ。新人も大いに頑張って欲しいもの。

 

時間はどんどん無くなっていくなあ~。

悩める若者たち。

偶然のことながら、先日来若い人達の悩みの聞き役となることが続いた。こちらはただの聞き役の域を出ないが、喋ることで本人の中で整理が出来ていく場合がある。心を開き打ち明けることで、自分の思考回路も拡がっていくようだ。

我々が若い頃は、友人とよく話し合ったものだ。時には議論に発展して、その中で発見や解決法が見つかることも多々あった。その頃の友とは今も変わらず友として付き合っている。

誰でも良い。自分一人で解決しようと思わないで、自分の中の心の叫びを表現した方が良い。その行為が必ずしも結果を生まなくても、その過程で必ず発見がある。

自分を客観視出来ないということは、年齢を重ねてもあることだ。恥じる必要は無い。分かっているようで一番自分の事が分かってないのが人間で、人生とは自分探しの旅なんだから。

時には他人に聞いて貰うことによって、客観的に自分を評価して貰うことは大切だ。

間違うことは一向に構わない。生きていると失敗することはままあることだが、間違いを恐れていては萎縮したつまらない人生を歩むことになる。特に若いときは大いに間違った方が良い。

同窓会などに行くと、昔悪ガキだった人が魅力的な大人になっているなんて事はよくあることだ。若い頃躓いて、痛い目にあった人は、すんなり行った人より明らかに素敵な人間になっている。

 

誤解を恐れずに言うなら、「若者よ、君は生きてるだけで素晴らしい。」

 

今日のFMのゲストは若い頃まさしく挫折し、ご本人曰く「負け組」としてしっぽを巻いて郷里に帰って180度人生を転換した人だった。が、なんと魅力的な人だったことか!30日のオンエアは若者に是非聴いて貰いたい内容だ。

 

、、、そういうことなんだ。

2013年3月 3日 (日)

究極の選択。

昨日、テレビで「ハーバード大学白熱授業」が放送され、場所は東北大学というので見始めたら予想通り面白かった。ここで意見を言う人達は毎度の事ながら悪人ではない。しかし、自分の意見と違う意見の人が現れると嫌悪感を催す、ということを利用して、この教授はみんなの心を一つに近づけようとする。そして大概の場合成功しているのは凄い。あれ程離れていた意見がいつの間にかその奥深くまで読み取られ、実は人間としてはどちらの意見も大した違いが無いことまであらわにする。

今回それが顕著になったのは、ある小説家が意見を述べた後、他の意見を聞き、教授のサポートをも受け入れていく中で最初の意見を撤回して、真反対の意見を結論として再発表したことだ。

それは、「プロの消防士や民生委員が自分の命を落としてまで他人の人命救助をした」という点について、これは必要な事かどうか、というところから出発した。その小説家は最初、「必要ない。自分の命を長らえてこそ出来ることをやるべきだ」という意見だった。ところが時間経過ののち、「初めの意見は撤回します。その理由は、今回助かったとはいえ、様々な苦境に立たされている人たちは、自分の命を省みず他人を助けるために働いた彼らの行為に救われているという事実に気が付いたから。日本人の中にはこういう人達が居るんだということが、残された日本人の心を救うと思う。」「日本人で良かったと思う事が未来への希望を生む。」と、大体こんな内容だったと記憶する。

いつもあの授業には感動するが、今回も本当に良い時間だった。それはあの教授も言っていたように、架空の議論ではなく、実際に起きたことから考えるという点で、これまでの議論とはかなり違った意味合いを感じたからだ。

 

 

「人と人の意見が違うのは当たり前。相手の意見をどう理解し、受け入れていくか。」これが民主主義の理念です。とのオコトバに納得。

結果オーライ。

昨日は岡山でのベルディ生誕記念コンサートにお出かけ。ギリギリまでグズグズしていたが、友人Yさんから、茶屋町まで帰りはお送りしますよ、行きましょうよ、と誘われ、ネットで宿泊まで調べたあげくエイヤっとJRに乗って久しぶりの小旅行気分。もの凄い重装備で出かけたら電車の中は暑いの何の!コートは勿論マフラーとか手袋とか段々脱いで、汗じっぷり。丁度通勤列車だと聞いて、成る程と納得。こういうのに最近乗ってないからねえ。

結果、帰りは友人Yさんのお友達でスタッフのピアニストに送って頂く。宿泊する必要がなかったというのも、行く前と違って「音楽」という薬で身体の内部から元気になったというわけだ。血湧き肉躍る曲ばかり、それもオペラばかりの抜粋で大変楽しめた。中には相当力のある歌手も居て、オケも充分楽しめた。「アイーダ」の衣装にはそのあまりの豪華さと演奏会形式にしては本格的なことにビックリ。あとから聞けば他の県で全曲やった後だとかで、なるほど~の素晴らしさ。衣装と少々の演技だけで、まるで本物の舞台のようだった。スッキリした演出も大変好感が持てたし、ゲストのイタリア人メゾソプラノの演技力や歌唱力も良いお勉強になった。誘ってくれたM氏は、出番こそ多くはなかったが、そのオーラの凄さに、流石!と感心。結局オペラはお芝居だからなあ~。

迷ったらGO!ホントに行って良かった。誘って頂いたM氏に感謝だ。

 

本日は、そのM氏が一日だけ帰省したので懐かしいでしょうとうどんランチにお誘いする。あとのティータイムでは色んな話に花が咲き、昨夜の演奏会の事も話題に。何故そこでその声で歌うか、ということ抜きでは語れないよねえ、とは一致した意見。

相変わらず何事にも真っ直ぐな性格の彼の生活振りを、そのお仕事や家庭生活やなんかを話して貰いすっかり安心する。色んな意味で、これからも幸せな人生を!と祈りたい気分。ご両親のお墓参りに付き合ったが、屋島と八栗さんが丸のまま見えるとても景色の良い丘にそのお墓はあった。きっと彼のご両親も草葉の陰で喜んで居られると素直に思えたひとときだった。

ホテルまで彼を送り届けて、その後Yさんから誘われていた宇多津の「おひな祭り」に母を連れて出かける。Yさんのご実家が話題のフラワーアートで飾られているとのこと。以前から一度行ってみたかったのだ。がこれ又、行こうかどうしようかとちょいと悩んだが、天気の良さに誘われて結局3時くらいから高速に乗る。

最近やたらパトカーに会うが、早速高速でも目の前を走って来た車がスピード違反で捕まるのに遭遇。行きも帰りも交通事故を目撃。そうそう、うどん屋さんを出るときも、隣に駐車の車にぶつかった年配の方がいたなあ。くわばらくわばら。気を付けよう。

 

おひな祭りは引田のように派手ではないが、暖かい雰囲気の中でこじんまりと開催されていた。Yさんの姉上の作品は何時もより地味だそうだが、手の込んだ立派なものだった。Yさんご姉妹のご厚意に甘えて、母共々おうちに入れて貰い、お茶とお菓子のご馳走になる。予想外に親切にして頂いて母も上機嫌。のんびりとひとときを楽しんだ。

偶然今日は夫もこの辺でボランティアのバザーをやっているはず、、、と母に話した途端見覚えのある車とすれ違う。あらま、もう帰ってるわ、、、と話しながらこちらはそれからの宇多津散策となる。帰路に付いたらその夫から、「帰ってるメール」が来る。やれやれ、又ご飯の催促だわ、と愚痴りながら高速に乗りきれず下の道をチンタラ帰る羽目に。あれほど説明してくれたのに、やっぱり迷子になったという次第。天気さえ良ければ「迷子も又楽しからずや」ってとこだ。

母を今日どうしても連れ出そうと頑張ったのは、明日は同窓会。そのアト術後の友人を見舞う予定があるからだ。本業の予約もあるから、今日行っておく必要があった。、、、が、結局全ては行って良かった。 夕食後一眠りしたら復活した感じ。

 

明日はどんな一日になることやら、、、、、。

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