おお、我が愛しのジュリ~~~。ズリッ!
確かNHKだったと思うが、今度放映される番組の宣伝でその昔憧れたS・Kという歌手がでるというのをみて思わずギョッとした。えっ?あれがあのセクシーだったジュリー?てなとこだ。追っかけほどではないが、一応テレビ画面は釘付けになった時期もあるし、ソロで高松に来たときは見に(!)行ったこともある。観客は子どもをおんぶした女性も来ていて、ファンも年を重ねて彼の歌手としてのピークは過ぎていたが、それでも充分鑑賞に堪えた、というのは随分失礼な言い方だが、ああいう立場の人は気の毒ながら現実離れしたところにその魅力があったものだ。ところがあの画面に現れたお方はモジャモジャ髭とサングラスで殆どの面相を隠し、ぽっちゃりからぼっちゃりに変貌し、、、、むろん、今度の対談を見てみないとホントの所は分からない。もしかしたら別の魅力を持った人に変貌しただけかも知れない。どうぞそうでありますように!な~~んてね。アチクシの中にまだこういう部分が残っていた事の方が驚きだ。
で、明日からちょっと忙しく母と会えない為、今日ははるか離れたスーパーまで買い物に連れ出す。そしてそこでは「ラ・ミゼラブル」の上映中。先日の「東京家族」という映画の鑑賞以来4日めで、映画はもう良いと拒否されるかと思ったが、恐る恐る「ミュージカルなんだけど、、、洋画なんだけど良い?」と聞いてみる。母が見たくないと言えば、そのまま買い物だけして帰るつもりだったが、意外にもすんなりとOKが出たので結局は観て帰ることに。いつ上映が終わるか知れない作品で、気になっていたのだ。案の定今日はメチャクチャ小さいホールだったからねえ。滑り込みセーフかも。
結果、意外や意外、母はとても楽しんだようで、「あちゃらの映画はスケールが大きい」とか、「迫力があった」とか、「良い映画だった」とか、、、、確かに途中で気になって時々横を盗み見ていたが、真っ直ぐに顔を画面に向けて真剣に見ていたところをみると本当に面白かったのだろう。
一つには全編音楽で、セリフが殆ど無く、歌詞はテロップで出るものの、ごくわずかの歌詞。読むのにも苦労はない。あとは万国共通の「演技」の連鎖のみ。なので、これは高齢者でも理解できるということが不思議でもなんでもないのだ。しかも恐らくは「ジャンバルジャン」という名前やお話しのストーリーについては、我々が子どもの頃知っていると同じだけ知っているだろう。ハッキリ覚えてなくても、知っている感じはあっただろう。
そして音楽の力は矢張り凄い。普通のセリフと違い、喜怒哀楽の表現が激しい。原作自体社会批判、世相批判が含まれていて魅力があるが、それをミュージカル化することで、より明確に表している。ミュージカルはセリフまで歌になるから気持ち悪くて嫌いという友人も絶賛していたのは、これはテクニックだと思った。バックに流れる音楽にセリフではないが、殆どオタマジャクシが動かない歌にして、微妙に表現するため所謂ミュージカル臭さがない。あくまでナチュラルに表現している。
そして、必ず入る「ユーモア」!このセンスが又良い。あの宿屋の女将役の女性は最近よく見るなあ。「イギリス王のスピーチ」では王妃役だったし、高貴な役からあばずれまで、ホントに変幻自在。余り好きな女優ではないが、妙に気になる。
さあ、明日から又仕事。しばらく忙しいなあ。雨脚が湯上がりの身体に寒気を運んでくる。とっとと寝るとしよう。
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