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2013年1月

2013年1月27日 (日)

昼食夕食抜きで、、、持つもんだ。

カルチャーのオープニングイベントに私のコーナーを頂き、数曲歌うということの準備を行く直前までバタバタとして、昼抜き。チョロッとリハをやって本番をなんとか終え、そこでの催し「占い」に参加。結構人気のコーナーで、終わってみたら,次なるイベント「寄席」に行くべき時間。そのまま夜抜きで持つかな?と思いつつも駆けつける。終演後帰宅したら9時過ぎとなって居て、半日分の食事を今取ったところ。トイレにも行ってなかった。夫はなんかで済ませたというので、こちらは冷凍のハンバーグをチンして、キューリ丸のままボンとお皿に置き、豆腐も形のママ洗ってお皿に置き、あとは梅干しとご飯という情けなさ。実際疲れすぎていて何もする元気が無い。ビールだけは飲んだけどねえ。

寄席の間眠りこけた時間帯があって、これは初めての経験。しかし、さん喬師匠は凄い。最後の3分の1を聞いただけでも大いに笑って感動して涙が出た。これぞ話芸。休憩後はしっかり目を開けてちゃんと聞いたが、途中で「雪」情報がもたらされ急ぎ帰る人も目立った。こちらには珍しいハプニング。

 

肝心の自分の歌は、まだ体調が完璧でないことを思い知らされた残念な結果に。歌っているときに声がかすれてきて、それをさとられまいとそちらに気が行くと歌詞が曖昧になってしまったり、、、ん~~修行が足りない。その時は咳が出なかったが、寄席ではマスクをしていったにもかかわらず、もの凄く咳き込んで周辺の人が振り返る事になってしまった。歌を聴いてくれた人は感動したとか、楽しかったとか言ってくれるが、これは自分の問題だ。

そりゃそうだ、3ヶ月も持っていた風邪がそう簡単に居なくなるはずもない。まだまだ用心せよ、ということだろう。

結局この風邪引きの最中に3回も演奏会があったわけだ。我ながらアンラッキー。2月3日のCantiamoはどうなることか。あと1週間で完治させたいものだ。

 

しかし、今日は色んな人とゆっくりお話しも出来、オペラにお誘いした人も居て、なかなかに充実した半日となった。そうそう、占いも、私には「金のエネルギー」があるんだそうで、それによって人々を照らし続けることで、自分も磨かれるんだそうだ。だから今やっていることをお続けなさい!というものだった。あちゃ~。そうなの?少しずつ減らそうと企んでいるんだけど、、、。止めたら金が曇るんだそうだ。ふひょ~っ。2/4からは全ての調子が上向くとある。一日前のCantiamoはどうなんだろう?ふ。

2013年1月26日 (土)

続けて観劇、のつもりが振られちゃった!

先日宮本氏からじきじきにご案内頂いた「ISAMU」を観に行こうかと電話してみたら、「あと少ししか残券がありません」と言われる。電話でのお取り置きは出来ないと断られ、大急ぎで夫の夕食を整えて飛び出し開場してスグくらいに着いたが、「スイマセン、完売しました」と言われてしまう。えええ~っ、それはないっしょ~と内心で叫んだが、案内嬢がニコニコしてキッパリ断られた以上、交渉の余地は全く無いと悟り、スゴスゴと再び駐車場へ。、、、結局は夜のドライブしただけと相成った。

だからイヤなんだよねえ。第1小ホール。キャパが少なすぎるんだ。うちの公演時だって、入れなくて随分大勢の方にお断りしたんだから。400~500名くらい収容できるのをどうして作ってくれなかったのか、と今更ながら想う。

今日の落胆をあの時の方々にも味合わせたんだと想うと、さらに申し訳なさがこみ上げる。

 

ところが、帰宅して夫と予期せぬ夕食ご一緒をしているとNHKのしあわせ家族なる物が放映されていた。そうだ、忘れて居た。同窓生の家族が出るんだった!てなことでたっぷりとテレビを楽しんだ。近々そのうどん屋さんで又ミニ同窓会があるわけで、きっとこの話題で盛り上がることだろう。われらがこけ枝師匠の軽妙な進行振りも良く、全体になかなか良い番組に仕上っていたなあ~。同窓生である旦那より、奥さんがしきりに涙を拭っていたのにもらい泣き。彼女は苦労したもんねえ。

この中学の同窓生はとっても仲良しで、毎月ここでミニ同窓会をやるし、年に何回かは県外に旅行に出かけたり、ま、お世話役がしっかりしてるからだが、、、、真似は出来ないなあ。せいぜい行けるときはなるべく参加で協力するくらいだ。

全く同窓会をしないという人も居るらしいが、残念なことだ。面白いんだけどねえ。。。

2013年1月24日 (木)

観劇。

すっかり忘れていたが今宵は観劇の日。お世話してくれる友人から℡があってようやく思い出したというお粗末。付き合いが長くなると、あるかも知れない私のドジまで分かってくれて、ホントありがたい。頭の中の予定表にこの一個を無理矢理入れて、お陰でピアノ合わせもそこそこに間に合うように行けた。

「○○のエノケン」というジェームス三木作・演出の音楽劇だった。全体に軽いタッチで描かれてはいるが、エノケンが生きた時代も、当時の価値観も描かれ、風刺の効いた作品だった。

最も感銘を受けたセリフは、「鯛の絵を描く人と鰯の絵を描く人のどっちが偉いか?鯛だろうが鰯だろうが、上手に書いた方が偉いに決まっている。」これは名言だ。この芝居では、歌舞伎や新劇の役者と喜劇役者のことを比べているが、どんな芸術にも当てはまるだろう。歌の世界もまさしくその通り。文学だってそういえるのではないか。

作者のジェームス三木はこれを日本人の国民性ととらえているが、それはあるかも知れない。お笑いは低級で不真面目という価値観。そういうものに抵抗していったエノケンに興味を持った作者の気持ちがよく分かる。例えばアメリカなんかでは、チャップリンを初めとして色んな凄い喜劇役者が輩出されているが、それが低級だという評価を受けているということは聞いたことがない。(知らないだけかも知れないが)先日も日本映画専門チャンネルでチラッと古い映画にエノケンが出ていたのを観たが、喜劇王と呼ばれるに相応しい役者振りだった。評価はともかく、藤山寛美やこないだ亡くなった虎さん、、、、って、名前が出てこない。けっこう沢山笑いを追求してきた役者も居るけどねえ。みんな「笑い」は好きな筈なんだけどねえ。

 

この舞台、出演の役者さんが全員何らかの楽器をやるが、どう聴いてもその道のプロという感じはしない。多分もともと心得が無くてもやらなくてはならなかったんだろうが、、、、歌って踊って、ソロのセリフが沢山あって、、、大変だ!エノケン役以外の人がみんな若手で、多分演奏する曲も知らなかった世代だ。私よりももう一つ上の世代にマッチする流行歌だなあ、あれは。言えることは、戦前のあの時代は何だか知らないが生き生きしていたようだ。はやり歌そのものが今頃の歌とは違うエネルギーを持っている。あれは何なんだろう?ラストシーンでは舞台で全員が歌って踊り、それに観客が手拍子をするという昔昔のエノケンが活躍した時代そのままに盛り上がった。最後の最後はおお懐かしい!タップダンスの群舞だった!以前ミュージカルをやっていたとき、第1回公演で(即ちアチクシも若かった)ラストに踊ったタップダンス!あの興奮が一瞬甦った。

 

この市民劇場の今年の演目はホントに楽しいものが目白押し。3月には「夢千代日記」があるし、「ハムレット」や「加藤研一事務所の作品も来る。わざわざ県外へ行かなくてもこちらで楽しめるのは有り難い。

ボチボチ暮れの公演に向かって、脳もウオーミングアップだ。

遊ぶ。

本日のハードなスケジュールの最後にボンヤリと焼酎を飲みながら洋画を見ていると、ある女の子が「人は遊ぶことが一番大事なのよね。大人になってそれをすっかり忘れていたわ。」といいうセリフに行き当たった。これは梁塵秘抄「遊びをせんとやうまれけむ。戯れせんとや生れけん。」を思い出す。

 

今日のシャンソン教室は新ビルで2回目となったが、ここは非常にアットホームな感じがする。「ね、ね、一緒にあっそびましょ!」って感じだ。堅苦しいイメージが払拭されて大人の遊び場としての最適な空間になったようだ。今日は新入生も現れて楽しく時間が過ぎる。帰りにHさんとYUMEで昼食。神戸ド○アというこのお店はなかなかに美味しい。スープのお味がひと味違う。そこへの行き帰りで色々新しいお店にも気が引かれ、Hさん共々「次はここね」と言いながら別れ、短歌を郵便で出したあとマッサージでもして貰おうとお店に向かうも満員でやって貰えない。この時点でガクッときていたが、少しぶらぶらして声楽レッスンの予約時間まで車の中でひなたぼっこし始めたが、どうも気分がよろしくない。これは又又風邪がバックしてきたかと怖くなり、結局はキャンセルさせて頂く。帰宅して寝ようと思うが、夜の練習に行くためには夕食を整えてからとなる。書類やらメールやらをあれこれやっているとあっという間に時間が経ってメンバーが来る時間に。

で、練習を終えて帰ったらどどど~っと疲れが出て、何にもしたくない状態に。で、焼酎のお湯割り、となった訳だ。

日曜日のカルチャーのショータイムが無ければなあ~と思うが仕方がない。そこへ向かって体調を整えるほか無い。熱が出ようがやるしかないだろう。「お願いしますよおう~ケラケラケラ」と朗らかに念押しされたもんねえ~。

 

考えてみれば、私の人生は「遊び」そのものだ。

2013年1月21日 (月)

Party。

本日は県主催のパーティ。徐々にこのお役目を若者にバトンタッチしようとメンバーの若手二人を同伴する。これが大正解。それぞれにお役目を果たしてくれて、我々にとっては重要な部分の実務的なことも一つ解決。そして彼女たちがお名前すらも知らなかった様々な分野の県人の方々と交流が出来たのは期待以上の成果だった。我々の団体が各方面の人々の応援で歴史が作られてきたことを、少しは体感して貰えたのではないか。

音楽家以外には、県の方、著名な画家、劇団の主宰者や制作者、舞踏家、邦楽家、政治家、業界人、、、、そうそう、今日は宮本亜門氏がゲストで、短い時間だったがお話しも出来た。朗らかな前向きなお人柄だった。「そうですか、オペラをやってらっしゃるんですか!?」とネームに目を止めて下さる。それは素晴らしい,是非続けて頑張って下さい、と言われるので、参考になるので、上京してお芝居も見せて頂いてますと告げて、今日のニュースになっていた「ISAMU]のプレ公演にも行きますとお答えしてチラシも頂く。善通寺におじいさんがいるとかで沖縄のお家もその場に居た建築家G氏が建ててくれたと言われ、親香川県人をアピールされていた。NYであちらの方に「日本の香川県を知ってるか?」と問われたこともあるそうな。確かに、イサムノグチを始め、NYに縁の深い芸術家は多い。が、まあ、上手だなあ~。同行の二人はしきりにイケメンだとかハンサムだとか格好いいだとか言い続けている。

他にも面白いことがあった。

昨年のサロンコンサートの公演日の前に1本の電話があり、某大学の学生だが、あなた方のコンサートの企画から実施までをレポートさせて頂き、研究発表とさせて頂きたいが、良いでしょうか?というものだった。勿論どうぞどうぞとお招きして、当日インタビューにもお答えしたものだ。終演後は「とても良かったです、楽しめました。」「まあ、そうですか!?こちらこそ有り難うございました。」と笑顔でお別れしたがしかし、今日の今日までその一件はすっかり頭から消えていた。

本日、最後の最後に出口で顔見知りのとある大学の教授にご挨拶したところ、その教授が手を打って大笑いしながら話してくれたのが既にその学生から「しっかり宣伝」されております、という思いがけないお話し。昨日か今日、彼がしっかりレポートを研究発表として披露してくれていたというのだ。「彼は僕のゼミ生でしてねえ、ハッハッハ。」いやはやいやはや、あの1本の電話がここに繋がったとは!?人生は面白い。いや、人と人の繋がりとはかくも不可思議だ。

といいつつ、彼のお顔が思い出せないアチクシ、、、、年のせいにし~とこ!

 

日本人はこの手のパーティが苦手、とはよく言われること。自分から名刺を持って歩くという行為は、確かにエネルギーが必要で、お膳立てして貰わないと自分からはなかなか行けないのが普通だろう。ホントはもっともっと色んな方と接触すべきなんだが、初めての方にご挨拶はかなり勇気が要る。亜門氏は流石だった。完全に全ての人に挨拶をして廻っていたように見えた。殆どが初対面だろうに、、、凄い。慣れと資質だろうなあ~。

 

若い二人のメンバーも疲れただろうが、良い体験になったことだろう。お疲れ~~~。

2013年1月19日 (土)

時間に追われる。

本日は5時過ぎから只今11時まで事務的処理と会議であった。いずれも重要なもので、外すことは出来ないが、これがほぼ1年間続くということになるかと思うと、ムムム。

先日の南の方のコーラス団体が「ヘングレ」などやる場合の大変さをつくずく語っておられたのを思い出す。アマチュアといえども、音楽は最重要ポイントとして練習には力を注ぐが、舞台を創るとなると音楽以外の部分にもの凄いエネルギーを必要とする。終わったらしばらく頭も心もからっぽでした、と話しておられたが全くその通り。大げさでも何でもなく、心血を注いでこそのオペラ公演だ。

今日のことなんぞは、ほんの手始めに過ぎない。

 

しかし、大勢でわいわい夕飯を食べるという別の楽しさもあって、これはこれで良い時間でもある。お土産に持参してくれたドーナッツ(決して私が買わない物)と鳥坂まんじゅうは見事に空いた。疲れた脳には甘いものが最適だ。

今夜中に短歌を仕上げて郵送しなくては、、、とこのところ毎日のように思うのだが、どうも元気が出ない。今日は仕事している時、ラジオから「川柳」が流れて来て仕事しながらゲラゲラゲラ。自分的には川柳の方が向いてるのかも知れない、、、とか思いながら。

さ、ガンバロウか。

2013年1月18日 (金)

なんか冷たいなあ。空気。

ここまで永いと風邪と段々思えなくなってきて、その思いからますます体調が悪くなってくるような気がしている。一日の終わりはぐた~っとしてしまい、ひとまず横にならないと動けない。、、、てな状況の中でも、熱がないせいか、咳も出ないせいか、日中はナントか動いている。これが良くならない最大の原因かも知れない、と思いつつではある。

先日来の衣装部屋お引っ越しが身に応えているのもあるが、とどのつまりは「年」なんだろう。今日も、午前中に来店客を仕上げ、昼食を同窓生ととある料亭で頂き、その後2,3用事を済ませピアニストのお家へ初めての合わせに伺う。実をいうとそこへ行く前にマッサージにも行き一寝入りしてからのお出かけだったのだ。そうでもしないと全く声が出るような気がしないからだったが、どうやら声帯まで眠ってしまったようで、逆に全く声が安定しない。声が出ないとこれほど不安になるかと言うほどに不安感に苛まれる。が、何とかかんとか済ませて帰路に付いたが、友人が「アナタの年賀状に調子が悪いって書いてあったから、朝採れいちごを買ったのをお見舞いに上げるわよ」と言われていたのを思い出し半分まで帰っていたがぐるっと車を回す。いやはや有り難いことだ。

ところがその友人宅に着いてみるとセコムがバージョンアップされていて、テレビ付きのものになっている。ピンポンすると明るい声で出て来てくれて彼女が早速笑いのネタをくれる。こちらが約束の時間より大幅に遅れていったので、人の良い彼女はもしや自分が帰宅するより先に来てくれたのかと思ったらしく、「さっきね、これの訪問客が映ってるビデオを観たのよ。それでね、主人にああ、やっぱり来てくれてたわ、って言うと、それは昨日のアンタじゃないか!って言われたのよね。」髪型もお互い短くなったし、なんか似てきたからねえ、、、ゲラゲラゲラ。しばし大笑い。お見舞いに頂いたいちごよりこちらの方が薬になったみたい!いやはや、全くお互い年だ。

 

実は他にも1件用事を済ませたが、それはある方が手術をされた筈で、その結果を病院まで行って確認してきたのだった。正式なお見舞いではないため、途中で買い占めた(と言っても2個しか残ってなかった!)「特大いちご大福」を持って行ったのだが、5時間にも及ぶ手術の結果は今のところ成功だったようで一安心。付き添う娘さんを激励して病院から真っ暗な外へ出て母が入院していた頃を思い出す。同じ病院であまり時間が経ってないが既に拡張されている。ま、見舞う側で良かったが、見舞われる側にはなりたくないものだ。くわばらくわばら、、、。

2013年1月15日 (火)

収録とばら寿司とおはぎ。

今日の収録はとあるコーラス団体の主要メンバーの方々だったが、コーラスといっても昨年はヘングレを公演されたし大変に勉強されていて、良い意味でちょっと異質な団体だ。最古参の方は30年というから凄い。地域も家族も同窓生も巻き込んで、とても充実した舞台を創っておられる。我々にとって大いに参考になる団体だ。

公演の裏話など嬉々として語って下さる表情からは、難しいものをやり遂げた達成感と、その間の苦労さえもが過ぎてしまえば懐かしいというものが読み取れ、生き生きとして如何にも楽しげであった。「挑戦」の精神こそが、この方々を突き動かしている。どんなに不可能と思われるようなことも、結局はやってしまうというエネルギーにただただ感心させられた。おそらくはこの放送を聞かれた方は元気が出るのではないだろうか。専門ではない方々が、苦労と努力を重ねて一丸となって舞台を作り上げるということの素晴らしさ。結局は、「観る人」よりも「演る人」が楽しいという一例だろう。

これをご縁にお互い協力を、、と親密感を持ってお別れしたことだ。

 

外に出て、常磐街の沿道で並べられていた「ばら寿司」や「おはぎ」を発見。母にも好物の「お赤飯」を求めて帰宅し昼食だ。最近頂いた薬がヒットしてる感があり、ここ2,3日ちょいと調子が良いので、その報告もあり母に留守番を頼んで又病院。で、まだ喉が赤いとのことで別の薬を処方して頂く。漢方薬と普通の薬を併用するのがこの先生のやり方で、今回私の場合はとてもよく効いている感じ。、、、でもねえ、、、明日の早朝は衣装部屋のゴミ出しで、又ゾロ疲れるだろうなあ~~。治りかけてはこうしたものが入って来て、なかなか完璧には治らない仕組みだ。ふ~っ。

 

しかし、私以上に苦しんで病気と闘っている友人の事を思えば、弱音を言ってはいられない。ガンバロウ!

2013年1月14日 (月)

衣装部屋その2.

心配された天気もまるで我々に味方してくれたかのように晴れてきて、予定より少々遅れて出かけて行った衣装部屋は、既にメンバーの力であらかたお掃除が完成。仕上げをしてあとは明後日のゴミ出しでジ・エンドとあいなる。ふ~っ。

新衣装部屋に移動して相談の結果、ここは次回沢山の人でやるしかないと結論が出て、主要メンバーはそのまま会議に突入。恐るべし会議。3時から約4時間。おしまいには集中力が無くなり、何を言ってもゲラゲラゲラ。特に会長に至っては些細な事からまるで落語ねた見たいな事をしゃべり出す始末。5人の頭脳を目一杯使って、まあナントかめどは付いたかってところ。まるで難しい方程式を解いているような時間だった。

こちらは話し合いの途中で夕飯の心配をしなくてはならず、メールで夫に再三了解を取りながらではあった。このところようやくアチクシのやっていることの過酷さが分かったみたいで、文句は言わない。が、夕飯は要らないとも言わない。ええい、今宵は刺身と出来合いのお総菜にきめるぞ!と内心思って自分はパンケーキとコーヒーで夕飯を済ます。お店の人もここまで粘る人は初めてだったのではないか?繁盛店だし、本日は祭日だもんねえ。みんながばらばら注文しつつなんとか間を持たせた感じ。

 

如何に我々らしいオペラをやるか、に焦点を絞って、とにかくお客様第一にと、話し合いはどんどん進んでいても又原点に戻るという作業の繰り返しだった。最初の第一歩、が決まらなければ何事も始まらない。しかし、ここが最も重要で大変な部分でもある。決してなおざりには出来ないし、適当なことも出来ない。、、、舞台を見ている人達は、我々がこのように真剣に考えて考えて作っていると思ってくれることはまず無いだろうが、とにかく楽しんでさえ貰えれば成功だ。、、、そこまで行けるか、いや、行かさなくてはならない。やるからには。

 

一方で、パンケーキを頬張りながら、「ふむふむ、彼らは凄いぞ。」コーヒーをすすりながら、「成る程、良い線いってるじゃん!?」と考えている私もイル。とにかく、若い力に大いに出しゃばって貰いたいのが本音だ。遠慮は禁物。持てる力の100%を出してもらってこそ、人前で上演できるものが出来上がるのだから。一人一人の力は、そりゃあたいした事はないかも知れない。しかし、既にこうして集まっている連中のエネルギーは倍倍の大きさで膨れあがっている。これに他のメンバーが加わり、一丸となった時こそ、素晴らしい舞台が出来上がるのだ。

久々に「希望」という字が胸の中に拡がった数時間ではあった。

2013年1月13日 (日)

連日連夜。

本日は心配されたお天気もナントかもって、佳き結婚式日和となった。一昨年ちぇちに強引に出演して貰ったT君が楽団のSさんを見初めめでたくご結婚あそばしたというわけだ。私とT君は以前同じミュージカル劇団に所属していたせいで、その当時のメンバー達の同窓会のようなことにもなった。ちぇちの方から参加したSH嬢と共に我々のテーブルは、一番はもしかしたらお料理かしらなんてこと言い合ったり、つくずく「良い結婚式だわねえ~」と話したことだ。人前結婚式の形も良いし、お偉い人の祝辞もゼロ。全く気取らないリラックスした雰囲気の中で、しかし厳粛さも失わず、新郎新婦の祝福して下さる人々へのおもてなしの心意気が感じられて嬉しかった。そして最後に新郎のお父上が涙ながらに話された事実に場内は一瞬にしてもらい泣き。、、、人生ドラマチックが凝縮されたような結婚披露宴だった。、、、どうか幸せになって頂きたいものだ。

 

昨日は衣装部屋のお引っ越しで、すっかり体力を消耗していたので、今日はどうなるかとビクビクものだったが、なんとか持って、この一日の時間が薬よりも良い薬となったように思う。

 

衣装部屋。何年もかかって溜まりに溜まったものがこれほどあったかというほど出て来て、まあ半分くらいは処分に回すことにしたが、コレはゴミ!と仕分けしながらあの時この時の公演を思い出しながらの作業で、これがあったから出来た公演だったと、このお借りしていた部屋にも、協力して下さった衣装やさんや、ご寄付下さった方々にホントに有り難い思いが湧いてくる。団員が手作りしたものなどはなかなか捨てがたいものもあり、、、、。ま、断捨離して新しく再出発だ。

二日に分けて作業するつもりが、二日目はどうやら雨との情報で、結局一気にやってしまおうとなり、疲れた身体にむち打ってみんなで頑張った。流石大勢でやると何事も一気呵成に出来て気持ちが良い。

が、こちらは帰宅して夕飯まで崩れるようにベッドイン。遅めの夕飯も買い物になんか行く元気は全く無く、ありもので、「お父さんメインはお雑煮でも良い?」と聞いて有無を言わさぬ勢い。ご飯を炊く元気もなかった。、、、こうして治りかかってもスグ又過労が襲ってくる為、相変わらずの体調不良。薬が明日で切れるため、明後日には再度病院だ。なんかねえ、、、違う病気じゃないのかしら?と疑いたくなる程に永い。

この調子が悪い中、次から次へと行事も入ってくるので、それも原因の一つとなっている。

一昨日は夜とある集まりに出かけ、新しい方々と知り合うが、初めての参加でイマイチこの会の要領が掴めず、もっぱら知り合いのある器楽奏者と久しぶりに会って食べて飲んでがメインとなる。彼は大変なグルメで、い○は市場なんて所でもどこが一番美味しいかを知っている。彼に聞けば東京だろうがどこだろうが美味しい店を教えて貰えるという次第。そこにメンバーのY君がやってきて、人生相談のようなことにもなり、、、、若いということはこういうことだと彼の悩みにも耳を傾けることに。

「若いときの苦労は買ってでもしろ」とは父の口癖だったが、確かにそうだ。若いときに大いに悩むことだし、苦しむことが大切だ。そいう若者に周囲は意外と暖かいものなんだ。

 

 

外は今に菜って雨がしとしと降っているなあ。あの新郎新婦は今頃披露宴の余韻に浸っていることだろうなあ。ヒョッとしたら、、、、いやいやそうでないことを信じよう。ケンカは胎教に悪いからねえ~~。

2013年1月 7日 (月)

壁に耳あり障子に目あり、、って障子も少なくなったなあ~。

昨日は短歌の新年歌会。歌会というからには、食べるだけの新年会とはチト違う。が、ただの歌会ともチト違う。胃袋だけでなく少々頭も使う会といったところだ。風邪をまだ引きずったままこの会に臨んだが、前頭葉あたりがぼ~っとしていて、イマイチ集中力に欠ける。そのうえ、友人に乗せていって貰ったという安心感で廻ってきたアルコールも頂いてしまったため、ますますぼ~っとした頭で、トンチンカンなことを考えたり口に出したり、、、と、正月早々の馬鹿。

遠方からの参加者を囲む会にも少し顔を出して次なる目的地に移動。これも友人の運転でおおいに助かる。ここでは、これ又単純に飲み食いするだけの気楽一方の会でもなく、とある男女の実質お仲人という次第。こちらの発言でどうこうなるというものでもないが、失言はよろしくないという思いがあり、会話を円滑に進めなくては、、との気配りもありで、タクシーに乗り込んだときは夫ともども急に無口になってしまう程お疲れ~。いやはや、感触は良かったが、このままうまく事が運んでくれると嬉しいなあ。

今日のメールでは前に進んでいるようではあるが、、、。

 

このやっかいな風邪をナント化しようと一昨日はいつもの駆け込み耳鼻科医院に行ったものの、あまりに色んな薬を飲んでいるので、これ以上は出せませんと言われてしまう。この上は気管支ぜんそくの検査をして貰いなさいと点鼻薬のみ頂いて帰ったのだが、「行かなくちゃ」の思いが強く本日が日曜日であることをす~っかり忘れて専門医の駐車場に車を入れ、ドアの前に立ってもドアが開かないので初めて本日の曜日に気付くという正月第一発目のお粗末。いや~我ながら呆れた。

しかし、せっかく車を出したし、天気は良いし、で思いついたのが今年放置していた母のこと。電話をしてみるとどうにかうどん屋に付き合っても良いと言う返事で、ならばとばかり四国村のわら屋まで。時間がお昼時にしては思ったほど混んでなく、スムーズにたらいうどんにありつけた。母も店内を珍しそうに見回し美味しそうに食べている。とにかく暖かくて、外に出ても車内はまるで春。そのまま志度音楽ホールへと車を移動して、有無を言わさず音楽鑑賞に同道。中学時代の友人が出るから是非来てねと言われていたのを思い出してのことだった。合唱人口はこの地域でもこんな風に結構いるんだけどなあ~。どこへ行っても仲間に入って貰えないかと思う事しきり。あの男性なんか、良いキャラクターだと思うけどなあ~などなど、、、。

傑作だったのは入場してスグトイレに行ったところ、出演者がぞろぞろと衣装を着けたマンマ入って来て、「なんか、沢山きてるよねえ~。誰が呼んだの?呼ばなくて良いのねねえ~、、ぶつぶつぶつ、、、」ははは。これは笑えた。気持ちは分かるけどねえ。側に客が来てるんですけど、、、、、とは言わないがフフフ。

2013年1月 1日 (火)

元旦。

毎年我が家の恒例の與田寺参りを、今年は初めて孫べえを連れて出かけた。間もなく7歳になるおしゃまさんは、見るもの全てが新鮮らしく好奇心に満ち満ちた目をクルクルさせながら人垣に埋もれながらも付いてくる。父親は外国人に話すように一々説明をしている。一番不思議だったのは彼女の場合石段のお金だったようだ。お金は大切なもの、と聞かされて育っているのに、それを踏まなくてはならないことがどうも腑に落ちないようだった。が、すれ違う若者にもそういうことを口にしながら登っている人が居たから、思う事はみんな一緒なんだ。大切なものでありながら不浄なものでもあるというお金。昔の人は直球でそれを分からせようとしたのか。

悪い時間に出かけてしまって、お腹ぺこぺこ!と叫ぶ孫べえに押されて開いているうどん屋さんに入ったのが午後3時。元旦から仕事している人がいる事に驚く。流石にこの時間だ。ぱらぱらの来店客で、そのせいだろうが主のおじさんがしきりに孫べえを可愛いと褒めちぎり、「おっちゃんが保証する。この子は絶対凄い女優になって、テレビに出るからな。その時はおっちゃんとこへ食べに来てな。」とかんらかんらと笑う。あんまりストレートで、言われた本人もどういう顔をしたらいいか困っている様子がおかしい。目で「どうすれば良い?」と聞いてくるので、お礼を言いなさい、と言うと素直に有り難うと言いつつまんざらでもない様子が又おかしい。

帰宅して嫁りん達も迎えて夕食。、、、こういう時間はホントに楽しいんだけど、一体何故だろうと思う程に疲れる。風邪の調子が完全に逆戻り状態。5日に控えた歌会が気がかりだが、、、、、これを皮切りに次々と予定が入っているからなあ~結局今年もこんな感じで月日が過ぎていくんだろう。

 

バサッときている年賀状にはざっと目を通しただけで、これの処理に又相当エネルギーが、、、。ま、頂くのは楽しいんだけどね~。

全員が寝静まった今の時間。急に降って止んだ雨を踏んで車が行き交う音だけが部屋に響く。明日は寒いのかなあ?

ゆくとしくるとし。

昨日今日と連続でお坊ちゃまのため温泉にお付きあい。今年の垢を全て洗い去ったかも。今宵は紅白の真っ最中に出かけたせいか、仏生山温泉は思ったほど混んでない。ロビーで若者達が温泉でのカウントダウンらしき集いをやっていて、息子共々ちと羨ましい想いでその様子を眺めながら孫の手を引く。

孫と二人でここに来るのは3度目だが、自分の事どころではない。滑って転ばないかとか、充分暖まったかとか、キチンと洗えたかとか、一々気になり何だか自分自身は温泉に入った気がしていない。それでもこういう時間は至福の時間でもある。

、、しかし、私の体力はこれで全て使い切ったという感じ。夕飯の後始末まで手が届かないまま紅白をぼんやり見ていたが、ナントかやり始めるととNHKの行く年来る年が始まった。何時もながら参詣する人の多いこと!天候にも寄るんだろうが、若者がとにかく多い。君たち選挙には行ったのかい?と聞きたくなる。困ったときの神頼みは当てにならないってこと、わかってるのかしらねえ~。自分たちの将来の事なんだけどねえ。私たちオバタリアンはそう永くは生きないんだけど、若者達は今考えないともろ、自分たちの人生が狂ってくるってこともあるんだけどねえ~、、、何てことを考えてると除夜の鐘がこの地域のお寺から聞こえてくる。夫はしっかりそこへ一人で行って甘酒何ぞを振る舞って貰ったらしい。まだ起きてるつもりだった息子は、孫べえを寝かしつけに二階へ上がったきり下りてくる気配もない。

昆布と鰹だしの臭いの充満する中で、今年最後のパソコンだ。

 

し~んと静まりかえった中でこのパソコンの音が異様に大きく響く。時折スピードを上げた車が外を通り過ぎていく。

来年は、どんな年になるんだろう。自分にとって豊かな一年としたいものだ。

、、、、とりあえず健康だ。なんと2ヶ月も持っている風邪。今日又新たな症状で声が変わってしまった。免疫力の後退かもねえ。なんとか挽回しなくては。

そのためにも、今日はもう寝る。

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