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2012年12月

2012年12月28日 (金)

ご馳走のお話し。

不思議なことに暮れの28日ともなるといつもと何かが違う。

時は静かに静かに暮れていき、、、。今日など、雨まで降ってますますセンチメンタルを増幅させる。

帰省した息子の家族のあれやこれやとか、訂正を告げられた書類を再作成して機関に届けたり、母を伴い買い物に出かけたり、、、一日中忙しく動いてはいるが、何かしらいつもと違うものが、心の中に流れているのを感じる。

それは時には今年の反省だったり、出来たこと出来なかったことを思いやることでもある。要するに今年の終わりというのが、ひしひしと我が身に迫ってくるという訳だ。

それというのも、ちぇちが終わり、カルチャーが終わり、それぞれの忘年会が終わり、昨夜のように12月生まれの友人と3人でおフランス料理を食べに行ったり、息子達が初めて水戸から車で深夜に帰ってくるのを待っていたりとイベントが続くからで、12月に入ってからというもの、これでもかと外食のオンパレード。その殆どが美味しいと言えるもので、まあそれ自体は悪いものではない。が、なんせそれに付きまとう「アレ」が気になる、ということだ。せっかくウエスト周りがゆるゆるになっていて、しめしめと思っていたが、今は体重計に乗りたくもない。3月にイベントの司会をすることになっていて、ドレスの製作者から今をキープしろと言われているが自信がない。70歳過ぎたらダイエットはするなとあるテレビ番組でドクターが叫んでいたが、まだそれまでにはちと間があるしなあ~。

 

それはそうと、お坊ちゃまは18時間かけて高速を飛ばして帰ったが、聞けば首都高とか名古屋辺りでかなりの渋滞に巻き込まれたようだ。まあ二人で交代しての運転で、想像していたよりは楽だったようだが、又同じ道を帰って行かなくてはならないからねえ~。流石深夜の2時近くに着いたときはチビ達は完全に沈没していたが、今日は朝早くから起きてはしゃいでいた。又少し成長している孫べえたちに疲れも吹っ飛んで嬉しくなる。

 

しかし和洋中と食べ歩いた今の感想は、食材を使い芸術作品にまで高めた料理人達に脱帽だ。彩色といい、盛り合わせといい、勿論お味もそれぞれがそれぞれの力を出し切って、一瞬にして消える料理に懸けているのは凄いと思う。一部の人達の楽しみだったであろうこういう料理を、一般ピープルの我々も味わえるという意味では、良い時代になったものだ。

それにしても息子は嫁りんを大事にするなあ。明日の彼女の誕生日のイベントの為しばしパソコンや我々の情報を参考にああでもないこうでもないと奔走して遂に高級おフレンチを予約していた。父親とは大違い。今宵の夕食時、本人の目の前で「良いわねえ。お母さんはこないだの誕生日は自分でせっせと料理して、かろうじてワインで乾杯しただけだもんねえ。」と愚痴ってみたが、夫は肩でせせら笑いしつつ奥へと消え、息子はすき焼きを頬張りながらムフフフ。{ヘンヘンッ。居なくなって初めて私のありがたさが分かるんでは遅いんだからねっ!}と心で叫んで食後にテレビの前でしばしふて寝。、、短時間でも爆睡したような気が、、、。もしかして睡眠が一番のご馳走?、、、、情けない。

2012年12月22日 (土)

ジャズの夕べ

誘われて知人のジャズピアニストRさんの演奏会に行く。先日の我々のサロンコンサートの場所で、高いところにあるから寒すぎるかと思いきや、案外そうでもなく、その前に行った「や○だうどん」で暖まっていたせいもあり、気分良く入場した。何が驚いたって、満杯のお客様。高松にこれほどジャズフアンがいるとは、、、。まあ、シャンソンよりは多いだろうとは思っていたが、、、。

殆ど全部聴き知っている曲で、みんな聴きやすかったと思うが、何と言っても田舎のこと。乗りが悪い。ジャズだのに、クラッシックを聴いている感じ。客席はお行儀良過ぎの感あり。ピアニストを盛り上げたり、一緒に盛りあがったりが乏しかったように思う。かくいうアチクシもお腹満腹と昼間の疲れで眠くなり、手拍子をするのがやっとの有様。いやはや、いやはや。

主宰者がコーヒーのサービスをしてくれたり、1000円ではお得感満載。帰りに外へ出ると屋島の裾野に煌めく星のように町の灯りがさんざめく。ホント、ここは景色は良いのよねえ。

購入したCDを早速かけながら帰路に付いたが、案の定道を間違えて、しかも私の車に付いてきた車もあったりしてご迷惑をおかけしながら、それでも余韻に浸りながら帰ったことだ。

 

昼間の疲れとは何か。来年のサロンコンサートの会場決めに走っていたのだ。初めて利用させて貰う場所で、なかなか素敵。トイレに拘るあのお方達にも好評だろうし、来て頂くお客様にも結構良い場所だと思えた。結局集まった4人ほどのメンバーで使い方など検討して申請してきたが、これで一安心。もしかしたら常連になるかも知れないなあ。

 

こうして、一つ一つ終わっていくなあ、、、。

2012年12月18日 (火)

今年ももう終わるなあ、、、。

会うは別れの始まり。長生きするとその喜びと悲しみをその分沢山経験することとなる。出会ったときはただの知り合いが、交流によって関係は深まり、情も湧き、お互いの絆は強くなっていく。、、、しかし事情はどうあれ、必ずその関係はいつか終わる。そして、人は無くなってからその太くなっていた絆の重要性に気付く。

いつか死ぬと分かって居てもまるで死なないかのように生きているのと同じように、この関係はいつまでも続くものと、永遠だと思い込んで過ごして居るのが我々の常だ。

しかし昨夜も又一つある意味の別れがあった。そうなってみて初めて「終わり」があることに気付いたメンバーも多かっただろう。しかし又、新しい出会いがあるのも事実。そうやってちぇちぃりぁという団体の時間は紡がれていく。みんなの「居場所」としてのこの団体が出来るだけ永く続いて欲しいと、改めて思っている。

 

 

という訳で、昨夜は宴会。その日の昼食は先日のおそば屋さんの一日一組の客となって居た。素晴らしく美味しいお料理と雨に打たれた和庭園に女ばかり5名は他の人が居ないのを良いことに大いに喋り笑い、、、、身についただろうなあ~。

実は、その前日もある小さな集まりで、オーガニック料理ではあるが、非常に手の込んだ美味しい料理に舌鼓を打ったところだった。、、、このところ、これでもかと外食だ。まだ年内にやっつけるべき会合がいくつかあるが、お正月早々も短歌の新年歌会で、こりゃあしばらく要注意だ。

 

こういう中でもやるべき事は多々あって、先ほどようやくある書類の一式が完成した。次なるやるべき事は短歌のしめきりがそこまで来ていて、まずはそれだ。13首。まだ4首しか出来てないのに、、、、どうするの?って感じ。ふ~っ。明日はFMの収録だし、あといくつか用事があるから、、、、ま、気にしない気にしない。出来ることしか出来ないから、人間は。

 

 

、、、週末はジャズのお誘い。久しぶりに堪能するか。

2012年12月12日 (水)

ォイチニィ!ォイチニィ!もうひとつおまけにォイチニィ!

12年12月12日。アチクシの誕生日。最近の体調の崩れを元気になれと応援してくれてるような気がするなあ。67歳という、考えられないオン歳になった訳だが、、、、。若い人達。こんなのスグ来るよ!と言いたい。人生は短い。生きてる内にやれる内にやりたいことはやっておこう。

、、だからというわけでもないが、本日は自分へのプレゼントの意味で、美術館裏通りの「溶岩浴」なるものに行って来た。60分の溶岩浴と、タイ式マッサージ60分。いや~天国だったなあ~。岩盤浴と違って、汗が出る出る。ほとんど蒸し豚状態。そしてオイルマッサージ。背中から肩にかけて得体の知れないものが固まっていたのがかなりとれた感じ。帰路、甦ってお宅にちょいとお寄りします、と恩師にメールしてそこを出たのが夕方5時。駐車料金が1300円もかかったという長時間のリラックスタイム。ま、たまにはこんな贅沢も赦されるだろう。

 

その恩師と私は10歳という分かり易い年齢差。が、その精神力は逆転している感じ。10年後の自分を想像しても、ああはいかないだろうと思ってしまう。丁度帰宅されたところに押しかけた格好になったが、急な訪問にもかかわらずエアコンやら電気カーペットやらストーブを一気に点けてヒューズが飛ぶほどのおもてなし。時間が悪いし速効失礼するつもりが、ついつい永く椅子を暖める羽目になってしまう。しばらくプライベートなお話しをするチャンスがなかったので、あれやこれやと話しが尽きない。後ろ髪引かれつつおいとましたが、、、、、人生が出会いで構成されているとすれば、紛れもなく我が人生を大きく導いてくれた恩師のお一人である。感謝しつつ車を出すと外はもう真っ暗。町中は救急車やパトカーがけたたましく走って師走の様相。車も多く、用心しつつ帰宅する。うたた寝の夫を尻目に急ぎ夕食の準備。、、、、誕生日ってえのに、外食嫌いの夫だもんねえ。送ってもらったワインで乾杯がせめてもの誕生日らしい行事となる。ま、こんなもんでしょ。

2012年12月11日 (火)

一日、まったり。

今日のように天気が良いと、もったいないという気分が高まるが、もう少し用心のため夕方のお出かけを控え神妙にしていた。夜は夫の祝い事で付き添うため、夕食無しの楽ちんを楽しんだもんだ。人様が作ってくれる、心のこもった食事はホントに美味しい。、、、最近こういう殆ど芸術と言えるようなお料理が多くなったなあ。素晴らしいお庭ととてもマッチして、本日の料理人はほのぼの~と良かった。

偶然、ちぇちのメンバーのお父上の手になる家具調度が置かれてあり、讃岐の民芸品なども楽しめる。自家栽培の野菜や自分で釣ってきた魚料理とは、、、凄い!

 

故障していたエアコンが、見事プロの技で快復。しかも無料会員の特権で手数料はゼロ。助かった!次回壊れたら残念ながら終わりです。との捨て台詞付きではあったが、、、。ま、それまでにこちらの身体が壊れるかもね。、、、次は食洗機だなあ~。

2012年12月 9日 (日)

仕事、勉強、家事、、、、明日へ。

昨夜フィギアーを最後まで観てしまい、寝不足の上、顧客からの電話でたたき起こされ、午前中仕事してから午後の歌会に出かける。流石に眠くて同行した友人に眠い眠いを連発して行ったが、矢張り集中して短歌の歌評をしていると、不思議と眠気はなくなるもんだ。およそ4時間椅子に座っていると、時折あらぬ事を考えたりしていたが、飛び交う会話にすぐ引き戻される。こういうお勉強の時間は色んな意味で貴重な時間なのである。

が、帰りに美味しいお肉屋さんに廻って行列を待って購入してきたものですき焼きを作り、たらふく食べたら、も~~っダメ。長いすに倒れ込んで一瞬爆睡したようだ。孫べえからの電話で起こされるまでの約20分間観ていたはずのテレビの記憶が全くない。

 

孫の声を聴いていると早く会いたい思いが募るが、今年は帰省が難しいかも知れないと息子が言う。寂しい暮れになるのかどうか、、、。こんなことおもう自体、年取った証拠だろう。

とりあえず、明日から今年のおつとめが目白押し。一つ一つやっつけなくては、、、。

元気な人とそうでない人。

フィギアーについつい惹きつけられて、久しぶりにテレビに釘付けとなった。素晴らしい日本勢の活躍振りも嬉しいが、私的にはオペラの曲が多く、曲想で興奮してしまうし、時にはジャズなんかで楽しめて、結構音楽共々期待しているところがある。

今日もミスはあったが男性の高橋選手が「道化師」で男の悲しみを表現したのは良かったと思うし、真央ちゃんのバレー「白鳥の湖」もテレビでは本物のそれが映像で流れてから本番を見られて、イメージが高まった。全体の構成のセンスも評価の内だろうなあ。

、、、しかし、この世界で生きている彼らの精神力にはつくづく感心させられる。栄光の場面だけではなく、不調の時も全国に放映され、人々はつぶさに彼らの苦悩や悲しみを見ることとなる。見ていて痛々しい時がある。けれど、それが彼らの選択した道で、「夢」なんだろう。

簡単に手に入るものに喜びはない。

 

 

病後のせいで、少し仕事が忙しいだけでいたく疲れる。それでも母を買い物に連れ出し、いただきさんのお店でぴちぴちの鯵と貝柱のお刺身を買う。母も釣られて同じように魚を買っている。そこから思い出して100円ショップに廻ったが、このお店は何時もながら盛況だ。この頃から急に突風が吹き、寒くなったので急いで帰宅し、夕餉の支度をしようとお米を研ぐも、なんだか非常に疲れていてテレビの前で長いすに横になってしまう。、、、やがて帰宅した旦那と場所を入れ替わり、魚を焼き味噌汁を作り、、、、ああ、疲れた。

このようにそのように、日々歳を感じながら暮らしているのだが、短歌の題詠「年」ってえのが、なかなか出来ない。、、、そんな中明日は歌会だ。はてさてどんなことになるやら、、。

明日は明日の風が吹く、、、か。

2012年12月 7日 (金)

祈り。

まるでエイリアンのごとく我が体内に居座り続けている風邪菌が、今朝起きたらようやく出て行きそうだったので、溜まりに溜まった家事を始めた。というのもエアコンが故障、食洗機が故障したため、まあその周辺から掃除を始めた訳だが、段々気分が悪くなってきた。これはマッサージだな、と中断して外へ。運転し始めるとカーラジオがけたたましく地震速報と津波警報をがなり始める。と同時に東京から電話。空き地に車を寄せてしばらくお嬢と会話をしつつ、これでは落ち着いてマッサージを受けてる気分でもないと諦めて帰宅。同時に茨城の息子からも電話が入る。原発が心配だからとりあえず職場から帰宅すると言う。なんだか体中がゾワゾワする。勿論スグにテレビだ。画面にあの時のおぞましい光景が甦る。日本地図の周辺が赤や黄色に点滅する、あれだ。

今回はそれでも大きな混乱もなくこの程度で終わったが、今後同じような事が起こるに違いない。そのたびにあの悪夢が日本中を駆け巡るんだろう。、、、、後遺症は癒えることがない。

 

 

いっぽうで、今月は忘年会のラッシュだ。年内に6回予定しているが、、、、、ムムム。

 

難病と闘っている友人が別の病気を併発したらしく、殆ど聞き取れないか細い声で電話してくる。全く理解不能だったため、関係施設に電話を入れてみると、病名は脳梗塞。我が父と同じ病だ。恐らくは後遺症が残るだろう。この人の人生を想う時、この世には神も仏も無いのかと思える。寂しい生い立ちの上に次々と襲う不幸な事件や病気。「耐えられる人に困難が与えられる」という人も居るが、この人を見ていると「ヨブ記」を想わずには居られない。人はどこまで逆境に耐えられ得るのか。、、、この人も、私も、あの人も、どの様に生きても人生は終わる。

クリスマスが近いせいか、何かに祈りたい心が湧いてくる。クリスチャンでもないのに、、、、。

2012年12月 4日 (火)

始動。

日曜日、ホールで地下二階のリハ室へ2回も走るように?往復したが膝に何事も起こらなかったのは意外だった。

今日になって予約してあった整形外科へ行き、担当医師にそれを告げて、この頃膝が痛くないんですと言うと、「それは風邪を引いて体調が悪くて、温和しくされていたせいでしょう」と言われる。成る程そうかもしれない。痛みが和らぐようなことは何もしていない。風邪が治まったらプールに行って歩こうと思っていたが、そんなことはもっと後からゆっくりして下さいと言われてしまう。

風邪を引いたら膝が良くなった、なんて何が幸いするか分かったもんじゃないなあ。

 

この風邪。1ヶ月も我がボロ肉体に居座り続けていて、その間2回も本公演で歌うという試練。歌じゃなければ良いんだけど、ホントに参った。

そりゃあ長引くには訳がある。昨日だってちぇち練のあとファミレスで会議。解散したのは深夜だ。いつも早引きされるT会長殿が珍しくみんなに付き合ってくれて、次回公演への並々ならぬ力の入れ方が伺える。こちらは食事をしてなかったから、「ちゃんぽん麺」を注文したが会長はリンゴパイなんぞという可愛いものを注文して、こちらに「勇気があるものを注文しますねえ!」などと言う。それはこっちのセリフだわい。

まあしかし、こうして無理してでもやらないと何事も前には進まない。、、、思えば永いことこうやってオペラの舞台を作ってきたのだ。息子に、「年相応に暮らしてきたんなら同情もするけど、そんな暮らししていて無事なわけがない!」と体調不良を訴えてもけんもほろろに言われるのも無理はない。が、結局こういう馬鹿が居てこそ物事は進んで行くんだ。、、、どう生きても人生だ。これが私の宿命なんだろう。昨夜はまだ翌日の朝なんて時間まで居たわけではないから可愛いもんだ。

勿論自分だけではない。昨夜は6人の会議だった訳で、それぞれ遅くまで仕事もしたあげく駆けつけた人やら仕事のあと練習もしてという連中の集まりだったのだ。昨今はスマホでインターネットを駆使しながら資料集めや音源まで聞きながら出来るので、物事がいち早く進行する。やり残した案件は次回ということで、解散して外に出ると雨のせいで思わずさぶっ!となったが、心は意外に暖かい。

こうして又、ちぇちが動き始めた。

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