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2012年11月

2012年11月30日 (金)

ピエロ。

なんてひつこい今年の風邪。岩盤浴に行けば少しは良いかと今宵頑張って行ってみたが、帰ったら又咳が出ている。そのジムでバッタリ会った同窓生Tは毎日ご夫婦で来ていて、「わあ、久しぶり~」となる。が、私は分刻みで動いていて、10時10分からの岩盤浴にあと3分しかない。水鉄砲のように次から次へと話題を変える彼女に、「ゴメン、悪いけどこの次ね。時間が無いわ。」と断って更衣室に走り込んだが、いやはやこのお方は元気元気。もう一人の友人Yとヨーロッパ旅行から数日前に帰ったばかり。あちらでは毎日万歩計で1万歩歩いても足はどうもなかったと自慢する。その上今日は高知までYと他の仲間と一緒にフラワーアートに出かけたのだ。その上、話しによると孫べえが重い病気にかかり、夜な夜な親にお弁当を病院に運んでいると言うではないか。にゃんともかんとも、皆様お・げ・ん・き!

 

あたしゃ、そこへ行く前はず~っとパソコンであれやこれやをやっていて、一番難航したのがスケジュール調整だ。一つ会を持とうとすると、今や簡単にはいかないご時世だ。何故か皆さん忙しい。

ジムから11時半に帰ってようやく決着が付いた。ふ~っ。

 

明後日は又しても本番。先日のような演奏会ではないが、舞台はこちらの方が遙かに大きい。細部にわたり全く段取りが出来てないが、何とかなるはず、と私以上にアバウトな主宰者がメールで慰めてくれる。一体どんなことになることやら、、、。

 

ま、人生は夢みたいなもので出来ているんだ。深刻に考えることはない。自分の役割はピエロそのもの。

皆さんが笑ってくれれば、私は幸せなんです、、、、おや?これはどっかで聞いたセリフ。そうそう先日のFMゲスト、「笑顔創造プロデュース」の取締役のオコトバだった。ピエロ役。世の中に最も必要かも知れない。

2012年11月28日 (水)

「言葉に過ぎない」

今日は4つの用事で昼食抜きで走り回った。勿論夕食でその分取り戻したが。

 

朝はシャンソン教室。続いてFM。続いてまなび館での講座を受講する。5時に再度舞い戻ってカルチャーでのレッスン。風邪が治ったかな?と思ったが、やっぱり咳が出るなあ。いわゆる「免疫力」の低下。だと思う。しかも毎朝のお薬も飲むのを忘れて行ったのでなんとなく不安。ま、2,3日飲まないでも多分大丈夫なんだろうが、、、。

 

放送大学の別枠で、「19世紀のピアノ音楽」という講座を受けたのだが、内容が濃く、ピアノの生演奏もあるという贅沢さ。2時から5時までビッチリで、さすがお若い講師だけのことはある。本日は「メンデルスゾーン」についてだったが、このお方の輝かしい音楽人生と、趣味の域はとっくに脱している「絵画」の才能は、実際の画集をも見せて貰いながらだった。あまりの上手さにビックリしたほど。繊細な筆さばきと、構図の美しさ。、、、これは才能だなあ。

その上、当時の絢爛たる音楽世界の、あるいは文学や他の芸術の華々しい歴史を織り交ぜながらの解説はホントに充実していて楽しかった。

何故か音楽家に限らず、芸術家の人生は面白い。そして、彼らの言葉も又面白い。

今日はそのメンデルスゾーンの言葉が色々紹介されたが、彼が作った「無言歌曲」についての述懐が面白い。これは歌詞の無い歌曲だというのだが、、、

「音楽は言葉よりも素晴らしい、非常に多くのもので心を満たしてくれます。私の愛する音楽が語ることを、私は言葉では言い表すことが出来ません。」、、、勿論この前後に沢山の言葉があるのだが、前記の内容を修飾してるにすぎない。まあこれは、作曲家だからこその言葉ではあるが、先日のシェイクスピアの、「言葉に過ぎない」という言葉とオーバーラップして私には非常に印象深かった。

言葉で成立しているかに見える人間界も、案外そうではないのかも知れないなあ。

2012年11月24日 (土)

演奏会。本日。

今宵は友人のご招待でチェロの演奏会に出かけた。兼ねてから名前は聞いていたし、なんか以前聴いたような気もしているが定かではない。最近こうなんだなあ~。、、まあこれまで沢山の演奏会に出かけているので、いくらか忘れて居るのは仕方がないかとも思うが、昨夜は自分がアルツハイマーになりました宣言をしている夢を見て愕然として目がさめたしねえ。

それはともかく、久しぶりのクラシックによるアクト満員御礼の光景には驚かされた。矢張り地元は良い。今夜のフィギャースケートで17歳の青年が仙台の地元で滑ってもの凄い声援を受けていたのを見ても分かる。演奏会も余りに凄い拍手にアンコール演奏が止められない。30分位伸びたようだ。ピアニストがベルギー人で余計盛り上がったようにも、、、。例のブラボーおじさんも勿論来ていたしねえ~。

本来の演奏曲目はチェロ協奏曲3曲で、ベートーヴェン、ブリテン、ラフマニノフだったが、中でもブリテンは変わった演奏法で、聴かせたし見せた。何度も弦が切れるようだったが、あれは普通なのか?楽器のことは知らないが、引きちぎって次の曲を演奏していたなあ。全体にとても丁寧な心のこもった弾き方だと思ったら、祖父母が来ていますとのこと。やっぱりおじいちゃんおばあちゃんに聴いて貰いたかったのだろうなあ。

 

耳に残る、ふくよかで澄んだ音色だった。

 

マスクが取れないまま客席のベストど真ん中の席に座ったが、自分の周りにバリアを作ったような気分で音楽に浸れた。こういう時マスクも良いもんだ。、、、見回せば音楽関係者が沢山来ている。元気なら声をかけるところだが今日は遠慮した。

 

なんとなく、あと10%の風邪だと思うんだけど、最後の最後がなかなか抜けない。しかし予定は次々と入っている。ま、寝るに限るかな?

2012年11月23日 (金)

勤労感謝の日の映画館。

母がこの頃出不精になって居るとの情報が義妹からあり、どっかに連れ出すわ、と答えたものの、まだ風邪が残っている身としては余りエネルギーを使わない慰安を考えるとどうしても映画くらいになってしまう。調べてみると偶然昨日テレビで出演者が喋っていたものが午後3時過ぎにあったので、「1時間後だけど、どうする?行く?」と電話をして見ると二つ返事でOK。で、内容をネットで調べてみるとなかなか面白い日本の伝記物。車の中で下調べをした内容を伝えようとしたが、久しぶりにゆっくり会った為堰を切ったように母が喋り始めるもので、結局は何も話さずに到着。永い映画で、こちらは半分は寝ると決めて見始めた。

「のぼうの城」というこの作品、出演者のキャラで出来上がっていて、今の日本を代表する若い役者が総出演みたいな感じ。こういうの見ると、なんで韓国の若者にあんなに夢中になるのかが分からないなあ~。良いと思うけどねえ、日本人。

特に野村萬斎が出色だ。声は良い、仕草はしなやか、表情も細やかな演技で素晴らしい。、、、これが史実だというから、尚更に面白い。昔の日本には頭が良くて心が熱い人間が沢山いたんだろうなあ~。

、、、てなわけで、一睡もせず、前編見てしまった!時々母を盗み見ていたが、こちらも夢中で見ている様子。

何時ものように最後にゆっくり席を立ったが、「今日は客が多かった」を繰り返し言う母。三分の二ほどの入りだったが、、、、いつもはぱらぱらの客席が多いからなあ~。無理もない。「今日は勤労感謝の日だからね~」と返事しつつ、それにしては少ないよなあ、昔なら満杯のところだろう。

 

母のためと思い見始めた邦画だが、日本の映画界は最近随分頑張っている。テレビでも、薄桜記というドラマなんか丁寧に作られていて面白い。そこに必ず音楽とのコンビネーションがあり、そこが昔と作り方が違うようだ。

ただ、今日のは前半が役者の言葉が聞き取りにくく、音響効果に問題があると思った。なんでも過ぎたるは及ばざるが如しだ。

 

中国とのいざこざや、韓国とのこと、アメリカとの問題などを見ていると、自分が日本人だということを改めて考えることも多いが、その前に人間だとも思う。みんな人間だというくくりで物事を考えると全て小さな事に思えてくる。

昨日の愛媛に住む中国人の画家が、日中関係を憂える中で、「芸術は全てを越えます」と語っていたのが印象的だった。ホントに、みんな、短い一生をもっと豊かに過ごすことは出来ないものか。国際交流から生まれた文化の交流は人間の財産だ。

2012年11月21日 (水)

あなどれぬ風邪。

始まりは上京前夜だったから、今月の5日。上京してからどうも風邪っぽいからと、市販の朝晩飲む薬を購入。東京に居る間中それを飲んでいたが、さっぱり良くならないので、帰宅してから近くの耳鼻咽喉科へ。そこで頂いたもの凄く強い薬で3日間は身体が軽くなったし、好転したかに思えた。が、まだ治療を継続すべしという身体のご命令に沿って再度同じ病院へ。初めの強い薬はあれ以上は出せませんと言われ、現状維持。そのままコンサートになだれ込み、終わってから遂に内科へと駆け込むが、レントゲンは異常なし。熱も出ず、鼻水も無し。クシャミも殆ど無い。時折咳き込む以外はコレと言った症状はないのだ。、、、これが友人のSさんと全く同じ症状。同じ病院で同じ貼り薬を貰い、同じ吸入器を貰い、、、、劇的には良くならないでいる。これはもしかしたらアレルギーかもしれない、と夫に脅されている。歳をとってから急にアレルギー症状が出る人が居るとか。どきっ!

困るなあ~。来月2日は又しても舞台だ。

久しぶりにやってきた母は、上京前からのホームステイの受け入れやなんかも原因だろうと、流石親らしい心配をしてくれる。確かに、色々続いていたからねえ。、、、きっちりマスクで対応したが、伝染ってなければ良いな~。

 

 

調子が悪い中ではあるが、今日もFMの収録をやる。若きプロデューサーがゲストだったが、正直彼のような若者があと100人、いや20人でも居たら、高松も俄然元気が出るだろうと思える人だった。ただの思いつき屋さんではなく、確実に自分のものとしていく能力も持ち合わせている。こういう人がちぇちに居てくれたらなあ~、、、なんぞと思ってしまったが、彼はこれがお仕事だからねえ~。

しかし、ただの思いつきを形にしていくには、その最初の思いつきが無くては始まらない。その意味では、何かをやろうとする時は誰でもプロデューサーの思考回路を持たなくてはならないのだ。「やりたいこと」があることが大切だ。

選択。

人生は選択の連続である。朝起きて、起き上がるかどうか、からして選択だ。勿論選択の余地がない人も沢山いるだろうが、それでも、一つ一つ、それはその人の意志によって選択されているはずだ。

ま、寝て起きてなんぞという小さな選択はともかく、人生に於ける大きな節目の選択は、決断と勇気と、、、、あとは何が必要だろうか。

ちぇちも節目の時を迎えている。そして選択を強いられる。

 

ほぼ24年間この団体の事務局をやらせて貰ってきたが、延べにして一体どれほどの人がこの団体の公演に参加してくれただろうか。もの凄い数だと想うし、それを又聴きに来て下さったお客様の数たるや、かなりのもんだ。一度検証してみるのも良いかも知れない。おぎゃあ、と生まれて24歳まで成長したということは、それだけで値打ちがあるかも知れない。、、が、私はこの団体はこれまで「公演」をしてきただけではなく、ある「運動」をしてきたと位置づけている。勿論、それは創設者のI元会長の理念がそこにあったからで、「外国では音楽を家庭の中で自由に楽しむホームコンサートが盛んで、国を挙げて国民が音楽を楽しめるよう、環境を整えている。何故日本の文化はこれほど進歩してきたにも関わらず、それが出来ないのか。」という所からの出発だった。発足当時日本でのコンサートというと、クラシックというだけで緊張を強いられる音楽というイメージが付きまとっていた。難しい音楽を折り目正しく聴くべし。という一部の人の楽しみであったものを一般の人も楽しめるようにと出来たのがこの会だった。最初はソリストのみの演奏会だったがそこに合唱を加え、団体としてスケールを広げた所から、兼ねてからの夢であった、「オペラ」の上演というものが現実となっていった。

 

今振り返ってもこの運動は間違ってなかったと思える。見渡せば、世の中、、、、でござい、から変化してきて居るではないか。(いや、まだまだ全部ではないとも言えるが、、、)

 

運動というものは、存続していくのに膨大なエネルギーが必要で、関わる人の気持ちがエネルギッシュでないと無理な話だ。

先日ある人が訪問してくれて、彼がしきりに慨嘆していたのは、「今の人達は余力でのみ何かをやろうとする。保身ばかり考えていると何も出来ないのが当たり前ではないですかね。自分を捨てて、打ち込むことが出来る人が必要ですね。。。。」いや、勿論そうなんだ。団体には馬鹿になれる人が必要。全員そうあるべきとは無理な話だが、何人かは滅私奉公的な気持ちでやっている人が必要だろう。

 

あれれ、、、?これって、まるで今の日本の政界のことを語っているような気がしてきたなあ、、、。ほんと、日本の現状を見ると溜息が出るのはアチクシだけ?

2012年11月19日 (月)

風邪、行きつ戻りつ、、、。

昨日がコンサート本番だったとは今もって信じられないが、一応終わったのは確かだ。手元に脱ぎっぱなしの衣装や持ち帰ったあれやこれやの残骸が散らばっている。自宅の洗濯物が優先で、これは後回しだ。しかも、本日はシャンソン教室もありいの、その後のピアノ合わせに付き合うもありいの、12月のカルチャーの発表会での衣装合わせも。夜は夜でちぇちの会議と相成った。風邪が容易に立ち去らないわけだ。

そして短歌の締め切りが又しても目の前だ。

中でも会議は疲れる。こういう事に忍耐力が無くなってきている自分が居る。2時間でくったくた。帰りに思い切って岩盤浴でも、と思って出かけたがとんでもない。それどころか、どうしても連絡を取りたいお方と電話が通じない。さあ、どうすんべえ。寝るか。それとも、、、。

若い人はそこが違う。先ほどの会議のあらましを既にまとめて送ってくる。チェックして懸案事項に返事を、とあるが、なかなか思考がまとまらない。色んな事が重い。、、、勿論自分の身体も。ふ~っ。

 

 

そんな中、昨日のコンサートの感想があれこれ入って来て、お世辞が混じっているにしても、楽しんで貰えたらしいことに、ホット胸をなで下ろす。天候も前日とは打って変わって晴れたし、さすが音楽の守護聖者ちぇちぃりぁ様は味方をして下さる。

個人的には、演奏会の間中、控えの間とは名ばかりの寒い物置に引っ込んで、咳を出しては司会に戻るということの繰り返し。よくぞナントか声が出せたもんだ。今日は電話で、「なんですか?その声は!」とあるお方に言われたほどのしゃがれ声。いやあ~綱渡りだった。

綱渡りと言えば、折角前夜までにパソコンに打ち込んでいた、オペラの解説文をプリントアウトせずに出かけてしまい、結局その作業で頭に残ったことのみで済ませてしまったというお粗末。ま、その分、気取らず分かり易い言葉で解説できたのは拾いものだったか。

岡山からのご参加Yさんのオンステージを旦那様の手慣れた解説でやって頂いたのも、ご本人には無茶振りと言われたが、大成功。お客様は誰もその日に決めたことだとは思っていらっしゃらなかったようだ。勿論それはひとえにMご夫妻の息のあった名コンビ振りによるものだが。リハの段階からずっと付き添って、客観的なご意見を率直に言ってもらえるなんて、最高のサポーターだ。お仕事柄人一倍ご多忙な旦那様にも関わらず、こうして応援してくれるという自体、日本のご夫婦には珍しいことだ。なんともかんとも、羨ましいお話しだ。ただ優しいだけではダメで、チャンと聞く耳とサジェスチョンを与えられる知識があるということが素晴らしい。

こうした方々の助けもありいので、なんとかかんとか2時間の演奏時間がクリア出来たというわけだ。

 

やる前は何故こんなことやってんだろう?と自己嫌悪に陥るほどだにのに、終わると又ゾロ、次なる計画に手を染めている。人生とはそうして過ぎていくものなんだろう。

2012年11月15日 (木)

風邪去りぬ。ほぼ。

今回の風邪は、市販の薬を使ったため、結果的に長引いた感じ。お医者様の処方によるものは、やっぱり良く効く。怖いくらいだが、私も夫もそこの病院で随分助かっている。我々はいつも声を使わなくてはならない立場で、にもかかわらず喉が身体の中で一番弱い部分。ま、あと一息って感じかなあ。

そんな中、流石に風邪だ風邪だとサボってばかりも居られず、ピアノ合わせに出かける。が、どうも頭がぼ~っとしていて、集中力に欠ける。そもそも行きからして高速の降り場所を間違え、「あら?景色が違う」とぼんやり思っている。一つ早く下りてしまったわけだ。そこで又しても高速に乗り目的のインターで降りる。さほど遅れずに付いたのは矢張り高速のお陰だ。が、合わせている間中何だかしゃきっとしない。そんな私に気長にお付きあい頂いてほんとに申し訳ない。1時間以上やって頂いて帰りのこと。これ又ボンヤリしていて、来たときと同じ道を逆に辿って高速に乗ったもんで、今度は逆に坂出まで行く羽目になってしまった。我ながら呆れるが、まあ天気が良かったので歌いながらのドライブと相成った。結局車の中って良い練習場所なんだ。運転するという行為と平行して歌えるようになるとほぼ暗譜に成功しているというわけだ。

 

体調が戻ってくると作業をしないわけにはいかなくなり、さっきからプログラムの校正だ。この大元を作ってくれるMさんにはホントに頭が下がる。これって、ほんとにやっかいな仕事だ。こちらは出来てきた物に、ああだこうだと言えば良いだけだが、白紙を文字で埋めていく作業は、それも原語がたっぷりある内容で神経を使うだろう。ここが完成すれば、今度は別のメンバーが印刷に走る。これぞちぇちのチームワークだ。

一方、連絡係も大変だ。みんなが自分の事だけ考えていればよいのは、ひとえにこのお方のお陰なのだ。全体を眺めて何が必要で何が不足かを考えるというのも、これは能力がないと出来ない仕事ではある。社会人としてしっかりお仕事している人ならではの力の発揮だ。

他にも会計係やチケット係、会場設営や駐車場関連に衣装関係。今回はおまけに打ち上げ会場にお家を提供して下さるご家族まで現れた。全員が、この団体にとって無くてはならない人なのだ。

日曜日。晴れるかなあ?

2012年11月11日 (日)

疲労困憊こんこんちき。

2ヶ月振りの上京で身も心もボロボロ。こんなに疲れるのは矢張り歳かとも思うが、おまけに風邪気味で出かけたもんで、上京中は悲惨。この間東京は全くの秋晴れで、青い空を恨めしく眺めたもんだ。結局お嬢のマンションで4日間居て孫べえに風邪をうつさないために二重にマスクをし、体力の消耗を考えてお風呂も断念し、ひたすら耐えていたが、それもこれも往復チケットを格安で取っていたため、キャンセルできないという貧乏人の辿る道ではあった。可能ならとっくに帰省して地元の医者に飛び込んだだろうに、、、。

ま、それでもその間居たお陰でお嬢の念願のあれこれも手伝えたし、彼女の親友の出産にも間に合い、お見舞いも出来たわけで、無駄ばかりでもなかった。何より孫べえとより親密になれた至福の時間でもあった。そうそう、歌仲間だったS氏の日展彫刻もかろうじて見ることが出来たし、、、。

 

その間、婿どのの運転で横浜に出かけたが、このスエーデンからやってきたショッピングモールは何回来ても唸る程のシステムと品揃え。神戸にも支店があって、バスが高松から出ているそうだから、今や珍しくもないんだろうが、、、。そうそう、ここでは最初からプライドを捨てて、車いすに乗る。この広い店内を、用もないのに見て回るなんざゴメン被りたい、と言うとさっさと車いすを借りてくれたのだ。それで正解だった。無理をしたら風邪が悪化するのが目に見えていたからだ。でも流石に2歳の孫べえに押して貰うときはお尻がもぞもぞしたもんだ。男の子はこういうことやるんだなあ~。この重たいオババが結構それで動いたもんねえ。

 

上京した初日にはそのスエーデンのお国料理を、水戸からの息子の家族と目黒の娘家族とわが家族が集合して味わったが、ニシン料理が美味しくて、魚が苦手な私が何度もお代わりに走るほど。赤坂のこのお店はその翌日会った友人の話では評判のお店らしく、彼女たちグルメ夫婦も良く行くらしかった。その彼女とは恵比寿のロシア料理ときた。「昨日の今日だから、あまり食べられないと思うわ、、、」と言いつつ、結局はセットメニューを全部平らげるほどのおいしさ。まあ、野菜料理が多いから、、と言い訳しつつ、、、ではあったが、、、。

今回は何故かご馳走付いて毎日食べ歩いたため、帰りの飛行機ではいつも買う「空弁」さえも買う気になれない。どうせ夫が居ないはずだからと、何も買わず、というか、風邪が一向に良くならないために買い物すらしたくない消耗振り。が、驚いたことに、今回は例の空港内を走る電動自動車や車いすのお世話に全くならずに行き来出来た!考えてみると、こないだからずっと飲んでいる「痛み止め」のお陰で歩くことがイヤでなく、結構歩いたのがかえって良かったのかも知れない。

 

今回はドジが無かったか。というと、最初からあった。初日に止まったホテルでは、鍵を忘れたスーツケースの南京錠をコンシェルジュにお願いして壊して貰ったし、、、、。まあ驚いたのなんの、見たこともないでかいペンチを持ってきてくれて、チョッキ~ンと切ってくれたのだ。こういうものがあるということは、こういうお客は結構居るんですね?と夫が言うと、「はい、たまにいらっしゃいます」とのおこたえ。なるほどねえ。

出かける前にスマホを入浴させたのが治って無くて、借り物の携帯電話を使って居たが、これがとっても不便。登録できてないから、画面に誰からの電話かが出てこないため、一々でなくてはならない。その中には間違い電話もあったりして、、、疲れた。

で、短歌の締め切りを一日勘違いしていて、帰ってから出せば間に合うと考えていたのがそれでは遅いと気が付き、担当者にメールをした。間が悪い時はこうなるもので、その担当者が歌会に参加出来ず、別な人に送るのでその人の都合を聞いてくれる、となった。その返事待ちをしている間に別の友人Sのアドレスを登録した。CメールとEメールがややこしくてどっちか分からなくなった、とそのSから来たメールをそのまま登録すればよいものを、空港であれこれ遣りながらだったので時間差が出来、自分が先に登録したアドレスに、「今日は夫が居ないはずだから、のんびり風邪を治すつもり」と打ってしまう。で、しばらくするとそのSから、「歌は?」と来る。「え?歌?何の?」と出して、「え?歌会に出すのは?」と来たので、ハタと気が付いた。担当者のアドレスをSのアドレスと思い込んで、Sの名前で登録してしまったのだ!あっちゃ~、余計なことを沢山書かなくて助かった!とまず思った事だ。が、夫がどうのこうのは、全く彼には意味不明のことだったに違いない。やれやれ。、、、今日、歌会の帰りにチャンとスマホを返して貰って、フイルムやら、カバーやらを買い求め、ようやくホッとしている。まだ、これからしばらくは登録関係でガタガタするだろうが、、、、。

 

疲れるはずだ。

2012年11月 5日 (月)

本日のちぇち。

本日はコンサートのリサイタル、のようなものをした。ような、とは、プログラムを最終決定するための時間計算などが中心だったからだが、にしても、あたしゃ最悪だった。せかっくピアニストに来て頂いたのに、楽譜を持って行くのを忘れ、いつも覚えるときに使うメモさえ忘れ、おまけに眼鏡さえ無い。ということは伴奏者の楽譜を見ることも出来ず、車の中では覚えていたつもりの歌詞がさっぱり出てこない。=完全には覚え切れてない証拠。仕方なく、ロビーで思い出した歌詞を封筒の裏、という一応紙ではあるがひどいものに書き込んで、再度リベンジ。こうして思い出せるんだから、一応は覚えてゐるんだが、原語の場合一つ躓くと全部が飛んでしまう。もっと伴奏あわせをきっちりやっておこうと反省。これは全くのボケ防止と思ってやっているが、なかなか大変だ。

この状態のママ10日まで上京する羽目になっていて、、、、ちらい。

 

何故あれもこれも忘れたかと言うに、他人の心配ばかりしていたせいだ。みんなの衣装関係を大荷物で持っていくことに気を取られ自分の事をすっかり忘れてしまったという次第。やっぱりこれが老化だろうなあ。

少しでもみんなに輝いて欲しいという気持ちからだが、わかってくれるかなあ~??

まあ、みんな仕上げまでには少し時間があるから、という油断もあっただろうが、追い込みに入らなければ間に合わない。という今日の段階だ。来週は太いムチを持って、W先生がご登場だろうから、きっとこの日こそリハーサルになるだろう。期待したいものだ。

 

さて、アチクシは明日から上京するが、初めて東京で我が子ども達家族も全員集合することになって居て、早くから楽しみにしている。それぞれ成長した子ども達に取り囲まれるのも良いもんだろう。、、、であるのに、お嬢はぎっくり腰でヒーヒー言っている。まあ確かに高齢出産で、4階マンションで子育ては身体にくるかもなあ~。やれやれ。

2012年11月 2日 (金)

芸術の秋。母にとっても。

渋る母を、天気が良いからという誘い文句で展覧会に連れ出す。市の美術館にたどり着くまでに色々片付けなくてはならない用件も済ませる。何カ所か母を車に置いてささっと用事を済ませたが、その中の一つに大学祭をやっている最中、その大学の構内に車を停めると賑やかに何やら叫んでいるのが聞こえる。退屈しのぎにはなるだろうと、窓を全開して留守番をして貰う。

この大学はわが愚息も通っていただけに母に取っては初めての潜入が興味を惹いたようだ。車に戻ると、当世の学生の服装についてその自由さに驚きを通り越して呆れている。「制服を着ている人が一人も居なかった、、、」な~んぞと言う。

やがて目的地に着いたは良いが、その会場はどうやら間違いで、日本画の展覧会に行ったつもりが、全部洋画。あっちゃ~と思ったが、「まあ、ついでに見ていこうか」となり、多くはない作品を見て回る。しっかりアンケートまで書いて、、、、その間にもSさんにメールして、「日本画の会場ってどこ?」と聞いてみる。「二階よ」と返事が来て、ああ、持つべきものはともだちだ、と母を促し二階へ移動。こちらは出品がとても多くて、そりゃあ、下の会場では無理だと納得。母には車いすにお乗り頂き、こちらもそれを押すことでむしろ楽な姿勢でゆっくりと拝見。しきりに、「こちらの方が色や線が優しい」という母。どうやら母にとっては、こちらの方が分かり易くお気に入りだったようだ。下の階では、ひたすら、「ふ~ん」とか「ほ~」とか、「あら~」とか訳わかめの感嘆符ばかりだったが、こちらの方はいちいち「まあ、可愛らしい」とか、「わあ、キレイ」とか感想を述べていた。やっぱりたまにはこういう所に連れてくるべきなんだと、改めて感じ入る。

 

洋画日本画どちらにも惹かれるものがあったが、矢張り「絵」も表現の一つだということから見ると、作者の「想い」が伝わるかどうかが、私の個人的な価値基準となる。それは、「テーマ」だったり、「筆の勢いや納め方」だったり、「色彩の妙」だったり、単なる構成ではないところに興味の中心があるが、これはかなり「短歌」と共通項があるなあ~。わが短歌師匠の日本画作品がそれらに合致しているのは流石であった。なんぞという感想を伝えると照れ笑いするいつまで経ってもかわゆいお人ではある。

何をやってもその人物が出るなあ~。

 

夕餉の買い物にも付き合った母は、心なしかいつもより元気になっているようだ。芸術に触れたことが特効薬になっているのかも知れない。

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