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2012年10月

2012年10月30日 (火)

忙しいは心が亡くなると書く。

あれよあれよという間にもう10月も終わってしまう。信じられない速さで時間が過ぎていく。先日20代の男の子に年取ると時間の経つのが早いですねえ~、、と言われて、あのねえ~、アナタの年齢でそう感じるの?だったら、私の年になったらジェット機か宇宙ロケットクラスねえと笑ったが、もしやこれは社会現象か?世の中が忙しい、というか、時代がせわしないというか、個人の問題ではないのかも知れない。

毎日毎日、次々と起こる事件や事故を地球規模で知る事が出来る現代。この情報社会がそもそも原因かも。落ち着いて一つのことを考えるという作業は全く出来ないまま、次から次へとニュースが流れる。そのニュースの最中に特報がテロップで流れ、やれ地震だ、選挙がどうたらと重なってくるからなあ~。リアルタイムで知る必要があるものはその中の何%だろうか。何もかもが速く速くとせき立てる。ニュースだけではない。乗り物だってより速いものが求められる?ホントに求めているのか?

 

昨日のシェイクスピア講座あとの昼食会では、iPS細胞のことなども出て、人間の領域を越えて居るだの、クローンのように将来それを悪用する人も出るのでは?とか、最後には、「こうやって、死なせてくれないのよねえ~」なんて人も出てくる始末。どうも女性の意見は広がるなあ~。

しかし、個人的にはその開発を心待ちしている人も知っているし、間に合うかどうかとむしろ心配な方だが、、、。世の中色んな考え方があるなあ。医学、科学、全ての学問は内外さまざまな障害を乗り越えなくてはならないなあ。

そういえば、シェイクスピアの言葉に、「学問は我々人間に仕える従者に過ぎない。」なんてのもある。シェイクスピアは天才で、お勉強は嫌いだったのか?な~んてね。そんな浅い意味ではないことは重々承知。今日の講義でも、シェイクスピアがあれほど巧みに言葉を使う人だのに、「たかが言葉に過ぎない」と何度も言ってることに触れられたが、言葉の限界という意味か。

たかが言葉、されど言葉、、、、だ。

2012年10月28日 (日)

別れ。

ホームスティのお二人と今朝お別れをしたが、短期間にも関わらず名残を惜しんでくれて嬉しかった。日本人の青年は香川が大好きで学生時代から時々来ていたそうな。今後は我が家を逗留先に是非とうどんツアーをと提案したりして、実際実現すると良いなあと本気で思っている。こんな好青年ならばいつでもOKだ。

ラオスの青年のほうは既にうるうる状態。、、、日本人以外はみんなこうなんだよなあ~。これまでに少し深く関わった外国人はみんな涙の別れだ。日本人はここまでにはなかなかなれないというか、じ~んとはしても、泣けるほどの悲しみはないなあ~。一体何が違うんだろうか。考えてしまう。夫は空港までお送りしたが、どうやら涙涙のお別れになったようだ。いや~~~不思議。

丁寧に御礼を言われて、実はそれに感動して心乱れたせいもあり、疲れがピークだったせいもあり、ある程度考えていた英語のお別れ文章が出てこない。トンチンカンな単語で夫に間違いを指摘される始末。いやはや情けない。

余りに疲れていて、昨夜お風呂に入浴させたスマホ(!)の修理にサティまで出かけたついでにマッサージに飛び込んだ。45分コースをやってもらって案の定一瞬は爆睡。これでどうにか元気を取り戻し、いざ志度の音楽ホールへと車を走らせると、開演ギリギリ5分前という無駄のない時間。

会場に入ると、「ここ、ここ、」と合図をくれる友人達がいて有り難いこと。この時間帯でも苦労はないしかけ。

 

大阪のオーケストラがやってくるとの宣伝だったが地元出身の指揮者が本日の眼目。以前声楽のレッスンを受けたことのあるM先生のご子息だ。その若々しい指揮振りを見ながら母親であるM先生のお顔が見えるようだった。恐らくは会場のどこかにいらしたと思われるが、きっと誇らしくもあり、ドキドキもされたことだろう。こうしてDNAは確実に次世代に移っていくなあ~。これからがホントに楽しみだ。

ソプラノとテノールのアリアと二重唱という構成も、有名なものばかりで楽しめた。出演者の方々は昨日と連日できっとお疲れだったとは思うが、今日ほどの拍手を貰えば疲れも吹っ飛ぶのではないか。地元というのは良いもんだ。

 

香川は、こうも宝物に恵まれているのだ。

 

 

さて、スマホご入浴事件。夕べ、宿泊客達がお風呂に入ったあと、お湯を抜こうとしてぽっちゃ~ん。すべすべ素材のベストのポケットから、まるで意志があるかのようにバスタブに飛び込んだスマホちゃんを、「あっ!」と拾い上げて、大急ぎでネット検索して対処方を見る。スグにバッテリーを出し乾かすようにとあってその通りに。が、ドライヤーでやってみても、バッテリー挿入した途端に変な音がする。結局諦めて本日の修理依頼となったわけだ。、、、さて、どうなることやら。

代用品の携帯電話を貸してくれたが、久しぶりに使うと、なんだかこちらの方が使い勝手がよい様な気が、、、、。でもねえ、今更戻りたくもないしねえ。ま、連絡をまつとしよう。やれやれ、、、。

2012年10月27日 (土)

ホームステイ。

本日から二日間、日本人の若者とラオス人の若者の二人を受け入れている。感じの良い二人で、それぞれ初対面にも関わらず既に打ち解けていて、相手をするこちらも気持ちが良い。お互いのお国の事を情報交換するところからコミュニケーションが始まっている。今回は日本語で通せると想っていたが、二人がもっぱら流暢な英語なので、やおら脳の中のふる~い辞書を引っ張り出して格闘しているアチクシ。毎度のことながら、世界中の言葉が何故こう違うのだろうかと考えてしまう。違うけれどお互いの努力で一応通じてはいるんだなあ~、、。ま、なんとかなるだろう。

二人とも国を動かす組織に属している職業のようだが、将来はどんな人になっているんだろう。なんとなく楽しみ。

明日はこんぴらさんに登るそうな。あたしゃもっぱらお料理担当だ。早く寝て、朝から頑張る予定。晴れるといいが、、、。

2012年10月25日 (木)

アップサイクル。

今日は事情があって二度も衣装部屋へと出かけた。サロンコンサートの為の準備にかかったわけだが、衣装は何をするにも結構大切な要素だ。女性に限ったことではない。男性だって馬子にも衣装じゃないけれど、着る物によってかなり印象が違って見えるもんだ。

繊維業界が不況に陥り、衣類の価格破壊が進んでいたが、少し止まったかな?昨日はNHKでリサイクルの特集をやっていたが、この頃ではリサイクルに留まらずアップサイクルへと研究が盛んなようだ。優れた製品へと姿を変えるということらしいが、環境問題を考える上で理想的なことだろうと想う。

 

 

ぼちぼち、自分自身のアップサイクルをやらなくっちゃ~!

2012年10月24日 (水)

人間関係。

ある女性が職場の人間関係で悩んでいると言う。その解決法を探るべく書店でノウハウを書いた本を求めたりしているらしい。何が一番イヤなことかと聞くと、人を見下した物言いをするなど問題が多い人に注意を喚起しても改善されないばかりか、逆に反撃に遭うとのこと。従って最近ではその人とは話さないと言うが、その分胸に溜まってくるものもあるらしい。だから職場が楽しくないとも。

ま、3人以上人が集まると、必ずトラブルが発生するのは最近の常識だ。自分の中で折り合いを付けてナントかやり過ごすか、とことん話し合うかになりそうだが、まあ前者が多いだろうなあ。、、こういう小さな関係でもなかなか解決が難しい訳で、国と国とになるともっと困難になるのは当たり前かも知れないなあ。つくずく人間とは救われない生き物だ。

 

みんな幸せになりたい。仲良く暮らしたい。、、、だのにそれが出来ないというのは、、、、、。

 

 

今日は夫の誕生日で、孫べえたちから電話がかかって初めて思い出す。というのも、今日は出入りも多く、本業も忙しく、落ち着かない一日だったのだ。確か昨日までは覚えていたのだが、、、、。

で、ご機嫌取りのために、たまたまやって来た友人とお祝いの乾杯をし、食事のアトお風呂に出かけるのがプレゼント。そのためにアルコールはフリーだったから、まいっか。、、、誕生日ねえ。。。。

2012年10月23日 (火)

野崎邸は凄かった。

しばらく多忙続きでここに書くことさえままならなかった。今週もあれやこれやでこのままだと演奏会までほったらかし、となりそうで今日は頑張ってみる。

 

昨日は、中学時代の特別同窓会があり、バスを借り切っての岡山は倉敷を探訪の旅。おりしも美観地区は大祭の日で、ボランティアガイドさんも初めて遭遇したという。何度か過去にも訪れた所だが、この人だかりは初めての事。が、何故だろう。イヤじゃない。この混雑がむしろ懐かしいくらいのもんだ。その人並みを縫うように変な赤顔のお面を付けた、なまはげのような人があちこちで赤い大きな内輪を振り回し、手当たり次第に頭を叩いて廻っている。ガイドさんが、「あれに頭を叩かれると、この先1年は健康で過ごせるそうですよ。」な~んぞと言ってくれるので、みんなやり過ごしていたのが戻ってまで叩いて貰う。

一方では巫女さん達の舞や、獅子舞、太鼓連の演奏披露などもあり、女みこしと男みこしが相まみえたり、古式豊かな装束に身を固めた人々が大勢で行列を繰り広げるなど、観たことのない様子にみんな大満足。歩いて歩いて少々疲れたが、このタイミングで来られたのはラッキーだったとご満悦だ。

Gパンの町と聞き、塩田王の野崎邸を見学のアト散策し店内を覗いてみるも、たかがGパンされどGパンで高い高い。Gパン好きな人は良いだろうが、どうもねえ。せめて記念にとゆるキャラとかいう、「Gパンダ」なるマスコットを買う。只今バッグにぶら下がっているが、これは孫べえに行きそうだなあ。

その野崎邸だが、犬神家の一族とかいう映画の舞台となったところらしく、いかにもそれに相応しい雰囲気の豪邸だった。まあ我々は、そこに展示されてある古い時代の台所用品や日用品には見覚えがあり、お風呂の作りやなんかも懐かしいばかり。ただ、富豪の暮らしを垣間見せるおしゃれな様式のキッチン用品やワインスケール、グラス類などは流石、、、と感心することしきり。

蔵の中にあった明治維新のころの有名人の書簡などもあったが、その達筆に驚く。昔の人は筆しかなかったから、筆文字に様々な形が生まれたんだろうなあ。単なる商品の受け渡し伝票等でも素晴らしい筆跡だ。

上天気の日中は暑いほどで、それもあって大いに疲れた。スマホを忘れて出かけたため、色々人様に迷惑もかけたが、無いというのはらくちんなものだった。時々、こうして覚悟を決めてスマホ無しでお出かけも良いかも知れないなあ~。

 

今宵はちぇち練で、来月の本番を前に少々気合いが入ってきたのを感じる。会長もこのところ皆勤賞ものだ。チラシも配布し始めたし、ああ、、自分のことが、、、。

短歌の締め切りも迫っていて、どうにもこうにも時間が無い。週末はホームステイを受け入れているし、、、、例の演奏会もある。ふ~っ。ヘルプミーーーー。

2012年10月17日 (水)

今日は雨。

今日はよれよれ。

仕事のし過ぎ。、、、といっても、最盛期の半分以下の仕事量だが、只今体力がその頃の10分の1くらいだから疲れるのも無理はない。

疲れる理由の一番は現在の左半身の疼痛だが、その上に、今日の予定の記憶が全く間違っていて、明日のFMを今日だ今日だと思い込んでいたのが、実は違っていたと判明してから、急にどっと疲れが出た。結局仕事前というのは、精神的肉体的準備が必要で、それが崩れるとこうも疲れるということだ。く~っ情けない。

 

ま、こういう時は美味しいものを食べるに限ると、一応考えたが、それを作るのは他でもないアチクシ。

これはこれで又疲れる。

で、昨夜上手く行った「サツマイモご飯」を暖め直して、こないだ漬けた茄子の辛子漬けと、あり合わせの肉と野菜炒め。昨日出してあった蟹缶でかに玉を作る。ここまでで疲れが限界に達し、「今夜は以上おしまい」と宣言してビール。これでようやく息を吹き返した感じ。、、、ホント、使い物にならなくなってきた。ビールを飲んだ=ジムは行けない。今日は温和しくおうち風呂だ。

 

本日来店のKさんのお嬢さんがミュージカルに出演していて、観に行って欲しいと言われたが、同じ日に3つも行事を抱えていて、流石にお断りするしかなかった。、、、芸術祭参加作品。こうして重なってしまうんだよねえ。ちぇちの公演日もいくつか重なっている。いっそ一年中芸術祭にして、ビエンナーレとかトリエンナーレにすれば良いのに、、、。

 

あと1ヶ月になっちゃった。。。

2012年10月16日 (火)

ハチオンの事など。

先日あるお方のレッスン風景の録音を聞く機会があった。イタリア歌曲をイタリア人が指導していたが、言われていることは矢張り「発音」そして「言葉の意味を理解しているかどうか」がメインだった。

現在森田先生のラジオ講座を聴いているがこれが難しくて、ネイティブの人の発音が聞き比べられない。開口音も閉口音も同じように聞こえてしまうことが多い。一番の理由は電波状態が悪いことだが、耳慣れの問題もあるだろう。根気よく聞き続けなければなかなか分かるようにはならないみたい。

というようなことをつらつら鑑みるに、矢張りこのようなレッスンを受けることが重要なのだ。、、、で、本日久しぶりにレッスンを受ける。久しぶりにしては声が良く出ているとか褒めて貰えたが、途中余りに腰と膝が痛くなって椅子に腰かけてのレッスンとなった。ま、身体を使っているということの証拠かも知れない。、、それにしてもきつい。何をするにも体力だ。健康だ。

 

 

昨夜の練習では今度のサロンコンサートのダンサー達に振り付けというかウオーキングの練習を施したが、まあ若さだなあ~。飲み込みが早いこと。ちぇちの中でも若手を選抜して正解だ。多分、素敵にやってくれることだろう。これが我々の世代となるとこうはいかない。恐らくは数小節でストップだろうなあ~。いやはやいやはや、若井ってことは良いことだなあ~って、ご本人達はその価値を本当には理解してないだろうなあ~。なんでも、無くして初めて分かるんだ。

 

年齢を面白く扱かったドラマをこのところ連続して観ているが、「眠れる森の、、、」というあれだ。脚本が面白く、セリフにちりばめられた言葉が生きている。演じている元バレリーナーのええと、誰だっけ、あのシャルウィダンスの、、、周防監督の奥さんの、てなことは思い出すんだが、、、あの女優さんがとても自然体の演技でそのセリフを生かしている。

今余りに気持ち悪いのでネット検索したら草刈民代と出て来た!あ~スッキリ、と思いきや、にゃんと離婚か?との記事も。今日の昼番組で確かお熱い感じの話をしていたと思ったけどねえ。まあ、芸能界だからね~わかんないよねえ~。

 

 

さ、明日はFMだし、仕事の予約も。又一日が短いなあ。

2012年10月14日 (日)

お祭り。

衛星放送を何気なく見ていたら、「ホームカミング」なる映画がかかった。別に大した映画だとは思わないままぼ~っと見ていたが、終わり方が分かっているにも関わらずほろりと泣けて仕舞った。

ストーリーは至極感嘆。最後まで見て分かったのだが、舞台は東京町田市のようだった。新興住宅地として小さな町が出来て、それが段々年月と共に家族構成も変わっていき、子どもや若者が町から姿を消し、夢と希望に輝いて暮らしていたかに見えた住民達が、いつしか他人と没交渉となり、お互いなるだけ関わらない生活をするようになっている。これってまさしくこの辺のお話しだ。イコール日本全国にも多々あることだろう。

で、そこの自治会で、お祭りをやろうというお話しが持ち上がり反対勢力を押し切って年寄り組が決行する。それを後押ししたのが一度はこの町から消えていたが婦人警官として郷里に帰って来た若い女の子。色んな事件を絡ませながら最後はヤクザ屋さんまで巻き込んでの一大イベント、「手作りの祭」が行われるというもの。

幼い頃、無条件に祭に参加、生活の中に当たり前にあったものが、いつのころからか随分遠くなってしまったお祭り。遊びが少なかった時代の遺物かとも思うが、この映画の主張するようにホントは町の人々が手に手を取ってお祭りをやるというのは必要なことなんだろう。

実は私の住むこの地区ではお祭りが復活している。にもかかわらず、私自身は一度も参加したことがない。時期が上手く合わず、参加出来無いのが一番大きな理由だが、どこかに消極的な自分もいる。何を置いても参加ということにならないのだ。幼い頃の懐かしい雰囲気を大切には思うのだが、祭の質があの頃とは違う様な気がしているのも理由の一つだろう。

一方で、香川県の舞台を使うイベントは特にこの秋の季節凄い数だ。何しろ舞台を使いたいと思ってもどこのホールも空きがない。それほどに誰かがどこかで何かをやっている。つらつら考えるに、これも一種のお祭りなのかも知れない。地域の人とではないが、誰かと協力してある種のお祭り騒ぎをやっているのだ。

でも、この映画を見て泣けてきたのは、日本人としての奥深い部分にこの「祭」というものへの郷愁が根強く残っているからだろう。

映画は、色んなことを考えさせるなあ~。

 

昨日は陶芸教室に出かけて、およそ4時間ほどもいただろうか。対面教授で虫の声しか聞こえない静寂の中、ひたすら作品を創り続けたが、いや~、「習う」というのはホントに面白いもんだ。教えるより教わる方が絶対面白い。我ながら面白い作品が出来そうで、次回を約して帰路に付いたがその日が待ち遠しいくらい。土に触れるという感触が時間を経ても残っている。人生の後半でこんな体験が出来るのはホントにラッキーだ。夫に馬鹿にされながらも、これは永く続きそうな予感がする。

 

明日は短歌の歌会。さて、こちらはどうなるか。予想が出来ない。苦手意識が無くならない限り良い作品は出来ないような気もする。ま、継続は力だ。多分。

2012年10月12日 (金)

暗譜、私の場合。

本業をして茄子のからし漬けの下ごしらえをしたら。今日のお仕事は終わった感があり、義妹とお出かけすることに。ホントは全国規模の大会に参加するつもりが、ちょいと遅れたら席が一杯だと言われそれならばどっかへドライブでも行こうか、となる。彼女が行ったことがないというので丸亀は猪熊弦一郎美術館へ。企画ものをやっていたが、感動までは行かず、そこではお茶をして今度はお昼に宇多津まで戻り珍しい神社の境内にあるうどん屋さんへ。宮うどんなる物を、「量が多いねえ」と言いながら美味しく頂く。なにせお餅が2個も入っている。これは夕食まで充分持つなあ~と考えていると、「ああ、お腹いっぱい。夕飯が入らないわ~」とのたまう彼女。ここが違うんだなあ~。スリムなはずだ。

 

しばらくぶりに海岸線を走ったが、短歌の1首も浮かばない。高速道路を走って帰り今度はCOOP。今のところ買い物に出かけられるから余りありがたみが湧かないが、将来的にはこの自宅まで運んでくれるシステムは絶対必要だろう、、、。将来って、いつのことだろうなあ~~。

 

案外すぐそこだったりして、、、。

 

夜は久しぶりにジムへ、運動ではなく、お風呂と岩盤浴に出かける。個室に入って必死で暗譜したが、これがなかなか効率がよい。ホントは持ち込んではいけないのかも知れないが、歌詞のプリント拡大版を見ながら汗を拭き拭き覚えたことだ。なんだか、汗と一緒に覚えたことが出て行くような気もしたが、、、、。ペットボトル2本を40分の間に飲み干して外に出れば肌がツベツベになっている。これは良いなあ~。又やるべえ。

2012年10月 8日 (月)

音楽会のはしご。

芸術の秋。毎日のようにどこかしこで公演があり、行くのも疲れる。今日は邦楽と洋楽の両方だったが、これは面白い組み合わせかと思いつつ出かけたが、矢張り似て非なるもの。両方の良いところを聞き比べる作業というのもケッコウ疲れた。

個人的には邦楽のアト洋楽で、何かしらホッとした部分があるのは否めない。

それほどに異文化に慣れ親しんでいる自分というものに驚くが、実際、邦楽というのは日常からはかなり遠い存在となってしまった。幼い頃琴を習ったこともあり、父親は端唄長唄をよく歌っていたし、近所に住む三味線の師匠の所に連れて行かれたこともあったが、遠い昔の事となってしまった。よくラジオから流れてきた浪曲の、「旅ゆけば~~~駿河の国に茶の香り~~」「妻は夫を慕いつつ~~夫は妻に従いつ~~、、あれ?逆か。妻は夫に従いつ~~夫は妻を慕いつつ、、、だったか?」そんなのも耳にすることも口にすることもなくなってしまった。今は西洋文化にどっぷりだ。

 

あとで入場した弦楽の演奏会は、つくずく早くカラ行っておきたかったと思う程のものだった。丁度入ったときは岡山の演奏家グループのものだったが、以前番組にも出演してくれたマンドリンのSさんも海外から帰国しての参加だし、ある演奏会で同じ舞台に立ったことのあるピアニストさんも出演されていて、途中から入った会場は満杯の盛況だった。ナントか窓際の席に座れて数十分だったが落ち着いて鑑賞することが出来た。

ツタの絡まる窓から入る木漏れ日を受けながら、素晴らしい演奏を聴く至福のひととき。段々頭の中がスッキリしてくるのを感じる。、、、この会は6回目だそうだが、無料で実施されている。通常は喫茶店で、この時はオーナーのMさんが呼んできた演奏家の演奏を招待者に限り聴くことが出来る。従って、ひとえにこのオーナーの心意気と力による希有な演奏会だ。恐らくは海外ではこういうことは多々あるのかも知れないが、日本では、特に地方にあってはまず無いだろう。「良い演奏を、無料で皆さんに聞いて貰いたい」と一言で言われるが、これは大変な事だ。

世の中の公演が何故有料なのか。それは会場費や出演料が一番大きい。そこを全て一人の力で補うというのはなかなか出来るものではない。それに無料だからといって人が集まるとは限らない。このようにMさんには集客力もあるというのも凄い、といつも思う。恐らくはこのMさんの情熱が磁石のように人を惹きつけるのではないか。見ていると、一番喜んで鑑賞し、楽しみ、興奮しているのはこのMさんだ。これ以上の道楽は無いかも知れない。

 

フェルメールを観に行くと出かけた夫が帰るまでにと夕餉の支度に取りかかろうとするとコンサートのチラシ作成にMMさんがやってくる。いつもながら作業がはやくて、日常的にパソコンを使って居る人だと再認識だ。ついでにホームページを管理人に頼んで修正して貰ったり、フェイスブックの使い方を教えて貰ったり、、、、。あたしゃよろよろと時代の流れに着いて行く感じだなあ~。

しかしなあ、、、10歳も先輩のあのお方は、ツイッターもどんどんしているし、パソコンもしっかり使いこなしていらっしゃる。いや全く。ボケ防止にはなるのかもねえ~。もそっと頑張ってみるべえ。

猫の世界。

洗濯物を干していると、どこからか猫のラブコールの声が聞こえる。気にせずに干し続けたが、かなりひつっこくやっているので、バスタオルの影から覗いてみた。すると白い固まりに向かって、真っ黒ななが~い猫がしっぽを高々と掲げて求愛している。こちらには全く気付かずひたすら周辺を徘徊している。が、求愛されてる方はとうとう我慢の限界だったのか、くるりと振り返ったその白い猫が、明らかに、「もう~やめてっ!」の拒否反応の鋭い声。その猫は真っ白ではなく所々薄茶色の柄入りで、首が長く身体が大きくて、小さな顔の可愛いこと。「おっ!美人!?」と思わず声が出るほどの美しさ。そのわずかのこちらの声にハッと反応して、踵を返して軽やかに走り去ったが、その優美さは印象的だった。それに控えて、真っ黒な猫はまあなんともかんともだらしがない。「そんなこと言わないで僕と付き合ってくれよ~~~」的な声で身体としっぽをくねくねくね。立ち去られたあとも未練がましくニャ~ゴとやっていたが、とうとう諦めてとぼとぼとどっっかに消えた。

いやはや、今度のサロンコンサートで「Cats」を歌うからといって、何も本物の猫の生態を研究する必要は無いだろうに、根が好きだからつい、、、、。

あのミュージカルをNYで見たときは衝撃だった。大したストーリーではないのに最初から最後まで惹きつけられた。舞台が始まる前から客席の椅子の下から猫に扮した人が出て来たり、、、、。身のこなしはさぞや厳しい練習を積んだに違いないと思わせる素晴らしい動き。チャーミングな猫メークにいつの間にか、猫の世界を見ているのではなく、自分もあちら側に居た感じ。そんな中で「Memory」を歌った人が圧巻だった。身じろぎもせずに真っ直ぐに歌いきったその人はロンドンのオペラ出身のソプラノだった。余り意味が分からないままその美しい声に聴き入り、知らないうちに涙が頬を伝った。、、、あんな感動はその後も久しく味わってないなあ~。

 

いくら何でも取りかからなくてはにゃ~。

2012年10月 7日 (日)

クシャミ3回。

今宵丑三つ時の外の音。車少なく、虫の声のみ多かりき。いよいよ秋の到来と、思いながらも半袖の、Tシャツ着てのパソコンは、首をすくめて我慢する。明日は次なる季節の準備。あれしてこれして、、、ああ、いやだ。どうして季節は変わるのよ。一月前には出てこぬ言葉。勝手な人間代表してる。

 

東京でお嬢のライブに来て下さったAさんが今度は第九を歌いに高松に来られたというので、ランチをご一緒。しばし旧交を温める。一時期一緒に歌っていた方だけに、会話の殆どは歌のこと、声のこと。70代半ばになられるというのに若いお声とチャーミングな笑顔は以前とちっとも変わらない。私もこんな風に自然な感じに年を取りたいもの。美味しく食事を頬張りながら、あっという間に時間が過ぎ、再会を約してお別れする。「歌は人と人をつなぐ」とI先生はよく言っておられたが、ホントにその通り。有り難いことだ。

 

帰宅して予約の方をお迎えすると、この方が素晴らしくキレイなコスモスを持って来て下さる。早速活けると部屋がぱっと明るくなった。花は良いなあ。でもねえ、膝痛、と腰痛を理由に掃除が出来てない部屋に活けてもねえ~。、、、今日も反省猿だあ!

2012年10月 6日 (土)

脳ましい脳のお話し。

帰って来てからの多忙によって、危うくやるべき事を忘れそう、、、、ということが頻発している。先日、Dr.MATUIの「記憶」のお話しを聞きに行ったのが、さっぱり役に立ってない感じ。、、、とはいえ、昨日の岡山でのシャンソン教室の話題は、しっかりこの講座の受け売り。勿論聞いたことをかみ砕いて、自分に引き寄せて喋った訳だが、予想以上に反応が良かった。何を言ったか。

ボケを心配したり、元気な老後を考えたり、色んな思いの中で人々は暮らしているが、大切な点は、「自分が人様のお役に立っているかどうか」という言わば「自分の存在意義」を生活の中に見いだすこと。Dr.は言われた。「毎日ニコニコして暮らしているだけで、社会の為になって居るんです!」オオ、ワンダフル!そういうことなんですよ!

教室に来ている人の中に、シャンソン歌手になりたいと思っている人は居ないでしょう!?では何故こんな事をやっているのか?それは人生を潤いのある、充実したものとし、出来るだけ生き生きと元気に生きるための一つの手段だということ。Dr.は勿論そこんとこを学術的に説明してくれたけど、流石にそれを教室でご披露するのはためらわれた。で、こうしてかいつまんで(かいつまみ過ぎかも)話す時間を取ったわけだ。

我が家から外に出て、人と関わり、新しい事に興味や関心を持ち、学んだことに感動し、他人から認められたりすることが、幸せな人生への重要なキーワードだということだ。それによって前頭葉や大脳皮質が活性化し、記憶の力も快復していく、、、らしい。

これはちぇちの活動にもそっくり当てはまる。、、てえことは、ちぇちでもちょびっと報告してみるか。(忘れていなければ、というか、あの日配布されたハンドアウトがなくなってしまい、学術用語までは伝え切れないと思うなあ。)

 

Dr.MATUIという偉い先生は、この日我々一般ピープルを相手に軽妙洒脱な語り口で満場の人々を笑わせつつの2時間だったが、さすが押さえるところは押さえていて、何故研究者の道を選んだか、という自己紹介から始まった。「医者が生涯診られる人数はたかが知れているが、研究者なら、地球規模の人々を救う事も不可能ではない。」と思われたそうな。そして現在様々な病気の治療法に成果をあげられ、世界の特許もあるようで聞けば聞くほど凄いお方だった。う、う、う、、、こんな方とあんなに軽々しく冗談を言っていたのかと改めて反省猿。猿だけにまたすぐ忘れ、きっと変わらず冗談を言ってしまうだろうが、、。きっとニコニコとお許し下さるに違いない。てへ。

 

 

しかし、この多忙と記憶というのは関係があるんだろうか?毎日毎日なにやかやとあり、筆無精のくせに今日は手紙類を7通も郵便局へ。上京する前に届いてポンと放り込んだままの書類の中に、所属している団体への会費の請求書も出て来て、慌てて会計さんに振り替えを依頼したり。昨日から始まったラジオ講座イタリア語を聞くために移動が簡単なラジカセを購入しセッティング。何故か場所によってはNHKが聞こえづらい所があるためだ。

そうこうしているとお嬢が熱を出したと言ってくる。チビは大丈夫らしいが、こういう時離れているから落ち着かない。会話は、「子どもに夕食食べさせてよ。」「うん、良いわよ。」だが、勿論冗談。二人とも大きな溜息とともに電話を切ることになる。

やれやれ。

 

 

 

 

2012年10月 3日 (水)

ひさびさの我が家。

東京から今晩帰って来て、パソコンメールをチェック中だが、500件入っていて、その殆どが迷惑メール。スマホでパソコンがのぞけるようにしていったが、予想通りこれはこれで大変だ。第一画面が小さくて、メールを読むのも大変だ。若者の世界に足を突っ込んでいるのが悪いのか。ふ~っ。

 

今回の目的はお嬢のライブの集客の一助。そして友人のたっての願いで、スカイツリーにお付きあい。でもって、孫たち3人にご面会~。そのいずれもが何とかかんとか終わってホットしつつも、疲労感が付きまとっている。

 

しかし、スマホで遠隔操作が出来るという便利さで、ちぇちのサロンコンサートのあれこれも処理できたし、知るべき情報も一応知る事が出来た。、、、これはアチクシにとっては革命的な事ではある。

 

今回は訳あって、目黒で、銀座で、日本橋で、水戸で、と豪華に食べることが連チャンで、なんだか又又アレが増えたみたい!ご馳走もこう続くとあんまり美味しいと感じなくなってしまうなあ~。所詮はセレブにほど遠い人種であるという証拠だろう。あんな料理を毎日食べて暮らしている人達を羨ましいと想わなくなってきた。ゲップ。

 

ま、今日は久しぶりにゆっくり寝るとしよう。ず~っと2歳の孫べえと隣で寝ていたから、安眠できてないのだ。今朝なんか、うつぶせになったこの背中にこの子が乗ってきて、そそまま寝ていたからなあ~。「ばば亀の上に孫亀」状態。隣で母親が笑いを堪えている。起こすのも可哀想でしばらくそのまま眠ったもんだ。懐いてくれるのはとっても嬉しいが、体力がいるなあ~。

 

体力と言えば、我が家の悲惨な状況は目を覆うものがある。処分して行ったつもりの花瓶の花がすっかり枯れてドライフラワー状態。ゴミ箱の異臭は最小限始末して残りは明日だ。月末にホームステイを受け入れる予定で、又その準備にもかからなくてはイケナイ。

 

ま、ぼちぼちやるべえ。

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