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2012年9月 4日 (火)

完読。

昨日と今日で小田島雄志先生の、「このままでいいのか、いけないのか」という半自伝を読破。等身大の先生像を飾らず虚心坦懐に書いておられる点、共鳴する部分がとても多い。ご本人を知っているから余計なんだろうが、奥様の若子様とのエピソードもホントに楽しく読ませて貰った。

文学が、孤高のもので、一般ピープルとはかけ離れた存在だという、誤った(これは私の考えだが)思想を体験と研究とで打破しているところに最も共感したのだ。

これは奇しくも、音楽と無縁ではないと思う。クラシック、特にオペラとなると、シェイクスピア同様何だか敷居が高いものという観念があるが、どちらも下世話なお話しを題材にしているし、そこには普遍的な人間の営みが描かれているに過ぎないのだ。

この本に書かれてある、「アカデミック派」と「そこからずれてる派」が常に世間に存在していて、前者は後者を見下ろしているかのように思える。が、果たしてそれはどうなのか?という著者の価値観が生き方そのものに読み取れる。

そのバランス感覚故か、60年安保で、学生の敵となって対峙させられた頃のことも赤裸々に描かれている。他人に迎合するのでなく、自分自身の考えでその頃を生きて行かれたらしい。

東大には2度も辞表を提出されたとか。いずれも却下だったようだがその都度、奥様は平然とされていたというのも、あの方ならばさもありなんという感想だ。

別に専門の研究者を批判しているばかりではないし、著者の接したその道のオーソリティには人格者も大勢いたようだし、影響も受けてこられたようだ。例えば、この本のタイトルはかの有名な、「To be ,or not to be,that is the question.」を著者が独自に訳したものだが、この言葉の訳はホントに沢山あって、何かの本で一挙に掲載していたのを読んだことがあるが、面白い物だった。学者達はそれを命がけで訳してきたのだろうが、私なんかにはただ面白いもの。で、この小田島訳について、あの有名な英文学者中野好夫先生が電話をかけてこられて、「きみ、とうとうやりおったな。」と言われたというエピソードが書かれていた。それほどに、言葉というものに真っ直ぐに取り組む人種なんだ。この方々は、、。

 

だから、訳本と一口に言っても、その人によっては随分と違った物になり得るということだ。歌詞も同じ事。今日のちぇち練では、新曲の訳をみんなで考える時間を持ったが、一朝一夕に出来る物ではない。全体を理解して、その場を表現しなくてはならないのだから。その意味で、訳詞を付けるというのはもの凄い勉強になる。ボキャブラリーの豊富さも必要だが、詩的表現について最もエネルギーを使わなくてはならないだろう。だから面白いとも言える。、、、ここまでやるちぇちは色んな意味で、凄いじゃん!?

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