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2012年9月

2012年9月23日 (日)

湯冷めしそう、、、。さぶっ。

昨日から出張でやってきた婿どのと、昨日はうどん屋はしご。今日はB温泉に明るい内から行く。まあ温泉日よりというか、涼やかな風も吹き、澄んだ空気を味わいながらの露天風呂。ぬるぬるのお湯で、肌がつるつる。幸せ~な気分。簡単なものだ。

お嬢の指令で、そのアト某レストランへ。野菜の多いヘルシーメニューと、にゃんとデザートはホットケーキ。美味しかった!

思考回路も嗜好も似ている二人は、時間と余裕があればこうして時間を共有出来るんだ。我が娘ながらよくぞこんな人と結婚してくれたもんだと、、、。

 

彼がお仕事中はこちらもお仕事。ご主人が闘病中の奥様が久しぶりに来店されたが、いろ~んな話しで盛り上がる。特にご主人との病院生活は微笑ましい。看病疲れでうたた寝していると、ホントはご主人がやって欲しいことがあったとか。目覚めるまでそれが分からず、「身体が不自由だから、、、可哀想で、、、」などと、あくまで優しい奥様。こんな風になれるだろうか、、、自問自答だ。そして、ホントの別れが来たときのことを考えずには居られないとも、、、。私よりもいくつか年上のこの方。それほど遠くない時期にその時を迎えることになるんだろうなあ~。どんなに仲良しの夫婦でも、いつかは別れの時を迎える。が、その日まで、そうしてお互いをいたわり合いながら過ごせる人は、幸せなんだろう。我が母は、16年間父の面倒をみて送ったが、その頃が一番楽しかったとのたまう。

 

明後日から上京するが、こう涼しいと着ていく物に困るなあ。全く何も準備してないが、薬だけは忘れられない。ぼちぼち取りかかるべえ~。

2012年9月22日 (土)

夏、ようやく終わるか?

急に涼しくなって、なんだか身体がだるい。夏の疲れが出て来ているんだろう、と思う。が、この気持ちに流されていると歯止め無くどこまでも落ちていきそうで怖い。

と考えて、夕べは二度目となった陶芸教室に出かける。家を出たのが午後7時半。帰宅は11時を廻っている。高速は行きも帰りも車が少なく快適な運転。サラ・ブライトマンの歌を大音量でかけながらすいすいと走る。

教室は周辺に田んぼがあり、虫の声を聴きながらの作業だ。懇切丁寧に教えて貰い、かなりの作品が出来ていくのは至福の時間だ。つい根を詰めすぎて、終わったらがくんと疲れを感じる。

なんせ昼間孫べえに、「みっちゃん、なめくじみたいなの、うまく出来てる?」と泣ける電話を貰ったからなあ~。リベンジ、リベンジ。

 

毎日のようにフェイスブックの「お友達になりましょう」メールが入るなあ。今日は全く知らない人から入って来た。友達の友達の友達ってことか。しかし、その人のページを開いてみると、なかなかに面白いご意見を持っている人だと分かる。物事の見方や角度が様々な人が居ることに思い至り、これはこれで面白い。がさあ、アチクシの場合今後どんなことになるか、、、。

今日はニュースになって居たなあ~、オランダかスエーデンだったが、お誕生日にフェイスブックを使い数名を招待したつもりの少女の家に、数千人の若者が集まってしまったとか。もちろん、これは悪さをした人が居るんだが、こういうのを聞くとやな感じ。何でも使い方だし、悪い人間は必ず居る。これを避けるためには触らないのも一つの選択肢だろう。

「繋がりたい」一方で、「繋がりたくない」人間模様。色んなところで矛盾が起きているなあ~。

2012年9月21日 (金)

人形劇。

不思議な芝居を観た。プークという人形劇団の「四谷怪談」だった。

このような劇団があるのは知っていたが観るのは初めて。前から3列目で一幕見て、こりゃあダメだと休憩から後ろの席に移動。ようやく全体像が見えた。

人間の半身大の大きさの人形を後ろで黒子として使いながら、セリフを役者として喋るという仕掛け。

が、申し訳ないけれど何故人形なのかが、最後まで分からなかった。表情が無い人形を操るにしては余りにぎごちない。(観客の想像力に期待しているのか)人形の寸法も何故その大きさなのかが分からない。全部宙ぶらりん状態で動くから、幽霊との境目がない。

人形という非現実的なものを使って芝居することの意味が最後まで分からなかった。個人的には人形浄瑠璃の方に軍配を上げたい。もう少し丁寧に舞台を創って欲しいかな?勿論見方を変えると、従来の人形劇から脱却して、人形を大きく作り、人形の世界観を広げることには成功しているだろう。、、、けれど、操りながらセリフを喋る人、その人が顔を出して表現するのでは何故いけないのかがイマイチ分からない。いずれも声が素晴らしく、朗読劇でも充分通用する人達だったから個人的には残念感がぬぐえない。

舞台としては良いところが沢山あって、流石有名な劇団だけのことはあると想ったが、、、。特にシンプルで計算された美術には感嘆。三遊亭円朝の亡霊が話しを引っ張っていくという構成も面白い。転換にやや甘さが観られたのは旅公演の宿命か。、、、とかなんとか言いつつも、結局は楽しんでいたんだ、この仮想空間を。

でも、帰りのロビーで人形を写真に撮る人を横目に、「ああ、お腹が空いた、、、。」と考えながら駐車場へ。母を病院に連れてったり、どたばたしていて夕食食べずに出かけたのだ。観劇のアト食事に気持ちが走るのは珍しい。な~んてね。

2012年9月19日 (水)

今日の驚き。

その一)昼間のレッスンタイムも終わり、師匠をお送りして県外から帰宅した夫の食事を整え、ちょいと一服、とばかりユーチューブをぼんやり覗いていたら、80歳の素敵なお婆ちゃんがメチャクチャ凄い歌唱力を披露していた。例のあのスーザンボイルを生んだコンクールの出場者だ。シャンソンからジャズまでを聴いたが声の迫力といい、音程の正確さといい、表現力の豊かさといい、おろろきもものきさんしょのき。お若い頃はざぞや美人だったろうと想像できるお顔でとっても魅力的。審査員もしきりに若い若いを連発していたが、、、80歳まで歌えるなら、まだかなり行けるなあ~と密かに考えていた。

こいうコンクールは良いなあ~。、、、にしても、観客はあまりに日本人とかけ離れている。歌の途中だろうがどんどん拍手するしスタンディングオーベーションもどんどんやる。ま、コンクールという特異な舞台で、応援声援が必要なのかも知れないが、、、、。

 

 

その二)昨日は夏ばてかむち打ちかで気分も優れず一日中引きこもっていた。で、今朝のこと。水道の検針の人が車が邪魔していて計れないと言うので表に出て車のドアを開ける。助手席を見てあまりの驚きで一旦外へ出たほどだ。、、、何かというと時間は一昨日にまで逆戻りだ。同窓生でリタイア後実家の家業の農業に精を出しているという人からお米を譲って貰う事となった。で、車に積み込んで貰ってふとお庭を拝見すると、沢山の花が一杯に咲き誇っている。余りに見事だったので、「凄い、キレイねえ~」と感嘆するとその友人が、「いくらでも切って持って帰っていいから。」と言ってくれ、はさみまで持って来てくれるので、思いっきり沢山切らせて貰った。余りに多いので箱にまで入れてくれたほどだ。そこから二件ほどお裾分けして帰宅してから、いくつもの花瓶にさして家中を花で一杯にした。久し振りに花を生けて気分も良く、彼の言った一言をすっかり忘れて居た。「虫がいるかもしれん。。。」

で、今朝車の中で発見したのが、助手席の半分を占めている「蜘蛛の巣」とその真ん中で糸を紡いでいる最中の大きな蜘蛛。ギョッとして一旦外に出たがまたすぐに座り直して車を移動。しげしげとその蜘蛛の巣を見ていたが、これは処分するしかないとそこにあったティッシュで捕獲。その間にもニュースで知ったあの毒蜘蛛ではないかとヒヤヒヤモノ。、、、この時、確かに退治したと思うが、そのアトず~っと首筋やら背中がかゆくてかゆくて。さっきお風呂に入ってようやくホッとした。今考えているのは、明日又別のが巣を張ったりしてないだろうか、という心配。こりゃあ掃除機が必要かもねえ。、、、なかなか自然とは共存できないなあ~。

2012年9月17日 (月)

雨の日の宴会。

昨夜は久しぶりに楽しい飲み会で、生中3杯飲んじゃった!!プラス若者エキスをたっぷり吸収させて頂いた。上昇志向の強い若者の話は勢いがあり、聞いているだけで愉快になる。現在の地位を確立するまでには彼なりに紆余曲折を経てきているようではあるが、最近の若者特有と思われるセリフ、「何も考えてなかったんです。漠然とこう出来たら良いなあ~と思った事が現実になっただけです、、。」なんぞという謙虚さ。彼の中の美徳の一つ、人の話を真剣に聞くという姿勢はこれからも彼を助けていくことだろう。こういう若者の力で、世の中に活力が生まれる。

総勢10名ほどで、会議から流れたのだが、ここでも最高齢者だ。最近どこへ行っても最高だ。ま、良いけどね。

さっきも孫べえから電話があり、携帯からで聞き取りにくく、「敬老の日がね、、、」とは聞こえるものの何を言ってるのかと思いきや、分かってみれば敬老の日だから電話したということらしい。敬老と言われて、全くピンと来ない自分がおかしくて、ゲラゲラ笑ってしまう。

 

ところで、昨夜の会議でフェイスブックの効用をさんざん説かれて、ついその気になって活用を始めた。が、いつまで続く事やら。アドレスをパソコンにしているが、これをもしスマホにしたらしょっちゅうスマホにかじりついてないとイケナイだろうと思うと、その勇気がない。早速続々と反応が届いていて、中にはおお、懐かしいという人も居る。確かに友人のその後を知るにはこれ以上の物は無いだろう。初心者中の初心だから、これからぼちぼちページを完成させなくては、、、、って、これもけっこう面倒だなあ~。やっぱり若者について行くにはエネルギーが必要だなあ~。

2012年9月15日 (土)

敬老の日。

老いを敬う、ねえ~。

今日はそれに相応しい一日だったか、、。

 

珍しく今日は手帳が空白の日。と思ったら近くのご老人から送迎付きの仕事依頼のお電話。勿論、仕事上の敬老の日は365日。馳せ参じることに。で朝のお仕事を終え午後になってからは、れっきとしたご老人の母の施術。今夜はある会議に続く宴会があるから出かけるついでに母を送ろう、と思ったときに飛んで火にいる夏の虫。友人Kが用事で立ち寄ったのを良いことに、今夜のお出かけは近くの駅まで夫に頼んでいたのを、キャンセルし、母も私も彼女に送ってもらう。しかもアチクシは瓦町まで。気の良い友人はホントに有り難い存在だ。

が、「有り難う」と車を見送って目的のビルに入っていくと、妙に暗い。エレベーターで上に上がると会議の主がビックリした顔で迎えてくれる。その顔を見て初めて間違いに気付く!「わあお、きょうじゃなかったのよね!?」「そうです、あしたです~~~」と大いに気の毒がってくれる。照れ笑いしながら、「こういう年ですから、、今日の敬老の日に相応しいでしょ!?」なんぞとごまかすごまかす。その勢いで、何故か帰りは階段だ。その階段に電気を付けてくれて、「お気をつけて~~~~」と見送って貰って、、、、ガックリ。何故か文句も言わず電車の駅まで迎えに来てくれた夫は、早くもパジャマ。どうやら作ってきた夕食を食べてさっさと寝ようと思っていたらしい。ま、このところ夫の飲み会行きをよく送ってるからなあ~。

しかし、朝起きたときは今日は空白だ、と思っていたのに、どうしていつのまに予定が入ってると思い始めたのか。「予定恐怖症」かもしれないなあ~。

一番残念だったのは化粧して出かけたことだ。初めてお会いする人が多い会議だったので、ちょいと丁寧にしたのになあ~。無念。明日までこの気持ちが持続できるかどうか、、、。

それにしても送ってくれた友人こそえらい迷惑だ。道中、「お互い自分が年取ったとは思えないよねえ~。50代くらいと思ってるよねえ~」と話しながらだったんだけど、、、現実は厳しい。

2012年9月13日 (木)

お疲れモード。

このページに最後に書き込んでから5日が経った。この間イベントずくし。ミニ同窓会、歌会、シャンソン教室、ちぇち練に一泊旅行、で明日は岡山で、帰宅してからとある所にお勉強に行く予定。次の日はFMの収録で、週末はカルチャーの大発表会の打ち合わせと宴会、、、毎日毎日鉄板の~上で焼かれる鯛みたい。あっちちあっちちと言いながら動き回っているなあ~。手帳が次々と埋められていく恐怖。空白の日が明日から月末までに二日しかない。信じられない。

まあ、そんな中でちぇちのコンサートも段々形になってきたし、カルチャーの発表会も徐々に前に進み始めた。、、、が、自分自身の歌に取りかかれない。、、、これも恐怖だ。

 

久々の小豆島旅行は秋風を感じる初日から再び暑い夏日となり、殆ど名所らしき所も行かず、評判のうどんを食べ、エンジェルロードなんて砂浜を歩き、大阪城残石記念公園なんぞというところに行くのがやっと。元気印のオバタリアン達6名もイマイチ調子が出ないまま帰宅。買い物だけはしっかりしたのは流石のオバタリアンだ。しかし1台の車で移動できるだけまだましかも知れない。その内それも叶わなくなるだろうねえ。

便利なのかなんなのか。途中で電話が鳴る鳴る。

 

流石に疲れたなあ。

2012年9月 8日 (土)

ものの見方。

NHKで先日母と観た映画の主演、高倉健のその人となりを紹介する番組を観た。実際は思っていたよりかなり饒舌な人という印象だった。あの映画でちょっと喋らせ過ぎ?と想ったのは、むしろ実像に近かったのか。

番組では俳優としての哲学を彼自身の言葉で喋っていたが、それは全て納得できるものだった。画面の中での佇まいににじみ出ているオーラは矢張りそこから来ているんだろうと思った。この人のことを好きだという日本人は多いだろう。女性はそこに男らしさの一典型を見るだろうし、男性はある意味理想の男性像を見るのかも知れない。

今日の話しでは、任侠もので一時代の映画界を凌駕した彼が、その虚像から逃れてそれまでの会社を辞め、何もかも自分の意に添う映画にのみ出演することを決めたとあったが、そういう生き方そのものに憧れる人も多いだろう。実際そういう人生観にマッチした作品に沢山出演している。かく言う私目はあまり見てないのだが、何本かは記憶にある。「黄色いハンカチ」や「あ、うん」なんてのも良かったし、田中裕子との競演で他にも良いのがあったと記憶している。

、、、しかし、いつの間に81歳。

この年齢は、俳優にとって、いや、この人にとって残酷な気がする。いやいや、そうではなく、今回で言えば路線がちがうんじゃないの?と言いたくなるのだ。

格好いい二枚目、的な存在でなくても、彼を充分生かす映画はあるはず。今回見た映画では、どうしても老いが目立ってしまい、残念な気がした。実像は81歳であんなに素敵なんだから、それをそのまま映画にすれば良い映画になると思うのだが、、、。共演の大滝秀治は6歳年上で、「かくしゃくたる老人、あくまで老人」をキッチリこなしていたんだもんねえ。

ここが、映画と演劇の違いだなあ~。杉村春子という人は、80だろうと10代の娘を演じられた訳で、舞台は演技力や所作なんかで若さを表現できるが、映像はそのまんま。それでも多分カメラマンによってはもっとカバー出来たかも知れないと思うが。

 

脚本の工夫ってのも、気になった映画だ。言いたいことは分かるけど、彼の滑舌としゃがれ声にも配慮が欲しいところだった。少ない会話の大切な言葉が聞き取れないところがままあり、他の俳優さん達の中で沈んでしまう。まあタケシの役は、しゃがれ声でもいけるんだろうが、、、。(しかし、棒読みだったなあ~タケシくん)

 

この映画の中で一番光っていたのは田中裕子だったと思う。あの自然さ。美人ではないのかもしれないが、印象に残る。彼女が歌うのを初めて聞いたが、宮沢賢治の作詞作曲という不思議な曲を、「歌手」として刑務所の慰問や山上でのイベントで歌う。歌手というには余りに素人っぽかったが、映画の中では効果的に使われていた。この使われ方は丁度今の大河ドラマで松田聖子が歌っている「遊びをせむとや生まれけむ~~」というアレに似ている。

 

なんだかんだ言っても、映画って、面白いなあ~。ね、Tさん。

 

と、ここまで書いて出来心で公式ホームページに出ていた一般の人々の感想を読んでみたら、余りに賛否両論たくさんあって一部しか読めない。ざ~っと目を通したら、極端にダメな作品、というのもあり感動したというのもあるようだ。コレを読むと、ものの見方というものが色々あるということがよく分かる。、、、だから本は売れるし、映画に行く人も居る。これで良いんだ。

省エネ、終わり?

今宵の会議室も寒かった。予想通りで準備していった上着やソックスが重宝した。私だけでなく、他の人達も長袖の人が多い。外は雷雨。温度が下がっていても関係なく冷やされている。

先日の映画館も、流石にもうあれ程は寒くないよね、多分、、、、と言いながら入ったが、案の定寒い。

 

今日のニュースでは、各電力会社が皆様の節電のお陰で不足することなくいけましたと記者会見していたが、節電が十二分に行き渡っていたとは思えない。日常生活の中では、まだまだ節電できるところがあるような気がする。それでもOKだったのは、原発依存の必要性がますます問われるだろう。誰だったか、、、歌手が、「たかが電気でしょ!?アナタの命と引き替えにする必要がありますか?」と訴えていたが、、、そして国もどうやら原発0に、いずれそこに照準を定めようとしているかに見える。これからどうなっていくのか。東北の人々が何の不安もなく大きく深呼吸出来る日がホントに来るんだろうか。

 

 

虫の声が日々大きくなってきた。

2012年9月 6日 (木)

不幸を越えて、、、。

オンデマンドさまさまのこの頃。今日は「花は咲く」の特集を見た。昨晩はジムだったので見逃したからだが、予想通り涙無くしては見られない番組だった。あのピアニストの辻井くんが中学まで出向いて初めての合わせの時、大勢の中学生が会った途端泣いたのを見て私も泣く。あの子達の涙はどういう涙だったんだろう。一人一人違うかも知れない。きっと違うんだろうと思う。中には、こうして日本を代表する凄いピアニストに間近で弾いて貰えるという感動の涙もあったろう。辻井君からの優しいメッセージに胸打たれた子等が多感な年齢故に押さえきれない涙を流したのかも知れない。そして、そうなる過程の最初にはあの震災があり、陸前高田市の彼らには家族や親類友人を亡くした結果そこに立っているという自覚も湧いてきたかも知れない。

番組のテーマは花の力、というようなものでまとめていたが、確かにそれもあるとは思うが、私は矢張り音楽の力の方を強く感じた。同じ歌詞を歌っていても、一人一人の思いはそれぞれ。その違う思いを同じメロディに乗せて声を合わすことで力が生まれる。自分以外の声を聴きながら歌うことで、その力は相乗効果を伴ってより大きく響いてくる。

この曲を我々も11月に全員で歌う。若者から提出されたこの楽譜は、今やちぇちの全員の心を一つにしようとしている。、、、小さな小さな支援の気持ち。この日のお客様と分かち合うことになるだろう。頑張って練習しなくては。あの中学生を見習って。

それもそうだが、泣かずに歌えるか、、、、?

 

 

兼ねてから訪問したいと思っていたある施設に夫婦で出かけた。入所している方のお見舞いを兼ねて、新しいシステムのその施設のことを知りたいと思ってのことだった。肝心のその方はデイサービスにお出かけ中で会えなかったが、オーナーの女性がまあお茶でも召し上がって下さいと誘ってくれるので図々しく上がり込んで美味しいコーヒーなど頂く。リビングの外にはゴーヤがたわわに実り、涼やかな風を運んでくる。

実はこの施設の噂はかなり前から聞いてはいた。たった7名しか収容できない、あくまで家庭的な施設。「出来るだけ普通のお家にいるように過ごさせて上げたいと思って、、、。」とはそのオーナーのオコトバ。なるほど、そこに同席されたあるお年寄りがどうぞそうぞと言ってくれるのでお部屋も見せて頂いたが、家具は全て作り付けでシンプルな中にも自然な落ち着きがあり、広い窓からは外の緑がよく見える。その方はパソコンをされるようで、小さなテーブルには書きかけの手帳や読みかけの本と共にキーボードも鎮座まします。凄い。一目で教養のあるご年配の方、という感じの方だったが、、、。一件のお家のモダンなおばあちゃんのお部屋、という感じ。殆ど老人ホーム的な雰囲気がないと言って良い。

地域の一人暮らしの方々にもお食事を提供するという画期的な構想は、ギリギリ収支がとんとんになるための方策でもあるらしい。経費は出来る限り押さえて、気持ちよく老後を過ごすことが出来る様、考えに考え抜いてのある意味理想の施設だった。

夫が、「いやあ~僕もスグにでも入りたいくらいです。」と言うと、「残念ですが、女性専用ですので、、。」と言われている。「女装してもだめですかねえ?」等とアホなことを言う夫に、「その内男性専用が出来るかも知れませんよ。」とオーナー。どうだろう?それって、、、、他の老人ホームに勤めている友人が居るが、男性はとかく面倒だと言っていた。わがままな人が多いし、乱暴だし、、、。勿論女性にも難しい人は居るだろうが、概して上手くやれそうな気がする。

又出直しますと言って、玄関で見送られて外へ出ると、木造のテラス周辺には花が咲き乱れ、癒しの空間が出来ている。お訪ねした人はご主人を亡くされたあと病気になってしまい麻痺が残ったが、こんなところで居られるなら安心だ。でも7人だからねえ。勿論今は満杯だし。簡単に入れる場所ではない。

でも、老後に一筋の光だ、、、。

2012年9月 5日 (水)

おひさしぶ~り~ね~。。。

前回いつプールに入ったか全く覚えてないが、おそらく1ヶ月前なんかではない。恐らくは3ヶ月振りくらいだろう。それでかどうか今夜久しぶりに行くと、顔なじみの受付嬢が、にこやかに迎えてくれたがどうもそれ以上突っ込んでこない。以前なら、「どうされたんですか?体調がお悪かったんですか?、、、??」等と色々聞いてくれるんだが、それは逆効果と思ったのか、ひたすらニコニコと愛想が良いだけ。帰りも普通に、「お疲れ様でした。お休みなさい」と言われただけ。おかしなもので、以前はうっとうしいと思っていた彼女の言葉のあれこれが、無ければないで寂しい気がする。もうこの人に何を言っても無駄か、、、と思われているのかも、な~んて余計な考えが頭をかすめる。人間て、いや、私ってあまのじゃくなものだなあ~。

ひたすら会費のみ支払っていることを指摘する、夫の出がけの駄賃の言葉に腹立ち紛れの長時間滞在(!)岩盤浴にも入ったが、全く汗が出ない。身体が冷え切っているのかも知れない。お風呂にもしっかり入ったが、その間に友人からの電話が何回か入っている。

その内の一つは同窓会がらみのもの。大阪やら岡山で、いろいろ企画が持ち上がっているらしい。みんな凄いなあ~。今のところそちらは顔を出すのが精一杯。この週末も早速行かなくてはイケナイ。

 

今日は久しぶりの事をもう一つ。

母を話題の映画、「あなたへ」に連れて行ったのだ。マスコミで随分報道されているから、母も知ってはいた。お涙頂戴の映画ではなく、(人による)けっこう淡々と描かれていて、そのため現実感があり、良い作品に仕上がっていると思う。ただ、アチクシ的には、前半は良かったが、後半は、、、、先が読めすぎてイマイチ。前半は、主役の高倉健の無口無表情が返って涙をそそる。

見終わって母の言葉。「高倉健は相変わらず無口やなあ~」「いやいやお婆ちゃん。いくらなんでも台本に無いセリフは言えないから。」「そりゃそうや」ゲラゲラゲラ。となる。

帰宅して夫に映画のことを話して、「奥さんが無くなったアト、一人でキャンピングカーで奥さんの故郷まで旅行するのは良かった。私もお父さんが亡くなったらそうするからね。」と言うと、「え?塩江まで?」と来て大笑い。何が悲しくてわざわざキャンピングカーで塩江まで行かなくちゃいけないのよ!と叫びつつおかしくて仕方がない。「だから、一人でそういう旅をするのが良いと思っただけ!」と言うと、「お母さんにそんなこと出来るわけ無い。」と断言する。、、、やっぱり夫婦って、お互いのことを理解してないなあ~。これって、私の昔からの夢なんだけど、、、。旅の途中で温泉に入ってみたり、知らない土地で美味しい物見つけて感激したり、、、、いろいろ楽しい事に遭遇しそう。昔から一人旅は大好きで、海外さえ一人で旅した私だのに。わかっちゃないねえ~。

アンタ、私の何なのさ!?ってね。

時間よ止まれ。

と言いたくなる時間の過ぎ方だ。つい先日短歌の締め切りだったと思ったら、もう次の締め切りが明後日になっている。今回は3首だが、夏ばてでぼ~っとしていたら今日が何日かさえ定かでないため、うかうかと今日を迎えてしまった。(いつものこと)(珍しくもない)(自分への言い訳も何時もと同じ)(ようするに全く成長してない)(というか、日々退化している)

、、、肝心の短歌が浮かばず、ざわざわと脳の中を反省虫が動き回っている。、、、これを後悔と言うのだろう。

 

今日は夫に誘われて、彼の行きつけのうどん屋へと2台の車で出かける。まあ、ここがよその夫婦と違うところだ。それでも夫の勧めるメニューを注文して一緒に頂くという、我々にとってはチョー珍しい光景がいつまでも続く暑苦しい夏に相応しく繰り広げられた。「スペシャルぶっかけ」なるものはたださえトッピングが凄いのに、夫は、「極めつけだ」とか言いながら、まだ大きな揚げをバサッと乗せてくれる。あとは二人ともひたすら食べる食べる。別に取ったこんにゃくおでんは余分だったなあ~。まあ、美味しかったけどねえ。それにしても讃岐は良いとこだ。簡単に満足させて貰えるもんねええ。

 

それぞれ次なる目的地へと別れて、あたしゃとにもかくにもお腹を空かせたくてショッピング。9月からの手帳という見出しに曳かれて早速それとボールペンを購入。あとは銀行など廻って、出来心で以前から欲しかったバッグを購入。又お嬢に馬鹿にされそうだが、、、、「ホントに定まらないひとねえ~」と。「バーゲンだったから良いじゃん!?」と言おうと、言われた時の返事まで考えてレジへ。新しいバッグはちょっと良い気分にさせてくれた。

最後の買い物は本日の夕食の具材。今まで買ったことがない大きなお魚と、今まで買ったことがない量の少ないお肉のパックをカゴに入れ、これ又今まで買ったことがない少量のお米を買う。東北支援と思ってだが、実は友人のペンネームDON百姓からこの週末に玄米を購入予約してある。それまでのつなぎなのでただの3キロ。ちゃんちゃらおかしい支援だ。

、、、この買い物はこのところの我が家の食事形態を示している。なるべく魚を採る。肉を少しに、、、で、今宵も蒸し料理だ。これがケッコウ行けるんだなあ~。自己流でソースを創りそれで食べたが、なかなか良い。馬肥ゆる秋が近づいて来てるからねえ~~。ヨウジンヨウジン。

2012年9月 4日 (火)

完読。

昨日と今日で小田島雄志先生の、「このままでいいのか、いけないのか」という半自伝を読破。等身大の先生像を飾らず虚心坦懐に書いておられる点、共鳴する部分がとても多い。ご本人を知っているから余計なんだろうが、奥様の若子様とのエピソードもホントに楽しく読ませて貰った。

文学が、孤高のもので、一般ピープルとはかけ離れた存在だという、誤った(これは私の考えだが)思想を体験と研究とで打破しているところに最も共感したのだ。

これは奇しくも、音楽と無縁ではないと思う。クラシック、特にオペラとなると、シェイクスピア同様何だか敷居が高いものという観念があるが、どちらも下世話なお話しを題材にしているし、そこには普遍的な人間の営みが描かれているに過ぎないのだ。

この本に書かれてある、「アカデミック派」と「そこからずれてる派」が常に世間に存在していて、前者は後者を見下ろしているかのように思える。が、果たしてそれはどうなのか?という著者の価値観が生き方そのものに読み取れる。

そのバランス感覚故か、60年安保で、学生の敵となって対峙させられた頃のことも赤裸々に描かれている。他人に迎合するのでなく、自分自身の考えでその頃を生きて行かれたらしい。

東大には2度も辞表を提出されたとか。いずれも却下だったようだがその都度、奥様は平然とされていたというのも、あの方ならばさもありなんという感想だ。

別に専門の研究者を批判しているばかりではないし、著者の接したその道のオーソリティには人格者も大勢いたようだし、影響も受けてこられたようだ。例えば、この本のタイトルはかの有名な、「To be ,or not to be,that is the question.」を著者が独自に訳したものだが、この言葉の訳はホントに沢山あって、何かの本で一挙に掲載していたのを読んだことがあるが、面白い物だった。学者達はそれを命がけで訳してきたのだろうが、私なんかにはただ面白いもの。で、この小田島訳について、あの有名な英文学者中野好夫先生が電話をかけてこられて、「きみ、とうとうやりおったな。」と言われたというエピソードが書かれていた。それほどに、言葉というものに真っ直ぐに取り組む人種なんだ。この方々は、、。

 

だから、訳本と一口に言っても、その人によっては随分と違った物になり得るということだ。歌詞も同じ事。今日のちぇち練では、新曲の訳をみんなで考える時間を持ったが、一朝一夕に出来る物ではない。全体を理解して、その場を表現しなくてはならないのだから。その意味で、訳詞を付けるというのはもの凄い勉強になる。ボキャブラリーの豊富さも必要だが、詩的表現について最もエネルギーを使わなくてはならないだろう。だから面白いとも言える。、、、ここまでやるちぇちは色んな意味で、凄いじゃん!?

2012年9月 3日 (月)

第32回Cantiamo終了。

本日は予定通り滞りなくプログラム16番までこなすことが出来た。今回が32回とは、ちりも積もれば山となる。みんなそれぞれ回を追う毎に成長していて、今日久しぶりに現れたA氏の、「お世辞でなく、皆さん上達していらっしゃるのに感心しました。」と言われるのも頷けるというものだ。

自分自身は四重唱のみで、遂にソロを歌わずじまいではあったが、まあ、司会に免じてお許し頂こう。重唱はホントに勉強になるし、練習も楽しい。今後の全員の課題だろうなあ~。これは大昔からT会長のスローガンだったが、ようやくここに来てその思いが叶いそうだ。

それにしても、こうしてみんなソロが歌えるようになってきたのに、それだのに、ちぇちの練習時にそれが使えないのはどういう事か!?技術というのは、ただ磨くだけではダメで、様々な場面で試練を受けてこその上達だろう。

このCantiamoという会は、I先生の情熱のたまものでここまで来ているが、そこで終わらず、ステップを踏んでいくべきだろう。人前で歌う事をやっているといないでは、その伸びた方が断然違う。慣れ親しんだ人々の前だけでは、一段の飛躍は望めないだろう。

 

帰宅してからごそごそとパソコン周りを整理していて、小田島雄志先生の「半自伝、このままでいいのか、いけないのか」という本が目に付き読み始めたが、もうもうメチャクチャに面白く、声に出して笑いながら読んでいる。一気に半分くらい読んだが、ボチボチ寝なくてはイケナイ。、、、この方のユーモアのセンスは抜群だ。それは即ち言葉のセンスだ。シェイクスピア全巻の翻訳という偉業を成し遂げた方だけあって、かつては詩人を目指していたらしい。残りも楽しみだなあ~。

先日I先生のシェイクスピア講座のあと、「何故イギリス文学をやろうと思われたのですか?何故シェイクスピアだったんですか?キーツに至った訳を!」と随分追求されていて、私自身も是非聴きたいと思っていた矢先のこれ。次回の講座ではお話しして下さるようなので、比較が出来て面白いことになりそうだ。

それにしても小田島先生は大学時代から周辺に日本を代表する学者や芸術家がうようよいて、羨ましい環境だったようだ。かなりの貧乏生活をされていたようで、(当時はそれがあたりまえ)授業料でヴァイオリンを買ったものの、やむなくそれを売り払い今度はT・Sエリオットなど買いあさったようだ。文学の前に音楽に随分入れあげていたようだ。ここら辺もI先生に似て居るなあ~。

 

今メールを見たら、にゃんと遊びで入札したテレビが落ちてしまった。さあ、どこへ置こうかなあ~。あまりにテレビを見ない人なので、誰かが当ててくれたのかなあ~。

2012年9月 2日 (日)

自分に甘いアチクシ。

そりゃあ仕事も一応してる。仕事以外の仕事もあり、手抜きながら家事もしているし、子や孫のため余計な世話もしている。母も折々に連れ出してケアしているつもり。、、、が、明日はCantiamo。という今日になって、まるで泥縄式の自主練だ。「あんた、そんなんで良いの?」という内心の声に耳を塞ぎ今宵だ。ようやく楽譜とにらめっこして、早口言葉のような部分を何度かなぞってみる。こりゃあ、明日は無理かな?と思うところまでやって、只今諦めたところ。あ~あ。

 

お嬢が帰ってから随分時間が経ったにも関わらず、「送ってね」と言い置かれてあったオモチャをよやく今日になって丁寧に包装して送った。それだけで疲れた。

友人が忘れて行ったピアスを他のものと一緒に箱詰めしてあったものも、1週間も経って今日一緒に送った。

、、、、こういうことに何だかエンジンがかからない。これは一体何なのか。関東の友人に、「夏バテ中」とメールしたが、、、。

 

昨日FM収録中に見つけた「うまいもの市」で、友人からのリクエスト「おまんじゅう」を買っておいたのを今日になって届けた。その時買った母の好物「赤飯」も冷凍しておいて今日だ。

どうも以前の自分と違うなあ~。何もかもが一拍置いて進んでいる。まあ、一応進んでいることを喜ぶべきか。

しかし今日は友人でサラリーマンを終えてお百姓さんしている人から、お米を譲って上げるという電話がかかる。彼は頑張ってるなあ~。この異常な暑さの中でもやったんだなあ~。感心感心。とてもじゃないが真似は出来ない。表の水やりさえ出来かねている。

 

今日の来店客と話したことだが、結局人間にはお金より働けることが大切なんだろう。お金があって、何もする必要が無い人が必ずしも幸せではない、という結論になった。周辺にそういう人が、居るんだなあ~これが。

 

そういえば、今日はメチャ美味しいトウモロコシがどっさりと届いた。甘くて生でサラダもOKみたい。、、、食べることには変わらず喜びを感じているから、まだ大丈夫。みたい。ふ。

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