又しても時間がなくてこの日記が手つかずだった。がこれは単に時間が無いというだけではなく、「書きたい」というエネルギーが湧かなかったということに、今日気付いた。
それは、毎年恒例になった短歌の夏の歌会に参加したことで、ある種の刺激を受けたことによるものだ。
「白紙に文字を連ねる」という行為は、創造であり、自分の思考をまとめるという作業だが、時には刺激を受けないとマンネリ化してしまう。
長く逗留していた娘親子が一昨日ようやく東京にお帰り遊ばして、ホッとしたのもつかの間、今日は夫が関空から、息子が成田から同じように帰宅して、一気に母親業と妻業復活。結局は一人で羽を伸ばすことも成らず、何時もなら絶対残る歌会の後の懇親会に参加出来ず、「たっぷり刺身を!」のご命令通り買い物をして帰宅する。おっそろしく酒豪の吾が家族。本日は控えめで缶ビール9本と、ワインボトル1本が空き、息子はその上日本酒と来た。従っておかずもそれなりに要るわけだ。
ま、二人とも無事帰還できてそれはメデタイ。お坊ちゃまの方は、ひどい下痢に見舞われて大変だったそうだが、夫は全くその気配なく、元気そのもの。綾小路君麻呂ではないが、「長生きしそう!!」
今日の一首に亡き夫がたった一度買ってくれた洋服を捨てられずにいるというのがあったが、わが夫は良く物を買ってくる。大きい声では言えないが、これがパチッと決まったためしがない。今日もブレスレットのど派手なのを頂いたが、5ミリほど合わない。派手派手のそれは、確かに舞台用にはいいだろうが、、、、「コレに合わせて痩せるから」と宣言したものの、、、、どうなることやら。ふ~っ。
このところ長距離を運転し続けていて、そのせいか、車での旅行をしたいとしきりに思う。先日も娘親子と松山の道後温泉に行く途中で今治のタオル美術館に立ち寄り、そこから道後まで行き1泊。翌日は松山市内を車でウロウロして、ロープウエイや買い物をし、夕方を待って砥部動物園に行く。そこで、暑さと動物のけだるいオーラによれよれになって2泊目のホテルに入る。この二日目は全くの行き当たりばったりで、スマホによるネット検索だ。お盆前で観光のピークではなかったらしいが、坊ちゃん風呂周辺は結構な人だった。それにしてはケッコウ早くホテルが取れた。そしてまだその上、なじみの砥部焼の窯元でいくつか購入し帰路に付いたが、又しても寄り道。「日本一集客する」ので有名な産直市場が今治にあるというのを思い出したお嬢の指示で再びスマホナビに従いつつ移動。、、、このスマホナビ。大したもんだ。これが無かったら、今度の旅は失敗だっただろう。これのお陰で知らない土地を行ったり来たり。車内での充電器も以前の高知旅行の時に調達済みだったから、何の心配もなくナビの検索が出来る。いや~便利になったもんだ。
しかし、この日相当走った。距離を計ってないが凄いもんだと思う。少しでも眠気が来たら、いち早くそうと察した娘がこちらの首と言わず背中と言わず、手を回してホッペまでつねってくる。母親モード全開だ。まあお陰で無事帰れたのかも知れないが。な~んてね。
膝は痛いが、この調子であちこち行けるのは有り難い。、、、にしても、痛いなあ~。今日の歌会の途中膝を撫で撫でしていたら、「痛いの?」とお隣のS女史が聞いてくる。痛くて痛くて、、、と顔をゆがめると大いに同情してくれたが、、、、。
今日のアチクシの歌会に出した歌は、表現不足で恐らくは皆さんには共感して貰えないだろうと思ったが、予想通りの歌評だった。
「あはれあはれ動物園の象や猿ふるさと遠くわが孫の前」
駄作ではあるが、これでも一応あれこれ推敲した結果のものだ。にしても駄作だなあ。
動物を孫にいちいち見せながらも、その動物たちに憐れを禁じ得なかったというのがテーマだったが、、、。暑さのせいもあっただろうが、決して活発とは言えない彼らの動き。寂しげな目やヒステリックな雄叫びを聞くと、せっかく連れて行った、しかもあんなにも遠い動物園だのに、とっとと帰りたくなった。象にとっては広いとは言い難いスペースでその身を持て余すかのようにごろんごろんと寝転がっていたのはどうにもやりきれなさを覚えた。実際我々は一巡して速攻帰路に付いたのだった。お嬢曰く、「なんなら、日本中から動物園なんか無くなれば良いのに」。「今時だからどんな風にしても教えることは出来るのにねえ~」、、、行く前はお互い張り切っていたのにねえ~。
たった2歳の子に何が分かるかと思ったが、ホテルに帰り動物たちがどうやってあの動物園に来たのかという、経緯を話して聞かせると、黙って涙ぐんだのには驚いた。娘に言うと、「当たり前よ。ポニョやもののけ姫を見ても泣く子なんだから。」と言う。
人間は他者の命を頂いて生きている存在だ。食べるという意味だけでなく、鑑賞したり、毛皮にしたり、ペットにしたり。その全てを認識しつつ目をそらさずに生きて行かなくてはならない。
あるペット屋さんに、「この犬、無料です。」とゲージに張り紙をしていたのを見たことがあるが、それを見て可哀想にと思うのが人間の傲慢ではないのか。その犬は自分が幾らの値打ちがあるのか知るわけもないし、高ければ幸せとも言えないだろう。
いろいろ考えてくると、人間て如何にも業の深い生き物だなあ~。