生まれて初めて。
我が家に逗留中の2歳と3ヶ月の孫べえは、「生まれて初めて」が多いことに気付く。今日も生まれて初めて「花火」を体験した。あっという間に慣れて「もいっかい」を繰り返す。
遊びに来ていた友人Tが付き合ってくれて、一緒に楽しんだが、彼女が最も大笑いしたのはこの孫べえには、「危険」なものを近づける順番がちゃんとあって、Tさん、みっちゃん、そしてママだったということ。これは本能的に自分に一番近い人からの順番だろうし、自分を守ってくれる人イコール大切な人なんだろう。どうやらママの次がアチクシらしい。実際連日起きてから寝るまでみっちゃんを連発されて嬉しいやらしんどいやら、の日々、、。
初めてママ抜きでおばあちゃんを家まで送っていった。片時もママから離れない子が、よくぞ付いてきたもんだ。それほどの信頼感が最早我々の間には完成しているということだ。
しかしどこに居ても、「何してる?」と寄ってくるのには閉口している。キチンと応えなくてはと思うからだが、さっきも、何してる?と来たから、「パソコンでお手紙書いてる」と答えると、「みっちゃん、おてまぎ書いてる。」と言うので何度も繰り返しておてがみと教える。母親がこの子の興味に任せて仕事をする車の絵本など読んでいるらしく、長々とした作業車の名前なども覚えているが、これは「繰り返し」という作業の結果だろうなあ。初めて聞いた言葉は必ず何度も繰り返して呟いている。これは暗譜に苦しむ私の参考になるなあ~。
こうして彼にはどんどん「初めて」が増えていき、私にはなかなか訪れない。
と思ったが、実はそうでもないことに気付く。先日来旅の行き先は初めての所だったし、京都では初めてレンタカーでうろちょろしたし、東京では初めての店で食事をする機会が多かった。今回初めてのホテルでお泊まりし、そのホテルの前のジーンズショップで若者が好むような服を買い、駅前で東北のフルーツということで桃を買ってみたし、これが美味しくて、3個のうち1個余ったのをルームメイドさんに差し上げて帰った。な~んてことも初めてだった。そういえば、本屋さんで立ち読みして面白そうだった五木寛之の「幸福論」という本を、ホテルの暗い照明で一気読みしたことも、初めての経験だ。書き下ろしらしいが、読みやすく、示唆に富んでいて良い本だと思ったので、翌日難病の友人を見舞う時に手土産とした。
、、、、考えてみると、ケッコウ初めての事ばかりだ。
たとえはどうかと思うが、人間の骨は毎日更新し続けているらしい。私も飽かず「初めて」を続けて行こうか。。。。
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