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2012年7月

2012年7月30日 (月)

シェイクスピアからちぇち練まで。

今日のシェイクスピア講座の後の昼食会でも矢張りあの「いじめ問題」が出て、喧々諤々様々な意見が出る。みんなの意見を聞きながら、私は密かにこれは大人社会と同じかも知れないと思っていた。日本人の心の中に、例えば相手を思いやる気持ちとか、相手のことを考える作業とかが段々少なくなって来てはいないか?

参加者のお一人が、先日放映された映画「望郷」の中の一節に、「相手を思いやるシェイクスピアの時代はもう終わった。」というセリフがあると教えてくれた。外国でもそうなんだ。とすると、人間は進歩するどころか後退しているのかも知れないなあ。

 

映画と言えば、昨日来店のAさんはご主人を亡くされてまだ1年。どことなく寂しげだったが、母上と一緒に毎週のように映画に行くのを楽しみにしているという。母と娘、そうなんだ。お互いに埋め合って生きていける希有な間柄かもしれない。映画は、ホントに人類に貢献しているなあ~。

我々親子も、週末に道後から動物園に行く予定。近くなってお互いに楽しみになってきてはいるが、台風次第だなあ~、、、、。

 

今日のとどめはちぇち練。

久々に会長のご登場で短いながら充実した時間となる。次回公演へ、第一歩か。挿入曲や訳詞についての検討が成されたが、具体的に動くこと。これが大切だろう。

世は映像時代。

世の中にビデオレンタル屋さんがあるということを長い間忘れていたが、今夜ん十年ぶりに会員証を作った。が、笑えたのがその申込書。滑舌の悪い女の子が説明してくれるのが聞き取りにくく、システムを何度も聞いている内にイヤになってきて、とっとと書いてしまおうと焦ったのが間違い。大きな紙だのに住所欄が随分と狭いなあ~と思って書いていると、そこは○○県と書く場所で、あらら、ごめんなさいねと言いつつそこにペケをして下の欄に書いたら、ナント県の横に○○市の欄もあった!というわけで、アチクシの申込書はグチャグチャ。これが眼鏡をかけてないかというとチャンとかけていてこれ。もう~最悪。気の毒そうなその女の子に照れ笑いを返しつつ、内心「私ホントに大丈夫?」てなとこだ。

で一体何を借りたかというと、ミステリーものばかり4本。ホントに観る時間がある?と娘に呆れられながら、「ま、映画館に行くよりは時間短縮だわ。」とうそぶいて持ち帰り早速1本見始めたが、これがフランス映画ときている。難解な上に画面が動かない。お嬢が、早送りしたいと言い出すくらい。まったりし過ぎていて、知らず知らずウトウトしていて、ハッと気付くと肝心なところを飛ばしている。慌てて巻き戻してチェックしたりと、、、まあ、これがビデオの良いところ。かな?映画館だとこうはいかないからイヤでも集中力が要求される。そうとう我慢して最後まで見たが、最後はやっぱり、という終わり方。こうして1本目は撃沈だ。

 

そもそもナゼビデオレンタル屋かというと、明日は朝から晩までびっちりスケジュールが入っていて、孫のお守りは出来ないから、ビデオに代わりをやって貰うと言う算段。2歳のくせに、お風呂に入ろうと言うと、「いま、ぞうさんみてるから、おふろ、はいれないんだっ」と言うあたり、ま、母親のもくろみ通りにいくんだろうが、、、やれやれ。

 

 

そういえばあの柔道で決勝戦に残った彼は心配したとおり、残念な結果になったようだ。でも、勝負に勝つことだけが勝ちではないと、おみっちゃんは思うけどねえ。

どこを回してもテレビはオリンピック。ベッドで、テレビを観るしか楽しみがない人の為にも、貢献しているような、、、。

2012年7月29日 (日)

オリンピック。

遂にロンドンオリンピックが開幕。早速興味のある種目の結果が次々と出ている。同じ闘うでも、戦争と違いスポーツのそれは安心して応援できるから嬉しい。今日は柔道の3位決定戦があり、久々にじっくり試合を見たが、日本の柔道とはなんだか違ってきたなあ~というのが素人のアチクシの感じたこと。「道」というのは、矢張りモラルを大切にどこか自分を律して感情的にならず、卑怯なことをしない、というものだと思っていた。が、今日見たものはちまたのケンカに近いのもあってがっかり。そんな中日本の男性はすがすがしい闘い振りを見せてくれて一安心。矢張りこうでなくちゃあ!彼が決勝戦であのいやらしい相手を倒してくれると良いんだけど、、、。必ずしもそうは行かないのが勝負の世界だ。どうなるかなあ~。

開幕のセレモニーは華やかで平和的なものだった。世界中の人々が一堂に会して楽しく競い合うという演出には思わず涙した。人間同志の絆がしっかりと結ばれたかに見えた。

ところでこの「絆」という言葉。只今日本中を席巻しているが、先日読んだ五木寛之の「幸福論」によると、この言葉の語源は動物を縛るというところから来ているらしい。作者は日本で流行しているこの言葉について、いくらかの不自由さがあるものと表現していたが、確かにそうなんだろうと思う。

家族の絆にしても、吾等がちぇちぃりぁの団体にしても、いくらかの不自由さを持ちつつ繋がっているのだ。自分を出し過ぎては到底このような絆は生まれないだろう。

 

ロンドンの友人からメールが来て、遠くから日本のことを心配してくれているようだったが、これに英語で答えるのが大変。なんとかかんとか出しては見たが、言いたいことが理解されたかどうかはなはだ怪しい。外国語を書くという行為はキッチリしてないといけないからアチクシのようなテキトーな人間には不向き。お喋りなら何とかごまかせるんだけどなあ~なんか失礼があったらと思うと次のメールが来るまで心配。ホントに地球上になんでこんなに沢山の言葉があるんだろう。これも、いくらかの不自由があっても絆を結べという神の教えか。ふ~っ。

2012年7月28日 (土)

音楽談義は楽し。

今日の収録はグロッケン先生。話題の中心は氏の翻訳による、「フルトヴェングラーの評伝」と間もなく出版されるであろう同じく指揮者の評伝、「ハンス・フォン・ビューロー」のお話し。単に一音楽家の生涯に留まらず、その素晴らしい才能が開花する背景や、生きた時代の検証が大変に興味深く、何時もながらの氏の博識ぶりと、失礼ながら私との興味の対象の一致から久々に充実した時間となった。

余りに個人的に楽しんだため、せっかくグロッケン先生が気合いを入れて着てこられたTシャツの柄が、「振るとヴェングラーになれる」とかなんとか、黒地に白抜きの字が入った物だったことに全く気付かず、そこに話題を持って行けなかったのが返す返すも残念。流石の先生も収録中に、胸をさして私の注意を曳くなんてことは出来なかったと見えるが、是非やって欲しかったな~。この手のことが大好きなだじゃれ男、本日のミキサーM君にも後から受けていたが、、、、。今正確にその文字を思い出そうとしても浮かんでこない。これが年とった証拠だ。は~っ。

それにしても音楽家の生涯とはドラマチックだなあ~。リストの指導を受け、リストの娘と結婚したビューローだったが、少年時代に憧れたワーグナーにその奥さんを奪われるという悲惨な人生だったようだ。それにしても偉大な音楽家たちの世界も、ちまたの一般ピープルと変わらないということを、改めて感心して聞いたものだ。そういうあれこれが良い音楽を生み出すエネルギーになっているんだろうが、、。

本日ご準備頂いた音源の中でベートーヴェンの「運命」が面白かった。違う指揮者のものを聞き比べるというのは良くあることだが、今日ばかりは流石の音楽通の選択で、フルトヴェングラーその人の戦中と戦後の演奏の違いを聴くというものだった。戦中はヒトラーに支配されていた頃のもので、演奏は重々しく、自分の運命を悲痛な叫びのように語っているかのよう。ヒトラーの管理下から解放され、戦後初めてこの曲を演奏したときのものには、長いトンネルを抜け出た後のような伸びやかさがあり、成る程、確かに違うと思わせた。こうして聴いてみると、指揮者の表現というものが良くわかる。となると、音楽の解釈というのも、演奏家の置かれた環境によって異なり得るということか。ちなみにグロッケン先生は前者の演奏の方がお好きだとか。確かに、私もそう思ったなあ~。逆境から生み出されるものは、必ずと言って良いほど人の心を打つ。それは音楽に限らない。

 

私が誘って二人の男性と常磐街のなんとか市(まだ名前が認識できていない)で遅い昼食をとる。ただいまダイエット中の先生は主食抜きだとか。暑い真っ昼間とて、客はまばら。予約の仕事が入っている私を初め3人とも時間が無いため慌ただしく食べて解散となる。ひりひりする日光を浴びながら急ぎ帰宅すると昼寝から起きた孫べえが出迎える。ふふふ初やつじゃ、、。

2012年7月25日 (水)

ホントに暑い!

この炎天下に元気になった孫べえの気分転換ドライブをやって気が付いた。一日中で最も暑い時間帯に結構な人々が働いている。そりゃあ全身布で覆ってはいるがかなりの高齢者の人もいて、土手の草取りやら道路工事の関係者がクーラーとは全く縁のない場所でお仕事している。この方達は身体は大丈夫なんだろうか?と思いつつ帰宅してテレビのニュースを見ると日本中で熱射病が流行しているようだ。

母に電話して驚いた。90過ぎてこの炎天下で外の庭の木を切っていたと言うのだ。しかもクーラーはつけて無いと言うからお嬢がこんこんと電話で注意することに。10円20円のことを我慢することない、としっかり言っていたが、さて、あれからつけたかどうか、、、、。

ところがあるところに、こんな事が書いてあった。

人間が一日3食食べるようになったのは戦後豊かになってからで、それまでは空腹が我慢できなくなって食べることが多かったという。で、むしろ空腹感があることが何とか言う物質を生み、それにより身体は若返り、ある研究に寄れば癌の治療法としても有効だそうだ。むしろ満腹するとその物質が出ずに生命力が落ちていくんだそうだ。このように人は厳しい状況に会うとそれに立ち向かっていける物を生み出す能力があるんだそうだ。、、、これで分かった。わが母がナゼあんなに元気なのか。母の世代に信じられないほど元気な人が多いのは、こういうことだったのだ。

戦争や貧乏を経験したあの世代の人々と違って、アチクシなんざ、ホントに怪しいもんだ。そりゃあ「腹八分目」という言葉は知っているが、そして先日もテレビでその効用をあれこれ述べていたが、、、、これが難しい。

ぼちぼち遺言状でも書いておくかな~。。。

2012年7月24日 (火)

笑える話し笑えない話し。

今日の夜練は何時も通り9時に終わり、ロビー会議を済ませて駐車場へ入る前に「精算機」で精算をした。こういうことは滅多にしない。駐車券をなくす場合を恐れてのことだが、移動中に料金が上がるという人が居て、成る程、それならばと今日は出来心でチケットをバッグに会場入りした。変な予感がしたけど、余りやらないことをやるからだと思いきや、このイヤな予感は的中した。

プレミアムカードで精算したら100円不足と出たので、小銭入れを取り出したものの、あいにく5円と10円しかない。もたもたしていると一緒に降りてきたM君もそこで精算するというので慌てて出て来たカードを取って離れ、彼が精算。でも気が付くと私の手にはグリーンのカードしかない。駐車券は一体どこに消えたのか?とあちこち探していると、M君が、「あら?2枚出て来た」というので、「あ、それが私のだわ」と1枚貰い、お疲れ様~と別れる。

ところが、出口でそのカードを入れるとにゃんと、又お金を入れろと言う。ありゃりゃ~これは一体?と側の事務所に行く。後から来たM君の車も停めて、状況を係のおじさんに説明するとそのおじさんが機械を調べに行ってくれるという。ナゼか分からないがこれが結構時間がかかっておよそ20分も待っただろうか?お待たせしてスイマセンとようやく無罪放免になり車に乗り込んだ時、あっと気が付くと私のカーステレオは大音量で、「綾小路君麻呂」のCDを鳴らしていた!!そういえばこのCDは先日の高知までの長距離ドライブの時友人が入れていたのを何気なくかけたところだったのだ。出口なので精算のため窓を全開したままだったから、それが外まで丸聞こえ状態だったはず。どうりで長い間出口で待っていた係のおじさんがにやにやしていたと思った!

私も良いことをしたもんだ。退屈な夜の勤務を少し軽減して差し上げたんだから!

 

我が家の居候は、チビの方が軽い風邪のようなものをひいたらしく高熱で、一時慌てたが昨日救急当番医に診て頂き、あっという間に平熱に戻って一安心。ま、男の子はこれからも色々あるだろうなあ~。

それにしても毎日どんどんボキャブラリーが豊富になってきて、面白いのなんの、飽きるということが無い。これほどなついて大丈夫なのか?と想わないでもないが、ずっと一緒に居られないのが宿命だから仕方がない。別れるときは辛いんだろうなあ~。

昼間シャンソン教室を終えて帰宅すると家の中から察知して、玄関の鍵を開けてくれる。「おかえり~」の可愛い声は録音しておいて居なくなっても毎日聞きたいくらいだ。

 

最近の気になった言葉。大江健三郎さんが代々木公園のデモ隊を前に、「私たちは侮辱されている」という言葉を使って原発反対を訴えたというニュース。「侮辱」とはあなどり、はずかしめる、ということ。さすが文学者の表現は凄い、と思った。

2012年7月21日 (土)

生まれて初めて。

我が家に逗留中の2歳と3ヶ月の孫べえは、「生まれて初めて」が多いことに気付く。今日も生まれて初めて「花火」を体験した。あっという間に慣れて「もいっかい」を繰り返す。

遊びに来ていた友人Tが付き合ってくれて、一緒に楽しんだが、彼女が最も大笑いしたのはこの孫べえには、「危険」なものを近づける順番がちゃんとあって、Tさん、みっちゃん、そしてママだったということ。これは本能的に自分に一番近い人からの順番だろうし、自分を守ってくれる人イコール大切な人なんだろう。どうやらママの次がアチクシらしい。実際連日起きてから寝るまでみっちゃんを連発されて嬉しいやらしんどいやら、の日々、、。

初めてママ抜きでおばあちゃんを家まで送っていった。片時もママから離れない子が、よくぞ付いてきたもんだ。それほどの信頼感が最早我々の間には完成しているということだ。

しかしどこに居ても、「何してる?」と寄ってくるのには閉口している。キチンと応えなくてはと思うからだが、さっきも、何してる?と来たから、「パソコンでお手紙書いてる」と答えると、「みっちゃん、おてまぎ書いてる。」と言うので何度も繰り返しておてがみと教える。母親がこの子の興味に任せて仕事をする車の絵本など読んでいるらしく、長々とした作業車の名前なども覚えているが、これは「繰り返し」という作業の結果だろうなあ。初めて聞いた言葉は必ず何度も繰り返して呟いている。これは暗譜に苦しむ私の参考になるなあ~。

こうして彼にはどんどん「初めて」が増えていき、私にはなかなか訪れない。

と思ったが、実はそうでもないことに気付く。先日来旅の行き先は初めての所だったし、京都では初めてレンタカーでうろちょろしたし、東京では初めての店で食事をする機会が多かった。今回初めてのホテルでお泊まりし、そのホテルの前のジーンズショップで若者が好むような服を買い、駅前で東北のフルーツということで桃を買ってみたし、これが美味しくて、3個のうち1個余ったのをルームメイドさんに差し上げて帰った。な~んてことも初めてだった。そういえば、本屋さんで立ち読みして面白そうだった五木寛之の「幸福論」という本を、ホテルの暗い照明で一気読みしたことも、初めての経験だ。書き下ろしらしいが、読みやすく、示唆に富んでいて良い本だと思ったので、翌日難病の友人を見舞う時に手土産とした。

、、、、考えてみると、ケッコウ初めての事ばかりだ。

たとえはどうかと思うが、人間の骨は毎日更新し続けているらしい。私も飽かず「初めて」を続けて行こうか。。。。

2012年7月20日 (金)

久々、、、、。

随分長い間ここをサボってしまった。いつ書いたかさえ曖昧模糊としている。書きたいという欲求に駆られることはあっても、実際にパソコンの前に座ると他の用件から先にやってしまって、深夜ともなると疲れて寝てしまうというのがここず~っと続いている。相当体力が落ちている証拠だろう。

ましかし、これでもかという程のスケジュールに絶対時間も無かったというのが真相だ。例えば、明日から1泊で高知へドライブ旅行という前日にもかかわらず、ベルリン交響楽団の演奏会に旅も共にする友人Kとそれを羨ましがってくれるもう一人の友人Yの3人で、「ポピュラーなクラシックを気楽に楽しもう」という目的で出かけた。演目は誰もが知っている名曲ばかりで、確かに目的は100%達成だ。その上、予想外に演奏が素晴らしく、弦の柔らかな響きの重なりと、管楽器の狂いのない音色。打楽器の切れの良さとそれらを全て自在に操る指揮者の巧みな棒さばきに感嘆!一瞬ゲストのヴァイオリニストとの力関係がおやっと思わせる場面もあったが、総じて素晴らしい演奏だった。このヴァイオリニストの最高音のPPPはこの世のものと思えない程の美しさ。ヴァイオリンて、こんなに凄い楽器だったのか!?と改めて思った。そしてこの時の指揮者ナント、アンコール4曲という珍しい乗り乗りで勿論会場は大興奮。オーケストラでコレほどアンコールに応えられる自体、相当な訓練が出来ているということ。3人とも大いに楽しみ、帰りにサインまでして貰って帰ったことだ。

その日は我が家にお泊まりしたKと朝早くやってきたTを乗せて高知までひとっぱしり。そこで84歳のもう一人の友人Oさんをひらっていざ目的地へ。高松からだと5時間もかかったドライブだったが、4人の合計年齢が292歳という割には事故もなく、病人も出ず楽しめたのは何よりメデタイ!

この目的地大月町が凄い。何にも無いところ。あるのは海と山だけ。一度だけグラスボートに乗って海の底を見物したのが唯一の遊び。ブルーフィッシュや縞模様の熱帯魚も見えてしばしゆらゆら。私的にはこういう所は大好きで、日頃のあくせくした日常から離れての~びりゆ~ったりのこころ。それに料理が美味しかった。思ったより充実した内容に舌鼓。いつか孫達と行きたいなあ~。、、、残念だったのは一人でず~っと運転したため意外にも緊張していたらしく、夜全く眠れない。翌日のことを考えるとどうしても寝なくてはとの思いから余計眠れない。クスリを2回も飲んだが結局眠ったのは朝方。これは今日の運転はやばいか、と思いつつ、今度は意識的に緊張して運転。何とか無事帰り着いたのはホントに良かった。4人のうちいつ死んでも良いのは3人で、一人はそんなこと思うなんて信じられない、と言うお人。しかし、どう思おうとその時は全員に必ず来る。

 

で、この小旅行から帰って3日後には上京という前日、「原子核ク、、」という演劇に。広島に原爆が落ちた頃、日本の科学者達も理論的には原爆を作れたという話し。当時の日本にはお金もウランも無かったから作れなかっただけで、広島に落ちたとき、研究者達は「先を越された」というのが実感だったという。

演劇というのは昔からメッセージ性を強く持っている物だ。が、近頃、事なかれ主義が蔓延している日本では、「反戦」などもストレートに表現できにくいのだろう。右から左までの両極端を避けて、最大公約数を対象に演じることはさぞ難しいことだろうと思う。ユーモアを交え、観客を常に舞台に惹きつけるというテクニックも際立っていて面白かったが、一方では何だか物足りなさも覚えた。

で、翌日上京。幸い近い出口だったため今回は車いすのお世話になることもなく無事空港入り出来た。電話でのみ短い会話を繰り返してきた孫べえが、遠くから飛ぶように走ってくる。久しぶりに見ると又背が高くなっていて、随分とお喋りに。お嬢の友人が車で迎えに来てくれたのだが、彼女にも女の子が一人、お腹にはもう一人居るという。空港でみんなで食事をしてから車で移動したが、ホント助かった。車はこうなってみるとホントに有り難い。

 

で、今は我が家に滞在中。、、、私の時間は限りなく無くなっていく~。

2012年7月 6日 (金)

おへそ引っ込め運動実施中。

今日もバタバタ、明日もバ~タバタ。なぜかこうなる。が、そのバタバタの中で、本日は「おへそ引っ込め運動」なるものを殆ど一日中意識的にやっていた。昨日見た「試してがってん」の知識だ。

まずはFMの収録に急遽お願いしたにも関わらず気持ちよくご出演して下さったMさん。この方とのお付きあいも随分永くなった。長い音楽生活の中で身につけられた知識と技量は香川が誇る一人だろう。こういう豊かな教養を身につけた方とお話ししていると、どこを押しても面白いお話しが出てくるから、パーソナリティをやってても興味が尽きるということがない。今日も知らなかったことを沢山教えて貰った。

実はこの方はかなりのグルメだということもあって、本当はそちら系のお話しをしたかったが時間切れだった。奥様が栄養士だから結婚によってその部分が随分開拓されたのではないかと勝手に想像している。

本当なら昼食でもご一緒したいところだったが、残念ながら私の方に仕事が入っていて急ぎ帰宅。

COOPの日なので丁度やって来た義妹を連れて、仕事のあと今度は美術館。友人から、「今回ちょいと面白い作品が出来たから是非来てね。」という案内を貰っていたので、間隙を縫うように出かけたのだ。

行ってみると待ってましたとばかり他の人の作品についてもあれこれ説明してくれる。やがてご本人の作品の前に来ると、この個性的な絵は言われなくても彼女のものだと分かる。確かに発想がユニークで、その上テクニックもあるから非常に説得力のある作品に仕上がっていた。今付いている先生がとにかく縛らない人で、自由にさせてくれるんだそうだ。なるほど。そうでなきゃ、こんな作品は出来ないだろうなあ~。その先生の作品もあったが、色使いが素敵で、女性らしい感性だった。

そこにやって来た顔見知りの画家達と旧交を温めているうちに思いがけず時間が経ってしまう。慌てて帰ったがカラオケ帰りの母を路上にしばらく待ちぼうけ状態にさせてしまった。可哀想なことをしてしまった。と、おすいか一切れでご機嫌を取って、買い物にも連れ出す。あるごひいきのお肉屋さんがバーゲンだというので、行ってみたが、行くと買うんだよなあ~。

お陰で今夜は肉料理。塩麹をまぶしてしばらく置いて焼くとホントに柔らかくなる。最近とみに柔らかい肉を求める夫でさえ喜んで食べている。傍らで、別鍋に牛スジの固まりをコトコトと炊いて、これは明日用。明後日は大阪の友人が泊まるから、あれして、これして、、、、。ここんとこお魚を意識的に食べてきたから、ま、いっか。

今日は料理をしたい気分の日でもあり、お皿を洗った後ではパンを仕込む。夫がお風呂に行こうと言うのをお断りして、私はジムへ。1000歩目標で水中ウオーク。ケッコウ汗をかく。でもって、パンのことをすっかり忘れていた。慌てて取り出してみた、、、が、初めて水の代わりに野菜ジュースを使ってみたら、ちょっと酸っぱいかも。明日の朝きっと言うだろうなあ、私。「栄養があるんだから、食べてよ!」

2012年7月 4日 (水)

良いことも、そうでないこともあるけれど、、、。

あっと驚く話しというのは突然であるほど面白い。今日やってきた若者は昨年殆ど無理矢理公演に引きずり込んだT君だった。彼の口から「結婚します」を聞いたときはさほど驚くことでもなかった。年齢的にそういうことがあってもおかしくないし、つい先日も元ちぇちの団員が彼女を連れてやってきて、同じように結婚しますを言われたばかりだ。ちょいとたとえが悪いが「お前もかブルータス」てなもんだ。

が、驚いたのはそこから先の話。公演中に見初めたらしいが、アタックする中で、「年齢的に結婚を前提としない付き合いはしたくない」ときっぱり宣言してからのお付きあいだったようで、男らしいじゃん!?と聞いていたら、なんとこの二人。9歳も年齢が違うのに、保育園から大学まで、ず~っと同じコースを辿ったらしい。だからそれぞれ実家も近く、両家のご両親は顔見知りだったという。ほ~っへ~っと聞いているうちに、この二人、赤い糸で結ばれてたんじゃないの?ってことに。ということは、このアチクシは大いなる神の御心によって、あの公演に彼が参加するよう尽力した、ということか。どっかから「彼をゲットせよ」とのお達しがあったということかも~。

いやはやいやはや、あたしゃ運命論者ではないが、これはかなりが~んと来たなあ。彼を勧誘するときのことが走馬燈のように思い出される。私だけじゃない。そのキャストにピタリの人がいなくてかなり困っていたから、みんなで彼を取り巻くように説得したもんだ。

もしあの時、彼が断っていたら、この出会いはもしかしたら無かったかも知れない、という程の出会いだ。ふ~む。神様を味方に付けたんなら、しっかりやって貰おうじゃないの!挙式には呼んで貰えるらしいが、、、、本人も言うように、これはスタートだ。若すぎる結婚でない点、結婚について冷静で、よく考えているのは頼もしい。是非幸せになって欲しいものだ。

 

 

嫁りんの実家で不幸があり、息子が家族で帰って来たのを駅まで迎えに行く。久しぶりに観る孫べえたちは、少しはにかんで、おや?ちょっと大人になってきたな~と思わせる。ものの数分で以前の空気になったが、間違いなく成長している。一緒に行くとくっついてきた我が母も、絶え間なく喋りかけては楽しんでいる。、、、子どもがいて、孫がいて、その又子どもがいてという幸せ。これだけが、今の母には最高のプレゼントらしい。そうした喜ぶ母を見て、わたしも嬉しい。この、あたりまえの幸せに勝るものはないのかもしれない。、、、、震災に遭った人達のことがす~っと頭を過ぎる。こうしたかけがえのないものを無残にも打ち砕いたあの震災のことが、、、。生きて残った人達の失ったものは計り知れない。

 

せめて、わたしたちは、今を大切に、幸せに、生きて、行こう。

2012年7月 1日 (日)

涙の味。

今日は濃い一日だった。

午後からのチャリティーシャンソンコンサートは、その名の通りバザーあり、義捐金集めあり、主目的の歌手からの熱い震災地へのメッセージありの2時間少々。入場券1,000円という安さにバザーもよく売れ、歌手の功績によって帰りの募金箱も千円札で一杯になっていた。きっと主宰者の期待通りだったのではないか。

あまりメジャーな人ではなかったが、実力がある人必ずしも有名ではないという見本のような人だった。しっかりした歌唱力、美しい声、心のこもったトーク、ユーモアたっぷりで場の雰囲気を盛り上げる術も心得ている。岸本Gというこの歌手はシャンソンは勿論、さだまさしの歌や、クラシックも歌い、尚かつ情熱的にピアノの弾き語りもやるという芸達者。何の因果か最前列の通路側という席に座ったため、アチクシは二度も肩を叩かれるというハプニングにも見舞われた!ふへっ!

さだまさしの「風に立つライオン」の歌詞が昨年妻を亡くした自分に再び生きる勇気を与えてくれた、今も自分の応援歌だと、彼は言う。妻の死から震災の日までをどうやって生きていたのか自分でも分からない、という彼。彼はその思いのままに歌った。

「僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい」

 

この歌詞の中には、

「やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね」

こういう部分もあって、随分前に作られたこの歌の永遠性を感じる。今も決して旧くないこのメッセージ。こういう歌があることを知らなかったが、実在の医師がアフリカの辺境の地に行ったことをヒントに書かれたようだ。偶然この記事を朝日新聞アスパラクラブで先日読んでいて、内心おお偶然!と驚いて聴いたもんだ。

 

一度同乗者を送ってから夕餉の支度を済ませ、今度は母を連れての観劇。同じ建物を出たり入ったり、、、。ふ~っ。

こちらも震災、主に原発がテーマ、、、、だが、他にもオレオレ詐欺やら地雷撤去の話しやら、金やギャンブル、家庭崩壊、夫婦の亀裂、親子の断絶、老人の孤独、、、、「今」の世相をあれもこれもと絡ませていて、少々ゲップ。もう少し絞って貰った方が、、、と思ったのは私だけか。しかし、重たいテーマに深く考えないわけにはいかず、集中しすぎて疲れてしまった。

福島から、原発難民として避難して帰郷している母と子どもを、福島に残っている夫と長女が迎えに来るという流れの中で、その母親が最後には、「福島にかえって、危険の中で暮らし続ける勇気」を持つ、、、、というものだったが、この危ういセリフと、オレオレ詐欺で得たお金で地雷撤去し世界の子ども達を救おうとする詐欺師の危うさはオーバーラップして観る者に不安感を煽る。何が善で、何が悪なのか、、、。

こちら出身の若者がその後プロとなり、帰郷しての参加だったようだ。二人とも際だってセリフがクリアで、発声も良く、全体を引っ張っていた感がある。

しかしこの劇団を長く観てきたが顔なじみの役者さん達がそれぞれ成長してきているのが見えて楽しかった。若者のストレートな表現も嫌みが無くこの子の将来が楽しみだ。

 

昼夜と偶然にも同じテーマで泣かせて貰ったが、昼の涙は甘い涙。夜は苦い涙と言えるかもしれない。

そして、「歌」と「演劇」比較して思った事は、歌の方が自由で、奥が深く、感動を与えやすいという点。それはひとえに音楽の力、だと思う。演劇の方がストレートで分かり易い筈だが、何か狭いと思ってしまう。これはあくまで個人的な見解だが、しかも、私は演劇大好き人間だが、、、、演劇にはどこか制約を感じてしまう。受取手の資質の問題でもあるのだろうが。

 

お腹ぺこぺこ、と言いながら中華料理店に入って芝居の感想を話しながら母と二人、しっかりと晩ご飯。やや濃いめの味だったが、母は一人前ペロッと平らげる。、、、久々の観劇に終始ご機嫌だった母をとっぷりと暮れた路上に下ろすと、いつまでも手を振る母の姿がバックミラーに、、、、。やっぱりこうした時間は必要だなあ~。

 

 

テレビでは、今日大飯原発再稼働したとニュースが流れている。

ボケから芸術まで。

久々にボケをやったら夫が鬼の首を取ったみたいに子ども達にメール。お陰で時ならぬ心配やら冷やかし電話が東京と水戸からかかってくる羽目に。

何をやったか。

昨年購入したホームベーカリーを公演の忙しさにかまけて放置してあったのを思い出し、米粉パンなるものを作ってみたら、これが上出来で非常に美味しい。できたてを試食して残りを冷凍に。

翌朝、何時ものように夫が先に起きてその冷凍庫からパンを出そうとしたら、にゃんと、パンの袋の間にアチクシの眼鏡が凍っていたという訳。で、勿論そんなこととはつゆ知らず、の~んびり降りてきたアチクシに「お母さん、大丈夫?」と来た。言われて出してみると成る程カチンコチンに凍っている。流石にうへええ~となって、流水でやんわり溶かすも、後ろでさんざんわあわあ言っていると思ったら急に静かになったと思ったらメールをし始めた。内容は、「遂にお母さんの介護が必要になったから覚悟しろ。」だそうな。

娘からは、「眼鏡でどんな料理が出来たん?」6歳の孫からは、「みっちゃんだいじょうぶ?」などなど、、。しかも、この6歳は私がジイジイは告げ口なんかして悪いでしょう!?と言うと、「でも~笑うことだから、、、良いんじゃない?」とおませなことを言う。じいじいの評判はナゼか孫達には良いからなあ~。くそ~。

 

しかし、このところのボケは少々やばいかも知れない。昨日のテレビ番組で、DVDを見て病名を当てるというのを夫が、やれ見ろそれ見ろとうるさいうるさいので何となく見たが、パーキンソン病ってのがあって、認知症みたいなことも起きるらしい。

今晩高知から帰るという夫をインターまで迎えに行くとメールに返事して、「志度から又メールして」と出しておいたら、「今坂出」と来た。それでもなんとなくハッキリと気付いてなかったし、車に乗りこんで来た夫が、「志度を通るはず無いのに、おかしい。やっぱりお母さんは認知症?」と言われて、はじめて気付くというお粗末くん。でもねえ、別に真剣に考えた結果じゃないんだから、良いじゃん、、と内心は思ってる。ホントに認知症なんて、自分に分かるものなのかなあ?

「わたしもうじき だめになる」という高村光太郎の「智恵子抄」を思い出すが、そういう感覚は襲ってくるんだろうか?

そういえば母も、毎回合う度に、「とうとう大分怪しくなって来た」を連発するが、、、。

私は違う。先日も弟夫婦と話しているときに、「ルーヴ」を「リーヴ」と言ってみたり、単語がチョコチョコ間違ってそのたんびに爆笑となったが、、、。まだ大丈夫と思っている。一昨日は母を連れてとある所へドライブしたが、高速を降りてから目印の記憶がハッキリせず、真反対へと行ってしまい、これなら下の道を行った方が良かったね、ということもありいの、、、だけど、まだ大丈夫と思っている。

殆どの人間が、自分はいつまでも死なないと思って暮らしているのと同じかも知れない。世の中に色んな病気があるが、まさか自分には来ないだろう、、、と根拠のない自信のようなものを持って暮らしている。いつなってもおかしくないと一方では不安を抱えながらも、、、。この矛盾。

 

今日はマンドリンの定期演奏会に出かける。雨にも関わらず結構な入りで、この団体の歴史を感じた。で、そのあとは県展。以前ちぇちのメンバーだった方が入選されてるというので、そちらに廻ったが、全体に随分とテクニックが上がっているというのが感想だった。確かに客員とか受賞者とかのものは格段のものを感じたが、他の人達のも力作揃いで楽しめた。県下の有名作家の作品は、ごもっともなものばかりだったが、技術的には荒削りでも、一般の人達の中に迫る物を感じさせる物があった。

当然ながら3,11を意識した作品が多いこと。如何に日本中の人が影響されているかを思い知らされた。ストレートな表現の人もあったが、それを感じさせるような抽象的な物もあり、それぞれに気持ちが色濃く伝わった。

短歌の世界で、被災した人が詠み続けることの難しさを書いておられたが、「この体験が如何に悲しくつらいものでも、悲しみを悲しいと表現しただけでは文学にならない。」という意味合いのことだったと思う。そうなんだ。絵画の世界も文学同様悲惨な情景を単に描いただけでは芸術の域に達しないということだ。

 

明日はシャンソン歌手が来るというので聴きに行き、夜は地元で活躍中の劇団のお芝居だ。ふ~っ。

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