今日は濃い一日だった。
午後からのチャリティーシャンソンコンサートは、その名の通りバザーあり、義捐金集めあり、主目的の歌手からの熱い震災地へのメッセージありの2時間少々。入場券1,000円という安さにバザーもよく売れ、歌手の功績によって帰りの募金箱も千円札で一杯になっていた。きっと主宰者の期待通りだったのではないか。
あまりメジャーな人ではなかったが、実力がある人必ずしも有名ではないという見本のような人だった。しっかりした歌唱力、美しい声、心のこもったトーク、ユーモアたっぷりで場の雰囲気を盛り上げる術も心得ている。岸本Gというこの歌手はシャンソンは勿論、さだまさしの歌や、クラシックも歌い、尚かつ情熱的にピアノの弾き語りもやるという芸達者。何の因果か最前列の通路側という席に座ったため、アチクシは二度も肩を叩かれるというハプニングにも見舞われた!ふへっ!
さだまさしの「風に立つライオン」の歌詞が昨年妻を亡くした自分に再び生きる勇気を与えてくれた、今も自分の応援歌だと、彼は言う。妻の死から震災の日までをどうやって生きていたのか自分でも分からない、という彼。彼はその思いのままに歌った。
「僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい」
この歌詞の中には、
「やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね」
こういう部分もあって、随分前に作られたこの歌の永遠性を感じる。今も決して旧くないこのメッセージ。こういう歌があることを知らなかったが、実在の医師がアフリカの辺境の地に行ったことをヒントに書かれたようだ。偶然この記事を朝日新聞アスパラクラブで先日読んでいて、内心おお偶然!と驚いて聴いたもんだ。
一度同乗者を送ってから夕餉の支度を済ませ、今度は母を連れての観劇。同じ建物を出たり入ったり、、、。ふ~っ。
こちらも震災、主に原発がテーマ、、、、だが、他にもオレオレ詐欺やら地雷撤去の話しやら、金やギャンブル、家庭崩壊、夫婦の亀裂、親子の断絶、老人の孤独、、、、「今」の世相をあれもこれもと絡ませていて、少々ゲップ。もう少し絞って貰った方が、、、と思ったのは私だけか。しかし、重たいテーマに深く考えないわけにはいかず、集中しすぎて疲れてしまった。
福島から、原発難民として避難して帰郷している母と子どもを、福島に残っている夫と長女が迎えに来るという流れの中で、その母親が最後には、「福島にかえって、危険の中で暮らし続ける勇気」を持つ、、、、というものだったが、この危ういセリフと、オレオレ詐欺で得たお金で地雷撤去し世界の子ども達を救おうとする詐欺師の危うさはオーバーラップして観る者に不安感を煽る。何が善で、何が悪なのか、、、。
こちら出身の若者がその後プロとなり、帰郷しての参加だったようだ。二人とも際だってセリフがクリアで、発声も良く、全体を引っ張っていた感がある。
しかしこの劇団を長く観てきたが顔なじみの役者さん達がそれぞれ成長してきているのが見えて楽しかった。若者のストレートな表現も嫌みが無くこの子の将来が楽しみだ。
昼夜と偶然にも同じテーマで泣かせて貰ったが、昼の涙は甘い涙。夜は苦い涙と言えるかもしれない。
そして、「歌」と「演劇」比較して思った事は、歌の方が自由で、奥が深く、感動を与えやすいという点。それはひとえに音楽の力、だと思う。演劇の方がストレートで分かり易い筈だが、何か狭いと思ってしまう。これはあくまで個人的な見解だが、しかも、私は演劇大好き人間だが、、、、演劇にはどこか制約を感じてしまう。受取手の資質の問題でもあるのだろうが。
お腹ぺこぺこ、と言いながら中華料理店に入って芝居の感想を話しながら母と二人、しっかりと晩ご飯。やや濃いめの味だったが、母は一人前ペロッと平らげる。、、、久々の観劇に終始ご機嫌だった母をとっぷりと暮れた路上に下ろすと、いつまでも手を振る母の姿がバックミラーに、、、、。やっぱりこうした時間は必要だなあ~。
テレビでは、今日大飯原発再稼働したとニュースが流れている。