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2012年6月19日 (火)

会議。このむつかしきもの。

「ベスト」を求めて人々は「会議」をする。価値観の違いや概念の違いなどから、それぞれの「ベスト」が違うための議論が繰り広げられ、お互いに譲り合ったり、全体を眺めて修正したりしつつ結論へと向かって行く。我が国の国会を見ていても、これがどれほど煩雑で大変な作業かということが分かる。あれに比べればわれわれはうんと手際が良いと思える。まあそれに、国会はそれぞれが自分の利益を最重点においているから、感情的でどうしようもないところまでどろどろになっていく。その点、我々の最終目的は、「最後は全体」だから、何とか収まっていくのかもしれない。「個」を前面に押し出していては、絶対にまとまらないだろう。

 

今回、初めてメール会議が登場した。参加者が自分の意見を一斉メールして、あたかもそこに相手がいるかのように空想しつつ意見を述べ合う、というものだ。しかし、悲しいかな。この手段はこれのみにて全て完結するとは思えない要素をはらんでいる。

「会話」とは、目を見て、表情を見て、小さな相づちを感じながらその人の意見を理解しうる。話し言葉の奥にあるものも読み取ることが出来たり、声の強弱によってもその考えがどれほどその人の真実に近いかを聞き分けることも出来るだろう。だからこそ感情的になったりもするが、冷静だから良いとばかりも言えないのではないか。

所詮人間は生身。イコール刻々と変化しうる生き物だ。何日も前の日記を読んで、こんなことを考えていたのかと、自分で自分に驚くこともある。(それ私だけ?)

 

一つ言えるのは、会議によって何かが決まっていくというのは、そう出来る能力がそのグループにある、ということに他ならない。

 

さて、日本はその能力を持つのか?

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