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2012年6月

2012年6月26日 (火)

隣の県からマスカラまで、、。

昨日はタイトルロール全曲を歌うというOさんの演奏会に隣の県までお出かけした。女4人のお出かけは、まずランチの予約から。。。。が、ICを一つ間違えて通り過ぎてしまい、たった一つのミスくらいすぐ取り返せると踏んだのが大間違いで、迷子になってしまった。ぐるぐる回って、しかし根性で食べ物はありついた。ヘルシーな和食コースは胃に優しく、フムフム。

さあそこからホールまでの移動がこれ又大変。頼りのスマホナビは、oooホールと入れたらホールのみに反応したらしく、全く違うところに連れて行かれる。最終的に住所を入れると無事たどり着けたが、ま、確かにこのナビは便利ではある。本当のカーナビは口で説明してくれるが、スマホは助手席の人が見てないと駄目だ。「こんなの読んだら酔う~~」と文句を言いながらもなんとかMが読み上げてくれてたどり着いたがイヤハヤイヤハヤ。

こじんまりしたホールは円錐形の素敵な建物。ホワイエの天井にはトマトが数珠なりになっていて、なんとこれがバイオのテクニックで1本の木からなっているという。小ホールといえども反響版がキッチリしていて、その装置を正確に使うことで、少人数でもしっかりした声量を楽しむことが出来た。訓練された声を重唱で聴くのはホントに楽しい。

客席に空席が目立ったのはこの手の演奏会を個人で開催することの難しさを教えてくれる。そもそも主役のソリストが本番当日まで必死でチケット売りをしなくてはならない自体が、余りに過酷だ。、、、、何とかならないものなのか、と思うなあ~。この方の場合はそれだけではない。殆ど全てのプロデュースも自分がやっているはずだ。一つの演奏会を実現することの大変さが、カーテンコールでのよろめきに現れていた。と思う。50歳を過ぎてこのパワーには敬服するが、、、。

 

で、本日は朝シェイクスピア、午後シャンソン、夜ちぇち練と続き、流石の私も夕食の準備の前にマッサージ機に突進してワンクール爆睡だ。起きてみるとマスカラが下瞼に黒々と付いている。綿棒で消そうとすると皺がクッキリ。わ~お。まいっか。誰も私を若いと思ってる人は居ないんだから。と居直ってチョン。

2012年6月24日 (日)

明日は「椿姫」

今月も又速達での短歌投稿となる。どうも締め切り間際までかかってしまうなあ~。もし締め切りが中ったら全く出来ないかも知れないなあ~。締め切り、ねえ~~。

 

9月のCantiamoの為ということで、リゴレットの四重唱の初めての合わせに行く。が、合わせることにはならないだろうという予想通り結果は悲惨なものだった。発案者でもあり、一番張り切っていらっしゃるH先生はご自分のパート以外もしっかり声を出されてさすが~ってところだが、、、、いやはや、美しいメロディーではあるが、、、、どうなることやら。これだって、〆切りがあるからやる気になるんだ。

 

今日はFMを聴けというお達しがあって、シャワーのあとの濡れ髪のママ車で聴いた。アカペラグループの若者だったが、未だにブームは続いているのか?随分昔に同じグループのリーダーたちとFMで喋ったことがあったが、あれからず~っと続いているというのには恐れ入った。次々と学年が入れ替わって人物がそっくり変わりながら形は存続するというのは凄いことだ。ちぇちのようにまあ変わった部分もあるが、同じ人が長く続けているというのとは違うエネルギーが要りそうだ。殆どが医者の卵ということだが、私的にはこういう趣味を持ちながらその道に進んでくれるのは歓迎だなあ~。その音楽が自分を助けたり、患者を助けたりすることがきっとあると思えるから。

まあ何にしろ若いってことは、良いなあ~と素直にラジオを聞きながら思った事だ。

 

昨日の我が家の夕餉の食卓は殆どが頂き物の食材だった。それだけで、すご~く幸せな気持ちになるから不思議だ。茄子キュウリ玉葱ジャガイモ瓜などで、そこはもっぱらご主人が自家菜園に凝っていて、出来た物を配るのが嬉しいとか。いやはや有り難い。今日はその上に、我が家の表に少々出て来た青紫蘇をちぎって、これまた別の方から頂いたハチクとともに天ぷらにしたり、それでも余るハチクは煮付けたり、季節感のある料理が続いた。夫が相好を崩して喜ぶ。、、、昨日二度目に行ったペインクリニックの治療が功を奏して、膝の痛みが減少しているのが、生活に弾みを付けている。洗濯しても何しても気分が良い。やっぱり健康が全てだなあ~。

 

メール会議が頓挫している感があるが、これも難しいものだ。システムをキチンと決めてかからないと、誰かがやってくれるだろうという他力本願になりそうだ。音声による言葉はいい加減という訳ではなくても、まあ気軽に話せるが、たいした事無い内容でも、文章となると、矢張り考えてしまう。今どきの人はこうして打つ事になれていて、たいして苦にならないのかも知れないが、こちらはそうは行かない。携帯メールなんかとんでもないって感じだ。だからこちらからはなるべくパソコンでやらせて貰っているが、、、、。多分メールは来ないけど、みんな内心では考えているんだろうなあ~~と想っている。

まずは時間を決めてやった方が良いかもねえ。ふ~っ。

 

明日は徳島。吾が愛車で4人で出かけるが、今日は早速ランチを予約した。高松から行きますので~というと恐縮されたが、鳴門ICから10分位というのでそこに決めた。写真や口コミ記事によると、かなり良いお店みたい。楽しみ~。車も満タンにして安全チェックもして貰い、洗車までしてもらったが、明日は雨らしいなあ~。というわけで、車だったら遠くても行けるんだなあ~これが。京都でもレンタカーであちこち行けたし、鴨川の土手でお弁当を広げる何てことが出来たもんねえ。まあまだ色々楽しめそうだ。車があれば。

実は先日膝の痛みがピークだった折、ソプラノのY女史のコンサートがあった。前日まで調整を続け、知らない地名とルートをパソコンで調べてプリントアウトまでして行く気満々だったが、やっぱり自信が無くなって断念したばかり。予想を遙かに超える大入り満員の大盛況だったようで、私なんかが行かなくても勿論何の問題もなかったが、それでも矢張り行けなくて残念だった。以前はこういう事無かったんだけどねえ。司会をやる旦那様のトークに大いに磨きがかかってきたようで、実はこれも聴きたかった。ま、彼女は前向きな人だから又聴けるに違いない。次回を楽しみに、、、。

しかし、この時の試行錯誤で、一つ賢くなって、行きたいところを容易に割り出すことに成功し、お陰でナビがなくても目的地まで簡単に行けそうなのだ。何でも無駄なことはないなあ~。

2012年6月19日 (火)

会議。このむつかしきもの。

「ベスト」を求めて人々は「会議」をする。価値観の違いや概念の違いなどから、それぞれの「ベスト」が違うための議論が繰り広げられ、お互いに譲り合ったり、全体を眺めて修正したりしつつ結論へと向かって行く。我が国の国会を見ていても、これがどれほど煩雑で大変な作業かということが分かる。あれに比べればわれわれはうんと手際が良いと思える。まあそれに、国会はそれぞれが自分の利益を最重点においているから、感情的でどうしようもないところまでどろどろになっていく。その点、我々の最終目的は、「最後は全体」だから、何とか収まっていくのかもしれない。「個」を前面に押し出していては、絶対にまとまらないだろう。

 

今回、初めてメール会議が登場した。参加者が自分の意見を一斉メールして、あたかもそこに相手がいるかのように空想しつつ意見を述べ合う、というものだ。しかし、悲しいかな。この手段はこれのみにて全て完結するとは思えない要素をはらんでいる。

「会話」とは、目を見て、表情を見て、小さな相づちを感じながらその人の意見を理解しうる。話し言葉の奥にあるものも読み取ることが出来たり、声の強弱によってもその考えがどれほどその人の真実に近いかを聞き分けることも出来るだろう。だからこそ感情的になったりもするが、冷静だから良いとばかりも言えないのではないか。

所詮人間は生身。イコール刻々と変化しうる生き物だ。何日も前の日記を読んで、こんなことを考えていたのかと、自分で自分に驚くこともある。(それ私だけ?)

 

一つ言えるのは、会議によって何かが決まっていくというのは、そう出来る能力がそのグループにある、ということに他ならない。

 

さて、日本はその能力を持つのか?

2012年6月16日 (土)

現実、非現実。

いつになく身体を休めて=足も休めていたが、これが落ち着かないことこの上ない。あまり動かないで仕事をしようと、店の片付けをチマチマと始める。医師の薦めに従ってサポーターを装着。数時間痛み無く動けたのは漢方薬も効いてきたのか。明日は結婚式に参列の古い友人がヘアーメイクにやってくる。着物を着る予定だったが、どうやら雨。断念するらしい連絡を受けたが、いずれにしても久しぶりにやってくるそのTさんの為にもとちょいと頑張った。気温が高かったのか汗びっちょり。最近買ったスチームが出る掃除機で気になっていたところもやってみる。「又掃除機?」と母に呆れられたが、この小さな道具はなかなかに優れもの。何より、掃除をする気持ちにさせてくれるから良い。

そのTさんは私より2歳若いくらいだが、定年後も働いている。最近空き巣狙いにやられて、ごっそり着物を盗られ、お茶道具やら掛け軸など全て無くなったという。全く怖い世の中だ。どこで誰に見張られているか知れた物じゃない。昔昔は玄関を開けっ放しで出かけることなんかざらにあったが、最近ではうっかり鍵を持たずに先に出て、帰宅して入ろうと思うとがっちりどこからも入れないという事件が何度も起きる。

といいつつついこないだは、鍵で中に入ろうとしたら夫が鍵をかけ忘れて出かけていて、なんかドキッとしてしまう。念のため包丁を抱えて奥の部屋の探索をしたくらいだ。この時は妻の温情で糾弾せずに済ませたが、2,3日経ってから冗談で「こないだこういう事があったから、裏に誰か住んでるカモよ~」と冷やかしてみた。最近欠点を指摘されると逆ギレすることがあるから要注意だ。男って年齢と共に神経質になるのかなあ~?ま、うちの場合だけかも。

 

現実のこういうことをしばし忘れさせてくれた昨日の映画、あの「プリティ・ウーマン」が仕事をしていても時々思い出されてにんまりしてしまう。ああいう軽いのが時々やけに良いなあ~。あの映画を映画館で見たときの一番の印象は、オペラ「椿姫」を見に、自家用機で出かけるシーンだった。街角に立つ娼婦が初めてオペラを見て感動の余り涙する、、、というこの下り。改めて昨日見ると、随分押さえた演出だったのに驚いた。最初に見てから段々自分の中でふくらませていたんだろうか?と思うくらいだった。印象とはコレほど違うものなんだろうが、、、。よくよくそのジーンを見ていると、確かに彼女は最初のはすっぱなだけの女から、徐々に舞台に集中し、彼女の本来持っている感性があらわになってくる。その流れは同じなんだが、、、。

ヴィオレッタが好きな人の父親から別れてくれと迫られる場面など、自分の事のように動揺しているのが分かる。彼のためについた嘘をそれと知ったアルフレードが謝罪に駆けつけるラストでは、声も出ないほどの感動で涙がにじむ、、、、という展開。私の印象では、もっと激しく彼女が表現していたものと思っていたが、、、、それは、この映画全体がもたらした視聴者の感情を増幅させるというテクニックだったのか。オペラの場面と現実の彼女たちを交互に映し出すことで、観ている方は二重に感情が高ぶる仕掛け。それをより効果的にしているのが、アリアだろう。あの音楽の見事さがこのシーンを最高に印象づけるものとしている。

余り同じ映画を二度観ると言うことをしないが、こういう事があると、別な面白さがあると思える。きっと読書も同じ。、、でもねえ。それにしては人生が短すぎるなあ~。

立てば歩め、じゃないけれど、、、。

今朝も早よから~♪病院だ。ネットで調べて行ったので医師の年齢が分かるはずが、10歳くらい上に見える=怖い感じのするお医者さん。無駄口を叩かないというだけのことらしかったが、この無駄口に救われる患者が多いのも事実だ。

ま、こっちは痛みさえ取って貰えば良いんだが、その点に於いて、今までにない即効性があった。友人から聞いていたとおり注射がお上手で痛くない。針治療と漢方も取り入れて、完全に痛みを取ることを目的にしているようだった。このまま痛くなければ1週間後で良いらしいが、帰宅してから身体がだるい。雨のせいもあるだろうが、、、、。

寝っ転がって「プリティ・ウーマン」を途中から見たりしてだらだらしていると友人が次々と現れる。お互い知らない中ではないので、人数が増える毎にお喋りに花が咲く。女の会話は男性が思ってるほど狭くない。今日なんか、このヒザの痛みから多岐にわたる病気の話し。孫の話も出るには出たが、県民性から国政まで、、、そうそう、今日は例のO集団の逃げまくっていたTが逮捕された話しも当然出て来てた。おかしなことに、それぞれが得ている情報がてんでバラバラで、特に私と来た日ニャ~NHKの速報程度だから某局のスクープ的情報なんかYから聞くまで全く知らなかった。このしっかり者はいつも正確な情報を提供してくれる。それに引き替えテキトーなのが私とTだ。「へえ~、そうなの!?」を繰り返すのみ。基本的に「少々どっちでも良い」と思っているふしがある。それぞれ役割分担が出来ていて面白いもんだ。

 

最後の人が現れたときは、「あら、こんな時間」とそそくさと帰る人も、、、そりゃそうだ。6時前までくっちゃべっていたんだから、主婦は大変だ。

 

今日は遅くなるとも聞いてないので、だるい身体を引きずりながら夕餉の支度。通院とお喋りで何だかお腹がすいてきたので先にぼそぼそと食べる。そこでようやく、Yが言い残していった情報をなぞる形でテレビを見ることに。

しかし、まんが喫茶のあの黒山の人だかりは違和感があったなあ。のど元過ぎれば痛さを忘れた人達が、物見遊山でもあるまいに、、、、。ま、どういう気持ちの人達だったかは知るよしもないが、少なくとも被害者の家族達はそういう行動は取れないだろう。改めて一新興宗教による、国家転覆を謀ったあのおぞましい事件を思い出して気分が悪い。捕まって一件落着では無いだろう。知らなかったが、友人たちの話しでは、教祖は既に痴呆が来ていて、質疑応答出来るかどうか怪しいらしい。それを思えば、この事件のこれからに、暗澹となるほか無いと思うのだが、、、。

この事件からは「マインドコントロール」という言葉が思い出されるが、かくも人間は精神的に脆く、自分を保つことが非常に難しいということを教えてくれた面もあった。ロッカーの中から出て来たバッグの中に、まだ教団の教本が沢山出て来たらしいが、それを読んでむしろ逃亡のエネルギーにしていたのかも知れないなあ。

 

立つことに痛みが無い今、明日は歩くのも痛くなければ嬉しいなあ~。。。どうしても行こうと思っていたコンサートは、残念ながらパスしてしまった。

2012年6月15日 (金)

フェリーに始まり孫に終わる。

今日はフェリーの乗り降りについに限界を感じた。やっぱりイヤでも病院か、、、と悩んでいたときに友人が勧めてくれたので、その人の言うあるクリニックで痛みを取るケアをしてみようと思った。明日は早速電話をしてみよう。

ホームページを見ると痛みによって又新たな痛みが起こるという悪循環は断ち切らなくてはイケナイと書いてある。これは体感的に納得だ。その友人は何度か通い顕著な結果で、かなり良好らしい。藁にもすがる心境だが、、、、、。

 

昨夜はちぇちの会議であった。食事をしながら和気藹々と話しが進むのは、こういう団体ではある意味理想の形。前々会長のポリシーでもあった。「食」は色んな場面で人々に貢献しているなあ。

基本的に料理は好きな方だ。時間とお金があれば何日でも料理を創り続けるだろうと思うくらいだ。、、が、やりたくないときがあって、これは大概疲れすぎているとき。まあこれは料理に限らないが、、。

 

とりあえず、家族の中でもそうは呼ばさないがババであり、この団体に於いても長老だ。実務は若い人に任せて少しずつ足を抜いて行こうと決めている。そのぶん別の形でせめてママの役割をしたいものだ。

 

そういえば今日は小1の孫べえが自分で電話してきた。こちらの体調を心配してくれてのことだったようだが、学校での彼女なりの悩みなども話し合ったもんだ。昔も今も、学校という場所は問題をはらんでいる。、、、が、こういうことを話せるまでに成長したのが楽しい。

 

声を聴くと会いたくなるなあ~。

2012年6月13日 (水)

システムに人間の情は、無い。

しばらくぶりにパソコン周りの片付けをしたら、まあぽいぽいと放り込んであったものが次から次へと出て来て、あらら、これも忘れてたなあ~とかやっていると丸一日かかってしまった。それというのも明日は我が家でミニ会議があり、いくらなんでもちょいとやっておかなくては、、、と殊勝な気分になったからだが、つらつら考えるに、一つのことしか出来なくなっているんだということを思い知らされた結果となる。何か一つ抱え込むと、他のことが全く目に入らなくなる。今どうしてもやらなくてはイケナイことしか見えてこないのだ。

今年の年賀状もそのままにしてあったのを、住所のチェックは後回しにして、とりあえずお年玉のチェックだ。ところが呆れるほど当たってない。2等3等に近いのもあるが、ピタッと当たらなくては意味がない。メンバーから来た物のうち1枚が頭2コの数字が入れ替われば2等だった!無念。

自分宛に来たものは全国規模だけど、それでもこんな結果。10枚しか来ない人出も1枚当たったりするから不思議なもんだ。

 

だいたい今日は碌な事がない日だったから、払拭したかったが、やっぱり無理だった。そのろくでもないことの一つが、航空券のキャンセル勃発。知らなかった。早く買って得するタイプのものは解約すると半額も取られる。だってまだ2ヶ月も先に乗る便だのに、それはないよねえ~。1万円以上もキャンセル料がかかってしまって、「切手シート」5枚じゃあねえ~。がっくり。

しかしこの航空券のシステムって、そんなのあり~?てなもんだ。いつだったかこの会社のミスで1000円の事ではあったが、余計支払わされて、何度もメールで平謝りされたことがあったが、その時はこちらは気持ちよく「良いですよ~」と対応して差し上げたのに~~。余りに機械的過ぎるんじゃん?

今回は、同姓同名が2回高松~東京を予約してるんだから、一方をキャンセルしてもそこまで採る必要あるかな~?情状酌量してくれても良さそうなもんじゃん!?っていうのはこっちの論理だろうが、、、。ま、注意しろってことか。は~っ。

2012年6月12日 (火)

快感のお話し。

そういえば先日京都で観たオペラ「源氏物語」のことを忘れていたなあ。感想は色々あるが、なんか不思議な物を観た、という思いが強かった。想像以上に美しいメロディに、力のあるソリスト達の声が怪しい華やぎをかもしだしていた。印象的だったのはここでも舞台美術にあまりお金をかけてないなあ~という点。京都らしく恐らくは西陣織かと思われる素晴らしい大きな布が両サイドに2枚天井からつり下げられていて、殆どそれのみと言っていいほどのセット。勿論それ自体相当な物だろうが、オペラの感覚からするとやはり地味だ。一度その布が下に下げられすぎて床部分でたるんでしまい、再び巻き上げられるというハプニングに思わずにやっと笑ってしまったが、、、、。しかしここでも衣装にはしっかり時代考証があり、みなさん煌びやかな平安朝のものを身にまといしなやかに動いておられたのは、あるいは道具以上に効果的だったかも知れない。狂言のプロが演出ということを考えると納得のいく演出だ。動きは押さえ、歌唱力で心象を表現するというやり方は、まさしく「能」の世界のものだ。

私的には、光源氏のイメージがもっとお若い人かと思ったが、色んな意味で難しいのだろう。色っぽい声の持ち主ではあったが。こちらご出身のK女史は舞台が狭いと思わせる声量で他を圧倒していた。藤壺という夫の子どもを愛してしまい子どもまで宿し苦悩するという難しい役どころを余すところ無く表現していた。何より言葉が鮮明で、和歌を歌うときに字幕が出るが、それを読むまでもなく意味が通るほどだったのは素晴らしい。、、、、日本語も古文となるとどうじても字幕が必要だ。いやいや、日本語の訳詞のオペラでも近頃付いてるらしいからなあ~。

 

この時一緒に行った友人Mから電話があって、あの時レンタカーであちこち行けて楽しかったよねえ~、、と思い出話。これは癖になったなあ。、、、と思っているとレンタカー会社から郵便が。何だろうと開けてみると、会員カード。そんなの申し込んだのさえ忘れて居たが、、、。ま、又きっと使うだろう。この調子だと。体調がイマイチになっているが、妙なことにヒザの痛みは軽減している。いやいや、昨日の今日だ。やってくるのはきっと明日だ。

 

そういえば、今日は昨日の一大イベントの仕掛け人Kさんが御礼にとやってくる。驚いたことにその日から仕事に入ったそうだ。人間業ではない。、、、私もよくそう言われるが、レベルが違う。完全脱帽だ。

昨日はちぇちも活躍した。当日参加出来ない人も、影で活躍したし、歌で参加した人も、裏をしっかり手伝った人も、見えないところで協力した人も居て、ちぇちの団結力を遺憾なく発揮した。、、、なんか、こういうのは嬉しいなあ~。

「司会で笑って貰えて、笑われる快感を知った!」とみんなに言うと、「うわっ!みんなおかしくなってきた!」と笑われてしまう。いやはやまったく、「落語ペラ」に馴染んじゃったかなあ~、全員。ピアニストだって例外ではない。フフフ。

2012年6月10日 (日)

常識と闘う人。

情報とは漏れるもんだなあ。昨日病院で点滴したというニュースがを娘が知っていて電話してくるし、ある人からもメールに「聞いたけど、、、大丈夫?」というメールが来る。あっちゃ~てなもんだ。

ナゼ点滴か。理由は分からないが急な高熱と倦怠感と、この私が完全な食欲不振に陥ったため。こんなふうな食欲不振は、長い間経験がない。とにかく水とスイカしか受け付けないのだ。で、今日の本番を前に何とか体調を戻そうと、病院に行き、点滴をし、整骨院で軽いマッサージ。何とかなるだろうと高をくくって就寝するも、全く眠くない。これは困ったと、睡眠導入剤を飲んだが,1時間ラジオを聞いても全く眠くならない。通常深夜放送を20分も聞けば眠っているはずが、尋常ではない。これはまずいと、再び導入剤。が、これも全く効果無し。目はらんらんとしてきて、なんども七転八倒してはトイレを繰り返し、ああ、6時か、、、という時にようやく眠った。1時間ほど熟睡したらしく、起きてみると案外元気。、、、あれはなんだったのか。点滴のせい?そんな馬鹿な。

 

で、ともかく9時にホール入りし、汗びっちょりになってロビーの飾り付けやら照明音響との打ち合わせ、やがてやって来たちぇちのお手伝いメンバーに資料を渡して説明していたらあっという間に開演だ。ホントに本番の日の時間の経ちかたはいつもと全く違う。しかも今回は出演者ではなく、司会という形。少々勝手が違う。

司会は、言いたいことを言わして頂くという形で進行したが、別室で操作する照明さん達の為に司会者のセリフ台本のような物を作成し、それを渡すというこの資料作りが大変だった。大体において、司会はいつも曲目とか、演目を頭に入れたら、その時思いつくままを自由に言うというのが自分流。あらかじめ台本を作るというのはホントに面倒この上ない。が、これをやってないと、手違いが起きて舞台がスムーズに展開しないため、やるしかない。なんとかかんとかやっていても、それでも現場は生ものだ。何が起きるか分からない。

 

さて、本日のイベントは何か、と聞かれたら、説明が難しい。Kさんという50台半ばの女性が居る。この人は仕事を持っている上に、10指に余る趣味を持ち、今回その方面のお仲間を巻き込んで全ての「発表会」をやることにした。で、「私こういうことをやるの」と一言言ったら、関係ないグループも出演したいとの申し出が相次ぎ、盛り上げたい一心で快諾を続けていたら、とんでもない大事になってしまった。しかし彼女は長く印刷会社に勤務していた経験もあるため事務能力もあり、あっという間に企画を完成させた。が、ここまで大きな事となると、安易な舞台作りは出来ないとなった。かる~く考えていたあれこれが、俄に彼女をパニックに陥れた。「Help me!」と駆け込んできてからはこっちが大変な事に。、、、まあ、熱も出るわいなあ~。

あまりの欲張りな企画に、私はかなりクレームを入れた。「常識」では考えられないことをよろうとしていると。ホール入りして他の裏方に聞いても、全く同意見。みんな引きずり込まれてあっぷあっぷ。私同様クレームを付けた人も居たようだ。が、結局は彼女は自分が思ったとおりにやってのけた。凄い。のひとこと。

ある友人は言う。それは県民性だと。なるほど、彼女は高知出身。讃岐の人間は概して保守的で、石橋を叩いても渡らない人が多い。ところがKさんは叩く前からその橋を飛び越えている。

 

そこで今日の私の「言いたい放題」の司会はある意味受けた感はある。恐らくは私同様の思いを抱いて鵜の目鷹の目で見に来た人も居たんだろう。司会しながら、ここまで言っても大丈夫?と自問自答していたが、一切よいしょはしないよと宣言してあったので気が楽だった。が、こうした調子の司会が途中で詰まってしまったことが1回ある。というのがある演目の指導者が出演の折り、読んで欲しいというメッセージを読み始めたときのこと。「いつも誰もいなくなったスタジオの片隅で、一人黙々と練習をしているKさんを見て、感心していました。、、、」ここまで読んで、私はそのKさんの姿が脳裏に浮かびグッと来てしまったのだ。こみ上げる物を堪えながら最後まで読ませて頂いたが、何をやるにしても上っ面をなぞるようにしかやらないという印象を持ったことが恥ずかしいと思えた。自分の根底に「人間そんなに多くのことが出来るはずがない。」という「常識」がはびこっていたのだ。

 

「常識」について、面白い論調の文章を読んだ。人間がナゼ「常識」に拘るのか。それは種の保存に他ならない。生まれて成長し、一定の年齢に達したら仕事をし、結婚し、子どもをもうける。やがて、その先に連綿と子孫が増え続けるのが人間にとって望ましい、、。というものだ。

周りの声や、周りの行動が、その人を幸福にしたり苦しめたりして、これまでと違う生き方や行動を促す。これが「常識」の持つ力。と彼は言う。いや全くその通り。かくも「常識」は怖い。

「常識」もそれにそって生きている時、我々の心は安定する。しかし、そこからはずれると苦しむ。

常識の恐るべきパワーから逃れる1つの方法は同じ種類の人と集うこと。てなことも言っている。

常識に従い続けるのはハードルが高い。常識は下世話で、ミーハーで、即物的。気まぐれにどんどん変わっていく。そして次々と高い要求を突きつけてくる。そんなものには自分の幸せを委ねられない。、、、というのがこの博士の主張だ。

 

Kさんはこの意味において、「常識」と闘っている人かもしれない。考えてみれば、吾が周辺もこの「常識」と闘う人がケッコウ居る。私自身もそうだとの思いを新にした。

 

結論=「色んな人が居て良いんじゃない?」てとこだ。

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