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2012年5月

2012年5月29日 (火)

事故が多いなあ。

ちぇち練からの帰り、何だか物々しい雰囲気で道路が封鎖されている。大勢の警官が出ていたが、どんな事故だったのか、、、。そういえば今日シャンソン教室にやって来たYも「たった今担架で運ばれる現場を見てきた!」と眉を曇らせていたが、そういえば京都でも現場を見たなあ~。気を付けなくては、、、。

 

、、、なんだけど、本日の忙しさはにゃんともかんとも、、、遊んだ後のバツゲームみたいなもんだ。朝はシェイクスピアの新受講のためいそいそと大学だ。恒例となった昼食会に新人がお二人参加。それだけで何時もと違う雰囲気が、、、。と思いきや、そんなことには動じないおばさん達。自分に興味あることにどんどん会話が走る。司会役のアチクシの疲労から来る手抜きのせいもあるが、まあ話しがあらぬ方へと進んで、ついには流石の私も舵取りをせざるを得ないことに。

テーマは、「個人情報」について、という如何にも堅苦しいお話し。が、これがおばさん達にとっても問題視されるほどの問題になってきている訳だ。あたしゃ個人的には個人情報は余り厳密に規制しない方が良いという「派」だが、中には、厳重に問題視する人も居る。勿論かく言う私も、電話セールスでさんざん迷惑を受けているし、この手のことに個人情報が使われるのは確かにうっとおしいとは思っている。が一方で、そこまで厳密に考える必要があるのかと疑問に思うことも多々ある。何でも学校では子ども達の住所や電話番号をそれぞれが知り得ない仕組みになって居るらしい。先生からの連絡事項は先生からの一斉メールだとか、、、。それで、世の中「絆」なんて言葉が流行しているのもおかしな話しだ。リスクを厭う余り、大切な物も無くしていって居るのではないか。、、、なあんてことを考えながらみんなの話しを聞いていた。最後には、「この問題はまだまだハッキリした結論には至っていないし、どちらかにキッチリと決まるものでもないような気がします。シェイクスピアの作品も、様々な角度から解釈できるし、それが面白いのではないでしょうか?」なんぞといってお茶を濁して終わったが、、、。ふ~っ。

そういえば、京都の瑠璃光院というお寺でも、芳名録に名を書き連ねている人達は一様に住所を都道府県で終えていた。以前なら堂々と自分の住所を全部書いただろうに、、、。お寺でもねえ、、、。

 

続いてはシャンソン教室。こないだの発表会のあれこれを反省したり評価したり、、、。出来てきた写真を見ては太って見えるだのあの人はキレイだっただの、、、、で、DVDは不要。ま、これで良いのかも。みんな夢の中の出来事としてやり過ごしていくのも、それもありだろう。向上心が旺盛なばかりが人間の価値を決めるわけでもあるまい。。。。てなアチクシに教わる人も気の毒だ。ふ。

 

終わってから久しぶりだとてお茶タイム。しばし歓談して解散。あたしゃ大急ぎで帰宅して夫の夕飯の準備。流石に昨日の疲れが出て、夜のちぇち練前にはマッサージ機で15分爆睡。おっと間に合わない、と大急ぎで車を出す。、、、こうして動けているのを感謝だが、ホントに気を付けなくてはとの思いも新にしている。

 

ちぇち連は、W先生の久々のご登場で大いに盛り上がる。矢張り的確な指導とあの男らしいユーモアをまじえた運び方は、女が惚れる女だ。その上、新会長のご参加で、次回「落語ペラ」の話しも順調な滑り出しとなる。何時もとは違い確かに始まりは早いが、、、。今回はどうぞこのままとんとんと進んで欲しいもの。新メンバーともども各人の紹介タイムも取り、本日は充実の練習時間となった。

 

始まった、、、、。

2012年5月28日 (月)

疲労困憊。旅のあと。

S子の死後、泣きながらせんべいを噛むような日々を過ごしていたが、週末に祈りの街、京都へ出かけ、いくつかお寺参りをしている内に少し落ち着いてきた。

京都。随分久しぶりのようで、実はそうでもない。友人達とバスツアーで出かけたのは、確か2年ほど前だろう。今回は全くのマイプランで、全てインターネットで予約して出かけたのだが、終わってみて、ま、これもありかという思い。どちらかというと今回の方が楽しめたかもしれない。ネットで検索して居る間から既に旅をしている気分だし、実際に画面上のものが、現実になる面白さも体感できる。

初日はSというホテルで、スイートルームが格安というのに飛びついた。が、内心は眉唾ものだろうとたかをくくっていたが、着いてみるとこれが意外とグ~。まず驚いたのが部屋に2台もテレビがあること。でかい方は長いソファの前で小さい方がベッドの前に。しかもダブルベッド2台がくっついていて、思わず二人で叫んだもんだ。「なんで、相手があんたなんよ!」

ゲラゲラ笑いながら、お部屋探検。通常我々がお泊まりする安宿とは違い、全く使用しなかったが、家具があれこれ置いてあり、スタンドランプがあちこちにある。食器棚にまでライトがはいるのにはオオ~。エコとは程遠い部屋。トイレ、洗面、バスが全部仕切られているし、別に独立した洗面所もある。至れり尽くせりの設備に二人ともおおはしゃぎ。、、、しっかり堪能するはずが、二人とも日頃の疲れが出て早寝。しかし、驚いたのは冷蔵庫。これほどの設備が整った立派なホテルでも、冷蔵庫は空っぽ。昔はどんなホテルにも必ず入れてあったのに、、、近くのコンビニで好きな物を買って入れる、というのが日本の常識なのか。

で、バイキングの朝食を採ってからレンタカーで移動。次の宿泊は大原温泉。こちらは山荘というだけあって、トイレ共同、バス無し。勿論温泉は山の細い石段を上がっていくという不便。同じように朝食が付いていて、こちらは京のおばんざい風。

この2軒がほぼ同じ料金だったのがおかしい。そして、どちらにも馴染んでいる我々もおかしい。いやはやいやはや。

レンタカーで動いたのは全く正解だった。信じられない程の人出だったが、何とか移動がスムーズに出来たのも、車の移動があったからだ。、、、しかし、日本人は京都が好きだなあ~。。。。かくいう私も、又行きたくなっている。今日は疲れた。オペラのことは又明日だ。

2012年5月21日 (月)

昨日今日。明日。

昨夜、自分のことを「お姉ちゃん」と呼んでくれていたS子が突然亡くなったとの知らせを受ける。あまりのショックに折しも降り始めた雨に濡れながらしばし茫然。最後の電話の声が脳裏を駆け巡る。、、、夫に看取られての最後だったようだが、何か自分に出来ることはなかったのか、との想いで胸が苦しくなる。美人で、頭脳明晰、性格も優しくて、純粋な女性だったが、人生は波瀾万丈。海外で暮らした経験があり、夫婦二人三脚で子供を持たない代わりに事業に精を出していた。が、その事業はバブルがはじけて以降思わしくなく、遂に破綻。再出発の意欲に燃えていた矢先の癌発病だった。、、、人生は虚しい。まるで夢のような彼女との時間だった。

 

昨日は悲しい最後となったが、始まりは短歌の吟行で屋島寺の散策から津田で陶芸教室もしている会友Nさん宅へと移動して、まったりのんびりと半日を過ごした。久々に粘土に触れ、「ああ、この感触だ!」と懐かしんだものだ。

Nさんはご自分で作った茶碗で全員にお茶を入れてくれるなど、いつにかわらぬ細やかなお心遣い。一人でお好きな陶芸や畑などをしながら優雅に暮らしていらっしゃる。私の理想の暮らしだ。「出来るだけ一人で自立したまま永くこの生活を続けたい」と言われる彼女の言葉に深く同感。

 

そして急ぎ帰宅して迎えの車にびっちり5人が同乗して、五色台のK画伯のアトリエへと出かける。既にガーデンパーティの準備が整い、まだ暮れきっていない瀬戸内海を目の前に、数十人が集い、のみ、食べ、しゃべり、挨拶する。夕刻と共にどんどん寒くなり、我々は準備して行った真冬のポンチョやストールが大活躍。しかし、殆どの人はバーベキューやアルコールで上手く寒さをしのいでいる。画伯ご夫妻のお人柄で、パーティは大いに盛り上がり、時間があっと言う間に経ってしまう。早々に別れを告げ、みんなより一足早く帰りつつ見上げると、真っ暗な山の中腹に会場辺りだけ暖かい灯りが点っている。、、いつまで続いたのか。

 

で、帰る早々訃報に接した訳だ。きっと眠れないだろうと入眠剤のお世話になって布団に入ったが、一晩中夢を見て、それも次々と周辺の人が亡くなっていくという妙にリアル感のある夢で、うなされ続けた。6時に目がさめ、一瞬金環日食のことを想ったが、「ええい、ままよ」とばかり又ベッドへ。次に目がさめたときはすっかり日が昇っていた。パンをかじりつつ見ていると案の定テレビはじゃんじゃん日食のことをやっている。が、アチクシは特殊眼鏡も買ってない為、例え起きても見られてなかっただろう。

 

ヒザの調子が昨日の吟行で悪くなってたらどうしようとビクビクもので起床したが、予想外にだいじょうぶ。でも時間があるときに行っておこうと決めて、出かける前に作詠に取りかかる。12首。半端な数じゃないが、書とめたメモなど引っ張り出して、何とか仕上げ郵便局へ。速達でなく出せたのはメデタイ。

整骨院での施術が身体に合ってるような気がして、先日に続き今日も出かけてみると矢張り話題はアレだ。「お客さんは金環日食見られましたか?」と言われ見てないというと、この若くてちょっと投げやりなものの言い方をする施術師は、自分も全く興味が無く見てないという。しかし朝来たお客は5分だけだったが、奇跡のように雲が晴れ見られた、と告げたようだった。そうか、世の中、そうなんだろうなあ~。飛行機までそれが目的で飛んでるしねえ~。、、、今夜のちぇち練では、あんまし話題にならなかった所を見ると、私のような同類が集まってるのか。「一緒にしないで!」という声が聞こえるような気がするが、、、。

 

そんなこんなで毎日毎日過ぎていく。週末には京都行きが控えている。、、、こうして私もS子に近づいていくわけだ。

2012年5月17日 (木)

逆療法?

子どもの頃、お腹が痛いと言うと父がよく言ったもんだ。しっかり食べるとすぐ治る!、、、これってかなり無謀な発想だが、それで何となくやり過ごしていたというのも不思議なことだ。もしやそのお陰でこのような巨体に育ってしまったのかも知れないが、、、。

先日来のヒザの痛みに、今日は思い切って逆療法を試みた。プールに行って30分ほど水の中で歩いてみた。その後は岩盤浴で汗をかく。ゆっくりお風呂に浸かって帰ったら2時間近くかかったことになる。が、これはやっぱり良かったみたい。歩くときの痛みが明らかに軽減している。

ところが、帰った私を捕まえて夫が言う。「今夜食べた食事の内容が思い出せない!」「おお~ノ~ッ!」てなもんだ。3時間前だ!これじゃあ吾が母よりまずいじゃん!?しゃくに障るのは、料理以外は全部覚えている。ご飯は勿論、ビールや梅酒などは完璧だのに、おかずが思い出せないなんて、全くどういうこと!?私の苦労は?と詰め寄ると、「いや~美味しかったなあ~という記憶はあるんだけど~~」と空々しい解答。少しずつヒントを上げると手を打ってそうだったとのたまう。しかも、ゴボウは固かったので半分はそのまま飲み込んだ覚えがある、だとお~!皮なしウインナーがもうちょっと焦げ目が付いた方が良いなあ~と思いながら食べただって!?あれは焼いたんじゃなく、ボイルしたんだけど!!etc,,etc,,.ったく、大丈夫かいな!?

 

結論は。「老化現象」。。。そういえば今夜ジムに行ったらロビーに友人が一人ポツンと座って雑誌を読んでいる。声をかけて話しを聞いてみると、夫婦でいつものようにやって来たのはいいが、どうも不整脈の感じでしんどいから、自分は止めて、旦那さんが終わるまで待っていると言う。この夫婦は毎日殆ど欠かさずに通っているが、こういうことも起き出したのか。。。、ま、無理しない方が良いよと言い置いて更衣室に向かったが、彼女は大丈夫なのか。同じ年だからねえ~。分かるなあ~。何が起きるか分からないからなあ~。

 

実は、今日は多度津までゴスペルを聴きに行こうかと思っていたが、どうも自信が無くなって止めてプールにしたアチクシ。だんだん怪しくなってきた。ヒザが痛くて充分眠れてないのもあって、どうも元気が出ないのだ。昼間、デパートで刺繍展があるのを友人の車で観に行ったくらいで、どうも情けない。ここから早く脱却したいものだ。

刺繍はおよそ信じられない緻密さで、こういうことに情熱を注ぐ人も沢山居るんだなあ~と感心ばかりして帰ったことだ。ちょっと購買欲が生まれたものは、幸か不幸か全部購買予約済みだった。

 

女5人でランチにも寄って、お喋りに花を咲かせ、暑いほどの陽気の中を帰ったが、でも明日は寒さに襲われて、又竜巻とか起きるかも知れないとニュースが、、、、明日の岡山行きはだいじょうぶかな~。船は出るかなあ~。

2012年5月13日 (日)

同窓会。

同窓会とは奇妙なものだ。その時代にはそれほど親しくなかったのに、時を経てこうして集うとみんなすっかり仲良しだ。それぞれがそれぞれの時間を同じだけ過ごしてきて、幼い頃は知り得なかったその人の人生が垣間見えたりする。恐らくは平坦ではなかったかも知れないが、この場では一様に幸せそうである。少しずつ近況報告などありながら、和やかに過ごす快感がある。

今日は時期的に難しく、例年より少ない50名ほどだったが、それでも幹事達は大変だったことだろう。ホントに良くやってくれる。彼らが居てくれて、段取りをしてくれるから、遠い県外からでも集まってくるんだろう。実に52年ぶりに会う人が数名いたが、流石に彼らは様変わりしていたなあ~。女性陣が騒いでいたあのお方も残念ながらすっかりおじんだ。

4クラスしか無かった中学校だったが先生はお一人のみの参加。そりゃあ50年以上経ってるわけで、これは仕方がないことだ。が、今日聞いた話しでは、小学校の担任教師を訪ねて奈良県まで有志が揃っていくそうだ。私はクラスが違うのでそれには参加出来ないが、、、、このエネルギーはなんだろう。もしかしたら自分探しの旅かも知れないなあ~。

しかし、病気で飲めなくなったとか、最近入院してたとか、色々故障を訴える人も多かった。その反面、最後の力を漲らせてあれやこれやと楽しんでいる人も居た。勿論現役の職業人も。ま、昔の人よりは確かに元気なのではないか。、、って、こっちはヒザが相変わらず痛くて、びっこをひくのを気取られまいとして緊張して歩いたり、テーブルに付くや否や一度も動かず、みんなが寄ってきてビールを注いでくれるのを受けるのみに終始した。なさけない!

同窓生のあの人とこの人が昨年亡くなったと発表され、一瞬空気が沈んだが、スグにそれを跳ね返す勢いで盛り上がった。みんなの脳裏には次は自分かもという思いが過ぎったのかもしれない。少々早いか遅いかの違いだという悟りもあるだろう。

ケッコウ美味しい料理に満足して、3時間ほどの会合はお開きとなり、私を含む半分の人が二次会へと流れる。デュエットやソロを何曲か歌ったが、その後三次会となったときは流石にもう無理。ヒザも限界だし、妙にアルコールが回って眠い眠い。出るときは婿どのにプレゼントされた黄色いスカーフを巻いて、颯爽と出かけたが、帰路送ってもらう車中では思わずコックリ。イヤハヤイヤハヤ、、、、。

 

ゆっくり時間をかけて食事をしたせいか、全くお腹も空かず、やたら疲れたと訴えると珍しく夫は自分のえさを調達しにスーパーへ。実は帰るや否や外食しようかと誘ったが、予想通り言下に却下。外食よりはスーパーが良かったみたい。ま、少し成長してくれたか。こちらも夕飯の支度をするのから解放されておはぎ1コでチョン。

この同窓会は又3年後だそうだ。

2012年5月12日 (土)

眠い日々。

孫をみて余りに疲れたから映画に行く、といって義妹に呆れられたが、結局家にいると家事に追われて全く休めないからというただそれだけだ。休みに映画館に行くというのはどうやら私だけではないようで、大阪の友人から、今日は無声映画を見てきたが、半分以上眠っていた、とメールが来る。実は私が見た「幸せな教室」という映画も、トムハンクスがリストラされてナゼ大学に入ったかというその辺りの肝心の描写を完全に寝飛ばしたようだ。で、この映画を推薦してくれた友人に早速その旨をご報告。「今日のはイマイチだったわ~」私の意見をどう判断するか、、、結果も楽しみだ。

疲れの理由は一つには朝早くから近所で建築工事が行われていて、どっどっどっどと激しくやれら、朝寝坊が出来ないからだ。この界隈、一体いつになったら落ち着くのか。これでもかと家が建つ。

 

孫べえたちがいなくなって我が家はこんなにも空間があったのか、と思える程サッパリした。その分吾が胸の中も隙間だらけになっちゃった、、、。が、時間的な空間は全く無い。後回しにしていた本業も次々とやってくるし、海外から帰省しているお方の運転手なども勤めさせて頂く。あれやこれやで、明後日が同窓会だったというのもすかり忘れていたほどだ。やれやれ。

 

月曜日の練習にはレオマ行きのためお休みしたが、新しくメンバーが増えたという知らせを受ける。仲間が増えるのは色んな意味で嬉しい。しかも若い人だ!見るからに歌が大好きな感じの人だからきっと即戦力となるだろう。今後が楽しみだ。早く溶け込んで大いに活躍して欲しい物。、、、って、とっくに溶け込んでるかもねえ~。それが若さってもんだから。

 

先日夫と出来心で応募した「京都日帰り旅行ご招待」にナゼか私が当たってしまった。月末に京都行きを計画しているから、流石にこれは破棄するつもり。だが、今日友人にきいてみたら彼女もそういう経験があり、一人で参加したそうだ。知らない人と長時間隣り合わせっていうのもねえ~、と私が言えば、「寝てれば良いのよ!」と言下に言われてしまう。確かに、どこへ行っても往復爆睡の私だからそれでも良いのかも知れないが、どういう人か分からないもんねえ~。

 

京都行きの次は高知行きがあり、他にもなにやら怒りそうな気配が、、、。ま、旅行シーズンではあるが、このヒザではねえ~。足が一番だ。

2012年5月 7日 (月)

一つ終わった。

シャンソン教室の発表会が終わった。、、疲れた。毎度の事ながら、準備不足から来るストレスで胃が痛くなった。今回は何時もにも増して時間の無い中をやりくりしての開催だったから、余計だ。

しかし、不思議なことに出演者は出来不出来は別に、とても良い笑顔をしている。歌は人に聞いて貰って初めて歌になる、とは私の持論だが、そういう意味で満足感があるのかも知れない。この会は、来て下さる方も暖かく、ものすごくアットホームな会となっているが、みんんなの生活の潤いになっているのは間違いないようだ。

今回飛び入りで参加させて貰ったお嬢とも、つくずく、「歌って良いよねえ~」と話したことだ。

そのお嬢曰く、「お母さんが生きてる内に、持ってる物を全部渡してよね。」という。歌だけは絶対にトレーナーが必要だ。母親が身につけた物を全部教えてからあの世へ行ってくれということらしい。その昔「お母さんが死んだら生きていけない。どうしよう、、、。」と言っていたことを思えば格段の進歩だ。母になってホントに強くなった。

歌声も変わってきて、声に厚みが出て魅力が出て来た。矢張り子供を産み育てる事による変化だろう。私の思う、シャンソンが歌える条件が整ってきたというところだ。確かに、渡す時期だろうなあ~。

 

夜になって夫が東北視察旅行から帰宅。相当疲れているようで、あっという間に寝室だ。同行した息子も茨城の竜巻に心配して電話するも、爆睡中だったようでろくに返事もしない。心身共に疲れたんだろうなあ~~。

2012年5月 5日 (土)

グルメな日々と東北旅行。

娘からは又他人のせいにする、と叱られているが、せっかく上手く行っていたダイエットが、このところのお嬢達との食生活にバックしつつあるのは無念千万。先日の大窪寺参詣の時以来のヒザの痛みは御利益がなかったとがっかりしていたが、もしやそこに原因があるかも知れない。今日なんかは、昼間、近くに出来たちょいと素敵なレストランでランチ。風が強かったが我慢して外で頂く。このお店は初めてだったが、近いし美味しいし安価だし、明日も行って見ようと娘と話したくらいだ。何が嬉しいって、デザートが全てミニサイズを揃えているところ。が、注文して来てみるとミニでも結構な量。ま、結局はあるだけ食べちゃったなあ~。

夕飯は兼ねてからのお嬢のリクエストで、町中のイタリアンH。こちらは予約をすると午後7時からしか空いてませんと言われ、実際食事を終えて帰るときにも満室ですと断られていた人が居たほど一杯だった。それも無理はないと思うほどのおいしさ。どれもこれもみ~んな美味しくて大満足。我が母も、肉は勿論のこと、パスタや生ハム、アボガドサラダ、ニョッキやチーズピザに至るまで、ぜ~んぶ完全制覇。全く老人食とはかけ離れた食事だが、美味しいを連発して食べている。やっぱり食は力だなあ~。

そこを出て新しくなった丸亀町を散策。午後8時過ぎだったが結構な人の出だった。母はあまりの変わりように驚くばかり。、、、かくして、本日もたっぷりグルメの一日だった。ふ~っ。

 

それに引き替え、夫と息子は現在東北の視察旅行中。毎日震災地の今を伝えてくる。石巻では、「ガンバロウと言わないで」という言葉に新たな衝撃を受けたようだ。震災地の人々の想像以上の苦しみを前に言葉もないのだろう。あいにくの雨風に見舞われているらしいが、無事帰省して生々しい報告をしてくれるのを待とうと思っている。

 

我々高松滞在派と東北行脚中の二組の余りに違う生活。このギャップが、即ち日本全体のギャップだろうが、、、、全体で元気になる日が来れば良いなあ~。

2012年5月 3日 (木)

孫にまごまごする日々。

「うちの子は天才だと思ってるといつの間にか凡才になってくるのよね~。。。」とは友人の言葉だが、いやはや、全く毎日毎日孫べえには驚かされている。昨日まで出来なかったことを次の日には自分の意志でやってのける。さっきもイチゴを食べているので、「それなあに?」と訊いてみると、「イチゴ!」「フォーク!」とこちらの視線に入ってるだろうものの両方を続けて答えるなんざ、ちょっとビックリ。つい先日2歳になったばかりのくせにもうどんどん大人社会に近づいてくる。こんなにスピードが速かったかなあ~?わが子達。てなことで日々があれよあれよという間に過ぎていく。

その上小児科にもしげしげと通わされる。う、明日は当番医だっちゅう~の。ふ~っ。

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