いろんな事が出来なくなってきているというのを感じる日々。高いところの物を取ったり、重たい物を二階から運んだり、何かを一気呵成にやることが段々出来なくなっている。ぼんやりとそういうことを考えていたせいもあり、ここ何日かの天気の良いのをきっかけに思い切って、コンマリの整理術をやってみようと思い立つ。少し体力が残っている内にこういうことはやっつけておかなくては、将来ますます出来無くなってくる予感がする。
で、家中の自分の衣類を一カ所に集めるという作業から取りかかる。日当たりの良い部屋と思い、口出し屋の母を巻き込んでピアノの部屋一杯に集めてみたら、母があきれ果てるくらいのものが出て来た。「古道具やより多い!」と繰り返しため息をつく母を尻目に、片っ端から選別に入る。東京でお嬢がこれをやるというのを手伝った時、産後の肥満体型の為、初めは「ときめく洋服のみ残す」というコンセプトから最後は「合う、合わない」で選別に終始したのをゲラゲラ思い出し笑いしながらやり始めたわけだ。
ところがアチクシの場合、ホンの少しダイエットに成功しているので、殆どの物が、「合う」。これは困った。実際、ときめく洋服なんて、そうそうはないし、そう思えば思えなくもないし、、、、。これからの季節を思えば、少々何でアレ、Tシャツなんかは沢山欲しいし、、、。そもそもどっか破れたり汚れているというのもまず無い。、、、結局、デザインが気に入らないものや、買ったけれど一度も手を通してないけどもう要らないものは着てくれそうな人に回すことに。そしてどうしようも無い物は捨てる。二日間この作業をして、まだ半分も出来てない。でも絶対やっつけようという決心だけはしている。
選別しながらつくずく考えた。なんでこういう羽目になったのか。結局は整理術がまずいから、あることを忘れて次々と買ってしまう。もったいない精神から捨てられない。、、、ということか。近頃カルチャーでも「整理術講座」なんてのが出現しているほどだ。もしかしたらこれは現代病のひとつかも知れない。そんなに遠い昔でもない日本が、着る物も食べるものも不足していたのが嘘のような今の時代。多くの人が洋服の波に呑まれている。、、、デフレなんてのもこれに拍車をかけているんだろう。易くて簡単に手に入る。これを幸せと呼べるんだろうか?
丁度一服して続きをやろうとした時一本の電話が。しばらくご無沙汰のSさんからだ。彼女も偶然まさしく今この洋服の整理を始めたと言うのだ。で、新品ではないけれどクリーニングした物はラオスに持って行って頂けるのでしょうか?はたまた、どこかのボランティアに寄付は出来るんでしょうか?という内容だった。テレビで以前東北への支援にクリーニングしていればよいというのを見た記憶があり、それは伝え、帰宅した夫に聞けばラオスは暑い国だから夏物ならどうやらいけそうだという。あの国にはSさんのような小柄な人が多いから、これは歓迎されるかも知れないなあ~。
そして彼女のもう一つの悩みは、「着物」。流石にこれは捨てられないが、さりとて着る機会が殆ど無く、タンスのこやしになってしまっている。これを何とかしたいが、アイデアがないという。友人でリフォームを専門にやっている人が居るから紹介しますと伝えて電話を切ったが、、、、こういう人は多いんだろうなあ~。
そう思うのも、あとで出かけたホームセンターに「古着」が沢山つるしてあって、そこにあるはあるは、、、着物が全て525円で売られている。まあチラと見た感じでは、値段相応というか欲しいと思える物は全く無かったが、、、。沢山の人が、高級な着物を着ないでしまってあることだろう。、、ホントにあんまり考えたくないが、我が家のタンスにもムムム、、、。
朝の連ドラが終わったようだ。丁度仕事中で見られてないが、今回のドラマは一人の女性のある意味時代を変えたかも知れない「生き方」が上手くまとめられていた。「洋服」「着物」というものについて考えさせられる内容でもあった。「良い洋服は着る人を元気にする。」というセリフには確かに納得したなあ~。老人ホームで入所者に毎朝化粧をさせるという所があると聞いたことがあるが、これと似ているかも知れない。
まあとにかく、今の「こんまり流整理術」を急いでやらなくては。どうやら最後は「書類」らしいが、これもねえ~。大変だ。全てにおいて「潔さ」がポイントだろうが、、、。
それにしても近い人が亡くなるというダメージはケッコウ引きずるなあ~。私と先日亡くなられた人とは友人の範疇だが、それでも何かしらの重い気持ちにとりつかれている。ちぇちのメンバーはあの方もこの方もそれぞれもの凄く近い人の死を経験して、、、、どんな季節を迎えたんだろう。春の柔らかい日差しで少しでも元気になって欲しいなあ~。