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2012年4月

2012年4月28日 (土)

消耗に次ぐ消耗。

ソプラノコンサートのご案内が届いた。歌に良い季節到来だ。手帳を確認する暇もなかったが、何とか行きたいものだ。

今日は薔薇が咲いてないバラ園に孫べえを伴い、「お母さんのそういうところがアバウトなのよねえ~」とお嬢に呆れられながら、新緑芽吹く公園を楽しんだ。そりゃあ薔薇があればそれはそれで楽しいが、無くったってそれなりに楽しめる。特に子どもはそんなこと知っちゃあいない。「お外で遊ぶ」が出来ればそれで良いのだ。

母を連れて、ベビーカーと老人カーをギューギューにトランクに詰めて出かけたが、半日一緒に過ごして大いに疲れた。老人と子どものお守りはメチャクチャ疲れたと夫に愚痴るは意味のない行為だった。家のお風呂を子ども達に占領されている夫は、銭湯へ連れて行けと言う。勿論こっちもこの肩こりとがらがら声を何とかしたいと思っていたところで異論はない。二つ返事で出かけてみた。、、、結果は、まあ、明日にならないと分からないか。昨日今日と二日続けて治療院へ通ったが、余り芳しくない。病院も考えたが、何だかマッサージの方に気が惹かれる。時間は過ぎていきイコールチビとの時間も無くなっていくばかり。シャンソンの発表会も控えているにも関わらず体調がよろしくない。、、、どうなることやら。

 

今朝は頼まれて施設の入居者の施術に出かける。毎回行く度に少しずつ様態が芳しくない方に変化しておられるのを感じる方だが、極力自然に普通にお相手をさせて貰う。が、車に乗り込んだときにはかなり消耗しているのを感じる。、、、こういうお仕事は嫌いではない。が、体力と精神力が必要で、もっと若い頃にどんどんやっておけば良かったと思うことだ。

 

 

世の中は連休だなあ。

2012年4月20日 (金)

2歳児とのお付きあい。

どっぷり孫のお守りに使って居る内に時間だけがどんどん経っていき、フト気が付くと友人の展覧会もとっくに終わっていたし、いくつかの予定が切羽詰まった状況にあることに気付いた。大慌てで、締め切りすぎてひとまず週末の発表会の原稿を送り、考えたらあと3日だというにまだ暗譜できてないことに気付く有様。とにかく一度にあれもこれもが出来なくなっているのにこれでもかと思い知らせれている。お風呂上がりの孫べえを着替えさせるのがやたら遅いとお嬢に叱られるし、、、、けっ、あたしの子じゃないんだから!と言いたいのをグッと我慢して、おぼつかない手で何とかかんとか着せたら汗びっちょり。やれやれ。

 

肩癖をけんびきと呼ぶのは讃岐弁のようだ。この肩癖で風邪の症状が酷いお嬢が父親に連れられて行った接骨院がとても良かったというので、今日はこっちが連れて行く羽目に。約1時間施術院の前の駐車場に車を停めてチビと二人で待ったわけだが、お陰でしっかり二人の絆は強まった。と思う。たどたどしいながらお喋りする孫べえにしっかり向き合っての時間は、ある意味宝物だ。即興の歌を聴かせると「もいっかい、もいっかい」とせがんでくる。丁度目の前を電車が言ったり来たりするのも助けてくれて、そんなに苦労することもなく車の中だけで過ごせたのは幸いだった。

 

、、、みんなこうした時代があったんだ。あのお方も、このお方も、、、。ふ。

2012年4月17日 (火)

寄席。

満2歳の孫べえが現れてこちらの生活リズムは一変した。娘はしばしの安楽を求めて帰省しているわけで、まあ仕方がないと思っている上に親子共々風邪を引いた。自然チビ助の面倒を見る時間が大幅に増える。このお仕事は嫌いではない。全く目に入れても痛くないほどの可愛さだし、日々刻々と成長するのを見るのも楽しい。が、何も他のことをしない訳にも行かず、吾が日常はあって無きが如し。

春ともなればみんな気分が外へと向かい、おしゃれもしたくなるしで本業もそれなりにニーズが増えるのがこの季節。なんとかかんとかこなしているせいで自分のおしゃれどころではない。いとも哀れな姿でチビを散歩に連れ出すのも気が引ける。顔見知りに会わないことを願いつつ今日は3回もオサンポ。ふ~っ。

 

そんな中、かねてからの予定の「寄席」にかけつけるも既に中入りで最後の演目をひとつ残すのみとなっている時間。が、その最後の一席がものすごく良かった。最初は一体いつ本題に入るのかと思っていると話しの流れの中でホントにそれと気付かないうちに入っていた。しらずしらずにお話しに引き込まれるのも、所謂江戸っ子弁の流暢さに寄るところが大きいだろう。この日のお話しは貧乏長屋のある女房が幼子を残し首をつるのを、4歳くらいの子どもが「もう白いおまんまが欲しいなんて言わないから高いところから降りてきておくれよ!」と懇願している有様など、泣かせる場面があって落語で笑いながらも泣いているという観客の感情は右に左にと揺れる揺れる。噺家の意のままにされる快感に酔いしれたと言えるかもしれない。

 

こうして育児家事仕事の合間に春の行事も盛りだくさんで、、、、どれもこれもキャンセルしないのがアチクシだ。

参加することに意義、、、、、あるか?

2012年4月13日 (金)

マンションに住みたいアチクシ。

ここに書くのをサボっているのは要するに余りにエネルギーの消耗が激しく、深夜にパソコンに向かっても流石に文章を作るところまで気力が残ってないのが一番の理由だ。、、、その間、まあ、色んな事があったなあ~~。

ちぇちのお花見もあった。

これは毎年恒例のメンバーのお宅でのもので、立派な桜がお庭にライトアップされているのを眺めながらのパーティだ。少々寒くても家の中からと言う贅沢な花見はとってもしあわせ。沢山呑んで食べてお喋りして、、、、この家の方々には大変な労力だったと思うが有り難いことだ。Hさん、長生きしてね!!てなもんだ。だって、桜はきっと我々よりも長生きだもんね~。

近頃我が家も含めてこれほどの人数が入れるお部屋はなかなか無い。昔はしょっちゅうこういう「宴会」が各家で行われていたもので、吾が母親の実家でも何かと言えば親戚中が集まり賑やかにやっていたのを思い出す。

ホントに時代は変わった。

 

花見と言えば、先日現れたアメリカ人女性を五色台に連れて行ったときは全く咲いてなかった桜が、四日後には大分咲いていて、シャンソン教室の人達とあまりの天気の良さにつられて再び五色台へ、根來寺へ、白峰寺へ、、、、海岸通りへと車を走らせた。途中土筆やワラビを採る人も居て、のどかな晴れ渡った瀬戸内を堪能した。そしてみんなを送ってから今度はH邸での夜桜見物となったわけだ。お陰でこの日は一日中桜桜、、、、。

 

明日はいよいよお嬢が2歳になったばかりの子どもを連れて帰省する。子どもの目線にある危険な物を撤去しつつ、冬物を動かしているので、かなりの仕事量だ。明日は最後の仕上げで物置だ。、、、ああ、マンションに住みたい!

2012年4月 7日 (土)

友達の友達は皆友達、、、、!

そういう訳で、先日急に頼まれて、カナダ人の友人でアメリカ人女性Sを二日ほどお泊めした。勿論泊めるだけではない。観光にも付き合い、「うどん」もご賞味頂く。もうすぐ帰省してくるお嬢親子のために家中を片付けにかかったところだったが、そっちはそのままにして取り急ぎ彼女の寝床を整えるところから始まった。

初対面にも関わらず、友達の友達Sは、それほど気を遣うこともなく、お互いカタコトの外国語を駆使しつつ段々親密になっていった。お終いにはかなりプライベートなことも話題にしたもんだ。

全く久しぶりの英会話に、かなりブロークンだなあ~と思いつつではあったが、まいっか。お互い様だとばかり臆することなく喋ったことだ。臆すると言えば、我が母に、丁度弟夫婦が留守なので、来客と一緒になるけど夕食を一緒にしようと誘うとかなりの抵抗に会う。が、何が幸いしたのか意外にもその場になるといつもよりむしろ饒舌かもと思えるくらい話している。勿論それは45歳のアメリカ人女性の思いやりのお陰だ。自分のおばあちゃんも昨年102歳で亡くなったと言い、同じ事を繰り返し言うのは同じだったと微笑む。「アナタのお母さんは可愛い。」と言ってくれたり、、、。母は初日がこのようにスムーズだったためか、カラオケ同好会に行くのを休んでまで、次の日もうどん屋さんに付き合った。その後でっかいスーパーに連れて行き、私が用事を済ませる間二人だけの時間もあったが、全く問題なく和やかに話しながら歩いていた。、、、殆ど会話が通じてるようでは無かったが。。。何というか、フィーリング会話術か、、、。

高松入りした時は四国村に行く前にパスタを食べようと友人Kの店に行く。連絡したらその友人が母親連れでやって来て別の友人ともども急遽5人の会食となる。友人Kは根掘り葉掘り好きな物嫌いな物を聞いてくれて、その日の夕食に巻き寿司を届けてくれる。やっぱり生ものはダメのようで、行き届いた配慮のお寿司にSは食べ過ぎを連発しながらしっかり頬張っていた。お陰で料理のエネルギーが激減。有り難かった。アチクシはこのところの疲れで料理にもあまり熱が入らないのだ。

Sは昔日本で英語教師をしていたが、故郷に帰ってからはマッサージ師の資格を取り、健康な人だけでなく小児癌の患者を担当してそちらのケアもしているという。二日目の夜、Sは私が余りに疲れていると気遣ってくれて、その大きな手で全身のマッサージをやってくれた。身体に比例して手も大きいからか、今までに経験したことのない気持ちよさ。時々ウトウトしてしまったほどだ。

 

五色台に行ったが、桜は全く無く残念だった。今年は遅いなあ~。Sが運転が好きだというので、国際免許を見せて貰ってから運転を交代。しばらく彼女の荒運転に身を任せたが、類は類をもって集まるの類か。日本から本国に帰って運転したとき、右左が分からなくなって反対走行したことがあるという。幹線道路に出てからは勿論運転を交代。

 

Sが来る前の日は春の嵐だったが、彼女が帰ったあとはまるで嵐が去ったあとのようではあった!ふ~っ。

2012年4月 1日 (日)

冬眠から醒めるがごとく、、、。

いろんな事が出来なくなってきているというのを感じる日々。高いところの物を取ったり、重たい物を二階から運んだり、何かを一気呵成にやることが段々出来なくなっている。ぼんやりとそういうことを考えていたせいもあり、ここ何日かの天気の良いのをきっかけに思い切って、コンマリの整理術をやってみようと思い立つ。少し体力が残っている内にこういうことはやっつけておかなくては、将来ますます出来無くなってくる予感がする。

 

で、家中の自分の衣類を一カ所に集めるという作業から取りかかる。日当たりの良い部屋と思い、口出し屋の母を巻き込んでピアノの部屋一杯に集めてみたら、母があきれ果てるくらいのものが出て来た。「古道具やより多い!」と繰り返しため息をつく母を尻目に、片っ端から選別に入る。東京でお嬢がこれをやるというのを手伝った時、産後の肥満体型の為、初めは「ときめく洋服のみ残す」というコンセプトから最後は「合う、合わない」で選別に終始したのをゲラゲラ思い出し笑いしながらやり始めたわけだ。

ところがアチクシの場合、ホンの少しダイエットに成功しているので、殆どの物が、「合う」。これは困った。実際、ときめく洋服なんて、そうそうはないし、そう思えば思えなくもないし、、、、。これからの季節を思えば、少々何でアレ、Tシャツなんかは沢山欲しいし、、、。そもそもどっか破れたり汚れているというのもまず無い。、、、結局、デザインが気に入らないものや、買ったけれど一度も手を通してないけどもう要らないものは着てくれそうな人に回すことに。そしてどうしようも無い物は捨てる。二日間この作業をして、まだ半分も出来てない。でも絶対やっつけようという決心だけはしている。

選別しながらつくずく考えた。なんでこういう羽目になったのか。結局は整理術がまずいから、あることを忘れて次々と買ってしまう。もったいない精神から捨てられない。、、、ということか。近頃カルチャーでも「整理術講座」なんてのが出現しているほどだ。もしかしたらこれは現代病のひとつかも知れない。そんなに遠い昔でもない日本が、着る物も食べるものも不足していたのが嘘のような今の時代。多くの人が洋服の波に呑まれている。、、、デフレなんてのもこれに拍車をかけているんだろう。易くて簡単に手に入る。これを幸せと呼べるんだろうか?

丁度一服して続きをやろうとした時一本の電話が。しばらくご無沙汰のSさんからだ。彼女も偶然まさしく今この洋服の整理を始めたと言うのだ。で、新品ではないけれどクリーニングした物はラオスに持って行って頂けるのでしょうか?はたまた、どこかのボランティアに寄付は出来るんでしょうか?という内容だった。テレビで以前東北への支援にクリーニングしていればよいというのを見た記憶があり、それは伝え、帰宅した夫に聞けばラオスは暑い国だから夏物ならどうやらいけそうだという。あの国にはSさんのような小柄な人が多いから、これは歓迎されるかも知れないなあ~。

そして彼女のもう一つの悩みは、「着物」。流石にこれは捨てられないが、さりとて着る機会が殆ど無く、タンスのこやしになってしまっている。これを何とかしたいが、アイデアがないという。友人でリフォームを専門にやっている人が居るから紹介しますと伝えて電話を切ったが、、、、こういう人は多いんだろうなあ~。

そう思うのも、あとで出かけたホームセンターに「古着」が沢山つるしてあって、そこにあるはあるは、、、着物が全て525円で売られている。まあチラと見た感じでは、値段相応というか欲しいと思える物は全く無かったが、、、。沢山の人が、高級な着物を着ないでしまってあることだろう。、、ホントにあんまり考えたくないが、我が家のタンスにもムムム、、、。

 

朝の連ドラが終わったようだ。丁度仕事中で見られてないが、今回のドラマは一人の女性のある意味時代を変えたかも知れない「生き方」が上手くまとめられていた。「洋服」「着物」というものについて考えさせられる内容でもあった。「良い洋服は着る人を元気にする。」というセリフには確かに納得したなあ~。老人ホームで入所者に毎朝化粧をさせるという所があると聞いたことがあるが、これと似ているかも知れない。

 

まあとにかく、今の「こんまり流整理術」を急いでやらなくては。どうやら最後は「書類」らしいが、これもねえ~。大変だ。全てにおいて「潔さ」がポイントだろうが、、、。

 

 

それにしても近い人が亡くなるというダメージはケッコウ引きずるなあ~。私と先日亡くなられた人とは友人の範疇だが、それでも何かしらの重い気持ちにとりつかれている。ちぇちのメンバーはあの方もこの方もそれぞれもの凄く近い人の死を経験して、、、、どんな季節を迎えたんだろう。春の柔らかい日差しで少しでも元気になって欲しいなあ~。

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