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2012年3月

2012年3月26日 (月)

ごま団子。

外はよく晴れているというのになかなかテンポが上がらない一日だった。午後からは次々と訪れる来客や宅配に動くには動いていたが、、、、。昨日の疲れがまだ少し残っているかも。

その昨日の舞台を見たという人がやって来て、「良かった、面白かったですよ」と言ってくれる。が、これがいくらそう言われてもどれくらいどうだったかというのはさっぱり分からないもんだ。ま、それで良いと言うこともあるが。フ。

 

夕方からはいつものちぇち練。様々な理由でメンバーの減少があり、少ないだけで不安な気持ちになるが、数名の欠席者以外で、今日は大いに盛り上がった。久しぶりに沢山歌ったわ~と声が上がっていた。会長も参加してくれて、細かいところまで指導をやってくれる。たってのお願いで復帰してくれたピアニストもしっかりフォローしてくれる。やっぱりこうでなくちゃ!

その時に話が出たが、矢張り人数は大切な要因だ。誰かか入ってくれないかなあ~。このゆ~びたかれ~~~、ってね。楽しいんだけどなあ~ちぇちは。いつも派手なことやってるわけでもなく、真面目一方でもない。むしろ面白おかしくやってるといった方が良いと思うが、何しろ扱う物がオペラというだけで尻込みされてしまうのが辛いところだ。オペラもそう毛嫌いすることはない。時代の試練を受けて生き残った物は、万人の共感を得るように作られている。それに触れることはホントに面白いんだ。私なんかの感覚だと、万葉集や日本の古典をやるより易しいと思うけどなあ~。

今日のTさんお差し入れはメチャ美味しかった!可愛いごま団子はおかわりも出来てご機嫌。あら、人数が少ないとこういう御利益はありんすなあ~!!

2012年3月25日 (日)

今日は本番。

2時間ちょいの演奏会の参加一団体に過ぎなかったが、全員張り切って出演した。衣装も着けて、昨年の公演とは又ひと味違うまとめ方でやってみたが、この短い出演時間に、団体の全ての要素を盛り込む、という作業もケッコウ面白いものだ。リハ無しのぶっつけ本番ではあったが、出演者たちが一様に楽しかったという辺り、本来のちぇちの姿を凝縮したものだったかも知れない。ま、見た人でないと真実は分からないから、せいぜいケーブルテレビでその出来映えを見るしかないが、、、。

見る人も演じる人も共に楽しむ、という本来のちぇちのコンセプトを、今後も続けていければ良いなあ~。ま、今回のような会のなかでは異色中の異色だろうが、、、。

 

それにしても「歌」を趣味にしている人って、本当に多いな~。やや高齢化が進んでいるような気がしないでもないが、ホントはもっと若い人にもアピール出来る様な音楽があるはずだ。歌う事の楽しさ、喜び、快感を是非多くの人に知ってほしいもの。こうしたイベントが発展してくれることをせつに望むけどなあ~。

 

あれ程沢山の人が居たが、あの中にちぇちと一緒に歌いたいと思ってくれた人が居ないのかなあ~?余程変人お集まりと思われたか?フフフ。

演劇、そして訃報。

昨日お嬢の先輩が出演されるというので、楽屋お見舞いを兼ねて観劇となる。「静かな落日」というこの地味な作品。これが全国行脚してるといい、あちこちで評判をとっているというのはご時世か。国家権力によってでっち上げられた松川事件が、どのようにしてそうなったかを大変分かり易く描いていて興味深かったが実はそれがテーマの作品ではない。確かに、検察や警察のやり口について、あり得ないねつ造が行われたという点はしっかり描いてはいるが、主役は広津和郞という作家であり、偶然のことからこの事件に深入りして正義感からその裁判に大いに関わるというもの。左翼でもなければ、特別なイデオロギーを持っていたわけでもないが、人間として見過ごせないという強い思いに駆られ、この作家は大きなものと闘った。そして最後は1審2審で出た判決を最高裁でひっくり返すという偉業に至る。

静かな、あくまで静かな舞台ではあったが、多くのことを感じさせ考えさせる舞台でもあった。樫山文枝という人。流石に年齢を重ねた感はあるものの、凜とした居住まいやら口調は以前とあまり変わらない。時々ほの見える若々しい色気も健在だ。かわいらしさをそのままに年を重ねたようだ。ず~っと以前あるパーティでお話しして以来だからおそらく20年ほども前になるかも知れない。変化を上げるとすれば、今回ロビー懇親会で素に戻ったあの方を見ていると、精神が研ぎ澄まされたというか、あるべき自分のポジションを見いだした人の持つ自信に溢れていた。そして美しかった。

 

お嬢の先輩は老女の役をされて出色の出来映えだった。ご挨拶に行くと、志賀直哉役をされていたご主人にもご紹介頂く。そうなんだ、、、ご夫婦で役者さんなんだ。一般の人よりは充実してたとは思うが、きっと大変な人生だったろうなあ~、、、とも思ってしまう。しかしお二人ともオーラを感じる方だった。

 

 

すがすがしい気持ちで雨上がりの路上を一人明日の舞台のことなど考えながら帰っていると友人から電話が入る。車をコンビニに停めてこちらからかけてみると青天の霹靂。ある方が事故で亡くなったという知らせ。、、、こういうこともあるんだ人生には。たまにカラオケなんかで良い声を聴かせて頂いたことがあるが、歌好きの温厚な紳士だった。折々の笑顔が思い出される。ご本人もさぞや無念だったことだろう。現役でお仕事をされていただけに周辺も大変だろうし、、、ご冥福を祈るしかない。

合掌。

2012年3月23日 (金)

明日は雨かなあ?

なんとなくだるいなあ~むち打ちっぽいなあ~と夕食後ジムに行こうかどうしようかと迷っているときに、夫が銭湯行きを誘ってくる。いわゆる、「大きいお風呂行こう」てことだ。アルコールを飲んでない私を運転手にってことだ。温泉郷で生まれ育った夫は無類のお風呂好き。しゃあない、何となく気乗りがしないジムを止めて、お風呂にしようと決めて行って見ればやっぱり、大きいお風呂は良い。充分すぎるほど暖まってロビーに出てテレビの前でひと休憩。

丁度画面に山本太郎という俳優が出て、原発問題について自分の意見を述べていた。そのキッパリとした何の迷いも無い発言に、思わず「偉いっ!」と口に出た。彼はちっとも変わってないなあ。随分昔、彼と同じラジオドラマに出演させて貰ったことがあり、彼が何日目かに遅刻してきたことがあった。ドラマも確か架橋に入っていたときで、声優の大御所や年配の女優さんも全て集まり、時間が過ぎてもやってこない彼を待っていた。多分その頃は彼は駆け出しの俳優で、殆どが彼より先輩というキャストだったと記憶している。やがて慌ただしく入って来た彼は、全く言い訳をせず大きな声で侘びを言い、一人一人に、ちょい役のこの私にまで詫びて回った。「近頃の若い者は、、、、」といった空気が流れ始めていた時だったが、彼はその空気を一瞬にして吹き飛ばしたものだ。その日の収録が終わったときにまで、「今日は本当にスイマセンでした。」と深々と頭を下げた彼の姿を思い出す。、、、こういう事があってから、時々画面で彼の姿を見るが、あのすがすがしさは失われていないと感じていた。そうか、このように彼は成長したのか、、、と感慨深いものがあった。

あのドラマ製作の時は色々面白いことがあった。一人どうやらアイドルと呼ばれる若い女優がいて、毎回大勢の取り巻きが付いてくる。そこにたった一人でぽつんと座っている年配の女優さんが居て、たまたま私が隣に座ったため話し相手になる。その人は言う。「あれがア・イ・ド・ルっていうんですかねえ~。。。私には分からない世界ですねえ~。。。あの人はああいうのが楽しいんですかねえ~。。。」聞けばこの方はその若いアイドルと違って毎日電車でスタジオまで通ってきているという。長年舞台女優としてやってきた筋金入りの女優さんだ。ドラマの中では、「これぞ女優」と舌を巻く場面が何度もあった。多分もうこの世には居られないかも知れないなあ~。

 

ところで、彼の今日の発言で一番興味を惹かれたのは、原発を持つ地域の自治体に触れた発言だった。一番困っているのは彼らだと断言し、原発を拒否すれば自治体にお金が入らなくなる。それを恐れる余り再開を唱えざるを得ないこの人達に、国などが手を差しのべて原発無しでもやっていけるという所まで守るべきだ、という意見。これは、フランスでのあの大江健三郎の発言と似ている。「原発は撤廃です。そのリスクは受け入れれば良いだけです。」だったと思うが、、、、さて、あの原発大国のフランスがどうするのか。変な事件が勃発して今や選挙どころでなくなっているようだが、、、。

世界中が不安定だなあ~。ま、過去にも安定している時代があったとは言い難いが、、、。

2012年3月22日 (木)

でっかいことは良いことだ!?

今日は本番前の最後の練習日となった。もしかしたらちゃらんぽらんな団体と受け止めている人も居るかも知れないが、我々はかくも真面目だ!たった8分のステージでも、キチンと練習し、演技も何度も繰り返す。今日は衣装まで着けての練習だった。その作業は2時間の舞台をやるときと全く変わらない。取り組む気持ちも全く同じ。この真剣さが、ちぇちの取り柄だと、私は思っている。、、、こうしたことに、いつも付き合って下さる、W先生やグロッケン先生にも頭が下がる。、、、そして今日は昨年の公演で異例の出演まで果たしてくれたお寿司屋さんKさんが差し入れまでしてくれる。、、、そしてそして、新会長の高橋先生の暖かいまなざしがある。

 

どっこい、ちぇちは、まだ生きているぜい!!

 

 

と、ここまで書いたら、オークション落札のメールが入ってくる。吾が孫べえの為に、おっそろしくデカいオモチャに入札してたのだ。けれど、まあ、これは無理だろうなあ~、ま、落ちなくて元々。あればあったで、そりゃあチビ助は喜ぶだろうが、我が家はあんまりオモチャをおかない主義なので、、、などと思いながらの入札がまさかの落札。ビックリコキマロ!!

はてさて、子ども達がどういう反応をするか!?「みっちゃんちのおうちには、どうしてオモチャがないの?」と以前孫に聞かれたことがある。「オモチャ?あるわよ~いっぱい。」「ふ~ん、どこに?」「ここに」と吾が頭を指さしたら髪の毛を引っ張られたことがある。既成のオモチャには興味が無いアチクシ。、、、でも、それが普通になってきて、別段嫌がる気配もない。だから、今回のこれは、かなりビックリもんだろうなあ~。さあ、これの行方はどこになるんだろう?

 

人生何が起きるか分からないもんだ。は。

2012年3月20日 (火)

春が待たれる。

今日は久しぶりに高橋新会長の出現で、充実した練習日となった。参加者はめちゃ少なかったが、、、。こういう感じで練習が出来ていけば、今後も楽しい会だ。会長も一応お元気そうではあったが、体調が気がかりではある。練習会場とご自宅が近いのがラッキーだが、これからも頑張って来て頂きたいものだ。私も合唱が嫌いだなんて贅沢は言ってられない。今しばらく、合唱の楽しさも経験しようか。

 

娘親子が只今ノロだかロタだかしらないが全滅しているようだ。代わり番こに吐いたり下痢したり高熱に悩まされたりしているらしい。狭いマンションではうつらない方がおかしい。時間が解決してくれると良いが、、、。

ちぇちのメンバーも体調を崩している人が多い。

 

早く、は~るよ来い!だな~。

2012年3月19日 (月)

エコなプールとエコなドラマ。

日曜日。何をして過ごそうかと考えていると、夫が塩江のプールにいってみようと誘うのでしぶしぶ行って見た。行くまでは、「あたしゃジムの会員なんだ。わざわざ他のプールに行くくらいならそっちに行った方が良いのに、、、、」などと内心ぶすぶすぶす。

しかし行ってみるとこれがなかなかに良い施設。こじんまりはしているが、充実した設備を備え、特にプールの中の運動器具が色々あって全部体験してみたがケッコウ良い。私のように足腰ヒザに問題を抱える人にとっては格別に良いみたい。お風呂もあるし、、、、。塩江の山の中でゴミ処理場の熱を使って居るエコな施設だ。半日はかかるが、たまに行くのも良いなあ~。早速友人を誘うことにしよう。

身体が軋むかと思いきや、全く問題ない。これは良いかも~。

 

帰宅していつもより早い時間の夕食を済ませ、久しぶりにオンデマンドに目を。。。。すると、気にかけていた「オヤジバトル」が出ている。この演出は以前高松放送局でディレクターをしていたKさんが演出をしていて、今年放送すると案内がきていたのだ。が、福岡の地域ドラマで、全国は「春」とのみあり、詳しい日時は知らないままだった。それが全く偶然に私の指はその箇所を見つけ出したのだ。これもご縁か。彼はアチクシがまだ若く、ミュージカルで演出していたときに知り合った人。以来永いお付きあいとなった。彼が結婚し、お子さんに恵まれ、東京でお仕事をされているときは、私にも面白いオファーを頂き、ラジオドラマに出演させて頂いたこともある。ちょっと斜に構えたニヒルな感じがする人だが、そういえばあの時も地域ドラマだったし、所謂人情ものだった。中身はきっと熱いんだろう。、、、そうでなきゃ、このオヤジバトルなんてドラマが創れる筈がない。

このドラマは、若い頃夢を持って上京した若者が、夢破れて故郷にUターン。昔の恋人が夫に死に別れ、娘と二人で暮らしているのに再会し結婚する所から始まる。ひょんな事から昔のバンド仲間とオヤジバトルというバンドコンクールに出場することになるが、それぞれ抱える悩みがあり、この夢もあわや崩壊か、、、というところで周辺の人々との絆によって出場を果たす、、、というもの。主人公が「再生工場」で働いたり、街の風景に「風力発電」の風車が回るなど、さりげなくエコを織り込んだ、「主張」が感じられる作品に仕上がっている。「39歳になり、この年にしてドラマを撮ってみました。」との案内だったが、全体に気負いが感じられず、自然に、人間て良いなあ~、人と人の繋がりは大切だなあ~、結局は愛情だなあ~、、、などと思えて泣ける作品だ。子役の古田瑞貴という白血病の少女がぶれない演技で印象に残った。この世界で今後も生きていくんだろうか。

このドラマは海外でも放映されるとのこと。Kさんの手を離れても成長し続けていくんだろう。

2012年3月17日 (土)

愛情のお話し。

夫婦愛について、今更薹の立った我らが夫婦のことを言うつもりはない。あるご夫妻がけっこう常識よりは年齢的に遅い結婚をされて、まあその式に参加させて頂いたのも随分昔の話しとなった。お子様はないが、共通の趣味をもたれて至極円満のようである。つい先日もおのろけメールが来て、しばらく奥様が病気療養中だったためししばらくぶりに帰宅したところ、部屋中が薔薇の花で一杯だったので、「どうしたの?」と旦那様に聞いたようだ。私宛のメールには、「寂しかったからなんだそうです。」とあっさり書かれてあったが、こちらは思わずのけぞったもんだ。いやはや、あたしゃ酉年ゆえケッコウケッコウコケコッコー!てなもんだ。我が家では、このアチクシが留守の時は、木刀を枕元において寝るとおっしゃる吾が亭主とは大違い。薔薇の花だからねえ~~。

 

今日は母を伴い久しぶりに、「歌舞伎」を観に行った。「毛抜き」というお話しはちょっと奇想天外ではあったが、所謂歌舞伎の魅力はたっぷり味わえた。独特の言い回しのため、余程しっかり聞いていないと言葉の意味が分からない。これって、オペラと似ている。全体の抑揚とかで、その場を感じるだけでも良い、ということか。完璧な「様式美」は、本当に面白い。あのバタバタバタっという「ツケ打ち」のタイミングはとっても大事。客から見えるところで打っていたが、あれは大変な仕事だろうなあ~。大変と言えば、座席が二階席の張り出しだったため、上から舞台のからくりがよく見えた。あの「黒子」という役も相当きつい。役者のセリフは全部覚えてないとタイミングがつかめないだろうし、殆どの場合、役者の後ろにいて、尚かつ後ろ向きで座っているから、呼吸を感じることも必要だろう。ひとつ間違えると芝居が止まってしまうほどの大役だ。、、、裏こそ大変なんだ。なんでも。

 

終わって車に乗り込んできた母の第一声は、「ああ疲れた。」だった。分かろうとして、必死で観ていたというのだ。そして案の定亡き父の話となる。この前進座に随分前に両親を連れて行ったことがあり、こちらの車を待つ間に、偶然その日主役の梅の助という役者と立ち話をし、「良く来て下さった!」と別れ際に握手をして貰った想い出が、忘れられないという。

我が父は84歳でこの世を去った。あれから15年も経ったが、まるで昨日夫を亡くしたかのように父の言葉や動作を話題にする。、、、こう思えるのは、やっぱり幸せなんだろう。思い出すきっかけを作ったという点で、今日の誕生日プレゼント「観劇」は良かったのかも知れない。

 

実は、今日の公演は二本立て。後半「水澤の一夜」はお尋ね者として逃げている高野長英が一夜だけ、危険を冒して実家の母に会いに帰るというお話し。こちらの方は親子愛を描いたもので、この老いた母親が、孫娘にまで息子のことを悪く言われても、全くぶれず、ひたすら信じているという強さに感動する。身体を二つ折りにして老女を演じるのはさぞや大変だったろうが、見事な役者振りだった。

 

昨夜は冗談で、「実家に帰らせて頂きます。」と夫に告げて弟夫婦が居なくて一人きりになる一晩を実家で泊まったが、私の為にこれでもかと何枚も布団を敷いてくれ、尚かつ寒いかも知れないともっと布団を出そうかと言う。これ以上布団を被ったら窒息死するわ、と笑ってみたり、、、。母親の愛情を感じつついつの間にか眠っていた。

2012年3月16日 (金)

若いということ。

老人誰しも若いときがあった。私にも若いときはあった。意識せずに突っ走ってきて、いつの間にかこんな年になっていた。今日満年齢92歳となった母にも、当然ながら若い頃があった。、、、ナゼか人は若い頃を懐かしみ、二度と帰らぬその時を愛おしむ。ナゼか、と書いたが、理由は明々白々だ。老いることによって、だんだん出来ることが少なくなって来て、あれはいつまで出来るんだろう?これももう早晩出来なくなりそうだ。、、、と病んだり、転んだり、けがしたり、物忘れしたりのきっかけで、思い知らされるのだ。老いと闘う人も居る一方で、ひたすらそれを受容して、自然体で暮らす人も居る。どちらを選択しても来るべき時は来る。

今日は訳あって、洋酒のラベルに描かれてある長寿の老人の事を思い出したが、オールドパーというその人は、80歳で結婚して、122歳で再婚し、150歳以上でなくなったという人だ。真偽の程は何しろ昔の事でよく分からないらしいが、解剖の結果、そのおじいさんの内蔵は若者のそれと同じくらい完璧だったらしい。やっぱり内蔵だなあ~。綾小路きみまろが言ってる。50歳過ぎたら美人か不美人かは問題じゃない。「内蔵が勝負」です。いや確かに。

 

こないだのFM収録は25歳の青年だった。まぶしいくらいの若さで、物事をハッキリと率直に言う。上京して声楽の研鑽を積み、故郷へとUターンして頑張っている人だが、震災とは全く無関係に帰郷したらしい。「香川が好きなんです。」ときっぱり言う。2本分の収録はすいすいと行き、再会を約して別れたが、どこまでもさわやかだった。こういう人がこれから地元の音楽会の中心になっていくんだろうと思わせた。今後の活躍を祈りたい。

 

ちぇちもこれからは若い人の時代だ。難しく考えず、ファミリーの中でエネルギーのある方へと中心が移っていくだけのことだと思って欲しい。両親が。姉達がいつか年取るように、、、。

2012年3月13日 (火)

震災、挽歌、貧乏揺すり、、。

今日は、朝シェイクスピアの講座と昼食会。そのあとシャンソン教室で一旦夕食の準備で帰宅、スグにちぇち練へと出かける。帰宅したら午後10時半。空腹を通り越して食欲もないが、何かを作るのも億劫で、冷凍食品に走る。ダイエットビールを飲みながら短い食事時間を終える。ここまでほぼ15時間走りっぱなし。これが66歳の人の動き?てなもんだ。

 

昼食会では、矢張り震災の話しが多くなる。それは、人間が試練を受けることについての文学的考察、とでもいうようなものだったり、はたまた神と人間についてのことだったり、、、、そういえば「君が代」を歌わなかった先生に対する処分なども話題に上っていたが、、、、なんだかみんながちょっと普通でない感じを受けたなあ~。妙に苛立っている人も居たり、やたらハイテンションで喋る人も居たり、かく言う私目も、なんだか思考回路が炎症をおこしているようで、まとまらないこともある。司会者でありながらつい議論に口を挟んでみたり、、、。それはともかく今日の講義の中で、一番印象的だったのは、どんなに出世しようとお金持ちになろうと、人間死ぬときは、自分の丈の大きさの地面しか自分が所有出来ない、、、、という下りだった。流石シェイクスピアだ。簡潔にして、深い。

 

シャンソン教室では、茨城のり子の詩を持ち込み、みんなで朗読してみた。私の中では、「挽歌」の意味合いがあったが、誰も気付かなかったかも知れない。歌う人は同時に詩人でありたいし、少なくとも詩を理解できることが必要だろう。歌詞というくらいのもんだ。行間を理解せずして歌は歌えないのではないか。ま、感性を磨くことだなあ~。

 

ちぇち練は、久しぶりに充実したものとなった。なんといってもメンバーが揃わないとねえ~。今回ピアノを担当してくれるグロッケン先生のお誕生日で、全員でイタリア語によるお祝いの歌を歌って差し上げることが出来たのも良かった。ナント、指揮者のM氏のお父上も同じ誕生日だとか。この偶然にはみんな湧いたもんだ。

今回踊れる人はみんな踊るんだけど、膝をやられているアチクシは残念無念、後ろでうごめいているしかない。。。。段々出来ることが少なくなって来ているのを感じるなあ~。

で、今日仕入れたばかりの「膝腰の治療法」=「貧乏揺すり」を夕食時にやっていると、夫がわあわあ言う。中風したみたいだから気持ち悪いから止めてくれという。せめて台所じゃないところでやってくれと言う。へええ~そんなに気になるもんかなあ~。こんなことで痛みが取れるようになるんだったら有り難いけどねえ~~。

2012年3月12日 (月)

1年。

あの日あの時、私は高知県は種崎というところにいた。信じられない光景をテレビで見、町内に鳴り響く警報に慌ただしく高台に避難したのを思い出す。、、、恐らくは、あの時一緒だったOさんも我々と同じ事を考えているに違いないのだが、どちらからも電話をかけることなく一日が終わった。その後の余りに悲惨な光景を知るにつけ、我々の経験はほんの小さな、蟻の穴が崩れたくらいのことだったと思い知る。なので、軽々しく電話も出来ないのだった。

今日は、恐らくは日本中が1年前に思いを馳せ、悲しみを新にしたことだろう。私もとあるところでの「黙祷」に、目をつぶった瞬間にもの凄い津波が眼前に押し寄せ、阿鼻叫喚が聞こえるかのようで、思わず涙していた。

 

それでも明日は来る。

2012年3月10日 (土)

KIZUNA NIPPON

映画大好き人間のYから東京に居たときメールを貰っていた。「もの凄くうるさくて、ありえないほど近い」って映画、面白かったよ~、、、というものだったが、どういう内容かは何時もの如く全く書いてこないので、予備知識のないまま映画館の近くに行ったので見てみた。

内容は簡単に言うと、あの9,11の日、とびっきり仲の良かった父親を亡くした少年の1年間の心と行動の軌跡を描いたものだった。この少年を取り巻く社会と母親が、彼の傷を単なる傷から、これからの彼の人生を支えるあり得べき傷に変えていくというお話し。観ている人々は、少年のけなげな姿に涙せずには居られないが、いつの間にか心の中で、「頑張れ」とハグしている自分の心にも気付かされる。

震災から日本も1年だ。殆どの日本人が、震災地の人々に心を寄せてきた1年だったと思う。おそらく、こんなにも多くのことを考えさせられた時間を、我々は持ったことがなかったのではないだろうか。そして、こんなにも涙を流した時間も、、、。ここ数日、NHKを初め各局であの日とそれ以後を放送し続けているが、毎日泣かずに観たことがない。今日も夫と夕食をとりながら、グスングスン、もぐもぐ、のど元を苦いワインが通り過ぎる、、、。料理の味もへったくれもない感じ。

 

そんな中、わが日常は相変わらず滑稽で、呆れるほどのドジさ加減。夕べ母親が車の中に忘れて居た「たくあん」の臭いが酷くて、朝から車の窓を全開。天気を良いことに昼過ぎに仕事を終えるまでそのままにしておいた。最後の客、友人のKに別れを告げ大急ぎでミニ同窓会へと車を出そうとしたが、、、、、見事にバッテリー上がり。自動の窓の開閉は、チャンとキーを元に戻しておくべき所をそのままにしていたわけだ。今更バッテリーをつないで貰う時間も無い。とっさにKを呼び戻し、急遽送ってもらうことに。気付くのが早くて、彼女はまだ我が家の前の道を走っていたところで、あっさりと帰ってくれたのは幸いだった。やれやれ。

この同窓会は、幹事がこまめにやってくれるので、1年に数回は実施されている会だ。先生を初めみんな年と共に怪しくなって来て、ちょくちょく会ってないと忘れそうだからだと彼らは言うが、なかなかお世話は出来るものではない。ホントに良くやってくれる。「絆」はこうして作られる。

今日明日の東京タワーのイルミネーションは、「KIZUNA NIPPON]だそうだ。

2012年3月 9日 (金)

セレブ気分。

ナゼかいつも何かが降って湧いてくる。

今回のはなかなかに楽しい事が降ってきて、しばし良い気分に浸れたもんだ。

東京の友人Kから、「明日実家のひな祭りに合わせてそちらに行くんだけど、夜ご飯一緒にしない?」という電話がかかる。彼女とはつい先日も東京で会ったばかりだったが、ご主人とは何年もお会いしてないので、Okと即答したもんだ。評判の中華のフルコースと聞いては尚更のこと。ダイエットは明日の明日から!だ。

ところが、その明日が来てKのご実家の明治大正時代の由緒ある雛飾りやお歯黒のお道具などを見せて貰っていざ移動という段になって、そのレストランが一杯で、午後8時からしか予約できなかったので、「アナタ、我々夫婦と一緒の部屋で良かったら泊まって帰れば?」素敵なホテルだし、というので、チョイと迷ったが思い切って止まる事とした。夫にはあとで了解を取ることとして、早速吾が車で移動。

、、、このホテル。全く存在を知らなかったが、「ええ~!?まるで日本じゃないみたい」、と絶叫したくらいに凄いホテル。黒い鉄の門を入るとそのホテル本館へとうねうねと曲がりくねった道が、よく手入れされた植木の間を長く続く。広大な面積の土地の中に、いくつものお城のような建物が建っている。ふひょ~っ。これは全く知らなかった。そういえば11号線から遠くに見えたこの建物は、てっきりどっかの宗教団体のものかと思っていたが、ホテルだったんだ!!駐車場に車を停めて、ロビーに入ると高い天井と高級そうな絨毯を敷き詰めた床、至る所に飾ってある彫刻類に目が奪われる。室内も以前イギリスでポンドの計算を間違って泊まったヒースロー付近のホテルみたいに豪華だった。カーテンに至るまで。

気の毒に、部屋はツインベッドと和室なのに、ご主人が和室の方に寝て下さるという。どうせ積もる話しがあるんでしょう!?とか言われるが、実際は二人ともたっぷりの温泉とたっぷりの食事のあとはベッドに入って喋る元気もなく休んだことだ。ご主人が思ってるほど我々は若くない。それに、部屋に帰る前にロビーで女性の弾き語りもあって、観客が我々二人だったので、そこでも充分楽しんだのだ。そういう場所に行き慣れているそのご主人が、「あまり面白くないかも知れませんよ。時々耳を塞ぎたくなるようなのが居ますから、、。」と忠告してくれたが、これがとびきりではないにしても、ケッコウ聞かせるジャズの弾き語り。たどたどしい日本語でアンコールをどうぞと言うので、あたしゃ4曲も注文したもんだ。たった二人の客を前に手を抜かず、しっかり歌ってくれたのは嬉しかったし、彼女も興に乗ってくれてどんどん歌ったので、「オーノー、オーバーオーバー」と最後は慌てて退場していったのも面白かった。

だから部屋に帰ったら12時前になっていて、そのままベッドインとあいなったのだ。

で、まるで西洋のお風呂みたいな温泉に、朝の6時起きで再び入る。露天が少し寒かったが、冷たい風の中の温泉は血圧を気にする年齢の我々には良いかも。いやもしかしたら、この温度差は悪いかも、、、なんぞと言い合いながら何事もなくすっかり楽しんで、出ようとすると第二弾の人々が入ってくる。流石に一番乗りだったわけだ。

このホテルは温泉もレストランも一々バスで移動する程の広さ。、、、いったいいつ頃出来たホテルなのか。きっとバブル期だろうが、よくぞこんなの建てたもんだ。この手のホテルには以前琵琶湖や淡路で泊まったことがあるが、どちらよりも凄いと思った。山の中というのもあるかも知れないが、日本離れしてるなあ~。中華料理も大変美味しくて、これでもかと出てくる繊細な料理の数々に感激しながら2時間たっぷりの食事となる。余り飲めないご夫婦がグラスビールを付き合ってくれて、こっちはそれの大だからねえ~。全く申し訳ない。、、、しかし、料理は勿論美味しいのに越したことはないが、この日のような会食はお喋りがメインディッシュだ。博識なご主人から色んな情報を教えて頂くことが、一番だった。エネルギー問題の専門家だし、今回の震災関連には人並み以上の関心を持つ方だ。次々と知らないことを教えて頂くこととなった。

このご夫婦は、彼らが結婚式を挙げたときからのお付きあいとなった。勿論彼女の方は高校時代からだから、随分永いお付きあいだ。時々しか会わないでも、お互いが信頼し会える間柄、というのは私にとっての財産だ。実はお二人とも大のオペラファンで、大変詳しいし、よっく観てきている。その点でも話しが合うといういうわけだ。これからも永く永くお付きあいさせて頂きたいご夫婦だ。お互いの息子達も偶然同じ年で、同じような世界に居る。孫も同じ年齢で、共通項が多い。しかし高校1年生の席順が我々の関係の最初というのも不思議なものだ。だから、高校時代は重要なんだ。

今日明日かなあ、、、高校入試は。

 

で、パーキングまで送ってくれた二人に手を振って仕事があるから9時半までに帰宅しなくては、と別れて颯爽と車を出した、までは良かったが、余りに広くて道を間違えてしまった。で、バックして、慌てて最初の分岐点とおぼしきところから走ってみるとようやくコレが正解の道。黒い門を出ることが出来て、何とか高速を走って走って、時間に間に合うように帰宅出来たが、最初の間違いを御礼メールに書き添えて出したところ、ニャニャント。「二人してアナタの車を上からハラハラして見てましたわよ。なかなか素早い動きだったから感心してたのよ。」と返信が来る。あっちゃ~、ばれてたのか。やれやれ。

2012年3月 6日 (火)

狭い高松。

いつも公演のあとはみんな気が抜けて、練習に身が入らないのが常だが、今年ほど顕著にそれが表れている年は初めてかも知れない。今日の練習も近づく本番を前に何となくしゃきっとしない。本番は影アナのお仕事で舞台は不参加のつもりだったアチクシも急遽参加することとなり、暗譜に取りかかっているが、、はてさて。

 

昨日は、何の情報もないまま誘われてあるコンサートに出かけた。これが全く期待してなかったが、大当たり。小さな喫茶店にぎっしり人が入り、5回目だというこの回は人づてに集まってくる人々で一杯だったのだ。あらかじめ用意してくれた席に陣取り、今日は器楽だから多分寝るだろうなあ~と軽い気持ちだったが、あちゃ~、寝るどころではない。みんな凄い力のある人ばかりの演奏だったのだ。マンドリンの演奏も何回か出かけたが、二日後にはドイツに帰るという女性の奏者のテクニックには舌を巻いた。ピアニッシモの柔らかな音色、フォルテの激しいバチさばき。観衆の心を自在に操る演奏だった。伴奏のギタリストも最近帰国したらしい人で、ギターという楽器の再発見だった。曲で一番印象に残ったのはマンドリンのもう一人の女性が奏でたもので、いわゆる現代音楽だったが、事前に、「追悼のつもりで弾きます」と言った演奏者の言葉通り、あの津波に襲われる東北沿岸のすさまじい様子が生々しく描かれ、人々の引き裂かれる命の苦悩がありありと感じられた。やがて津波が去り、穏やかな海辺が帰って来て、囁くような音で寄せては返す小さな波の様子。全てがあの日を語っていた。あちこちですすり泣く目頭を押さえる人の姿があり、かく言う私目も涙が頬を伝うままにして聞いたものだ、、、考えてみると、現代音楽の方が、こういうものを表現するのには相応しいかもしれない。研ぎ澄まされた、引き算の音楽。聴く人をこれでもかとその世界に引きずり込む。絵の世界でも同じだろう。現代アート。初めは訳が分からなかったが、この頃は具象画よりも雄弁かも知れないと思うようになった。

メロディーが無いかのような演奏は、むしろ聴く人の想像力を高めるのだろう。素晴らしいものに出会ったものだ。

この回を主宰している方を早速FMにご出演頂くようお願いして帰ったが、この喫茶店の主のこの方も演奏家らしい。最近同じように音楽していた奥様に亡くなられ、偶然その方のお仲間が吾が親友の仲間でもあったという不思議。世の中ホントに狭いなあ~。

そこで以前同じ舞台に立ったピアニストと再会。彼女の若々しい格好いい演奏も素晴らしいものだった。お互い再会を喜び合って別れたが、いや~、、、高松は狭い。

2012年3月 4日 (日)

灯りをあげましょぼんぼりに~♪

先日知人が新聞に投稿する小説年間最優秀賞を貰ったという知らせがあった。掲載だけでも大変なことだのに年間一位とは凄いもんだ。その作品を読んだが全体から醸し出す雰囲気が素敵で、何となく心に残る作品だと思っていた。この方は沢山書いて、投稿もよくしてるらしいし掲載も何度もあるようで、文章力が磨かれてきているのだろう。今後も楽しみな方だ。

小説、ねえ~。むかしむかし憧れて書き始めたこともあったが、途中で挫折。以来その挫折感が嫌で書き始める事が出来ない。あの長い文章を書き続けるという根気とか、持続力とかが無くなっているし、、、。短いからと短歌を細々と続けてはいるが、長短の問題ではないのは明白だ。が、短歌の定形には未だなじめずに居る。定形の中に自由を見いだすことの困難さ。楽譜を見ながら楽譜を越える歌を歌うという作業と似ている。どちらの歌も死ぬまでに満足したものが1首でも、一曲でも出来るんだろうか。

 

親戚の人から今回の3,11の地震の余震がここ1年間でどれほどあったかが一目瞭然で分かる、地図上の動く表示がユーチューブで送られて来た。その恐ろしいまでに分かり易い地震の様子は、間もなく日本全体、もしくは南海大地震を予想させて不気味だった。が、実は私も、それを観た夫も、そして娘までもが、そこではない、その欄外のユーチューブに衝撃を受けた。そちらの方は、あの地震の当日からその後までを克明に記録したもので、テレビなどでは知り得ない情報ばかりだった。夫は、「観ていて涙で画面がしばしば見えなくなったが、そのあと気分が悪くなって吐きそうだった。」と言い、娘も暗い声で電話してきて同じような事を言う。来るかも知れない地震よりも、来てしまったものへの恐れの方が大きいということか。

南海地震に関しては、このところよく対策が叫ばれテレビでも様々な角度から報道されている。が、この足では逃げられないかも知れないなあ~。今夜もプールで歩いては来たが、、、。

 

今年はいつもよりひな祭り行事が賑やかな気がするが、どうだろう?一昨年は目黒の雅叙園で百段階段ひな祭りとかいうのに出くわしたが、あれは東北地方の人形が殆どだったようで、今年は京都の物が並んでいたらしい。観た物は昔の由緒ありそうな人形や、今観るとぞくっとするような神秘的な物が沢山あったが、今年はきっと煌びやかなことだろう。今日のニュースでは宇多津が報道されていたが、引田のもかなりの量で楽しめる。、、、といっても私自身はこの手の人形は余り好きではない。娘が小さい頃団飾りの前で甘酒を持って仏頂面をして写真に写っていたのを思い出すが、いつからかあの人形を出したことが無い。どうなっているかと思うと余計出したくないのだ!、、、そういえば、このようなのをどっかに寄付してお寺の石段に飾ったというニュースを見たなあ~。確か京都だったような、、、。

これぞ日本の文化だろうが、ナゼ今?何かを暗示しているような気がしないでもないなあ~。

2012年3月 3日 (土)

重いはなし。

クスリというのは本当に良く効く。膝が余りに痛いので、いつもの血圧関連を頂きに行くついでに症状を訴えると、「非常に弱い痛み止め」を出してくれた。これが「非常に良く」効いて、朝までの痛みは殆ど無い。薬剤師は余り効き目がないと思いますので、2週間ほど続けて下さい、と気の毒そうに言ったが、私は特殊な身体なのか!?いずれにせよこれは有り難い。効いてる内に運動しておこうと思っているが、さて上手く行くかなあ~?

 

しかし世の中にはクスリが効かない、というか、効く薬がない病気というのも沢山あるようだ。だから人は死に至るんだろうが、、、。

 

二人の友人から重い選択を突きつけられた。ご本人達は別にそうしたつもりは無く、受ける側が勝手に「重い、重すぎる」と思ってしまっただけなのかも知れない。

Aさんの場合。この病気は最後まで意識がハッキリしていて、知的能力は全く変化せず、それ以外の全ての機能が止まってしまうというもので、最後は人工呼吸器になるようだ。Aさんは、それを拒否したいがどう思うか?と聞いてくる。

もう一人、数ヶ月で15キロ激やせして、嘔吐下痢1回、めまい1回の症状以外は何もないというBさん。こちらは体内に何か出来ているのかも知れないが、病院で検査を受けるつもりがないという。例え検査を受けて悪性の物が見つかったとして、やれ精密検査だ、手術だ、リハビリだと酷い苦痛を味わってまで長生きしたくない、と言う。こちらも、そう言い切っておいて、「どう思う?」と聞いてくる。

どちらも66歳。決断するに微妙な年齢かも知れない。

これは「命を粗末にする」というのでもない。死の選択は生き方の問題でもある。答えは簡単ではない。

「とどのつまりは自分の選択だよね、、」と娘に言ってみると大いに怒られた。彼女曰く、自分の命は自分だけのものじゃない。それって自分に繋がる沢山の命に対して無責任じゃないの?と来る。、、、これも一理あるなあ。

 

そんなことを考えているときに、「日本映画専門チャンネル」で優れた映画を放送するという企画物の最初の作品に遭遇した。全く知らない映画だったが、まさしく「命」の連鎖を描いていて面白かった。

「フラワーズ」という昭和から平成の現代までを生きた6人の女性達の人生を描いていたが、単純に順番通りに描かず、行きつ戻りつするために登場する人々の関係を探るという推理物みたいな面白さもあり、最後まで飽きずに観た。正にこの私が生きた時代が入っていて、監督のこだわりか、当時の時代考証がばっちりで、「そうそう、当時はあんな家だった、あんな町並みだった、ああいう服装だった、ああ、あのヘアースタイル、、、」、と自分の知ってるものが次々と登場してきて一人で笑ってしまった。

そして、懐かしかった。。。。

恐らくは誰もが考える、自分のルーツだったり、我が母にも若い頃があったんだという当たり前のことを生き生きと描いていて、そしてそれがそのまま、女性の生き方や思想を伴っているのが良かった。まるで、歴史は女性が作っているんだと言いたげな映画だった。男性は、そうそう、あの時代の男はそうだった、と納得させられる描き方でコレが又面白い。昭和初期の父親の不器用で頑固一徹な男。女性の社会進出に必ずしも良い感情を持ってないサラリーマンや、愛情故にそのままの女性を受け入れようとする男。女を性の対象物としてしか観ない男達。妻の考え方が分からずついて行けない男。、、、などなど。時代によって、人々の考え方まで変わっていくというのは、ただ一例を挙げているに過ぎないのに妙に納得してしまうところが面白い。

 

映画って、なんでこう面白いんだろう。

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