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2012年2月

2012年2月29日 (水)

時は流れる。川を流れる病葉のごと、、、、。

どっかで聞いたような言葉だが、まさしくその通り、と言いたいほどの時の流れだ。生き生きと息づいていたはずのその「時」は振り返ってみると、記憶の彼方、遠い、実時間よりも遠いと感じてしまう。ほんの何週間、いや何日か前、いやいやほんの数時間前の事でもそうした感慨に襲われる。

 

今回の上京は足の調子がイマイチというのもあって、いつもより尚更に上京自体が現実なのかどうなのかと思ってしまうほどのものだった。夫に付き合い目黒のホテル側にある美術館に行っても、その道中ほんの数分が辛いし、館内を歩くのも辛い。結局は早々にタクシーで婿殿に連れ帰って貰い、マンションで温和しくしているほか無い有様。まあ、孫べえの顔を見ているだけで癒されたが、、。考えてみると上京するたんびに体調が崩れている。いや、体調がすぐれないときに限って上京する羽目になると言った方が良いだろう。入院しないだけましだったかも。やれやれ。

 

今回はお嬢の親友が訪ねてきてくれて会うことが出来たが、話しを聞けば聞くほど都会での生活は大変だ。まずは物価が高いし、安心できないものも多い。明日の夕飯の食材を気前よく父親が買ってあげると言うのでお嬢がいつになく張り切ってスーパーを走り回り、それでもこちらで買うほどではないにも関わらず2万というお金が簡単に消えていく。若い母親達は頑張って節約にコレ努めてはいるが、どんどん成長していく子ども達を抱え、これからに不安を覚えているのも事実だ。正直、おばばは大変だけど一緒に暮らせばその分楽にはなるなあ~。わが子達もしっかり吾が両親に見て貰ったしねえ~。核家族が得るものと失うものを考える時、こういう時代もねえ~どうだかね~、、、。

 

かなり出不精になってしまったお嬢が心配で、あたしゃ殆ど無理矢理のように横浜のホテルに誘った。レンタカーで婿殿が送り迎えしてくれての楽ちん移動だったから行けたが、結果的には行って正解。孫は喜ぶし、お嬢も少しだけ日常から離れることが出来て、若さが戻った感もある。帰りには川崎まで電車で移動して大きなショッピングモールに行くと言いだした。こっちはどこでも何でも良いという感じだったが、付き合ったもんだ。、、、ところが、ホテルを出て電車に乗った途端、「あっ!携帯忘れた!」と叫んだのは勿論アチクシ。お嬢は怒りを通り越してあきれ顔のあっぱ顔。次の駅で引き返すと言うのをそれをやると全てのプランが変わるから止めてと言う。仕方なく降りたところでホテルに電話をかけさせると、「お母さん、携帯はあったけど、何か衣類もあるから一緒に送るって言ってるわよ!」と来た。「そんな分けない、それは私のじゃないから。」と言えば、「そんな分けない分けない。お母さんに決まってる。」と言うので「じゃあ、送ってくるのを楽しみに待とうじゃないの!」と言い合って居たが、今日になって送ってくれた荷物の中には、しっかりお嬢のものが入っていた!「ふんっ。」てなもんだ。が、夫に言わせると、「よくもまあこの親子は!」てことらしい。ふ~っ。

しかしこのホテル。メチャクチャサービスが良くて、従業員の応対も素晴らしく気持ちが良い。うっかり禁煙ルームを頼み忘れていたが、気持ちよく変更してくれて、やれ毛布だ、ランプだという注文も部屋まで運んでくれるし、サイコーだったのは夕食。20階くらいの高い位置にあるレストランからは夜景が見渡せて、目の前で厚切りのステーキを焼いてくれる。眠っていたチビ助の為に再度わざわざ肉にアルコールをかけて燃やすというパフォーマンスまでやってくれる。どうやらかなりのキャリアらしいシェフの凛々しい姿も素敵だった。帰らなくてはならない婿殿はアルコールも飲めず気の毒だったが、お味は結構な物だった。

実は、ネットで見つけておいたこのプランは、信じられない程のお安いお値段で、全く期待してなかったのだが、これには大感激。これは今後もリピートありだなあ~。

 

どうやら自宅に帰った孫べえは、ドアの隙間を覗いては、「みっちゃん」を連発して探しているらしい。く~っ。考えないようにしなくてはやりきれない。

水戸の孫達とも今日は電話で話したが、順調にいたずら好きになってきている。さすが吾が孫達だ。こうでなくちゃ!!そうかと思えば「みっちゃん、夏に帰ったらね、足を踏んで上げるからね。」な~んて憎いことを言う。

 

、、、、孫ねえ~。

2012年2月22日 (水)

やっぱり多忙。

週明けは吾が多忙もMAX。起床してから息継ぐ暇もないほど次々と終われた。夕飯時には息子のゼミ生9人の若者ゲリラに襲われて汗をかきかき料理に奮闘して、こういう時にいつも助っ人を頼むKに「こぞうず~し」を大量に届けて貰う。「第二の母です~」と現れたKがけっこうな数準備してくれたので余るかと思いきやとんでもはっぷん。あっという間に彼らの胃袋に消え、こちらの準備していた焼き肉だのボイル料理だのその他諸々もきれいさっぱり平らげてくれる。若いとはこういうことだ。まあこの日はホントはちぇち練だったが免除して貰い、何とか切り抜けたが大いに疲れた。

それぞれに自己紹介タイムを取り、その都度大笑いしながら内心必死で名前を覚える。出身地は東北近辺で、あちらの様子も会話の中に垣間見える。みんな未来に向けて夢や希望を持っているのが感じられて、久々にすがすがしい時間だった。その日いくら何でも我が家には泊められず、朝早いんで、カラオケボックスで過ごしますという彼らを闇夜に見送って後片付け。ちょーちょーハードな一日がやっと終わった。

その前日は岡山で、ヴェルディのレクイエムにお招き頂く。初めて全曲を聴くチャンスを頂き、この曲のホントの素晴らしさに触れられたのはラッキーだった。殆どオペラに近い迫力と構成に感動した。このソリストは大変だなあ~。合唱もよく訓練されて、結構な年配の方が多かったにも関わらず、きびきびした動きに感心した。2階席の出っ張りという、マツイ55氏のこだわり席は確かに特等席。すぐ後ろ上には二人の管楽器奏者も控え、面白い演出が随所に見られる。若いイケメン指揮者の情熱溢れる指揮振りも素敵だった。

 

、、、、このところのあれこれを書こうとしたが、やっぱり時間切れ。あと1時間あまりで飛行機だ。帰宅してから続きを、、、。

2012年2月12日 (日)

春のような一日。

朝方恐ろしい夢を見て目がさめた。脳梗塞になって顔に麻痺が起こり凄い顔になったというものだったが、これはひょっとして夜中にリンゴをかじったのが原因か。今日という日を暗示しているかとびくびくものだったが、多忙を除けば別段変わった事はなかった。、といってもまだ1時間ほど今日という日は残っているなあ~。

昼前に母の用事で出かけ帰りに気になっていたうどんやさんへ立ち寄る。長蛇の列に先に母を送り込み、車を置いて列に加わるというテクニックで待つことも無くありついたが、さすがのうどん王国。けっこう広い店内がセルフの為次々と埋まっては空き、空いては埋まっていく。新開拓の店に母はびったりと後ろについて、こちらの指示通りに動く。段々幼児帰りしている感じ。

中に、どうやら県外からの客で、注文の仕方が分からず「釜あげ」にありつけず店員さんに問いただしている会話が聞こえる。結局再度注文して追加するようだったが、そこまでして、、、とは讃岐の人の考え。県外の人は、二度と来られないかも知れないからねえ~~。それにしてもどこの人か知らないが凄いうどんファンだ。

ま、うどんは手っ取り早い。入って15分もすれば出られるからねえ~。それにこの安さ。トッピングしておでんをとっても400円。お腹は一杯になるし、、、まあ、流行る訳だ。

 

そのまま友人Sをピックアップして母を下ろして今度は短歌の歌会だ。こちらの用事の為に友人を遅刻の巻き添えにしてしまった。着いてみればいつもより多い参加者で、新会員もいる。和室というので覚悟して行ったが、かなりきついなあ。こういうことがあるからねえ~。お医者さんは気軽に、「正座なんか出来なくても良いでしょう」と言うけれど、ここは日本だ。今日のように4時間足を投げ出して座るというのもかなりしんどい。遂には足がつって、ごぞごぞとその場で体操をしていたほどだ。お陰で時々集中が切れる始末。やっぱりどこが悪くても不自由なものだ。十数名の中で足投げだし状態は我々二人だけ、というのも凄いなあ~。

それにしても歌会に参加する人々というのはホントに真面目な人ばかりだ。真剣に他人の歌を読んで批評を加える作業に取り組んでいる。かくいうアチクシも歌会では思考力を駆使して、ハートも開ききって参加しているのだ。必ずしも的確ではないし、的外れなことを発言したりもするが、それを柔らかく受け止めて貰い、再考させて貰える緩やかな空気は有り難い。それぞれがそれぞれを思いやりながらの対話は気持ちがよいものだ。相手を傷つけまい、とする配慮は日常生活に置いても必要不可欠な人間の条件ではないか。

 

家事の合間に朝ピカソの伝記を少し見られたが、ピカソは親友と呼べる唯一の人物を「自殺」で失うという哀しみを一生背負い続けたようだ。その時その場所に居られなかった自分を生涯赦せなかったというのだ。その友人のデスマスクをかいた3枚の絵はピカソが死んでから世に出たらしい。。。。ナゼ画家の生涯はかくもドラマチックなのかとつくずく思わされた。、、、しかし、これはなにも画家に限ったことではなかった。歌手も、作家も、学者や政治家も名を成した人達はみな例外なく平板でない人生を送っている。人生行路の波のまにまに偉大な作品が生まれるのかも知れないなあ。

 

帰宅して夕飯の準備をしているとMさんがホームページの作業に来てくれる。チャチャッと仕事をやっつけてちぇちの紹介をネットの新ネットワークに乗せるかもしれないと言って帰った。3.11から1年が間もなく来るに辺り、日本中をまた熱い風が吹き始めたようで、それに参加するということのようだ。、、、なんにしても忘れないことが大切だ。

そして彼女が帰ったら今度はTさんがDVDを取りに来てくれてしばらく話し込んで帰って行く。主に健康についての話しだったが、若くても油断は禁物。いや、若い人ほど気を付ける必要があるのかも知れない。生まれ育った環境が昔とは違うからなあ~。よろしくない環境に居て、ストレスの多い社会生活では、病気になるのもやむを得ないのかも。この人とも付き合いが長くなったが、ホントに幸せな充実した人生をと願わずにはいられない。

 

今日は一日暖かかったなあ~。

2012年2月 9日 (木)

ニュースに怯える心。

このところ「速報」にドキッとすることが多くなった。今夜も夕食中に関東茨城と出て夫婦で驚いた。が、今では震度3と分かるとむしろホッとしている。

その後、実に半年ぶりにジムを利用しようと出かける車中に今度は、「地震警報」ときた。もの凄く不安を煽る警報音だ。思わず速度をゆるめてラジオに聴き入る。佐渡、という言葉に雪国を想う。そうなんだ、又雪の落下でけが人が出なければ良いが、、、。と想いを巡らせながら重たい荷物を車から降ろし、重たい心で入って行く。

それを吹き飛ばすような明るい声で、「いらっしゃいませ!」と言ってくれると、笑顔を返し、さあ、やるぞ、という気分になるから不思議だ。

本日は自転車を200キロカロリー目標でほぼ1時間。そのあとはサウナとお風呂で帰宅は11時半。少し身体が軽くなった感じがするが、外の風はいつもよりかなり冷たい。

 

やっぱり心が弱っているのを感じるなあ~。なんか不安。お嬢はぎっくり腰だと言ってくるし、、、、もしそんなときに大きなのが来たらと空想してしまう。全く減らない茨城近辺の地震も、電話して聞くのもためらわれる、、、。どうか元気で居てくれますように、、。

 

それにしても、暗いニュースが続くなあ~。岡山ではお粗末きわまりない大事故もあったし、この近辺では殺人未遂事件だ。国会もねえ~、、、そんな中で、今日のNHKのクローズアップ現代は面白いことをやっていた。

コンピューターと人間が頭脳を競い、人間が負けた、というものだ。私なんざあ、とっくにそういうことになっていたのかと思っていただけに、あ、そ、てな感じだが、、、。「将棋」の世界のお話しではあるが、「学習能力」を身につけることが出来る技術が開発されたとのこと。そのメカニズムを見ていると、空恐ろしくさえなってくる。SF映画に出てくる人造人間の話が真実味を帯びてくる。

原発しかり、発明は良いが、その使い方を誤らないように、是非、人間の頭脳と心で考えて欲しいものだ。ふ~っ。

2012年2月 7日 (火)

老人会。

そもそも迎えに行った最初の85歳から時間を間違えていて、大慌てで順番を変更して90,93歳の3人の老人を乗せて出発。先行きがチト心配だったが、まあ何とか初日は美味しいうどんを食べ、東山魁咦美術館も鑑賞し、丁度この土地のイベントでやっていた鉢植えを買い求め、予定通り4時のチェックインとなった。この温泉ホテルが、規模は小さいが、なかなかに良い感じ。実はネットのキャンペーンでここの宿泊券を昨年一気に6枚も購入していたのだ。今月いっぱいで期限切れとなるので、なんとしても使いたいとの想いもあり、老人慰労会を計画したわけだ。いくらキャンペーンとはいえ、余りにお安いその料金に吾が母親は、かなり悲惨なことを考えていたようだ。自分の妹たちを誘った手前心配だったようだ。が、これが大ヒット。お湯は謳っているとおり天然温泉で、ぬるぬると気持ちよい。料理はビックリするほど普通に付いてくる。お味も悪くないし、朝食もバイキングでこのおばあちゃん達は朝からバッチリ食べている。ただトイレが部屋の外という不便はあったが、ま、これは我慢できる。どうやらお安い人はこちらの建物で、別棟は新しい物のようだった。

翌日は朝食後に再びお風呂を楽しんで、中津万象園へと移動。あまり考えずに入ったらこれが結構な距離を歩く行程で、案の定意地っ張りの母も途中で限界だと言い出す。そこから車いすを借りたが、これほど歩くなら最初からそうしとけば良かったと、あとから後悔しきり。あとの二人は元気に散策し、栗林公園より素敵だと絶賛する。確かに県外の人を案内するには良いところだ。さまざまな松が所狭しと植えられ、手入れがよく行き届いていて、この日も10人以上の職人さんが入っていたようだ。もう少し早ければ満開の大量のサザンカに会えたようだったが、それでもまだ残り香もあるし、しおれた花の間から新しい元気な花もかなり顔を出していたから、遠目には充分美しかった。ここは春には春の、四季折々の趣があるんだろうと思わせた。みんな大いに満足していよいよ帰路に付こうとしたら、あら?私の携帯が無い。つらつら考えると、どうやらホテルに忘れたらしい。あっちゃ~、やっちまった!でもまあ、帰り道ではあったから、あきれ顔の母以外はゲラゲラ笑いながら再びホテルへ。ちゃ~んとビニール袋にいれられた携帯がスムースに出てきた。ここは日本だ。

ちょうどお昼時でランチでも、となって先日開拓したおいしいお店に立ち寄ったが、そこでランチを注文したのは私と、母の末の妹だけ。朝ご飯の食べ過ぎと疲れで、流石に90代二人はアイスクリームと飲み物でちょん。、、、こういうところが年齢が出るんだなあ~。

実は今回の旅のもう一つの目的は、共に射手座生まれの吾が友人と3人で誕生会をするのが去年からずれ込んでいたのをそこでやろうというものだった。だから部屋は二部屋にしていたのだ。にもかかわらず、一番若いSは仕事が終わらないとかで、みんながほぼ食べ終わった頃やってくる。しかも、娘のお相手が両親共々訪問してくるのが明日だと言って、喋って仮眠して、夜中の2時に帰って行った。もう一人のYはお葬式が出来たと言って、運転に自信がないから早く出ると、朝の6時にご出立~。なんのことはない。こっちの部屋では最後に結局一人で寝たわけだが、そんな具合で変な時間に目がさめてしまって、流石の私も朝寝は出来ない。老人組より一足早く朝風呂だ。、、、しかし、これも悪くない。ゆ~ったりま~ったり丁度良い温度の温泉を楽しんだ。、、、ここはリピートありだなあ~とか想いながら。

 

ま、これもいっか。3姉妹に大いに喜んで貰えて、又行こうと約束したことだ。またねえ~。早く行かないと、、、。

2012年2月 4日 (土)

リアル過ぎるな~。

「いや、だから仕方がないでしょ。台本に矛盾があったんだから、ここのセリフは変更するしかないのよ!」「でも、あと少しで本番ですよ!」「しょうがないでしょ!?やるしかないの!」

「え?どうして?ここは保育所?いや分かったから私の服を引っ張らないで!お願いもう時間が無いから!ゴメンね!」バタン。

本番まで時間が無い。あと7分で楽屋口まで行かなくては。靴、、、ええい、裸足でも良い、大事なのは間に合うこと。タクシー、タクシー、ああ、あんなに遠い所が乗り場所!でも仕方がない、頑張って走ろう。「ホールまで行って下さい。」、、、、ふう~、何とか間に合った。けど、メイクしてない。遠目だから良いか。眉だけでも、口紅も要るなあ~、、、ハイハイすぐ行から!

 

こんなに、「これは夢だ。早く目が醒めて欲しい!」と布団の中で苦しんだのは久しぶりのこと。それにしてもリアルな夢だった!裸足でアスファルトを走った感触まで覚えているし、眉をぎゅ~っと引いた事さえ鮮明だ。7分という時間もリアルすぎる。保育所(!)のドアをバタンと閉めた音も鮮明だ。その割に、タクシーから降りてどうやって楽屋まで行ったのかだとか、あれこれ矛盾に充ちている。これが夢っていうものだ。

無意識にまだ公演の何かを引きずっているのか。嫌だなあ~。今宵は何が何でも絶対寝るぞ~。明日は我が母親とその姉妹、それに友人を乗せて1泊で西讃地区へと旅に出る予定。きっと疲れるから、今宵こそは寝ておこう。

 

携帯電話もナビ設定をしたし、車の点検も済んだ。色々忘れる母が、明日の事はしっかり覚えていて、楽しみにしていることが分かる。66歳から93歳まで平均年齢が80歳を越えているからなあ~。一体どんなことになるのやら、、、。

偏見と差別、そしてトスカ。

今宵夫の留守を幸いに「恵方巻き」を友人と二人で食べ、彼女を送り出してから本格的にテレビでの映画鑑賞。上映中に帰宅した夫に、「邪魔しないでね」と警告を発し、集中し真剣に見たのは、「ミルク」というアメリカ映画。ゲイを自らカミングアウトして政治家になり、同性愛者の市民権を得るため闘ったハーヴィ・ミルクその人の伝記映画だった。

彼は普通のサラリーマンだったが、フト出会った青年と恋に落ち、二人の世界を求めて旅に出て比較的居心地の良い地に移り住む。そこで段々政治の力で同じ境遇の人々を救う事に自分の人生を捧げていく。最後は目的達成のあと、同僚議員に銃殺されるという悲劇で終わるが、彼の蒔いた種はその後のアメリカ全土で大きな花を開く。これが1970年代のこと。今からそう遠くない時代のことだ。、、、そういえば、うっすらと当時このことが私の周辺をニュースなどで駆け巡っていたのを思い出す。

それにしてもゲイと呼ばれる人々の人権が確立されてから、まだそれほどしか時間が経ってないのが不思議な感のする今の日本だ。

自分自身はこの映画によって又してもアメリカという国の矛盾と生命力、自由と差別について考えさせられることとなった。こうしたマイノリティを扱かった、いわばアメリカの良心とも言える映画は以前からたくさんある。オバマ大統領を選出する国であることからもそれらの映画が実際のアメリカを象徴しているとも言える。

が、この映画鑑賞は単にアメリカだけの問題ではなく、自分の心の中の奥の奥にまで目を向ける作業を伴った。私は本当にゲイやレズに対して何の差別感も持ってないのだろうか?真の意味でリベラルなのか?

映画を見ながら流した涙は、もしかしたら贖罪の味がしたかもしれない。心の奥の本当の意味での「差別感」にいきなりスポットが当たったという感じか。

 

ここで大事なのは、「受容」だろう。あるがままを受け入れる心の柔軟さ。そしてもう一つ、人は生まれながらにして悪であるという「性悪説」を認めることかもしれない。それ故に自分を常に高め、抑制し、学習し、生きる限り修行することが必要なのかも。

実在の人物で、実際にオペラが好きだったのかも知れないが、「トスカ」の曲が折々に流れ、最後は城壁から身を投げるトスカの場面が重なり、彼の生き様にオーバーラップして見事な演出だった。トスカの詠唱、「神様、私はただ貴方を敬い、歌に生き、愛に生きただけですのに、ナゼ、ナゼ、、、、、」と歌う歌詞の内容も、彼の悲劇そのものだ。

 

今朝は全く久しぶりに積もる雪が降った。あっという間に日が射して、まるで雪なんか存在しなかったかのように消し去ったが、、、、。

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