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2012年1月

2012年1月29日 (日)

本番。

どんなに平常心を保っている人でも、本番は何時もとは違うのが舞台というものだ。過去にも色んな有名歌手と同行し、ヘアーメイクをさせて頂いたこともあり、それぞれの本番前に遭遇した。それぞれがそれぞれのやり方で、その時を乗り越えているのを目の当たりにしてきたが、この独特な緊張感は必ずしも悪いものではない。むしろこういう機会を持つこと、持てることはラッキーではないかと思うほどだ。今日も昨日のゲネに引き続きソリスト達のヘアーメイクをさせて貰ったが、昨日と今日では明らかにみんな違っている。口数が多くなる人、逆に少なくなる人、些細なことが気になっている人、上の空の人、、、、それぞれが自分と闘っているのだ。それでも今日の出演者は舞台経験の多い人ばかりのようで、自分をコントロールする術を心得ているようだた。テノールは、「自分は全くいつもと変わりません。いつでもどこでも平常心です。」と言い切っていたが、これはかなり珍しい人だと思う。かなり羨ましいおみっちゃんではあった。

舞台に於けるヘアーメイクの重要さは長年舞台を手がけてきて近頃ますます感じているところだ。直接本人に影響を及ぼすという点で、衣装と同様重要だと思う。その出来次第で、役に没入できるかどうかが決まったり、歌にも影響があるように思う。今日も魔女役に力を入れたメイクをしてみたが、これが舞台に大いに影響を及ぼしてくれてると信じたい。実際客席からも見せて貰ったが、もしあれがナチュラルメイクだったら、随分違った舞台になったと思えるからだ。帰りに演出から、「お願いして良かったです。」と言ってもらえて、リップサービスだとしても嬉しかった。

しかし、1幕の序曲でオーケストラがまだ終わりきってないのにブラボーという声が聞こえて、てっきりいつものあのお方が来てるのかと楽屋で噂していたが、なんと本物はどうやら志度ホールだったらしい。京都フィルを聴きに行ったというちぇちのメンバーの話では、そちらの方はいつに変わらずお元気だったようだが、そういえば、こちらはそれっきりで後は元気が無かった所を見ると、どうやら別人だったようだ。ふ~っ。

 

しかし二日続きのこの手のお仕事は矢張り疲れる。夕食後又しても簡易ベッドで爆睡のアチクシ。もしや出演者以上に緊張していたか?フフフ。

2012年1月28日 (土)

風邪でありませんように。

今日は兼ねてから依頼を受けてオペラ公演のヘアーメイクのお仕事に出かけた。高速はホントに便利。ドアトゥードアで30分だったからなあ~丸亀まで。

昨年の我らが公演以来の楽屋裏だったが、今日はゲネだったため和気藹々の出演者とのあれこれは楽しかった。中には風邪引きさんもいて、慌てて何人かがマスクを付けるというハプニングもありながら順調に進んだ。舞台から聞こえてくるアリアや楽団演奏を聴きながらの作業、この雰囲気が良いんだよなあ~、、、と感慨に浸る瞬間も。

相棒のTさんと想像力を駆使してヘアーとメイクを創り、演出のご意見を取り入れながら本日の行程は全て滞りなく終了。再び高速を帰路に付く。、、、が、夕べの映画が祟って、眠いのなんのって。実は、昨日のパート2を見てしまい、さあもういくら何でも寝ようとテレビの前に行くと、にゃにゃんと、パート3までやっている!結局は3時近くまで見てしまったという馬鹿な私。当然眠いわなあ~。、、、この話しを雑談に取り入れながらの施術ではあったが、、、。

今日は夕食後半時ばかり仮眠して、「せめてお風呂だけでも来て下さい」というインストラクターのお言葉通り、お風呂とサウナに入るためジムへと出かける。チョイト咳が出始めたのが気になるが、、、、もしやあのお方のを貰ってないよねえ~。うがいして寝るとしよう。コン。

恐怖心というもの。

今日は一日中バタバタと忙しくて、夫の居ない簡単夕食を午後8時に済ませたあとは、ケーブルテレビで映画鑑賞と簡易ベッドを陣取って暖かくしてスタンバイ。焼酎の湯割りとお茶も準備して一体何を見たか。「アナコンダ」というこわ~い映画。暖房で寒気を暖め、アルコールで神経を麻痺させてまでの「怖い物見たさ」だったし、最初から怖いということは分かって居たから、充分備えていたつもりだったが、この「蛇もの」はやっぱりダメ。見終わって、ああ、やだやだ、口直しに次のも見ようと思ったら、次も又、そのパート2だった!最初はパソコンをしながら音だけを聞いていたが、やっぱり最後の20分くらいは見てしまった。

世の中で一番怖い物が、「蛇」と「蛇のような目」のアチクシ。よりによってこんなのを見てしまって、、、今夜は睡眠薬のお世話だなあ~。グスン。

しかし、見ながら考えた。一体私はいつからこんなに蛇が嫌いになったんだろうと。全く思い出せないが、嫌い歴は相当永いと思うなあ~。車を運転してても、遠くから道路に長いものが横たわっていると全て蛇に見えてしまう。至近距離まで近づいてただの紐だと分かっても、その上を通るとき、やっぱりドキッとするから相当なもんだ。

その点6歳になったわが孫べえは大したもんだ。別に怖くないと言うし、トカゲとかヤモリは可愛い顔してる、と言う。いやそう言われればそうなんだが、こびりついた印象は今さら変えようがない。こんなに忌み嫌われて、ホントに気の毒な生物だとは思うんだけど、、、。

 

怖いという心はどういうことから起きるんだろう?必ずしも自分に害がアル場合だけではないというのも不思議なことだ。

例えば、舞台に立つのが怖いという感情もある。学生時代に怖い先生も居た。父親が怖いと思った事は今でも覚えている。絵に描かれた「地獄絵」などの宗教画も怖いと思って見たことがあるし、、、、ケッコウこの「恐怖心」とは色々付き合ってきているなあ~。

まあ、映画には相当怖い物が沢山あって、「番町皿屋敷」なんかは何度も見た記憶がある。いわゆる猫化けなんぞという猫がらみの恐怖映画も幼い頃に沢山観ている。、、、でも、今時の恐怖映画と違って、あの頃のは可愛かったなあ~。

 

心理学の研究にはこういうのもテーマにあるんだろうなあ~。

 

今朝は依頼を受けて老人保健ホームに施術に出かけ、その後母を伴いある方を別のホームにお尋ねした。一日で2カ所こういう施設に行ったわけだが、遠からず自分もこういう所に入るのかも知れないと思うと、そこの住人となって居る人々を見る目も違ってくる。もしそうなったら、自分はやっていけるんだろうか?健康の度合いによっても違うだろうが、選択肢が他になくなったら仕方がないのだ。「窓から月の満ち欠けを眺める」のが日課になるんだろうか?

 

将来が見えない不安、というのも怖いという感情と似ている。今日余命を宣告された友人から電話を受ける。この人とはその知らせ後に二度ほど会っているが、今日の話しでは大分病状が進行してきているようだ。電話をかけたくなるほどの不安や恐怖と闘っているんだろう。みんな例外なく死に向かっているのは百も承知。でも、漠然としているから生きられるんだろう。映画は見ないで済むが、人生の終焉は避けて通れない。

いずれにしろ、どう死を迎えるか。そこまでどう生きるか。あの難病のいっくんではないが、これこそ、「神様からの宿題」だろう。

2012年1月23日 (月)

表現の妙。

いつだったか、車ので聴くともなく聴いていた最近の若者の歌に、「愛はコンビニでも買えるけど、、、」という一節があり驚いた。私の言葉の概念では、「愛」は深いもので特別のもので、コンビニに置いてあるようなのとは全く違うと思ったから、そこに引っかかったのだ。そのあと、今度はNHKでジェーンバーキンの特集番組があり、その中で歌っていた歌詞の訳に、「時は愛をむしばんでいく、、、」というのがあり、こちらは大いに納得だった。そういえば先日のタカラヅカの「復活」のサブタイトルは、「恋が終わり愛が残った」というものだったと記憶しているが、、、、、コンビニねえ~、、、。

 

「表現」というもの、特に「言葉」についてこの頃よく考える。昨夜も「寄席」に出かけて、林家さん喬師匠の含蓄のある落語を聞かせてもらったが、特に二席目の話しが素晴らしく、今日ある人を送っていく道中つい話して聞かせたほどだった。彼女曰く、「ああ、面白かった。まるで私も寄席に行ったようだわ。」、、、いやホント、落語をやってみたいと思うほど落語口調というものの面白さがず~っと頭から離れないのだ。勿論この時細かいところまでは話せなかったし、伝えきれない面白さが随所にあった。例えば「江戸前」という言葉の語源が語られ、江戸の前、即ち江戸湾で採れた魚のことをそう言ったのが始まりだとか。それが「活きが良い」が転じて「粋」になったという。「いなせ」というのもどうやらこの魚河岸から来ているようだし、、、、こうした「話しの前振り」が面白い。こうやって客の注意を惹きつけておいて、本題の中に引っ張り込んでいくのは、お見事。

そして、大きな身振り手振りは無いのに、確かにそこに女性の「かみさん」と男性の「亭主」が存在し、段々に主人公の性格が変わり、成長していく様も語り口ひとつで表現して、時の流れも感じさせる。特に感心させられたのが、犬に吠えられるという事件での「夜道」の表現と、朝日が昇るということからの地形の表現だ。まるでそこに映像を見ているかのような効果を醸し出す。これぞ「話芸」というものだろう。お誘いしたある方から、「生での鑑賞は初めてでしたが、素晴らしかったです。」と大いに喜ばれたことだ。これからもこうした日本の伝統話芸が存続していって欲しいもの。

2012年1月18日 (水)

訃報。

このブログに書いた「死を前にした短歌歌人の偉い先生」が、身罷られたとの知らせがあった。まるでその方の指示であったかのように、あの文章を読んだ直後のことだった。あれが絶筆だったとの知らせに、ますます「お読みなさい」と天からの声を聞いたのかも知れないと思う。あの方はどこまでも、「師」であったのだろう。実際にお会いしたのは少なかったが、文章や短歌の作品に触れることは多々あった。書かれた言葉には重みがあり、明快な文章の運びにいつも目から鱗の思いがしたことだ。「極める」ことによって、多くの人々に沢山のことを教えて来られた人だった。

どれほどの人も、こうして最後を迎える。寂しいが、これが現実だ。

 

この訃報を胸に、かねてからの予定であった、「宝塚劇場の公演と有馬温泉」一泊旅行に女4人で出かけた。道中もずっと脳裏からこの方のことが離れないままではあったが、別次元で充分楽しむことが出来た。

宝塚はここ本家本元へ行くのは初めてだったが、こっぽりした周辺の雰囲気といい、ホールの佇まいといい、なんか良い感じ。お食事処は意外と殺風景でがっかりしたが、まあここへ来る人たちの目的はひとつだからなあ~。これで良いのかも。

そして舞台はトルストイの「復活」、そして恒例のショータイム。前半は滂沱の涙でストーリーの中に埋没したが、休憩後のショータイムは眠気に襲われて苦しかった。高松出身で、少しばかり縁のあるHさんがスグ側の花道を通りつつしっかりウインクを送ってくる。これはきっとそういうことになって居るんだろう。どこに自分関連の客がいるかを把握しているに違いない。

「タカラヅカ」なにが良いって、みんなが舞台を楽しんでいるのが分かる。端役は端役なりに、きっと将来はもっと良いポジションに!という意気込みが感じられるし、主役は主役で、「みんな、私を観て!!」とアピールしている。このエネルギーに観客は沸く。

それにしても、当然のことながら、あの舞台装置は凄いなあ~、、、うらやまぴ。色んな事が可能な舞台。ああいう舞台は演出も楽しいだろうなあ~。

 

で、お次はタクシーで25分という有馬温泉へ。このお宿はインターネットで予約したものだが、大当たりだった。食事は美味しい、温泉は素晴らしい、接客は親切、設備も上等、出立の時偶然であった年配の女将さんとのほんのわずかの会話も素敵で、車に乗り込む我々に深々とお辞儀をしてくれるたおやかな姿は今も目の奥に浮かぶほどだ。

唯一、ゲームセンターに立ち寄り、狭い部屋にぎゅうーぎゅうーで入ったプリクラだったが、そもそも使い方が分からず、あれやこれやとキャーキャー言いながら何とか撮り終えたはずが、いくら待っても写真が出てこない。やがて、「カカリノカタヲオヨビクダサイ」と機械が喋ること5分。結局用紙が無くなっていてスイマセンと、お金を返してくれてチョン。「やっぱりこの4人じゃあ、機械も拒否するわなあ~」と又してもゲラゲラゲラ。何もかもが許せて、何もかもが楽しいオバタリアンたちであった。

 

この温泉でマッサージをして貰ったが、高知県出身の人だった。お陰で色々とお喋りにも花が咲いて、疲れが半分は取れた感じ。が、これだけでは物足りず、結局は翌日神戸まで出て還りのバスまで余った時間で、あたしゃ又してもマッサージ。二日連チャンでこういう事したのは初めての事。この二日目で疲れが殆ど取れた感じにはなった。その証拠に帰りのバスでは全然眠くなくて、乗客が居なくて殆ど貸し切り状態だったにも関わらず、寝ずに帰って来たもんだ。これは私にとってはメチャクチャ珍しいことだ。眠い=疲れているということだとよく分かった。

 

 

今日は、あの方の葬儀。遠くから、合掌。

2012年1月13日 (金)

明日は寒いらしい。

例えばバス旅行でも、必ず筆記用具と短歌の本をバッグに入れる。お嬢の所に行くときでさえも、楽譜だとか、ウオークマンだとかが入っている。今日もフェリーで何かしらやるつもりで、あれこれ入れた重たいバッグを持って行った。が、行くときに美味しいバーガーをゲットしてそれを食べた以外は、結局何も出来ず、見事に往復とも椅子で眠ってしまった。この疲れ方はどうだ。

 

夕食後夫とちょいと遠いお風呂に出かける道中、「最近頭の血管がどっか切れそうな感じがするわ。」と言えば、夫はそんなことは自分にもよくあるし、血圧は自分の方がうんと高いんだから、先にあの世へ逝くのは自分だと力説する。ま、どっちにしても二人ともそう遠くはない先の話だろう。

実はフェリーの中で唯一短歌の偉い先生の文章を読んだ。自分の死期を感じて、冷静に客観的に自分を見つめているのが凄いと思った。文学で何が最も良いかというと、結局はこの部分ではないかと思う。「死」と向き合い、あくまで冷静で客観的であること。、、、意うは易く行うは難し、ってことだ。いつも「平常心」を持ち続けることは、凡人にはなかなか出来ないことだ。高僧と言われる人でさえ、癌の宣告を前にうろたえたという話しを聞いたことがある。ここを乗り越えるには、文学を通して学んでいくことだろう。陳腐な言い方だが、「生」とは何か、「死」とは、「生きるとはどういう事か」を考え続けるには文学が必須だろう。

 

しばらく前に脳梗塞で半身不随になった後輩から電話がかかる。その後遺症のお陰で転倒し、あちこち骨折したので、年賀状が書けなかった、というのだった。いやいや、賀状なんかより、その声を聴かせて貰った方が良かった、と電話を切ったが、病気の人はそのせいで二次災害に見舞われることが多々あるなあ。また元気になって欲しいものだ。

 

今日も若い人から、階段は手すりを持って降りるように!と注意されたが、むむむ、、、、そか。かなりあぶなそうだったのかもしれないなあ~。身体を鍛え直す必要があるなあ~。やっぱり。昨日のあの受付嬢の思うつぼに入るとしようか。明日からジム通いだな、これは。

2012年1月12日 (木)

脱力の日。

連日深夜までやっていた作業から全て解放されようと、一日中この書類の提出に追われた。帰宅して何もかもが自分の手から離れた今日という日に、さて何をすべえ、と考えて、あれもこれもと欲張ってみたが、結局夕飯が済んだら途端に猛烈な眠気に襲われて、夫の指定席テレビの前の簡易ベッドに横になった途端しばし熟睡。別にアルコールを飲んでいたわけでもないのに、、、ああ、もったいない。目覚めて大いにがっかり。しかし、今からでも間に合うとばかり、ダッシュで水着に着替えて車を出す。が水に入る元気は急に萎えて、せめてもの「岩盤浴」。全くの久しぶりにもかかわらず、受付嬢は顔を見るなり名前を呼んでいらっしゃいませ、と言ってくれる。その上顔から湯気を出しての出がけには申し訳なさそうに引き留めてくれる。何事かと思うと、「めったに来ない方の名前を登録しておき、チームを決めてインストラクターのグループに入る。期間内で最も多く入館したチームには豪華景品が出る!」んだそうだ。まあ、あれこれ考えるもんだ。そんなことで、私のような者を通わせることが出来れば大したもんだ。一応登録はして帰ったが、、、、さて。

身体の芯からぽかぽかしている。やっぱりこれだけでも良いもんだ。しばらく続けてみるか。

 

今日はお役所と企業を回ったが、それぞれの職場というものの違いが面白かった。勿論そこで働く人々の雰囲気や物腰、言葉遣いなども全く違う。会計のM君と行動を共にしたが、つくづく面白いねえ、と話し合ったことだ。人は、それぞれの生きる場所で、それぞれの役割を演じて暮らしているなあ~。

 

ケーブルテレビに先日の公演が流れているようだ。まだ見てないが、3台のカメラアングルは見応えがあるとのこと。そういえば、ある病院の院長先生からお電話を貰っていたなあ~。初日の放送を見て、「いやあ~面白かったですよ。思いがけず、舞台と両方で2回も観られました。ハハハ。。。。又これからも楽しませて下さい。」と、朗らかにおっしゃる。これからが、あるのかないのか、、、。今は何も考えられない。

 

こうしてパソコンに向かったが、一番最初にしたことは、デスクトップにほぼ一面に並んでいたアイコンを、「メリー・ウィドウ」という1コのショートカットに全部入れ込んだことだ。スッキリした画面にようやくホッとしている。すると、沢山の中に紛れ込んでいた、マッサージ師さんのホームページが出て来た。そうだ、ここに行こう。頑張った私へのご褒美、その1だ。

2012年1月 9日 (月)

外はすっかり晴れていたようだ。

今日は短歌の歌会であった。

昨年末の定例歌会は公演本番のため欠席したので、随分永くこの会に顔を出してないような気がしていたが、2ヶ月くらいのことだった。改めて参加者の歌を熟読したり、意見交換や評論を言ったり聞いたりする時間を持てて、しばし異次元に居た感じだ。

この文学的思考が好きな時間だ。歌はさっぱり上達しないが、「表現」について考えるには絶好のチャンス。、、、そんな中で師から言われた、「裸になれないまでも、自分を出すことが重要。」とのアドバイスがとても心に残った。師からは以前ある作家の言葉として、「日本橋の上で真っ裸になるほどでなければ、小説なんか書けない。」というのを教わったことがあるが、確かにな~。そうだろうなあ~。そういう小説でないと面白くないだろうなあ~。

 

半日集中して最後は有志でお茶をして解散したらもう夕暮れ。今日の晴れの天気を満喫することなく一日が終わった。この時間の外は流石に気温が下がり、この冷気に現実に帰った感じ。帰宅して早速あれこれと公演の後始末をやる。

 

このお茶の時間に出た話題のひとつがスマホ。昨年12月30日という日に携帯が故障して、いきなりスマホになったアチクシ。その2週間前に友人がそれに変えて多いに困っているという話しを聞いて迷っていたが、突然決めなくてはいけなくなり、熟考する間もなく勢いで決めてしまった。、、、が、使ってみると意外とすいすい出来て使いやすい。スマートフォンの意味が分かったというものだ。とはいえ、メールや電話以外は分からないことだらけで、質問するためにショップに出向くことになることは目に見えているが、、、。ま、慣れたら良いのではないかと思える。5歳の孫べえでも、「ちょっと貸して」と言ったかと思うとあっという間にカメラだとかビデオをいとも簡単に使っているから驚く。今どきの子どもだ。

 

時代と共に新しい物が次々と出てくるが、それをゲットしてもスグに次の新しい物が出るのではないかと疑心暗鬼にかられる。ま、こういうものはゆっくり手に入れたら良いだろう。若者はともかく、、、。

2012年1月 3日 (火)

正月。

時の流れに身を任せ、暮れから正月へと過ごしているが、なんだか二人の自分が別々に動いているような奇妙な感覚。例年のようにおせちを食べ、例年のように孫べえが来て、例年のようにお雑煮をしては食べ、初詣に行き、例年のように我が家で宴会もやる。、、、こうして動いている私と、全く動いていない私が混在していて、時々そのギャップにクラッとめまいがする。同年のちぇちのメンバーも何しろ眠くて仕方がない、とぼやいている所を見ると、コレは矢張り年齢からくるものか。さっきテレビでチラッと、「人は何故老いるのか?」というテーマの番組があると宣伝していたのを聞いたが、見た方が良いのかも。

ようやく年賀状を書き上げて、、、、といっても来た物へのお返事がメイン。こういう時筆無精というのは困ったもんだ。頂くのは嬉しいが、出すのは億劫、ってわがままだなあ~、我ながら。1年に1回のやりとりで、その人の近況を知る事が出来るという点で、年賀状の習慣は良い習慣とも言えるが、日頃会っている人ともやりとりするという風に変化してきてこれで増えに増えているのが現状だ。、、、こうした中で、東京からの1枚。「ちぇちぃりぁの運動を是非今後とも続けて下さい。」というのがある。この人は半分プロとして歌っているが、以前は同じ舞台で歌っていたことがある。歌が好きで好きで、仕事まで投げ打って上京した。ホントに幸せな人だなあ。環境が赦したということだが、やっぱり結婚してないな~。性格も良いし、温厚な青年紳士といった風情だが、なかなか理解のある女性には巡り会わないのかもねえ。

 

ところで実は公演の後片付けがまだ終わっていない。その文章類をようやく仕上げ、あとは会計報告の仕上げのみとなった。眠れる森のビジョビジョも流石に起き出さなくては。一気に完成させて提出だ。会計さんと密度の濃い時間を持つ予定だ。これが終わって初めてお正月かも。やれやれ。

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