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2011年12月28日 (水)

旅の果て。

同じホテルに5連泊したのは久しぶりのこと。五反田という土地に親近感を持つようになった頃引き揚げた今回の旅だった。部屋には電子レンジがあり、乾燥まで出来る洗濯機がついていて、ナイフや簡単な食器類も常備されているという部屋だった。が、そのシステムを知らず大荷物で出かけたため殆ど活用できないままそこを立ち去ったのが残念だ。次回からは、そこで住んでいるように使いたいなあ~。持参する荷物も少なくして、身軽に行きたいものだ。

エレベーターですれ違う紳士達は常連の感じだったし、外国人も多かったなあ。リーズナブルな料金といい、これはリピートありかも。とはいうものの、まだ他にも良いホテルがあれば、、という望みも捨ててはない。なんせ、駅という駅近辺にはたっくさんホテルがあるからなあ~。

そういえばあのホテルで、午前零時を回った頃お風呂に入ろうとお湯を出したら、全く熱くならずその日は入るのを断念したがコレに近いトラブルはちょこちょこあったなあ~。ま、少し我慢すれば良いことなのでフロントに報告することもなくチェックアウトしたが、、、、この手のホテルは融通が利くというのも発見だった。チェックアウトの時間は1時間延長して貰えたし、係員の対応もわざとらしさが無く親切だった。昼間は若い女性、夜はよその会社をリタイアしたと思われる年齢の男性で交代制のようだった。これはナポリのホテルを思い出させた。あの時は昼間若いキレイな女性だったので、何となく安心感があったので飛び込みで宿泊を申し込んだが、夕方フロントに行くと屈強な中年の男性に変わっていて、妙に圧迫感があったもんだ。3コ付いている部屋の鍵が2コまで壊れていたあのホテル。、、、、よくぞあんなところに一人で泊まったもんだ!若かったんだなあ~。

 

今回の旅は毎日お嬢のマンションにご出勤で、夜帰宅してお風呂に入るや否やバタンキューで睡眠薬のお世話になることなく爆睡。今までの疲れが一気に吹き出して、あれこれやろうと思っていったが何も出来ないで帰って来た。短歌の月刊誌も持参して少しはお勉強しようと思っていたが、全く1ページも開けることなくそのまま持ち帰った。、、、、この疲れ方は半端じゃない。が、考え方に寄れば、こういう眠れる時間が持てたことは良かったんだろう。何をするにも体力だから。

 

孫べえの記憶に驚かされたことがある。高松で全く何も分かってないときに絵本を見せて、動物の物まねをしてやっていたのをそののまま言うと、次々とこちらが教えた芸を披露してくれる。東京で両親との間でやっていた物まねに昔の記憶が甦って一気にレパートリーが増え、一番喜んだのはこの両親だった。そりゃそうだ。教えてないのにやってる感じだからなあ~。、、、しかし、人間の記憶というのは摩訶不思議なもんだ。一歳前で言葉を理解してないはずなのに、こっちが教えた「ゴリラ」「ゴッホゴッホ」という関連を覚えていて、その上ジェスチャーまでやってのける。あのゴリラや猿の滑稽な格好をしてみせた甲斐があったというものだ。

 

記憶、ねえ~。こっちはそれに引き替え余りに衰えがひどい。帰ってから早速の捜し物。大事な大事な手帳が無い。ホテルにまで電話して尋ねたが無い。無いはずだ。ちゃんと持ち帰って、別のバッグに入れ替えていた!そんなことする人だ~れ?あんた!と独り言会話で苦笑い。で、先ほど今年最後の収録をすっかり忘れていて、ミキサーの調達から大慌て。まるで、このどたばた人間の総決算に相応しい大晦日の放送となる。、、、が、考えてみると、こうしてなんとか辻褄が合っていくから不思議だ。っていうか、この人材こそが素晴らしい。ツーと言えばカーと応えてくれるもんねえ~みんな。、、、こうして年寄りは若者に支えられて何とか生きていける。アリガタヤアリガタヤ。。。

 

今回の旅で唯一芸術的時間を持ったといえるのが、「フェルメール展」だった。サブタイトルに、「フェルメールからのラブレター展」とあるように彼の作品の中から手紙シリーズが3点ほど集められ、同時代の作家たちの作品と並べられていた。NYとパリで別の作品を見ていたが、いずれもスグに彼の作品と分かる特徴的な絵画。柔らかな色彩と、写真以上にリアリティを感じる人物の仕草や表情とそれを取り巻く構図。、、、その内の1点が、今回「復元」され、描かれた当時そのままの色彩が「甦って」いた。声もなくその作品に群がる人々は、みんな何を感じただろうか?「これがフェルメールのウルトラマリン」「初めはこういう色彩だったのか」「椅子のビスまでが描かれていたのか」、、、などなど、色々感じながらの鑑賞だったのだろう。ひねくれものの私と同じ感覚の人は、、、居たのか居なかったのか知るよしもないが、私は正直何も感じなかった。というか、その偉業?に意味を感じなかったと言っても良い。全ての芸術は時代の試練を受けていくものだと思うし、それでも残る物は残るし、残らない物は、残らなくても価値はあると思う。例えば誰かも言ってたように、「ミロのビーナス」に腕があったら、これほど人々を感動させただろうか?古びて穴の空いた仏像に人々はありがたみを感じないだろうか?、、、フェルメールの作品を現代の人々が見て、彼の生きた時代に思いを馳せ、彼の生き様に共感し、彼の絵に込めた想いを夢想するのに、その「復元」は必要なのか?いや勿論、画家と呼ばれる人々やその卵たちにとって、それはかなり高度なお勉強になるかも知れない。だからこの感想はあくまで一鑑賞者のひねくれ者の感想に過ぎない。

要するに、好きか嫌いか、、、これに尽きるのかも。

 

この展覧会で印象に残ったのが、「だまし絵」だった。17世紀にさえ、このような事を考える人が居たことが面白い。当時展覧会場の壁に、ホントは「絵」なのに、まるで実物のレターラックがそこにあるかのような仕掛けとして飾っていたそうだ。だまし絵ではないが別の絵には、手の平にお仕置きを受ける子どもを見守る子どもや大人の表情がいかにもありそうな顔つきでユーモラスに描かれていて、人間の営みや感情表現が今とさほど変わらなかったことを伺わせた。日本の着物をヒントに創られたガウンを着た男性の絵など、色々興味深い絵もあった。、、、、この日久々に社会復帰出来た感じだったなあ~。こういう時間はホント、必要だ。

 

クリスマスイブのこの日、渋谷スクランブル交差点は例によって信じられない人の波。あり得ない服装のあり得ないメイクの若者達が闊歩している。中年の男女が襟をことさらかき合わせてすれ違っていく。外国語の飛び交う中を一人無言で歩いていると、まるで外国にいるような錯覚を覚える。、、、外国ねえ~、そうかも知れない。

大阪が都になると、こういう場所がもう一つ出来るのかなあ~。日本の二都物語。さて、どうなるのか?

 

 

帰宅して以来、相変わらずの多忙の上に孫べえたちが帰って来た。この天使達の顔を見ていると、何もかも忘れる事が出来る。どうか、ゆっくり大きくなあ~れ。

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