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2011年12月

2011年12月28日 (水)

旅の果て。

同じホテルに5連泊したのは久しぶりのこと。五反田という土地に親近感を持つようになった頃引き揚げた今回の旅だった。部屋には電子レンジがあり、乾燥まで出来る洗濯機がついていて、ナイフや簡単な食器類も常備されているという部屋だった。が、そのシステムを知らず大荷物で出かけたため殆ど活用できないままそこを立ち去ったのが残念だ。次回からは、そこで住んでいるように使いたいなあ~。持参する荷物も少なくして、身軽に行きたいものだ。

エレベーターですれ違う紳士達は常連の感じだったし、外国人も多かったなあ。リーズナブルな料金といい、これはリピートありかも。とはいうものの、まだ他にも良いホテルがあれば、、という望みも捨ててはない。なんせ、駅という駅近辺にはたっくさんホテルがあるからなあ~。

そういえばあのホテルで、午前零時を回った頃お風呂に入ろうとお湯を出したら、全く熱くならずその日は入るのを断念したがコレに近いトラブルはちょこちょこあったなあ~。ま、少し我慢すれば良いことなのでフロントに報告することもなくチェックアウトしたが、、、、この手のホテルは融通が利くというのも発見だった。チェックアウトの時間は1時間延長して貰えたし、係員の対応もわざとらしさが無く親切だった。昼間は若い女性、夜はよその会社をリタイアしたと思われる年齢の男性で交代制のようだった。これはナポリのホテルを思い出させた。あの時は昼間若いキレイな女性だったので、何となく安心感があったので飛び込みで宿泊を申し込んだが、夕方フロントに行くと屈強な中年の男性に変わっていて、妙に圧迫感があったもんだ。3コ付いている部屋の鍵が2コまで壊れていたあのホテル。、、、、よくぞあんなところに一人で泊まったもんだ!若かったんだなあ~。

 

今回の旅は毎日お嬢のマンションにご出勤で、夜帰宅してお風呂に入るや否やバタンキューで睡眠薬のお世話になることなく爆睡。今までの疲れが一気に吹き出して、あれこれやろうと思っていったが何も出来ないで帰って来た。短歌の月刊誌も持参して少しはお勉強しようと思っていたが、全く1ページも開けることなくそのまま持ち帰った。、、、、この疲れ方は半端じゃない。が、考え方に寄れば、こういう眠れる時間が持てたことは良かったんだろう。何をするにも体力だから。

 

孫べえの記憶に驚かされたことがある。高松で全く何も分かってないときに絵本を見せて、動物の物まねをしてやっていたのをそののまま言うと、次々とこちらが教えた芸を披露してくれる。東京で両親との間でやっていた物まねに昔の記憶が甦って一気にレパートリーが増え、一番喜んだのはこの両親だった。そりゃそうだ。教えてないのにやってる感じだからなあ~。、、、しかし、人間の記憶というのは摩訶不思議なもんだ。一歳前で言葉を理解してないはずなのに、こっちが教えた「ゴリラ」「ゴッホゴッホ」という関連を覚えていて、その上ジェスチャーまでやってのける。あのゴリラや猿の滑稽な格好をしてみせた甲斐があったというものだ。

 

記憶、ねえ~。こっちはそれに引き替え余りに衰えがひどい。帰ってから早速の捜し物。大事な大事な手帳が無い。ホテルにまで電話して尋ねたが無い。無いはずだ。ちゃんと持ち帰って、別のバッグに入れ替えていた!そんなことする人だ~れ?あんた!と独り言会話で苦笑い。で、先ほど今年最後の収録をすっかり忘れていて、ミキサーの調達から大慌て。まるで、このどたばた人間の総決算に相応しい大晦日の放送となる。、、、が、考えてみると、こうしてなんとか辻褄が合っていくから不思議だ。っていうか、この人材こそが素晴らしい。ツーと言えばカーと応えてくれるもんねえ~みんな。、、、こうして年寄りは若者に支えられて何とか生きていける。アリガタヤアリガタヤ。。。

 

今回の旅で唯一芸術的時間を持ったといえるのが、「フェルメール展」だった。サブタイトルに、「フェルメールからのラブレター展」とあるように彼の作品の中から手紙シリーズが3点ほど集められ、同時代の作家たちの作品と並べられていた。NYとパリで別の作品を見ていたが、いずれもスグに彼の作品と分かる特徴的な絵画。柔らかな色彩と、写真以上にリアリティを感じる人物の仕草や表情とそれを取り巻く構図。、、、その内の1点が、今回「復元」され、描かれた当時そのままの色彩が「甦って」いた。声もなくその作品に群がる人々は、みんな何を感じただろうか?「これがフェルメールのウルトラマリン」「初めはこういう色彩だったのか」「椅子のビスまでが描かれていたのか」、、、などなど、色々感じながらの鑑賞だったのだろう。ひねくれものの私と同じ感覚の人は、、、居たのか居なかったのか知るよしもないが、私は正直何も感じなかった。というか、その偉業?に意味を感じなかったと言っても良い。全ての芸術は時代の試練を受けていくものだと思うし、それでも残る物は残るし、残らない物は、残らなくても価値はあると思う。例えば誰かも言ってたように、「ミロのビーナス」に腕があったら、これほど人々を感動させただろうか?古びて穴の空いた仏像に人々はありがたみを感じないだろうか?、、、フェルメールの作品を現代の人々が見て、彼の生きた時代に思いを馳せ、彼の生き様に共感し、彼の絵に込めた想いを夢想するのに、その「復元」は必要なのか?いや勿論、画家と呼ばれる人々やその卵たちにとって、それはかなり高度なお勉強になるかも知れない。だからこの感想はあくまで一鑑賞者のひねくれ者の感想に過ぎない。

要するに、好きか嫌いか、、、これに尽きるのかも。

 

この展覧会で印象に残ったのが、「だまし絵」だった。17世紀にさえ、このような事を考える人が居たことが面白い。当時展覧会場の壁に、ホントは「絵」なのに、まるで実物のレターラックがそこにあるかのような仕掛けとして飾っていたそうだ。だまし絵ではないが別の絵には、手の平にお仕置きを受ける子どもを見守る子どもや大人の表情がいかにもありそうな顔つきでユーモラスに描かれていて、人間の営みや感情表現が今とさほど変わらなかったことを伺わせた。日本の着物をヒントに創られたガウンを着た男性の絵など、色々興味深い絵もあった。、、、、この日久々に社会復帰出来た感じだったなあ~。こういう時間はホント、必要だ。

 

クリスマスイブのこの日、渋谷スクランブル交差点は例によって信じられない人の波。あり得ない服装のあり得ないメイクの若者達が闊歩している。中年の男女が襟をことさらかき合わせてすれ違っていく。外国語の飛び交う中を一人無言で歩いていると、まるで外国にいるような錯覚を覚える。、、、外国ねえ~、そうかも知れない。

大阪が都になると、こういう場所がもう一つ出来るのかなあ~。日本の二都物語。さて、どうなるのか?

 

 

帰宅して以来、相変わらずの多忙の上に孫べえたちが帰って来た。この天使達の顔を見ていると、何もかも忘れる事が出来る。どうか、ゆっくり大きくなあ~れ。

2011年12月20日 (火)

ビッグニュースの日。

北朝鮮の統治者が亡くなったというニュースを驚きを持って聞いたのは、夕方練習会場に出かける車の中でだった。私より2,3歳年上の人だったようだが、確かな年齢さえ分からないというのが如何にもあの国の人だ。拉致問題の張本人とされるこの人が亡くなったということは、これから何が変わるのか、変わらないのか。近くて遠い国のニュースだった。

人はいつか死ぬな~、、、。

 

ちぇちにも大きな出来事があった今日という日だが、今後の事を考えると、、、、なるようになる、と思っているが、それでもこの変化について行けてない自分が居る。

 

こうした公演の疲れを引きずったまま、明日から上京だ。さて、癒されるのか?間もなく午前4時になろうとしている。少し眠ってから行かなくては、、、、都会はたださえ疲れるからな~。

2011年12月19日 (月)

アザと公演。

一昨日ゴミ出しをしていてグラッときた。お隣の壁に左手が激突!あいたっ!と思ったら、今日になって直径10センチほどのアザになっている。夫にそう言うと速攻で体重が重いからだと同情の言葉もない。血圧降下剤を飲んでいると身体のバランスが取りにくくなる、とは聞いていたがそれなのかも。やれやれ、、、。ま、誰かさんのように公演の終了直後の怪我でなくてまだ良かったか。

 

今日、昔からの顧客の紹介で80代半ばの方が施術にお見えになったが、この方が兼ねてから聞いていたとおり、全く年齢に見えないばかりか、趣味が粋で、お話しも楽しく色々教えて頂くことも多かった。日々のストレスは、お一人で喫茶店に入り、人様に煎れて頂いた美味しい紅茶をすすりながらリラックスすることで解消されているんだそうだ。黒柳徹子のファンで、大阪梅田までバスで公演に駆けつけるという。人生は時々リセットが必要よ。、、、我が家までタクシーで来られたが、思いついたら即行動派のようだ。携帯は勿論パソコンもおやりになるとか。おおお~こんな風に年をとりたいものだ。

 

そういえば年齢不詳の公演関係者がいたなあ。というか年々お若く美しくなって行かれる指揮者のW先生だ。以前の公演で指揮を見た人から、「もう少しあの方のお顔が見たかったわ~」というリクエストがあり、今回の台本には少し工夫をしていたが、あれこれあって、結局はあまり何時もと変わらなかったようなのは残念。どのポジションにいてもスター性があるってことだろうなあ。でもまあ、客席からはわかり得ないことだが、この方の練習中の檄の飛ばし方は半端じゃあない。まるで男らしく、竹を割ったようなとはこの方のような人だろうと思う。

普通ではないちぇちの公演に大分慣れてきてくれて、1回とはいえ、「チェロ、チョロチョロしない!」というセリフをしっかり入れてくれたのには、袖でクスリと笑えたもんだ。この時の発声もしっかりされて、流石~であった。

こけ枝師匠といい、凄いよねえ~、自分の本分をちゃんとわきまえた上でこちらの要求以上のことをしてくれる。どっかの地方で、吾が吾がの落語家に振り回されたという話しも漏れ聞いたが、基本は音楽の公演だということをきっちりふまえてやってくれる有り難いお方だ。8回やって、落語とオペラが本当に馴染んだ感じがする。継続は力、だなあ~。

2011年12月17日 (土)

終わっても会議。

昨夜やっぱり丑三つ時までの会議となる。

疲れる。

内容も疲れる。。

でも話し合いは必要。お互いを理解し合うためには、これしかない。

こうした時間で、様々なことが解決していく。

必要なこと。

分かっているけど、疲れる。

、、、、年だろうなあ~。

 

この日は殊の外冷え込んで、部屋の中でも勿論暖房してても、外出と同じ格好だった。誰かさんは、毛布持参で完全防備。最初は笑ったが段々笑えなくなる。それほどに冷え込んだ。

昨日のいつのニュースかも忘れたが、被災地を俳優が訪問するという番組で、あちらの冷え込みが放送されていたが、相当なものらしい。「慣れてますから。」とインタビューに答えていた人がいたが、今回の義援金が、そんなことにもお役に立てると良いなあ~。と密かに思いながら見ていた。が、ホントにささやかなものだろうなあ~。

2011年12月15日 (木)

出演者あれこれ。

今日は孫べえとその母親からのBDカードが届く。大小ざまざまな文字が躍りまくる孫べえの字はそれでも、「う?筋は良いなあ~」などと思わせるババばかぶりだ。別便で、選んだのは嫁りんだろうと思わせる椅子用マッサージ機が届く。「生んでくれて有り難う」のカードが入ってて瞬間うるる、となったが、よく考えると、「育ててくれて、、」ではない。そか、無理もない。アチクシの言葉のひとつで、「あんたはね、私が育てたんじゃない、勝手に育ったんだから!」というのがあって、まあそれは、タイミングに寄って使い分けてはいるんだが、、、確かに育った部分があることを思えば、紛れもないのは「生んだ」ことだけだ。確かにこの有り難うは100%かも。

で、お礼の電話に只今3歳の男の子が出るとまあしゃべるしゃべる。これは全く父親譲り。吾が息子も良く喋ってたなあ~。サンタさんが来るというので、いつ?と聞くと「あのね、ライネン!」と来た。

 

公演の後片付けに追われているが、思いつくままに出演者のことを書いておこうと思い立った。今回は華々しく色んな方が参加してくれたからなあ~。

 

まず楽団は、今回中世のお洋服を揃えて着て貰ったが、誰よりも似合っていたのが、ヴァイオリンのM氏だろう。あれは天然パーマだろうか?くりくりしたヘアーにあの洋服が素晴らしくマッチしていて、最初から全部あの衣装でも良かったかと思わせた。マジでステージであの出で立ちでソロを弾いて貰いたかったなあ~。って、これってアチクシだけ?

そして同じく楽団のA氏。練習からゲネ、ゲネから本番と、段々やることがエスカレートしていき、指揮のW先生の唯一のセリフ、「チェロ、チョロチョロしない!」をしっかり受けていたもんなあ~。いやはやいやはや、類は類を持って集まるの例え通り、こういうことをマジでおもしろがれる人々が楽団でも揃ったといういうことだ。

なんでもやれるのがちぇちと、思われたかもねえ~。フフフ。

 

これは良い思いつきだなあ~。これから徐々に裏話などとともに書いておこうか。

2011年12月14日 (水)

眠い。

眠いが、寝るわけにはいかない哀れなアチクシ。欠伸ばっかりしながら公演の残務処理などやっている。実は決算内容が欠伸なんか出来る状態ではないにも関わらず、絶え間なくあ~~~あとやっているのだ。

FMの収録は出演者の美女3人だったが、ビジョビジョ状態で、みんなまだ引きずっているし疲れが出ている感じ。やたら朗らかで笑うんだけど、一瞬の沈黙がミョーに深い。ミキサーのAさんは、半年ぶりの機械操作に、多分本日一番の緊張者。

だが、結局内容は、「やって良かった」「ホントの50回記念公演だった」のオンパレード。多少のリスクも仕方がないほど、でかいことをやったんだという確認だったかも。

 

その前は、会長はじめ数名が集まって、会場で集めさせて貰った義援金の勘定だ。予想外に沢山集まり、実施するまでに色々な意見に試行錯誤も重ね、議論沸騰のあげく、「やることはもの凄くしんどいけど、それでもやることに意義がある。」の意見に集約されての実施だっただけに、みんなは感動の連続だった。やがて現れたこけ枝師匠にずしりと重い紙袋をお渡しして、「確かにお届け致します」のお言葉を頂き、じ~んとした。これが、確実に東北の人々に渡り、何らかの力になって貰えたら、、、、私たちの赤字は報われるというものだ。

こうして、今日は朝から晩まで、公演に関するあれこれで明け暮れた。、、、ねむいっ!

リセット。

ぼちぼち始まった。ぼけぼけっ。

今日はFM収録と思い込んで何もかもそれに照準を合わせて一日をスタートさせたが、「もしかして、勘違いされてません?」という親切なメールが入ってくる。よくよくスケジュール表を見ると、チャンと間違っている事が分かる。が、この間違いは、メンバーでミキサーのMさんの勘違いでだめ押しされた感があり、彼女がそういうんだから間違いないだろうと手帳を見なかったのがそもそもの間違い。若くても公演の後遺症はあるってことだ。結局夕飯は準備しておくとかあれこれ夫にも知らせたのを全部変更して、全く久々に二人での夕食となる。で、お風呂場の電気が切れて、というか壊れたらしく暗い中でのお風呂は危ないし、これ又久々に銭湯に行こうとなる。大きなお風呂でゆっくり浸かりたい気分でもあった。

しかし、これは溜まった疲れを引っ張り出したに過ぎず、只今モーレツな睡魔に襲われている。明日は公演中に集めさせて頂いた義援金の合計額を計算する為に数名が朝から集まってきて作業をする予定。これをまとめて午後にも来てくれるこけ枝さんにお渡しし、キチンとNHKの窓口へとお届け頂くというものだ。せっかく集めさせて頂いた貴重なお客様のお気持ちだ。1円たりともなくす訳にはいかない。微に入り細にわたり封筒をチェックし、しっかり計算しなくてはならないのだ。

、、、こうして、終演後の所謂後片付けが少しずつ始まっている。ホントは一気呵成にやってしまいたいところだが、もう体力が残っていないのと、しわ寄せのお仕事が次から次へと押し寄せてきていて、ぼちぼちぼち、、、。

我が家の入り口は一体いつになったら片付くんだろう!?

 

そういえば、初日の公演後に帰宅すると、お嬢が月見える?と電話してきた。ニュースさえ見る暇が無くホールに缶詰だったから全く知らなかったが、この日が皆既月食だったのだ。慌てて外に飛び出して見上げると成る程素敵に晴れ渡った夜空に、最近見たことがないほど星が輝き、その真ん中にしっかりと月が浮かんでいる。そして何時もと違う怪しい赤色の月の輝きが不思議な趣でそこにあった。しばし見とれて襟をかき寄せ家に入り再びパソコンでこの日ようやく5時間眠れたのだった。不思議と言えば、この「眠る」という行為も不思議な行為だ。一回完全に死に近づきそれでリセット出来るんだからな~。

 

さ、今日も今日の事を一旦リセットだ。

2011年12月12日 (月)

祭りのあと、、、。

本日はアチクシの66回目のお誕生日。自分のために早くカラ「東儀どの」のライブのチケットを友人Kと買っていて、二人して出かける。が、まあ6割は寝てたかな?お互い代わり番こに寝ていたようで、あとで大笑い。彼女も今回の公演で引っ張り出され、舞台に立つわ、裏方はやらされるわ、別の裏方の送迎はやらされるわ、でへとへとだったというわけだ。同じ年だから、疲れ方もほぼ一緒。これこそ腐れ縁でなくてなんだろう、てなもんだ。

サンポートホールの大ホールは、結構な年齢のお客様が多く、和服の方もちらほら。なるほど。流石雅楽だけのことはある。が、この癒し系の音楽がどれほど眠気を誘ったか。スグ後ろにこのチケットをお世話下さった方がいらして、休憩中にご挨拶されて、二人ともあわわわ、、、。この方のご子息が一部で癒し系バンドの演奏をされたので購入したという経緯。まさか寝てたのに気がつかれてないよねえ~、と言い合いながら帰路に付く。

携帯電話を切っていたら電源ONにした途端只今8件のメッセージをお預かりしています、と出た。何事かと思うと、そうだった!誕生日のお祝いケーキを取りに行ってくれと言われていたのをすっかり忘れていて、その催促だったのだ。プレゼントしてくれるという人の家まで結局取りに行く羽目になり、平謝り。、、、公演後の気持ちのゆるみからのドジが、いよいよ始まったぞ~。無理無理夫とKにハッピーバースデイを歌わせて甘くて美味しいケーキを味わいながらKと改めて「疲れたねえ~」。、、これしかない。

 

その留守電の中に、5歳と3歳の孫べえ二人の合唱でHappyBirthdayToYouの声が入っている。キャワユ~イ!!何よりのプレゼントだった。こういうことがあるんなら誕生日も悪くないなあ~。

そういえば、夕べは打ち上げの二次会でもみんなに歌って貰ったなあ~。、、、、!小さなこっぽりした感じの良いスナックを借り切っての二次会は、止まり木に止まったぶ~よろしく、さっぱり動けなかった。喉がやたら渇いて、次から次へと注文して呑んだが、さっぱり酔わない。これは一体、、、!結局帰宅したら4時前という時間。

倒れ込むように寝たら、朝からメールと電話が鳴りっぱなし。もうろうとした頭で顔も洗わず宅急便を受け取ったり、、、結局本日は1食で一日終了。

持ち帰った荷物は早速衣装部屋関連は取りに来て貰い、小道具類も持ち込んでくれたり、お借りしたところへ届けてくれたりと、残務処理が進んでいる。が、他のことは手つかずで、とりあえず今日はお休みだ。といっても、明日は朝から仕事が入っているし、夜はFMの予定。当分、多忙からは解放されそうにないなあ~。

 

入ってくるのは嬉しい情報ばかりだが、入ってこない部分が怖いな~。これから残務処理が始まり、頭を悩ませることとなる。

 

祭りが終わった。

2011年12月11日 (日)

過去はひとまず忘れて、、、。

昨日のことは忘れて、今日は再出発。

最後の力を振り絞って臨むとしよう。

大勢のお客様に喜んで頂ける、

それだけが最終目的だ。

 

 

みんなが元気でいてくれますように、、、、、。

 

さあ出陣。

2011年12月10日 (土)

帰りの車の温度計は4度。

覚悟してはいたものの、やっぱり打ち合わせ不足による場当たりの途中ストップが随所に出て来て、さっぱり場当たりにならな~い。この芸術祭の時期に何かをやることの難しさが、今更ながら身にしみる。とにかく、打ち合わせの回数がメチャクチャ少ない上に、数日前の打ち合わせでGOだったものがいきなり今日になってダメとなったり、、、。こんなのあり~?てなもんだ。何の為の打ち合わせか。「まあ、やってみなければ分からないことも多いですから、、、。」と長年の付き合いの舞台Yさんは慰めてくれる。が、楽団の人やゲストに多大なる迷惑をかけることとなる。すでに諦めムードが漂ってはいたが、、、トホ。

時間を延長してのB組の場当たりは、全くその言葉通りの「場当たり的な場当たり」となってしまう。一番大変なのは、二日通しで出演の人々だ。内心は申し訳なさで一杯だが、、、、今日はよく寝てくれるだろうか。そんな時間も少ないが。

かくいう私はまだまだ眠るどころではない。朝パン一枚、昼ドッグ1コ、夜おにぎり一個という哀しい食事。なのに妙にお腹も空かず、夕方やって貰ったマッサージが功を奏したのか眠くもない。長年舞台に関わってきたが、前日にホール入りしてからのマッサージとは!?初めての経験。新会長の発想は凄い!これまでこうやって窮地を脱して来たのか彼は?それともこの老体を労る目的か?ふ~っ。

 

このまま、本番に突入の緊張感は、もしかしたら最大の「愛のムチ」かも~。後は、明日のゲネプロにかけるしかない。おお~、朝9時前にはホール入り。そして怒濤のように時間流れ、きっとあっという間に一日が終わる。「後悔先に立たず」事前に出来ることは全てやっておこう。最後まで諦めないで!!

 

まだ。これからお弁当配布表を作成し、台本最終稿の手直し版を印刷し、メーク道具のチェックをし、自分の衣装を揃え、車の中の不要品を降ろし、、、、一体何時間眠れるのか?見当も付かない。

が、はるばる駆けつけてくれた東京、岡山組を初め、強力な助っ人が付いている。負けないで頑張ろう。

2011年12月 9日 (金)

晴れたり曇ったり。

今日はまるでちぇちのここ数年の、いやいや、もっとずっと前からのてんやわんやのような晴れたかと思ったら曇ってみたり、雨かと思えば日が射したりの天候だった。気温も低いんだろうが、室温を大体同じにしているから余り分からない。外から入ってくる人が冷気を持ってくるのでそれと分かるくらいのもの。、、、、いつもの公演前のように相変わらず慌ただしく、何かしらいつも忘れ物をしているような感覚もあるが、一方でシンとしている自分がいる。妙に居直った感じ。「なるようになる」と、どっかから聞こえる声に身をゆだねている。ま、ここまで来て、何かが劇的に変化するわけもない。いろいろあったが、最後は二日間別人になってオペラ座の怪人よろしく舞台に住み着くしかない。いや正確には明日の場当たりなども入れて、三日間だ。なが~い時間が始まろうとしている。

 

昔から私は自分が何も出来ないのに、適材適所でその人の能力を引き出すことには長けている。と、思う。今回も私の毒牙(?)にかかったあの人やこの人が、想定外の働きをしてくれている。いやはや、素晴らしい能力だ。1を聞いて10の理解と仕事が出来る。こういう人は何をやっても出来る人なんだろうが、その前にある共通項がある。「仕事は黙ってやる」「即答能力がある」「報告が出来る」「優しい」、、、、この最後の項目は、意外だが必ずついて回るポイントだ。他人に対する思いやりを持つことの出来る人は、自然に優しくなれるようだ。どんな仕事も向こうに人が居る。その人に優しくなれないと、何もかもが上手く行かない。、、、優しいとは、なんでも受け入れることでもなければ、言いたいことを飲み込むことでもない。むしろ逆の場合もある。でも最後はその人を思いやった言葉で締めくくりたい。「みっちゃん、よく頑張ったね~~」って、誰か言って~~~。てなもんだ。てへ。

 

映像テクを今回の舞台で初めて使う。舞台だけじゃなく、ロビーにもず~っと流しっぱなしでちぇちの歴史や練習風景など流し続ける。このようなことを、こともなげにやってくれる人が現れて、感激のしっぱなし。おお~、時は流れたのだ!

2011年12月 4日 (日)

疲労の極致。

連日の深夜までの練習に、終わった後も一端腰かけたら立ち上がれないほどに疲れている。今日は午後1時から夜の9時までの練習で、途中ラーメンを食べに行ったは良いが、自分のお肉を食べてしまった!どうせなら頬の裏側でなく、別な場所のお肉にしたかったが、、、、ま、しゃあない。いてててて、、、。これって、本番までに治るかなあ?

 

今日も外部の人から、いつもより仕上がりが遅くないですか?と言われてしまいハッとした。私の檄を飛ばす回数が少ないと感じているようだ。そうかもしれない。これが老化というものだ。ともかく、疲労の蓄積がひどく、少々のことではなかなか快復しないのだ。今日は2回も栄養ドリンクを飲んだが、効いてるような気がしない。

 

ラーメンを食べたにも関わらず、何だか夕飯がまだのような気がしていて、帰宅してから冷凍の「マグロどんぶり」でビールを飲む。なにもかもゼロのビールだ。丁度テレビでは、マラソン選手とパラリンピックのマラソンに挑む女性アスリートの話題が放送されていた。この疲れ切った身体には、グッドタイミング~な話題だ。彼らはナント素晴らしい根性の持ち主か!?こんな事くらいでへこたれていては申し訳ない。「限界まで、、」という言葉が繰り返されるのを聞いていると全く恥ずかしくなる。走りきって倒れ込む程の頑張りを果たして私はしているだろうか?どっかに甘えが無いだろうか?自分に初めから限界線を引いていないだろうか?どっかで、年なんだから、これくらい出来れば良いだろう、という甘えが無いだろうか?、、、、。

 

今日はみんなの前で、ちょいと偉そうなことを言った。がらにもなく。これを言うのが自分のお役目だと思って、頑張って言って見た。いろいろな角度から言ったが、結局は、「演出家は一人」ということだ。これは決して私のためではない。そもそもの最初から、これは共通認識でなくてはならない。にもかかわらず、大小様々な演出家が現れるのは、ひとえに私の力の無さだ。「みんなで創る」を勘違いしてしまうのは危険だ。特に経験の浅い人たちは大いに惑わされる。、、、、本番まであとわずか。ここでの仕切り直しは、遅いかも知れないがきっと効果があると信じている。みんなが同じ方向を見ていると、今日は実感できたから。

 

帰りに駐車場のチケット買うために事務所に行く。領収書に名前を入れるのに団体名を告げると、「ああ、いつも沢山練習されてる方ですねえ~。」とそのおじさんが言ってくれる。「そうなんですよ~、あっという間にこのチケットが無くなるんです~」というと、「そうでしょうなあ~!?」と大いに同情してくれる。まあ来てはくれないだろうが、そこにもしっかりチラシを置いてきたもんだ。

 

さあ、明日は朝からホールの打ち合わせと新聞社。そのあと衣装のことで人と会い、夕方から又練習だ。

 

倒れるまでやるとするか!

2011年12月 3日 (土)

笑いについて。

実は今日はかねてより気になっていた劇団の公演を見に行った。「爆笑」と頭に付けるほど笑える筈だった。確かに前回は余りに面白くて、涙ながらに笑った記憶がある。が、今日はちょっと違った。面白いセリフが連続放射されているはずが、笑えない。特にエッチなセリフでは観客みんながどんどん引いていくのが感じられる。、、、その理由を私なりに考えてみた。多分おそらく、その一番の理由は、役者の演技が上手くなったためかと思われる。笑わそうという意図が透けて見えるというか、「思わず笑ってしまう」という場面が少ない。これはある意味逆説的だがある意味では真相ではないかと思う。前回は、明らかにセリフを忘れて居たり、妙な間があって、これは次のセリフを考えているな?と思わせる場面が少なからずあった。その、段取りを外された所にメチャクチャ面白い間合いが生まれ、笑いを誘ったのだ。巧まざる技巧とでも言えようか。

我々の舞台「こうもり」でも、明らかにセリフを忘れた人の為に、こけ枝師匠の機転で、「そんじゃ、も1回さっきのとこからやり直しましょう!?」と言ってくれた為に場内は大爆笑となったわけで、これが巧まざる演出となったということだ。

おそらくこれを越える演出はなかな出来ないだろう。現実と非現実をいきなりつないでしまったということだ。

 

さて、来週になった我々の公演も、元々、「喜歌劇」である。喜劇的要素は既にある。そこを如何に喜劇にするか、が、出演者にかかっている。まずは懸命でなくてはならない。テンションの高さは舞台を変える。くれぐれも「笑わそう」としないことだ。自分たちが笑わそうとしたって、笑ってくれるほど今の観客は素人ではない。この情報化社会にあって、笑いでさえも常に高度なテクニックが要求される世の中だ。1年やそこら練習したって、必死でやっている芸人さんを越えることは絶対出来ない。内輪受けほど見苦しいものもないだろう。

出来ることは、自分の役をしっかり掘り下げて、その役の中にキチンと自分を入れることだ。音楽がそれを助けてくれるだろう。しっかり歌う事で、生まれることを最大の武器にすべきだ。、、、その上で、楽しむことが出来れば最高だ。変な色気は御法度と心得るべきだ。

 

そういえば、今月の短歌のお題は、「笑い」だったなあ。私にとって、笑えないテーマだ。たはっ。

2011年12月 2日 (金)

あと一週間。

前日の場当たりまで1週間となってしまった。何かしら、やり残していることが多々あるような、落ち着かない気持ちで揺れている。ホールに入ってしまえば、覚悟が出来るが、いつもこの時期はぞわぞわしている。

そんな中、今日はラジオの生放送に出演、会長共々冷や汗た~らたら。全く打ち合わせもなく、駐車場で二言三言交わして現場入りしたために、案の定予期せぬ(予期しない方がおかしい)質問に、もたもたもた。自分の番組では、これをいつもやっているにも関わらず、ゲスト側に立つとあちゃ~てなもんだ。

ところが、嬉しいことがあった。次なる予定の前に遅い昼食をと帰宅してパソコンを開いたら、「今ラジオでお懐かしいお声を聴きました!」というメールが入っている。彼女は以前ガラコンサートに何度か出て貰ったことのある方で、結婚して今は二児の母だと書いてある。歌は忘れず、子どもの幼稚園などでゆる~く歌ってます、とある。その内時間が取れるようになれば又歌を頑張りたいとも。、、、時間の経過を感じてしまった。あの可愛らしい方が、ねえ~。

是非母子室で聴いて下さいとお返事すると来てくれるようだ。、、それにしてもラジオというのは凄いもんだ。

 

毎日これでもかとお仕事が降って湧いてくるが、その中でも今頃来る物が一番大事な用件で気が抜けず、大いに疲れる。放送局へ行く前にもう一件、これは本番をテレビカメラが3台も入り収録してくれるということの簡単な打ち合わせだ。担当の方とは初対面の打ち合わせ後に県の前夜祭でもお目にかかり親しくお話しをさせて頂いた方。既に旧知の如く明るい対応をして頂き感激だ。テレビを見るのが怖いような見たくないような、、妙な気分だが、まあ、決まったことだ。カメラマンもどうやらかっちり決まってきたし、舞台の関連も深夜までやりとりをして、素敵な物が出来そうだと分かる。ホントにこの時期舞台さんも芸術祭がらみで大忙し。私のようにこだわりを持つ人間にとっつかまって、もっとこう、もっとああ、と言われてお気の毒だが、私にしてみれば、もの凄く少ない予算で最高の物をと思うから、結局はデフォルメするなどして、凝るしかない。

日曜日には一度の照明リハでは、、、と見かねた照明さんが再度現れてくれるらしい。こういうプロの方のご厚意に支えられて今まで大それた事がやってこれたのだ。ご本人達は「腐れ縁」と思ってくれているだろうが、「出世払い」の合い言葉も段々声が小さくなってきて、申し訳なさで一杯だ。ホントに、小さな団体が、「夢」だけはどこにも負けない位でっかくて、信じられない舞台を実現してしまうのも、こういう方や、様々な形でご協力して下さる数え切れない人々のお陰だ。

昨日だったか、夕食の時NHKの歌謡ショーにゲストで出ていた年配の冒険家?が、若者へのメッセージをと言われて、「皆さん夢を持ちなさい。夢はデカイほど良い。どうせただなんだから。ダメだったら、又別の夢を見ればいい。」てなことを言っていたのを、箸を止めて聞き入った。。そうなんだ。「海ほど願え」という言葉もある。本気で夢を見ることだなあ~。

 

郵便でご案内した方々から、次々と暖かいお返事を頂く。夜の外出は控えていると以前お聞きしていたある女性は、若い人に乗せていって貰う事にしました、と書いてくれる。こういうお便りはホントに嬉しいが、もの凄いプレッシャーにもなる。頑張ろう。

メンバーで東北へ転勤していったMくん。お便り係のSさんに電話があり、飛行機ではるばる駆けつけてくれるという。今回の震災で命からがら逃げ出した経緯など聞けるかも知れない。それより何より、嬉しいではないか!?まるで同窓会の如く、懐かしい方々が来てくれそうだ。

こういう人間関係こそが、団体の宝物だと思う。これから先も沢山の新しい人間関係が生まれ続けるだろう。それは、私がこの世から居なくなっても続く物であって欲しいし、そうなるだろう。会長の若さと人格とエネルギーに期待したい。

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