« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

2011年11月25日 (金)

今日はチト寒い。

今、即ち深夜に沖縄から友人が電話してきて、アルコールの入った調子の良い口調でゴルフでなんたら賞を取ったと、だから泡盛買って帰るで~と報告が。自分の事でなくとも嬉しい。いや泡盛が来るからじゃあない。この年で、男性に混じって沖縄まで行き男性陣をしのぐスコアが取れたというのは、ほんにメデタイ。「ホールインワンとったらあの世行くかもしれんから、それだけは止めといて~」と冗談で返したが、イヤハヤイヤハヤ結構なことで。、、、沖縄も流石に今日辺り寒いらしい。

 

夕方から、こちらのチケットを買って貰ったこともあり、あるミュージカルを観に行く。この劇団の作品はケッコウ見てきているが、まあ好きぶ好きがあるだろう。私的には今日のは過去の作品の中の2,3番目に面白かった。ただ、もの凄い音の洪水には正直参った。最初は耳を塞ぎつつ聞いていたが、そのせいで大いに疲れた。あの小さなホールであれ程の音量が必要なのか?いくら「ハードロック」だって、、、、とおばさん二人は思ったのだ。

このところこちらの練習は勿論アコースティックの音の中にいて、時にはPPの音を聴くもあり、常に「聴こう」とする習慣が身についていて、あちらから押し寄せる音には過剰に反応してしまうのかも知れない。が、この疑問はいつか誰かに解決して貰いたいものだ。

 

こうして毎日いくつかのお仕事をこなしているが、内心は風邪を引かないか等とビクビクものだ。夫もあれこれ用事を抱えていてそのため健康には普段より過敏になっていると見える。何度も体温を測っては、「35,6度だった」とか「さっきは36度だった」とか「なんだか微熱がありそうだ」とか言い出す始末。なので標準体温が36,5度だから大丈夫じゃん!?と言うとこっちを疑わしそうにみるなんざあ~、まじ大丈夫?って言いたくなる。風邪より怖い病気にならないで!と言いたくなる。

 

来店客にチラシをお見せすると、ある方は、「こういうこと好きな人って、大勢いるんですねえ~」と言われる。全くこの手のことに興味がない人だと分かってお渡ししたが、ご夫婦で美味しいお店を探して食べ歩きが趣味という羨ましい人生。いやいや、私がこの人と同じだったら、恐ろしい体型になっていただろう。これで良いのだ。

 

世の中にはこうして色んな人が居て、それで楽しい。

てんやわんやの一日。

朝、お願いしていた所からわざわざ広告の原稿を持って来て頂くところから、今日は始まった。そこから岡山。朝からの大風でかなり波が立っている。これは揺れるなあ?と心配だったが、乗り場近くのバーガー屋さんで買ったサンドイッチが食べられる程度だった。フェリーは大きい船だということか。

でも、行き帰りで相当量の仕事をする予定が、流石に小さい字を見ていると吐き気がしてきた。結局は殆ど何も出来ず帰ってしまった。急ぎ帰宅して夕食の準備をしていると、メンバーのMがやってきて、手にローソクを持っている。あ、そうだった。今回の舞台で使うもののサンプルを持って来て貰う約束だったんだ。と思い出したら彼女の後ろに二人の男性が。早速話しがまとまり、やれやれ。そこにコープがやってきて、友人の大量の荷物があることが判明。たまたま練習会場の方角だということで、Mにお届けを依頼。使える駒は全部使うのがアチクシ。で、気が付けばガソリンがほぼ零。給油して急ぎあなぶきホールへと駆けつける。

今日は音楽会の重鎮T先生のリサイタルだった。有志の呼びかけで、先生の肖像画をお贈りしたのが飾られていて、それはよく特徴が捉えられていて良い作品だった。ちぇちも仲間に入れて貰ったが、ホントに良かった。

スグに休憩となり、その間にメンバーと話しを交わしその足で牟礼までひとっ走りで練習会場。、、、遠いなあ~。

早く着いた連中が先に始めていてくれる。会長指導の下既に和気藹々の空気ができあがっている。切羽詰まっても深刻にならないのが、ちぇちの良いところと、、、思うこととしよう!

10時半という時間になってようやく腰をあげ、誰からともなく(会長からだったような気が、、、)「美味しいラーメン食べに行きましょう!」となり、帰宅組以外7名で近くのラーメン屋さんまで移動。その時間でも次々と人が入ってくる。聞けば有名なお店らしい。Mたちは栗林辺りで屋台をやっていたときから知っているそうな。お勧めラーメンは少ししょっぱいが、確かに美味しいラーメンだった。

 

帰宅したら11時半を回っている。ううう~ちかれたび~。

2011年11月24日 (木)

ホントの追い込み。

やっぱり何と言ってもオケ合わせが重要だ。ピアノのだけの練習を重ねていると、色んな音に戸惑ってしまう。指揮を見ているつもりでも、つい音楽を聴いて出てしまう。いつもこういう練習をしているわけでもないし、今回の主役ダニロ以外はオケで歌うのは殆ど経験がない人が多い。これは慣れるしかないなあ~。

でも、前で聴いている分にはなんかとても良い感じ。オケもまだ完全に仕上がっているわけではないが、行き先が見える。歌の人とオケがようやく足並みを揃えて歩き始めたという感じだ。これから本番までの練習で、大きくジャンプ出来そうな予感がする。

それにしても指揮者というのは大変だ。ただ順番通り音楽を進めれば良いと言うものではなく、セリフや動きのタイミングで決められた、所謂キュー出しを覚えなくてはならない。これを飛ばすと全体が止まってしまう。これは精神的にかなりのプレッシャーだろう。特に我々のような公演で、常に笑わされたりハラハラさせられていて、流れに乗って良いのやら、、、てところかも。でも、W先生は男らしい方。プログラム担当者Mが持って来たものをチェックしていて、「ゲラゲラゲラ」!ご本人を称して、通常こんな事書かれたら絶対怒るところを、全く動じない。「ええよ、ええよ!」とあっさりしたもんだ。女が惚れる女だ。

今日は副指揮者もご登場で、大いに充実した練習となった。、、、しかし、オケが張り切ると、歌は頑張らなくてはならない。しっかりした発声で歌い喋らなくては、かき消えてしまうだろう。自分自身どうも頼りない感じ。戻りのない会場だったせいで、どの程度声が飛んでいるのかさっぱり分からない中での合わせだった。

昼間はピアノだけの練習だったが、こちらも細かいところまで突っ込んでの練習で、大いに実りあるものとなった。昨夜の個人レッスンといい、みんなここに来て物語りを深く読み解く習慣が身についてきて、セリフにも味が出てきた。ああ、あと1ヶ月あれば、、、ってえのは、いつも公演前に想うこと。しかし、現実をしっかり認識してかからなくては、、、。追い込みだ。

 

 

一昨日だったか、東京のお嬢から、「今テレビで香川の凄いこと全国ニュースでやってるよ~」とかかってきた。何かと思えば、高齢者同士の三角関係刃傷沙汰の事件だった!いやはやいやはや。人間長生きするようになって、こういうことも高齢化してきたのか。いや、ず~っと以前にも高松で同様の事が老人ホームで起きたと聞いたことがある。、、、人間いくつになっても救われないなあ~。年を取っても、「赦す」ことが出来ないのは不幸なことだ。、、、年を取るのは哀しいことも多いなあ~。

今夜の練習時にも、お嬢の同窓生が労ってくれた。「倒れないようにねえ~」、、、ムムム。確かに。

明日は岡山。往復の道中でパンフレットの校正と、ダンスシーンの図解をしようと思っているが、、、帰宅したら夜はT先生の演奏会に顔を出し、その足で詰めの練習だ。

 

気力だけでも頑張って持たせよう!!

2011年11月23日 (水)

自分のせい。

自分も含めて、詰まってきた練習日程のお陰で故障者が出て来ている。疲れは声にも反映される。気を付けたいことだ。以前レッスンを受けるとき、「食べて寝て、それが上達のコツだ」と言われたのを思い出す。「歌をやるのは、だから贅沢なもの」とも言われた。それを実感することも多い。健康な精神は健康な肉体に宿る、というあれだ。「歌えない」と思うとホントに歌えなくなるのが「歌」というもの。メンタルな部分もケアが大事だ。

 

これが、しかしプロでない苦しさだ。自分たちで創り、自分たちで経費を集め、集客をし、その上に練習だ。そういうことから一度でも解放されたいと、誰しもが思っていることだろう。、、、が、実は、こうしているからこそ良い舞台が創れている、と私は思う。

単純に「苦労してこその達成感」というのもあるが、矢張り緊張感の違いもあるのではないか。自ら頭を下げ、体力を消耗し、尚かつ舞台への飽くなき探求心で日々を過ごす。一日24時間のうち、何時間公演の為に費やしているか。この度合いが舞台に反映されるのは間違いない。それが前回の公演だった。多くの人が、もの凄いエネルギーで舞台を創った。未だに語りぐさになっているほどの大仕事だった。

今回、あの苦労をしたくないという意見を入れて、音楽や芝居に集中するべく舞台を創っているが、果たしてどうなのか。みんなあの時より高いレベルのものが出来ているだろうか?、、、、残念ながら大手を振って威張るほどのものはまだ出来てないような気がする。あと半月。最後の追い込みを一人一人がすべき時だ。

この段階に於いてさえ、自分の出来不出来を他人のせいにするのはいただけない。カナダ人の友人がよく言う、「自分のせい」という言葉が身にしみる。そう、何もかも自分のせいだ。

2011年11月20日 (日)

進化する人々、、、、。

どこまでやっても終わりがないのが舞台というものだが、このところの練習はホントにこれを実感するものとなってきた。連日やっているが、短い会話ひとつが、掘り下げれば掘り下げるほど進化して、まるで息を吹き返した魚のように弾んでくる。途中からの参加となったダニロも、こちらの要求に素早く反応してくれて大変やりやすい。こうなってくると、こちら側も俄然やる気が起きてきて、もっともっととなる。その繰り返しで本日も午後7時半から11時までの長時間練習がちっとも永く感じられない。もうこんな時間!?と後ろ髪引かれる思いで退散だ。が、明日は朝の9時からなんだよなあ~。8時半には出演者をピックアップして行く予定だし、、、。ムムム。

外に出れば雨。

そういえば、茨城も目黒も大雨注意報が出ていると、携帯が教えてくれる。、、、便利なのかどうなのか?、、、、。

 

こうして懸命に練習をしている中に、差し入れを持って来てくれる我が友人が居て、みんなホッとする。外部の方の応援は、身にしみて嬉しいものだ。、、、期待に応えなくては!!

 

 

昼間は自主制作の映画にメンバーが何人か出ているというので見に行く予定が、仕事が入り没。残念ながら見られなかったが、今日のお客様がチケットの購入を申し出てくれて有り難や有り難や~。普段来店客には殆ど自分がしていることの宣伝はしないのだが、今回ばかりはなんせ50回記念だ。恥も外聞もなくお願いしている。が、それというのも余りに練習に時間を取られて、殆ど営業活動が出来ていないというのもある。舞台の成功とは、どれほどのお客様に来て頂けるかということにかかっている。いつも、入りきれないでお帰り頂くことの多い我らが公演だが、今回はいつもの何倍かの集客をしなくては満杯にならない。何とか、一人でも多くの方々に、とにかく来て頂きたい。批判や批評は勿論大歓迎。が、見て頂かないでは、何も入ってこない。

 

ああ、数えたくない日程だが、時間は矢のように過ぎていく。

2011年11月15日 (火)

笑えない収録。

今夜の収録は何故かもの凄くつっかえつっかえしてなかなか始まらなかった。これは初めての事。それというのも私が笑いを抑えられなくなって、タイトルさえ言えなくなってしまったのだ。結局ゲストにタイトルを喋って貰うことにして、これがケッコウ行けてたなあ~。これからこの手で行こうかなあ~。

ここのところのチョーチョーハードな生活に頭がおかしくなって、笑いをセーブする機能が全く働かなくなってしまったのだ。何回やっても最初で笑いがこみ上げてきて一声が出ない。これにはミキサーのMさんもあっけにとられてたなあ~。「私が言いましょうか?」とマイクを引っ張った位だった。まあ、何とかゲストの助けを借りて、一応事なきを得たかに進行したが、後から聞くのが怖いくらいのもんだ。30分の中でも通常では、「ここで笑う?」という様なところがおかしくて仕方がない。

実はスタジオへと駆けつける前は、外国からの客人K氏を囲むミニ宴会を我が家でやることが突然決まり、数人の来訪客の夕食の準備をやってからだったのだ。その前はあるパーティ会場で3曲ほど歌い、かなり疲れていたのもある。声がまだ快復していないという恐怖感で、出来は不満だったが、K氏をはじめ、多くの人がお世辞にも良かったと握手に来てくれたのは少し慰めになったかも。

酔客を前に歌う事の難しさを久々に体験した。ホントはこういう人たちを沈黙させるだけの力を持たなくてはならないのだろうなあ。私の後で、「トゥーランドット」を歌った女性でさえ、彼らを沈黙させることは出来なかったからなあ~。いやはやいやはや。

 

以前から、仕事が忙し過ぎる日の夕方になるとこの現象が起きて、ころころ笑っていたもんだ。近頃笑うほど本業はしてないから、久々の体験だ。ハ。

皺が増えたなあ~。

帰宅して疲れたなあ~とパソコンの前。灯りの下で見る我が手の皺に愕然とする。そりゃあ少しは痩せたけど、ここまで影響が出るものでもあるまい。となると、加齢以外には考えられない。。。。今更ながら。昔から手だけは褒められていたのに、、、本物のばあばになってきた。ぞ。

 

 

舞台の方はようやく先に明かりが見えてきた。練習すればするほどその灯りが大きく感じられるようになってきた。最後にはオリンピックの聖火のように、それを携えて堂々と演じきるのが目標だ。観た人がまぶしさを感じるような舞台でありたい。

 

実は昨日、バレエの方の衣装を何とか創作しようとしたが、その奥の深さに簡単に撤退だ。毎日身体の線が変わるんだそうだ。練習の度合いによって筋肉が変わり、1ヶ月も同じということが無いという。、、、で、専門家にイメージを伝えて材料を渡し、一任することとした。その専門家とは、ダンサーの母上である。バレエの人は、母親が衣装を作りメイクをするとは噂には聞いていたが、成る程、そういうことなんだ。どうやら誰もが知っている有名デザイナーでも、バレリーナの衣装は勘弁してくれと言うらしい。だから、あのチュチュは、究極のバレー用の衣装だということだそうだ。ムムム。いやあ、知らないことがたくさんあるなあ~。

兎にも角にも最高に美しい妖精を作って下さいとお願いして、お別れしたが仕上がりが楽しみなことだ。

昔、油絵を習っていた頃、「イメージは湧くんだけど、テクニックがないので、先生の手を貸して貰って描くって、ダメですか?」な~んてこと聞いて笑われたことがあったが、今回のこの一件はそういうことだ。いやはや有り難いこと。

 

餅は餅屋。今回はその道の専門家が沢山出演して下さったりヘルプに回ってくれているが、流石~と思うことが多い。何事も訓練だなあ~。その方々の汗を知らず、いわばいいとこ取りしているのが我々だ。せめて、教えて頂いたことは必死で守らなくては、とつくずく思うなあ~。

 

明日はあるパーティにお座敷がかかって歌う事になっているが、ちょいと声の調子がイマイチで気がかりだなあ~。今日海外からの来訪者Kさんから、「明日楽しみにしてます!」と言われてしまったが、、、。

これだけ声を使っていては、守るに守れないよなあ~。夜はFM収録だし、、、。ふ~っ。

2011年11月13日 (日)

悲しいニュース。

たった今、NHKの特番で現在の被災者達の声を取り上げていたが、その中に、「もう自分たちは忘れられている」というのがあってショックだった。そんな事はない、とハッキリ言える。現に我が周辺で毎日その手の話しが出ない日がないし、今回の公演でもどれほどになるかは分からないにしても、我々も義援金を考えている。みんなでそのことについての話し合いもしている。若者から年配者まで、一様に真剣に考えている。近々結論が出るだろう。

みんな、日本中が心を痛めているが、これが届かないということか。ボランティアの数が減りつつあるのが、不安を呼んでいるらしいし、政治に対する絶望もある。生きる気力を無くして行きつつある人が増えているというのは、ホントに悲しい。

 

 

生きる気力。

 

レベルは違うが、友人宅で今日同じ言葉を聞いた。最近とみに生きる気力が無くなって何もしたくない、、、という。衣装の打ち合わせに行き終わってからしばしの歓談で一人暮らしの彼女は少し甦ったようだった。人と喋ることはホントに重要だ。ただ喋るだけでも身体の中に何かが生まれる。たいした話しでなくても良い。

我が母親も、先日来こっちが体調を崩していたので、いつもの「お買い物」がさっぱり出来てなかったから、こちらの声が少し出るようになった昨日は、早速二人でお買い物だ。どこへも嬉々としてついてくるが、たいした物を買うわけでもない。せいぜいトイレットペーパーとティッシュくらいのもんだ。、、、でも、他愛ない話しをしながらのこうした買い物はストレスの発散になるらしい。

 

今日の練習は午前と午後で場所を変えての練習となった。いよいよお尻に火がついてきた。、、、が、故障者も出る。ホントに気を付けないとなあ~。

 

でもやっぱり練習すると前進しているのが分かるし落ち着いても来る。

明日も大変だあ~。

3日やったら止められない!?

昨日は深夜まで会議。本日は演技指導に牟礼まで出かけ、矢張り帰宅は11時前。明日は朝の8時から本業。その後振り付けや通し稽古から衣装の打ち合わせも。みんなの都合を合わせているとどうしてもこういう事になってしまう。みんな仕事ややるべき事がある中をやっているのだから。しかも、やることはステージングだけではない。チケットの販売やら広告のお願い、電話やメールでの依頼、宣伝や各種申請、やれパンフの写真だプロフィールだ、などなど、何時もの事ながら考えるとぞっとするほどの「お仕事」がある。会長に至っては、新システムになったための様々な書類上の作業がこれでもかとやってきている。それを右へ左へとバッタバッタとやっつけてくれているが、舞台では主役もやらなくてはイケナイのが、こういう団体の苦しいところだ。本番までには相当おやせになるという、「マニフェスト」がどうも怪しくなっているように感じられるのは気のせいか?ストレスが身体に溜まってきているので無ければ良いが、、アハ。どこぞの政治家の如くこだわりませんマニフェスト!な~んてね。

、、、、が、こうして感慨にふけり立ち止まるのは禁物禁物。出来るだけ前を向いて、ひたすら前進あるのみだ。

 

今回は50回記念ということで、物心両面から助けて下さる方が多く、ますます頑張らねばの思いが強くなる。50回目なんだから、今までで一番大変で当たり前だ。「これでいいのだ」

 

演技指導でいつも思うことだが、演技したことを注意するとき生まれるみんなの自然な笑い。あれこそが欲しい物なんだ。そして、舞台を我が物として、まるで空中遊泳をしている如く自由に動けるようになる快感を会得したとき、初めて舞台が楽しくなる。「役者は3日やったら止められない」とは、拍手を受ける快感を言うらしいが、私自身はこういう事だと思っている。さて、今回の舞台でどれほどの人がそれを体感するだろうか?

2011年11月10日 (木)

後1ヶ月。か。

驚いたことに、前回ここに記入したのは夫が旅立つ日の事だった!ということは明日帰国するわけで、2週間という時間が経ったことになる。その間、私は声を奪われ、体力の消耗も著しく、母親が逆に心配して駆けつけてきた程衰弱していた。

これは一体なんなのか?夫が長期に居なくなると必ずビョーキになる私。この機会に羽を伸ばして好きなように時間を使うぞ~と思った途端必ず何かが襲ってくる。お陰で今回も殆ど何も出来ず、ようやく声が少し戻った今日という日になってしまった。今回は入院騒動がないだけまだましだが、、、。

 

しかし、この声が出ないというのは本当に苦しいもの。電話にも出られず、ただ声が出ないというだけで、なんだか動く気にもなれず、ただどうしてもやらなくてはいけないことのみノロノロとやっていた。練習会場に行っても声が使えず、殆ど何も出来ない。焦れば焦るほど悪い方へと行ってしまう。ええい、こうなったらしゃあない!と居直ったら妙な物で昨日辺りから変化が起きてきた。

ま、病院で貰った薬も効いてきたのか、マッサージの効果も出たのか、睡眠がたっぷり取れたのも良かったのか、手間暇かけずも栄養を考えて食事に気を遣ったのが良かったのか、、、、でも2週間もかかったわけだが。

 

結論。年齢不相応な生活をすると、必ず身体に来るようになったということだ。べつに目新しい発見でもない。過去にも似たようなことを繰り返してきているわけで、その程度がだんだんひどくなってきているということだ。、、デモ多分、これは死ななきゃ治らない~類のものかも。

 

今夜もみんなの前で練習風景を観ていたが、ああ、若いって良いなあ~、健康って良いなあ~てなことを思いつつであった。勿論チェ~ックも隅々までやっていたつもりだが、昨日のお医者様の、「とにかく使いすぎにご用心」の言葉が脳裏を走るため、碌な事にならない。が、素晴らしい助っ人が次から次へと現れて、私の手足となり声となって動いてくれた。お陰で最小限の声で何とか3時間を過ごせたのはメデタイ。解散の後は夫不在で沈黙の時間だから有り難い。

 

月曜日のリハでは、かなり衝撃が走ったが、こうなったら練習を繰り返すしかないと心に決めての今日、おそらく全員が同じ気持ちだったに違いない。明らかに今までと違う空気、違うテンションが充満していた。まだしぶとく欠伸をしている人も居るにはいたが、ま、酸欠は良くない。沢山欠伸もして、頑張って貰おう。

リハの時の会長の言葉は全くその通りだったことが、やってみてみんなに理解できたのではないか?「いっぱい間違って、勇気を持って間違って、そこからスタート」ってことだ。舞台では消極的というのが一番良くない。消極的な芝居をする場面なら良いが、そうでないのにそう見えてしまうのは矢張り何とかして欲しい。

「あの人でさえ、あの程度だったら、自分はこれくらいでも、、、」なんて考えてる人が居たら、それは全く違う。その日、全員が、「私は、僕は、主役」と思ってやって貰わないと全体が死んでしまう。

 

以前フィレンツェで観たオペラは素晴らしい舞台で、大きなステージではないが、隅々まで全員が生き生きと歌い演じていた。私の演出上の目標はあれだと思っている。舞台に上がる人全員にそれぞれの人生があるように、香川の、四国の、日本の、世界の全ての人にそれぞれの人生があるように、そういう風に創れれば良いなあ~と思っている。

 

さあ、ホントにあと1ヶ月になっちゃった!!

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »