一生の重荷。
テレビの番組欄というものを全く見ない私だが、たまに良い番組に行き当たることがある。今夜のはイーテレビというもので、局の若き女性ディレクターのおじいちゃんの死からその話は始まった。全くのドキュメンタリーで、カメラもはしょったりせず、言葉が出ない老人をいつまでもいつまでも待つという作り方。それだけに真実が伝わり、見ている方も自分がその場に居るような感じを受ける。
遺骨の中から弾丸が出て来て、その処分を巡って親族が話し合い、そもそも何故おじいちゃんの頭にこの弾丸が残っていたかという自然な疑問を、そのディレクターが色んな人にあって解明していくという筋書きだった。
彼女が幼い頃膝に抱かれて昔話で聞いた戦争の話し。海軍航空士官として敵の艦隊を空から撃沈し、勇敢に戦ったという武勇伝。それが実はそんな単純なものではなく、あるときから「無駄死にはするな!」と部下に言い、必ずしも上官の命令に従わず爆弾も無駄に海中に捨てて帰ったことがあるという衝撃的な話しに、祖父を尊敬し慕っていた気持ちに乱れが起きる様子。しかし、その行為によって多くの人が救われて生還したという事実に複雑な思いは増すばかり。
彼女の「知りたい」という思いに現在90歳前後の戦友達は重い口を開くが、それは涙と共に語られ、中には、言おうとして言えない苦しい気持ちのまま口ごもり続ける人も居る。、、、、この人達にとって戦争は過去の話ではない。この若い女性にどうやってあの頃の自分たちの気持ちを伝えれば解って貰えるのか、という思いから辛うじて出て来た言葉が、「分かるでしょう?5秒前に話し合っていた人間が目の前で死んでいく、、、。それも大勢の戦友達が、、、。それを見ながら嫌でも戦っている自分。そりゃあ最後はやけっぱちですわ。上官に反抗して出撃はしても何もしないで帰ってくるってことはありましたよ、、、。」
そして、なんど聞いても祖父の本当の気持ちを語ろうとしない祖母。演技ではなく、心底から出る言葉は知りたい孫をたじたじとさせる。どうして言えないかという質問にも、「家族のため、子どもや、孫達の為、私の為に言えない。」と小さな声で、しかし、しっかりとした口調で返す。そこに、長年苦しみを共にしてきた夫婦愛を見て思わず泣けた。そして、その大事にされた孫におじいちゃんからの形見としてガラスのひび割れた懐中時計が渡された。おばあちゃんと二人で時計屋さんにそれを修理に持って行くと、職人さんが蓋を開けてまだ動くと説明してくれるが、二人はそんなことより蓋の裏の写真に驚く。完全にセピア色になったその写真は、若き頃のそのおばあちゃんの写真だった。全くそれを知らなかったらしいおばあちゃんが、思わず涙してそれを手に取るシーンは芝居がかった派手さはないが、見る人の心にずしーんと届いただろう。
実は、私が一番心に残ったのは別の事だ。
出て来た集合写真は、台湾でのもので、多くの戦友と共に写っているが、その写真の裏には部隊の名前と「お前と俺とは同期の桜、、、同じ花なら、、、」というあの軍歌が達筆で書かれている。
この矛盾。昭和20年と言えば終戦の年。そのころ、証言に寄ればこの方は多くの戦友達をむしろ助ける側に回ったらしい。なのに、この写真の裏の軍歌。華々しく散ることをよしとしたこの歌に、何を込めたのか。そうして散っていった戦友達への鎮魂の意味か。頭に受けた弾丸をそのままにして、一生その肉体的苦痛と精神的苦しみと共に生きたその人のことが、私の心には大きく響いた。こんな過酷な試練を受けざるを得なかった当時の若者達に、しばし心を寄せる時間となった。
この、昭和20年、12月。私は台湾で生まれた。
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