生きる術。
メチャクチャな日常を少し落ち着いて整えるつもりで出かけた短歌の歌会。本業が忙しく半分ほども遅れたか。みんな熱心にあらかじめ提出してあるプリントされた歌を前に集団思考を続けている。最初は疲れが出て、生あくびをかみ殺しながらの参加だったが、段々字が目に入るようになってきて、歌を解読(?)しようという体勢が出来てきた。それでも疲労感がぬぐえず時々思考回路が点滅を始める。
なんとかかんとか終えて、外へ出ると同窓生のYさんが、「この頃なんだかなにもかもやる気が無くて、、、、」と述懐し始めた。まあ同年代だ。わかるわかる、と相づちを打ちながら別れたが、こういう時もありながらみんな終着点まで行くんだろう。時々駅で降りて一服するのも良いのかも~。
夕べはEテレビが東北の震災の検証番組を再放送していたが、かなり驚いた。あの大きな地震のあと津波が来ることを何らかの情報で知っていたか?という質問に半分の人が知らなかったという。他にもいろいろな質問の答えの中で、マスコミなどで情報を得て知識はあっても、それを自分のこととしてキチンと把握して、実際にそれを利用した人はほんのわずかだったらしいことが分かった。特にテレビからの情報が役に立った人が10%程度だったのは、局アナではないが報道のあり方を再検討すべきだろう。
もしや今度の大量の犠牲者が出たには何か訳があるのではないかという私の予想が当たったらしい。
そして今日のNHKの特集だ。石巻市の一大堤防が、襲ってくる津波を市民の目から遮ったこと。二つの大きな堤防が相乗作用で、より大きな津波を作ったこと。「防災の街」として、日頃充分な知識や備えを持っていると自負して暮らしていたこと。ラジオで「ただ今6メートルの津波が予測できます」と言われても、「ああ、それならあと4メートルあるからまだ大丈夫」と思ってしまったこと。実は、これらのことが重なって大きな被害が出たこと。
これらのことは、何を物語っているか。いろいろなことが考えられるだろうが、誤解を恐れずにいうなら、「人間の浅知恵」がもたらした悲劇だろうか。あるいは、これが人間の限界だろうか。仙台の知人が、「我々は昔からの高台に住んでいて助かったが、新興住宅地がどんどん拡がって、海よりに海よりにと住宅が延びていった、その辺りが全滅しました。」と言われたのを思い出す。
我々の日常では、これほどの文明社会で危険は誰かが教えてくれると思っているし、我が国は、あるいは我が地域は文化的で、より安全な暮らしが出来ていると、心のどこかでは安心して暮らしている。、、、、それは、まるで、自分には「死」が訪れないように思って暮らしているのと似ているかも知れない。
今日の歌会でもちょっと話題に出したことだが、ネットで見つけた動画の一つ。あるローカルの局アナが、モニターに映る航空写真動画を見て、海辺で大勢の局の人間が取材している姿に殆ど怒って絶叫し、逃げろ逃げろ逃げるんだ!とテレビ画面で叫び続けたのは凄かった。現場に居る人間には見えていない、迫ってくる大きな津波の様子が現場から離れている放送局では把握出来るという皮肉。そのテレビ画面は、その航空写真動画と現場と叫ぶアナウンサーが全部写っていて、余りに現実的な映像がかえって逆に非現実的に思えたのも奇妙なことだった。
しかし、これぞ報道のあるべき姿ではないかと、私は思ってしまった。キチンと礼儀正しく整然と、「警戒警報がでました」と言われても、緊迫感が乏しく、次なる行動へと結びつかないのではないか。
311のあの時、確かに日本列島全体はあの報道に怯えた。テレビに釘付けになった。しかし、肝心のその場に居た人々はあの空からの映像を見るでなく、ほんのすぐそこまで来ている津波にすら気が付かなかったわけだ。
そうした中で生還できた人々が、今日の特集で一様に語ったのは、「とにかく、なんとしても生きたい。生きる為にどうにかしよう。」というそれだけを考えたということ。ほんの偶然が生死を分けたにせよ、この強い思いがあったればこそだろう。
人間は、この先色んな角度から「生きる術」を模索して行かなくてはならないのだろう。今まで以上に。
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