« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

2011年8月28日 (日)

ま・え・を、む~いて、あ~るこおおおお!

落語ぺらをやり始めたおかげで寄席というものに良く出かけるようになった。古典落語にふれることも多いが、歴史の制裁を受けた作品は、残っている分作品として深いものが多いがそれだけに大変だ。今日の人情物も聞く分には良いが、演じる方は大変だろうと思わせた。話しの途中から夢の中に入っていくが、どこから夢に入ったかが見抜けず、「やられた!」と思ったことだ。夢が悪夢であればあるほど、聞いてる方はそれが夢だったと分かった瞬間心から安堵し快感を覚える。、、、上手く作られているなあ。

 

行きも帰りも秋の気配ながらギラギラ照りつける太陽にうんざりしながらだったが、夜になってクーラーが要らなくなった。確実に秋はそこまで来ているなあ。

 

帰宅して夕飯までに書類を仕上げ、チェックしてくれる人に転送。今又、明日の練習時のためのプランニングだ。いよいよ明日は台本の読み合わせ。毎日何かしらの進展があることを励みに前を向いてやっていこうと思う。

2011年8月27日 (土)

裸じゃないけど、、、、!?

夕方新聞の集金のいつものおじさんの声がする。チョイト前に真夏のようなぎらぎらした夕日を浴びつつ、母をスーパーから連れ帰り送ったところで、上に来ていた服を上下とも一枚ずつ脱いで冷たい物を飲みながらパソコン前でやりかけの書類を作成していたところ。黒の半パンツに黒のタンクトップという出で立ちながら、たかがお金を払うだけにもう一度脱いだ物を着る気にもなれず、ドアを半開きにしてこそっと支払った。おっちゃんにチラット見られたような気がしたが、ま、いっか、と自分では納得していたが、夕飯中の話題にそれを提供したところ予想に反して夫がわあわあ言う。曰く、それはセクハラの一種だ、とか、男のすててこ以上に悪い、とか、見たくない物を見せられたおっちゃんが気の毒だとか、、、そか。やっぱし。そうだろうとは思うが、こっちは女を捨てた気で居る。

そういえば、先日COOPのチラシを見ていて妙な物に気がついた。なんでも女性が胸の空いた服を着たままうつむいたときおっぱいが見えないようにする為のレースの当て布らしい。これって、如何にも日本らしい発想だなあ~。アメリカなんか、いやいやイタリアもだが、胸を隠そうなんて発想は無いみたい。ば~んと出して闊歩しているという感じ。最近日本でもそういうデザインが多くなってはきたが、こういうものが登場するということは、まだまだ「おくゆかしい」大和撫子気質が残っているということだろう。それが良いとか悪いとかいうつもりはないが、やっぱり着物に代表されるキュークツさともいえるなあ。着物が流行らなくなってきた一つの理由だろう。

先日、久々に丸亀町通りを歩いたら、浴衣をだらしなく(個人的感想)こかして着て、勿論胸ははだけてあらわ。髪はボサボサ(にしか見えない)つけ爪はこれでもかと飾り、怖いPTAじゃなくとも眉をしかめたくなる出で立ちの女の子を見てしまった。我が友人の孫にもこの手のおしゃれを好んでするのがいて、「知らない人の顔しててよ」と信号待ちで言い放ったことがあるが、いやはや、ここまで価値観が違うとねえ~。にゃんともかんとも、、、。

そうかと思えば若い女の子達が秋葉原のにゃんとかカフェの出で立ちで、作りお子ちゃまの声で「いらっしゃいませ~~」とやっていたが、あの子達の服装もかなりのものだ。、、、、私も古いんだろうなあ~~。

、、、舞台の衣装を考えているから、ついそっちに思考回路が形成されるなあ。

 

 

昼間、吾等が会長率いる子供達のグループRによるミュージカルリハを見てきた。子供ってホントに良いなあ~。言われたことを真っ直ぐにやっているという感じ。、、、大人になるに従って余計な感情が出て来て邪魔をするようになるんだ。ま、こういうことは指導者の忍耐も必要で、M会長のエネルギーたるや相当な消耗だろうとは思ったが、意義のあることをやっているなあ。

 

それにしてもあっつい!車の温度計は37度を指していた。もう8月が終わるっていうのにねえ~。

そういえば、今日はNYから電話で、ニュースにもなっていたが地震があったそうな。壁の絵とかが横揺れに相当揺れて怖かったとか何十年も住んでいて初めてだという。。その上、間もなく20年ぶりという超大型タイフ~ンが接近中で、ニューヨーク市長命令で非難したり防御したりと市民は大忙しだそうだ。ホント、地球がヘンだなあ~。

 

時々こうして無事な声を聴くとホッとする。

もう一人の助っ人。

こうして、毎日助っ人が現れて、不安要素が一つ一つ解決されていくのは本当に有り難い。今回はロビーも含めての一大イベントになる予定だが、この部分を担ってくれるKさんは元団員。我々のことも分かりつつ新しい事に興味を持ってくれる。何よりの協力者だ。

 

こうして一人一人協力の要請をしていくのはかなりエネルギーの要ることではあるが、結果が良い方向に行ってくれるのでその労力も癒されるというもの。

 

まだ書類ができあがらない。は~っ。もう寝たい。

2011年8月26日 (金)

助っ人現る。

少しずつ色んなものが整って来つつあり、問題点もなきにしもあらずだが、大体において考えていた方向へと舟が動き出したのを感じる。こうした最中、兼ねてから依頼してあったA君が職場の環境が変化してチョーチョー多忙な中、条件付きだが何とか力を貸せるだろうと有り難い申し出をしてきてくれた。今までに決まっていることをあらまし伝えると、今回のビッグなイベントに大いに驚いてくれる。彼の登場は私にとっては百人力。

そう思った途端、あんまり嬉しくて作成書類を作るのに気が抜けてしまった。ま、明日があるさ。

 

毎日書類と首っ引きで肩や首が凝ってしまって、マッサージ機のお世話にならない日が無い。が、今日は人間の手でやって貰おうと出かけた先で彼からの電話。結構長く話していてすっかりマッサージの事を忘れて帰ってしまった。

そうなんだ、このようにあのように、日々忘れ物が多くなり、2日前にある人から頂いたものがモロヘイヤだということを思い出せず、その時お裾分けした友人に今日になって、自慢たらたら「思い出したわよ!」と告げられて「くっそ~」てなもんだ。

A君に、私もホント年だからね。くれぐれもよろしくお願いね。と何度も言っては笑われたが、実際2年前とも違う自分を感じている。今日作成中の書類に、「後継者」をどのように獲得していますかという質問項目があり、むむむ。真剣にそれに取り組まなくてはいけないと改めて思った事だ。

しかし、それとは別に、今回もA君始め、もの凄く色んな人の力を借りることとなる。なんとしても成功させなくては!

 

我々の夢の実現の為に、今回も余りに多くの人を巻き込んでいるのだから、、、。愚痴ってる場合ではない。

2011年8月24日 (水)

強い女性。

昨日はあまりのハードなスケジュールに、いよいよこのアチクシも年貢の納め時が来たかと、80%思った一日だった。

まずはシェイクスピアの講座に行けば、講師は30年近くに及ぶ講座を一度も休んだことのないお方が病欠という。しかし誰も帰らず、熱心にヘンリー6世のビデオを見る。その一連の事が済んだら、いくつか用事を済ませて帰宅し、夕飯の準備をして舞台の方との打ち合わせ。約2時間を額に汗し、胃を痛め、冷や汗を握りながらの話し合いとなる。予算が充分にあれば考えたことが全部実現できるが、全くそうはいかない貧乏歌劇団のこと。10年来のお付きあいなればこその丁寧な対応だったが、一昨日の素敵な舞台を思うとき、がっかり感は否めない。

それから大急ぎで練習会場にと走ったが、既に会長による練習が始まっていた。この日指揮者のレッスンを受ける事となっていて、みんなも緊張の面持ち。やがて男らしいW先生が何時もの元気印で入ってこられ、早速レッスンとなる。歌声はソプラノだが、怒鳴り声はず~んと来る。見かけと大きくかけ離れた女性のW先生を、初めて見る男性は大いに楽しんでいたようだ。圧倒的なリーダーシップは全く衰えを知らない。枝葉末節にとらわれず、大胆に修正を重ねてくれる。このところの会長レッスンのお陰で合唱は褒めて貰えたが、ソロや重唱はかなりこれからハッパがかかることだろう。とうとう始まったという感じだ。

7時~10時までの練習の後はいつものロビーでの会議。経費節約の手段の一つ。警備員のおじさんに追い立てられるまでいたが、その後は24時間営業のGというレストランへ移動。先日は2時過ぎに帰ったが、にゃんとこの日は午前4時を回っていた。時計を見るのが恐ろしくて、気付かないふりをしていたが、内心では相当遅いんだろうなあ~と思いつつではあった。

おおお、これではミュージカル時代と同じではないか。しかもかなりの量の宿題を持ち帰ることとなり、ホントに出来るのか?と内心の声がする。仮眠の後私がいつ帰ったかを全く知らない夫が何時ものようにコーヒーをいれてくれていたのを気付け薬に、仕事仕事仕事。来店客お二人目の頃には頭がもうろうとしていた。送り出してマッサージ機で又仮眠。近くにお住まいの最後のお客をお送りして三たび仮眠をしていると、二階でレッスンも終わったようで、がやがやという声で目がさめる。

、、、で、本日も夜8時からの打ち合わせ。

 

いやはやいやはや、、、。公演終了と同時にバタンキューかもねえ~。

 

しかし、動けばそれなりの収穫が必ずあり、どうしても体力勝負となっていく。てことで、夕飯は夫には蒸し料理を作っておき、自分はポークステーキとした。なんだかちょっと元気が出た様な気が、、、。

 

今日お目にかかった方は、経験からか性格からか、ま、その両方だろうが、大変に理論的で、細部にわたって明快に話しを進めることが出来る女性だった。会長と私との二人を前に、集中力を駆使して次々と実際的にプランニングが出来ていく。その上にハートが暖かいものを感じる素敵な人だった。、、、昨日のW先生といい出来る女性って、最近多いよな~。

2011年8月23日 (火)

136

2011年8月21日 (日)

急に涼しい今日。

急に涼しい今日。

友人Kを誘って出かけたオペラ。出演者の表情も見える指定席。あまりこういう場所で見ることはないが、今回はお付きあいもありこういうところになったが、どうしても舞台装置やなんかに目が行くなあ~。この団体は相変わらず衣装も素敵で、それらしい衣装を着けるとみんなが生き生きしているのが分かる。衣装は大事。そして、今回もバレーダンサーが素敵にシーンに花を添えていた。そういう意味でもオペラは贅沢な芸術だなあ。

今日の演目は日本では余り見られないもので、それだけに興味を持って出かけたが、矢張りヴェルディの音楽にしては、彼の80歳の作品だけあって激しさやドラマチック性みたいなものはあまりないが、ある種の「人生達観性」みたいなものが感じられた。これこそ、シェイクスピア作品に一貫して流れている思想だ。主役のサー・ジョンに「人生は全て冗談だ」と言わせる辺り、若者ではぴんと来ないが、80歳ならうなずける。

ベルディがシェイクスピアに大いに興味を持っていて、これ以外にも「マクベス」「オテッロ」を作品化したのは、流石天才は目の付け所が違うと思うなあ。音楽の世界に文学を取り込むという偉業をやってのけた特異な存在だ。

 

それにしても、地方にあってこういうマニアックな作品に触れることが出来るのも、音楽王国香川ならではだろう。

 

行くときは土砂降りだったが、帰りはからっと晴れていて、ビックリするほど涼しい。お陰でしっかり傘を忘れてきた。その代わり、こないだフェリーで忘れたスカーフは貰ってきたから、、、、てへへ。

2011年8月19日 (金)

映画のご褒美。

今日はちょっと無理をした一日。

朝、カラオケに行く母を送り、フェリーで岡山。帰りの舟の中でスカーフが無いのに気付き探して貰うと言うおまけ付き。数時間後にチャンと出てくるからなあ~。日本は凄い。

急ぎ帰宅して遅い配達にして貰ったCOOPさんを待って大急ぎで夕餉の支度。その中の品物を母と一緒に屋島まで友人宅に届けて、その足で映画鑑賞。といってもレイトの時間まで1時間もあるため見るだけショッピング。4日間弟夫婦がお出かけのため、母のお守りを積極的にすると決めたのだ。

まあそれにしてもシルバー二人、9時40分始まりの映画を見るというのもねえ~。が、案外高齢者が来ている。

 

全く予備知識無く出かけた為、内容もさっぱり分からず、ただ、母の好きな「捜査もの」だというだけで入ったが、これが大当たり。ストーリーが面白く、出演者が好みの俳優ばかりで嬉しい。特にビックリだったのは、沖縄出身の黒木メイサという女優。こないだ偶然にもNHKのドキュメンタリーで、有名なスペインのフラメンコダンサーに短期指導を受けるという番組を見たばかり。目に力のある、若いけれど良い女優さんだなあと想ったばかりの人だった。それまで存在も知らなかった人だが、今日の映画でもなかなか良い演技をしていた。

若い男優達のアクションも表情も存在感がありケッコウ良かったし、邦画はホントに良くなってきているなあ。といっても、ロケ地はスペインで、登場人物は殆どスペイン語と英語で喋るから、邦画を見ているようなそうでないような、、、。きょうび、俳優達も大変だ。各国の言葉を話せなくてはならなくなったようだ。そんなわけで字幕スーパーを見ることが多く、隣の母が大丈夫かと想ったが、充分楽しんだようだ。良い映画を見たら、なんだかご褒美を貰ったような気になる。

 

良かったを連発しながら車に乗ると、おっ!間もなく午前様という時間。「不良ばあさん」だと笑いながらのご帰還となる。母は大昔同じ映画を続けて2回見て、還りが遅くなって一緒に行った友人宅に泊めて貰ったことがあるという。厳しい両親に叱られるのを一日延ばしたというわけだ。ま、それほど昔から映画が好きだったということだろう。

 

いつまで、こうして母と映画に行けるのか、、、。

2011年8月18日 (木)

ぼ~っとしてる。

毎日毎日事故や事件で亡くなった人々のニュースが絶えない上に、案外身近な人がこの世を去られたという知らせも入ってくるが、なんだか震災前と今とでは受け止め方が違ってきた。あの大津波で一気に流されてしまった沢山の人々への想いが瞬時に押し寄せてきて、何とも表現しがたい気持ちになる。、、、あなたもあの人も逝ってしまったのか、との想いは、すぐに我が身の未来へとつながり、漠とした不安にかられる。いやいや不安など通り越して、むしろ空虚なといった方が良いだろう感情に襲われ、しばし手が止まり、思考も止まる。

今日もニュースで天竜川下りの事故の犠牲者のことが流れていたが、ついこないだ友人達と出かけたのが信州の方で、今日のニュースの川下りとは場所が違うが、他人事ではないという思いがして画面に見入ってしまう。が、あの川にいたとしてもおかしくない。あの人達も偶然の事故だ。我々の方は、全員強制的に救命具を付けられて、思わず緊張したのを覚えているが、どうやらそこが徹底してなかったようだ。なんでも原因があって結果があるなあ~。

 

友人がアチクシと同じく膝の手術を内視鏡でしたようだ。どうもメールの具合では無理をして仕事に復帰しているらしいが、先輩の言うことを聞かないと碌な事にはならないと思うけどねえ~。早く山に登りたいだのと言ってるが、我慢の時だっちゅうの。1年経ってようやくあたしゃ普通に近く階段の上り下りが出来るんだ。それも完璧ではないし、ちょいと無理をすると膝が腫れてくるし、痛みもある。これと長く付き合って行かなくてはならないのだ。ふ~っ。

 

色んな事を乗り越えて生きていかなくてはならない。。。。

 

今日も暑かった。

2011年8月16日 (火)

それにしても暑い。

夏ばてか?日中も動きが緩慢な自分を感じる。FMの収録に出かけても、帰ったら玄関の鍵をかけ忘れて出かけてるし、「目」を忘れたと言ったら19歳の若いゲストに笑われたが、眼鏡がない。イコールCDジャケットの小さい字が殆ど見えず、それだけなら良いが、自分で書いたQシートの字が本番中に判読できず、思わず「、、、って、そう書いてます?」などとゲストとミキサーに質問してしまった!笑ってごまかす番組ってえのもそうざらには無いだろうなあ~。台本製作の後はいつも老眼の度合いが進んだような気がするが、どうだろう?

 

この忙しい最中に、日曜日はとあるところでミニ同窓会をするからと送迎付きでお誘いがあり、暮れの公演の宣伝をかねて出かけていった。西讃の方から運転してきてくれたその人も、何となく記憶があるという程度の方だったが、もっと驚いたのは卒業以来初めて会うKさんという女性が同乗してたことだ。うわさ話として、イギリスに長く住んでいたらしいことは聞いていたが、実物にお目にかかるのが余りに唐突で、しげしげと顔を見つめて面影を探した。半世紀会ってないと人間全く別人になるなあ~。あのポッチャリ型のキュートな活動的な女の子が、痩せて(ダイエットもしたらしいが)当然のことながら白髪で、皺で、ん~~~我が年齢を思い出させたことだ。

同窓生とは不思議なもので、会うとあっという間に時間がバックして、懐かしさが先立ち親密感が増す。会場となったのは矢張り同窓生のTさんのお家の庭だが、そこから花火大会がよく見えるとのことで、毎年集まっているのだ。高松と違って、周りが田んぼと山ばかりのなんとも涼しくて空気の良い場所だ。今年は過去最高の30人も集まったのは、ぼちぼちみんな年齢を意識し始めたということだろう。実際前回から3名の方が亡くなっている。大阪や県外からも数名が参加して、卒業時の担任の先生も参加している。あちこちから次はいつやるの?と聞いてくれてつくずく有り難い。たっぷりのバーベキューもビールも美味しくて、ついつい飲み過ぎ~。「このおにぎりは僕が作った米だから」と説明付きで勧めてくれる人も居る。サラリーマンをリタイアしてから農業をしている人だが、水が良いのか自慢するだけのことはある。お米が美味しい。

この同窓会は幹事が世話好きで、大きな同窓会から次の同窓会まで一泊旅行やら日帰りやら、隔月で集まってはわいわいやっている。その内の半分くらいしか参加出来ないが必ず声をかけてくれて感謝している。こういうことはんなんと言っても幹事だ。先生も他の同窓会には不参加でも、ここの会には殆ど参加してくれている。

花火が始まるまでの2時間に殆ど全ての人の近況が聞けるというのも、こういう場所で、リラックスしての集まりだからだ。聞けば、奥さんを亡くした人も居て、1年で4回も手術をしたと自慢する人も居る。その話題に一喜一憂しているうちにみんな食べ終わり後片付けも出来て、それぞれが思い思いの場所を陣取って花火鑑賞となる。大雨の後で、ど~んと空気を震わして音が鳴り響き、30分、ケッコウ楽しめた。

最後のシメは、はるばる遠方から来ている人の為と言いつつ、好きな連中が誘い合ってカラオケバーだ。約半分が参加して大いに笑い歌ったが、こういう時歌える歌をもっと勉強しておかなくてはと思った事だ。みんなよく知ってる。

しかし、歌って、ホントに良いもんだなあ~。

 

で、明けて昨日は台本修正も終わったので、お盆のお参りに夫の実家へ行き、ついでに奥の湯温泉で一風呂浴びる。そこまでの長い道程を助手席から眺めていると、まあ店という店が閉まっていて、大きなホテルも看板に幕がかかり休業なのか、閉館なのか、、、。ホントに寂れている。風光明媚な土地ながら、時代が変わったんだろうなあ~。もったいない。色んなところが二束三文で売りに出ているとも聞いたが、だからといって年寄りが住める所でもない。これからあそこはどうなっていくんだろう?

2011年8月13日 (土)

始まった!

遂にチョー過密スケジュールが始まった。

例えば昨日。まずは午前中に家事と夫の食事をやっつけて、1時までに待ち合わせの場所へ行き公演のゲスト出演者と交渉。快くお引き受け頂きホッとしたが、次はご協力頂く家具屋さんに出向き舞台上の打ち合わせ。そこでついでに夕食用のお刺身と翌日用の肉を買い、帰宅して大急ぎで夕食を整えこちらも軽くとり、次はFM。

この日はウクレレ奏者で、思ったより楽しいお話が聞ける。大慌てで別れを告げて、次の会場ホールの地下にある練習会場での楽団顔合わせ。今回は10名というちぇちにとっては初めての大所帯の楽団。なじみの参加者以外の人々も皆さんとても好感の持てる方ばかり。

早速指揮者のW先生の音頭で音出しとなる。ホンのわずかの時間だったが、お~~~という感動が湧く。弦が増え、ペットの音が加わることで分厚い音楽になってきた。帰る道々、「こんなんだったら私も歌いたいわあ!」と会長副会長に叫んだくらいだ。勿論、この楽団を引っ張っていくW先生のご苦労も偲ばれるが、ちぇち念願の、「いつかオーケストラで歌いたい!」にぐんと近づいたではないか!いやいや喜んでばかりはいられない。この楽団の奏でる音楽にみんなしっかりついて行かなくてはならない。

その思いをもったまま、会長副会長との3者会談。ナントこれが深夜2時を過ぎるまで続く。隣の席に座る人が次々と入れ替わるのを横目に、ひたすら公演までの道程のあれこれを協議する。ナント真面目な私たち!!

しかしお二人は若いから良いが、こっちはその親ほどの年齢だ。思考回路が点滅を始めるが、ドリンクバーでカツをいれつつ何とか最後まで付き合う。S嬢は私のことを元気だと言うが、実際はそうではない。同じ24時間をどう使うか、人それぞれということだ。私の実態をよく知っているのが夫だ。故にこうしたことをいつも非難しては、私のやり過ぎにブレーキをかけてくれる。

とにかく、公演前が来ると、洗濯物は溜まってくるし、(今も夫に取り込んだよと言われたし)あっちもこっちも家事はガタガタ。仕事もなるべくしないようにして、時間を捻出しているのだ。書きかけた原稿は例え深夜に及ぼうともやってしまわなくては仕上がりが遅れてしまう。睡眠は最低でも6時間は取らないと身体が動かない。この頃5時間では日中にマッサージ機のお世話にならなくては持たなくなった。したがって、たまに旅行なんかに行こうもんなら往復のバスで殆ど寝ている。同行の友人達があきれかえっているくらいだ。何を一番に考えて暮らしているかという点で、他のメンバーと違うだろう。

今日は今日で、11時にホールへ打ち合わせに行き、予想以上に時間がかかり、その上三谷町まで次の打ち合わせに走る。炎天下、車を飛ばして行きつつ、いつまでこんなことが出来るんだろうと自問自答している。

しかしご褒美もあって、教えて貰ったお食事処がとっても素敵で、ゆっくりそこでのランチタイムとなる。今時クーラーもかけず、自然の風を取り込み、扇風機と蚊取り線香。あちこちに置かれた調度品もレトロなものばかりで、妙に落ち着く。二人並んでお庭を見ながらリーズナブルな金額ながら充実したランチを頂いていると、蝉が飛んできたり蝶がひらりひらりと空中遊泳。暑いはずが、そうも感じず、洋風料理に舌鼓を打つ。若い会長はしきりに汗をぬぐっていたが、「こういうのも良いですよねえ」と痩せ(?)我慢。

勿論ここでもただ食事をしていたわけではない。しっかりこのあとの打ち合わせの話し合いだったのだ。やおら、腰をあげて次なる目的地へと移動。そこでの話し合いもスムーズに進行。だんだん新しい試みが現実の物となってきた。

 

相当疲れたが、お嬢にお米を送れと言われていたので、旭地区まで昨日から詰めてあった箱を持って行く。途中なんだかメチャクチャおまわりさんが出ていて、何だろうとおもったが、よく考えたら今日は花火の日らしい。花火ねえ~。随分見てないなあ~。

 

この疲れを少しでも取ろうとサティに立ち寄りマッサージ45分。運良く上手い人に当たって、ようやく人心地付いたところに夫から帰ったメール。ふ~っ。

 

さっき昨日調達したステーキを大急ぎで焼いて、NHKのテレビを見ながら食事となったが、往年の歌謡大歌手のオンパレードという番組で、余りに年をとって変わってしまっていてどうしても名前が思い出せない人も居る。夫が面白がってどうしても名前を思い出せと言う。が、記憶の彼方でさっぱり思い出せない。あげくに「村田英夫」と言えば、そんな人はとっくに死んでいる、もしあれが村田英夫なら百万円あげると言われ、、、。ムムム、、、。結局名前を聞いてもそんな人居たっけ?でちょん。

 

それにしても年を取るとその力量に歴然とした差が出て居るなあ。ところどころ見ていたが、西田敏行が出色の出来だった。一時期病気のせいで涙もろくなっていたし、滑舌も怪しかったが、今日はとっても良かった。好きな俳優だけに頑張って欲しいと思った事だ。

 

今日はこれから台本の修正と芸術祭の原稿を仕上げなくてはならない。、、、というわけで、短歌の締め切りまでどんどん時間が過ぎていくなあ~。

2011年8月11日 (木)

審査。

最近色んな場面で審査を受けている我が団体。勿論今に始まったことではなく、ほぼ10年前くらいから公的な機関の審査を受ける機会が多くなった。最初は単にうっとしいなあ、めんどくさいなあ、難儀だなあ~、位のことだったが、このところちょっと違った考えを持つことが出来る様になってきた。やはりこうして自分たちがやってきた事について、様々な角度から検討し直し、評価し直し、今後の展望について考察するというのは、あった方が良いと思えだした。そうすることによって、ちぇちぃりぁという団体を捕らえ直すことは必要なことだ。こうして洗い出していくと、やり方のお粗末さもあぶり出されるし、逆になかなかいいじゃん!?と自画自賛出来る点も少なくない。23年、50回ともなると客演も含めると相当の場数を踏んできている。

何も考えずに、前だけ向いて歩いてきたが、気がつくといつの間にか後ろに長い道が出来ていた。様々な人々が関わってくれて、延べにすると相当な数に上るだろう。舞台だけではない。公演の成功の裏には、それこそ裏方と呼ばれる人々の大いなる協力があったればこそだ。本当に有り難いことだ。この感謝の心を忘れずに、これからも前を向いて歩いて行きたいものだ。

 

しかし、今日の審査はナント30組以上の団体が受けるそうな。しかも会場に行ってみると知ってる人に次々会う。あっちゃ~って感じだ。

私とM会長の二人で参加したが、緊張の10分間だった。こういうのは苦手なふたりなんだ。待ち時間で彼は言う。「僕はホントに目立つのが苦手で、目立つまい目立つまいとしてるんですが、つい何故か目立ってしまうんです!」、、、そりゃあ、そのでっかい体型じゃあねえ~、二人ともデカイ身体にノミの心臓だった!(みたい)

2011年8月10日 (水)

パソコン。

ちぇちの宣伝用DVDの作成を依頼した人が来てくれて打ち合わせ。一回目の今日は順調に進み、おまけにアチクシのパソコンにまでアドバイスしていただく。ホントにパソコンに強い人っているんだよねえ~。自分でパソコンを組み立てるという芸当が出来るんだもんねえ~。内の息子といい、時代の申し子かもしれないなあ~。

ところが、ご本人は実は嫌いだという。嫌いでそこまでデッキルなんてさっぱり分からない。何故嫌いかを訊く間も無かったが、、、、。

 

まあ、とりあえず便利ではある。今日だって、我がパソコンに保存してある写真などのデーターをメールで添付して送ることが出来たし、何もかもパソコンを真ん中に話し合うとスムーズに事は進行していく。時間も、エネルギーも大幅に短縮だ。

 

公演のチラシのサンプルも印刷屋さんから送られてきて、それを見ながら検討するという便利さ。今までなら、こちらから出向くか、あちらが来てくださるか、いずれにしても大きな時間を持って行かれるのが普通だった。

宅急便というのが出来ての便利さと似ているかも知れない。そんなこんなで日本は忙しいと言われるのかも知れないが、、、。

まあアフリカと比べればねえ~。

 

しかし、パソコンを打ったり見たりして毎日結局は丑三つ時に寝ることとなる。これって、多分身体に悪いんだろうなあ~。

 

明日はあしたで、しんどい事が待っている。ふ~っ。

2011年8月 9日 (火)

帰って来た時間。

時間があるというのはかくも幸せなこと!孫を送って岡山まで行き、帰りの電車の中で早くも眠っていたアチクシ。母はあきれ顔ながら、昔昔を思い出し、一人感傷にふけっていたらしい。

だって、とにかく、あたしゃ解放されたんだ!そう言って笑い合って、まずは我が家に連れ帰った母と、孫べえの座敷牢を取り壊す事から始めてしまった!ところが、一カ所やると他もやりたくなってしまう似たもの同志。結局は夕食も採らず約3時間ぶっ通しであれこれやってしまった。流石にへとへとの二人だったが、まあ出来具合に満足がご褒美だ。翌日から又多忙な日々が待っているため、やれるときにやっておかないと後悔するのも分かっている。実際2連ちゃんで短歌の会だ。初日は全くの有志で飲み会。次の日が歌会だったが、短歌をやってなければ到底会うこともなかった人々と、こうして飲んだり食べたりお喋りできるというのも有り難いことだ。肝心な短歌はさっぱり上達しないが、その内ってことで。

岡山で別れた後心配したが、お嬢からの電話では、あの孫べえは3時間の電車の中で2時間半も眠っていたらしい。事前に寝かせないで遊ばせたのが功を奏したということだ。確かに一人で連れているとあの奇声爆弾やら、突然動物の本性のママに動き始めるのを扱いかねるだろう。めでたしめでたしだ。

考えると今回はそう永くはないのに色んな事があったなあ~。ひとえに孫べえが成長するにつれ、やることも多くなったからだが、、、。好んで叱られるようなことをしたがるとか、悪いことをするときは隅っこに行くのとか、その後ろ姿に声をかけるとビクッとするのとか見ると、人間は生まれながらにして悪である、な~んてこと信じたくなるなあ~。、、、それにしても、あのべた~っと寄っかかって来る感触はたまらないなあ!息子の嫁りんが赤ちゃんが大好きというのが分かるような気がするなあ。

 

夫が海外なのに、孫も、お嬢も、夫も居ないしあわせ~なのはたった一日。この日眠るのがもったいなくてつまらない映画まで見てしまった。この映画、中身はあんまりだったが、最後のテロップの横にず~っとジャッキーチェンなど出演者達のドジが写っていたのがメチャクチャ面白かった。何度も同じセリフを言い間違えて、正しく言ってるのに周りが笑ってしまう、なんてのもあったし、、、。映画よりこっちの方がずっと面白かったなあ~。な~んてね。

 

本日はちぇちの練習日。時間も延長され、いよいよ本格的な練習に突入だ。今回は舞台以外のことでも色々考えなくてはならないことが多く、先のことを考えると不安が先に立つ。が、考えないわけには行かないのだ。明日はデモDVDの制作者と打ち合わせだし、明後日は助成金の方のヒアリング面接だ。衣装の製作にもかからなくてはイケナイし、、、。大道具の話し合いにも行かなくては。さて、出来るか?、、、弱音は禁物。出来ると信じてやるっきゃない!!

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »