つらつら考えるに、、、、。
毎日毎日何故こうも多忙を呼んでくるのか?我ながら不思議だったが、深層心理にハタと気付いた。「コトンと寝たいがため。」そうなんだ。自分を知らず知らずに追い込んで、一日の終わりを安らかに終えるため自分からそういう環境を選択しているような気がしてきた。
本日朝からシェイクスピアの講座だったが、「死は一回の眠りに過ぎない」という言葉を聞いて、妙に心に残った。毎時毎分せっせと暮らし、毎日毎週毎月毎年せっせと生きているのは、図らずも、「コトンとあの世に逝きたいがため。」と言えるかも知れない。
講義の後の昼食会である人が、「この頃元気を貰うと言う表現をする人が多くなったけど、あれってどう思います?」と言う。確かにこの私も違和感を持ちながらニュースなどで、あるいはバラエティ番組などで聴いていた。そこで良く考えてみると、「元気を貰う」というのは、本当は元気でないということかも知れない。そもそも元気というのは、身体の中から湧いてくるもの、又は自分で作り出すもので、人から貰って取り込むことが出来ようとは思えない。その場の大方の意見は、「最近の日本語は気持ち悪~」だったが、全くその通り。その例もあれこれ上がって遂には、「日本語も変化するのよねえ、時代と共に」と落ち着いた。
その後駆けつけたシャンソン教室で矢張りその話題をみんなに振ってみると全員全く同感。「やばい」なんて言葉も、本来は良くないときに使っていたはずが、この頃は全く逆で、(真逆というらしい)良いことを前にしたときや美味しいものを前にしたときも使うらしい。そういえば、我が娘も、お土産に珍しいものを買って帰ったとき、一口食べて、「やばっ!」と言うので、「どうしたの?なんか味が変?」と訊くと、「ううん!メチャうま!やばっ!」と来る。その使い方がおかしいとゲラゲラ笑ったのを思い出すが、、、。
教室を終えて一度帰宅して夕飯の準備。冷蔵庫がコンパクトになっているため、とにかくアルものを使って仕舞わなければならない。オムレツのために卵を出しながら瀬戸内寂聴の言葉を思い出していた。「最近断捨離なんてよく言うけど、あんなのやること無いんです。第一もったいないじゃありませんか!?もののない時代を知ってる私には出来ませんよそんなこと。もったいない、って言葉知ってるのかしら?そういうこと得意そうに言ってる人たち。」ん~ん、断捨離って良い言葉だと思ったけどねえ~。敬愛する寂聴さんの言うことだからよく考えてみよう。
一人で早めの夕食を終えたとき夫が帰宅。急ぎ膳を整えて今度はちぇち練だ。練習は粛々と進められて、段々オペレッタが見えてきた。まるで磁石が徐々にその強度を増しているように、本番に向けてじわじわと物事が進んでいる。我が台本もその姿をようやく現してきた。練習後のロビー会議で会長に言ったもんだ。「今までやったことのないことをやってみようと思います!」提案したいくつかのことはすんなり受け入れて貰えて一安心。毎日の積み重ねだなあ~これからは。
今日は我ながら頭脳も身体もよく動いたので、最後の仕上げにジムへ行き、おみ足を整えることに。30分水中逆流ウオーキングのすえゆっくりとお風呂に入ってノンアルコールのチューハイをちびちび。で、ただ今シンデレラタイムだが、練習時に仕入れたワードの使い方を駆使して、台本の手直しをやろうかやるまいか、、、悩むところ。明日まで覚えていられるかなあ、、、。今夜やっとくべきかなあ、、、、?
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