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2011年5月

2011年5月30日 (月)

天使の寝顔。

来る来ると言われていた台風が大雨警報に代わり、その雨もただ今シトシトピッチャンシトピッチャンとなった。やれやれだが、この予報が外れたときの安心感が怖い。オオカミ少年現象が、今度の津波にも影響してたと聞く。気を付けなくては。

隣がスーパーだった時、今日のような台風情報で、ろうそくを買いに来た人はお宅ともう一件だけです、と言われたのを思い出す。高松という土地柄、ホントにめったに来ないんだが、全く来ないわけではない。油断大敵。

今夜の夕食に三木町の友人を招いて送り迎えをしたが、彼女の家のそばの河が相当水かさが増していて、テレビでも警報が出ていたにも関わらず、のんびりと飲んで食べてお帰り遊ばした彼女は自分の身よりも飼っているワンちゃんの身を心配している。覚悟が出来ているから、気にしないと言うのだが、、、、。

 

今夜は又してもチビと二人でお風呂に入ったが、ニャニャント、身体と髪を洗って居るとき妙に温和しいと思ったらどうも眠かったようで、湯殿の中で眠ってしまった。胎盤の中で丸くなって寝ているような形で、頬が段々紅潮してくるのを見ながら愛おしさがこみ上げる。偶然とは言え、こういう時期を体験させて貰えたのはホントに有り難いこと。さあ、笑顔で別れられるか?

2011年5月28日 (土)

ホントに静かな台風前夜。

明日来るかも知れない台風に備えて、鉢物の片付けとか物干し竿を下ろすだとかやっておこうと思いながら、ぐずぐずとチビにかかずらっている。JRのチケットを予約していよいよホントの別れがやってくるという実感が湧くが、それにしてもべったりとくっつくようになったチビすけの感触を忘れることが出来るんだろうか?ま、しばらくしたら又帰ってくるんだけど、、、。多分。

 

今日も東バイパスで2回の事故現場を目撃。相変わらず多いなあ~。何故だろう。夕べは寝る前に深夜放送を聞いたら、北海道のトンネル内の事故が報道されていた。今日のニュースでは山形のマイクロバス転落事故だ。もしや全国的に事故が多いのか?

運転に睡眠不足は大敵だ!今日はなるだけ早く寝るとしよう。

嵐の前の静けさか。

アル方から今日のチケット欲しいのですが、、、とのお電話を頂き、はい~?今日って何かありましたか?という妙な会話に。今度のチャリティコンサートを今日だと思ってくれたらしいその方のお陰で思わず「どきっ!」いやああ、今日だったら間に合ってない。照準を来月10日に合わせているから、衣装も何も決めてない。しかも髪振り乱し状態だし~。やれやれ、今日でなくて良かった、と言うと、「本番を間違えたりしてねえ」とお嬢にからかわれる。イヤ全く笑い事ではない。実は今日は2週間も前に予約していたカイロを完全にすっぽかしていたことに気付き、大慌てで電話を入れたところ。「体調が良いから忘れたんでしょう」と先生はお優しいが、私的にはチョイト深刻かも~。だって、予約はチャンと手帳に書いてあったし、その日は他の用事も書き込んでいたから、絶対見てるはず。なのにそれが目に入ってないというか、目に入ったものが脳で認識されてないってことだから、かなりやばいかも知れない。

こんなで暗譜なんて出来るんかいな?って、今頃言う台詞?いや~、やっぱり年だけのことはある。どうも調子がでないなあ。ふ~っ。

 

ま、検査結果が出たお嬢が、どうやら上京の見通しが立ち、明日から荷造りを始めると言うから孫べえ共々帰ってくれたら集中する時間が取れるだろう。追い込み作戦しかないなあ~。

 

今日は来店客に教えられてポストを見ると、なるほど電力会社から伊方原発が如何に安全対策がしっかり取られて居るかのチラシが入っていた。折も折、テレビではこの原発がホントに安全かどうかという特番が放映されていた。モチロン、だからこそのチラシ投函だったんだろうとは思うが、なんだかねえ~~。言ったの言わないの、指示したのしないの、計測位置が高すぎるだの、未発表の数値があるだの、全くますます混沌としてきた原発問題を、今日のお客さんが言うようにチラシ一枚でそうそう簡単に安心だとは思えないなあ。

昨日嫁りんに、このところ私がフアンになったお店から無農薬野菜をまとめて送ったのがついたらしく、えらい感激して電話がかかる。地産地消を随分言われるらしいが、小さい子供を抱えて、そうでなくても生活の中で被爆してるかも知れない状況下で、なかなか現地の野菜を買う勇気が湧かないという。それも無理からぬ話だと思うなあ。空豆のさやむきをしているチビ二人の写真付きでメールも届く。ホントにこうした普通の安全な暮らしが出来なくなってしまったなあ~。どうなっていくんだろう。

 

今午前3時前。妙に静かだが、明日は台風が日本を襲うとか。

これでもかと、やってくるなあ~、、、。

2011年5月27日 (金)

スイカが美味しい季節になってきた。

スイカは我が家の、というより娘と私の大好物で、この時期から終わる頃までず~っと冷蔵庫に入っているのが常だった。娘が上京してからは、なんとなく競争相手が居なくなって面白くなく、買う回数は激減していた。今日は久しぶりに美味しいスイカがCOOPで届き、早速冷やしているが、今娘から、「どう?食べる?」と声がかかる。こうして丑三つ時に果糖なんか入れたら碌な事はない。「う、う~ん」と唸っておいたら敵もダイエットを考えたのか諦めたようだ。「明日にしよう!」と叫んで数分後。「今日来たチーズは~?」と結局は食べるんだ。くわばらくわばら、これにお付きあいするとやばいやばい。

 

今日はどういう風の吹き回しかチビが私と一緒に仲良く二人だけでお風呂に入った。ココ2,3日母親と3人で入ってもいつも泣かれていたのが、何故なのか、全く分からない。子供を観察していると面白いことが多々ある。大分コミュニケーションが取れるようになって、時間は少しかかるが、ものを取ってという指示にも従えるようになってきた。そういう人間らしい動きや心の発達がどういう風に進むのかがとても面白い。出来ないことが出来る様になるというのは、周りよりも本人が一番嬉しいようだ。、、、ということは、人は生まれながらにして上昇志向を持っているのか。

 

ところがアチクシは今、書かなくてはいけないことが進展しない。とりあえずコンサートが終わってからと踏んではいるが、どっかにこもりたいくらいだ。まさか有名作家じゃあるまいにそれは出来ない。けれど日常の雑事に追われている現在、どうにもこうにも、、、。なんてこと言ってられないんだが。

 

こういう私を東北旅行にと誘ってくれる友人達。ひとまずその日を目標に仕上げると決めた。予定は未定だが、、、。

2011年5月26日 (木)

オーラ。

今日だけ晴れとあって、午後はチビのお買い物に出かける。友人の経営するお店でランチも食べようと立ち寄ったものの、チビは歩くのに夢中で結局は母親とばばが交代でお相手だ。世の中の見るもの全てが珍しく楽しいらしいチビすけは、電車の音で走り出し、アリを見ては立ち止まり、緑の萌える木のそばで葉っぱを触りたがる。一定の間隔で後ろをついて回るのは大変だが、ハーネスのお陰で楽ちん。通りすがりの人が犬のようだと笑いながら見ていくが、これは大昔から西欧では使われていたもの。このところ都会では駅のホームとかデパートでよく見かけるというから、日本も変わってきたんだろう。かなり合理的なものだ。その昔、ある人がイギリスからのお土産にあれをプレゼントしたら、うちの子は犬ではありません、と気分を害されてしまったということがあったのを思い出す。怒ったあの人の価値観はその後変わっただろうか?

靴のサイズが合わなくなったと少し大きいのを買って、東京へ送るベビーフーズなども買い込んで車に乗った途端チビは熟睡。そのままサティへと車を回し、マッサージをするという母親の帰りを車で待つことに。待ちつつこっちもつい寝てしまった。じっとしてると眠くなるこの頃の私だ。密閉した車の中が余りにに蒸し暑くそれで目が覚めたがチビはまだ寝ている。その辺のもので風を送りながら目覚めを待つ。、、、我が子達の場合も寝顔は最高に可愛かったなあ~と思いつつ。やがて45分のコースでしっかり顔にベッドの跡形をつけた母親が帰ってきた。ま、時にはこういう時間も必要だろう。、、、帰宅しましたメールが夫から入り、そのまま今夜の買い物をして帰宅したら結局半日済んでしまった。こうしてあっという間に一日が終わる。

 

午前中に見えた来店客のお一人が妙なめまいがすると言い、昨年の私の入院事件を覚えてくれていて詳しく聞かせて欲しいと言われる。よく聞いてみると私とはどうも症状が違う様だったが、だからといって安心は出来ないような気がする。素人判断は良くないだろうなあ。私のように吐くまでは行ってないようだが、、、。

この方は陶芸に興味がある人で、一時お休みしていた教室に再び通い出したと言われる。そうか、良いなあ~。私も復帰したいが、いつになることやら。あの無心の時間を何とか取り戻したいものだ。それにジムにもボチボチ行かないと、せっかく少しスリムになったボディがじわりと元に戻りそうな気配が、、、、。お嬢に付き合って食べているのも原因の一つ。夫と二人の食生活とは全く違っているからなあ~。は~っ。

 

おとといいだったか、カンヌ映画祭の授賞式関係の報道番組を洗濯物をたたみながら見ていたが、余りに違う世界、即ち洗濯物をたたみながらテレビを見ているという私とは余りに違う世界のお話ではあった。あの女優や男優達の身体から出るオーラとは一体何だろう。美しい衣装を身にまとっているから、というだけではない、巧みな表情や仕草だけでもない。そこに佇んでいるだけで、内側から光が射しているような、、、オーラとしか言い様がないものを彼らは持っている。そして監督たちもそうだ。どこか一般ピープルとは違うものを確かに持っているなあ。

そういえば以前娘のお芝居を観に行ったときのこと。客電が薄くなった時そのほの暗い客席に入ってきたアル男性が目を惹いた。殆ど顔も見えない程だったが、その方の異様なまでのオーラにこれはただ者ではないと思った。休憩時に電気がついてその方が有名な演出家M氏だったということが分かった時はなるほどと思ったものだ。渋谷のオーチャードホールで報道番組で有名だった筑紫哲哉さんを見かけたときも同じようなものを感じた。

不思議なものだなあ~、オーラ。その正体は一体何だろう?

2011年5月24日 (火)

日常の中の衝撃。

今日はチャリティコンサートに向けてのピアノ合わせ。最初からとは違う展開になって、曲数が多く少し戸惑い気味だが、ここに来ては頑張るしかない。このチョー多忙な中で必死に時間を捻出して自主練もしているが、それもこれも来て頂くお客様に、出来はともかく努力の結果は見て頂きたいが為。入場料は確かに義援金として全額寄付だが、そこまで足を運んできて下さるお客様の労力と時間を考えると精一杯やらなくてはと緊張している。明らかにいつもの演奏会とは気持ちが違う。何も出来ない私でも、こうしたことで少しでもお役に立てればと真剣に思っている。、、、こうした思いに今日も早速応えて下さる方がいて、チケットをご自分のとお友達のをわざわざ買いに来てくださった。こういう方々に背中を押されて前にと進んで行けている感じだ。今度が最後の舞台かも知れないと、昨日も友人に言って笑われたが、冗談ではない。65歳。決して若くない年齢。周りを見回してもこの年齢まで舞台でソロをやっている人がそう多くはない。どこに行っても最年長だ。声は無くなる。ある日突然なのか、じわじわなのか。我と我が身を観察中だ。

実際、よく寝てよく食べて、美しいものを見て優雅に暮らして初めて歌えるはずが、娘親子の思いがけない逗留で自分の健康管理どころではない。今もこうしてパソコンをしているところを、紐につながれて家の中を散歩しているチビ助が邪魔をしにやってくる。パソコン周りはとかく危ないものが多く、コードなんかをオモチャにするから気が気でない。母親は、歩くのが速くなった、とか、今初めて階段を上った!とか一々興奮しては報告するが、あたしゃ今忙しいんだ、とつれない返事。とにかく集中出来ない。内心では、おお、凄い!1歳過ぎたばかりでこんなに歩けたのか?とか、階段?ちょいと早すぎるのでは?などと思ってはいるが、そこに関わっているとだら~っとその世界にはまり込んでしまうから、距離を置くことにしている。、、、距離ねえ~。どうやらもうすぐ一度東京に戻ることを決めたようだが、このチビ助と駅で別れるのはちょいと辛いかもねえ。なついてなついて、私の夢にまで出てくるからなあ~。今日なんか、抱っこしていてふと息子の小さい時を思い出した。突然息子の仕草とかがフラッシュバックして、懐かしさがこみ上げたのだ。

多忙なときは色んな事が起きるもので、コンサートの前には姪の結婚式。後にはCantiamoと一日おき。その後には父の法要が控えている。どうしてこうなるの?ってかんじだ。こうやってじたばたしながら私の人生は終わっていくんだろう。

 

先日のこと。予約のお客様が来店された。何時ものようにお迎えしたら、その方は棒立ちのまま、「先生、あの孫が死んだんです!」とはき出すように言われる。聞き間違いかと思い、「えっ?」と返すと、次々と信じられない言葉が出てくる。全くニュースも知らなかったが、JRの踏切で遮断機が下りている中へ入っての事故だったようで、殆ど即死状態だったとか。あまりのことに言葉も出ない。以前から良く出来たお孫さんで、真面目に大学に通うこの方のご家族の自慢の種だった。身体の弱いお母さんを気遣ってゴミ出しをしたり妹さん達の面倒を見たりと、ホントに家のことを良くやっていた。享年19歳とは、余りにむごい。ご家族の無念さを思うと何とも言えない。

こうした事故は時々ニュースになるが、こうして身近な人のこととなるともの凄い衝撃だが、もう一つビックリのニュースが入ってきた。我らが名誉会長が危うく大事故に巻き込まれそうになったとか。火事場のなんとやらでおそろしく機敏な動きで一命を取り留めたようだが、救急車のお世話にはなったというからホントに危なかったようだ。ホンの一瞬が命を左右する。

 

世の中も、津波であの大量の死者が出たときと、「死」についての報道が少し違ってきている。こうした事故や殺人のニュースが以前のように報道され始めた。

それにしても事故が多い。こないだから我が家の前の道路で3回も事故があり、今日は今日でチビを公園にと連れて行く途中事故を見た。この1㎞圏内で事故と病死が次々と耳に入ってきてると思ったら、お坊さんが多忙で手が回らない状態だという。病死はともかく、人々の気持ちがなんだかぞわぞわしていて、落ち着かないのが遠因の様な気がする。私自身も、昨日はちぇち練に行くとき、赤信号の交差点に入ってしまって横断歩道で辛うじて止まった。こういうとき、運が悪いと事故に遭う。ホント、気を付けなくては。

2011年5月21日 (土)

暑い一日だった。

今日は仕事中に児玉清氏の娘さんがラジオに出ているのを聞いた。有名人とは気の毒なものだ。まだ父親を亡くして日が浅いのにもう人々に向かって何かを語らなくてはいけない。そりゃあ涙で声が出なかったり、嗚咽で言葉がハッキリしないのも無理はない。敬愛していた父上の死は、娘にとって大きな痛みを伴なった悲しみにちがいない。聞いていて痛々しく、途中で聞かないようにしたが、、、、NHKもねえ~。

NHKを「御用放送」だと決めつけている武田教授のブログを読むと、確かに真実を報道しているのかと疑いたくもなる。水戸の孫べえはぐらっとくるとスグにNHKをつけるというが、私にだって民放よりは正確、迅速、内容がしっかりしているとの思いがある。しかし、大丈夫かなあ~?「識る」ための存在と信じて良いのだろうか?

 

アメリカは携帯電話に勝手に危険情報が入るようになってきているらしいが、それは良いなあ~。文明の利器を大いに活用して欲しいもの。

 

今日はお嬢を病院に連れて行く。しっかりした説明を受け、かなり安心したようだ。それだけで随分と声が明るくなった。ま、ホントの結果は10日後の検査結果を待たなくてはいけないが、、、、。矢張り医師を信頼することが出来ると精神的に随分救われる。東京だと、こうはいかないと、本人は待たずに診て貰えるというだけで感激している。

 

それにしてもチビの成長は著しい。フローリングの廊下を、たったったったったと元気にキャラキャラ言いながら走り回っている。言葉も少し出かかって、ヘレンケラーの最初の発音のようになるまであとわずかだと感じさせる。この子の成長がこれからも順調であり続けますようにと、知らない間に祈っているアチクシではある。

2011年5月18日 (水)

今日も晴れ。

毎日飲んでいる薬が無くなっていつもの病院へ行く。主治医の先生とは震災の前から会って無くて、ひとしきりその話題に終始したが、娘親子が疎開してきていると話すと、他にもそう言う方が段々いて、夫婦親子が離ればなれに暮らしているケースがよく耳に入るとおっしゃる。いっそのことこの人口が減り続けている香川県に会社を誘致してそこに就職出来るようにしたら良いのに、とも。全くその通り。我が娘婿も、生き甲斐としての仕事があるかどうかがどこで生きるかの決め手のようだ。もしこちらでそれ相応の仕事があれば、おそらくこちらで家族一緒に住もうとなるに違いないのだが、、、。毎晩我が家の食卓では、いつ帰れるか、いつまでここに居るのか、いなきゃならないのか、が話題になっている。今日のお医者さんじゃないが、「お孫さんが小学校入学くらいかも知れませんねえ~」って、あっちゃ~。それならそれでプランのたて様があるというものだ。はっきりしないのが一番ストレスだ。福島や近県の人たちはなおさらだろうが、、、。

 

それにしても先日の人間ドックの結果何もかも異常なし、には驚いた。きっとどこかやられているに違いないと思っていたのだが、、、。高血圧と高脂血症はまあ仕方がないが、内臓や血管に問題がないという結論を見ると矢張り私は母親から丈夫なDNAを貰っているようだ。有り難いやら、、、、ムムム。となると、ストレスからくる心因性の疾患かもしれないなあ~あれもこれも。

 

今日はあの素敵な男優児玉清さんが亡くなったというニュースが流れた。随分とおやせになった姿をテレビでちょくちょく拝見していたが、それでもキッパリとした物言いと、背筋の伸びたダンディ振りはいつも素敵だなあと思っていた。良い本を紹介する番組でも博識振りを披露していたが、、、、。次々と消えていくなあ~。

2011年5月15日 (日)

また一つ終わった!

シャンソンのコンサートがようやく終わった。心配されたお天気も快晴となり、そのせいか予想以上のお客様が来て下さって盛会の内に2時間が終わった。ホールの中に70名ほどの人間が居るとかなりいっぱい感があるというホールだった。テーブルにお茶を乗せることも出来て、その点きっとお客様にも良かったのではないか。ちぇちからお手伝いに来てくれた面々もホントによくやってくれて、安心して舞台に専念できたことだ。こうしてみんなの力が集まって楽しい演奏会が成立しているとつくずく思う。

このホールは以前ちぇちがよく使っていたホールで、私的には懐かしい感があったが、お客様はちょいと地理的に分かりづらかったようだ。あの頃から比べるとあちこちにホールが出来ているから、矢張りココを利用する人も少なくなっているんだろう。時代は変わる。

シャンソン教室も長くなった。長く続けている人は矢張り上手くなってきたし、歌心も出来てきた。好きこそものの上手なれってところだ。歌は自分では殆どチェックできないので、聴いてくれた人の評価が大切になる。出来る限り聞かせて頂きたいもの。実際あちこちから感想が寄せられているが、殆どの方が楽しんでくれたようなのには一安心している。残って打ち上げに参加してくれた人たちもこぞって、良かった、楽しかった、シャンソンんが好きになった、と言ってくれたのは有り難かった。

 

自分的には指導と出演両方するのが難しくなってきて、自分の歌を熟成させる時間とエネルギーが不足気味だ。消化不良の歌になってしまったと思う。また精進するのみだ。傑作だったのは、演出のつもりで杖をついて歌ったところ、アチクシのおみ足がまだ完治してないと思われたらしいことだ。ふ~っ。やれやれ。

2011年5月14日 (土)

罪と罰。

毎日原発問題に関する情報が我が周辺を飛び交っている。中にはかなり驚くべき内容のものもあり、今までの自分なりの結論としては、今回の事態は起こるべくして起こった「人災」であるということ。今日の国会答弁では、「どこからどこまでが天災でどこからが人災と呼ぶべきものですか?」と学者に向かって前政権担当者が説明を促していたが、そういう質問こそがナンセンスと言いたい。

友人のご主人が学者で、そちらの専門家だが、彼は大いに怒っているという。過去に色んな場面でこんにちの事態を想定した警告を発し、海外にまで出向いて発表したが、そういう少数意見は全て無いものとして扱われ、あるときは要注意人物扱いをされ、発表の場に政府の人間がついて回るという目にもあったそうで、その厚い壁の前に嫌気がさして(ホントの理由は他にもアルかも知れないが)撤退してしまったというのだが、、、、。

あくまで単純にいうと、原発を推進した主に電力会社(本来は政府であるべきと思うが)に今罰が与えられているが、では、それ以外の人々に罪はないのか?ということになる。電気を消費しろ消費しろとばかり電気製品の開発が進み、一般家庭でも各部屋にエアコンテレビの類が設置され、オール電化住宅を推進し何もかも電気で動く家に住み、24時間営業の店がにょきにょきと出来、新幹線はいよいよ速くなりそれにつれて本数も増え続け、、、、これらが全て「文化的で幸福な生活」とばかり国民はこぞってそうした流れに浸かり続けた。その友人のご主人のように危機感を持ちながらも、政府を動かす事は出来ず孤高を持して暮らして居た人を含め、モチロン私の様にそうした事態にうすうす気付きながら、手をこまねいていた日本人の殆どの人が「つみびと」ではないのか。

 

いつもならキレイな音楽を店内に流しながら施術しているが、今日は何となくNHKをそのままかけていて国会中継を聴いた。お席の前に週刊誌を置いていてもどなたもそれを読もうとせずじっとラジオに耳を傾けていたのが印象的だった。そしてある人は、なんともかんとも無念そうな表情で、「日本人は過去から学んでいませんねえ」と言って帰られる。実は店内での会話は政治と宗教の話しは御法度。しかし、このところ皆さん言わずにいられないという感じでの会話が続く。

 

今日のニュースでは、まだまだ娘たち親子はこちらに居続けそうだ。実家がこちらにあって良かったと、大きなため息と共に娘が言う。でもねえ、、、そうじゃない人も大勢居るしねえ~。昨日から来ている娘婿どのは、チビのあまりの成長ぶりに驚いている。明日もう帰って行くパパにどんな反応を示すんだろう?

2011年5月 8日 (日)

また一つ終わった。

本日は予想通りというか、予想以上に疲れたわい。全く年齢は争えない。若い人が何しても別にって顔しているのを横目でうらやまぴ、と思いながら裏に表にと走り回っていたもんだ。楽屋でヘアーメイクをしては影アナで急いで下さいと催促され、短い距離を急いだだけなのに息が上がっていて、喋るのになかなか重心が定まらない。やっぱりあれもこれもは段々出来なくなってきているなあ~。ロビーでの後の打ち上げパーティでは影アナの声があなただったねえと声をかけてくれる人が何人もいて、ありゃりゃ~。ま、私もちぇちの連中も自分のやるべき事をある程度やれたのではないか。どんな仕事であれ一人一人がポジションを守ることが全体の成功に繋がる。

そう、コンサートは大成功。その理由の一つが、旦那様の素敵なナビゲーション。その上、アンコールでは歌まで歌われ立派にヒギンズ教授を勤め上げたのにはおろろいた!実は、これが一番やりたかったことだったのでは~??な~んてね。やっぱり客席にいて、ゲラゲラ笑っていたかったなあ~。モチロン大受けだったわけで、歌い手の奥様から、「私より拍手が多かった!」とお叱りを受けたとか受けなかったとか!フフフ。

何が素敵って、モチロンご夫婦の息のあった舞台が一番だが、それもこれもお客様を大事にされてのこと、という点が良かったと私は思う。2時間以上にわたる演奏会があっという間に感じられる程に楽しめたのは、歌い手の努力だけではカバーできないお客様へのサービス精神だろう。真面目に歌に取り組み、プレッシャーの中ご自分を更なる高みへと追い上げていくYさんの姿勢もさることながら、それを脇でサポートし続ける旦那様の力はそれを何倍にも高めたと思う。

見習うべき要素が沢山あった演奏会だった。

 

掛け持ちで参加のミューズホールのチェチの出番も盛り上がったらしい。こうして離れていても良いニュースが聞けるのは嬉しいことだ。その場に居なかったのは残念至極だが、、、。これも震災のお陰だから仕方がない。

終わったことはそれとして、次に向かって、GO!、、、って、咳がひどくなってきたけどねえ~。

2011年5月 7日 (土)

多忙は風邪とともに来たり。

目が回る忙しさ、とは良く言ったもので、ホントに今日は耳鳴りがして目が回った。その上どうやら肩こりから来る風邪。朝は接骨院へ行き症状を訴えて処置をして貰ったが、状況は芳しくない。喉も赤いし、咳も出始めた。これで明日は朝から晩までびっちりのスケジュール。車のバッテリーまで上がって、朝一では車やさんまで行かなくてはならない。この声がどうぞ明日まで持ってくれますように!って、その次の日がちぇちの決起集会ときた。今日こそたっぷりお風呂でたっぷり睡眠、ちょっぴりアルコールで乗り切ろう。

この状態で今夜は来月のチャリティコンサートの合わせ。全く声が出せる状況ではない。そばで日本人離れしたテノールの声をうっとりと聴いていたのみ。タハッ!驚いたことに、全員合唱の時は動きを付けるという。きゃ~っ。演奏中に下から階段を上がるなんざあ出来る芸当ではない。あたしゃ老人なんだから!って、都合の良いときだけ急に老人になるアチクシ。でも、まじでそりゃあ無理。何とか変更して頂くほか無い。やれやれ。モチロン若い人ばかりの舞台なら私もそういう演出を考えるだろう。ま、若い人達にどんどん動いて頂こう!!

しかし、できあがったチラシを同業組合の方で配布して下さるとのことで、早速お届けしたが気持ちよく引き受けて下さって有り難かった。入場料を全額寄付、というのが実現できるのが凄い。企業メセナの力もあるが、主催者の努力も素晴らしい。その舞台に混ぜて頂くわけで、有り難いやら、もったいないやら。とにかく頑張らなくては!!年寄り代表ということで!

2011年5月 5日 (木)

神様からの宿題。

この日曜日のYさんのリサイタルが近づいてきた。彼女をサポートしている旦那様から資料その他送られてくる。凄いなあ~。いつもながら。このご夫婦、これ以上はないくらいに良いコンビといえるだろう。奥様が歌い、それを表からも裏からも支え続けることが出来る、というのは言うほど簡単なことではないだろうに。(好きこそものの、、、の類かも~コホン)ま、日曜日が楽しみだ。ホントは客席にいてゲラゲラ笑っていたいくらいのもんだが、影アナその他お仕事を言いつかっているから、まあしゃあない。フレーフレーヒデキじゃない、ヨリコっだった!!

 

今日もテレビで泣いたが、最後まで町中に「逃げて!」コールをアナウンスし続けて自分は流されてしまったという若い女性のことだった。うちのお嬢ががそちらの勉強を多少しているので、一緒にテレビを見ながら、「彼女は凄い。余り叫ぶとわんわん音が重なって何を言ってるか分からなくなるから、ギリギリまでに声をコントロールして精一杯喋っている!」と言いつつ泣いている。この声で沢山の人が助かったそうだ。本望というには余りに痛々しい。

 

チビ助が歩く楽しさを覚えて、スーパーやなんかで歩く歩く。頭が重いから油断してるとすぐひっくり返るので常時見てないとイケナイから疲れる疲れる。あたしゃスグにギブアップ。母親がその分頑張ってるが、いやあ~、ホント育児は大変だ。が、チャンとご褒美もくれるので、この大変さが苦にならないのだ。

というのも先日の話し。ちぇちの練習後に打ち合わせがあり、時間が気になりながら放っておけないテーマだったのでつい連絡もせずに遅く帰ってしまった。するとお嬢が完全にプッチンきてて帰るや否や大げんか。お嬢は遅くなるなら連絡入れろと言うし、こちらは少しでも早くと思って頑張って帰ったのに、そもそも遅くなりそうと思えば、それなりにやってればいいでしょ!!となり、孫べえが泣き出すまでのケンカになる。お互いが一杯一杯の状況下で、起こるべくして起こったことではあったが、最後には、「もう明日東京へ帰る!」とまで言い出す始末。内心、「フン、勝手にしろ!」と思いながらも、チビをしばし見ていることに。こちらは疲れ切っていて、壁にもたれて足を投げだしボンヤリしていた。すると、喋れないチビ助が、その辺のものを手に持って、「うん、うん、うん、、、、」と言いながら渡してくる。「ありがと」と受け取ると、今度はそれを渡せと言うそぶり。「どうぞ」と渡すとにっこりして、また、「うん、うん、うん、、」と寄ってくる。それを数回繰り返している内に、いつもの私の表情に戻ったのか、両手でバランスを取りながら寄ってきて、こちらのホッペにチュッとキスをしてくる。おおお、凄い。子供って何もかもわかっているのか!?思わずゴメンね、と言いながら抱きしめたことだった。

思えば、娘も好きでこちらに居る訳ではない。毎日夫と電話で話しているが、ストレスであちらにも当たっているのが聞こえる。仮の住まいが、まさかこんなに永くなるとは思っていなかったわけで、何もかもが狂っている。落ち着かない状況の中で、子供だけはどんどん成長していく。母親として頑張らねば、と思ったり、被災地の人のことを考えたら我慢しなくては、とも思っているようだが、確実にストレスは溜まっている。、、、そういう娘をなんとか全身で受け入れようとしているが、自分にも生活があり、仕事があり、やるべき事も抱えている。去年東京で倒れて入院した時期に来ている。無理は出来ないはず。二人のそんなこんなが爆発したのがあのときだった。

お互いに寝室にと別れて、ベッドに腰かけた途端メールが入る。「感情的になってゴメン」とある。こちらからも、「今回の事態は、神様からの宿題かもね。」とFOPのいっくんの言葉をぱくって返事する。ま、こういう時メールも便利だ。

ホント、神様からの宿題が、解けるかなあ~?

今日はおばばを誘って子供の買い物に出かけた。こういうのも一種のストレス解消になるかも~ふ~っ。

2011年5月 1日 (日)

まずは一つ終わった。

震災後の疲弊した気持ちの中で最初のコンサートが終わった。頑張らねば、という想いのせいか何時もと違って心底疲れた。余りに疲れていて、帰宅して夕食の準備後Yタウンにちび親子と母を下ろしてある会合へと行ったが、30分勘違いして早く着いたのを良いことに駐車場でぐっすり眠ってしまった。携帯のアラームをセットしていたので安心してホントに死んだように眠った。まあお陰で7時半からの会合にはスッキリした気分で臨んだが、、、。

2時間後Yタウンで待っていた連中と合流してそこで夕食だ。が、何を食べても美味しくない。ちょっと疲れすぎの感あり。で、帰宅してからもとにかく寝た。今朝起きると体中がベキベキ音を立てる。ああ、年だなあ~とつくずく無念。でも、そんな感慨にふけっている場合ではない。やるべき事は山ほどある。ふ~っ。

 

昨日の演奏会はしかし、3回のサロンコンサートの中で一番良かったかも知れない。集客もこんなご時世にも関わらず一番多かったし、受付に用意したFOP関連のご寄付や、年末の「早割チケット」なんかも予想を超える結果となった。50回の記念公演でソロを歌う人たちの出来もそれぞれ良かったし、ぶっつけに近い徹子の部屋ならぬミチコの部屋のアイデアもにゃんとなく笑いを誘ったかも~。みんながいつも以上に心を込めた演奏が出来たのではないか。特にH姉妹の宗教音楽はお客様の胸深く届いていたと思う。何より、終演後のお客様のお顔がとても良かったのが嬉しい。

外は予報とずれて晴れていたし、寒くも暑くもなく快適な午後となった。守護聖人ちぇちぃりぁが味方してくれたのかも知れない。

全く課題が残らなかった訳ではないが、ともすれば萎えそうになる気持ちを奮い立たせ、みんなよく頑張ったと思う。とにかく乾杯だ!

 

あと二つ、おみっちゃんは舞台の出番を控えている。平行して台本をやっているが、、、、むむむ、、、。メンバーも来週また本番だ。同じ頃私は別の演奏会場で裏方をやっている、、、。にゃんともかんとも、、、。

 

こうしてチビ助が寝ている間が私のお仕事時間。やれやれ。

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