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2011年4月17日 (日)

英国王ジョージ六世のSpeech

あれ以来、所謂生活上の「楽しみ」が楽しめなくなっていて、せいぜい一度音楽会に行って癒されたくらいのこと。我が家に居候を決め込んでいる娘親子にかかずらっているせいかどうか、被災者受け入れの気分で落ち着かないことこの上ない。見るテレビも息子の住まう茨城方面の地震に注意するくらいで、後はチビ助の食事時のおこちゃま番組のみ。たださえ忙しいのにリズムも狂いっぱなしでメチャクチャ時間が経つのが早い。

こうした中で、婿殿が数日前からベィビィの誕生日にかけてやってきていて、明日は再び東京へとご帰還の予定。ならば今日しかない!とばかり、「子供を置いて出かけるのは後ろ髪ひかれるなあ~」とつぶやく娘を連れて思い切って映画に行った。「英国王のスピーチ」だったが、この映画、見た人と見たい人合わせると約40人位から勧められていたもので、大いに期待して行った。アカデミー賞も沢山取ったらしいし、主役が大好きな人だったというのもあり久々にワクワクして出かけたもんだ。

が、この手の映画(前評判の良すぎる物)にありがちな期待はずれ。ストーリーが分かっていたというのもその理由の一つだろう。主役以外のキャスティングがちょっとねえ~、という個人的な好みもあったり~、、、とかなんとか言いつつ、見ながら泣いていたおみっちゃん。おいおい。

これが史実に基づいているという点は、確かに現実感があってなるほどと思わせた。事実は小説より奇なり、ってことだ。先日読破したグロッケン先生の訳本「フルトヴェングラー」の中にも登場してきたこの英国王のスピーチは、こうした角度から見ると又新たな感慨を呼ぶ。

幼児期にダメージを受けた精神が、成人してもこの英国王を「吃音症」の苦しみで苛み、その治癒が困難だったが、専門家ではないアドバイザーによって立派なスピーチができるまでになったという、このお話。王家という特殊な環境で起きるありがちなことでもある。どこぞの皇室にもよく似たお話があるではないか。皇族といえども人間。人間の本質をゆがめるようなことをするのは人権侵害に他ならない。、、、一般ピープルに生まれた幸せをつくずく感じるなあ~。

この映画、表面だけを見ると間違いそうな感じもあるなあ。吃音を治すセラピスト、ライオネルはオーストラリア人で当時イギリスの植民地だった国の人。この人と王が生涯の友となったことの意味。ヒトラーが「ラジオ」という電波の力を大いに利用して効果をあげていったという点に、英国王としてスピーチの力に無関心では居られなかったという点。英国史の中に、女性への愛の為に在位をなげうつ人が幾人もいたという史実も興味深い。つい現代にも起きた事件を思い出す。そして、英国と言えばシェイクスピア。ライオネルが実は役者崩れだったということから映画の中にも沢山シェイクスピアの言葉が出てきたが、シェイクスピアを治療の、あるときは自身の子供の教育に道具として使ったというシーンも面白かった。

まあだから、期待はずれだった、なんて書いたが、見て良かった映画の一つではあったのだ。特にこういう心が弱っているときには、優しい映画として、多くの人の共感を呼んだことだろう。後世まで残る映画かどうかは別として、、、。

 

それにしても、地震が多いなあ~。ホントに余震なんだろうか。地震予知のブログなんてのもあると人が教えてくれたが、予知されてもその情報をどう生かせるか、、、。「心配」の二文字が心から離れることがない。

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