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2011年4月 3日 (日)

黙って語る演奏会。

なんとしても行く!と娘に宣言して2時間の自由時間を得てホールへと出かけた。久しぶりのピアノの演奏会。明らかに私も音楽に飢えていた。が、到着したのは第1曲目が始まったところ。中には入れずロビーでしばし聴くこととなった。外は晴れていて穏やかな海を船が航行している。静かに景色を眺めながらシューベルトを聴く。マイクを通していても豊かな音が胸に流れ込む。やがて中に入ると、すぐさま知人に会い「おや」「あら」と声を掛け合うこととなる。どこに座ろうかとキョロキョロしていると友人Kが手招きしてくれて、隣に座る。1曲目で既に彼女は感動している様子。休憩の15分で出る話題は矢張り震災のこと。毎日テレビを見て泣かない日はないわねと話し合い、いくつかのエピソードの交換となる。中でも彼女が見た読売新聞の幼い子供の写真の話しには参った。帰宅して娘に話して又一緒に泣いた程だった。きっとこういう話しは他にもいっぱいあるだろうなあ。

演奏は、Kさんが言うように確かにとても良かった。ゆるぎない技術もさることながら素晴らしい集中力はSさんがまさしく円熟期に入ったと思われた。ホール内で座席で聴くフォーレも情感に溢れ音楽の中へ中へと誘われた。プログラム最後にサックス二人との競演があり、楽しんだ後はアンコール。クラシカルな演奏形態をとっていて、全くの解説無し、プログラム発表無し、演奏者のコメント無し、、、、そう、無言の中で、粛々と演奏は続けられた。そのアンコールの一番最後に持って来たのが、「オーバーザレインボー」で、これには思わず涙が溢れた。このように音楽が言葉を媒体とせずに雄弁に語りかけるのも珍しいのではないだろうか。演奏家達も、聴衆も、この曲で心が一つになった気がする。あちこちからすすり泣きの声も聴かれ、大きな拍手の中、感動的な舞台は終わった。

こういう時代にこうしてやるべき事に精一杯取り組むことが、被災しなかった人々の出来ることだと思われる。日立市発信のオペラネットワークを飛び交うメールも、今こそ日本を元気にするべくみんなで頑張ろうという内容のものが多い。思えば、一番最初にオペラフォーラムに参加したときの基調講演をされたある学者の方が、「人間にとって大変困ったときに救いになるのは、やはり目に見えない芸術的なことである。」と言われたことを思い出す。

手探りでやってきた事を、今年の暮れには実りあるものにするべく頑張っているちぇちだが、この事態は大きな試練であり、又逆に大いなるものからの後押し、かも知れない。今こそ音楽の守護聖人ちぇちぃりぁの名に恥じない音楽活動をやって行かなくてはならないだろう。

、、、せっかく良い演奏会だったにもかかわらず、シメがサッパリ。というのも、車まで帰ったが何故か駐車券が無い。一度精算機の側まで行ったのに又引き返して本腰で探していると警備のおっちゃんがやってきて、「どうかなさいましたか?」と親切に訊いてくれる。チケットを探していると言ったらしばらく待ってくれて、それでもないと分かると、すぐさま書類にサインして入退場時間を書いてくれてちょん。どうやらこの手のことには慣れていらっしゃる。今日だけではないかも知れないが、一覧表には結構な数の人がサインしていたなあ~。やれやれ。慌てると碌な事がない今日この頃ではある。

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