復興の声高く。
あれから2週間経ったのだが、我が家では「なんだか殆ど時間が経ってないように思うね」という会話。帰省中の娘は、「被災地に居ないのにこんなに気持ちがしんどいんだから、あの人達はどんなだろうねえ」としみじみと言う。確かに、日本列島はどんよりした雲に覆われている感がある。
しかし、テレビではあちこちで「復興」の声が聞かれるようになった。そこに登場してくる人々は、365日働いてきた人々。就職が決まっていたのに、それを辞めて、郷里の復興に捧げたいという若者もいた。涙ぐみながらも、「少しずつですが、、、」と復興への意欲を見せる中年の女性も居る。まるで、間もなく来る春に向けて地下で芽を出す準備をしているかのようだ。
そう、春は必ずやってくる。同じように人々は再び地上に花を咲かせるに違いない。阪神淡路がそうであったように。規模はあの時とは随分違うが、それだけに人々の復興への願望と再生への力が大きいのではないだろうか。
「日本人を信じます。」とは諸外国の人々のユーチューブでのメッセージに一番多い言葉だ。どんな逆境にあっても必ず甦ることが出来る希有な民族として、彼らは賞賛してくれている。そうかも知れない。いやそうなんだろう。営々と築きあげてきた日本人としての大切なものは、今ここにきて最も力を発揮するのかも知れない。
それにしても原発に関しては、資本主義がもたらしたつけが今になって回ってきたわけで、その「恩恵」を受け続け、生活が膨れあがった人々はここにきていきなり昔の生活に戻れと言われて大いに戸惑いうろたえているのも当たり前。関東ですっかり停電の生活が定着した親戚の若い人は、「こんどの事で、自分達の生活が見直せて、停電も良いかな?と思っています。」とあった。なんでも太陽と同じに起きて寝てを始めているらしい。それしか方法が無いからだが、、、、。確かに、悪いことの裏には良いことが、良いことの裏には悪いことがアル。
原発事故で身を挺して働いている人たちはホントに痛ましい。だが、万に一つはこういう事が起きるということは、ホントに想定外だったのだろうか?その万に一つを思って、原発建設に反対した人々はどんなにか無念の思いを抱いていることだろう。おそらくは賛成した人だろうある男性が、テレビですっかり肩を落として、「国に裏切られた」と呟いていたのが印象的だった。
人は、自分で作った物で傷つくように出来ているのか。放射能しかり、農薬や食品添加物しかり、副作用のある薬品や予防接種しかり、はたまた車など。他の動物には無い性癖のように思われる。
今年ほど、春が待たれる年はない。
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