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2011年2月

2011年2月25日 (金)

檻。

お嬢の命令で、我が家の一階にベイビーが勝手に出られない為の檻を作れと言われ、やっぱりやっちゃった!そもそもフローリングに頭をぶつけないためにとマットのでかいのが送られて来たところから本日の悲劇が始まった。デパートのチビ広場のように安全で居心地の良いスペースをあんな家具やこんなついたてを紐で結び、全て一人でこつこつこつ、、、。外はまるで春のような陽気だったにもかかわらず全く恩恵を受けることなく、もくもくもく、、、、、。今日に限って来店客も多く、完成したときはもう外が暗くなっていた。何も知らず帰宅した夫は絶句して、「まるで皇室の方がお越しになられるような、、、」とオーバーな表現をぶつぶつぶつ、、、、。まあ自分がノータッチというのが気が引けるのか、夕食時にはワインに日本酒、ビールを注いでくれて大サービス。お陰で夕食後には遂に一時ダウン。1時間ほども眠っただろうか。やおら起き出して又々清掃作業に取りかかる。長男の孫べえの時は、ほんの一瞬受け入れたに過ぎず、日常を変えることはココまでではなかったが、今回はそうはいかない。ま、出来るだけの事はしておこう、、、とテレビのニュースを聞きながら続けていると電話がなる。慌てて出るとお嬢。今何してるかと訊くので、「モチロンお・そ・う・じ!」と叫ぶと敵はゲラゲラ笑い出す。どうやら携帯を鳴らしても出ないので彼にそう告げると、「みっちゃんはおまえ達の為に多分お掃除してくれてるんだよ」と言われたらしい。おおおお、よく分かっている婿殿よ!それに引き替えお嬢はけしからん。笑うとは何事だ!孫べえが可愛くなければこんなことは決してしないんだから!プンプン。

 

まあしかし、檻ねえ~。如何にも人間になる前って感じか。ま、大人になってもある意味檻の中だ。以前栗林動物園の獣医をしていた友人のアイデアで、実際に人間を檻に入れるという面白いことをやっていたのを思い出す。結構人気で、沢山の人が入ったようだ。檻の中から外を見ると分かることがあったということだ。

 

さて遂に「フルトヴェングラーの伝記」を読み終えた!す、凄い!この膨大な本を訳してご自分のものとされたグロッケン先生に心からの敬意を!この本は、多くの人に色んな事を考えさせるだろう。余りに素晴らしいので、わが息子に電話で話したらドイツのことを研究している専門家が友人にいるから紹介するという。ホント、是非そうしてほしい。こういう角度からも、ドイツにおける暗黒時代に生きた人の真実が理解できるのではないか。

この本の中に若かりしシュワルツコップが何度も出てきて、あの小濱女史はこんな凄い人に見いだされて指導を受けていたのかと、改めて感嘆した。シュワルツコップのオペラ歌手としてのすごさはモチロン、彼女の語った知性溢れる言葉なども印象に残った。こういうことからも、この本が随分近く感じられるなあ~。、、、色んな人に宣伝したいが、さて、この大作をみんな読んでくれるかなあ~。。。

2011年2月22日 (火)

暖かい一日。

どうやら今週は死ぬほど忙しい週になりそうな予感がする。週末にお嬢がニューベイビーを連れての初めてのご帰還だ。神経質な母親にどこまで付き合ってやれるか、過去の轍は踏まぬぞ~という覚悟。だけど~、、、可愛いだろうし~、つい、何かやっちゃうんだろうなあ~。いや、し過ぎるだろうなあ~。

 

本日は何故かドジ無しの一日だった。何もかも順調に進んだと思える。、、、多分。

 

が、昨日に続いた今日の時間は、かなり身体に応えたなあ~。いつもの倍倍の時間をかけた発表会の練習と打ち合わせだ。午後は目一杯やって夜10時半に帰宅したらくたくたになっている。何時もに比べて暖かい外気に救われているなあ~。

 

ここまで打ったら案の定お嬢からの電話。お昼寝をし過ぎて夜寝ないという。間もなく午前1時になろうとしているのに。やれやれ。さあ、どんな風に成長したか!?楽しみだなあ~。

2011年2月20日 (日)

和気藹々と、、、粛々と、、、。

Cantiamoの28回目が終わった。驚きの回数だ。今日は司会進行をさせて貰ったが、出来るだけ雰囲気を柔らかくしたいとの思いから色々ジョークも言わせて貰った。その流れに乗って、掛け合い漫才のようなことをする人も現れて、会場は楽しい雰囲気に包まれた。I先生を真ん中に、みんなが輪になってのお勉強会、といった空気。何時もより熱の入った先生の指導ぶりに、時間があっという間に経ち、予定を大分オーバーしての解散となる。それから打ち上げ会場へと移動して、ここでもわいわい。ご自宅前で車から降りる先生の、「ああ、疲れた!」が必ずしも言葉通りではなかったように思えた。先生にとっても極上の時間となったのかもしれない。

 

「歌」とはホントに難しいものだ。声が良い、訓練された声は勿論一番必要だが、それだけでは歌にならない。音符通りに歌ってもちっとも面白くない。リズムがキチンとしているからといって、それだけでは評価のほんの一部にしか値しない。音程も、かなりのウエイトを占めるとは言え、それだけでは本当の意味での「良い歌」にはならない。そして、その上に表現としての、音楽としての「歌」を考える時、如何に難しいかが分かる。

今読んでいる「フルトヴェングラーの伝記」の中に、指揮者としての彼の音楽に対する考え方が沢山出てくるが、同じ曲を何度か演奏すると、その時々で変わって行くし、それはホールだったり、観客だったりでも左右されるという。勿論、楽団員の奏でる音色自体によっても変化するが、それだけではないらしい。所謂解釈が、その都度変化するし、自分のその時々の想いによっても変わるのが当たり前のようだ。沢山のオペラの指揮をしていた彼は、演出や舞台美術にも大きな関心を持ち、オペラが総合芸術だということの完全な理解者だったようだ。変わらない部分を持ちながら、柔軟に音楽を創り上げていく彼の演奏を今聴くことが出来ないのは大変残念なことだ。

しかし、私が今最も惹かれているのは、彼のヒトラーとの関係において、実際はどうだったのか?ということ。この本には、膨大な資料から、彼の手紙や、文献、新聞記事、ヒトラーの部下と特別に懇意だった人の日記などから、あの時代を彼が音楽家としてどう生きようとしたのかが描かれている。「ヒトラーの追従者」という批判や、「影で反ナチ活動をした」という評価など、相反するものが氾濫している中で、筆者は何とか彼の素顔に迫りたいようだ。

私はこれを読み進めていく内に、まだ結論ではないが、「彼は普通の人間だったのではないか?」と思い始めた。もっと言えば芸術家特有のアナーキストだったのでは?と思うのだ。

例えば、今の日本は政治が未成熟で、不安定で、日本という国がどうなるんだろうと思うほどに揺れているが、世の真の芸術家達は、別の世界で生きてるのではないか?影響は受けるだろうが、そしてそれぞれに考えはあるだろうが、政治の世界に乱入しようとはしないだろう。だから、時代は違うが、ナチの体制下に、そこから逃げるように見えたり、あるときは曖昧な態度で両方から追求されたりしても、「わっちには関係ねえことでござんす」とホントは言いたかったのではないか?音楽が限りなく神に近いものと考えていた彼が、小さな人間どもの争いに積極的に関われなかったのは当然かも知れない。爆撃砲火の中でタクトをふるう彼の姿が私の脳裏に浮かぶ。

 

まだまだ読み進めなくては分からないが、今のところの感想だ。もしかしたら再度読み直す必要があるかも知れない。、、、、よくぞグロッケン先生、これを訳されたなあ!と今さながら感心している。

2011年2月19日 (土)

今日のドジ日記。

このところ毎日ドジをしない日が無くなってきたなあ~。それに、探し物をしてても、気がつけば目の前にあったりして、、、、なんだか、視野が狭まったというか、認識範囲が狭くなったという感じ。私大丈夫?母親の事どころではなくなってきた。、、、おお、これぞ老々介護!

で、今日のドジは、たいした事ではない。な~んてね。

思いついて、というか夕べ夜中に膝が痛くなって何度も目が覚めた。寝不足で早速いつもの接骨院に行くと、「何か変わったことしませんでしたか?」と言われてつらつら考えると、夕べベッドで何時ものようにグロッケン先生の分厚い本を1時間ほど読んだが、つい面白くて、「姿勢」を考えずに、腹ばいになったり、横向きになったり、テキトーな格好で読むことに集中していた。完全に眠たくなって本を閉じた時、なんだか腰の辺りから右膝にかけて妙に違和感を感じたが、まあたいした事はないだろうとそのまま眠ったが、どうもそれ以外思い当たらない。というと、「ああ、それでしょうねえ。」とテーピング。「あと少しで膝が完全に曲がり、かかとがお尻に付くようになりますよ。」と言ってもらえてやれやれ。

で、それならば、自分でも努力しなくては、とばかり早速夜になってジムへ行く。今日は土曜日で10時には閉まるので、その辺の物を掴んで車で出発。駐車場で持ち込むバッグの中身を確かめようと、室内灯を一個点灯。忘れないようにしなくては、バッテリーが怪しくなっていて、スタンドでいつも言われてるからなあ~、、、と確かに思ったにも関わらず、ジムから出てくると、にゃにゃんと、しっかり室内灯が付けっぱなし状態。明るいところでないと作業が難しいと、煌々と街灯が付いている真下に駐車したもんで、だれも気付いてくれず、、、マジでやばいかも~。こないだのように夜中じゅうではないが、、、、、トホホ。

 

昨日初めて試したパン焼き器は、思った以上にテキトーな私に見合ったものだった。チャンと良い形に出来たし、お味もまあまあ。で、今日は「エビ食パン」に挑戦。というのも、冷蔵庫にたまたま芝エビの買い置きがあったからだ。が、入れるタイミングに仕事中で、側に行ったときはどうやらその合図の時間を過ぎてしまっていたみたい。しばらく考えたが、まいっか。と機械の蓋を開けてこねている最中のパン種の中にテキトーに放り込む。ダメかな?と思ったが、できあがりは上々。説明書には、あるメーカーの粉しか使えないように書いてあるが、こちらもテキトーに買っていた物を使用。全く問題なく使えた。あれ、一体何なんだろう?だいたい他のが使えない理由を書いてないしなあ~。

てなことで、このパン焼き器は私にぴったりかも~。かもかも~。

 

さあ、明日はCantiamoでドジをやるかもねえ~。

なんてこった!

一日延ばしにしていた、「パン焼き」を、ついにやることとした。買っただけで開封もしてなかったパン焼き器を出すところから初めて、説明書を読んでる内に眠くなって思わず仮眠してしまった。なんてこった!

昔昔、子供達が小さかった頃はよくパンを焼いていたが、あのころは仕事も一人前にして、子供たちの世話も焼けたはずが、どうしてあんなことが出来ていたんだろう?今のこの機械のような物があるわけでなく、手でこねて発酵させ、形を作ってオーブンでやくという手間を煩わしいとも思わずやっていた。単に若かっただけなのか?毎回100コほどのロールパンを焼いていたのを今思うと、自分の事とは思えない。何しろ父がこのロールパンが大好きで、「まだか?」と催促されていたから、、、それで出来たのかも知れないなあ。

あのパンを焼くときの臭いがたまらない。部屋中が又あのかぐわしいもので一杯になるかと思うと、「食べる」誘惑に打ち勝てるかどうか自信がないなあ。

 

どんな風にできあがるのか楽しみではある。この機械、失敗することもあるらしいから楽観は出来ない。何しろイーストなんかも購入してから随分経っているからなあ~。賞味期限内でも安心ではないと書いてあるし~。

 

あと少しで結果が出る。

 

 

この機械に任せてから急いでジムへと出かけたのに、着いてみると車が全然無い。あっ、今日は金曜日だ。お休みの日だ!完全にそれが頭に湧いてこないからそこまで行った訳だが、、、なんてこった!

そのまま車を近くの温泉に回し大きなお風呂でたっぷり暖まる。やっぱり我が家のお風呂と違ってホントに身体が芯から温まる。ところが、ぬれた髪を乾かそうとドライヤーにお金を入れたら、冷たい風しか出てこない。あれこれいじってみても全然ダメ。お陰で折角暖まったのに、髪も乾かず、身体も冷えてきた。なんてこった!今日はついてない。

2011年2月18日 (金)

人生イロイロ、今日もイロイロ。

今日のメインのお仕事は、病院へ血圧記録を届けて結果やっぱり薬を減らすことが不可能と診断されたこと。自分的には大分下がったと思ってたが、この程度ではダメだったようだ。今しばらく飲んで記録せよとのお達し。やれやれ。実は一度病院に行ったのに肝心の自作の記録用紙を忘れていき取りに帰るというドジをやったお陰で、三日前から手書きで書いた短歌の作品を郵便局へ持って行くのが出来なかった。これは明日だ。

 

次なるお仕事はこの日曜日のCantiamoの準備。といっても肝心なプログラム制作の部分をA氏が担ってくれているから、実際はたいした事はしてない。A夫人が雨の中を仕上がったプログラム持って来てくれて恐縮だ。私は単に持ち回りでやっているこのお当番のあれこれをやったわけだ。

この回はI先生の指導を受けているあるいは過去に受けたことがある人の発表会だが、根っからの指導者という人の特性みたいなものを感じている。この会に殆ど参加してきたが、観客はメンバーばかりというのが通常で、ごくごく内輪の会という印象だ。だから参加する人に油断があるというか、ホームコンサートのイメージから抜けきれない。しばらく前まで、I先生がみんなの前で、「今回は第○○回で、これは凄いことです。」と声高に言われても、「ふ~ん、そんなものかなあ~。」くらいにしか思って無かった。しかし遅まきながらここに来て、みんな回数が重なると確かに上達しているのが分かるし、レッスンの課程で必要不可欠のものだと思うようになった。こうして、「積み上げる」事の大切さ、「第何回」と記録していくことの必要性を認識して実行するI先生のやり方に、ようやく納得し始めたおみっちゃんではある。これは多分他の先生方にも共通しているんだろうが、所謂「根っからの先生」の特性だと思うなあ。

勉強している仲間同士がそれぞれの歌を聴きながら、「思考する」ことの大切さ。自分の声が殆ど判断できないという、声楽のもつ特異性からも、この会が如何に重要かを思い知る。

 

昨日はFMの収録日で、ピアニストのS女史がゲストだった。4月のリサイタルに向けての意気込みなどを話して貰ったが、この方とも長いお付きあいになるなあ~と過去を思い起こしながらの収録となった。独身を通して来られて、自分の生き方をある意味全うしている。きっと恋はしてきただろうが、結婚しなかったのはこの方の場合少し意外だった。もしかしたら一人っ子というのも関係しているかも知れない。いまだ健在な母上と二人暮らしで、存分にピアノに打ち込めるというわけだ。この方に限らず、他にもピアノが完全に生き甲斐になっている人を知っているが、ある意味幸せな方だ。陳腐な言い方だが、結婚だけが人生ではない。こないだのお嬢の電話でも、子供を産んだ人はそりゃあ確かに育児が生きる糧になるだろうとは思うが、その子供だって必ずしも順調に育つとは限らない。当世その子供だとてどんな事件に巻き込まれて命を落とすか知れたもんじゃない。そのとき一々母親が死ぬってことにはならない。第一、子供なんてスグに母親の手元から離れていくもんだ。、、、、その点、一例としてのピアノを考える時、これは一生ものだ。勿論ピアノだけじゃない。仕事だって、他の何かだって、充分生きていく糧となるものは山ほどあるだろう。人それぞれだ。

人生イロイロ、、、、、あとの歌詞が思い出せないなあ~、、、、。

2011年2月16日 (水)

雪は行き。

あっという間に雪は溶け、今日は我が家でのレッスン日で、雪の代わりに心の白い生徒さん達が次々と訪れた(!)中には昨年末にご病気だったというNさんもいて、又歌えるようになった喜びを話され、心から同感した。ホント、歌えるということはナント幸せなこと。

 

お嬢から親友のMちゃんがかなり落ち込んでいるから会いに行くという電話を貰ったのは昨日のことだった。なんでも、おじさんという方が亡くなられて、家族と呼べる人に去られた悲しみから、今後あるであろう母親のそのときを思うとどうにもこうにも不安でいたたまれなくなった、というものらしい。親友として何とか慰めようとしたらしいが、少ない自分の経験から何を言っても今ひとつ説得力に欠け、かゆいところに手が届かないもどかしさを感じたらしい。

そんな中で一つだけちょっとまともなことが言えたような気がするという。

ず~っと前にMちゃんと同じ事を思い、「お母さんがもし死んだら私も生きていけない。」と言った時に母親の私から、「まあ、母親の代わりになる対象を持つことね。」と言われたことを持ち出したらしい。自分はこう言われて、「代わりなんて居るはずがない。」と思いその時はぴんと来なかったが、今は自分が母親になってみて、例え誰が死のうと矢張り子供のためにはしっかり自分が生きて行かなくては、と思えるようになった。と電話で話す。ま、少し分かってきたか。

そうなんだよねえ。綾小路君麻呂じゃないが、人間は100パーセント死ぬ。誰だったか忘れたが、(多分あの人だとは思うが、、、日本人の作家だ。)だから人間は誰しも心のどこかに「不安」や「鬱」を持っているんだそうだ。そのことについて考えないか、思わない振りをして生きていても、心のどこかにはず~っとこびりついているものだ。

どうにか答えを探りながら生きているんだろう、みんな。

 

実は今、グロッケン先生のおっそろしく長い、いや分厚いと言った方が良いか、500ページ以上ある「フルトヴェングラーの伝記」の訳本を読んでいる。ページの殆どがカタカナ語で埋め尽くされていて、大変難儀な読み物だ。けれど、これが又大変に面白い読み物でもあるから困ったもんだ。面白くなければ途中で放り出すか、とばし読みするんだが、これが音楽に少しばかり関わっている人間としても、単に音楽が好きというだけの人間にも大いに興味をそそられる内容となっていて、止められなくて困っている。いや、もしかしたら、音楽をさほど思わない人でも、一人の天才と呼ばれた人間の生涯を読み解くお話として充分に面白いと思えるかも知れない。私自身個人的にはヒトラーと彼の関係、あの時代にドイツにとどまり、どう音楽家として生きられたのか?という点に非常に興味をそそられて読んでいる。現在ようやく半分くらいのところで、彼の生涯としても多分クライマックスかも知れない部分にさしかかっている。分厚い本の中から、背の高い気むずかしげな細身の男性が立ち上がってくる。「もっと読んでくれ。私の生き様をチャンと知ってくれ!」と言っているようだ。

彼なんかは、芸術の中に没頭しある意味現実主義に徹して生きられたのかも知れないが、そういう人にもあの頃は過酷な環境だった筈だ。とどのつまりはどうだったのか?今宵も続きを読もうと思う。

 

それにしてもグロッケン先生のヴォキャブラリーの多さには感服。この指揮者の好色とも言える生活の部分も良いセンスで描いている。勿論訳本ではあるが、日本語の選択という点では、どうしても訳者の人間性や教養が出てくる。、、、、思いがけず夜な夜な楽しんでいるというわけだ。

2011年2月14日 (月)

雪。

こちらには珍しい雪が降り続いている。一日中殆ど動かず、パソコンだとか、メール連絡とか、食事以外は殆ど椅子の生活だ。こういう時こそ動けばいいと、頭では分かっていても、なんだかねえ~。

窓際の、道路が見える位置でパソコンを打っていると、雪を踏んでジャリジャリと音を立てて車が行き交うのが見える。前の駐車場にはどっか田舎でお仕事をしたらしく雪を一杯屋根に積んだ車が帰ってくる。我が家の駐車場には一度もドアを開けられず、エンジンもかけられてない我が愛車が雪のショールを半分肩にかけポツンと私を見ている。それにさっき帰宅した夫の車が並んだ。こっちも夜の練習はお休みにしたが、夫も夜の会議を中止にしたという。この程度の雪で、と思わないでもないが、まあ慣れてない人種の集まりで、事故でもあっては困るということだ。

いつだったか高松が大雪に見舞われて商店街のアーケードが落ちてしまったことがあった。その日は電車が止まり夕方線路の上を歩いてみんな帰ったもんだ。今日のはあれほどひどくない感じ。

それに、こうして暖かい部屋から眺めている分には、雪って良いもんだ。ホントに美しいなあ~。

ちぇちは自主練をと、お振れを出したが休みは休みになっちゃうだろうなあ~。こっちは舞台のステージングを考える良いチャンスだ。一つ一つやっつけなくては。

 

問題はこう寒いと食に走ってしまうということだ。本日はジムも行けず、4日前のシチューの冷凍を暖め、オムレツを作り、夫にはカツオのたたき冷凍を切って、鰯の煮物と赤ご飯。ワインに日本酒、ビールまで。まあ量はたいしたことはないが、オーバー気味を感じている。明日こそ動いて消耗しなくては!!あはっ!

2011年2月12日 (土)

無縁になりたいで候。

NHKにけちを付けるわけではないが、「無縁社会」というものをクローズアップさせてキャンペーンを繰り広げていて、確かに事件やら何やらでそういう類のことを考える必要性について思わないではなかったが、今日ジムで自転車をこぎながら番組を見ていて、逆に寒々しくなっちまった。ゲストの中にはキチンとした考えの人も居たが、おいおい、と言いたくなる人も。一般の人たちもどういう基準で選ばれた人々なのか知らないが、世の中を代表して物言える人ばかりでも無い。こういう類の番組が難しいのはよく分かる。司会者は実際困り切っていた。ように見えた。パソコンを出してきて、ネットにまで意見を拡大すると、もはや結論まで導くのは不可能、という事態になって当然だ。勿論、結論は必要ないんだろう。初めからそう思って創ってはいるんだろうが、それならそれで番組の意図するところを=結論は無理ですということを言ってから始めるべきではないのか。まあ、朝まで討論会、なんて番組と同じで、やることにだけ意味があるのかも知れないが。

無縁と感じることは、人生にあって当然。孤独とは万人に与えられた神からの贈り物だ。そこから文学や芸術が生まれ、人は繋がろうとする。誤解を恐れずに言うと、繋がってないのが変、というものの見方がそもそも変。以前ちょろっとここに書いたが、今日はその全文を残したくなった。青松園の塔和子さんの詩である。ネット上に公開されているから、ここに紹介しても良いかと思う。

 


「胸の泉に」

かかわらなければ

この愛しさを知るすべはなかった

この親しさは湧かなかった

この大らかな依存の安らいは得られなかった

 

この甘い思いや

さびしい思いも知らなかった

人はかかわることからさまざまな思いを知る

子は親とかかわり

親は子とかかわることによって

恋も友情も

かかわることから始まって

かかわったが故に起こる

幸や不幸を

積み重ねて大きくなり

くり返すことで磨かれ

そして人は 人の間で思いを削り思いをふくらませ

生を綴る

ああ何億の人がいようとも

かかわらなければ路傍の人

私の胸の泉に

枯れ葉いちまいも

落としてはくれない

 

ここで注目したいのは、関わる事が生むのは必ずしも幸福だけではないと言うこと。甘い思いの対局にある、さびしい思いや、不幸を知ることが生きるということだ。

そして、枯葉一枚でもこの胸の泉に落としてくれたことを、人生の喜びとすることに意義がある、と、この詩は教えてくれる。、、但し、この方の人生は並外れた過酷さの中で時を紡ぎ、この人でなくては書けない詩を書いたことを忘れてはならないだろうが、、、。

 

要するにおみっちゃんが何を言いたいか。世の中から、文学や芸術が無くなっていくと、無縁なんて言葉の藻草に足を取られて世の中を泳げなくなってしまう、ってことを、そういう事を番組制作者はもっと知ってよということだ。逆に言うと、もっと人間が作り出してきたそういう宝物を、沢山沢山世の中に紹介してよ。ってことだ。

悩むな、って言われても、悩むのが人間だ。淋しいと思うなって言われてもそうは行かないのが人間だ。でも、それで終わらないのも人間だ。

2011年2月11日 (金)

真実は力がある。

今日の寒さは半端じゃない。朝雪が積もったし、部屋の温度がとにかく上がらない。何時もより上下とも暖かい物を重ね着して、ホントは動けば良いんだろうが、なんだか動く元気も湧かない。休日とあってず~っと我が家におわします夫のために、食事の準備をするのが最低限の動きだった。食後、テレビを陣取って洋画を1本観て、ちょいとパソコンを触って寝ようかと思ったら、オンデマンドの項目の中に、「風をあつめて」という、筋ジストロフィーの子供二人を持った父親の物語があって、これがノンフィクションで九州のとある男性からの投稿により映像化されたものというので、つい観ることになった。内容はそんなに細かく描かれているわけではないが、家族の、人間の生き様をきっちり描いていて、矢張りこれが現実の物だから説得力があったのだろう。思いっきり泣かされた。その中で、「人は何の為に生きているんだろう?」という父親の言葉に惹かれた。このある意味月並みとも言える言葉が、彼の口から出るとき、それは深い意味を持って観る人に迫ってくる、これが、フィクションでないからだ。

 

今度、お歌の発表会でカバレリアルスティカーナを歌う事にしているが、このヴェルジモオペラという現実にあったことを作品化する中での歌は、だからこそ、こんなにも永くこの私を捕らえて離さないのか。オペラアリアというものを最初に歌って以来愛し続けている歌だ。このオペラの間奏曲はあまりにも有名で、これ又大昔、初めてオーケストラでこれを聴いたときの感動は未だに忘れられない。朝のワイドショー的と言ってしまえばそれまでだが、男女の愛憎劇そのもので、登場人物がそれぞれ苦悩するこのオペラ。

ほんと、人は何の為に生きるんだろう。

呆れたニュースあれこれ。

身近なところで、結婚詐欺が!ふひょ~っ!友人から聞いて改めて新聞を見ると実名は載ってない。地方新聞によると加害者の中には近所の歯科医とかいるという。別にそこへ行ってるわけではないが、やな感じ。その友人によると、歯科医の奥様は色んな活動で有名な人らしい。夫の不祥事で大迷惑、ということらしいが、、、。海外の女性が日本で働きたいばかりの詐欺事件らしいが、5万円で戸籍を汚す日本人もねえ~。呆れた。

 

夕べ、母の携帯が大音響で鳴り響き、その止め方が分からなくて弟から電話。暗証番号を教えろと言う。警報装置が付いていたのをすっかり忘れていた。まあ解決したが、その後の母と私の電話のやりとり。「あんたが携帯なんか持たすからこんな事になるんだ。」とすっかり他人のせいにしている。「もおおう、変なとこに触るからよ!」(と言いつつ警報装置は確認の必要があるなあと思ってる。)「そういえば、うちの旦那が今日パジャマの上にズボンを穿いて出かけたみたいよ。」二人でゲラゲラゲラと笑ったあげく母は言う。「わたしはそこまで行ってないよ!」だって!!呆れた。

 

トヨタのリコール騒動に決着が付いたみたい。事故の原因は電子制御装置とは無関係だったとか!今となっては社長が最後まで主張を変えず踏ん張ったのは正解だったということだ。彼の涙が印象的なニュースだった。流れた実験に「ねつ造疑惑」まであるという。関わったのがあちらの大学教授。まあ、どこの国にも変なのが居るなあ~。呆れた。

 

義妹が来て、昨日はおかしな時間にメールが来たわねえ~と言われてしまう。そうだった。世間様は深夜。シンデレラタイム前後にメンバーの特定の人たちと、平然とメールのやりとりをしているため、ついうっかりと一斉メールを全会員に送ってしまった。思いついたらスグしないと忘れそうだったからだが、あっちゃ~、ってかんじ。メールだから大丈夫と思うのは大間違い。メールでも音で起こされ読んでしまう。昨日は夫がお嬢に随分叱られたという。なんでも朝早く子供の誕生日を尋ねるメールを送ったら、子供が起きちゃったと大いに叱られたらしい。「そんなこと、お母さんに訊いてよ!」てことだったらしい。確かに。そんなこと、私に訊いてよ。呆れた。

2011年2月 9日 (水)

ある区切り。

この頃の私は、パソコンを前にワインや焼酎、たまに梅酒など飲んでいるが、今宵そう言ったらI先生があきれ顔で、「へええ?それで味が分かるの?」と来た。まあ、この幸せな時間が分からないなんて!お気の毒ってなもんだ。どうやらあのお方は、食事と共に、か又は食事中がアルコールは最も美味しいと信じているようだ。へええ?と今度はこっちが不思議がる番だ。ま、ひとそれぞれではある。

 

物事に決着が付いたというときは特にアルコールが欲しくなる。「乾杯」を一人でしてる気分か。今後に思いを馳せる時の旅のお供だ。

悲しいときより、張り切るときに飲みたくなるのは私だけ?アルコールに逃げるという気持ちは今のところ分からない。これが起きてくるとアルコール依存症、アル中になるんだろうなあ~。まあ大丈夫だ。

 

今日までの長い道のりを思えば、ホントは酔いつぶれたいくらいのもんだ。自分達のことを主張していれば良い人たちは良いが、それをなんとか形にしてまとめていく作業は事務局である私の仕事。この苦労を殆ど誰も分かってくれてない。と思う。ある意味それは当たり前。誰しも他人の立場に自分を置くなんて芸当は出来ない相談だ。

この大いなるストレスは、私に脂肪を付け、血圧を高め、睡眠不足にし、胃弱にする。これも宿命だと諦めて久しいが、、、、。従って、史上最高の体重を更新してのあの膝の損傷事件、めまい入院等々、、、だ。な~んてね。ホントの原因は実際はわからにゃ~い。

 

何事も、スムーズに行かないのが普通ではある。10人いれば10人の考えがあるし、感じ方も人それぞれ。団体と名が付けば、この問題を見過ごしていくわけにはいかないだろう。家族だって、同じ問題を抱えるのが普通だろうから。まあ長年、私はこの団体を一つの家族と見なしてきたけどねえ。

 

今日は一つの区切りの日となった。

2011年2月 7日 (月)

諦観とは諦める事なり。諦められず諦観を誓う心の悲しさよ。

友人が、「わたし、ウツかしら?」とメールしてきたので、経験上、「もしかして血圧が高くない?」と返事したが、彼女は普通だった!なんでも仕事もしたくないし、外にも出たくない病らしい。似たような年齢の人から結構こういう話しを聞くところを見ると、あまり珍しいことでもないらしいことが分かって一安心。ていうか、私自身は血圧降下剤のお陰ですっかりとは行かないまでも、一応予定はこなせるようになってきた。

今日も午後からシャンソンだったし、メンバーの送り迎えとお買い物と食事に、最後はちぇち練だ。9時間外に居て、それなりのお仕事が出来たのは、ま、良いんじゃない?て感じ。

 

ちぇちは少しずつメンバーが増えてきて、今年いよいよお祭りの年という感じになってきた。((-_-;)だと良いが)

まあ全てはなるようになる。とにかく、ストレスの材料を出来るだけ減らすことだ。それこそが生きる「術」だろう。

 

例えば、さっきお嬢からの電話が鳴り、慌てて立ち上がった瞬間にワインをキーボードの上に少しばかりこぼしてしまった。「ぎゃ~っ」とばかり電話であとでかけるからと言い捨てて、綿棒やらティッシュやらで拭いてみたが、壊れるかも~とがっかりしながら再び電話すると、「ん、壊れると思うよ。」とこともなげに言ってくれる。「スプーン1杯でダメになるのがキーボードだかんね。」と、全くの他人事。くそ~、と電話の後も必死で拭いてみたら今のところ何ともない。確かに最近のキーボードって安いしねえ。「明日買いに行けば良いのよ。」と言われればそうなんだが、なんか悔しい。実は数日前から、買い替えたいモードに入っていたのが良くなかった。油断があった。エンターキーを押すと時々戻らなくなったり、数カ所字が薄くて、間違えることもあったから。(いや、それは単なる打ち間違えかも~)時間の問題だとは思っていた。しかし、こうして今のところ大丈夫なんだが、、、。ダメならダメと思うこととした。するとストレスが一つ消えていくのを感じる。これこれ。これに限る。何事もあきらめが肝心。

2011年2月 6日 (日)

君は知っているか?

私は全く知らなかった。日本全国に20人ほどしかいないという難病FOPという病気。遺伝子によるものらしいが、発病はある程度成長してから出てくるという。何かで打ったところが次々と骨化していくというし、その痛みも尋常ではないらしい。

幸いにして我が子はそういう難しい病気ではないが、孫たちはその洗礼を受けないとも限らない。まだまだこれから先何があるか分からないという不安が、心のどこかにいつもある。だからこそ今元気な孫べえたちを見るのが嬉しく、いとおしくて仕方がないと思えるのだろう。

それにしてもこの手の対策は非常に遅れをとっているらしい。日本だけではないし、必死で医学的に研究を進めている医師達も居るようだが、そのための費用がこれ又半端な金額ではどうしようもないことらしい。、、、何とかならないのか。

昨日のちぇちの会議で、M氏からこの話を聞かされた我々は、早速次回のコンサートで、そしてその又次の公演で、ささやかながら協力させて頂くこととした。これもご縁。知らなければ知らないままに終わっていただろうが、今後出産を経験するだろうメンバー達も居ることだ。全くの他人ごととは思えない。まずは、「知る」ことの大切さだ。

 

「障害」について、考えることがままあるが、「人と違う」「普通でない」ということならば、外から見て健康そのものの人も、心に大きな障害を持っている人は結構いそうだ。

さしずめ、あの八百長相撲取りたちもそうかもしれない。健全な肉体に健全な精神が宿る、って、そのうそ本当?と言いたくなる。

 

あ~あ。

会議。

私が昔ミュージカルから手を引いたのは、毎週の練習に加えて本番前ともなれば毎日のように午前様までの練習と、終わってから午前2時まで開いているレストランでのディスカッションに、身体がついて行かなくなったからだ。若いと言うことは素晴らしい。何しろ彼らは翌日普通に仕事があっても、そういうことが出来たのだ。今思っても、よくぞあれに付き合ってたもんだ。

ところで,本日は午前2時半までちぇちの会議であった。かなり重要な部分が殆どクリア出来て、大変意味のある大切な会議となった。、、、が、やっぱり疲れた。年を感じるが、こうして殆どやけっぱちの状態でパソコンに向かっていると、その昔を思い出すのだ。何かを創り上げるというのは、こうした影の努力とエネルギーの消耗が必要不可欠なのだ。

 

今日の会議が、今後のちぇちに新しい光を灯してくれることに期待して、今宵はもう寝るとしよう。良い夢を見ますように、、、、。

2011年2月 5日 (土)

どっちがノーマル?

久しぶりに(!)ドジをやってしまった。

母を連れていつものリハビリお買い物にでかけた。対して買う物もないが、とにかく広い店内を歩き回ることが大切なのだ。順調に買い物を済ませ、新しく開通した道を機嫌良く帰ったもんだ。

この道こそは、待ちに待った道で、これが開通したお陰で、街中へ行くのが大変便利になった。開通まで余りに長くかかったので、もしや我が寿命のほうが早く終わるかと思うくらいだったが、かろうじて恩恵にあずかれることとなった。多くの人が同じ思いだったのかどうか、とにかく車の量が多い。新しい道が出来ると必ず事故が起きるせいだろう、辻辻に警備員が立って、この寒いのにお仕事をしてくれている。ホントにご苦労様ねえ~と母と話しながら帰ったもんだ。

で、母を送り届けて急ぎ夕飯の支度。、、、、なんか変。なんか足りないような気がする。しかし、夫も帰宅したし、早くやっつけなくてはならないから、ボンヤリと頭の隅で考えながら電気鍋にキムチ鍋の材料を入れていく、、、。と、思い出した。そうだ、お豆腐がない。いや、湯ダコも無い。確かに買った記憶がある。レジもレシートを確かめると確かに計算されている。、、、ってえことは、一袋忘れたんだ。どっかに。どっかといっても大体の見当はつく。確かめようと電話を取る私に夫はそんなもん出てくるはずがないし、恥ずかしいから止めろと言う。「ええ??恥ずかしい??」「そおお??」と良いながらもそれを無視して電話すると、「確認してみて、あれば折り返しお電話します。」と丁寧なお答え。「別にいいじゃん!?」とあくまで恥ずかしいを連発する夫とやり合っているところに電話が鳴る。やっぱりあるからサービスカウンターまで取りに来て下さいと言ってくれるじゃないの!?「ヤッホーやっぱり日本は凄いねえ~」と言いながらあきれ顔の夫を尻目に再びその店まで車を駆る。

ちゃんと証明書にサインをして、ブツを受け取り、意気揚々と帰宅。、、、だって、もったいない。食品だから捨てられる可能性もある。

 

ありゃ?そういえば久しぶりでもなかったか?一昨日別なスーパーに行ったとき、小銭入れをレジでの受け渡しの時思いっきりばらまいた!少なくとも5人くらいの人が拾ってくれた。母はまだ残ってるんじゃないの?と言うが、一刻も早くそこから立ち去りたかったから、そのときは焦って帰ったもんだ。、、、こっちはかなり恥ずかしかったなあ~。

 

これって、どっちを恥ずかしいと思うのか、人によって違うのかなあ?(どっちもよ!という声が聞こえる)

 

血圧降下剤って凄い。一日10回くらい計っているが、新しい薬を追加して三日目で一気に下がった。すると不思議なもんで、洗濯物はどんどんやるし、片付けも精が出る。筆無精の為放って置いた郵便物も出せたし、明日の会議のレジュメも一応まとまった。

そうだ、明日は我が家で会議だった。ふ~っ。

2011年2月 2日 (水)

宿題。

昨日のシェイクスピアの講座で珍しく宿題が出た。

「自然」についての考察をせよというもので、自然は悪なのでそのまま放置しておくと良からぬ事が起きる。故に矯正したり、教育したりして良い方へと導かなくてはならない。

あるいは、自然とは神の作りたもうた素晴らしいもので、ゆがめたり、教え導いたりせず自然のままに育み、または自然と共に共存していくべきだ。、、、などなど。シェイクスピアがどう考えているか?あるいは受講生達はどう考えるか?が次回に持ち越された。

 

まあこれは結構難問だ。例えば幼い子供に教育をどんどんしていくことは良いことなのか?人間のために自然を改良して住みやすくしていくのは良いことなのか?最近話題の諫早湾が思い出される。

 

 

、、、てなことで、完全に呆け防止となりつつあるこの講座。後の昼食会がここ二十数年間未だに活発な議論の場となっているのは不思議なことだ。これもシェイクスピアの偉大さ故かも。

 

 

本日はとうとう病院で高血圧を診察して貰った。お陰で毎朝飲んでいる薬がプラスワンとなる。実は夕べは午前1時に就寝。起きたら昼の12時前。夫がてっきり死んでるのかと様子を見に来たくらい。その話を医師にしたところ、「睡眠導入剤にそんな力は無いので、それは余程身体が眠って欲しいと思ってたんでしょう。そういうときはどんどん寝て下さい。」と言われる。、、、、どんどんねえ~。確かにストレスがあるんだろう。思いあたることが無いとは言えない。でも、意識してるわけではないので、そう指摘されるまで分からなかったが、これはいましばらく続くのだ。オペラ公演がある年は、必ずこういう事が起きる。台本が完成して、みんなに手渡すことが出来て初めて一段落。しかし、その後も演出、演技指導という過酷なお仕事が待っている。あと10ヶ月。この身が持つのか?

時は過ぎていく。

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