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2011年1月

2011年1月30日 (日)

さぶっ!!

大寒よりも寒いと感じているがどうなの?昼間余りにぽかぽか陽気だったので、三木町の友人に電話してあるものを持って行こうかと言ったら、無理にこんな大雪の日に来なくても、、、と言う。はあ?それってどういうこと?と聞くと、風がひどくて降る雪を真横に飛ばしている状態だそうだ。いやはやびっくり。同じ県の話しとは思えない。、、、でもやがてその余波?のような雪と冷気がその後こっちにも襲ってきた。なるほど。その情報のお陰で早めに洗濯物を取り込んで正解だった。

それからというもの、今年一番かと思うほどの寒さで、ますますな~んにもしたくないわい。今思い出しても何をしたか思い出せないくらい何もしてないような気がする。まあ確かにご飯は食べたなあ~。

そんな中、夫がお風呂に行こうと言う。そうだなあ~、今日みたいな日は大きなお風呂でたっぷりあったまり、さっさと寝た方が良さそうだ。と大河ドラマを見た後とある温泉に出かける。同じような思いの人で駐車場は一杯。たっぷり1時間入って帰ったが、流石にぽかぽか状態が持続してほんに気持ち良い。

 

昨日のサッカーは結局最後までみて寝たが、どうも観客席のオーストラリアのサポーター達の暗い顔が残ったなあ~。ま、スポーツの世界の勝敗はこの程度のことだが、、、。

 

さ、湯冷めしないうちに寝~ましょ。

やってみて、初めて分かる領域がある。

このタイトルは、現在我が家の標語カレンダーに書かれてある言葉だ。ただ今午前2時という時間に何をしているかというに、テレビでサッカーを見ている。延長戦は手に汗握る白熱戦。たいして興味がなかったアチクシをここまで夢中にさせるというのは、サッカーというゲームの持つ魅力なんだろうが、解説者達のようにまるで自分が闘っているかのような興奮までは味わえないでいる。音声を聞きながらこうしてパソコンだ。

昨日も今日も血圧が高く、何もかも休業して、なるだけ横になっている。一日に10回以上も血圧を測るなんて事は今までになかったことだ。この高血圧、何が原因なのかも分からないが、つまらないことにイライラしたり、耳鳴りがしたりと症状は出てきているなあ。夫が休日当番医に診て貰えと言うが、血圧が高いくらいで行ってたらお医者様がいくら居ても足りない。実際、県から届く便りにも医師不足を取り上げていた。

そういえば、先日お嬢がチビちゃんが角におでこをぶっつけて少し赤くなってぎゃん泣きしたけど救急車で病院行くべき?と電話してきた。思わず吹き出して、そんなことしてたら救急車がいくらあっても足りないよ!と言ったばかり。冷えピタでも貼っといたら!?と言うと、チャンとおでこに冷えピタを貼った写真が送られてきた。本人はご機嫌がすっかり治っているようだったので一安心。やれやれ、そういえばこの私も長男がゲボッと顔中ミルクで一杯にしたとき、思わずこの子が死ぬ~!とわめいて母に笑われたもんだ。歴史は繰り返す、か。

 

多分あっちもこのテレビ中継は見てるんだろう。さあ、延長戦がどうなるか。続きを見るとしよう。

2011年1月28日 (金)

怯える心。

人は色んな物に怯える。実態のない物にもあるものにも、小さなものにも大きな物にも、、、、例えば今日のニュースがそうだ。

 

九州宮崎と鹿児島の県境の霧島火山が爆発している。大きな噴煙が空を覆っている様は、まるで大入道がこびとの国を襲ってきているかのごとき不安感を呼ぶ。新燃岳なんて名前からすると以前噴火したのかと思ったが、観測史上初めての噴火だという。

 

灰燼にまみれた野菜を手に、農家の老人が肩を落として空を見上げる。

 

鳥インフルエンザが再び猛威をふるいそうな勢いだ。じわじわと何かが近づき、その気配に鳥たちが開いた翼を折りたたみ怯えている。

 

関東など、異常乾燥注意報が何十日も続いている。火事も多く、次々と人が焼け死ぬ。かと思えば、新潟など、大雪警報だ。我々の住む街も寒気に首をすくめた人々が皆息をひそめているようだ。

 

日本の国債の評価が一段低く修正されて、円安が訪れている。それも含めて日本の世界におけるポジションがどうなのか?

 

 

、、、、人間は小さいなあ~。

2011年1月27日 (木)

アルコール。

さあ、ぼちぼち寝ようかなあ~と思っていたところへ、「今飲み会からの帰り~」という浮かれたメールが入ってきた。楽しかったとか、会社の人はみんな酒好きで楽しいわあ~とか、、、、この寒空にどうせ電車の待ち時間か何かで暇つぶしのメールだ。そりゃけっこう~と返事を出すと今度は電話で浮かれている。ま、良いだろう。この寒い日に良い過ごし方の一つだ。あたしゃ全くその元気が無いが、、、。

 

旅行に行っても飲める人はとても少なくて、食事時に何となく気が引ける。皆さん、「良いと思うんだけど、体質が受け付けなくて、、、」というが、何故かそういう人が集まる旅行に飲んべえの私が参加している。まあ、そういうわけで酒量が減るわなあ~。今日みたいに自宅で飲んでる方が、旅より沢山飲んでるかも知れない。大体晩酌を夫は日本酒1,5合プラス、350CCのカンビールを1~2カン。プラスワインだが、私はまあその半分くらいは飲んでるかも。これにたまに息子と娘が加わると、空き缶と空き瓶の山がスグできる。飲んで語り合うことの楽しさを知っているだけに、家族には欠かせない潤滑油だ。。。。そういえば、父が昔日本酒を買ってこいと言うべきをジョークで「油を買ってこい」と幼い私を使いに出したことがある。そのまんま油を買ってきた私に両親が大いに笑って、冗談の夫婦げんかをしていたのを時折思い出す。父もアルコールが好きだった。父のお酒は良いお酒で、饒舌になり、闊達になり、気前が良くなったものだ。父に願い事をするときは必ず一杯入っているときだったなあ~。

今年、その父の十三回忌だ。

2011年1月26日 (水)

鬱と血圧。

鬱だうつだとここに書いていたら、時々同じようになる友人からせせら笑われたり同情されたりしているが、今日は新たなアドバイスが届く。それはきっと血圧が高いのよ、というものだったが、なるほどそうかも知れない。いや昨日のジムでの事を考えると間違いなくそうだと思える。そういえば4週間前に何時もの病院だがいつもとは違う先生に、ちょっと高めだから毎日計るようにと言われて2週間の内半分計って2週間後に報告したら、まあ大丈夫でしょうと何時もの先生が何時も通り1ヶ月分の薬をくれた。なんてことがあったなあ~。それから2週間経っていて、血圧のことなんかすっかり忘れていた。矢張りそういうことなんだ。、、、分かってしまえば一安心。でもないが、まあなんだか分からない病よりは良い。それなりに気を付けていれば、自分の精神のことで疑心暗鬼にさいなまれることもない。まあ、両親が高血圧で、これは致し方ないかも知れない。

ホント、人間の体って心と連携しているなあ~。丸い心がいびつになると途端に体もバランスを崩す。逆に体がどっか怪しくなると心も病んでくる。それは赤ん坊の時から変わらない現象だ。

 

今日は久々に歌を「真剣に」歌った。歌うという行為も不思議なもので、先に歌ったMは部屋に入る前は、「しばらく歌ってないし~なんだか大儀だわ~、やりたくないモードよ~、、、」などとブツブツ言いながらだったが、終わって上気した顔で出来てきたとき、「どう?歌って良かったでしょう!?」と言うと、「まあね」と大いに満足げである。やる前となら声も口調もすっかり変わっている。明るい顔で帰って行ったMとバトンタッチで、全く久しぶりにレッスンを受けたが、同じ現象が自分にも起きた。昨日の全体レッスンで別の角度から発声練習をしたので、それを早速実践してみた。まあ出来るときと出来ない時があるが、出来たときはかなり良い線行ってるらしく褒めて貰える。

男性の指導者は多くの人が理論的だ。声を積み木のように構築していくと言えるかも知れない。私のような感覚人間にはちょうど良い薬をいつも与えてくれる。女性の指導者とは明らかに違うなあ。

レッスンを受けながら、後何年歌えるでしょうねえ?なんぞと先生に声をかける。ま、私より6歳上の先生が歌えてるんだからもう一寸大丈夫かしら?と言ってみたり、、、、なんだかねえ~、、、あんまり景気の良い話しではないねえ~。、、、でも、歌った後の爽快感はやっぱり良いなあ~。もし「歌」と出会わなかったら、私の人生はかなり味気ないものだったに違いない。

今サッカーの試合を見ながらこうして書いているが、観客の興奮は凄い物もあり見てるだけでも充分楽しいが、結局本当の快感はやってる人間が一番感じてるんだ。踊る阿呆に見る阿呆ってこと。

 

さあ、今日はどうなるんだろうなあ?この試合。韓国の選手にも凛々しくて格好いい若者が多いなあ~。白熱戦だから、パソコン止めて、本腰で延長戦をみるとしようか。

2011年1月25日 (火)

静から動へ。

あまりにらしくないこのところの自分に、何とかここから脱却しようと、今朝は朝一番から動きに動いた。

まずは自分の寝室のお掃除。それもちょっとだけ大がかりに配置換え。それに派生してやるべき事も一応午前中にやっつけた。出来ないと夫に一蹴された「流動食のみ」の朝食と昼食は成功。別にそれでも動けないこともないなあ~。

しかし、ふと気付くと階段の上がり下りも結構やってるし、重たい物も運んでいる。夢中になっていると忘れられるところまで、膝が快復したんだろうか。

しかし、ちょっと一服してお茶を飲んだら、予定していたジムに行きたくなくなった。またしてもだらだら病に襲われた。結局速攻諦めて、先に夕食の準備をして、ちぇち練に行き、帰りにジムへ行くこととしたが、全く行けるかどうかの自信がない。サンポートでも友人と別れ際、「行くの?」と聞かれて、「多分」と答える始末。深夜の中央通りを走りながら、さあどうするか?右か左か?と考えながら運転している。いよいよ最後の分かれ道に来て、あの信号が青ならGO!と決めて、なんとかジムまでたどり着く。

今日はストレッチと自転車と岩盤浴とサウナとお風呂、と決めていたのが、まずはストレッチで躓いた。やる気が無くなって、半分でストップ。自転車に乗って途中からサスペンスのドラマをかけてこぎはじめたが、例によって結果がよめる内容のドラマ。にもかかわらずぼ~っと見ながら完全に岩盤浴は諦めている。通りかかったインストラクターに岩盤浴のキャンセルを伝えて、結局ほぼ1時間も自転車をこいでいたことになる。、、、そこまでは良かった。が、帰りに血圧を測って驚いた。いつもなら運動したらその前より下がってるはずの数字がえらいこと上がっている。お兄さんが心配そうに寄ってきてくれて、「大丈夫ですか?ちょっと運動やり過ぎたんじゃないですか?」と言われる。あらら。やりゃあ良いってもんでもないんだ。結局お風呂に入って帰ったが、よくぞお風呂で倒れなかったもんだ。

 

今日のちぇち連は、なかなか迫力があって楽しかったのではないか。見学の人も中に入って楽しそうだったが、、、。とにかくもっと人を増やしてやらなくてはオペラは面白くない!

2011年1月23日 (日)

これぞ芸!

柳家さん喬さんの落語を今日で3回目堪能した。毎回、うなる場面があったが、今日ほど凄いと思ったことはなかった。以前桂こけ枝師匠に、「泣かない落語もあるんですよ」と言われたのを思い出したが、今日のはまさしくそれだった。こんなにも泣かない落語を聞いたのは初めてだった。話芸というものの奥の深さを思い知らされた。落語を聞きながら涙するとは、正直思ってなかっただけに、自分だけでなく、他からもすすり泣く声が聞こえて内心驚いていた。

テーマは最後に語られた、「ならぬ堪忍するが堪忍」だったが、この言葉は昔、母の実家の壁に掛かっていた額の言葉だったなあ。

さん喬さんの落語にはリズムがある。小さな声と大きな声を巧みに使い分けて、早口もあればゆくりしたテンポでわざと間延びしたところもある。客はその波に身を任せて自在に操られることを喜んでいる。、、、これぞ話芸というものだ。

日本にはこういう宝物があるなあ。

 

会場ではご紹介した方々ともお会いして、マスクで帽子というまるで変装状態の私はいちちちマスクをとってのご挨拶となる。鬱状態から脱することが出来ないまま出かけたおかげで、こういうこととなったのだが、知らんぷりを通せないところが情けないなあ。変装してるくらいに全く無視していたらよかったと後から思う。中途半端なアチクシ。

 

そういえば今夜お会いしたグロッケン先生は、昨日は分厚い本を携えて我が家を訪れてくれて、その本はご自身の訳になるもので、500ページにもなる大作だ。タイトルは、「巨匠フルトヴェングラーの生涯」というものだった。まだ数ページしか読んでないが、ナチとの関連性とかで噂されたりしているこの指揮者の実像に迫る相当面白い作品のようだ。是非とも完読しようと思う。大体音楽家の生涯物って面白いものなんだ。

そういえば、昼間は地元でご活躍のピアニストSさんが我が家を訪れてくれて、近々に演奏会をするとお知らせ頂いた。よく頑張っていらっしゃる。この方とのお付きあいも20年以上になるが、この方だけ別の時間が流れているのかと疑うほどお若い。矢張り、志をもって生きている人は違うなあ~。世の中にピアニストと呼ばれる人は沢山いるが、年齢を重ねても自分の演奏を追求し続け、発表の場を持ち続けるという人は非常に少ない。

どう生きても、人生だなあ~。

 

実は今、口の中が大変なことになっていて、辛い、熱い、酸っぱい、固いものがかなり堪える。先日とあることでテイクアウトのコーヒーを飲んで、その飲み口が小さいので一気に吸い上げたところ、それがチョー熱いコーヒーで、吐くに吐けない場所だったため、口の中が犠牲になった。完全にズルッと一皮むけてしまい、今日で5日目まだ治らない。明日から絶食して飲み物ばかりで過ごそうかと夫に言えば、無理無理、とてんで相手にしてくれない。やっぱり無理かなあ?は~っ。

2011年1月21日 (金)

調子が出ない一日。

朝妙に早起きしたのは良いが、全くエンジンがかからない。寒いせいかと思い、家中の暖房を付けてみるが余り効果的でない。何をしてものろのろ。気がつけば頬杖をついている。思い切って昼食の後はカーペットの上で眠ってみた。1時間ほど寝たようだが、そのあとも全く元気が出ない。別段熱があるようでもないし、体のどっかが痛いというのでもない。きっと風邪ででも無いんだろう。だから動こうと思えば動ける状態なのに、動く気が全くしない。、、、、これは鬱なのか?

「老人性鬱」という字が脳裏を巡る。やだなあ~。そういういことにはなりたくないなあ~。でもねえ、こればっかりは自分の意志でなんとかなるものかどうか、、、。

 

しっかり食べたらどうなるか?とばかり、夕食は野菜中心ながらあれこれ作りあれこれ食べてみた。昨日頂いた大根があって、機械で簡単におろせるからそれをたっぷり使う。ほ~んと、あの機械には助かる。、、、で、こうして日記を書けるほどには気持ちが快復しているのを感じる。やっぱり食べることは大切だ。おっと、ワインをグラス3杯のんだのも良かったか!?

 

昼間、お嬢のニューベイビィの声を聞く。いつ電話しても受話器をじっと眺めているだけだったのが、初めて電話の向こうできゃらきゃら笑った。おおお~、こうなると早く会いたいものだ。3月に一度顔を見せてくれるらしいから楽しみだ。、、、孫でも側に居れば、こんな鬱はどっかに行ってるんだろうなあ~。

2011年1月20日 (木)

大寒。

殆ど家から出ない生活のため、天気予報の「寒い」報道にはあまり敏感でない私だが、今日の大寒は大いに体感して、ジムに行くつもりがグズグズと行きたくないモードに入ってしまい、とうとうただ今午後10時という時間になっちゃった。ホントはまだ行けるんだが、、、、どうも風邪っぽいし、背中が痛いような気がして、、、、グズグズグズ、、、、。今日は早く寝る方を選択だなあ~これは。

 

昨日はFMの収録で、同窓生のK氏をお招きした。K氏は獣医を経験してから現在は市会議員である。いつまでおやりになるか知らないが、政治家とは大変な仕事だと思う。と、正直にそう言うと、「いやあ、どんな仕事でも仕事は大変ですよ。」と一蹴されたが、、、。私的には絶対に身内にはなって欲しくない職業の一つだなあ~。

K氏の獣医としての経験も話しをしようと思いながらスタジオに向かって運転していると、丁度NKHKラジオ放送で動物による「感染症」についての特集番組をやっていた。早速その話題を収録に持ち込んだのは言うまでもない。

その放送に寄れば、ペットの24時間を観察していれば毎日体を舐めて肛門の周辺も舐めているのが分かるそうだ。そして、その同じ口や舌で人の口や食べ物に直接触れることがままあり、それが病気の原因になっているなど、人と動物は違うんだという前提の元に共存して行かなくてはいろんな弊害も起きるということらしい。確かにペロペロ顔中をなめ回すペットを飼い主が喜ぶという光景はよく目にするもんなあ。局に来た問い合わせの中に、ラーメンなどを同じ箸で与えたり、口移しで食事を与えることが多いのはどうなのか?などというのも多々あった。可愛いと思うのと同時に悩んでいる人も多いということらしい。ゲストの先生によれば、ペットが舐めるのは、自分より下だという表現らしい。犬は上下関係をハッキリさせる動物で、「舐められる」というのはそのまんまの意味らしい。知らなかったなあ~。。

昔からわんちゃんやねこちゃんが好きな私だが、昔と今では全く動物の飼い方が違うなあとつくずく思う。14歳で亡くなった我が家のワンちゃんは、全ての食事を我々と同じ物で済ませていたが、今、そんな事してる人はあまり居ないようだ。その点では、現代はハッキリ人と動物は違うものとして飼われているわけだ。でも、ペロペロは人並み、いやもしかしたら人以上かも~。我が子でも最近はそこまでしない親が増えているからな~。虫歯菌がどうとかで、大人と同じ箸を使わないんだそうだ。

高齢者が増え、ペットに癒されている人も少なくないようだが、その飼い主が病気になったり亡くなったらそのペットの処遇に困るケースも多いようで、K氏曰く、自宅でのみ触れあえるのではなく、そういう施設も整える必要があるとのこと。確かになあ~。時代と共にペットとの付き合い方も変わって行くんだろうなあ。

 

未だに山中に捨てたペットが居るとか、いろいろ問題があるようだが、ホントにそういう悲しいことが無くなると良いなあ~。

 

収録を終えて真っ暗な道をミキサーのM君と帰ったが、昨日から月は満月だったような、、、、。目の状態があんまり良くないから、満月も満月と見えないんだけど、満月でなくても満月と見えたりして、、、。良いのか悪いのか。ふ~っ。

2011年1月18日 (火)

芸。

イッセー尾形の一人芝居なるものに初めて行った。まああれだけ有名な人だから、初めて見るような気がしなかったのは当たり前かもしれないが、妙に懐かしい思いで見たもんだ。百パーセント演出家の指示通りに演じているらしいが、それをそうと感じさせないところが凄い。その巧みな演出は、彼の「芸」によってこれ又百パーセント活かされている。相互の信頼関係が無くては成り立たない世界だ。

女性の役を演じても、決して声色を使わず、男声のまんまで演じるのが凄い。それだのに充分女性になりきっている。落語の世界に通じるところがあるが、全く相手の声を入れずにその場のシチュエーションを感じさせるところが凄い。観客をも一人の自分へと引き込む力は凄い。凄い凄い、、、と思って観ていたはずが、結果として三分の一ほど眠っていた。矢張り旅の疲れが出たということだ。

こういう「芸」はしかし、彼と共にいつかこの世から消えるんだろうか?もったいないなあ。

 

ほぼ満席で恐らくは長年のフアンらしい人たちの笑い声がそこここにあり、演じやすい舞台だったのではないか。高松もなかなかすてたもんじゃないなあ~。

 

 

翌日は丸一日フル回転で、全く余裕が無い。流石に今日は半日体が動かなかった。

ちぇちの第1回目の練習日だったが、新しい年の初めに相応しい充実した練習日となった。いよいよみんなスタートラインに立った。

2011年1月15日 (土)

試練の伊勢参り。

祈る心がどんな人にも(おそらく)あるという証拠のように、お伊勢参りは人人人の大混雑。全く何もないと言っていいこの場所に、これだけの人が集まるという不思議。とりあえず行っておけば何か御利益があるというその程度の人も多いだろうが、どこかで、そんな小さい人間どもを大きな心で受け入れて下さるのでは?という都合の良い甘えの感情もあるだろう。

半世紀前に参拝して以来のことで、全く初めてと変わらないが、神宮の周辺で小さく色んな商売を営んでいるおびただしいお店が珍しかった。その名も「おかげ横町」といい、どうやらお伊勢様の御利益によって生かされているという意味らしいが、その通りだろうなあ。「おかげ様」という言葉はホントに良い響きだ。現地限定の「おかげさま」という名前のお酒まで売っていた。

友人Kと歩いているとどこかか太鼓の音が聞こえるのでつられて行って見ると、イケメンのお兄さん二人が凛々しくもバチをふるっている。ひとしきり聞き惚れて、バスの集合時間もあるから次なる興味の対象へと移動。そこはどうやら昔の芝居小屋を再建しているらしく、おりからの風にのぼりがはためいていた。少し歩くとレトロな喫茶店があり、さっき食べたアカフクの口直しがしたくてコーヒーを飲む。落ち着いて話しをする時間が無く、そこもそそくさと出て、今度はひたすらバスまで30分ほど歩く。、、、いやはや、今回はメチャクチャ歩く旅となった。こういう旅が出来るまでに自分自身が快復したことが嬉しかった。

もっとも、昨夜はなばなの里なるところで、光の芸術とでもいうべき素晴らしいイルミネーションを見るために広い庭園を歩き回ったため、流石にホテルに入って膝に痛みが来て、足のマッサージをしてもらったり、睡眠導入剤を飲んで寝たりはあったが、途中で歩けなくなることはなかったのはメデタイことだ。多少の無理は必要なんだ。

 

それはともかく、今日は最悪の日となったのだが、まずは朝食。二人部屋でゆっくり同じペースのKとともに起きて朝風呂に入り着替え、ぼちぼちモーニングに行こうかと出かけ、あとの4人と食堂ですれ違いざまオハヨウの挨拶。そこそこの朝食を採り部屋に帰る。すると、Kが怪訝そうにわがパンツをたたんでいる。「これ履くの?持ってくの?」と言われてフト見ると、にゃにゃんと、はいてるとばかり思っていたパンツがそこにある。てえことは、あたしゃ防寒のための分厚いタイツとレッグウオーマーと靴下姿で朝食をとったことになる!「ぎゃあ~っ!」と叫んだが、Kは涼しい顔で、「別に~、おかしくなかったよ!そんなもん、わからへんわ、そんなもんやと思てくれはるわ。」と慰めともなんともつかない言葉。そういえば、友人達も何も気がつかなかったんだから、そうなのか、と胸をなで下ろすも、自分的にはかなりショック。

でもって、そのまま下へ降りて、フロントで用事を済ませバスに乗って20分ほどでハタと携帯が無いことに気付く。あっちゃ~、そういえば化粧室に持って入ってそのまま持たずにでたわいなあ~!と思い出せども時既に遅し。Kがホテルに電話しろと言うので彼女の携帯で連絡、折り返し「あったので送ります」との返事を貰ってやれややれ。今日は携帯の呪縛から逃れ、気楽と言えば気楽な時間を過ごすこととなった。

もう一つの最悪は、実はこれが一番でかい!

行くときにバスに乗り合わせてきた6人組が、はんぱじゃなく喧しい人たち。昨日は少し席が離れていたので、うるさいわねえ~ぐらいで済んでいたのが、ナント今朝バスに乗ってみるとスグ後ろにその6人がおわします状態。うわ~これはやばいなあ~と思っていたら、予想以上に凄い!!大きな声で喋る、笑う、叫ぶ、悪態をつく、etc。話の内容は下品で聞くに耐えない。おしまいには集合時間に遅れたことを注意された添乗員さんのことをみそかすに言い、「添乗員に言うてやったんよ!あんた、この仕事に向いてないから他の仕事探した方がええよ!ガハハハ」、、、いやあ~参った。うつらうつらバスに身を任せて眠っていても、もの凄い大音量の笑い声で起こされる。大阪から合流していた友人Kはもうこれ以上あの連中とは一緒に居たくないからと、伊勢から電車で帰ってしまった。全くこれは我々にとって記録的な事件だ。あんな女性が存在するなんて信じられない。

 

高松に帰って、Sの車に乗った途端、全員がホッとして、「これもある意味印象深い旅だったねえ」と笑いあったことだ。ふ~っ。これもお伊勢さんの試練か。

疲れた。

2011年1月12日 (水)

龍馬の街。

月曜日。晴れ渡った休日にもかかわらず、我が家は午後12時までの停電になんにも出来ず、朝は喫茶店でモーニング。車2台で出かけ、夫と私はそれぞれ図書館とマッサージへと別れて出発、、、すると携帯に電話が。今別れた夫から、高知に行かないか?という誘い。高知には長年の友人で、一人暮らしの御年83歳のOさんという女性が居るのだ。あまりの天気の良さに、その気になった私は速攻で電話する。するとOさんは今日は珍しく山にも行かず自宅にいるから是非いらっしゃいと言ってくれる。美味しいとこに案内するからと言われちゃあ、ますます元気が出るってもんだ。しかし、このお方と友人Yは仲良しトリオで、Yを誘わないのは抜け駆けするようで悪いと思い電話してみると、今広島に向かってるところだという。法事だって言ったのに~残念だわと叱られる。そうだった!すっかり忘れていたのだ。、、、仕方なく夫の運転する車で二人で出かけることとする。往復ともぐっすり寝たのは言うまでもないが、、。

 

全く久しぶりの高知。Oさんと町中に出てみると、至る所に龍馬の写真やなんかがあって、相当な経済効果があったことを伺わせる。お目当ての小料理屋さんには全く驚いた。数えてみると15品目あって、ランチ1200円という安さ。しかもどれもこれも美味しい!高松の我が家の近辺の和食やさんだとまあ半分の量だわなあ~。、、、流石におなか一杯になって、その辺を散策することとした。色んなお店を冷やかして、今度は夫がどうしてもカツオのたたきを買うというので、郊外のお店までお付きあい。デパートで稀少な焼酎も買うというので行き、こちらはこれまた試食で感激したカマンベールチーズいりフランスパンを購入。せっかくココまで来たからと、今度は伊野町の紙の博物館まで行き軽くショッピング。半日楽しんで暗くならないうちに帰りますと別れたが、今までで最短の滞在だったにもかかわらず、思いがけず充実した時間だった。高速を使えばこんなに簡単に行けることに改めて感激。すぐ又来ますと約束して帰ったことだ。

夫の運転では酔うから車中で眠ったのもあるが、どうもちょいと風邪気味だったかも知れない。翌日喉がいがいがして、体がだるく、寝酒を飲んですぐ眠ったからなあ~。週末は牛に引かれて(!)お伊勢参りのバスツアー。風邪を引いてる場合ではない。

今日はミニ会議をして、今年のちぇちのあれこれを検討し、明日は岡山から帰ったら夕方からパーティだ。で、明後日の1泊の旅行から帰ったら翌日が一人芝居の観劇に母を連れて行く予定。ぎゃ~っ。てなもんだ。ま、なるようになる。

2011年1月 8日 (土)

ジム。

あっという間に時間ばかり経って、なんだか置いてけぼりの感がある。そうばかりも言ってられないので、今日は思い切って家事に専念した。立つ鳥後を濁して部屋を汚くしたまま帰って行ったお坊ちゃまの部屋を布団から片付けて、全てを収まるべき所に納めたら、はあはあ息が上がってしまった。階段も6往復したし、平行して洗濯だ、ゴミの整理だ、お掃除だ、気になっていたエアコンの掃除も、、、これらの内半分は年末にやっておくべき事だ。それを今頃孤独にやっていると、不思議なことにすがすがしいとさえ思える。こないだちょこっと小耳にはさんだのは、「ちょこまか家事をやる人は太らない。」ということだったので、早速実行に移したというのもあるが、この説にはイマイチ納得できないなあ~。ま、色々キレイになって良かったが。

 

夕食の後ジムへ行く。整体の先生が週に二日は行きなさいとのアドバイスをくれたのだ。インストラクターに指導をして貰いながら、約1時間、その後は岩盤浴、そしてお風呂に入って帰宅。長く通っているが、岩盤浴で居眠りしていて、ノックされて起きたのは初めてだった。、、、やっぱり疲れてる。

2011年1月 7日 (金)

賀状。

まだ賀状を書いているのは私くらいのものか。近々会うだろう人には殆ど出してないが、来たものについてはお返事賀状になっている。、、、なので、まだぼちぼち書いてるという次第。

 

賀状とは不思議なもので、出したくない気持ちが大きいのに、来る物には大いなる関心があり、人によっては頂いて良かったとつくづく思う物もあるから勝手なもんだ。基本的に筆無精の性格のせいだろうなあ。

そうした重要な賀状の中に、「今年のちぇちの公演を楽しみにしています。」というのが結構たくさんあって正月から明るい気分にさせられる。「落語ペラ」という字をキチンと書いてくれている人も居て時間の経過を感じるなあ。

 

孫も昨日朝一番の飛行機で帰っていき、水戸に着いたという報告の嫁りんのメールには、「なっちゃんが、みっちゃんと離れて淋しい。」と言ってますとあり、こちらも寂しさがこみ上げた。夫と二人で、ぽつんと夕食をとりながら全く元気が出ない。その状況を知ってか知らずか、お嬢から自分ちが出した賀状が届いてないかとかかってくる。まだ届かないというと遅すぎるとかおかしいとか言うが、こればっかりはどうしようもない。今日になってようやく届いたら、なるほど、これは笑える。余りにおかしくて夫に持って行くとこれ又大笑い。、、、なのに、これが全くの大間違いで、二度大笑いとなったのは彼らの予期せぬ効果だった。

というのも、その賀状には、イラストで子供を真ん中に若い両親が立っていて、その3人の顔が実際の写真になっているという訳だ。最初それを見たときは、3人ともベイビーの顔写真を貼り付けていると思ったのだ。子供は色んな表情をするから、その中からより父親に近い物と母親に近い物を選んだんだろうと、、、、。ところが実際は、本人達のゼロ歳児の時の写真を使ったんだそうな。聞けばな~るほど、なんだが、全部一人と思ったのも無理からぬ「類似性」があったのだ。いやはや不思議なもんだ。親子というのは。

 

そういえばある友人がこんな事を言ってた。「年賀状によく子供の写真だけ載せて送ってくるけど、あれって変じゃない!?お付きあいしてるのは子供じゃないんだから、写真なら今の自分たちのを載せるべきでしょう!?」と言うのだ。まあ、元々私は写真を載せるという事をしたこともないし、余り関心も無かったので、曖昧な返事をして置いたが、まあそういう面もあるかも知れないなあ。ただ、その人が自分の写真を使いたくない気持ちも分かろうというもんだ。だって、そういえばペットの写真で来る人もいるもんねえ~。その友人にしたらそれは論外なんだろうか?ふふふ。

 

一人だけ、「夫婦共々前期高齢者となりましたので、今年をもって年賀状は最後とさせて頂きます。」っていうのが来たなあ~。これも良いかもしれない。生き方が出てるなあ~。こう言いたいが言えないでいる私が、苦し紛れに「変な」賀状を創り続けているのも、ま、似たようなものか。にっぽんという国の「慣習」へのささやかなレジスタンス、、、かも。

2011年1月 3日 (月)

正月。

優先順位を変えただけでこんなにも優雅な?お正月が過ごせることに、今年初めて気付いた。今年のモットーを、「一番大事なことからやる。」と決めて、「やるべき事」を遠ざけてみたら、体が軽くなり自由に動けるではないか。長い間、何かに縛られて過ごしてきたことに改めて思い至る。よし。今年はこれで行こう。

 

一月一日元旦。讃岐のお雑煮を作り、食べた後は予定通り与田寺へ息子と3人で出かける。勿論往復は意識不明の爆睡。着いてみると思いの外空いている。車もすんなり置けたし、参道も何時ものようにぎちぎちの人混みでもない。ほんの少し早いだけでこうも違うかと話ながら、今年前厄の息子の為にお祓いもしてもらう。こういうことにかなり拘る嫁りんの指示があってのことだ。

お賽銭箱の手前に線香が置かれてあり、初めてそれに火を付けて灰に埋めるという作業をやった。全く信じてないが、周辺の人々が素直に体のあちこちに煙をこすりつけているのを見ると、くすぐったい思いながら私も素直に慣習に従おうと思ってのことだ。丁度すぐ前の人が必死で片足を上げては、その膝にすり込んでいるのを見て、ああ、この人も足が悪いんだなあ~と察した。私の半分くらいの女性だが、あんな細い人でも膝が悪くなるんだなあ~と妙なことに感心。他にも孫だろう赤ん坊の頭に懸命に煙をすくっては撫でつけて居た人が居て、人間て可愛いなあ~と思った事だ。

 

3人ともおみくじを引き、見せ合っては色々言って笑い合うのも、正月ならではの余興みたいなもんだ。

帰り道はこっちがすいすい動くのに、お参りに行く人の車の列はもの凄いことになっていた。矢張りみんな朝寝坊するんだろう。

帰宅してから、夕方までは正月礼にやってくる嫁りんとチビ達、それに我が母と友人を招き宴会の準備に追われた。これはちっとも苦じゃないばかりか、料理そのものが楽しいのだ。みんなが美味しいと言って沢山食べてくれるのを見ているだけで、こっちは幸せな気持ちになる。チビ達も大いにはしゃぎ、間もなく5歳の上の子だけお泊まりにしたら、2歳の男の子が大変だった。姉弟の絆が既に強くなっているんだとほほえましい。おしゃまで一癖ありそうなこの女の子を連れてお風呂に行く。自分の足のこともあり、ちょっと緊張。まあ何事もなく上手く行ったがこっちは汗びっしょり。、、、楽しかった。

 

一月二日。孫べえはたっぷり寝て、朝お雑煮の大きなお餅を1個食べて、レストランでしっかり食べ、吐くんじゃないかと心配するほどだった。気分で食べる時期だなあ。

ず~っと長年仕事をしていて、一度もお正月にデパートにいくということが無かったので、息子が万年筆の福袋を狙うというのに付き合って出かけたが、こんなにも大勢の人が来てるとは知らなかった。初売りと福袋でレジには長い列が出来ている。、、、それでも欲しいと思ったものは私的にはチョーお高くて手が出ない。やっぱりデパートは高いんだ。

母を誘ってレストランに行くと、こちらも大入りの盛況。母はしきりに、昔は三日間はお金を使うなと言われてストックした食材で過ごしたんだと繰り返す。それほど驚いているんだが、喋りながら今日の母は食べる食べる。息子が驚くほどだ。90過ぎても洋食の方が口に合うという母に「血」を感じる。ハ。

孫べえの最終目的地「yタウン」も駐車場が一杯。かろうじて滑り込んだが駐車場が殺気立っている。おもちゃ売り場に直行したが、あたしゃどうも疲れているのでマッサージをするのを許してもらい30分ダウン。体中が相当凝っているようだ。無理は出来ない。くわばらくわばら。

間もなく誕生日を迎えるこの子にどうにか本屋でプレゼントを買い与え、母親の元へと連れていく。濃密な時間の後は、お互いに別れの寂しさを味わっている。小さくバイバイをする孫べえをドアの隙間に見ながら寒空の下、車に乗る。、、、嫌だなあ。明後日の見送りも寂しいだろうなあ~。ま、しゃあない。

 

色々整理していて、去年の同窓会の写真のCDが出てきたのでついつい見てしまった。こういうことしてるから整理がはかどらないんだ。中に「校歌」を歌っているのが沢山写っていたが、みんな良い顔している。恩師を始め「高校」という共通の場で我々をつなげているのが「校歌」だ。、、、歌はホントに色んな意味を持つ。

2011年1月 1日 (土)

久々の雪。そして大晦日。

母を伴い帰省してきた友人共々買い物に出る。そのとき急に雪が降り始めて、年甲斐もなく3人とも興奮した。一時は走る前方が視界10メートルほどまでという時もあったが、長続きしない雪ではあった。例によって母は昔話。子供の頃お椀を持って飛び出し、雪を一杯詰めてそれに砂糖を混ぜて食べたなんて話しをして聞かせる。友人も繰り返されるその話を根気よく聞いてくれている。

雪とは、こうして何かしら懐かしいものをかき立てられる。

 

どこへ買い物に行っても人人人。初めて大晦日に買い物に出たが、世間様はこうして新年を迎える準備をしているんだ、と改めておもった。で、ワタクシも思いっきり沢山の花とか明日やってくるチビ達の食材とか、電気ストーブまで買ってしまった。トイレ用だったり、着替え用だったりするものを2台。今更と思わないでもなかったが、今日の雪を見て買う決心をした。ああ、又道具が増えた。

 

帰ってから男二人と年越しそばなど食べ、今年1年の無事を祝う。それから溜まりに溜まっていた掃除やら生け花やらをやっつけたら、いつの間にか紅白も終わり、ただ今午前2時を回ってしまった。、、、まあ今年もこれが出来たのは喜ばしいことだろう。危うくこんな事もあんな事も出来なくなるところだったのだから。男二人は近所のお寺に除夜の鐘をつきに行き甘酒を振るまわれたらしい。これは良い風習だと思う。私はいつも忙しく、数年に一度しか行けないが。

 

今年の正月の生け花のテーマは、「輪」。3つの花器に生けた物がそれぞれ関連性を持ち、支え合った友情は黄金に「昇華」する、、、、てなもんだ。さて、誰がそれを分かってくれるだろうか。

 

鍋に昆布を仕掛けたから、流石に今日はもうお風呂に入ろう。、、、1年はホントに速いなあ~。

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